はてなキーワード: 銀英伝とは
『バトゥーキ』というマンガがいま、1話から最新話手前までを一挙無料公開してる。
簡単に説明すると、主人公の女の子が両親を救うため、ヤバイやつが指定するくそ強い人間をカポエイラで倒したり仲間を増やしたりする青春格闘マンガだ。カポエイラだけじゃなく、空手合気道柔道システマ、いろいろな格闘技を使う奴が出てくる。時折ギャグが挟まる。
『嘘喰い』の作者の最新作と言えば、「あ〜」となる人もいるかもしれない。
20話くらいまでを丁寧に書いてて(悪く言うとそこまで展開が遅い、片鱗はあるけれどぱっとしない)ヤバイやつが主人公にコンタクトをとってきてから一気にエンジンがかかる。
だから初見は一気読みの方が向いてる。序盤は一週間に1話のペースだと用語の意味があやふやになりがちだし主人公の目標がはっきりしないしで、自分も当時はふんわり読んでた。そのあたりで嘘喰いからついた読者も随分離れてしまったようだ。
なので、エンジンがかかって最近はおもしろくなったと言っても、スロースタートなのは否めないので人に勧めにくかった。
そんなこんなで最近ヤングジャンプ本誌での掲載は打ち切られて、ヤンジャンのマンガアプリに移籍して連載が続くことになった。
それをきっかけにしたのか、最新話前までがいま無料で公開されてる。
一挙公開のことを知ってから、新しくバトゥーキに触れた人がいるのだろうな、とTwitterで「バトゥーキ」を検索してみたが、正直びっくりした。
フォロワーが大勢いる創作者や感想勢がバトゥーキのことを話している。その人たちに影響されて様々な人がバトゥーキを読んだ、おもしろかったと呟いている。
自分がこのマンガをおもしろいと感じたように、他の人もおもしろいと思っているんだと嬉しくなった。
絵について、格闘技について、挟まれるギャグについて、キャラクターについて、熱く語っている人がいる。今回の一挙公開で自分よりもよっぽどバトゥーキという物語やキャラクターを愛するようになった人もいるだろう。それがとても嬉しかった。
ちなみに内容だけでなく本誌掲載されたときについていた煽り文もおもしろい。すでに読んだ人には、どの話の後に挿入されたかわかるだろうが、「YOUはいつから家族に…!?」は大好きな煽り文だ。
[第1話] バトゥーキ - 迫稔雄 | となりのヤングジャンプ
嘘喰い 5巻 |無料試し読みなら漫画(マンガ)・電子書籍のコミックシーモア
ここからは余談。
やはりバトゥーキは一気読みに向いていたし、ウェブ移籍を期に一挙公開に踏み切ったのは正解だろう。
けれどバトゥーキが本誌からなくなり、能動的に読みたいものほとんどなくなってしまったから(銀英伝も随分前に移籍してしまった)ヤングジャンプは買わなくなった。
もう少し早く一挙公開をしてくれればという気持ちも、小さく胸の中でくすぶっている。おそらくシャドーハウス(こちらもスロースターター)が以前一挙公開で成功していたことと、作者がTwitterでウェブ移籍について話していたのをたまたま見てしまったのが理由だろう(私は作者の呟きをたまに見にいくことはあってもアカウントをフォローしていない。察しのいい人なら理由はわかるだろう)
このあたりは、いまになってはもう詮無い話だ。
増田で糞アニメとして名高いので一体どんなもんかなと思って視聴終了。
このアニメを簡潔に述べると、まず政治・経済的な前提なしで帝国とソレイユ王国の開戦状態から始まります。片方の国ソレイユの姫様ユウキは最初戦争状態にあるとは知らされていません。しかし彼女は幼馴染の死から真実を知らされ、なんとか両国の人間が死なないように軍を指揮しようとします。その作戦手法とは主に両国の兵士たちが最小限の犠牲で済むというものでした。いろいろ省略して最終的には両軍の兵器のエネルギー源を止める方法が見つかり、両軍の兵器は沈黙して終了、仕方ないから両国の国交が暫定的に回復するという話です。
で、そこそこ背景があります。まずソレイユ国。これは新型兵器クラルス(作中であまり触れられないが、動力源。動いてるロボの名称は別にある)を擁していて、この動力源はもともとベルデ公国を仲介して帝国とソレイユが共同開発していたものでした。そして12年前にテロ事件が起こるのですが、ソレイユの幹部が「帝国のせいにしちまって新兵器の動力源はうちに牽引しようぜ」、と画策します。このやり口が帝国の逆鱗に触れて戦争状態となります。
まあ政治的背景を真面目に考えりゃソレイユが資源独占して相手が帝国主義だったのは、なんかかみ合わせ悪かったねとしか思えまえん。というよりソレイユが資源を独占しようとしたという背景が姫側近のレイラから伏線で話されるのですけど、帝国からしたら王国が資源独占した挙げ句攻め込んだら全部破棄にされた話でしかなく、そういう側面から考えるとちょっと身も蓋もない感じがしました。ソレイユって国家としては悪じゃんと。背景には明らかに利益の綱引きがあったと思うんですけど、冷戦構造みたいなものは全く無い描かれ方をしている。だけど途中で第二次世界大戦をモデルにしたような描写は出てくるので、多分作品としてやりたいことが違うんでしょう。あと、共同開発していた新動力へのテロリズムを一方的に強大な敵国のせいだ、としてしまえる外交手腕って何なんでしょうか。素人目に日本とアメリカをモデルにして考えても、まずありえない行動です。
