はてなキーワード: 家族計画とは
俺は童貞だけどコンドーム使うとオナホ洗わなくていいよって聞いてコンドーム使ってみたんだけどローションナシだと一瞬で破れるね。
結局ローション使うなら洗わないとカピカピになるから洗わないと駄目だと思う。
つうかローション使っても破けない?
俺は童貞だから問題ないけど普通にセックスしてる人たちはこの脆さに耐えられるの?
あと生のほうが気持ちいいって本当だわ。
出来の悪いオナホ使えばいいじゃんって言うかもだけど出来の悪いオナホの方がむしろ一瞬だけすごく気持ちよくなりやすくて突然イクから駄目なんだよね。
失敗したら家族計画一瞬で壊れるのに。
試しに二重にしたらマジであっさり破けて笑っちゃった。
これもう駄目でしょ。
もうピル使うしかねえけど女ばっかりすく背負うのもよくねえだろ。
無精子症があるなら作れるだろ。
( anond:20210805095803 の続きです)
rag_enさんはこの「社会的コンセンサス」についても言及されていたので、少し補足します。上の社会的コンセンサスというのは、あくまで「現在の社会において」そうなっていると考えられているだけであって、時代の変化、社会情勢の変化とともに変容していく可能性は十分にあります(それがrag_enさんの期待している方向に進むかどうかは別ですけど)。本多議員の件で話題になった「性交同意年齢の引き上げ」という政策議論も、社会的コンセンサスの変化を受けつつ、議論を通じて再帰的にそれに影響を与えていくものだと言えるでしょう。
別の分野で言えば、たとえば夫婦別姓制度に関する議論でも、与党の一部議員やその他の反対派は「国民的なコンセンサスが醸成されていないから認めるべきでない」と言っています。これは裏を返せば、夫婦別姓制度に反対する人々も、世論の盛り上がりによって「国民的コンセンサスが醸成された」と認めざるを得ない状況に到れば、それに応じた立法措置を取ることはやぶさかでない、ということですよね。ですから、rag_enさんの以下の文章:
問題は、真っ当な理屈がないにも関わらず、それがさも普遍で不変の常識(≒“社会的コンセンサス”)であるかの様に鎮座する事であって、まさにその問題点そのもの
の中で、「普遍で不変の常識(≒“社会的コンセンサス”)」という風に〈普遍で不変の常識〉と〈社会的コンセンサス〉をニアリーイコールの記号で結ばれているのは、とても奇異なことに感じます。ここで再確認したいのですが、rag_enさんにとって「コンセンサス」というのは「普遍で不変の常識」のことなんでしょうか。でしたら、私達が日常的に使う「コンセンサスを取る」とか「コンセンサスが醸成される」というのはどういう意味だとお考えなんでしょうか。自分は、社会的合意の形成というのは社会環境や集団意識の変化を受けて継続的に進んでゆく動的なプロセスだと思っていますが、rag_enさんにとっては、それは一度確定したら揺らぐことのない、普遍的で変化しない常識なんでしょうか。
さすがにそんなはずはないよな、と思って繰り返し考えていたのですが、もしかしてrag_enさん、先の増田をお読みになったときに、「コンセンサス」を「コモンセンス」と読み違えられていたのではないですか?(それなら話の辻褄が合いますので。)もしそういう単純な読み違いだったのなら、本件についてはこれ以上書きませんので、そうおっしゃってください。
そして妊娠。多くの未成年女子が正しい避妊の知識を持っておらず、また力関係的に性行為の場で避妊を求めることができず、その結果として性的交際により妊娠しています。未成年の人工妊娠中絶数は、2014年の厚労省データで約18,000件/年です。https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1610/19/news017.html このように未成年で中絶に到る妊娠が突出して多いのは、妊娠リスクに関する未成年の判断力の未熟さの傍証だといえるでしょう。
と書きました。それに対してrag_enさんは、厚労省資料の「人工中絶件数及び実施率の年次推移」を引用しつつ、以下のように書かれています。
中絶に関して言えば以下の通りで(表)成人の方が圧倒的に多いですよね、と。『中絶=判断力の無さ』という基準を採用するなら、成人の方が判断力が無いという結論になりますよね、と。更に言うと、約1万ウン千件の中絶未成年と言っても、そのうち18・19歳が2014年で6割強、2017年で7割弱、15歳未満なんて約1.5%なわけです。
件数で言えば、未成年のそれはおおよそ40~44歳と同程度です。実施率では未成年の方が多くなりますが、19歳を抜けば(つまり18歳以下)40~44歳とやはり同程度です(2017年)。“未成年で中絶に到る妊娠が突出して多い”とはいったい…?
