はてなキーワード: 進出とは
パン工場で働いてた60代女性が事故死したニュースを見てつらい思いをしている。
自分のところは労災で死んじゃうとかはないけど、全然人ごとじゃない。
自分のいのちが会社という、単なる金儲けが目的の、全く血の通ってない、そんな組織に依存しているっていう事実が恐ろしい。
女性の社会進出が進んでる以上、勤めている企業に加害される女性が増えてくるのは流れとしてあるだろうし、
今の「転職すればいい」とか「運が悪かったね」みたいな空気はセクハラ被害者が受ける仕打ちと同じだし許せない。
そもそも企業による労働者への加害が起きないようにするには法律とか権利とか仕組み作りだけじゃ駄目で、
なんでかというと法律に反して無いからセーフみたいな表自みたいなことをやってるのが今の企業だからで、
フェミニズムを労働の方向にも進める感じで、人々の倫理観に訴えかけて弱者である労働者を尊重し、企業の振る舞いをみんなで監視して、みんなで声を上げてくような世の中にしていかないと駄目だと思う。
容姿にかなり上下されることを前提として、年齢があがるごとにどんどんと上がっていくよね。
生まれた頃~幼稚園くらいまでは存在するだけで最高査定額がでるけど、中学から高校にかけては大人にいい顔できないと査定が下がる。
大学では周りに過不足なく合わせることが求められて、社会人になると上司のご機嫌取りができるかどうかが求められる。
それ以降は加齢と共にどんどんと査定額が下がっていて、40になる頃にはもはや買い取り拒否されるレベルになる。
結婚せずに一人で生きていくんだって志は立派でも周りからは白眼視されるしね。
遅くとも20代後半には売り抜けないといけなく、そこまででいかに有利な条件で売れるかが勝負。
少なくとも40になっても、大金を安定して稼げればワンチャン買い手がつく男とは難易度が段違いすぎる。
そのあたりの事情も考慮して、女にもっと下駄を履かせる社会にしないといけないんだけど、そもそも女で政治に進出しているのは成功者ばかりなので、女の政治家ですらそのあたりを考慮できない。
頑丈と言われる和紙畳はどれだけ丈夫なのか
実際に使って確かめた
手触りは良好だ
一か月半近く、PCデスクのキャスター付き椅子の下に敷いて生活してみた
近づいてよーく見ると「小さいここのこれそうかな?(キャスター跡かな?)」と思うものはあるが(気のせいかも)、そこまでしないと何も感じないくらいだ
そう考えるともしかしたら和紙畳の耐久性はフローリングに近いのかもしれない
もちろんそれでも傷が気になるという人は畳でもフローリングでもない、何か別のマットでも検討すると良いかもしれない
また、車椅子を走らせることのできるリフォーム畳という製品も存在する
障子については下記の記事参照
なんだかすごい辛くて、これを言葉にしたくなった。 読みにくいだろうけど吐き出させてほしい。
俺は去年あたりから絵を描き始めて、就活とか単位とか、やらなくちゃいけないことが一杯あるんだけど、いままでゲームばっかりだった人生のなかではじめて熱中できるものを見つけた気がして頑張ってる。
そんで絵がうまくなりたくていろいろ本を探すわけなんだけれども、どれも値段が1冊2000円超えててほしいやつ全部買うなんて夢のまた夢だった
まあ内容的に2000円は安いんだろうけど、バイトもそこそこしかしてない大学生で、ちょっと買うのは難しかった。
でもいろいろ見てたら100円で表紙の絵が可愛い教本があって、どんなもんだと思って試し読みしてみたらさ、平成のサイトみたいな雰囲気を纏ってて、MSゴシック(多分)で400ページ以上書かれてて
今の時代絵で食っていける人たちはyoutubeに進出したり、添削プラン的な感じでオンラインサロンでの収入を得てる人も結構いるなか(もちろんそれが悪いわけではない、金がないので見るだけだが参考にしている)本当に熱意と善意で共有してくれてるんだな、って感じがしてさ、すごい報われて欲しいなって思ったらどんどん心が辛くなっちゃった。
結局何をするにもお金が必要な世界だから、せめて本業が順調とか、もうFIREしてるとかだったらいくらか心休まるんだけど、本当に、本当に報われて欲しい。こう思うことってなんか名前ついてたりするんだろうか?
