はてなキーワード: 銀英伝とは
もちろん医者の間で意見が分かれることはあるが、基本的には一つの知識体系だ。
というか、少なくとも、一つの知識体系を目指す学問であるはずだ。
医者は「正しい知識を持っている人」で、一般人は「知識を持っていない人」だ。
医者が「ただの風邪だ」と言えば、一般人は「ただの風邪だ」と考えるのが普通だ。
社会学は純粋な科学ではない(もちろん一部は「科学的」アプローチを取る)。
一つの知識体系があるわけではない。目指しているわけでもない。
社会は複雑系であり、一つの「優れた」捉え方があるわけではない。
逆に、だからこそ、「多様な」「他とは違った」捉え方を提供することが、社会学の一つの役割だ。
だから、ある社会学者が「これは問題ある表現だ」といえば、一般人は「確かにそういう捉え方もあるかもな」くらいに考えれば十分だ。
(もちろんその意見の妥当性は「社会学者が言ったかどうか」とは関係なく議論されるべきだが。)
というか、ある表現に文句をつける権威がいるとすれば、それは弁護士や政治家等、法律の専門家であるはずだ。
そもそも、はてなぁだってその辺のアホだって、「社会学者の言うことは正しいとは限らない」なんなら「胡散臭い」と思っているはずだ。
だれが社会学者の意見に対して、日常的に権威を認めているというのだろう?
こんなこと言っているのは、旗色が悪くなったらビビったふりをする、典型的な詭弁者だ。
社会学の本を1ページも読んだことが無いんだろう。
今なら別の書き方をするのは確かにそうだろう
銀英伝って80年代に始まったみたいだけど当時の価値観からみても古風でしょう
これは現代よりも技術が発達してるのに古風を感じさせる作品が当時流行してたってのがあるんでしょうね。
レイア姫は男勝りだけど、これは別に女性の社会進出を訴えたとかじゃなくて
古典映画によく登場する「じゃじゃ馬姫」を意識して作られてるんでしょう。
銀英伝まわりで
っていってる人いるけどさ
お前ら「表現の自由」どこにやっちゃったの?
つうかこれほんとにこれからの社会で合意とってかなきゃいけない問題だと思うんだけど
ってその場その場でブレないそれなりの基準がいると思うわ
今回の社会学者にせよ
全員が「表現の自由」を持ってるというのが前提だろうよ
お前らヴォルテール大好きなんじゃなかったの?
・法的な表現規制
・国会議員・市議会議員など政治に関わる人が、その肩書きのもとで特定の作品を批判すること
・ポスターを剥がす、公演中に妨害目的の大声を出すなどの実力行使
・個人的に行う電話問い合わせ(ただし常識的な範囲で、恫喝や長時間拘束は業務妨害と見なし不可)
・「電話問い合わせをした結果こういわれました!」などの共有
問い合わせの際にSNSで共有させてほしい旨を伝え、了承を得られればよいと思う
同人界隈で見られがち
公開されている事実の列挙だけならばいいが、多くの場合エコーチェンバーで誹謗中傷の入り雑じったものになるため
・「◯◯学者」「◯◯主義者」などの雑なくくりを攻撃するシャドーネットバトル
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そりゃそう。
学者「だからこういうシーンをそのままやるとうるさくなるって」
ファン「そのシーンは超大切だろうが、お前ニワカか」
通りすがりの古参「そもそもこの作品は昔から言われ続けてるし作者も自覚してるぞ」
『ワンカットだけ抜き出して騒ぎ立てる面倒な輩が出てきそう』という話をするのに「描き方は変更せざるを得ない気がする」と言い違えたから。
こう言われてファンはイラッとするけど、その本当の理由は『ファン層の質を低く見られている』と感じるから。
初期のリプには「騒ぐ連中は無視でいいだろ」って意見がちゃんとあるのに、学者先生自身がここで軌道修正せず「作り直した方が」の言い違え路線を貫いたせいで、
『作品にケチをつけられている!』と怒りの理由を取り違えて“作品を擁護する”的外れな反論が群がって、さらに学者先生がそれにいちいち反応を返したがゆえに泥沼。
その上、本当の怒りの理由と自分の反論が噛み合わないから言っても言ってもすっきりせず、いつまでも個人攻撃をやめられなくなってる。
「学者先生には作品をサルに寄せるよりも、サルをヒトにする方策を研究していただきたい」
と返せばそれで終わってる話。
高校生オレ、ノイエから銀英伝にハマったものの原作読むの辛かった。ステレオタイプな価値観が辛い。
ノイエはいい感じに現代でも見やすく調整されてるんだと思ったぞ。まぁまだノイエで男女がどうこうっていうシーンがないからかもしれんが…
トラバした人だが、多少は変えられてるぞ。まあ銀河帝国がモロに古典的な貴族制だからどうしようもない部分はあったみたいだが。
俺の読解力が足りないのかもしれんがお前の主張が読み取れない。あー、叩いてる連中は社会学者アンチか思想ガチガチでヤバめな古参ファンが多いが…
銀英伝って書いても、銀英伝(小説=原作)と銀英伝(昔やってたアニメ=石黒版=OVA版)と銀英伝(新しいアニメ=今Eテレで放送してるやつ=die neue these=ノイエ)とか色々あって、もしかしてお前勘違いしてるんじゃないか?