rag_enさんが引用された資料は、その年齢コホートの女性人口全体における中絶件数や中絶率を示していますね。そして、その数字が「成人の方が圧倒的に多い」「件数で言えば、未成年のそれはおおよそ40~44歳と同程度」と仰っています。ところでrag_enさんは、自分が元増田で「中絶が突出して多い」ではなく「中絶に到る妊娠が突出して多い」と書いた理由がおわかりになりますでしょうか。元増田では、リンク先記事を読めば当然理解できることだと思って逐一引用はしませんでしたが、上記記述の裏付けになるのは、リンク先記事の以下の部分です。
「厚生労働省・衛生行政報告例 2014」によれば、2014年の10代の人工妊娠中絶件数は1万7854件。一方、10代の出生数は1万3011人(うち43人は14歳以下の母からの出生)である。つまり、陽の目を見ずに死んでしまう子の方が、陽の目を見る子より約5000人も多い。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1610/19/news017_2.html
自然流産などを除いて「出生」と「中絶」だけの比率で考えれば、10代の妊娠のうち57.8%が、出生ではなく人工妊娠中絶を選んでいるということです。自分はこの部分を指して「未成年で中絶に到る妊娠が突出して多い」と言っています。
一方、rag_enさんは先ほどの表を用いて「件数」の比較をされていますが、これはあくまで年齢人口あたりの人工中絶件数と実施率のデータなので、それぞれの年齢コホートで性行為を経験している人の比率も、性行為の頻度も、妊娠数も、出生数も、わかりません。「中絶に到る妊娠」が全ての妊娠のうちどれぐらいの割合を占めているのかも、それが20代未満と20代以上でどちらの方が多いのかも、わかりません。ですので、rag_enさんがお示しになったデータは、「未成年で中絶に到る妊娠が突出して多い」という自分の記述への反証にはなっていないと思います。
(rag_enさんはクラミジア感染率に言及した箇所で「未成年妊婦の感染率の高さについては、恐らく成人と未成年とでは妊婦の絶対数に差がある、つまり『分母』の差があるだろうという事を考慮すべきです」とおっしゃっていて、この「分母」の圧倒的な差についてはご理解されているはずなので、中絶件数の部分で「分母」の話をされずに絶対数の話だけをしているのは何だか変な感じがしますが、まあそれはよしとしましょう)
では、どうすれば10代において「中絶に到る妊娠が突出して多い」かどうかを検討できるでしょうか。衛生行政報告例の「母体保護」の項目でわからない出生数は、人口動態統計を見ると確認できます。以下、最新の人口動態統計の「第4表 母の年齢(5歳階級)・出生順位別にみた出生数」を見ると、2019年には母親が19歳以下の出生数は7782人、母親が20〜29歳の出生数は293725人でした。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei19/dl/08_h4.pdf
これを、rag_enさんも引用されている衛生行政報告例の最新版と突合してみます。2019年には、母親が19歳以下の中絶件数は12678件、母親が20〜29歳の中絶件数は71197件でした。それぞれの年齢コホートの中絶数を、「分母」(出生数+中絶数)で除してざっとの「中絶率」を計算すると、母親が19歳以下の中絶率は62.0%、母親が20〜29歳の中絶率は19.5%と、実に3倍以上が中絶をしています。この方法だと自然流産のように「人工妊娠中絶でも出生でもない数」が抜けてしまいますが、全体的な傾向を掴むにはこれで十分でしょう。データの読み違えがないよう、同じ2019年の衛生行政報告例を元にした、日本家族計画協会のソースを以下に示します。
厚生労働省が2月18日に公表した令和元年度衛生行政報告例によると、人工妊娠中絶件数は15万6430件で前年度比5311件、3.3%減であった。45〜49歳を除く年齢階級で減少が見られた。人工妊娠中絶実施率(15〜49歳女子人口千対)は6.2で、前年度から0.2低下し、過去最低を更新。19歳以下では4.7から4.5に低下した。
