はてなキーワード: 腑抜けとは
・ASU2016-01に則っての処理が要求されるわけだが、この規定、有害であり、情報価値を著しく損なう悪規定である。
・従来、市場性のない持分証券への投資は、取得原価での測定が原則であった(公正価値オプションはあったが)。
・ところがASU2016-1の公表(2016年1月)によって、公正価値を容易に決定できない持分証券については、原価で評価することができなくなり、原則として公正価値(例外処理あり)で測定されることとなった。
・この背景は、次のとおり。
・FASBは、資本性金融商品については公正価値により測定することが適切であるとの結論に至ったというが、市場関係者は「戦略投資」については、公正価値変動をその他の包括利益(OCI)に含める例外を設けるべきことを主張した。ところが、FASBは「このような例外を含めることは会計処理を複雑にするから」と相手にしなかった。
→ 絶句するほかない。ばかか。腑抜けのFASB。知ってはいたが、やはり腐ってやがる。
・FASBは、過去にIASBが戦略投資を原則主義的に定義することは困難であり、財務諸表の利用者にとっての有用性を増加させるとは限らないにもかかわらず、複雑性が増すとの結論に至ったことも参考にした、とか抜かしている。
→ 有効性を増加させるとは限らないのじゃなくて、情報価値を毀損させているんだろうが。
(結論)US Gaapは三流の会計基準に堕した。日本基準の方が断然ましである。
参考にさせていただいたサイト:
https://accounting-agent.com/equity-security-321-10/#ASU2016-01
初めてリアルタイムで見たガンダムがSEEDシリーズだったけどまだ子供で当時習い事もあって飛び飛びだったし記憶も曖昧になってたので最近改めて見た。
くそ評判悪いのは知ってるし見た上でう~~んってなったとこもあったけどどこかシンが好きだなあと思うしデスティニーってかっこいいよね、機体。
リアタイ当時はネットあまり使ってなかったからわからないんだけど良ければその当時を思い出して思い出を語ってください。
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ラクス側の陣営が綺麗事の詭弁ばかりというか、そのくせ結局財力に物言わせた最強のMSとキラ・ヤマトで力でねじ伏せてんじゃんみたいに思ってしまってあまり良い印象を抱かないので自分は少しシンに肩入れしてしまうのかもしれない。
もちろんシンが良い子とは言わないけどちょっと悪く描かれすぎてない?て思って同情してしまう。
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Zガンダムも今年見たんだけど今見るとシンってカミーユのようなジェリドのような感じでもしかしてZをオマージュしていたのかなって思った。
最初はアスランとシンの関係がクワトロとカミーユみたいになるかなって思ったし、そうなったら面白かったのになあと思う。
でも結局シンはアスランや誰かにうまく導いてもらえることもなくうまく利用されてなんだかジェリドに近い感じ。
当時はシンはすぐアスランに突っかかるなあと思ってたけど大人になって見るとアスランに突っかかってるのは甘えてるんだろうなあと思った。
信頼してるし実力も理解してるからアスランが腑抜けるとシンの中で許せないんだなぁと感じた。どうなんだろ。
甘ったれたやつだなぁと思いつつもシンのそういうとこが少年らしくて可愛いなぁと思う自分、結構大人になったのかもしれない。
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ラクスやカガリの演説が全然響かないというか…綺麗事だなぁとしか感じなくて、ギレンの演説とかダカール演説のような清濁併せ呑んだような、政治を感じなくてなんだかなぁ。
にしても「カガリは今泣いてるんだぞ」にさすがに意味わかんなくてびっくりしちゃったんだけど当時もネットでさんざん言われたんだろうか。
なんか検索欄入れただけでこのセリフ、ネタにされていたんだなと感じるサジェストがされたけど。
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そんなこんなですぐ調子乗るしょうもないとこはあるけどなんだかほっとけなさのあるシンが見てて楽しくてキラを撃つとこなんかスゲー!て興奮したのにその話数が収録されてる円盤が一番売れ行きが悪いと聞いて悲しくなった…そうなの?なんで…
最強のコーディネーターにつくられたわけでもなく、インパルスはフリーダムにパワーで劣るとか言ってたのにキラをあそこまで追い詰めてんのすごいなって思ったんだけど…
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レイとシンの友情的な部分とかルナマリア含めたパイロット達の関係性とかもっと見たかった…と思って、漫画のThe EDGEが良いと聞いて読んだ。良かった。
シンやレイの周りの心情とか結構放置されて雑な扱いになってるなって…総集編多いし…
レイが自分のことをシンにだけ話したの、シンを議長のために唆しつつも友情や信頼も重ねていたんだろうなあと思ったしだからこそレイの最後をシンがよく知らないのなんだか…うーん…。
シンまじでアニメだけ見てるとすぐ増長するバカな子じゃん、いや実際そうだけど…
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公開が予定されてる劇場版はDESTINYの続きというけどもう心配になってきた色々。
デスティニーって主人公機(一応)なのに黒とか使ってて残像?みたいになって動くのとかかっこいいから劇場版でもそのバージョンアップしたようなかっこいいの出てほしいなあって思う。
ある、という人もいれば
ない、という人もいるだろう。
ちなみに私は「ある」派である。
但し、一見お互いに友人だと思っているけれど、片方は隙あらば「セックス!」みたいのが
では、どうやったら真の男女の友情が培われるか、だが。
え?
