はてなキーワード: 銀英伝とは
長く続いているコンテンツに絶対現れる初代(旧作)信者がウザすぎる
最近だとスターウォーズ、ターミネーター、サクラ大戦、サクラ大戦、デジモン。あとはガンダム、ドラゴンボール、銀英伝、ラブライブとかな
初代信者にとって初代こそが完全無欠100点満点の至上な存在で、それ以外は初代基準の減点方式となる。
ゆえに彼らの中で100点を超えることは滅多に無い。路線やスタッフが変わった続編はその時点で駄作となり、リメイクやリブートも余計な手を加えられた偽物となってしまう。
もちろん道を切り拓いた原点は評価すべきだと思うが、神格化するあまり後発の作品を貶すだけの老害になっていないか?ノスタルジーに浸りすぎて正当な評価をくだせていないのではないか?
銀英伝を深いとか言ってるやつなんなの。
オタクでも30年選手ぐらいじゃないと、オタク内部のヒエラルキーがわからないと思う。ぶっちゃけて言うと、オタク内部にも強烈なヒエラルキーがあるの。
萌えオタは、その中でもかなり低い。少年漫画オタとか、熱血アニメオタ、SFオタとか、そういう人間が地位が高くて、萌えオタはめっちゃ低かったのよ(その当時は萌えなんて言葉もなかったけれどね)。でも、みんな陰では萌えキャラが好きだった。
ラノベにもヒエラルキーがあって、90年代は、銀英伝とかは上、スレイヤーズは中、あかほりさとるは下、みたいな、要するに萌え系(当時はそんな言葉はない)の地位はめっちゃ低かった。はシスプリが出てきた2000年前半でもかなり地位は低かったよ。シスプリというだけで硬派系のオタクからは「うわーオタク内部でも好きだって言っちゃいますか。勇者ー」ってな空気だった。
さらには萌え系は「お前らが萌え萌え言ってるから、差別されるんだ」と言われることもあった。女子でも、「腐女子というと軽蔑されるような空気」は残ってた。このあたりは、げんしけんとかにもテーマになってたりするよね。「腐女子だけど腐女子が嫌い」な荻上千佳とか。あれはかなり誇張して描いてるけれども、決して理解できないキャラ付けではない。オタクだけどオタクが嫌い、なんていうのはよくあるケースだった(本当だよ)。
で、萌えオタ(萌え豚ともいう)とか腐女子とかっていうのは、「名づけからして自虐というか差別的な要素」があるとおり、「要するにオタク内部でもヒエラルキーが低かった」んだよね。被差別の中にも順列があった(地獄にも階層があるように、オタクにもヒエラルキーはあった。ヒエラルキーが低いというのが適切でないならば、理不尽に攻撃されるケースが多かったといいえかてもよい)。
それが、涼宮ハルヒあたりのころから明確に崩れ始めちゃったんだよね。若い世代は萌えキャラで育ってきてるから、「お年寄りオタクの萌えキャラは恥ずかしい」って意識が理解できないんですわ。むしろ、「萌え絵や萌えキャラはオタク社会の中でもヒエラルキーが低い」っていう暗黙のルールを完全に無視した行動をとるようになった。これが良いことなのか悪いことなのかわからない。
「萌えキャラ=エロだろ」という意識は、30代以上のオタクがかろうじて持ちえるレベルの共通理解で、いまの中高生オタクになると「英語の教科書に萌えキャラ出てます」って時代になっちゃってるんだよね。だから、「萌えキャラは恥ずかしい」とか、「そういうのはこっそり家で楽しんでくれ」っていう、30代以上のオタクの共通認識が理解できないんですわ。
そういえば福島みずほが、宇崎ちゃんを「胸が。胸だ。えっちだ。えっちだ」と連呼してたけれど、あれはお年寄りの認識で、いまの若い子は本気で「どこがエッチなの?」って感じてる。だって教科書や参考書に萌えキャラが出てる時代だから、萌えキャラに対する文法自体が異なる。いわゆるエロゲ全盛時代に大学生や社会人だったオタクたちにとって、「萌え絵=エッチなもの」という認識があるけれど、いまの20代以下は「むしろ学校図書館でよく見る絵」だったりする。このあたりの認識のずれが、かなり大きい。
