はてなキーワード: 小児性愛とは
基本的にわかりやすく書いていて良いと思うけど、争点の一つになりうるだろう性的同意年齢の話がスルーされてるので指摘する。
とサラッと書いてあるが、これは何の議論の余地もなく認められる部分ではないはずだ。
つまり「大人と子供の和姦は絶対に存在しない」とされてるから「ロリコンセックスは全て強姦とみなされるのだから、100パー人権侵害、よってロリコンはダメ」になっているのであって、それなら大人と子供の和姦が認められれば話は全然変わってくるわけだ。
ここで、何歳から和姦が成立するかという、性的同意年齢の話が出てくる。
実際のところ、性的同意年齢は選挙権や飲酒権や婚姻権と同じく、時代や地域によって変わるものである。決して絶対的なものではない。
「時代によって何がどこまで正常/異常に分類されるかはとても曖昧になっている」とか、「現代では~とされている」という迂遠な書き方の辺り、元増田もそれは分かっているのではないだろうか。
そしてたとえばの話、性的同意年齢が7歳からなどということになれば、10歳とセックスするのがサイコー、みたいなロリコンは、「お兄さん(お姉さん)とならセックスしたいよ」と平和裏に言ってもらえる限り人権侵害をせず10歳とセックスできるわけで、それならLGBTとまったく変わりはない立場になれる。
というかそもそもロリコンとか小児性愛者という区分ではなくなるのかもしれない。その人の性的な好みは全然変わっていないのに!
だから、性的同意年齢(やその類似概念)を幾つにするか、というのは争点になってもおかしくないのではないだろうか。
とか偉そうに語ってみたが、さっきWikipediaで調べて日本では性的同意年齢が13歳らしいと初めて知って「えっ、思ったより低いじゃん!」と驚いた。
一方で児童福祉法で「18歳未満は児童であり、児童に淫行を“させる”行為はダメ」とされてるらしく、また淫行条例で「単に自己の性的欲求を満たすことを目的にした18歳未満との性的行為は淫行条例で刑事罰」とかあるっぽくて5歳差って結構大きいし、そしてまた一方では14歳に「お兄さん大好き、セックスしよ!」って言われてセックスしたとしても絶対捕まるのが現実の処理だろうし、相当グラグラしてないですかね、ここ。
つーか、大人に対してレイプしないと興奮出来ない奴とかはまず認められないだろうし
レイプでないと興奮出来ない俺らの為にレイプフィクションをあちこちで自由に公開させろ
レイプ妄想を大声で話させろ実在の女にお前をレイプしたいと自由に言わせろ一切規制すんなという意見に賛同する奴はほぼ見かけないのに
なぜ小児性愛者はそういうのが山ほどいるのか
ゲイの中でも普通に小児性愛者は気持ち悪い&性犯罪者予備軍扱い
LGBTという広い範囲を指す語と、上記のようなのを同一視する方がおかしい
先日BBCの「若い小児性愛者の告白」という記事を読んで、色々と思うところがあった。これまで自分が考えてきた性的少数者の人権についての考えを整理するために、今回初めて増田として日記を書いてみようと思う。
「子供に手は出さない」 若い小児性愛者の告白 - BBCニュース
日本では、あらゆる人間には基本的人権が生まれながらに備わっている、という思想を憲法で表明している。今回の議論に関係がありそうなのは「平等権」「自由権」あたりだ。それぞれが意味するところはWikipediaでも読んでほしい
(なお、人権よりも別の規律が上位に来る国ではこの前提は成立しない。そのような状況は今回の議論の範疇ともしない。)
雑に説明すると、人間は誰しも生きる権利(生存権)があり、差別なく平等に扱われる権利(平等権)や、欲しいものを手に入れたり、やりたいことを自由にやってよい権利(自由権)がある。基本的には、これらの権利は最大限尊重されなければならない。
もちろん、この権利の運用には例外があって、それはある人の権利が他人の権利を侵害するケースだ。こういった場合は、より重要度が高い権利の方が保護され、重要度の低い権利は制限される。あるいは、場合によっては両者がバランスよく制限される場合もある。この権利の制限は必要最低限度でなければならない。
