はてなキーワード: 隠蔽とは
秋になる前には三峡ダムが決壊して中国は滅ぶってあれだけウッキウキだったのに、あの話はどうなったの?ねえ?
ダムが歪んでるだの、すでに放水して沈んだ村が1つや2つじゃないだの、あんだけ陰謀論垂れ流してたのにもうダンマリなの?
ネトウヨなんだから「本当は三峡ダムは決壊しているが中国共産党が隠蔽している」くらいのことは主張しなくちゃ駄目じゃない。
中国のコロナ対策だって、共産党が隠蔽しているんでしょ?ネトウヨ的には。
経済成長も中国共産党が全部改竄してたことになってるんでしょ?
あなたたちネトウヨの大好きなウツクシイ国ニッポンを超えて中国が世界2位の経済大国にのし上がって世界中に影響力を持つようになっても、
中国共産党が経済成長を捏造してるってことにして明日にも中国は滅ぶ、って陰謀論を頑張らきゃ。
古い伝統が大好きなんでしょ?もう20年以上続いている由緒正しい中国すぐ滅ぶ論をしっかり守ってくれなきゃ困るよ。
しっかりしてよ、ネトウヨさん。
嬉しくてたまらない。
私は匿名ダイアリーで人の悪口を書いたり読んだりするのが大好きな暗い暗い人間だ。
こういう性格になった原因の一端は、私が「体育」が苦手だったことに間違いなく起因している。
そもそも体育=いわゆる「体錬」なんていう、本来近代日本の強兵政策に基づく「国民を使い勝手の
いい兵隊にするため」の科目を戦後にきちんと潰しておかなかったGHQが悪い。
日本の多くの子供たち(おそらくはどこの国もそう大差あるまいが)が「体育の授業」と「体育会系の部活」で
植えつけられるのは、「集団の利益が第一義であり、〈和を乱す者〉〈足を引っ張る者〉は散々叩かれパージ
されねばならないし、保身のためにはそういう者になってはいけない」という同調圧力と自己責任論、
そして、「絶対的な上下関係のもと、〈下は上に逆らってはならない〉というシステム」だ。
すなわち、汚職・癒着・不正の隠蔽・内部告発への圧力・ブラック労働・やりがい搾取・パワハラ・セクハラ……
この社会の「生きづらさ」の原因となる諸問題の根には「体育」がある。
(「諸問題」と私が呼ぶのは私が一市民であるからで、為政者にとっては素晴らしい「美徳」なのだろう)
オリンピックなどというのは、「体育」的価値観に諸国民が疑問を抱かないようにするためのプロパガンダ装置だ。
アスリートへの礼賛と神聖視。彼らの人生を感動ポルノとして消費する報道。「オールジャパン」なんて
空虚な言葉で飾り立てた同調圧力の奨励。「コーチや監督、団体から言われたことを唯々諾々と受け入れ、
疑問を抱かない思考停止」は「ストイックなプロ意識」となり、「体を壊してでも試合に参加する無計画と
自傷行為」を「尊い自己犠牲」と呼ぶ『1984』ばりの欺瞞に満ちたレトリックが何をもたらしたか?
無数のアスリートの死体と、自浄作用に欠いたクソみたいな社会だ。
私は体育が嫌いだ。体育会系が嫌いだ。体育会系的価値観に染まった、自分の脳みそでものを考えられない
馬鹿が嫌いだ。私を見下し、自分が何か特別な「許された」人間のようにふるまってきたあいつらが嫌いだ。
そしてそれを許してきた社会が嫌いだ。
私は嬉しくて仕方ない。ツイッターを開けば。ヤフーコメントを開けば。オリンピックへの罵詈雑言が読み放題だ。
テレビではオリンピック内定選手が、もはや自分たちがパブリックエネミーとなったことにも気づかずに、
「自分たちが頑張る姿を見て感動と希望を与えられれば」なんて上から目線のどうしようもないコメントをしている。
燃えろ燃えろ。アスリートたちよ自身の特権意識と、偉い人がやる気なら逆らえない風通しの悪さを晒して炎上しろ。
「ピンチをチャンスに」なんてクソくだらない不謹慎な言葉を使うつもりはない。
だが、夢見てしまう。
「なんで、たかだか『体を動かすのが他人より上手い』ってだけの連中があんな偉そうな顔できてるんだ?」
「上の顔色と周りの視線を慮って誰も何も言えないような、体育会系的価値観が蔓延した社会って危険なんじゃないか?」
マンガ。
いたずらのつもりでヤンキー高校に爆弾しかけたら死人でちゃった。どうしようビクビク
マンガ。
娘の彼氏(半グレ)を殺しちゃって隠蔽するけどばれないかビクビク→半グレの親父も殺して隠蔽してばれないかビクビク
冷めた夫婦関係を描く日常系かと思いきや、不倫相手を勢い余って殺しちゃってどうしようビクビク
