もてはやされた二つの言葉だけれど、時代が進むにつれて「元ある文化を外部から来た人が不快に思わないように削る」事をそう呼ぶようになってしまった。
日本の空気を読む文化だとか、人に押し付けない態度が批判されて、欧米のように自己主張こそ正義みたいな価値観を一方的に押し付けられる。
キャラクター絵の肌の色、アニメや漫画にまで口を出されて何も書けなくなってしまう。
これまでのダイバーシティやグローバル化は、外部からくる人の事を尊重し寛容的になる、一方的なものだった。
厭、そもそも寛容性とは双方にあってはじめて成立するもので、片方だけの寛容はただの植民地、隷属化だろう。
ダイバーシティやグローバル化の中、年功序列等が無くなるのは良い事。だがそれで日本的なものが失われていくのもおかしい。
分からんでもない。ただ、日本人は主張下手だとも思う。主張すること自体が悪だという風潮すらある。だから削らんでいい個性まで削れてしまう。