はてなキーワード: 蔑視とは
「①正しいフェミニスト」と「②間違っているフェミニスト」を区別して、「①正しいフェミニスト」には賛成して「②間違っているフェミニスト」には引き続き反対すれば良いのではないでしょうか?
①正しいフェミニスト
・同一労働をしている男女間の賃金格差のような制度的な女性差別の解消を目指す
・性犯罪の防止や被害者の救済を求める(ジャニーズ問題のようなケースを考えれば男性にも利益がある)
②間違っているフェミニスト
・フィクション創作を十分な証拠無しに有害として、自由権とのバランスの欠けた規制を求める(男性向けの萌えやエロだけでなく、女性向けのBLやTLにも延焼している問題である)
・「男体持ち」などと生物学的男性を一律に危険視してトランス女性を排除する
・万人の平等や公平の実現よりも、被害者意識や復讐願望の発散が目的になっており、「敵」への攻撃に終始していて、多様な他者と共存するための建設的な意見を出さない(どんな主義主張も陥る可能性がありますが)
私の「①正しいフェミニスト」と「②間違っているフェミニスト」の区別はこんなところですが、あなたには違う基準があるかも知れませんね。
児童ポルノも販売ターゲットに合わせて撮られてただけだよね?覚醒剤も販売ターゲットに合わせて売られてるだけだよね?銃も販売ターゲットに合わせて売ってるんでしょ?
それ何の理由にもなってないんだけど?
何言ってんの?
日本人って差別も蔑視も犯罪も何もわかんないの?販売ターゲットって何?
バカ多すぎてキツい
きらら批判の常套句「中身がない」とは、「強い物語性ではない」ということであり、そのこと自体が作品として低劣ということにはならない。
ある作品で、登場人物が死ぬとすれば、制作者は悲劇として、感動的な演出を施すだろう。見る者は感動し、涙を流すかもしれない。
しかし、それはある意味では暴力を受けたことで流した涙ではないだろうか。
人が死ねば悲しいに決まっている。それが心からの感動と言えるだろうか。
感動とは、あからさまな演出によって生み出されるものとは限らない。
誰かが死ぬ必要もなく、あらゆる困難を必死で乗り越える必要もない。何らかの試合を勝ち上がる必要もない。
きらら作品は、何かを成し遂げなければ人間の価値はないという観念を否定した、真に人間を肯定した物語だった。
こうした物語を作るために、多くの漫画家は細心の注意を払ってキャラクターを創造する必要があった。
何気ない描写を気に入ることができれば、それだけできらら読者としての立派な作品鑑賞であり、感動だ。
確かにきらら作品に強い物語性のあるものは少なかった。しかしそれは悪ではない。単にそういう作品が好きか嫌いかという問題でしかない。
「中身がない」とは大味な物語に慣れた者の麻痺でしかないと言いたい。
ところで、近年のまんがタイムきららは組織レベルで、「中身がない」という意見を肯定し、批判を乗り越えたということを定説にしようとしている。
「「かわいい女の子が出てくるだけだ」「読めるレベルではない」などと、ネット上でたびたび批判されていた」
「そんなイメージを覆し、現在の「きらら」は読み応えのある漫画を連発するに至っている」
https://news.yahoo.co.jp/articles/91bde76822f54bdad7f6fc68a5375aa384b2b494
漫画家・ヒロユキ、今だから話せる「きらら」黎明期と同人誌の制作秘話
――今では考えられないことですが、2010年前後までは「きらら」は漫画好きから蔑視されていた印象もありますよね
瀬古口:そうしたイメージを覆す作品を立ち上げたいと思っていました。
https://realsound.jp/book/2023/03/post-1277885.html