クソな父親を子供の頃ころしちゃって高校生になったけどばれそうどうしようビクビク
上司がいえにくる!どうしようばれるかもビクビク
勢い余って殺した回は全部そう
コロナに関係するニュース見てると「日本ってもうだめなのかな?」とか思う。
コロナがまた流行りだして、今度の変異型はやばいぞとかなんとかあったり、看護師500人派遣せよとかあったり、いろいろ起こってて、日本大変じゃん。
政治はめちゃくちゃでお金もぐちゃぐちゃでなんかもうわけわかんない。
GDPは上がらない、給料も増えない、中国韓国にはとっくに負けてる、先進国かも怪しくなってきた(政治、教育、インフラシステム、とかね)。
国民性をとっても、いまだにイジメは絶えない改善策はとられないどころか隠蔽する、老人若者の対立、右翼左翼の対立、田舎都会の対立、こんな小さな国でいがみ合ってる。
たぶんコロナがおさまってもそうでなくても日本は衰退して、撤退戦をすることになるんだろう。
これから生まれてくる子供たちはどんな気持ちで大人になるんだろうか。輝かしい未来が描けなくなったこの日本で。
同じ貧乏なら東南アジア諸国のほうがゆったりしてるし良いんじゃないか?って思って移住するのもアリかもしれん。
はぁーどうなるんだろうかね。
ヴィーガンだけど、こういうスレは普通にありがたいしうれしいものだ。
これがブタやウシとかの食用経済動物なら、おれたちみたいな一般人はなるべく感情移入しないで済むような仕組みができあがってるわけじゃん。ふつうは顔も名前も知らないし、飼育現場との生活上の接点はないし、屠畜という一番血なまぐさいところは徹底的に隠蔽されてるし、食肉として流通・陳列される段階では「生きた動物の痕跡」は徹底的に消されてる。とにかく「動物を殺して食う」ということへの罪の意識なり、後ろめたさなり、「かわいそう」という感情なりを初手から持たなくていいような仕組みになってるじゃん。
ここの理解をしている人はかなり勉強しているというか意識が高いと思う。いわゆるプロセストミートという産業構造によって、肉食という概念を我々はうまくカムフラージュされている。
今でも途上国の田舎に行けば家族で豚や鳥をさばくが、血が飛び出たり悲鳴が聞こえたり、子供たちはそういう経験をして肉を食べる。
なので「ハレ」「ケ」の概念が自然と身についている。それは必ずしも罪悪感だけではなく、生命を頂くという概念が、知識でなく経験として身に付く機会なのである。
しかし先進国の人間はその機会を得ることないため、肉は野菜や穀物と同様に見られている。そこに問題があるのである。
うまく説明できないが、ヴィーガンであるというのはそういう人類の歴史上の営みを否定したくない、たかが50年やそこらの産業によって飲み込まれたくない、
自分の頭で考えて行動したい、という人がなる傾向があると思う。動物愛護ももちろんあるが一番は、自分で食うものや行動は自分で判断して決定したい、という人が多いと思う。
競馬ファンは、ウマという動物をそれぞれの名前で呼び、その容姿・性格・能力などの個性を愛で、感情移入し、それぞれの毎回の競走や生涯の物語を熱く語る。その一方で、同じウマという動物が調教試験や能力試験で合格できなかったり、競走成績が奮わなかったりしたときにはセリにかけられて食用に屠畜される、という運命もリアリストっぽく擁護する(何なら「それが彼らにとって一番の幸せだ」ぐらいなことまで言っちゃったりする)。「華やかなステージに登壇できたウマ」は賞揚して「できなかったウマ」については関知しない、その割り切りっぷりというか、情熱と冷静の温度差に、おれは戸惑ってしまったりする。
これがブタやウシとかの食用経済動物なら、おれたちみたいな一般人はなるべく感情移入しないで済むような仕組みができあがってるわけじゃん。ふつうは顔も名前も知らないし、飼育現場との生活上の接点はないし、屠畜という一番血なまぐさいところは徹底的に隠蔽されてるし、食肉として流通・陳列される段階では「生きた動物の痕跡」は徹底的に消されてる。とにかく「動物を殺して食う」ということへの罪の意識なり、後ろめたさなり、「かわいそう」という感情なりを初手から持たなくていいような仕組みになってるじゃん。