だから、「萌え絵は恥ずかしいものだから世の中に出ていかないで」っていう高齢のオタクは、「エロゲの絵でしょ」と認識してるけれど、若いオタクは「萌え絵のどこがエッチなんだ? 言いがかりつけんじゃねえよババア」って考えてる。
まとめるとこうなる。
高齢オタク「萌え絵はエッチでエロゲの絵だ。萌えオタはヒエラルキーが低い恥ずかしい趣味だからこっそり楽しめ。大っぴらに出てくるのは恥ずかしい」
若年オタク「萌え絵のどこがエッチなんだ? エロ同人の中身見せてるわけじゃねえぞ。言いがかりつけるなくそジジイ」
というわけで、この問題は、萌え絵と萌ジャンルに対するジェネレーションギャップがかなり大きいと考えてる。
誰かが言わないといけないことだけれど、だれも言わないから言う。
BL好き腐女子、エヴァ大好き左翼、エロゲアイコンだった学者。
おじさんおばさんのオタクの一部が、差別で自意識を拗らせた結果おかしなことになっているという話だと思って聞いてほしい。
彼らは、エヴァ放送時に、衝撃を受けてこんなアニメがあるのかと驚いた世代だ。もうちょいわかりやすく言うと林原めぐみ直撃世代か、そのもうちょい前。
深夜にアニラジを聞きながら、エヴァを延々と語り、オタクの仲間内で、「この作品なら一般人に見せてもばかにされないんじゃないか」とかひそかに期待していた世代だ。
同時にあの時代のオタクは、自分を肯定して生きていくことが厳しい時代だった。
オタクと呼ばれると、どんなに社交的で、どんなに良い人格で、どんなに収入があっても、社会的信用が失われる時代だ。このあたりの空気を知りたいというひとは、
https://togetter.com/li/1220676 このあたりのまとめがマイルドに教えてくれる。
もっと空気感だけ味わいたいなら、飛んで埼玉! の空気感。バレた瞬間最下層民になるって時代。
だから、アニメ好きは必死になって趣味を隠し、隠れキリシタンならぬ、隠れオタクという言葉が普通に流通していた時代だ。
声優ソングの歌詞を見たら、みごとに「生きにくいオタクの共感を呼ぶ曲ばっかり」だ。
自分らしく生きていくということを大変だけど頑張ろう、っていう曲だ。
そんな時代に作られた林原めぐみの「don't be discouraged」は、差別の垣根を越えて、「ゲイやオカマの心をガッチリとらえた」という現象まで起きた。新宿二丁目では涙を流して歌う人物もいるそうだ。「生きにくい世の中だけど、勇気をもって好きなことに邁進しよう。理解されなくてもきっといいことがあるよ」というのは、まさに被差別属性を持つ人々の心をとらえるだろう。そんな時代だった。
僕らが生きたのは「好きなものを好きというだけで多大なリスクを覚悟せねばならなかった」という時代だ。
余談になるが、当時の深夜アニラジというのは、精神を病んだオタクの駆け込み寺にもなっていた。声優さんにガチの人生相談が舞い込んだ時代だ。
学校でオタクだと馬鹿にされてつらいとか、いじめられているとか、そういうはがきが普通に舞い込み、それを声優さんがガチに回答するような、かなり狂った時代。あの時代のオタクの空気はまさにどんよりとした息苦しさをまとい、まさに被差別階層の様相を呈していた。それにしたって、なんで声優さんラジオに人生相談をするんだ、と言われるかもしれないが他に相談できる場所がどこにもなかったのだ。親も、教師も、友人も、兄弟も、警察も、政治家も、すべてがオタクにとっては敵だった。もう顔の見える敵ではない存在が、漫画家や声優しかいないというのは、あの時代を体験したものでないとわからないだろう。当然ネット環境もない。