ただこれ、いわゆる戦略戦術政治の面から見るもんではなく、全体の逼迫した状況下で個人の思いが殺されてゆく話だと思うわけです。かつてのアニメでいえばヤマト、ガンダム、銀英伝のような敵の事情もはっきりわかった上でどっちも死んでほしくない、という感情を想起させてゆく作りではあります(必ずそうなるとはいってませんけど)。ヤマトの場合好敵手、ガンダムや銀英伝の場合主義思想の違いで殺し合うわけですが、エガオノダイカにはなぜ殺し合うかというテーマは希薄です。実際に武人が生き様のために死ぬ、という描写は控えめですし、そういった時代錯誤的な意志の強さはあまり重視されません。それはテーマが "生きる" ことに集約されているからです。
ステラは常に生き方を探します。ユウキは戦時でも生かすことを見出し、ゲイルも孤児を引き取りながらメンバーを活かすことを考えて行動します。イザナの子は戦争の途中で父の死と引き換えに生まれてきます。このように戦争状態という皆が嫌々参加している状態からもキャラクターたちは生きることを見出します。このため前項における全体的な利益のために死ぬ武人、という自己犠牲的な生き方は重視されていません。そんな意味でユウキというキャラクターは最も自己犠牲的であるにも関わらず、最後まで両軍を生かすために我を通した、という意味でコンセプトは一貫していました(戦争中にあんな指揮官いたら嫌ですけど)。反面帝国は死を利用してプロパガンダを行い、分隊の隊長の死など気にもとめません。このへんの対比はやりたいことが出来てるとは思います。
ただ、視聴者的に言えばハロルドとゲイルという二大キャラがなぜ衝突しなかったのか、と思うことしきりだったでしょう、参謀的なイザナがモブに撃ち殺される、というあっけなさもよくありません。
タイトルのエガオノダイカは自明で、沢山の笑顔が犠牲になって平和が訪れた、あるいはたくさんの犠牲により笑顔がもたらされた、という意味です。
戦争をやめる=科学を否定する、という流れになりがちなのは、多分脚本家がアレルギーなのではなく、おそらくそう見せたほうが演出として開放的だからでしょう。実際にそうなってしまえば作中でステラが疑問視したように文明自体が後退してゆきますし。
というエントリにあったような読み方は流石にまずいかなと。一応コンセプトと設定とキャラクターの持つテーマはしっかりつくっていってるのでそこは読んだ上でケチつけたほうがいいかなと思いました。
現在NHKでリメイク版も放送されている名作スペースオペラ「銀河英雄伝説」
この作品の中でも特に輝かしい英雄である銀河帝国元帥ラインハルト・フォン・ローエングラム候と自由惑星同盟軍元帥ヤン・ウェンリー提督
この二人が初めて顔を合わせるのは原作小説では5巻の風雲編、OVA版では4クール目のラストにあたる第54話目の事だった
つまり作品の主役でありそれまで幾度か戦場で矛を交えながら面識は無かった二人の主人公がようやく直接言葉を交わすという、ファンなら誰もが待ち望んだ展開だと思うんですが
そこで民主共和制を否定するローエングラム候に対しヤン提督が反論し、逆に専制政治を否定しローエングラム候を唖然とさせた時弁明するようにタイトルの理屈を持ち出したんだけど
僕はこの考え方を初めて聞いた時とんでもなく感銘を受けた
それまで「正義の逆はまた別の正義」「どちらが正義でどちらが悪という訳でも無い」という言葉を聞いてもどうもしっくり来なかったけど、ヤン提督のこの言葉は何故かストンと腑に落ちた
言い換えると「何か一つの考え方が生まれた時それと真逆の考え方もまた同時に生まれる」というちょっとロマンティックな考え方に思えて、そういう所が好みに合ったのかな
余談ではあるけど、銀河英雄伝説には主人公ヤン・ウェンリーに嫌悪されファンに寄生虫とも呼ばれる保身の天才、ヨブ・トリューニヒトという悪役政治家が登場する
彼は読者に非常に高い人気を誇るヤン提督に敵視され、自らの利益のみを追い求め事実上自由惑星同盟が斃れる切っ掛けになった人物だけど、銀河英雄伝説ファンからはそれなりに高い人気があるそうな
悪役であった彼の目的が、主人公ヤン・ウェンリーの養子であり愛弟子であった少年ユリアン・ミンツと全く同じ構想、つまり銀河帝国に立憲体制をしく事だったと終盤明かされたのは、
民主主義のために命を懸けて戦った主役であるヤン艦隊の面々とただただ保身のみを考えた悪役であるヨブ・トリューニヒトの一体どこが違うのか?と少し考えさせられるような気分になった、やっぱり銀英伝って今見ても面白いね