『ぼっち・ざ・ろっく!』担当編集・瀬古口拓也インタビュー 「4コマ雑誌「きらら」の固定観念を払拭する企画を出し続けてきた」
「中身がない」という固定観念を払拭した代表的作品として、公式が祭り上げたいのは『ぼっち・ざ・ろっく!』にほかならない。
『ぼっち・ざ・ろっく!』には確かに物語が(比較的)あるし、登場人物の成長だってある。それは確かに重要な要素だが、問題は他にもある。
『ぼっち・ざ・ろっく!』の作者・はまじあきと担当編集・瀬古口拓也は、近年インターネットにおいて当たり前の語彙となった、「陰キャ」という言葉を前面に押し出すことによって、多くの人の共感を集めることに成功したのだ。
何をもって「陽キャ」「陰キャ」であるかという議論を超えた、曖昧かつ乱暴な分類によって性格が評価されることに人は慣れすぎた。
今や「チー牛」「弱者男性」という言葉をいくらネット上で言い放っても、誰も怒らないし、誰にも怒られない。
これは「淫夢」や「ハセカラ」のような人権侵害コンテンツによって育まれた、感覚の麻痺と考えることができるが、ここではこれ以上語らない。
いついかなる局面においても物怖じすることなくいられる人間などまずいない。
誰もが自らの陰気な心を自覚しているために、「陰キャ」という言葉を捨て去ることができない。
こうしてインターネットを超えてメディアでも当たり前のように用いられるようになった「陰キャ」という語を、『ぼっち・ざ・ろっく!』は目ざとく早くに見つけた。
(もちろん「陰キャ」が純粋にネット由来の言葉であるとは言っていない。ただ十年前の「インターネッツ」において「陰キャ」という言葉が今ほどに使われていただろうか?)
まんがタイムきららは、確実に存在して容易に解消することのできない劣等感を獲得することで、「中身のある」ものになれた。
まんがタイムきららは「中身がない」から乗り越えたことを定説化しようとしている。それはかつてのきらら作品の否定だ。
現在のきららは、かつての遺産を裏返すことで生まれ変わろうとしている。
つまり「あのきららが今ではこんなに中身のあるものに変身している」ということだ。
ただしその手段が、「陰キャ」という借り物であり、上品とは言えないネットスラングの中から穏当なものを選んだに過ぎないものであることを忘れてはならない。
2010年代のきらら作品のアニメ化ラッシュは、いつしか昔のこととなっている。
もはやきららに中身がなかったという記憶すら、かつてのアニメ・漫画ファンにとっての認識として忘れ去られるのではないか。
例えば今(またはこれからの)中高生が、「昔のきららはつまらなかったが今では面白くなった」という認識を実感できる保証はあるだろうか。
まんがタイムきららは、雑誌という全体のレベルで大きな物語を作り上げていったわけではない。
あるいはこれからきららは新たな方向へ進み、さらなる成長を遂げることができるかもしれない。
ただしその体力はどれくらい残されているだろうか。
まんがタイムきららからアニメ化の発表が絶えてどれほどの時が経っているだろう。
https://togetter.com/li/2254023
LGBT界隈で持て囃されていたキラキラトランスジェンダーの本性が暴かれた衝撃の事件。
「女の子になりたい」
アラサー男性が口紅に挑戦するエピソードが大反響を呼び、一躍5万超フォロワーの人気エッセイストとなった「いちとせしをり」
「可愛いってだけで許されてる女を滅○刺しにしたい」
「自サツするなら強カンでもしちゃえばいいのに」
可憐で健気なポエムからは想像もつかない、いちとせしをりの過去ツイートが明るみになる
芋づる式に裏垢も見つかり、大量の女性への殺意や蔑視、性加害発言…あまりのキャラの違いに騒然となった
・鬱病や元恋人の女性が亡くなったことで精神的に荒れて女叩きをしていた(?)