でも競馬ファンにとってウマという動物はそうじゃないでしょ。オートレースの競走車やボートレースのエンジンやペラとはわけが違うわけでしょ。人と同じように知能があり、感情があり、性格があり、人馬一体のアスリートであり、そこにみんなは思い入れを持つんでしょ。JRAだって何だってそれぞれのウマにフォーカスして物語を紡ぎ、感情移入させまくるわけでしょ。だからこそウマを擬人化した「ウマ娘」という企画が成立して人気を博したりもするんでしょ。でもその背後で、競走馬としての能力を満たさなかったことで屠畜されるウマたちがたくさんいるし、むしろそういう運命にあるウマたちの存在によって競馬業界が成立してるという陰惨な現実(とおれには思える)は、競馬ファンの頭のなかでどう処理されてんのかな〜とおれは思うわけよ。だって走るのが遅いウマには知能や感情がない、ってわけじゃないじゃん。それは競馬ファン自身が一番よく知ってることでしょ。
たとえばこれがイルカの話だったとして、おれは「イルカは賢くて愛らしいから食べるなんてかわいそう」という人の気持ちはわかるし、「イルカは昔から食用にされてきた伝統的な水産資源だ」という人の気持ちもわかる。でも「イルカは賢くて愛らしい、人と同じような感情があり、人と心を通わせられる、自分もこれまで何度感動させられたことか」って言いながらイルカを食うやつがいたら、それはちょっとサイコパスじみてるじゃん。愛でられるに値しないイルカが食堂で「イルカ定食」として出される水族館で「イルカはやっぱり賢くてかわいいよね」ってうっとりしてるやつがいたら怖いじゃん。と思ったけど、牧場で羊を見た後にジンギスカン食えるとこって結構あるな。んで女の子がワンワン泣いてたりするな。そっかそっか。
以上この話おしまい。
なぁゆたぼん。
君は革命家とか活動家とか言ってるけど、いったい何をやってるんだ?
街ゆく人に「ゆたぼんって知ってる?」って聞いても、100人中100人が「あーあの不登校のやつね」と答えるだろう。
色んな人と会って色んなことを学んで…って言うけど、君が誰と会って何を学んだかちっとも伝わってこない。「不登校」という情報だけだ。
君は制服制度が疑問で中学に行かないらしいが、制服廃止や選択制を学校に訴えもしないで、逃げてるだけで、何が革命家だ。
世の中、君の親御さんみたいに不登校推奨してくれる人ばかりじゃない。みんな色々な事情や夢があって学校に通わざるを得ないんだ。君の学校行かなくていい!で行かないことができるなら苦労しない。
確かに学校は良いところとは限らない。下着の色をチェックしたり肌着禁止したりするようなブラック校則が取り沙汰されてるし、旭川のいじめ事件みたいないじめを隠蔽するクソみたいな学校もある。
そんな学校を変えようともせずに、生徒という弱者にばかり、学校行かなくていい!と言い続けることが、革命なのか?
歴史上の革命家は皆、権力者に立ち向かって権力のあり方を変えていた。弱者にばかり、こんな国捨てていい!と無責任に言い放つだけの学のない放浪者は革命家にはなれないんだよ。
ゆたぼん、学校を変えてくれ。
一応書いておくけどここで書いてるのは山と集落しかないようなド田舎の話。
でも多少都会だったとしてもそんなに変わらないのかもしれない。
役に立つかどうかはわからないけど少なくとも第三者の目がある分都会のイジメは隠れてする(あくまで想像)だろうけど田舎はそんなの気にならない。
誰もいないし誰も通らないし何よりみんなでいじめる。
いじめられてる方=村に馴染めない子供=仕方ない という方程式まであり得る。
「ここまで」という線引きがない。
下手に都会に憧れてる分メディアが作ったいじめをそのまま再現してイキってるクソ馬鹿ガキもいるんじゃないかと思う。
都会へのコンプレックスをヘイトという形で相手にぶつけることを何とも思っていない人が多い。
まず比較対象がいないから自分がしていることが異常だと一生気付かない。
異常者ばかりだから異常行動にも何にも感じない。
田舎は隠蔽しやすい分色んなことを隠して真人間みたいに暮らしてる人が多い。
カースト下位の子供はカースト上位の子供に傅きながら青春を終える。
生徒数が少ない分みんなでいじめる。
強く生きてほしいなんて口が裂けても言えない。
村によっても結構違う。
移住考えてる人は本当にやめておいた方がいい。
もし子供が村の価値観に染まったら子供が何考えてるかわからなくなる可能性もある。
これ読んで移住成功体験でマウント取る人少なからず出てくるだろうけどこれはあなたを否定する内容じゃないから突っかからないでね。
以上。