そんななか、差別に直面し苦闘したオタクたちはオタクと呼ばれるのを極端に恐れていた。
「俺はオタクじゃない。マニアだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。ゲーマーだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。アニメ好きだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「オタクってキモいよね」と言われたら、正体を隠して「そうだねえキモいよね」と内心冷や汗流しながら相槌を打ってた時代だ。
当時、いじめられ、差別され、迫害され、バカにされていたオタクたちの一部が、「なぜ自分たちが差別されるのか」を必死になって考えるというのは、もうこれは宿痾の妄想のようなものである。
そんな中、一つの逃げ道に走ったオタクがいる。それが現在の左翼系でオタクバッシングをやっているオタクである。
「オタクはダメな奴らだ」とサブカル内部からオタクを批判することで、一般に認められようとする道を選んだ人間だ。
彼らの言い訳は「左翼思想からサブカル的にオタクを分析するためにオタク文化にかかわっている」というものだ。
「自分たちがアニメ・ゲーム・マンガ・ラノベを見るのはサブカルチャーの研究をやっているからだ。だから恥ずかしくない」と理論武装しなければ、好きなものにかかわることができなかった。
大学のサークル棟や居酒屋で、現実に起きた現象とアニメ作品をひたすらに絡めて、融合させて、一つの社会的事象としてとらえようと躍起になった時代だ。
具体例を挙げると、地下鉄サリン事件とオカルト系SF作品の影響を無理やりくっつけてトンチンカンな批評を、朝生みたいにオタク同志で語り合ったものだ。
それを見ていたクリエイターが「いまのオタクは作品も作らず、ただ批評ばっかりしてる」と嘆いていた時代。ただ楽しむではなく、「学問的批評という行動によって、ただのキモオタのブヒブヒ言う声ではなく、この作品が社会に与える影響や、社会的意義がどんなものか、左翼思想に合致するかチェックしている」という言い訳を自分に用意した。
彼らは、何の理屈もつけずにオタク文化を楽しむオタクを「ダメな奴らだ。キモイ。あんな奴らと一緒にしないでくれ」と、さげすむ自意識を持っていた。しかし、オタク文化は好きで好きでたまらなかった。
その鬱屈した倒錯は、傍から見ればただの変態の所業でありながら、それでも本人たちは大まじめだった。
左翼思想やフェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ、右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。
ほかにも別の一派がいて、無理やり学問にこじつけて、オタク文化を鑑賞し、「CLANNADは人生」とか「fateは文学」とか馬鹿じゃないのかという発言が飛び出すこともあった。ネットで議論する際に「銀英伝」や「マブラヴ」で、政治を語り分析する人間がゴロゴロいた時代。
あれは、「馬鹿」だったのではなく「そうすることが差別を避けつつコンテンツを楽しむ作法」だったのだ。
しかし、時代は加速した。オタクは文化的にかなりの大成功を収めた。
オタク系候補が30万票や50万票取って、自民党の議員バッヂをつけてしまう時代だ。民主系や、社民系ではなく、よりにもよって自民党である。確実に時代は変わった。それも劇的に変わってしまった。(オタクが政治にいかに冷遇され続けてきたかは、それだけで10万文字を超えるエントリーを書かねばならないが、今回は割愛する)
要するにオタクコンテンツが一般趣味として認められつつある時代になったということだ。
そうなると何が起こるか?