と思ったかもしれないが、男女の友情なんてどうせ片方はセックスしたいって思っているのがオチなのだから
理想としては「お互いに性欲がありセックスしたけれど、お互いに体の相性に納得いかなくて、もうセックスしなくていいや」という、この感情である。
この感情さえあれば、男女の友情が成り立つと言えるだろう。なぜなら、もうその相手とのセックスに興味がないからである。
会社に遊びに来てるのか昼めし食いに来てるのかおしゃべりしに来てるのか仕事しに来てるのかわからない
そんな高齢者を横目に自分だけノルマに追われることに疲れ切ってしまった。
また、業務で昼間に外出すると
のほほんと目的もなさそうにふらついている高齢者がたくさんだ。
彼らの行動に俺がとやかく言うのはお門違いだが
彼らの健康な生活のために俺が高い税金や社会保険料を支払っていることを考えるとうんざりする
その一方で
高齢者だって腑抜けた人生を送りたくて送っているわけではないということも思う。
やるべきこともやりたいこともない。
それでも平等に一日はやってくる。
安楽死できるわけでもない。
彼らに穏やかで優しい死を与えてあげることができればいいのにな、とたまに考える。
続き。
そんなサブカル界隈さまの冷笑・道楽主義・ことなかれ主義のせいでどんな事が他にも行われたのか?
・レンタルビデオ編
喧嘩番長〜乙女〜やニルアドミラリの天秤、恋とプロデューサー、BAKUMATSU(前後編)だとか
それぞれの放送時期の有力腐夢関連のかませ犬同然で終わった腐夢関連がゴリ押しされ、
スマホ太郎やダイナミックコード、異世界チート魔術師、いもいも、CONCEPTION、ぱすてるメモリーズだとか
非アニメ層が偶然見たら「アニメなんてこの程度の代物」だとかいう誤解に繋がりかねない腑抜けも
超余裕太郎や賢者の孫のような量産型なろうもゴリ押しされるんだよ!