・別に女になりたいわけではなかった
それならば、
一般的な企業責任の観点で見てもかなり頭がおかしい。ミソジニーは認識をめちゃくちゃに歪ませるという例。
自分は処理できて要らないから女性を見下すという構図の意味がわからない。
まるっきりミソジニー。この投稿こそ風俗やAVが強く批判される理由そのものだよな。処理用具として女性を蔑視・道具視する異常なホモソ思想のすりこみ。
風俗嬢やAV女優は、虐待被害者、シングルマザー、DV被害者、知的障害者みたいな層も多いわけで。苦しんだ挙句、勝手に蔑視される。生活保護に行けば水際対策と称して「風俗やったら?」と言われる。
そしてこいつみたいな認知が歪んだヤバい人間に、風俗文化エロ文化を通して作られたイメージで歪めて見られる日本に住む女性たちだろう。
私はMリーグの影響によって、麻雀は世の中に競技として認知されるものだと思っていた。
-----
麻雀界隈はクソ狭いので、先週あった菅原選手の三暗刻の見逃しがいまだにロングバズになっている。
大雑把に概要を書くとこうだ。
・索子のホンイツをやっていた親を落としたラス目の菅原千瑛選手
・形は中3 3s2s2s2s1s 白2(あと索子のなんかしらをチーしている)
・2sは菅原選手の目線は全見えのため、現時点の2s白のシャンポンは白の片上がり状態になっている
・そこでツモり三暗刻の形にとれるところを1sツモ切りとした
・結果白をツモって満貫をあがった
結果だけ言えば、菅原選手は1sのツモ切りがなければ跳満になっており、その後オーラスで松本選手に放銃してラスに落ちた。あの跳満があればラスにはなってなかったのにね〜と、神目線の感想はこうなる。
「親被りがきつかった」「1s切りの思考は3sは現時点では勝又選手に通るが、その後危険な牌になる可能性がある。もう一度3sを持ってきたときに1sを切れるから1sツモ切りとした」「あと白であがりたかった、ラスなので打点を見た」
・すでに2sは全見えなのだから、とりあえずツモり三暗刻に構えて、もし松本選手などからリーチが入って、持ってきた3sが危険牌だと見た場合には2sノーチャンスの1sを切ればいいのではないか
・3s切りの方が打点的にも、今後の守備的にもいいのではないか
・2sは全見えなのだから、単純に1s分あがり枚数は増えるのに
その後菅原選手は近代麻雀のインタビューか何かで三暗刻の見逃しは否定していたみたいだが、私はインタビューの内容も全面論破されているし、まぁほぼほぼ見逃したんだろうなぁ〜と思っている。
個人的には菅原選手はビーストの決勝のオーラス伏せてOKの展開で、なぜか安全牌を抱えず進行して、あわや新井プロのチートイに放銃するのではみたいなシーンもあったし、決勝卓の4人の中でもそんなにうまくはないよなぁと思っていた。さらにMリーグに入ってからの試合も見ているが、正直なかなかに危なっかしいし、菅原選手がトップをとった対局でもオーラスにドラの西を引っ張り、その後だいぶ経ったあとにまた持ってきた西をぬるっと切ったときも、神目線ではチートイが2人いたので、この西をこの順目で切っていいのか…?黙聴の可能性ってないのか…?伏せてトップなのに…?と思った。そのため、菅原選手に対してはそんなにうまいとは感じていない。まぁこれは私の個人的な感想なので許して欲しい。
話は戻る。前述した「菅原選手の三暗刻見逃し」についての視聴者批判が、その後プロと近代麻雀あたり(主に連盟と連盟が好きな人たち)の目に留まり、結果視聴者側が猛烈な批判を喰らうことになる。
「打牌批判をするな」みたいな人もいれば、「菅原選手はミスなんてしていない!」という人もいれば、「誹謗中傷はやめろ!」みたいな勢力もいた。私自身はどこかに悪口を書き込んだことはなかったが、友人と通話しながらあの対局をみて、インタビューを聞いて、友人と「いやこれはミスだろうな〜」と話していたので、こいつらからすれば私も批判対象なのだと思う。まぁそれは致し方ない。批判する者は批判される覚悟が必要なのである。
一方で、私がなぜ今までこんなに必死こいて麻雀観戦を趣味にしてきたかというと、麻雀というゲームにおいて、頭のいいやつらが頭のいい読みをする姿見ていたいと思っていたからである。だから打牌の理由も知りたい。お前らはプロなんだから、素人に教えてくれよ。そう思っていた。しかしだんだんとそれもタブー視されつつあるようだった。
