はてなキーワード: 自由恋愛とは
昨今の#MeToo運動や世の中の流れ、あるいはLINEおじさんをバカにする傾向を見ていると、「ああ、自由恋愛は終わったんだな」というのをしみじみと思った。「自由恋愛」とは永遠不変の金科玉条ではなく、戦後数十年間の一時的な理念でしかなかったのだ。単線的な進化史をあえて描くとするならば、「仲介恋愛」(お見合い)から「自由恋愛」となり、これからは「契約恋愛」となるだろう。
「仲介恋愛」の時代に、自分の意思よりも仲介者(家族や親類)の意思が優先されるのはどうなんだ、という問題意識から、自分の意思で相手を選ぶ「自由恋愛」へと発展した。しかし、「自由恋愛」がセクハラやデートレイプなどのバグを生むことがここ十数年で問題視されるようになった。「俺は気に入られているはずだ」という勘違いから暴走していくセクハラ、デートレイプは「自由恋愛」における重大な欠陥だ。この欠陥を埋めるには「契約恋愛」しかないだろう。どのような形になるかはわからないが、お互いが同意していると明示された状態でないと、デートするのは非常識、という状態だ。例えば、相手が「デート指輪」を受け取らないと、デートに誘うことは非常識、というのもあり得るだろう。
「仲介恋愛」は家族間の契約だった。「契約恋愛」は個人間の契約になる。相手は自由に選べる。「仲介恋愛」と「自由恋愛」をアウフヘーベンしたものが「契約恋愛」だ。
「自由恋愛」とはたった数十年間の理念だったのだ。今までの自分の恋愛を振り返り、センチメンタルな気分になった。あの誤解の積み重ねによる感傷は、これからは古いものとして打ち捨てられていくのだ。「この子とセックスできるかも」とドキドキし、実際にできたときの昂揚感を味わうことは、もうできない。
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/ ` 、
/ (_ノL_) ヽ
/ ´・ ・` l 自由恋愛は死んだんだ
(l し l) いくら呼んでも帰っては来ないんだ
l __ l もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ
、 _ ィ
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ハリウッドに端を発する #MeTooで提起されている問題の中核部分が
であることは、主張者・賛同者一人一人に聞いても「その通りだ」と言ってもらえると思う。
まさか、「権力・強制力とは関係なく、いやらしいジョークで不快にさせられた」程度のことではあるまい。もしそうだというなら、本家の運動と照らし合わせる限り、それは今回の#MeTooとは別のものだろう。
発端となったアメリカ映画界のケースは、"W"なる人物による被害をこれ以上広げないという意思も含めた「緊急避難」として告発を行ったという意味合いもあろかと思う。
法律の外だけで社会的抹殺を行おうという動きではない。きちんと訴訟も行われている。
[ハリウッドのセクハラ騒動:ハーベイ・ワインスタインに関する訴訟はどうなっているのか(猿渡由紀) - 個人 - Yahoo!ニュース](https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20171128-00078657/)
メディアを利用した社会的告発に対しては、相手方から名誉棄損などで訴えられる可能性もある。また、復讐心に基づく私刑(リンチ)ではないことを示す必要もあり、訴訟行為は当然と思える。
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASL131P4HL13UHBI001.html(「もう終わり」ハリウッド俳優ら、セクハラ訴訟基金設立)
一般社会のケースでの訴訟費用の支援が話題となっている。#MeTooの結果として相手方から起こされる訴訟も想定しているだろう。
自分の感じ方にすぎないが、本家ハリウッドの人々は自らのアクションに少なからず復讐心やリンチ性の要素が含まれていることを自覚しており、また「しょせんハリウッドという舞台でのマッチョな人々の内輪喧嘩ではないか、我々の生活とは関係ない」という一般の人々の厳しいまなざしをも感じ取ったうえで、さらなる公益性を目指しているように思う。
翻って、本邦の#MeTooでは告発者が将来的に払うことになるコスト(世間からの好奇の目・加害者側からの復讐など)の大きさを理由に、これ以上のコストを払う必要はなく、法律の外で加害者を社会的に抹殺する手法でよいと考えているように見受けられる。
[職場でのハラスメントでお悩みの方へ(セクシュアルハラスメント/妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント/パワーハラスメント) |厚生労働省](http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/seisaku06/index.html)
がある
まずもって、これは雇用された者同士の問題というより、雇用主が解決しなければならない問題である。
もし話し合いで済まなかった場合は、まずは訴訟を考えるべきである。メディアを利用した告発とセットでも構わないとは思う。