いちいち思想とアニメを絡めて面倒くさい批評を書くよりも、萌えキャラがなんか頬を赤らめて「ばか」とつぶやくSS漫画をtwitterにあげるほうがRTといいねが数万単位で跳ね返ってくるようになった。
このアニメはリベラル思想に対して間違っていないか、とか考える面倒くさい学術オタよりも、SNSで萌え絵をアップして焼肉画像を上げてる大学生絵師のほうがよっぽど尊敬を集められる時代になった。
いまの時代、萌え漫画を読んだり、コミケに行ったりする程度で、「あいつはキモイオタクだから石を投げよう」みたいなやつはかなり減って、大勢がオタクであると公言できる時代になった。これは若い人達ほど顕著である。他人にどうみられるかを一番気にして、自意識をこじらせる男子高校生や女子高生たちが、人前で、FGOだのアイマスだのバンドリだののアプリのイベントを周回している時代だ。
オタク差別から逃れるためにくだらないうそをつかなくてよい時代が来た。
しかし、この時代はある一部のオタクたちには実に生きにくい時代になった。オタク趣味を低俗だ、腐敗してる、萌えなど女性差別だと繰り返しバッシングしながら、それでも萌えアニメや恋愛ゲームを消費せずにはいられなかったオタクたちだ。これには女子も含まれる。女子でも乙女ゲーとかそっち系のほうは「恥ずかしいもの」としてバッシングされた過去が間違いなくある。腐女子を恥ずかしいものとしてとらえてバッシングしたのは、「そういう意識が高い系のオタク、女子オタク」だったし、「腐女子の中でも様々な争いがあった」ことは間違いない。
彼らは、同胞のオタクを常にバッシングしてきたせいで、オタクにもたらされた「自由にオタク文化を楽しむ」という時代に参入できない。今更「実は俺も萌えキャラ大好きなんだよ~! バンドリ周回してる! アイマス最高!」とか職場の人間に言えない人生を送ってきてしまった。
ネット空間においてさえ「こんなものは女性差別だ。左翼思想の面から許容できない人権侵害だ。オタクがオタクをダメにした。オタク社会を俺が浄化してやる」ぐらいの発言をしてきた人間だ。
彼らもこっそりオタク文化を楽しんではきた。しかしオープンに楽しむなんてことはできなかった。それが許される時代が来てもできない。
だからこそ、全力でオタク文化が一般になるのを阻止しなくてはならない。
そうでなければ自分のゆがんだ自意識が、ただの卑屈さの産物であると認めなければならないからだ。
林原めぐみの作詞した歌詞のように、ドタバタ前向きに差別を恐れずに自分を肯定しながら生きていくということができればどんなに良かったろう。
しかしそれがいまだにできない。あの時代のえげつない苛烈さ、報道も政治も、だれもオタクを守ってくれない。その時代ゆえの後遺症だ。
だいたいは左翼的なシンパシーを持ち、左翼思想で自分を固めてきた。
左翼思想やフェミニズムが、彼らをオタク差別から守り、他のオタクと異なり特別たらしめている自意識だ。
それを用いて、オタクだとカミングアウトするのが明らかに不利益にしかならない時代を、何とか生き抜いてきた世代だ。
必死に左翼理論と自己演出で、オタク差別されないように自分を防御してきた世代だ。
世の中のオタク表現を常に探し、「これは左派思想に合致しないから規制すべき」とオタクをバッシングするのは、「自分はキモオタとは違う良いオタクだ」と差別を逃れるために左翼思想を選んだから。
若い人たちは彼らを見たら、「こんなことをしなければ生きられなかった悲しい時代があったのか」と思ってほしい。
「好きなものを好きというだけで多大なリスクを払わなければならなかった時代」があったことを少しだけ思い出してほしい。
追記 確かに主語が広すぎたと反省している。ただ、はてなとかで率先してオタクを叩いてるひととかはに、かなり当てはまるのあるケースだと思っている。
登録サイトとか商会所とか絶対無理のコミュ障・オタク・うつ病・非正規という