田中芳樹(原作者)がどっかの後書きで価値観が古いって言及してるのは原作のこと。社会学者が価値観が古いって言及したのはOVA版(石黒版)で、ノイエはこういう価値観を改変したほうがいいって主張。で、俺はノイエは既に現代寄りに改変されてるって言ってるんだが…
しかも何回同じ話を焼き直しリメイクしてるんだよ。当時でさえ三国志みたいな話を舞台を宇宙に変えたスペース時代劇みたいな評価だったのに(だがそれがイイ)、2020年にもなってあんな古臭い話を絵だけリメイクして再リリースでそこそこ需要があるってのにビックリだったわ。
ガンダムなんて未だにオリジナル版のリメイクには手を出してないし、逆に聖書ですら時代に応じて解釈を微妙に変えてきてるのに、なんでたかだか40年の歴史の銀英伝だとあんなめんどくさい原作原理主義者が騒いでるんだろ。
一視聴者であるジェンダー系の学者が「女性観については今風にアレンジして欲しい」ってTwitterで感想書いただけだろ。普通に面白そうじゃん。有能なのに上層部が無能過ぎて前線で儚く散る幸薄な女性指揮官とか君らの大好物だろ。ポリコレがコンテンツをダメにするみたいなアホが大勢いるけど、アレンジの方向性さえ間違えなければ原作の良さに加えてさらに現代風にブラッシュアップした新しい名作として生まれ変われるんだぜ?
銀英伝燃えてる話、発端は社会学者のツイートなんだわ。この流れキズナアイでも見た。そろそろ飽きた。
学者は学者として発言することの重さを知れ。Twitterすんなとは言わないから、せめて素性を隠せ。あるいは学者として本名でやるなら食事と研究と学会の話だけにしろ。自分の詳しくない分野について発信するな。Twitterで議論なんてできるわけねえんだよ。学者さんは上澄みでしか生きてきてないだろうが、Twitterには上から下まで、それこそ月からスッポンまでいんだよ。月のお前だろうとスッポンどもに囲まれたら負けんだよ。お願いだから自分の詳しくない分野について学者として発信するのはやめてくれ。それか発信したいなら論文なり学会発表なりでやれ。
それに大元の教授だって時流の価値観に合わせないと売れないよって提言しているだけで、そこにはジェンダー論が正しいとも何とも言ってない。
彼はたまたま最新の価値観がジェンダー平等だから、それに合うような表現に変えたらって言ってるだけ。
もし今の最新の価値観が軍国主義や帝国主義バンザイだったら、彼も「銀英伝は戦争をもっと肯定的に描写しないと許されないだろう」と言ったはず。
話はずれるが
「匿名だから」の一言で、この意見をすべて封殺することができるか?
匿名の増田の主をたたいた教授を、「一般人を寄ってたかってたたくのか」「意見を表明するだけここまで叩く。この国の言論の自由はどうなっているんだ」と言わないと誓えるか?
