はてなキーワード: 邦画とは
アベノミクスで経済がよくなってるとおっしゃるリフレ派の方々は、なぜ財務省の出す経済指標は捏造されてないと信じられるのだろうか。— Kiichiro Yanashita (@kiichiro) June 13, 2018
ぼくもそう思います。ぜひ山形浩生氏と対決してください。— あびこ(牛) (@abiko_ushi) June 13, 2018
呆れたよ、柳下。どの統計が捏造だと思ってるか知らないが、統計は多くの場合類似のものが複数あって、しかも相関するはずのものも多く、一部を操作したらつじつまあわなくなることが多いからだよ。自分の実感だの目の届く範囲がいかに小さくあてにならないかも忘れた、夜郎自大な全能感に陥るとはね。— Hiroo Yamagata (@hiyori13) June 13, 2018
かつての相棒が真っ当な忠告をしてもダンマリ。それどころか他のリプライには揶揄混じりで返す有様。
こんなにあからさまに「安倍政権を批判したいだけ」という姿勢を隠さないとは。
これで町山が安倍政権批判をしたら嬉々としてリツイートするんだろうね。
親玉は海外のニュースで得た情報を得意げに横流しして小銭稼ぎ。
万引き家族を見てきた。
カンヌのパルムドールを受賞するのも納得の完成度で、芸術性、メッセージ性、エンタメ性を兼ね備えた邦画史上に残る作品なのは間違いない。
リリー・フランキーだしどうせお涙頂戴の感動ポルノだろうなんていう懸念は見事に粉砕された。
テーマは家族の絆の相対化と解体と再構築という、小津安二郎の東京物語に通じるものであり、舞台を戦後間もない時期から平成の終わりの今に移すとこうなるという感じだった。(ちなみに、山田洋次監督が東京物語をリメイクした東京家族という映画があるが、あれは小津安二郎がせっかく相対化した「家族」を再び戦前の古い価値観に巻き戻してリメイクするという糞以外の何物でもなかった。)
ただ、東京物語では血のつながらない人たちが自然につながっていたのに対して、本作は血のつながらない人たちが一緒に暮らしていくことがいかに困難かを描写しており、現代日本の息苦しさを批判しているともとれる。そこが日本批判を許さない人たちからは「反日的」に思われるのだろう。
また、本作で繰り返し描写される「貧困」の風景がリアリティを持ってしまっているのが平成30年の日本の現実であり、是枝監督は当然そこは意識的に作って、こんなのでいいんですかという疑問を投げかけていることも間違いないだろうし、そこも「反日的」だという愚にもつかない批判の的になっているのだろう。
とにかく、あえて言葉にする必要もないくらいの傑作なので、ためらいなく映画館へいくべき作品。事前にどれだけハードル上げまくっても軽々とその上を行く大傑作。
anond:20180531140806 を読んだんだけれど、字幕版も吹替版も好きだからどっちかが貶されているととても悲しいし
どちらかというとアンチが多めに見える吹替の良さも知ってもらいたいから両方のメリデメを書いてみる。
意訳しすぎ問題、ジョークの翻訳が難しい問題、キャラ改変などのリスクなどはどちらにもある(翻訳されている以上すべて改変されているし)ので触れません。
言わずもがな。俳優の息遣いや細かいトーンの変化なども感じ取れる。
字幕や吹替には反映されない訛りや特徴的な言い回しがあったりして、キャラクターの背景がわかることも。
例:
「オーシャンズ12」
ジュリア・ロバーツのモノマネをするために南部訛りで話すんだ!というシーンがある。
(ジュリア・ロバーツ演じるキャラクターがジュリア・ロバーツの真似をするのが最高)
「スターウォーズ」
ジャー・ジャー・ビンクスは黒人っぽい話し方が特徴的で、字幕や吹替の口調も個性的になってる。
基本的に原文の情報を漏らさず字幕に含めることは不可能で、取捨選択をしなければいけない。
それによってストーリーがわからなくなってしまったら本末転倒なので、物語の理解に必要な情報は必ず字幕に含まれている。
ミステリーなど情報量の多い作品だと、うっかり聞き漏らすことも在り得るが
字幕によって最初から情報が限られていれば取りこぼすリスクは減る。
ちらっとだけ映る手紙や看板に字幕が表示されて、それが重要な情報だった……という流れに覚えがある人も多いと思う。
字幕がない状態だと目にとまったかな?と思うぐらい雑多な画面だったり、筆記体の字が結構ぐちゃぐちゃだったりするので
字幕があることで意識すべき情報だよ!って明示してくれるのはありがたい。
セリフに含まれる情報量は、どう考えても「原文>吹替>字幕」になる。
ただこれは前述した通りメリットもあるので作品に合うかどうかと観る側の好みです。
特にテンポの良い映画、複数人が同時にしゃべるようなシーンだと露骨に差がでてくる。
例:
字幕だと化学物質の名前がバシバシ削られているので、吹替で見たほうが詳しくなれる。
「フレンズ」
ゲラー兄妹がケンカするときに、字幕だと「モニカがブランコを壊した」ことしかわからないけど
吹替だと「モニカがブランコを壊したのを、親には台風のせいだと嘘をついた」ことまでわかる場面がある。
特に3D/4D上映だと視線移動は結構なコスト、というか普通に目が疲れたりする。
アクション映画とかスピード感ある映像だと文字なんて読んでる暇ねえ!ってなるわけで、
意訳・誤訳で有名な戸田奈津子はそういった映画をテンポよく短いセリフでまとめるところが評価されていた(よね?)