こういった訳で「人のものを盗んで自分の物にしたい」「他人を意のままに傷つけたり、命を奪いたい」「相手の同意なく暴力でセックスしたい」といった自由は、他人の権利を奪うため制限されるし、その決まりを守らなかった場合は罰則もある。当然ながら、こういった自由よりも、その自由によって侵害される他者の権利の方が、より保護する優先度が高いと考えられているためだ。
反対に、もし他人の権利を侵害していないのに、生存権・平等権・自由権などが制限されていたとしたら、これは是正されなければならない不当な権利の侵害と言える。もしそのような立場に置かれている人がいたら、彼らにはその不当さを訴え、本来正しい状態に是正してもらうよう主張する権利もある。
ここまでの話を端的に整理すると、次のようになる。……【前提A】
このため、ある権利の制限が正当なものか不当かであるかを判断するには、例外を規定した「2」の条件にあたるかどうかを検証すれば良いということになる。……【前提B】
性的少数者について特に問題となる概念として、自分が本能的に欲しいと感じる性の対象が何であるかを表す「性指向」と、自分がどういった性別の人格であるかを表す「性自認」がある。
「性指向」と「性自認」は「肉体的な性別と性自認が一致しており、かつ異性愛者である」という組み合わせが最も多い。この多数派の性指向・性自認の組み合わせから外れたパーソナリティを持っている場合、その人は性的少数者である。……【前提C】
この中でも、両性愛者やアセクシャルは比較的多数派の世界に溶け込みやすく、他の性的少数者に比べて存在が表面化しにくいとも言われている。
また、様々な理由からあまり性的少数者としては分類されにくい小児性愛、動物性愛、対物性愛といった性指向も存在する。
性的少数者の性指向や性自認を多数派と同じ状態になるように矯正しようとする試みが過去になされてきたが、成功しなかった。(多大なストレスで鬱になったり、自殺する場合もあった。)現在では性的少数者を根本的に矯正することは不可能と考えられている。
なお、なぜ性的少数者が生まれるのかについては、先天的と後天的両方の仮説がある。しかし、そのどちらかなのか、どちらのケースもありえるのかなども含め、原因は明らかになっていない。
このように、性指向は自分の意思によって変更できるものではなく、また、どういった原因によって性指向が決まるのかも明らかになっていない。……【前提D】
(ちなみに、性自認に肉体の方を適合させたり、半陰陽の人をどちらかの性別に寄せる、といった物理的なアプローチは可能である。)
特定の物・衣装や行為に興奮する(フェティシズムやSMプレイなど)などといった性癖と性指向は言葉の上では区別される。しかし、時代によって何がどこまで正常/異常に分類されるかはとても曖昧になっている。
そこで、今回の議論では、ある人の性的な興味を形づくる根幹的な事柄であれば、その内容を問わず性指向として尊重する立場をとる。……【前提E】
例として、異性愛者にとっては相手が異性であることは欠くことができない根幹的な事柄であるため、異性愛は性指向の一種であるとする。
また別の例として、ある男性がケモナーで、ある種の動物性愛的とも言えるポルノを好んでいたとしても、実際の恋愛では人間の女性と交際や結婚が可能な場合、必ずしも動物性愛が根幹をなしていないので、性指向としての動物性愛ではないと見なす。
逆に、もしこの男性にとって動物性愛が根幹を成しており、人間との交際や結婚が全く考えられない場合、彼は動物性愛の性指向を持っていると見なす。
性指向や性癖の内容を問わず、正常/異常、良い/悪いの価値判断は行わない。ただし、その性癖が他者の他者の権利を侵害せずには成立しないもの(プレイではなく実際のレイプ行為など)については制限が必要という立場をとる。
前提が長くなったが、ここから本題となる。
現行の社会の仕組みは性的な多数派を前提とした仕組みとなっており、本来多数派と同様に保障されていなければならない権利が制限されている。これを、多数派と同等のレベルにまで回復してほしいというのが、権利の是正を求めるLGBTたちの主張として共通していることである。
【前提A・B】に立ち戻ると、LGBTであっても可能な限り性的多数派と同等の権利が認められなければならないが、その権利が他者の権利を侵害する部分については制限しても良いということになる。
では、上記のような事柄を認めることによって、他者の権利が侵害される場合はとはどういうときだろう?