哀れみとか、そういうのじゃないといいけど。 俺ってなんか誇大妄想する癖があるから、就活で絵と全然関係ない道に進んでも絵を頑張って、いつか恩返しできたらなとか考えてる。
なんかよくわかんない文になっちゃったな、どうでもいいけどAIの0円グラビアみたいなの引っかかってめちゃくちゃめんどくさい。 まあこの本と出会えたのでよしとしよう
純粋にフレーズだけ入力して解説せよ、とするとこうなったんだが、
どんなプロンプト入れたかわからんけど、もうちょっとやりようがあるでしょ。挟みとAIは使い方だよ?
「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズは、女性が直面する問題に関する日本の社会的な議論を反映しているようです。この文脈で「アタオカ」とは「お世話になる男性」を指し、「お金がいる」とは、女性が経済的自立を求める現代の傾向を表しています。
このフレーズは、伝統的なジェンダーロールと現代の社会動向との間の緊張を示しているかもしれません。日本の社会においては、長い間、「男性が働き、女性が家庭を守る」という役割分担が一般的でした。しかし、経済のグローバル化、女性の教育水準の向上、そして女性の労働市場参加の増加などにより、この伝統的な役割分担は変化しています。
この変化により、多くの女性が経済的自立を目指すようになりました。結婚やパートナーシップにおいても、従来の「男性が経済的に支える」役割に頼るのではなく、自分自身の経済力を重視する傾向が見られます。このことは、「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズに象徴的に表れていると言えます。
この現象は、女性の社会進出やジェンダー平等に向けた進歩の一環として捉えられる一方で、日本のように伝統的な家族構造や社会規範が強い国では、新旧の価値観の衝突や世代間の意見の相違を生じさせることもあります。これにより、働く女性への社会的支援や育児・家事分担の公平性など、さまざまな社会問題が浮き彫りになっています。
したがって、「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズは、日本社会における女性の地位や役割、そして経済的自立に関する重要な社会学的課題を示していると言えるでしょう。
数日前の増田の場合は、男らしさから降りた男は「家庭進出」すればいいんじゃないの、という話だったよね。
稼いで家族を養わない代わりに、専業主夫として支えるということ。
なので男らしさから降りたら役立たずになる、というのは言い過ぎでは?
身の回りに働きたくて働いている人がいない
自分が生活するため、愛する人を養うため、好きなことをやっているとお金が入るから、贅沢のため、などなど、働く理由のほとんどはすべからくすべしといったものがほとんどであるように見受けられる
そして年収が低くても高くても、就労している人のほとんどが仕事を辞めたいと話す
女性の社会進出を謳う一方で、本当に心から働きたいと思って働いている女性はどのくらいいるのだろうか
六本木や広尾でランチを食べているとモンクレールのダウンを着て犬の散歩をする女性を何人も見かける
増田は人口五万人以上のとある市に暮らしている。生まれ育ったのもこの街だ。
これは年寄りから聞いた話でしかないのだが、この街にはかつて大型商業施設が出店を考えてるとかメーカーが大きな工場を建てようという話が出たことがあった。が、結局どれも実現することはなかった。
この街は元々個人経営の店が繁盛していて、以前は近隣の何もない街よりずっと栄えていた(ので周辺の町村より市制移行も早かった)。ゆえに商工会の影響力が強く、市長や市議の支持基盤となっているケースも多々あった。その商工会にとっては街の消費者や労働者を吸い上げるであろう大きな商業施設や企業の進出は当然受け入れ難かった。市の政治家たちも支持基盤を失うわけにはいかないので彼らの反発を無視するわけにもいかない。そして結局何も実現しないまま今に至った。
さて、今この街にあるお店というと、生鮮スーパー、コンビニ、セルフのガソリンスタンド、薬局、廃れ気味の家電屋、前は市内に複数の店舗があったローカルチェーンの飲食店は今は一軒のみとなった。あとは個人経営の古臭くて小さい店ばかり。新しくお店が出来たと思いきや、寂れていたり気付けば無くなってることが多い。
まあ食べて寝て日々の暮らしに必要なものを買い足すくらいなら不便はないが、休日にどこかに出かけようと思うとこの街には行く場所がない。