「よく選手にこの打牌説明してくださいとか牌譜検討してくださいとかSNS上で言ってるの見かけるようになってきたけど、俺とかは好きにやってるだけでやってない人に文句言うのはなんでなん?と思う。やってる人は好きでやってるだけでmustじゃないからな。ちょっとでも不思議なことをしたら絶対一個一個説明しなきゃいけないの??」
彼なりの擁護なんだろうと思う。白鳥選手は定期的に炎上にクビを突っ込んでは優しいフォローをしているので、いつも通りといえばいつも通りである。私は誹謗中傷の内容は把握していないが(どうやらアベマのコメ欄が凄まじいらしいが、プレミアム会員じゃないので遡っては見れない)、こんなことをツイートするくらい酷いことをいわれたんだと察する。
多井選手が先ほどyoutubeに切り抜き動画をあげていた。菅原選手の三暗刻見逃しに触れた内容だった。
「正直3sは切った方がいい。しかし、俺や寿人が3sをツモ切りしたらお前らは必死に理由を探すはずである。多井がこうしたのには理由があると。女流だからって瞬間的にミスだと判断するな」
このようなことを言っていた。麻雀界隈は女流軽視とか女流蔑視みたいなものに触れるのが好きだ。女流だからと即座にミスと言われていたら、それは確かに女流軽視で、蔑視なのかもしれない。
しかし、私はそうは思っていない。
打牌批判というのは男にも女にも発生している。少なくとも、私は定期的に目にしている。お前絶対このプロよりうまくねえだろみたいなおっさんが、一丁前にプロ相手に批判をしているのをよく見る。しかし、男に対する批判というのはほぼ問題にならない。醍醐選手の4p切り叩きが近代麻雀のあたりで持ち出されるようになったのは、菅原選手の三暗刻見逃し叩きがあって、それからである。
「黒沢選手にもう数巡でこの4pは切れなくなると思った。今見ても4p先切りだと思う」
このように今までのMリーガーはだいたい自分の口から説明したり、指示厨のおっさんと戦かったり、もしくはガン無視したりしてきた。あとそもそもここまで死ぬほど麻雀で戦ってきて、自分に自信もあるし、そのへんの素人の言葉なんて聞き流せる。もしかしたらものすごく傷ついてるのかもしれないが、そんな風には見せない。
萩原選手なんかもよく批判の的になっており、萩原選手の打牌を揶揄したブログなんかも存在する。しかしこれも、別にわざわざプロやその周りが取り上げて問題にはしていない。先日の萩原聖人の牌隠しもなかなかに燃えていたが、公式が「本人は反省してます」とむしろ謝罪して終わっていた。
男の炎上や批判は問題視されないことはもちろん、近代麻雀はプロに炎上スレスレの発言をさせてそれをインプレッション稼ぎに使ってポイ捨てみたいな傾向まである。そんなところに媚を売らないと取り上げてもらえない麻雀界隈というのは本当に生きづらいんだろうなと感じる。
昨シーズン、松ヶ瀬選手に確か茅森選手がハイテイで發を切って放銃していて、それも結構叩かれていたが、茅森選手は(たぶん)ガン無視していた。私はフェニックスを応援していたため、あの放銃は結構ショックだったが、なんの言い訳もせず耐える姿を見て、おそらく自身で反省しているし、楽屋でもなにかしらの会話は行われているのだろうと思っていた。
これがプロである者の、男女平等の姿であると私は感じていた。これだから、きっと麻雀は今後「競技になりうる」のだと思っていた。
となると、やはりなぜ菅原選手の三暗刻見逃し批判はあんなにも問題になったのだろう。
菅原選手に言及していた、プロや近代麻雀関連の方は「女だから批判しているんだ」という方がよくいたが、それはあなたたちにも返ってくる言葉だと私は思う。あなたたちは菅原選手が女で、可哀想だから擁護した。(その証拠に擁護として「ひろえを泣かせるな」「可哀想」「可愛いから気に食わないんだろう」というワードが本当によく目立っていた。対等な人物で、プロとしてリスペクトしていたらミスやミスを疑うような盤面で批判を受けて、こんな擁護は見られないと思う)
今まであなたたちは男の麻雀プロに対して行われた打牌批判にこんな擁護をしたことがあっただろうか?男の麻雀プロだったら、ここまで擁護できただろうか?多井選手は例えばチームメイトがあんなミスをしたら、あんな擁護動画を上げられていただろうか?あなたたちは批判された男性プロに対して、わざわざインタビューして、記事を書いて、何日もかけて擁護ツイートをしたことがあるだろうか?