で、その一方で
けものフレンズ2017やガヴリールドロップアウト、スロウスタート、わたてん、
有力日常枠や
ヴァイオレット・エヴァーガーデンや宇宙よりも遠い場所の18冬人間ドラマ2強が入ってこないなんてことにもなった。
ことなかれ主義と道楽主義と冷笑主義の結果テレ東を増長させてBSテレ東でのプリチャン2年で打ち切り、
アースグランナーだけでなくシンカリオンやヴァンガード新作もBSテレ東放送なしみたいになったし。
独立局系だと
BS11でデス種や鉄血だとか微妙ガンダムが平然と放送されオリジンは再放送されない、
令和になってようやくシュタゲのゼロにならない最終話がBS初放送…
俺ら(お前も充分含むわ)の”世代”も俺の言うこんな感じだろうが。ソースはお前な。
ビジョンは無いがとにかくモーレツに働いて数も多く権力死守体制維持に執着しまくって70、80までしがみついた無能な働き者の支配集団と、
その手下として追い飛ばすこともなく何十年と脳死で働かされ続けた燃えカス廃人と冷笑インテリと茶坊主オジサンの合わさった腑抜けの集団。歴然とした事実があるだろ。お前を含む自称有能だという連中が今に於いても世代交代を成し遂げずにいる時点でお前も限りなく無能オブ無能なんすわ。
こんな連中しか残ってないこの国はいまさらどうしろって言うんだろうね
どうせあと10年してもこのままで、二進も三進もいかなくなった頃に口の立つ狡猾な道化に一発逆転を唆されて地獄に沈んでくんだろうな。あ、既に1回あったっけ。まあそれも次で終わるんだろう。
じゃあ今あいつらに民主的な総意として退いてもらったとしてさ、よろしくおれらの世代の力で頑張れよなって状況になったとして、俺ら風情じゃ向こう50年くらいオリンピックも万博も呼べない版図も守れない国際競争でもしぶとく勝ち抜けないスケールも小さくて外交も出来ないっていうヘタレなカス世代だからなぁ。神経症のようにどうでもいい小さいことに拘って、同じ日本人同士で足を引っ張り合い嫉妬し、解決策は誰かがやってくれる天から降ってくると思ってるような馬鹿の集まりだろ。
あ、いやオリンピックも万博も外交とか国際的なプレゼンスとかの例えの意味であって本来いらねーけどさ。所詮俺らがずーっとやらされてたのは結局ぜーんぶジリ貧の撤退戦の負け戦じゃん?世界のジャパン?クールジャパン?ワラ 何の力を蓄えてたんだろうな。ジジイにコキ使われてすり減ってただけだろ。
結局バブル崩壊後もあいつらにシバかれていいように甘言を真にうけて制度設計までジジイファーストで貧乏暇なしで脳みそ酸欠で働かされ続けて、
とうとう自分らも老いに差し掛かった腑抜けの働かされ盛りのくたびれたアラフォー、アラフィフに今更バトンタッチしたとして一体なにができるんだろうな。
下の世代とかやれ未踏とかプログラミングとかやってっけどそれでこの国のみんなが幸せになれるような気配はないんだよな。皆疲れて、うまくやった一族だけが甘い汁d
時折、「昔のネットの世界はおおらかで平和だった」という感想がTwitter等で流れてくることがある。
これに対して「そんなことはなかった」という反応が来るのももはやテンプレだが、一見相反するように見える2つの意見はある意味間違っていないのではないかと思う。
まず「昔のネット」というのもかなり曖昧なので、ここではいわゆる「ネオむぎ茶事件」が起きた2000年前後の2ちゃんねるというものを基準にしておこう。
はっきり言って当時の(まぁ今でもかもしれないが)2ちゃんねるはほとんど無法地帯だった。匿名掲示板であるというアングラな特性上罵詈雑言やらなんやらもあった(気がする)。
ただアングラであることを理解していたユーザーも多く、インターネットに接続する人間が今より少なかったこともあってある程度の自治はなされていたように思う。
ここで重要なのはこれがあくまで無法地帯に設けられた自治であるということである。だからこそ自治の管轄外の行為に関しては寛容だったし、そもそもそれに不寛容な人間は入ってこなかった。
これが「昔のネットはおおらか」でありつつ「無法地帯だった」という理屈である。
例えるならば戦後以後の混乱期、身分証などなくても飛び込みで働くことは今よりも簡単だっただろう。そんなものはなくとも働く人員でさえあればよかったからだ。
しかし現代ではそうはいかない。そんな身元の怪しい人間ができることはかなり限られている。
一方で、当時と今とでは治安や医療、娯楽の水準などは比べるべくもない。社会はどんどん発展し安全になっている。「昔に戻りたい」という人も、このギャップには耐えがたいだろう。
つまりは、社会が成熟していくうちに安全やセキュリティとトレードオフにおおらかでファジーなものが失われていくのは常であり、それはインターネット上の社会においても例外ではなかったという話である。
自分はこのどちらがいいというつもりはない。ただ過去を懐かしむ人を否定するべきではないし、かといって社会が進歩することを拒否するべきでもないという、あまりにも腑抜けた意見をふと、言ってみたくなった。