出生数に中絶数を加えた妊娠数中の中絶割合は、15.3%(前年度15.0%)となり、なかでも14歳以下は82.3%、15〜19歳は61.7%、45〜49歳は46.8%と高い割合を示した(令和元年人口動態統計、令和元年度衛生行政報告例をもとに算出)。
https://www.jfpa.or.jp/kazokutokenko/topics/001066.html
自分の計算と同じく、10代未満は60%を超える中絶割合を示しています。これを踏まえれば、「未成年で中絶に到る妊娠が突出して多いのは、妊娠リスクに関する未成年の判断力の未熟さの傍証」の、少なくとも前半部分については、ご納得いただけるのではないでしょうか。もしrag_enさんに、後半部分について「妊娠リスクに関する未成年の判断力の未熟さ」以外の要因によるものだ、というご主張があるなら、それは傾聴したいと思いますし、その要因が先のパターナリズム的論理によって保護すべき問題かどうかという点も、自分の気が向けばご一緒に考えてみたいと思います。
他にも細かいことはいくつかありますが、上の3点に比べれば枝葉末節の類だと思いますので、これぐらいにします。それではまた。
タイトルこう書いちゃいましたが、実際は「書け書け」とは言われてはいませんでした。正確にはこんな感じでしたね。
それ(いっぱい書けましたね!というmuchonovのコメント)は「もう反論できません」「私(muchonovさん)の主張が全面的に間違いでした」という宣言なのですか?その事実さえ明確にして頂ければもう結構なので。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4706376774348735330/comment/rag_en
という言われまして、当方はblogで書かれたのならコメント欄で返答するのがいいかなあと思って
https://b.hatena.ne.jp/entry/4706377186128935426/comment/muchonov
とお返事したところ:
ブログでもお得意(?)の増田でも好きな所で書けばよいのでは?別に強制はしませんが。少なくとも今はmuchonovさんの主張が間違いだという事実があるだけなので。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4706379101148530466/comment/rag_en
と言われたので、増田に書きました。「少なくとも今はmuchonovさんの主張が間違いだという事実があるだけなので」という表現は、正直意味がよくわかりませんけども、「反論を書かないなら主張が全面的に間違いだということを認めるのですね、それが事実として確定しますよ」と、何らかの形で反論を促すニュアンスなのかなと思いました。よく考えてみると、rag_enさんの中でそれが確定することで自分が何か困るというわけでもないんですが、もしかして「パターナリズム」や「社会的コンセンサス」などについてrag_enさん側に誤認や取り違えがあったのであれば、そこは老婆心ながらお伝えして誤解を解いたほうがrag_enさんにとってもプラスかもしれないし、自分の側に何か見落としや理解不足の点があるならそこはご指摘いただくのも悪くないということで、つらつら書かせていただきました。
辛くて吐き出し
これは別に危ない思考になっている訳ではなくて、ちゃんと生きるし道も間違えるつもりもない。
でも真面目に思うんだけど、感情がなくなる薬が切実に欲しくて色々探してしまう。あくまで健全、合法的なの。
生きる上で避けては通れない怖いものに対して後天的に怖くなくなるなら生きやすいし、もっと生きようと思える。
理不尽に怒られるコト、虫、注射、雷。この四つだけ、せめて最初の二つだけ、もう虫だけでも良いから、これらに対する恐怖の感情を完全に無にしたい。ただの虫じゃんという人が多数かもしれない。そんなことに恐怖症なんていっていいのかわからないけど、とにかく怖くて怖くて駄目なんです。終わりにしたいくらいに駄目なんです。