ではどこに行くか。近隣の街である。かつて何もなかった街には、何もなかった場所に進出した大規模商業施設がある。そこには大手アパレルの服屋、映画館、アミューズメント、大きな本屋、様々な飲食店。休日の娯楽になるものが揃っている。もちろんスーパーもあるので遊びに行きながら買い出しだって同時に済ませられる。
何もなかった場所にできた大規模商業施設は住宅とそこに住む人を呼び、その住人たちの需要を見越した真新しくてお洒落なお店を呼んだ。
数十年の時間をかけて、栄えた街と何もない街の立場はすっかり変わってしまった。
世の中には「大規模商業施設は地域経済を壊す」という話がある。総合スーパーや大きなショッピングモールなんかができると元々あった商店が死んでしまう、というあれだ。
実際そういうことは起きるのだと思う。というより実際に起きているからそんな話が出てくるのだろう。
しかし、地元の商店を守ったがために地域の活性化のチャンスを手放して、そのチャンスを手にした周辺の街が栄えいく隣で静かに廃れる街もある。
大規模商業施設を悪者のように言う人がどんな場所に住んでるのかは分からないが、一概に悪いものではないだろうと進出話が消えて今では寂れゆく街に住む人間としては思う。
特定されないようにぼかすけど推しがある創作活動を始めてしまった。
肩書きがついてその分野での大御所との対談なんかもあって喜ぶ推しを見ているとこちらも嬉しい。
めちゃめちゃ不出来というわけではないけど面白いかと言われると微妙……。
高いものじゃないしグッズの一種と思ってお金を出すのは全然ありなんだけど部屋の棚には置いておきたくない感じ。
私は推しの歌や踊りや人間性を推していたのであって推しが作る物までは推せない。
正直同じ思いの人は少なくないんじゃないかと思う。
でも界隈には「褒めなきゃ!」みたいな空気を感じてつらみがある。
私の心が狭すぎるのだろうか……。
例えば俳優業から興味が出て監督をしてみる人とか絵画や造形で芸術活動を始める人とか。
そういうのならまだ良かった。
監督業なら集団作業だし周りから手厚くサポートしてもらえるだろう。
アートも文脈次第みたいな世界だから推しが作ったと思えば良く見えるんじゃないだろうか。
展示会でオフ会するの楽しそうだし。
なのに……よりによって創作活動。
そりゃ歌や踊りだって一流ではなかったかもしれないけどそれでもプロの技術でうまく私たちに夢を見せてくれてた。
創作はその人の能力がもろに出てしまうし実力に対して不相応に持ち上げられているのも感じてしまう。
推しでこんなことを考えなくちゃいけないのがつらい。
思い出した発端はこれ、https://note.com/motoyamadadesu/n/nd2ec09ff5738
これ中受という、人の心の琴線に触れるテーマで子供のプライバシーを勝手に書いてたりの可燃性が強い文章で話題になってはいるが、実は昔から見かける構図。「嫁が馬鹿だから俺の息子(娘)が馬鹿に育ってしまう!」というのは大昔からある話でそれこそ平安時代から嫁が愚かだから子供も愚かだみたいに言われていたり。
そして、ひと昔前の昭和の日本では、嫁←姑間で繰り広げられる戦いだったように思うけど、父親の子育て参加により「俺の子(私の孫)が馬鹿なのは嫁が悪い」戦争に父親本人が参戦したということなのかも。男性の育児進出ばんざい。
話は変わるが、昭和~平成初期ぐらいまでに生まれた男性の中で、高学歴の人の、多数派が「自分より賢い女は面倒くさい」というマインドがあった。今はかなり薄れていると思うけど、かつては物凄くあった。
数年前に「東大女子お断りサークル」「早稲女お断りサークル」というテーマが話題になっていたが、要するに出会い目当てのチャラいインカレサークルに自分と同じ大学の女子学生がいると何かとうっとおしいし、そもそもガリ勉女とかブスばっかりだろ?というノリで、「自分と同程度の賢い女」を交際相手から排除する男子学生が、そこそこかなり多かった。
https://bunshun.jp/articles/-/52500 「東大女子はお断り」「他大女子へはバカいじり」…在学生も黙認する東大インカレサークルに残る衝撃の“男尊女卑”構造
https://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/6172 「東大女子お断りサークル」が抱える二重の差別 「伝統」理由に罪悪感なし
