はてなキーワード: 無い内定とは
わたしは立命館大学経済学部を無い内定で卒業してしばらくニートしたのち観念して派遣で工場行ってます。時給900円です。お前の方がマシなんだよ。俺は童貞だよ。
正規の職に就いたら就いたでなにもできねえこれどうすんだよ頑張りようがないよってなる気がする。
人生に意味なんてないんだろうけどそれにしても意味がなさすぎて意味がわからない。
正しく働く人という立場になったら頑張ることもできるかもしれないがなにもしてこなかったという負の実績があるので頑張りようがない
ポンコツだから。
「自分を変える」、ね、それなんだよな。
他人と会話できない、筋道立てて物事を考えられない、日常会話ができない、行動力がない、目標を立てて継続的に努力ができない
常に今、今、今だけがあって目先の困難から逃げようとして360方塞がりの袋小路の泥沼にはまり込んでいくんですね。
ハローワークに行く?それがなにになる?
行かないことでなにかができると思ってるわけじゃない。
しかしね、「今までなにもしてきませんでした正直言って働きたくないですけどそういうわけにもいかんので職に就こうかと思うんですが
非正規ってお先ダークネスですよね正規ならダークネスじゃないってことでもないとおもうんですけど
なにができるのかわかりませんなにかしたいってわけでもないですスキルはありませんし会話すらできないですし大学卒業後は全部空白期間みたいなもんですさあどうしましょう」な状態なわけ。
こんな愚痴をハローワークで開陳してもなんにもならないですさ。
土曜日も出勤なのでハローワークに行ったことはありません。別にこんなもんさっさとやめて職業訓練でも行った方がまたサイコロ振るみたいな感じでなにかを変えるきっかけになりそうな気はするんですが。
バイトを始めた日を復帰日として、今日で1年半が経とうとしている
間も無く正社員として働くことが決まっているので、いろいろと慌ただしい毎日だが、
最近かなり疲れてきた
心が休まる日がない
少しでもポジティヴに、前向きにとやってきたつもりだが、
いい加減心が根をあげはじめたようだ
何をしても楽しくない
特に目立ったスキルもなく、大した学歴でもない俺は給料の安い中小企業にしか入れなかった
これからもプライベートを削ってスキルアップを計っていかなくてはならないだろう
まだまだしんどい道のりは続きそうだ
彼女も友達もおらず挙動不審でコミュ障マックスだった状態から、
何人かとは連絡先交換まではできた
が、プライベートで遊ぶ人はまったくいない
誰かに泣き言とか言えたら、多少楽になるのかなと思うが、
趣味でやってたことも何にも充実感がなく虚しい。時間を無駄にしたなって感覚だけがあるが、
有意義に思えるような勉強とかやったらそれはそれで心が休まらない
平日も休日もすでに疲労感でいっぱいだが、
支えてくれる人は誰もいない状況で、ここから更に負担が増したら、俺は耐えられるだろうか
いつまで続くんだろ、こんな状態
留年。
卒論は書けない。全て俺の怠惰が悪い。その分ゼミのプロジェクトはこれから一週間本気で取り組もう。もちろん他の授業のレポートやテストも全力でやる。けれど卒論が4単位であることを考えると、どう足掻いても、どれだけ運がよくても2単位足りない。その2単位に俺の大学生活の全てが示されているような気がする。
今日ひとつ面接があるけど、もし通っても辞退するべきだと思う。今のままでは社会に出られない。人に迷惑をかけるだけだ。というかそもそも留年では入社できない可能性は高いけどね。よほど人格が評価されれば学生入社で土曜日に学校に通いつつ働くことができるかもしれないけれど、現実的ではないだろう。
結局、死ぬ以外の選択肢は、留年してバイトで学費と生活費を稼ぎつつ真っ当な人間に戻れるよう努力すること。それが俺に残された唯一の道なんだと思う。
学費は前借りという形になるだろう。父さん母さんは許してくれるだろうか。留年を告げたらどんな反応をされるだろうか。
ごめんなさい。ただ謝ることしかできない。死ぬことは逃げだ。恩返しがしたい。その思いは今、確かに持っている。
ごめんなさい。あなたたちは何も悪くない。こんな息子でごめんなさい。