「同性愛者がはびこることによって、異性愛者がレイプされるかもしれない」
という懸念は不適当と言える。現状も異性愛者同士によるレイプ事件は起こっているし、同性愛者の権利を回復したとしても、同意なくレイプして良いという特権を認める訳ではない。もしそのような事件があれば適切に処罰されるだろう。
というのは認められない。単に嫌いだから、不快だから、見なれないからという理由だけでは権利を制限する根拠とはならないからだ。今まで生活していて、体臭が非常にキツかったり、顔立ちが全く気にいらなかったり、もの凄く性格が合わない不快な人と会ったこともあるだろうが、だからといって犯罪をしている訳でもない彼らから権利を剥奪して良いかというと、全く関係がないのは明らかだ。
「男性に見えるトランスジェンダーが女子トイレに入ったり、その逆が起こるのは嫌だ」
というのは議論の余地がある。男性から女性へのトランスジェンダーの人がありのままに生きたいという権利と、異性からトイレを見られたくないという権利が衝突しており、何らかの解決がなされるべきだろう。
最後の問題のように細かい部分では利害の調整が必要な部分はあるにせよ、大きく見れば、LGBTの権利を回復することによって、他者の権利が大きく侵害される場合というのは想像が難しい。【前提A・B】で説明した運用ルールから考えると、彼らの権利を回復しない積極的な根拠を挙げるのは難しい。
【前提C】の条件によるなら、小児性愛者は性的少数者として考えて差し支えないと思う(ただし、単に小児性愛的な嗜好を好むだけで、その人の性的興味の根幹を成していない場合は性癖の範疇とする。これも【前提E】のケモナーの例に同じ)。
LGBTの例と揃えると、小児性愛者の権利が多数派と同等な状態というのは、以下のようなものになるだろう。
LGBTと事情が異なるのは、現代では子どもと成人間の恋愛や性交渉が子どもの人権を侵害する行為とされている点である。
【前提B】を鑑みれば、これは権利を制限する十分な正当性があると見なせてしまう。同じ性的少数者でありながら、これほどまでに明暗が分かれてしまうのが悲劇的である。
という部分が認められることはほぼあり得ないだろう。
たしかに、子どもに対する直接の危害や、児童ポルノの製造は明確な犯罪行為であり、被害者の子どもの権利を侵害する行為である。そのような事件に対する世間の目はとても厳しい。
しかし【前提D】で述べたように、性指向は自分で選択できるものではなく、また、矯正が可能なものでもない。異性愛者や同性愛者がたまたまそう生まれてしまったのと同等に、小児性愛者もただそう生まれてしまっているだけだ。子どもと実際の恋愛やセックスに及ぶことはは制限せざるを得ないが、自身の性指向を社会から否定されながら生きたり、その性指向を理由にして社会的な差別を受けるいわれはない。
LGBTと違うのは、ただその性の対象を実際に得る自由がないというだけで、それ以外の部分においては本来同様の権利の回復が行われなければならないだろう。下へ、先ほどのLGBTの例と対応させてみる:
「小児性愛者がはびこることによって、子どもがレイプされるかもしれない」
という懸念は不当である。現状も異性愛者同士によるレイプ事件は起こっているし、小児性愛者の権利を回復したとしても、子どもに手を出してよいという特権を認める訳ではない。もしそのような事件があれば適切に処罰されるだろう。
というのは認められない。単に嫌いだから、不快だから、見なれないからという理由だけでは権利を制限する根拠とはならないからだ。今まで生活していて、体臭が非常にキツかったり、顔立ちが全く気にいらなかったり、もの凄く性格が合わない不快な人と会ったこともあるだろうが、だからといって犯罪をしている訳でもない彼らから権利を剥奪して良いかというと、全く関係がないのは明らかだ。
これが詭弁かどうかをよく考えてみてほしい。
それでは、理想的な小児性愛者と社会の関係とはどのようなものになるのだろう。