https://www.todaishimbun.org/gender20190307/ 東大女子の参加を認めないサークル 東大内に少なくとも3つ
東大や早稲田に進学した女子学生は、入れるサークルの選択肢が男性に比して半分以下だ。インカレサークルはほぼ全滅で、「東大女子でも入れます!(たまーにある)」「女子は東大女子のみ!(ほぼ無い)」と謳っているいるサークルしか選択肢がなかった(「東大女子もいます」系サークルは強者東大女子のハイレベルなマウントが飛び交う恐ろしい空間でそれはまた別の話になるが)。
個人的なことを言えば無事?に、数少ない「入れるサークル」の中から温和なサークルに所属し、割とのんびりと楽しく過ごし、サークルとは別の場所(ゼミ)で穏当に彼氏を見つけ結婚して今に至るけれど、同級生の男の子たちの半数以上は、インカレサークルで他大の女の子をちやほやしたりしながら大学を出てしばらくして結婚したり、その子とはお別れしても「自分よりは賢くない女」知り合って結婚したりしている(同級生の男の子たちはなぜか結婚が決まった報告の時に彼女の学歴を言いがち。どこで働いてるかよりどこの大学出てるかを言う)。
そして彼らの子供が成長し進学時期になると嘆くのだ。曰く、嫁に任せられない、俺が忙しい時間を縫って勉強を見ると全然だめで愕然とする、俺が二人いたら一人は仕事をしてもう一人がマンツーでサポートできるのに(ほんまかいな)、本当に俺と血がつながっているのか(顔がそっくりですよ…)などなど。
自分から『頭の悪い女(便宜的にこう言いますが偏差値や学歴だけが頭の良しあしを図れる尺度ではないのは存じております)』を選んでおいて、結婚して子供が生まれたら「嫁の頭が悪くてさ…」って言われても、はぁそうすか、という感想にしかならない。そもそも友人の配偶者の学歴とか、友人の私が知る必要もないのに彼らは一様になぜか報告してくる不思議。妻からしたらそんな言い方を外でされてるのを知ったら悲しむだろうと思うのだが。
ところで、この「お断りサークル」、もう今は絶滅危惧だろうと思うけれど、ちょっと昔の「それが当たり前だった時代」でも、「お断りサークル」のある大学って限られていたのが面白かった。高校の同級生たちと進学後、大学でどんな感じ?と近況報告をしあったときに「お断りサークル事情」に傾向があって面白かった。20年ぐらい昔の話なので今は様変わりしてると思う。サークル活動自体が下火になってそうだし。
慶応は「お断りサークル」と明言しているところはほぼない代わりに見えないヒエラルキー(内部進学の子しかいない不文律があったり)があったとか、偏差値的にもう少し低い大学だと「お断りサークル」は減っていく代わりに、他大のインカレに入りたがる女子が多い(狩猟型女子…)という話とか。
なんにせよ、子供は半分が自分のDNAなのだし、妻をひたすら罵倒したところでそれを選んだのはお前だろう、以上の話が本当に出来なくて困るんだ。姑の文句なら「息子があんな嫁を選んできたから孫が馬鹿になった」と、理不尽ではあれどまだ理屈は通っているが。
未だに男は社会的強者としての役割、要するに「男らしさ」や甲斐性を持つべきだという思想が根強く残ってることに、どうにもならない気持ちになる。
社会が変わらないことについて嘆いているフェミニストの人達も、同じような気持ちを持っているのだろうか。
男は女に花束を渡すべきかどうかなんて、性的規範の最たるもののような気がする。
渡したい方が渡せばいいだけだし、花束についてはともかく、今の若い男性の過半数は「女性からアプローチしてほしい」と考えていることについてはどう思っているのだろうか。
この問題を解決する一点突破する方法があって、それははてなでもあまり評判のよろしくない男性の家庭進出、専業主夫を増やすことだと思う。
「専業主夫」とは、いまだに根強く残っている性的規範や性的役割の価値観を根底から覆す存在である。
まず男性が家事・育児を引き受けるということは、女性側が一家の大黒柱となることになるので、必然的に女性が社会的強者の役割を担うことになる。
結婚する前段階の恋愛においても、経済力を持っている女性側が告白やプロポーズなどのアプローチを「社会的強者」として担うことが求められる。
女性側がそれを拒否したら、男性は未婚を選ぶことになるので、ますます非婚少子化が進む。
社会は女性に対して、女性活躍の方向性の観点から「社会的強者」であることを要求するようになり、既存の性的規範は価値観レベルで解体されていくことになるのだ。