昔ハマっていたTM NETWORKの話。
まあPerfumeとかを引き合いに出すまでもなく、ああいうユニットだとメンバーの誰が一番好きみたいな話になるのはあるあるなわけだ。
で、俺が一番好きだったのは宇都宮隆なのだが、ファンだった学生の時分、友人にそれを言ったら残念そうな目で見られた。
男で宇都宮隆が好きというのは少数派というか、ぶっちゃけ変人枠なんだと。
なんつーか、今だと上述のPerfumeにおけるあーちゃん好きとか、男のくせに銀英伝のヤン・ウェンリーよりラインハルトが好きとか、それと同列なレベルの珍獣枠になっている感じで、当時は結構ショックだった。
俺は別にあーちゃん好きもラインハルトが好きな男も全然OKだと思ってるけどな。
そんな俺も気がつけばおっさんになって久しいけど、未だに納得できない話。
この前、銀英伝の二次創作BL出身の作家が本屋大賞を獲ったという記事が朝日新聞に掲載された。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASN47463NN46UCVL03T.html
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/nanmin/1567735670/l50
一般向け作品を書いているのが気に食わないという人間(恐らくレスの内容からするとほぼ女)の吹き溜りである。
また非腐女子専用スレとは書いてあるが普通に腐女子も書き込んでいるだろう。
そしてBLは責めるが百合やGL二次創作に言及の無いのも察するものがある。
彼女達は何が気に食わないのか?何がここまで駆り立てるのか?答えは至って簡単だ。
妬みである。
自分の好きなキャラをBL二次創作、もしくはBLでも相手違いのカップリングで創作していた(彼女らにとっては罪に匹敵する所業)作家が、
商業という場で、しかも一般雑誌でより多くの人間に称賛されているのが腹立たしいのだ。
また「BLが好きな者は男女の恋愛、男同士の友情という概念がない」という思い込みがあるので、
男同士の友情を描いていても影でBL妄想をしているのではないか?という被害妄想に囚われているのだ。
BL作品ではBLを書くという割り切りや両立があるのを混同して憤っているのはスレッドの住民の方ではないか?
必ず「危機」の際にはこういうラノベの主人公みたいな物語をこぞって語る。
東日本大震災の時には「無能無能」と政府を罵倒し、実現不可能な自分の考えた解決策をネットで叫んだり、テレビで主張する専門家が後を絶たなかった。
なぜすぐに中国人を排除しなかったかと言えば、法律上そのようなことは非人道的であり重大な人権侵害なのでできないからだし、官僚がなぜ過労死ラインを超えて働いて対応しているかと言えば、官僚の数をケチって減らしていざというときに人手が足りないような体制の国を作ったからだ。
知り合いの霞が関の官僚は、通常業務の時点で目いっぱいまで働いている。
しかし、官僚よりもうまくできると考える人は「官僚の数も予算も人手も足りてない状況」であることがわかっていない。
人手と予算が足りていれば可能なことであっても、いざというときにうてない対策が山ほどある。
「なぜこんなことができないんだ? 無能な官僚どもよ。俺に指揮権をよこせばたちどころに上手く行くぞ」
と有能なことをいう方々いらっしゃるが、その前提は「人間と予算が無尽蔵に使えること」が前提になっているケースが大半である。
普段から人材の数も予算も権限も足りてない状況なのに、いざ事件が起きると「官僚は無能だ」とバッシングするのは簡単だが、それは旧日本軍と同じ愚を犯しているのだよね。
有能な指揮官ならば、まず官僚が「慢性的に数が足りないせいで、国会が始まると泊まり込むか深夜のタクシーに乗って帰る」という状況を改善しようと考えるはずだが、まずやり玉に挙げるのは、「現場がまずい。俺が行けば上手く行く」ということだけだ。
銀英伝でいえば、華麗な戦術ばかり夢見て、兵站を切られて死ぬタイプ。
霞ヶ関退職者が多いそうだ。過労状態で働いてる人が多いのだからそうなりもしよう。
①やれる限りの精一杯をやっている
②自分のほうが上手くやれると思っても、それは何らかの理由でできないケースが多い
サラリーマン金太郎のように土下座したり気に入らない人間をぶん殴ってよっしゃああああああ、みたいな成功譚を語るのは侮辱に等しい。
実際にはそう単純ではない。
俺が言うとおりやれば上手く行く、という話を聞くたびに「実際にやれば上手く行かないことだらけ」「なぜそうやらないのかと思ったら何らかの理由でできない」という想像力と敬意のない人なのだと思う。
東日本大震災でも官僚が過労死ラインをはるかに超えて働いてたけれど、それでも「無能だ」とバッシングされていた。でも、公務員を有能にするために人数を増やすとか、労働環境を整えるとか、そういうことを主張する人は稀。ただ、自分がやれば上手く行くという物語だけを語りたがる。