教授の経歴をあれこれ調べ「こいつは○○だ」「こいつはあの××と仲良しだ」と意見とは関係ないところまで批判をしないと誓えるか?
「匿名だから卑怯、だから、この意見は不当だ」ではなく、この意見は不当だと貶めたいために、匿名性というポイントを材料に使っていないか?
原作のファンの一部からそっぽ向かれても、それを受け入れる原作のファンも多いわけだし
という自分はhttps://anond.hatelabo.jp/20200913105323だが、星矢がまんまそういう構図なんだよな
銀英伝は知らないけど星矢はちょっと知ってるから例に出したんだけどさ
いちいち文句つける信者じみたうるさいのはノイジーマイノリティで、実際はちゃんと売れてるから色々出るわけ
星矢の今のファンって原作リアルタイム世代だけじゃなくて、20代くらいの若い子も割といるんだよ
原作信者からしたら「時代に合わせる事もなく昔のファン以外相手にしない商売して先細りしようがどうでもいい、俺が楽しめさえすればいい」のかもしれないが、
2年目っていうのはノイエ邂逅から銀英伝知ったから。邂逅見て星乱見に行って原作15巻読んで今Eテレ見てるぐらいの浅いファンだ。明日の最終回の再編集楽しみだなみんな。OVA版はこの間アマプラ入ったし、少しづつ見てる。まだ25話ぐらいまでしか見れてない。漫画は買おうか迷ってる。フジリューの絵怖いんだよな。でも道原さんは少女マンガちっくだし…。.5は興味無い。ヤンが歌うとかおもろしろすぎてまともに見れる気がしないし。あとなんか展開してたっけ?まあ自己紹介はこんなもんでいいか。
んで、なんか燃えてるのは知ってる。社会系の学者さんがOVA版のヤンとフレデリカの家庭の描写が前時代的だからノイエはうまいことやってほしいみたいなことを言ったんだと。俺はそのツイートみて、銀英伝ちゃんとみてんのかコイツ?と思った。
たしかにヤンは家事をしなくてフレデリカばかりが家事をしている、という状況だけなら前時代的だと言うのもわかる。共働きなのに家事は分担しねーのかよってことだろ?ヤンは男でフレデリカは女だもんな。前時代的だよな。
でもさ、その家事分担は両者合意の上なんだとしたら?合意の上とは書かれてないけど、合理的に考えたらこうなるだろ?だってヤンの家事能力は壊滅的なんだぜ?まあフレデリカも料理があまりうまくはないんだが、ヤンのためにそのへんの苦手を克服しようとオルタンスさんに料理習ったりしてるんだぜ??
……………って、ここまで書いてたんだが、もしかしたらOVA版ではそのへんの描写が削られてるのかもしれないよな。俺が今上に書いたのは全部原作に書いてあることなんだよ。OVA版だけみたら、フレデリカはさも当然のように家事してるのかもしれない。だから「エアプw」って原作の描写を持ち出して批判するのはよくないなと思った。それぞれ同じ名前を冠してるけど違う作品だ。だから例の学者さんを論破するならOVA版から根拠を出さなきゃいけない。俺は総論賛成各論反対みたいな感じだし、関わるつもりもないが。
まあノイエはトダが殴られなかったりとちょいちょい時代にそぐわない部分を修正してるし、言われなくても制作段階で考えてると思うぞ。劇場では核云々のセリフだったのに放送では差し替えられてたり、鮮血が黒くなっていたり、一応TPO弁えてると思う。でも「娘をくれてやろう」とか「女子供は流刑」とかちょいちょい微妙な発言もあるぞ…?
あとさ、原作が1982から1987、OVA版も1990から2000年につくられたものなんだし、今の価値観と合わなくて当然なんだわ。
political correctnessって英和辞典引いたら政治的 正しいことって意味なんだろ。銀英伝はpoliticalにcorrectnessってなーんだ?って問うてる作品だし、なんかポリコレどうのこうの言われてるの面白いよな
銀英伝の改変を要求(?)した社会学者のツイートなんだけど、意味がわかんないな、と
「変更せざるを得ない」っていうのは「変更を避ける事が出来ない」つまり「絶対に変更することになる(するべき)」という意味だと思うんだけど、
この強い言葉に「気がする」を雑に付け加えたせいで意味が不明になっている
「変更せざるを得ない」「気がする」って事は「変更せざるを得る」可能性も有る事を認めているという事だけど、その自覚が有るなら「変更せざるを得ない」気はしていないじゃないか
この日本語のおかしさは「絶対」と「気がする」の併用に似ている。
「絶対違う気がする」
いや「絶対」なんか「気がする」んかどっちやねんと。あなたは結局その確率は高いと思ってるの?低いと思ってるの?必然だと思ってるの?必然ではないと思ってるの?