無理すぎる案件を自分自身でも自覚していたので、某オタク婚活に参加しました。
女性は2000円男性8000円でした。受付で身分証明書出すのが必要。
最高20人(男女半々)で最初は3分間の制限時間で相手と話す。
プロフィールカードがあるので相手に渡してそれを見て話したり質問する。
自分は「音楽:80年代メタル好き(ガンズ・ハロウィーン・ホワイトスネイク)と書いてたら聞いてくれた男性もいたよ。
他の参加者女性は「銀英伝(田中芳樹)」と書いてる人は人気があった。
しかし参加者全員と話す結構大変、3分で相手のすべてがわかるわけないし、それを10人×3で30分しゃべるので。
個人的意見だと、女性はパステルカラーの落ち着いた服とメイクの方が人気でしたね。
あと女性は年齢が若いほうがやはり有利です。悲しい現実だけど…
男性は、やはり清潔感ある服装(それが例えGパンでも)のある人が人気。
10回ほど通いましたが、オタク婚活なんで、同じ女性参加者と話すのが楽しくて通ってたところもあります。
「アニメの●●好きなんですかー?」
「押しは誰ですか?」
「****くん!」
「私も~♪」
こういう会話が楽しくて、名も知らぬ参加者(婚活パーティなんでライバルのはずなんだが)と楽しくお話してました。
不思議なことに男性のほうはこういうのはなく、みんな黙ってドリンク飲んでましたね…
「7回も参加してるのになぜ選ばれないの!?」と
増田はもっと気楽に考えるといいと思う(無理かもしれないけど)
「ジャンプ読んでハンターハンター載ってたらラッキーだなあ」くらいの軽い気持ちで言ったほうがいいと思います。
あとはやはり、服や髪型の清潔感は大事なんでそこを気をつけるべきかもしれません。
(全体的に参加者の男性はチェックのシャツで来ている人が多かった…)
参考になるかわかりませんが、すいません。
登録サイトとか商会所とか絶対無理のコミュ障・オタク・うつ病・非正規という
無理すぎる案件を自分自身でも自覚していたので、某オタク婚活に参加しました。
女性は2000円男性8000円でした。受付で身分証明書出すのが必要。
最高20人(男女半々)で最初は3分間の制限時間で相手と話す。
プロフィールカードがあるので相手に渡してそれを見て話したり質問する。
自分は「音楽:80年代メタル好き(ガンズ・ハロウィーン・ホワイトスネイク)と書いてたら聞いてくれた男性もいたよ。
他の参加者女性は「銀英伝(田中芳樹)」と書いてる人は人気があった。
しかし参加者全員と話す結構大変、3分で相手のすべてがわかるわけないし、それを10人×3で30分しゃべるので。
個人的意見だと、女性はパステルカラーの落ち着いた服とメイクの方が人気でしたね。
あと女性は年齢が若いほうがやはり有利です。悲しい現実だけど…
男性は、やはり清潔感ある服装(それが例えGパンでも)のある人が人気。
10回ほど通いましたが、オタク婚活なんで、同じ女性参加者と話すのが楽しくて通ってたところもあります。
「アニメの●●好きなんですかー?」
「押しは誰ですか?」
「****くん!」
「私も~♪」
こういう会話が楽しくて、名も知らぬ参加者(婚活パーティなんでライバルのはずなんだが)と楽しくお話してました。
不思議なことに男性のほうはこういうのはなく、みんな黙ってドリンク飲んでましたね…
「7回も参加してるのになぜ選ばれないの!?」と
増田はもっと気楽に考えるといいと思う(無理かもしれないけど)
「ジャンプ読んでハンターハンター載ってたらラッキーだなあ」くらいの軽い気持ちで言ったほうがいいと思います。
あとはやはり、服や髪型の清潔感は大事なんでそこを気をつけるべきかもしれません。
(全体的に参加者の男性はチェックのシャツで来ている人が多かった…)
参考になるかわかりませんが、すいません。
銀英伝みたくなった、なんてことしてくれたんだ。