はてなキーワード: 小児性愛とは
男性向けエロ漫画にありがちな「男根で女性を屈服させ性の虜に」とか「法的にアウトな形で性交渉に及んだけど結果的には相思相愛でハッピーエンド」みたいな性犯罪を肯定的に捉える余地のあるような作品では全くないよね。
単に小児性愛者の欲求を満たしうるだけの性描写さえ描ければそれでいいはずのところを、そのままで終わらせず“性被害を受けた女児のその後の悲劇”をわざわざ結構なページ数を割いて生々しく描いているわけで。これは『現実世界の法や倫理を踏み越えて小児性愛の欲求を満たそうとした時どのような悲劇が起こりうるのか』という部分をかなり意識して読者側に提示しようとしている、という以外にはどう考えても読み取れない。実際、件の漫画を読んで胸クソが悪くならない人は男性・女性問わずかなり少ないらしい点から言ってもその意図が成功しているのは明らかだし、あれを読んで性犯罪を肯定するものと読んだ挙句「そうか、ガイガーカウンターを使えば女児と首尾よくセックス出来るんだ!」という考えに至る人はさらに少ないだろうと思う。
だから個人的には表現規制うんぬん以前に、“あれほど性犯罪に否定的なメッセージを持っているエロ漫画の模倣犯罪をしようとするような人間なら、そもそも『G』という作品が存在しようとしなかろうと現実世界にも適用し得る何かしらの創作作品を持ち出して性犯罪を起こしていたんじゃないか”と思う。さらに言うなら埼玉県警が著者の自宅に行って「現実でやったら犯罪ですって注意書きとか入れて」って話をしたっていうのも“あれを読んで性犯罪をしようとするような人間は注意書きなんか書いたところでやめようとは思ってくれないんじゃないか”とも。
もちろん当の逮捕者がどういう人物でどういう考えのもとにあれをやったのかはまだ完全には解明されていないし、表現規制がどうこうの個々の意見にまで口を挟む気はないけど、そもそもこの事件はそんなに一般化して表現規制とかエロ漫画の倫理とかについてあれこれ語ることのできる事件なのか?って、思う
なんでそう極論に振れるのかな。
しかし、ロリコンショタコンには他のマイノリティにはあまりない特徴がある。それは、欲そのものが暴力性を孕んでいるということだ。
異性愛者であっても同性愛者であっても、お互いの同意なしにセックスするのは当然レイプである。
そして子供相手には、性的同意などどうあがいても取れない。なぜなら未熟な子供はそれを理解していないからだ。
だから、ロリコンショタコンがその欲望を果たすというのはレイプ以外になるはずもなく、当然暴力なのである。
同時に、真っ当に大人が性の対象であっても、同意のないセックスにしか興奮しない性癖はやはり暴力であることは注意が必要である。
小児性愛者やレイプでしか抜けない人を「認めろ」って、彼らの欲望をそのまま叶えてやれって意味じゃないよね。
実際の性暴力に手を出さない限り、差別されたり迫害されたりせず、「まあ、性癖は人それぞれだからね」で流してもらえる、好きなものを(それが実際の人権侵害に関わっていない限り)規制されない、って、そこまで不当な要求とは思わない。
これすら認めないってどんだけ狭量な社会?