私は、同性愛者やトランスジェンダーであることが、効き手が左効きであることと同じくらい何でもないことになることが理想だと考えている。小児性愛者についてもそれくらい「ふーん、それは大変だね…。」と言えることになるくらいが良いと思う。
そして、この考え方は小児性愛者以外の理解を得られにくい性指向にも適用されるべきだ。
LGBTですら権利の回復がままならない状況で、小児性愛者の権利回復までは遠い道のりと言わざるを得ない。また、具体的に小児性愛者と社会の間でどういった適切な関係がありえるかもまだ分からないところがたくさんある。それは、特にポルノの扱いについてだろう。
言うまでもなく、世の中では犯罪と直結したイメージを持たれやすいことだ。このことを危惧してか、本質的に同じ問題があるにも関わらず、私が知る限り小児性愛者の権利回復を主張する団体は見たことがない。
また、この投稿でも前提が長くなっているように、問題を端的に説明できないことから、短絡的に児童への性犯罪を容認しているととも捉えられかねない危険があり、公に意見を主張することもまだ難しい。
しかし、LGBTと問題が同じである以上、いつかは必ず議論されなければならない。その意味でも、今回のBBCの記事はかなり先進的なものであると評価したい。
お読みいただきありがとうございます。僕自身はバイとゲイの間くらいのセクシャリティですが、ほとんど葛藤なく生きてこられてきました。ただ、周囲にはセクシャリティについて大きな自己否定感を経験した友人や知り合いも多いです。BBCの記事での独白が、そういった方の抱えていた気持ちとほとんど同じような内容に思えたのが、この投稿を書こうと思ったきっかけです。また、もしご自身の過去や、身近なところに児童の性犯罪被害を受けている方がいらっしゃった場合は不快かもしれず申し訳ございません。
児童に無理矢理性的な行為をしてしまう表現は小児性愛者全般がこのような行いを渇望している犯罪者予備軍と捉えられる恐れがある。
小児性愛者の偏見を無くすためにも歳の離れた者同士のエロ表現は純愛に限るべきである。
主にキリスト教圏の小児性愛と獣性愛即ギルティな基準を日本にも取り入れようという動きは大きい
日本ユニセフ協会の「準児童ポルノ」という造語まで作った「なくそう! 子どもポルノキャンペーン」がその一例である
弱肉強食って話なのか?
お前は俺みたいな願望を持った奴の権利が認められるべきだと思うの?
あったとしてせいぜい妄想する権利だし、それならすでに獲得しているものだろ?
自分は胸の大きな女性をハードになぶるのを想像するのが好きで、タイプの人とすれ違えばその人で妄想することもある。
だが胸の小さいMではない妻がいて、その妻とのイチャラブセックスでも十分満足できるし、
友人のロリコンマニアも、中学時代からの悪友で違法なのかギリギリグレーなのかよくわからないものを
学校に持ち込んで自慢していたやつなんだが、コイツが結婚したのはキツめの年上女だった。
性的嗜好とはあくまで好きなタイプや好きなセックスの仕方であって、それしか愛せないというものではないだろう。
それに想像の中では何をしても構わないし、大抵の人は人に言えないような妄想をしているだろ。
LGBTと違いペドフィリアの人の自由は今の社会から受け入れられる余地がない
LGBTと実質同じでしょ
同姓愛が認められつつある現代ですら
自分の性的嗜好/指向を行動に移すことが不可避的に他者危害となって
……
俺の女を獣姦させたり虫責めゲロ責めしたい嗜好が、実際にしなければ犯罪ではないのと同様に
(相手の同意があれば犯罪ではないと言われそうだが、俺は無理矢理犯したいんだ)
小児性愛それ自体はなんの犯罪性もない。自由に思っていればいいじゃないか。
小児性愛の自分はおかしいんじゃないかとか、周りの人に言えない苦悩みたいなのはわかるよ。
でも性的嗜好ってそういうものなんじゃないの?オープンに言える人の方が少なくないか?