おそらくこのままでは麻雀は競技になんかなれない。Mリーグのかかげた目標である、オリンピック競技にもならない。それは麻雀界隈が女だからといって擁護されるような古びた世界だからである。
これまで批判を受け止めて、インタビューで反省の言葉を述べていた女流や、黙々と技術を高めて、上位リーグで活躍している女流があまりにも不憫だと感じた。「女だから許される」「女だから仕方がない」「女だから可哀想」「女だから守らなきゃ」と思われるような価値観で構築されている中で対等に見られるよう、努力が強いられるからである。
男も男で不憫だ。「男だから大丈夫」「批判も仕方がない」「男だから近代麻雀のやつらに名出しで批判を書かれてもぐっと我慢しなければならない」そんな世界でそれでもプロとして立ち続けなければならない。
あなたたちは昨今話題の「女流軽視」などのワードを持ち出して、今の時代を理解した気になっているだけで、自分たちの潜在的な差別意識に気づけていないことにそろそろ気づいた方がいい。男女平等とは女性として受けていたデメリットをなくすだけでなく、女性として受けていたメリットも捨てることだからである。
菅原選手はもう12年もやっているプロなんじゃないのか?自分の言葉で述べたり、無視したり、戦える人間ではないのか?周りが囲い込み、城壁を作る必要がある人間だと、あなたたちが証明してしまっていいのか?
追記・「男性プロのこのミスはここまで叩かれていない!」みたいなことをいう人がいまだにいるので追記すると、菅原選手の件がここまで盛り上がったのは三暗刻についての言及をしないインタビューをして、三暗刻見逃しの疑念を増加させ、さらにミスを認めることも、その選択の説明することもなく「インタビューも麻雀もうまくなります」(私は三暗刻見逃しなんてしていませんという匂わせ)とツイートし、その後多くの周りのおっさんに自身の擁護をさせたことが要因であるとおもう。(本人が擁護を望んだわけではないと思うが)
インターネット黎明期に育った30代前半とは思えないSNSの使い方である。「こういう思考で1sを切りましたが、これはあがり枚数的に3sを切るべきでした!!」とでもいっておけば、そうだよな〜と溜飲を下げた人たちも多数いたのに。(菅原選手においてはインタビューでも基本的に打牌選択の反省や、もしかしたらここはこうしたら上がりが見えたかも?などの対局の振り返りや説明よりも先に「親被りが痛かったで〜す」「ずっと配牌がきつかったで〜す」が先に出るタイプなので、こんなのは高望みだとは理解している)
まぁ麻雀界隈においては女流は麻雀の選択の説明よりも、自撮りをあげることが大切なのだからこのムーブが正解なのだと思う。私は女性として守られることなく、1人のプロとして対等に見られようと努力している人を応援したくなるがこれも好みの問題だろう。
麻雀は「守りたくなる女を囲いたいだけのおっさん」が多数見ていて、そこの需要をめちゃくちゃ満たしている。そう考えれば非常に頭のいい選択のような気もしてきた。菅原選手にはこれからもぜひ女性として守られて生きていって欲しい。