特にメインの会話の裏側で流れているテレビやラジオの音声、細かな掛け合いまですべて翻訳されてるのは強い。
また、キャラクター性や感情の表現は文化背景に強く紐付いているから
例えば同じ「感じ悪い喋り方」だとしてもやっぱり日本人が演技する方が日本人に伝わりやすい。
その点では情報量の話含めて「吹替のほうがオリジナルの演出意図に近い」と言い方もできると思う。
字幕を読む必要がないぶん、画面の他の部分を見ることができる。
例:
ミステリー作品。俳優の目線、仕草など細かい部分にまでヒントが含まれているので、それらを見逃さないよう
配給会社が吹替版を推奨するようなキャンペーンを実施していた。
ゴールデンタイムのテレビ放送で吹替が採用される理由はこれ。ながら見が可能。
映画オタクだからって毎回全身全霊で視聴してるわけじゃないからね。
どれだけ良い部分があっても一発ですべてをぶち壊すことができる最凶の厄災。
例:
22歳の若さでアカデミー主演女優賞を受賞したあのジェニファー・ローレンスに剛力彩芽て。
ちなみに他の作品ではジェニファー・ローレンスの声は牛田裕子や水樹奈々があてることが多い。
「プロメテウス」
剛力彩芽て。
字幕なら「あ、今音声では○○って言ったのに字幕に入ってないな」というのが検知できるんだけど
吹替ではオリジナルの情報が皆無なので違いがあったとしても認識できない。
翻訳する人、演技する人の実力次第でクオリティは変化するので、糞字幕も糞吹替も存在する。
だから作品によって合う方を観ればいいし、好きな映画なら両方観た方が2倍お得だよ。
声優の演技によってよりキャラクターがより魅力的になってると思うものもあるし
逆にステレオタイプ化されちゃって勿体無いなあと感じるものもある。本当ケースバイケース。
劇場版コナンっつうかコナンを初めてまともに観たんだが、ひたすら説明ゼリフと固有名詞だけがダラダラと続くだけで、キャラクターのちょっとした仕草に作画的な高度なテクニックも見られず、それどころかテレビ放映と変わらないクオリティで、おおよそ「演出」と呼べるようなものも見当たらないもので唖然とした。会話がメインの割に会話劇が頭脳戦やプライドの駆け引きでもなくマウンティング合戦というあたりもオタクじみてて本当気持ち悪い。最後の、あの連絡先を記した紙を渡す手をはたいた後のセリフが最たる例。あんなもん、手はたいて睨んだ顔のアップで終わりでいいのに、全部セリフで言わせる。こんなん映画観る必要すらない。
この「全部セリフで言わせる」みたいな姿勢こそ、ツイッターとかで美大出たんだかなんだかしんねーオタク達がギャーギャー騒ぐ洋画や邦画のクソポスターと全く同じものじゃん。つまり、セリフで説明する方がかえってややこしいことすら、大して上手くもない言い回しと何も面白くもないユーモアでダラダラ説明しようとするところ。こんなんが一位だからクソ広告もなくなんねーよ。クソ広告嫌いならコナンが一位とってる状況込みでdisれよ。わかったツラしてんじゃねーよ。
あとアニメで力入れてるはずのアクションシーンの芝居も下手くそすぎ。最後の爆破シーンはコナンもアムロも一体どこからどこに飛び移ったんだよ。何で銃乱射したんだよ。重力的にとか物理的に無理とかそういう何の芸もないツッコミ以前の問題。どっからどこにたどり着いたかもわからないのに最後生きてるだけでハッピーエンドとかバカじゃねーのか。
誰に向けてるのかもハッキリしてないんだよな。だからクソ広告と本当一緒。「日本」とか「この国」みたいなのが字面として躍ってればいいっていうのもそれもそのままそう。ひたすらコナンに集約されてる。
最近の邦画ってテレビでやったドラマやアニメの続きを映画館で流すやつばっかりじゃん?