ここまで、昨日の日記のコピペです。若者に反面教師にしてもらいたくて、誰でもいいから俺のささやかな意思表示を見てもらいたくて、ここに書き残すことにしました。
友達をたくさん作ってください。何か夢中になれるものを見つけてください。就活が上手くいかなくても、決して一人で抱え込まないでください。俺にできなかった「普通のこと」を、できる人になってください。お目汚し失礼しました。
中学生の時、「漫画家になるために絵の勉強がしたい!美術系の高校に行く!」と宣言。親、激怒。
見返すために漫画を一作仕上げ雑誌に投稿。結果、選外の最下位クラス。
漫研もなく美術部も名前だけしか存在しない高校だったため、漫画の次に興味があった演劇部に入部。
そこそこ楽しいハイスクールライフを送るも、中盤で「やっぱり絵に関わることがしたい」と美術系大学への進学を考える。
大学及び予備校の資料を集め、足を運び、大学卒業後のことも視野に入れ情報を集めるも、家庭の経済事情により断念。
大学では漫研と美術部を行ったり来たりするも、大学サークルの雰囲気に馴染めずドロップアウト。
演劇とサブカルの間をうろうろしながら、のろのろと漫画を描き上げ、数作投稿。結果、選外。
二次創作も含めウェブでの作品発表をぽつぽつと行うも、底辺の描き手から抜け出すことはなかった。
この鈍くささは創作活動以外にもおよび、わりときちんと就活に勤しむも無い内定のまま大学卒業。
そのまままた一年就活に駆けずり回り、文学にも演劇にも漫画にも関係ない所に就職。
仕事のストレスによる胃痛を抱えながら漫画を描いて投稿。結果はもちろん選外。
そうこうしてるうちに初投稿から10年あまりが経過し、同世代はおろかデビューするのは年下ばかりになってきた。
上京して必死に持ち込みしたり、アシスタントをしながら頑張ってたりするガチの志望者にGペンでぶっ刺されそうなぬるい経歴である。
そんな身で言うのもなんだが、やはり全てが足りなかったのだと思う。努力も、才能も、覚悟も。
全てをぶったぎって漫画一筋に懸けりゃあよかったんじゃねえの?という思いも無きにしもあらずだが、そこまで自分の才能を信じることもできなかった。
遅咲きデビューの売れっ子作家もいるよ、と励まされたこともあるが
そういう人は、たまたま漫画を描き始めるのが遅かった天才か、美大出てたり同人活動で実績があったりという人で
なんやかんやで20代前半までにきっちりとした土台を築いている人なので、自分のような人間と並べても意味がない。
それでもまだ、仕事を終えると家で漫画を描いている。ネタを思いつくとネタ帳に書き連ね、手が空けばクロッキーなどをしている。
最近自分の絵を見ていて「やっぱりちゃんと絵の勉強したかったなぁ…」という気持ちが湧いてきて、社会人の経済力()を活かして画塾に通うことにした。
同世代が婚活だキャリアアップだと息巻いてるなか、画塾。我ながらアホじゃないかと思う。
これは自分への投資などではなく、ただ世の自己承認欲求に付け込んだ商売に絡め取られているだけなんじゃないか。
まぁもうお金払っちゃったんだけど。
漫画を描いていることは中学生以降人には黙ってたのだが、最近恋人にカミングアウトしてみた。
なにやってんの、いい年して夢ばっかり見て、現実見なさいよ、と叱り飛ばされることを期待したのに
「いいんじゃないの、社会人なんだし自分のお金で好きなことしたら。夢があるって素敵だよ。
芸術ってさ、いつ評価されるかわかんないじゃん。死んだ後に価値が上がるとかザラにあるんだからさ」
と励まされた。恋人以外の人もわりとこんな感じの返事だった。
漫画は死後に価値が上がるような芸術ではないし、自分が万が一デビューするようなことがあっても漫画で食べていくことは不可能だろう。
なんで止めないんだろう。人に引導を渡すのは嫌だからだろうか。
そしてここまでのことを理解しておいてなお、なぜ自分は漫画を描いているのだろうか。
漫画を描いていることがこれからの人生でプラスになることがあるのだろうか。
安西先生、諦めとはなんでしょうか。
まず、前提として。この日記を書こうと思った理由は2つある。
ひとつは単純に自分の気持ちを吐きだしたかったから。2つ目は、「なぜ死にたいという思考までたどり着いたのか」を書くことで、自殺についてのケーススタディの役立つかもしれない、という思いがあったからだ。まぁこんな匿名の日記を誰が読むか、とか、好き好んでスタディするのか、みたいな思いは勿論あるが。