それが現実社会にまで影響を及ぼすようならもちろん治療が必要で、それも何も小児性愛に限った話ではない。
俺がすれ違った女に自分の衝動を抑えられなくなりそうなら、そりゃ治療が必要だろう。
一方で性的指向はそういうのじゃないだろ。もっと根本的な「自分とは何か」というものに直結していること。
性的嗜好は数あるアイデンティティの構成要素の一つにはなっても、アイデンティティそのものではない。
未だにLGBTは性的嗜好だと思っている人が多い中で、必要な人権を守る法整備をすすめるためにも、
正直増田が色々な人に流されすぎで何がしたいのか、何が大事なのか読み取れなかった。好きな作品があるのもわかるし、腐的な見方をしたくない作品もあるし、なんでそんなに深刻に悩んでいるのかさっぱりわからない。自分の好きなものなら胸張って楽しんでいればいいんじゃないだろうか。
解釈違いを「地雷」扱いするのは私も嫌いだ。ストライクゾーンが違った、みたいな言い方をすればいいのになと思う。
でも、地雷地雷と楽しそうにしてる増田の嫌いな腐女子と、そんな腐女子をゴキブリ扱いする増田に何か違いはあるだろうか。同じ「解釈違い」だけれど。どうだろう。
とりあえず彼氏にしとけばいいやって腐女子はそれこそ観測範囲の違いでないだろうか。増田の色眼鏡である可能性が高い気もするが。
二次創作はとある作品を読んだ上で、その読者がこう解釈した、こんな関係があるといいなと行間を読み取って想像した結果のものだと思う。もちろん著作権から考えれば圧倒的にグレーだし、あまりに逸脱したものは著作者から警告が来るはずだ。
だが二次創作が人を引きずり込む力はなかなかのものだし、私自身二次創作から興味を持った作品がたくさんある。著作者なんかも見てみぬふりをしているだろうことが、ツイッターなどでよく見られる。二次創作の扱いが難しいのは言わずもがなだろう。
話がそれてしまったけれど、この感想やこの二次創作は不快だからやめてくださいと言い出す人間がいたら、多分笑ってそっちが叩かれるだろうと思う。もちろん創作上のモラルや表現の自由の間の葛藤などもあるのだが、それは今回は置いておく。
とある創作がある以上様々な感想があるのは当たり前だ。それを禁じるとつまらない世界になる。他者の楽しみ方にケチをつけるのは不粋だろう。これも犯罪や小児性愛などの話は割愛するが。
さて、それを踏まえて。何故男性同性愛ものだけがいつもネタ扱いで、腐女子は隠れなくてはいけないのだろうか。百合や百合男子は隠れてください、というのは聞いたこと、見たことあるかな?男性同性愛は隠れなくてはいけなくて、女性同性愛はそうでない?何故?百合も隠れろと言っているのではないよ。
海外だと俳優本人や公式アカウントが同性愛二次創作を楽しげに自分で紹介しているのを見る。何故かというと、それを否定したり嫌だ気持ち悪いと拒否したりすると、同性愛者を傷つける可能性があると彼らはわかっているから。これもやり過ぎたり図に乗りすぎたりは正直どうかと思うけれどもね。
勝手にBL妄想するのは同性愛者たちに悪いという意見もある。私もそうだと思う。だけど異性愛は勝手にありとあらゆる妄想をされていても誰も気にとめていない。マジョリティとマイノリティの違いなども考えなくてはならないけれど。
ホモじゃない(あえてこの言葉を使います、ごめんなさい)、ブロマンスなんだ、もっと高尚な愛でうんたらかんたらというのもよく見かけるけど、ものすごくひどいこと言ってる自覚はあるのかなと不思議で仕方ない。高尚な愛って誰が判断するのだろうね。
属するコミュニティを変えると驚くほど楽になることがある。どうせマナーの悪いのはどうしようもない(何をマナーが悪いとみなすかはまた色々あるけれど)から楽な場所に流れるのがいいんだが、そうもいかないだろうというのもわかる。ハマるのは理屈じゃないから。増田も楽になれるといいね。増田を追いつめたいわけじゃないけれども、言わずにはいられなかった。
そのK氏の『G』に“煽る”ものがあったのか、っていうのを一番最初に書いたんだけどなあ。結構わちゃわちゃしてたけども
要するに
①表現の自由を語る以前に、まずそもそも『G』に小児性愛者を性犯罪に走らせるだけの原因というのが本当に存在したのか?