実際に子供とセックスしたり他人をレイプしたりしたら捕まるのは当たり前で、それは小児性愛者だろうが異性愛者だろうが同性愛者だろうが変わらない。人権侵害をして作られたコンテンツが取り締まられるのも当然のこと。他者危害を認めないという最低限のラインは、小児性愛者その他暴力的なセクシュアリティを持って生まれた人への差別をすることなく設定できるよね。
twitterの @raurublock っていう人の発言、説得力ある場合もあるんだけど、だいたい論理が飛躍してるんだよね。
「Xだから、したがってYになる。だからこれを前提として~」って論理を展開していくのだが、「そもそもなぜXがYになるのか」について説明がない。
蓋然性のあるX→Yについては別にいいんだけど、そうじゃないX→Yを前提に持ってきた話については、何いってんだこいつ?ってなる。俺の知識量が不足してるだけかも知れないけど。
たとえば「1+1=2であるから、1+1+1+1=4である」とかならわかる。
しかし彼は時々「ビルは肉じゃがであるから、ピラミッドは食べることができる」みたいなの論理の飛躍をするんだよね。
ちょっとそれどういうこと? お前は何を言っているんだ。ってなる。
たとえばこれ
要約すると「コミュ力が低いヤツは小児性愛を好む」とか「愛のないセックスはペドフィリア」みたいな感じだけど、なぜそうなる?っていう。
容疑者の母は自らトラックの運転なども行う威勢のいい性格で、恰幅もよかったという。だが、「自分の思い通りにいかないとすぐに怒鳴り散らす。親族や近所の人は露骨に避けていた」(母親の知人)ともいわれる。精神科医の片田珠美氏は、家庭環境に小児性愛の源流があった可能性を指摘する。
「母親に代表される年上の女性に恐怖心を抱いたことで、自分より立場が弱く、絶対的に従属させられる幼い女の子を求めるようになった可能性も否定できません」
「ぱっと思い起こすのは、とにかく体が大きかったということ。横幅もかなりあったから、澁谷とデブを合わせて『澁デブ』って呼ばれてましたね。体形のことをからかう奴もいて、机に突っ伏して泣いているのを見かけたこともあります」
澁谷容疑者のものと思われるSNSには、《いじめにあった為、人間不信なところがある》と綴られていた。
中学校に上がると、最初は野球部に。その後、体格のよさを買われて柔道部に移った。この頃から、容疑者の「嗜好」が少しずつ顔を出すようになる。
「アニメやマンガに没頭することがあって、特に小さい女の子が出てくるのを好んでいました。まだ中学生だったので、周囲は“おまえ、なんだよそれ~”って冷やかしたりしていた程度だったんですが…」(中学の同級生)
「オタクな感じで、同じ趣味を持つようないつも決まった4人くらいで一緒にいました。ロリータ系とか、小さい女の子が出てくるロリコンっぽいマンガを読んで盛り上がっていて、クラスの女子のほとんどが“気持ち悪い。かかわりたくない”と感じていたと思います」(高校の同級生)
実際のところ、例えばペドフィリアとか、ロリコンとか、動物性愛とか、ネクロフィリアとかは差別してるよね。
どういうとこでその差をつけてるの?
「自分が許せるかどうか、気持ち悪いと思わないかどうか」「社会一般的にそれなりの多数かどうか」レベルの判断しかしてないんじゃないの?
たまたま、LGBTはそれなりの数が居て、自分が気持ち悪くない程度の「度合い」でしかないから「赦してあげてる」だけなんでしょ?
小児性愛でしか性的興奮できない人の悲哀について考えたことは?自分がその立場だったらどうすればいいのか、ってことを想像したことすらないでしょう。
こないだの大阪府の「同性愛者に養子を」ってニュースに拍手喝采送ってたのはものすごく滑稽だった。
「俺たちの思いが伝わってる~」って、完全にオナニーやんけ。気持ち悪すぎるw
どうせ「子どもなどの判断や抵抗ができない対象を性愛対象にするなんてありえない」ってんでしょう。ましてや、「小児性愛は精神的にビョーキだから適切な治療が待たれる」くらいの気持ちでしょ?その理屈なら同性愛だって病気扱いできるだろ。
抜き書きを探して読み返したら、
「小児わいせつで起訴された人が、行動的にも情緒的にもペドフィリア以外になんらかの深刻で明白な問題を表すことはまれである。
臨床診断がされた場合、器質性の脳症候群(損傷)または知的障害があるが〔ママ〕ことが最も多いが、これらはペドフィリア全体でみるとわずかである。
ペドフィリアと露出症は、高齢で動脈硬化症を持つ男性によって行なわれる最も一般的な性犯罪であるので、器質性の脳症候群という分類は意外なものではない。」(416頁)
とあった。
学習による説明はマスターベーション条件づけを用いた理論的なものだった。
マスターベーション条件づけ自体は強力で実証されているとある。
自分のその特徴を変えたいと思う人が、
実際に変えられるかもしれないから。
http://www.vice.com/en_uk/read/have-cartoons-legitimised-paedophilia-in-japan
これ読んだ。
ブコメの中に、小児性愛が生得的で不可変なのか、自分より弱いものへの支配欲が元になってるんじゃないかと指摘してる人がいるが、そんなこと関係ないのだと強く主張したい。
あなたは、ムカつく相手を殴りたいと思ったことはある? 殺したいと思ったことは? すれ違う異性に多少の性的興奮を覚えたことは?
いずれもその欲求を直接的に実現しようとすれば犯罪だけど、そうじゃない、そうしなかった、のであればそれは「そうしたい」と思うと同時に「そうしたくない」思いもあったからじゃないの?
たとえ小児性愛的欲求があったとしたって、それと同時にそれをしたくないという思いがあり、それを直接的な形で実現するつもりがないのであれば、社会的な弾圧とかやめて欲しい。