DVDは買わないが映画代ぐらいは出すってぐらいのファンから集金するための仕組みとして使われてる
そのせいで全く知らない作品を映画館で初めて見るっていう習慣がなくなってしまったんじゃないか
知ってる作品・馴染みのあるキャラクターの晴れ舞台としての映画しか知らないから、聞いたこともないアメコミヒーローなんか見向きもされないんだろう
それもこれも、新規IPというリスクを避け、テレビですでに人気があって数字が見込める作品しか作らない、テレビ局主導の製作委員会方式が悪い
>>追記
反論としてあげられるのが2年も前の君の名は・シンゴジ・この世界の片隅にしかないっていうのが語るに落ちてるよな
自分で言ってて気づかないんだろうか
もはや滑稽で笑える
「アニメ制作現場「脱ブラック」へ 経産省、描画ソフトに共通規格で作業負担軽減」という記事をみた
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180322-00000000-fsi-bus_all
みんないろいろと突っ込んでいるし、経産省がずれていることも理解するのだが、一番思ったこと。
アニメや映画といった作品は「効率化」や「量産化」が構造上そぐわないのである。
まず、勘違いされたくないので私のスタンスを述べると、この手のクリエィティブ業界においてブラック化や薄給化は避けられるべきと考えている。
一方で、クリエィティブ界隈というのは「尖っていること」「脱個性的」であることが至上命題である。
それは「マンネリに対する刺激」こそがクリエィティブ業界で求められているためだからだ。
共通のツールや効率的な生産スキームが出来上がればできあがるほど(それによってスマッシュヒット作品が大量生産はされるが)
その「生産的な」方法に乗らずに、根性と気合いによって、過剰な質を達成した作品が賞賛されるというジレンマがある。
たとえば、TVアニメなのに劇場並みのクオリティ・動画枚数という賞賛自体が、本来は正しくないブラック構造の賞賛になっている。
もちろんゲーム業界のように一度構築したエンジンの再利用によって、多くの異なる作品を高頻度で生み出すことも可能なのかもしれない。
映画は洋画はエンジン型、芸術思考邦画は職人芸型、TV曲主導邦画はコピペ型と評価できる。
アニメはどちらに向かうのか?
おすすめありがとうございます。こんなにたくさん勧めてもらえるなら最初から書いておけばよかった。20代後半の女、アマゾンプライム会員、5年ぐらい暇さえあれば映画ばかり見ていました。マンガやアニメには人が死なないものを求めています。うーさーとガンダムさんは欠かさず見てました。
ヤマノススメ、高木さん、宇宙よりも遠い場所、衛宮さんち、ヴァイオレット・エヴァーガーデン、メイドインアビス、少女終末旅行あたりが気になりました。ダーリン・イン・ザ・フランキスはもう少し元気になったら見ます。
ゆるキャン△はなでしこちゃんの犬みたいな感じが好きです。癒ししかない。ああいうふわふわした可愛い子が出てくるアニメや漫画が読みたい。ボブの女の子と語尾がのじゃの女の子がいると尚良し。
けもフレ2話まで見てました。ツイッターで見かけたトキさんのドスケベフィギュアがほしいです。組み立てはともかく、色を塗る技術がないからお金払って色塗ってほしい。
プリンセスプリンシパルはニコニコの振り返り放送を4話まで見て寝落ちしました。5話のアクションがすごかったらしいと聞いて惜しいことをしたと思いました。
幼女戦記も途中まで見てた記憶があるんですけど途中で録画失敗したから見るのやめた記憶があります
ふらいんぐうぃっちは漫画全部読みました。すごくいい。癒される。アニメあるんですね。見てみます。
せっかくのおすすめなんですが、お気持ちだけ受け取っておきます。男はスキンヘッドが好きなのと(ステイサムとかマーク・ストロングとか)、あと宗教上の理由で刀剣乱舞とか男キャラの日常系はお断りしてます。
人が死ぬのが嫌いなわけではないので大丈夫です。女の子の日常系の洋画(邦画はよっぽどの理由がない限りお断りしてます)って探すとあんまり見つからないので別媒体で摂取したいと思ったらマンガやアニメになりました。
けもフレはなんとなく気が進まなかっただけだったので時間作ってみてみます。
ローリング☆ガールズ見てみます!これも確か録画失敗して全部消した記憶が……