②男性向けエロ漫画にあるような「法や倫理を越えて性交渉に及んだけどハッピーエンド」のような性犯罪を肯定してくれるような内容ではなく、寧ろ陰惨な内容でその逆の趣が強かった
③エロ漫画とはいえ性犯罪に否定的な態度を取っている漫画を性犯罪の動機づけにするのは理に適っていないし、もっと自分の犯罪衝動を肯定してくれるようなエロ漫画は他にいくらでもあった
④ともすれば『G』が性犯罪を煽ったのではなく、もともと性犯罪を予定していた人間が動機づけに『G』を選んだと考えるほうが妥当ではないか
⑤そして①の命題が偽であるとすれば、『G』に今回の事件の根本原因があるわけでない以上、他の増田でやってるその先の表現の自由だとか規制だとかなんて議論はそもそもする必要が無いんじゃないか
ってことが言いたかった。
普通にスルーされちゃったからこれも単なる自己満になっちゃったけど
https://twitter.com/quzilaxxx/status/874688834381926401
犯人の男、放射能検査の手口以前にもわいせつな痴漢行為等何件もやっていたそうで、がいがぁをネットで見て思いついた方法は彼のバリエーションの一つでしかなく、今回110番通報されたのが放射能検査の手口だから目立ってるんだな、というのはある。
ってK氏のツイートもあるし、多分実際も自分のとそんなに遠くはないと思う(めちゃくちゃ今更だけどこれKじゃなくてQやんけ)
たしか作者本人は自分の漫画で救われたと思う人がいてくれたら幸いみたいなことをどこかで書いていたように思うのだけど、自分の漫画が実際に被害者を生んでしまったことについてはどう受け止めているんだろう。100人の小児性愛者を救っても1人の幼女を地獄に突き落としてたら意味ないじゃん。
もともとこういうのはこれからは描かないつもりだったとのことだけど。
本人がどう感じたかは http://lastline.hatenablog.com/entry/2017/06/15/155504 にまとまってた。
イスラム教徒を全員国外追放して入国させなければイスラム教徒によるテロなんて起こらない。精神病患者を片っ端から逮捕して僻地の収容所に放り込めば精神病患者による凶悪事件なんて起こらない。粗暴な子供を早めに「処分」しておけば少年犯罪も防げるかもしれないし、ロリペドを殺して回れば少なくともガチのロリペドによる犯罪なんて起きないかもしれない。
でも、そんな社会は間違っている。この社会では、実際にその人が何をしたかが問題にされるべきだ。テロをしてないイスラム教徒の入国が拒否されるのはおかしい。人を傷つけてない精神病患者が予防拘禁されるのはおかしい。それと同様に、子供に手を出さない小児性愛者がまるで犯罪者であるかのように扱われるのはおかしい。これはそういう話でしょ。
性犯罪者は、性癖ではなく、手を出したことによって処分されるべきだ。被害者は本当に気の毒だと思うし、その立場からは、こいつをもっと早く捕まえておいてくれたら、と願うのも当然だろうけれど、それでも究極的には、私たちは自由主義という原則を捨てるべきじゃないと思う。
そういう暴力的な劣情を普段から非難してないと、「性癖は人それぞれ」と認められているからこれは行ってもいいことだ、と勘違いされかねない。
まあ、そういう意味で、「実際にこの漫画に描かれていることをやったら犯罪なので絶対に真似しないでください」という注意書きは必要だろうと思うよ。こういうのがちゃんとガイドラインで徹底されるようになるといいね。
小児性愛者やレイプでしか抜けない人を「認めろ」って、彼らの欲望をそのまま叶えてやれって意味じゃないよね。
実際の性暴力に手を出さない限り、差別されたり迫害されたりせず、「まあ、性癖は人それぞれだからね」で流してもらえる、好きなものを(それが実際の人権侵害に関わっていない限り)規制されない、って、そこまで不当な要求とは思わない。
実際の性暴力に手を出さない限り、といっているが、手を出された人間にとってはもう遅い、ってこと、わかんないかな?
そういう暴力的な劣情を普段から非難してないと、「性癖は人それぞれ」と認められているからこれは行ってもいいことだ、と勘違いされかねない。
今回の件で被害にあった子供にはもうこの議論すら遅すぎるんだ。
これを差別だというのか?