b:id:tanakadaishi テキストは既に定まっているのだから、「作者のお気持ち」は考慮に値しない。/「聖書の描き方は時代にそぐわず変更せざるを得ない気がする」→表現するのは自由だが石は飛んでくる。ツイ主は「銀英伝」を舐めてたな
2020/09/13
これとかまさにそう
現代社会は、増田の認識のとおりレベル3の段階である。「この言説はセクハラだ」という指摘は、対象に対して極めて致命的なものにもなりかねない(宇崎ちゃん騒動をはじめそういう事例は枚挙に暇がない)。
実際はレベル3になどなっていない。
あるKKO社員が「〇〇さんいいですよねぇ~」と言った
程度のセクハラはその辺で普通に行われているし、それを問題にする人もいないのが普通。
仮に問題とする人が出たとしても、その程度で首になどならない。
同じように性差別的な表現などその辺で普通に行われているし、仮に問題とする人がいたとしてもその作品が即消される訳でもない。
宇崎ちゃん騒動も、あれのどこが「致命的なもの」になったんだ?
連載は普通に続いているしアニメ化もしていて順調にしか見えないが。
ただ献血ルームで乳強調絵使う事をやめただけだろ。それが「致命的」だと考える方がどうかしている。
銀英伝も(見た事はないが)、どこかの公的な団体のCMとして、問題とされているような箇所を抜き取ってその部分だけを使われたら
「これはちょっと今時まずいんじゃないの」程度の話にはなるだろうし、そのCMが中止になるかもしれないが
作品そのものは何の影響もないだろうし、そもそもわざわざそんなCMを作る人が出てくるのも考えにくい。
そして今回はそういう前提の話ですらない。
この増田(anond:20200912141626)の批判はもっともだと思う一方で、津田氏を少しだけ擁護する。まあ擁護でもないけど。
増田の批判は非常に明瞭で、津田氏はこの批判を真摯に受け止めるべきだ。だが、いくらその行為が悪意そのものには見えなくても、本人には全く悪意がない(ゆえに悪意あるとの批判に耳を傾けない)可能性は、どんな場合にもあるし今回もまさにそうではないかと思う。本人が耳を傾けないと、批判はその力を大きく削ぐ。批判は正しく届いた方が社会的な益になるし、届かない批判は分断を起こし、それは社会的にマイナスだと思うのだ。だから、誰も頼まない調停役を務めようとしている、というのが私の立ち位置である。
さて、セクハラという概念がなかった時代。上司は女性社員の尻を触り放題であった……というと語弊があるが、触ったところで、馘首になるどころか、減給も、厳重注意すらなかった。被害者と加害者は同じフロアで同じ立ち位置で仕事をし続けた。今では考えられないコンプライアンスであるが、社会的に「そんなのはくだらないこと」という意識が徹底されていれば、それ以上にコストをかける意味がない。もちろん、プライドのある女性社員はこの状況をよしとはしていなかったし、なんなら被害者の女性社員に色目を使っている男性社員も、「クソ!部長め!」くらいは思っていただろう。だが、せいぜいそこまでで、その怒りは極めて個人的なものであった。これをレベル1の段階とする。
次に、セクハラと言う概念が誕生し広まりかけたころ、変わらず女性社員の尻を触ろうとした部長に対して、若手の係長が「部長、それは『セクハラ』ですよ」とニヤニヤしながら声をかける。部長が「せくはら、かね?」、係長「セクシャルハラスメント、略してセクハラです。」、部長「そうかね、なるほど少し控えるか。ワッハッハ」……みたいな時代があったのだ。社会的に意識が広まり始めるころ、啓蒙の役割を果たす人の仕事というのは、この係長のようなものだった。これをレベル2の段階とする。