仮に、話し合いで済んだにも拘わらず、社会的告発をしたいというのであれば、それこそ社会的非難を覚悟で行われるべきであろう。
いずれにせよ日本もアメリカ同様、法治国家なのだから、本来の手順を意識する必要がある。
「#metoo はリンチではありません」と宣言しているが、それは独自の解釈であろう。
被害者として名をさらしており、匿名の立場から石を投げているわけではないからといって、ただちに私刑としての性質から逃れられるものでもない。
もし、メディアを利用した社会的告発だけで問題が済むというのであれば、少なくともアメリカ発の#MeTooに自らを連ねるのはやめたほうが良いと思う。
もし、法律の外の告発だけでよいとすると、下記のような懸念が考えられる。
これらに対して社会的合意が形成されない限り、このタイプの#MeToo運動は深刻な問題を起こす。
まず、#MeTooを「アメリカ出羽守」や「フランス出羽守」として我が正義のマウンティングに走るより、もっと地べたから考えていくべきであろう。そして、それが#MeTooというハッシュタグのもとに語られる必要は全くない。
セクハラを「力関係の濫用」ととらえるか「不愉快行為・不愉快言動」まで広げるか(少なくともハリウッドの#MeTooは前者であろう)、本邦ではこの付近こそが争点になっていると見受けられる。それゆえ独自の問題系もあるかと思う。
また、#MeTooの周辺問題系としては、過去・現在についての個人的救済もさることながら、類似の問題を未然に防ぎ、未来に向けてよりよい環境を作ろうというテーマも含まれるように思う。ここについての議論がもっと必要なのではないかと感じる。これもまた、本家#MeTooベースで考える必要はない。例えば「就職時のOB訪問のあり方」、「副業解禁による個々人のフリーランス化(新たな上下関係が発生する)」など、具体的な問題をもとに性被害防止に向けたアイデアを出し合うといった、地に足がついた議論があってもよいのではないだろうか。
このことを思うとき、先般の件を受けてD通はどう変わったのであろうか。あくまで組織内の問題かもしれないが、社会への還元があってもよいように思う。
自分で言うのもなんだが私自身は見た目も性格も悪くないし、むしろいい方だとさえ思うし、出会いの数だってちゃんとあったはず
それでもやっぱり彼女はできない
そもそも次々に惚れるたちでもないので、数年に一度でしか告白したいと思える女性に出会えない
いけそうなところ狙ってけばいいじゃないとアドバイスを受けることもあるが、いけそうなところなんてまず魅力的に映らないので弾かれてしまう
そもそも私生活を楽しんでいる人を好きになりがちなのもいけない
そういう子は往々にして彼氏欲しいと本気で思ってないんだ
だてに童貞こじらせてないよ
両想いなんて存在するのかと世の中が信じられなくなっている
どちらかが妥協しないと成立しないんじゃないのか
何となくお互い意識しあって仲良く遊んでゴールインだなんて意味がわからない
かなり考えて恋愛に挑んでいるのにうまくいかない私に、周りはそんなに考えてやってないよなどと言う
考えても無理なのに、考えなくなったらそれこそ私生活を楽しんでしまって恋愛に見向きもしなくなる未来が見える
もう数年すれば婚活市場に乗り出して、スペックありきでお互いを探し合うことになる
それが本当に嫌なのだ
まず自由恋愛をしたい
単純にスペック云々ではなくお互いを好きになりたい
こうしてまた失恋の悲しみを吐き出している
2018年早々に次の恋が見つかってくれればとただただ祈るばかりである
追記:
行為がしたいわけではなくて簡単に言うとイチャイチャ過ごしたい
それと自分自身女の子と2人で出かけることもままあるし女慣れはしているよ
だからこそ余計に何でだろうな悲しいなって思う
どうなんだろうね、いくら男女平等が進みつつあるとはいえ、労働市場は男が独占している状況は変わらない。
確かに大学受験は男女差別が無いけど、卒業後の進路に関しては男が圧倒的に有利だからね。
東大相当の学力のある女でも、東大には行かずにランク下の女子大に行くのはよく聞く話。
それに、「女には競争を勝ち抜く以上のインセンティブが自由恋愛の方にあるからだと思う」と言っても、それは一定レベル以上の美人の話。
それに大学入試レベルの勉強であれば、男女の脳みその構造が影響するなんてこともないだろ?
それなのに東大や医学部といった競争を勝ち抜いた人しか入れないところは男が圧倒的に多い。
これってようするに、女には競争を勝ち抜く以上のインセンティブが自由恋愛の方にあるからだと思うのは俺だけか?
自由恋愛の方が男の成功に乗っかって、自己実現できる可能性が圧倒的に高い。
だから、競争のストレスに耐えるより、そっちに逃げるってわけだ。
これは、社会に出ても一緒だ。自由恋愛の構造の中では女に逃げ道を作る。それ故に、ストレスの高い競争からは逃げてしまう。
逃げ道がなく本気で勝負してる人間と逃げ道があってあわよくば逃げてやろうってやたらが同じ土俵に上がるなんて無理な話なんだよ。
だから、男女が等しく競争に向かう状況を整える必要がある。それが自由からの禁止だ。
恋愛を禁止して逃げ道が無くなったときはじめて男女平等が実現するんじゃないか?
どうよ。