あと、書き手について。自分は大学4年生だ。大学は私立で、専門性も学費もかなり高い。入学時から東京の外れで一人暮らしをしながら通っている。就職活動中で、無い内定。
「死にたい」という気持ちは、複合的な理由から生まれるようだ。
【就職活動が上手くいかないこと】
正直なところ、自分の就職先は才能がものをいう世界のため、実力が無いと就職をするのが厳しい。勿論専門とは関係のないところに行っても良いのだが、どうにも夢を諦められない。しかし、才能が無い。ひとつの手段として、一般的な職に就き、専門のことは趣味に抑えることも考えた。しかし、そもそも職に就けないのだからどうしようもない。
自分は、大学生である今が一番幸せだと思っている。したいことができて、時間をゆっくりと使うことができる。しかし就職すると、自分の時間はぐっと減ってしまうだろう。さらにもし、仕事にきちんとした意味を見いだせなかったとしたら。それは長い苦しみの末死ぬのと同じではないのだろうか。だったら今、楽しいと思える段階で死ぬ方がよほど合理的ではないだろうか。
【やる気がでないこと】
自分は努力厨だ。努力すれば大体の物事は叶うし、努力出来ないのは自分がたるんでいるからだと考えていた。しかし今、その気持ちが首を絞めている。やる気が出ないから自分を責める、しかしやる気が出るまでやってみるも、うまくいかない。そしてまたやる気が無いからと自分を責める。責めてばかりなのでやる気も潰える。結果は出ない。そもそも褒められるようなことをしていないので、自己嫌悪のスパイラルに陥るのだ。
【その他諸々】
たとえば、臼蓋形成不全という病を患っていること。大掛かりな手術をしない場合、早くて10年年後、痛みで足が動かせなくなるらしい。あとは、数百万の奨学金という名の借金を背負っていること。中学のとき一度自殺を図った(方法はとても死ねるようなものではないお粗末なものだったが)ことによる人生の延長戦感。今まであまり必要とされてきたことがないこと。何をやっても感動しなくなったこと。ネット依存がひどいこと。今日は新学期の授業があったのに寝坊で出なかったこと。などなど。
自分の場合は全体を通して「理想と違う自分への嫌悪」が気持ちとして大きいが、やはりちいさなきっかけが積み重なってこうなってしまうのだろう。
○最終的な決め手
最終的な決め手は、自分でも笑ってしまうが「Twitterの退会」だった。
【依存による退会を決意】
自分のアカウントは、現実の知人とは一切繋がりを持たず、漫画やゲームの趣味でつながるものだった。アニメ化の話でリプライを飛ばしあったり、ちょっとした日々のことをツイートしたり。しかし、最近どうにも依存が過ぎた。リプライが来ないことにそわそわし、つねにタイムラインを監視しつづける日々。ひょっとしたらやる気がでないのは断続的にTwitterをやるせいでは無いのだろうかと思った自分は、思い切ってアカウントを消すことにした。アカウント連携を外し、理由は述べずに明日で退会する旨のツイートをする。これにはとても勇気がいった。(余談だが、同時に今まで積み上げてきたものをぶち壊す高揚感もあった)
【アカウント削除という擬似的な死】
Twitterを止めることは、つまり「ネット」社会的に死んだことに他ならない。「ソーシャル自殺」と言っても良いだろう。ネット世代の馬鹿な考えに思えるかもしれないが、直接的な繋がりのないソーシャルネットワークでは、消えたアカウントとは(新しくアカウントを作らない限り)永遠に会えなくなる。そしてこの擬似的な死を体験することが、死にたいという気持ちをはっきりと持つ決め手となった。漠然とした感情であった自殺を、バーチャル的にでも体験してしまい具体化することで、形を持ってしまったのだ。
自分も例に漏れず、孤独だ。孤独は嫌いじゃないし上手く付き合ってるつもりだが、「死にたい」という気持ちを加速させる力を持っている。
【何でも話せる友人がいない】