そして最後に、完全にセクハラの引き起こす問題(件の女性社員は退社して、意識の高い同業他社に転職してバリバリ成果をあげている)が認知された社会、うかつなセクハラを行おうものなら、よくて罰金、降格、左遷、悪ければ馘首まで起こりうる時代。「女性社員の〇〇ちゃんて尻がデカくていいよね」などという発言ですら処分対象になる時代に、あるKKO社員が「〇〇さんいいですよねぇ~」と言ったのに対して、先の係長、今や課長が「●●くん、そんなのを〇〇ちゃんが聞いたら『セクハラです!』って言われるぞ!(ニヤニヤ」と言ったとしよう。その瞬間職場の雰囲気が凍りつく。「セクハラ? いや、それほどでは…」「課長それは言い過ぎじゃないっすか」「誰かがいいとかいう程度のことを大騒ぎにするのはちょっと…」これを聞いた課長が焦って「いや、女性のね、容姿を云々したりするのはさあ、仕事には関係ないわけでさあ、だからね、ウン、ぼ、ボクはね、軽~くそれを、し、指摘しようと思っただけでね、いやいやそういう意味じゃなくてね(汗」と釈明する。周囲は呆れたような顔になるが、課長は嘘を吐いているわけではない。彼はただ、以前と同じように振舞ったつもりなのだ。これがレベル3の段階である。
何が言いたいか分かっていただけただろうか。現代社会は、増田の認識のとおりレベル3の段階である。「この言説はセクハラだ」という指摘は、対象に対して極めて致命的なものにもなりかねない(宇崎ちゃん騒動をはじめそういう事例は枚挙に暇がない)。一方、レベル2の社会で係長だった津田氏は、レベル3の段階に意識がアップデートできていない(あるいは、普段ならそこまででもないかもしれなくても、レベル2の時代に自ら親しんでいたコンテンツのリバイバルという状況の中で、その時代の間隔でつい突っ込みをいれてしまった)だけの課長ポジなのだ。津田氏に悪意がなく、かつ、彼の言い訳が嘘ではないとしても、津田氏に問題がないわけではない。だからこれは擁護ではない。ただ、彼の行動が「悪意」に基づくというのは誤認かもしれない。むしろ、そこに「悪意」がある方が問題は単純だ。悪意というのは明るみに出た瞬間に無力化するからだ。それより、本人に100%悪意がなくても、こういうことは起こりうることであり、それだけにこれは解決の難しい問題でもある、ということを指摘しておきたかった。
私の言いたいことはこれくらいである。これは擁護ではない。だが、増田の指摘に対して、異なる視点を提示するものである。
(追記)
少しだけ追記しておく。銀英伝をそもそも私は見ていないが、そこに現代から見れば『政治的に正しくない』表現が入っていることは、極めてありそうなことである。そして、それをそのまま製作したら『政治的に正しい』を主張する人たちから槍玉に挙げられるという危惧も、決してあり得ない心配ではないだろう。だから私は、津田氏の指摘自体が全くおかしいものだったとも思わない。だが、上に挙げたような事情と、また、【ポリコレ棒で人を殴る行為】自体の問題に疑問の目が向けられつつある現代において、これを身分を明らかにしてTwittrで呟くという行為は、少し不用意であったとは言えるのだろう。もし本当に一ファンとして真摯に心配するのなら主催者に直接メールした方がよかったし、なんなら無料・匿名を条件に監修を申し出てもよかった。あるいは、もはや銀英伝は時代を越え得ない作品なのだ、Not for meなのだ…として黙って立ち去るという手もあった。ただTwitterで呟くというのは悪手だった、ということなのだろう。
あと、「未来を描いた作品なのだから、現代の価値観で…」云々を言うのは、作者・読者が現代人である限り無意味だ。作品は、作者や受け手の意識の共有によって成り立つのであり、たとえばいかに架空の世界を舞台にしていたとしても、そこに現れるのは「現代の意識」そのものであり、社会が問題にする(作品への支援や共感(プラス)にせよ批判(マイナス)にせよ)のはまさにその点だからだ。