自分は昔から誰ともペアになれなかった。「AとBっていつも一緒にいるね」と思われたことは一度も無かった。そもそも、固定のグループにいることがなく、クラスのグループの3,4つを転々としていた。だからグループ全体での遊びに誘われることはほぼなかった。そういうわけで、周りに人がいるのに大して仲のいい人はおらず、ましてや「死にたい」などと言おうものなら中二病かと一笑に付されること請け合いだった。(そう思ってしまうくらい、プライドが高いということも理由のひとつだろうが…)
【親にも話せない】
バイトもしておらず、サークルも似たような有様だったので、自分は一人暮らしを始めてからずっと親にだけ相談をしてきた。しかし、「死にたい」という気持ちは親にも言えなかった。勿論生んでくれたから申し訳ない、という気持ちからでもあったが、それよりもっと大きな理由があった。まず、父はこのご時世珍しくはないが、心の病気を患っていた。母はそんな父の言動から「人生の希望」を失ってしまった。今の母は、ネットゲームを生き甲斐にしている。そんな彼らに「死にたい」とは言えまい。
というか先日、実際に「辛い」ということを電話で母に相談したのだが、「そんなこと言われても」「そうは言ってもやるしかないでしょ」「アンタは頑張ってるよ」と、返答した。
その間ずっと、受話器越しにキーボードを叩く音が聞こえていた。
そういうわけで、「死にたい」ということを話せる人間がいなかった。カウンセリングも対して役に立たなかったし、心療内科には毎週薬を渡されるだけで終わった。一番心が軽くなったのは横浜中華街の占い師だったなんて、いっそ笑えてすらくる。
ともかく、きっかけを与えられた「死にたい気持ち」は、孤独によってより膨らんでしまうということだ。
○で、自殺するの?
ここまで書いておいてなんだが、おそらくすぐに自殺することは無いだろう。勿論今も死にたいという気持ちはかわらない。未来に希望も持てないし、内定も無いし、やる気もでないし、自己嫌悪もひどい。しかし吐露したことによって気持ちの整理がついたし、少しすっきりもした。それについさっき思い出した、母に言われた一言が、自分の自殺をかろうじて止めてくれている。
「旦那が心の病気になったのは、自分の責任でもある。もしアンタもそういう病気になったら、私はもっと自己嫌悪が酷くなる」
だから自分は心の病気にもなれないし、自殺もできない。もう死ぬしか助かる道はないと分かっているけれど、両親の死や自我崩壊など、更に大きな決め手ができるまで、自分は「死にたい」という気持ちを心に持ちながら、生きていくしか無いようだ。
知らなかった。
誰も教えてくれなかった。
現在24歳Fラン理系大学院生。2014年卒未だに無い内定。バイト歴なし。奨学金生活。
中学の頃は友人たちと共に学年TOP10の成績。そのまま地元の有力公立進学校へ進学。
しかし、高校1年春から早速落ちこぼれ、そのまま挽回する気力も無いまま3年間過ごし現在の大学へ。
中学からの友人達は国公立大へ進学する中、俺はFラン私立へ入学。学歴コンプを抱える。
周囲の同期たちを意味もなく見下しながら、講義を受け単位を取るが、ギリギリのC判定を量産。試験前もちょこっと勉強するだけ。来学期こそは、しっかり授業の復習を行い成績を上げようと誓うも毎回同じことの繰り返し。
規模の大きな学内の写真サークルに滑り込みで入り、埋もれながら隠れつつ何とか4年間を乗り切る。サークル内でそこそこ友人を得、一方学科の方では毎日一人で教室にて昼食に携帯片手にパンを頬張る。しかし、ノートの貸し借りをするくらいの友人はいた模様。
バイトはせず、最初の2年間は月3万円の仕送りで、後半の2年間は月5万円の奨学金で食費と交際費と雑費を賄う。家賃と光熱費と通信費は親が持ってくれた。
物欲というものがほぼ無いに等しかったため、苦しかったがなんとか生活出来た。家でもPCの前に居座り、読書したり映画鑑賞ということもほとんどなかった。
本当に、行きたいところもやりたいこともなかった。つまらない大学生活。
まああれだな。俺は甘いんだよな。
知らなかった。
誰も忠告してくれなかった。
趣味や楽しいことや生きがいすら、待っていれば来る物だと思っていた。
なんでお前らは知ってるんだよ?いつどこで教わったんだよ?なんでお前らはそんなに充実して楽しそうなんだよ?
俺は未熟で幼稚で24歳にして未だに社会に出る覚悟ができていない。