私がもう終わりにしたいと思うのはこれらが原因だし、それらに打ち勝ってでも、なんて思ったのは好きな作品と出会ってからだからまだ頑張ってたけど、その最後を見届けるのにいつまで頑張れば良いかわからないのが最近しんどい。好きなことはある。やりたいこともある。でも、今はそれを上回るくらい怖いに対してが辛くなってしまって困る。
まだやりたいけど、怖い思い乗り切らなきゃ駄目で、生きてる限り付いて回るならなんて挫けそうになる。
怖いをなくしたい。怖いと対峙しなきゃならなくなった瞬間、戦わずして逃げて終わりにして楽になりたくなる。
趣味もそうだけど、実は一番は産まれて育ててもらってしまったので、私を二十(以降家を出て就職したので二十年分)まで生かすのに使わせてしまったお金に対しての借金がまだ少しあるから逃げ出せないけど、こっちだってもう逃げたもの勝ちなのでは?なんて無責任なことまで考え出してしまう。
家族思いな人からすれば私は最低で、というかそれが当たり前なのかもしれないし、お子様いらっしゃる方なんて特にお前はなに言ってんだ恩知らずの親不孝ものって感じだろうけど、私は家族計画的に予定外の子なので、誰が育ててやったと思ってるんだとか、お腹痛めて産んで頑張って世話してやったのに、なんて言われても、予定外と言われている身からすれば頼んでないしおろすなりどっかにやるなり選択出来た筈なんだから自分等のミスを押し付けないで欲しいなんて思ってしまう。最低ですみません。
それでもやっぱりそれは駄目なのだと叩き込まれているし、頑張れば予定外でも良かったと思って好きになってもらえるかもしれないから頑張りたい。でも最近は頑張った先に本当に意味があるのかわからなくなってきた。
こんな風に生きなきゃいけない理由が根付いて取れないから薬物に手を出す人がいるんだろうな、と最近思う。それぞれだけど、そうやって行き着いてしまった人は逃げずに生きようと選択した人なんだ。薬物は駄目絶対!だけど、そこまで行っても生きるためにそれ選択したんだと。逃げて終わりにしたい自分とは違う。
でも私がそれを選択しないのは、依存や体が壊れる云々より、怖いが増幅する可能性がもう怖いから。夢に怖いの出てきたら嫌だからなんて情けない理由。
でもどうにか怖いの感情をなくしたくて、そうじゃないとこの先ずっと怖いの苦しいし、どうしようどうしようと今も眠れない。あと数時間後には仕事に行かないといけないのに。
実は合法的にこんな薬や方法、選ぶにはきっと最終手段だけど、実は手術もあるんだよって知ってる方居たら教えてください。まだ生きて働かないといけないので、お願いします。
辛くて吐き出し
これは別に危ない思考になっている訳ではなくて、ちゃんと生きるし道も間違えるつもりもない。
でも真面目に思うんだけど、感情がなくなる薬が切実に欲しくて色々探してしまう。あくまで健全、合法的なの。
生きる上で避けては通れない怖いものに対して後天的に怖くなくなるなら生きやすいし、もっと生きようと思える。
理不尽に怒られるコト、虫、注射、雷。この四つだけ、せめて最初の二つだけ、もう虫だけでも良いから、これらに対する恐怖の感情を完全に無にしたい。ただの虫じゃんという人が多数かもしれない。そんな()恐怖症なんていっていいのかわからないけど、とにかく怖くて怖くて駄目なんです。
私がもうやめたいと思うのはこれらが原因だし、それらに打ち勝ってでも、なんて思ったのは好きな作品と出会ってからだからまだ頑張ってたけど、その最後を見届けるのにいつまで頑張れば良いかわからないのが最近しんどい。好きなことはある。やりたいこともある。でも、今はそれを上回るくらい怖いに対してが辛くなってしまって困る。
まだやりたいけど、怖い思い乗り切らなきゃ駄目で、生きてる限り付いて回るならなんて挫けそうになる。
怖いをなくしたい。怖いと対峙しなきゃならなくなった瞬間、戦わずして逃げて終わりにして楽になりたくなる。
趣味もそうだけど、実は一番は産まれて育ててもらってしまったので、私を二十(以降家を出て就職したので二十年分)まで生かすのに使わせてしまったお金に対しての借金がまだ少しあるから逃げ出せないけど、こっちだってもう逃げたもの勝ちなのでは?なんて無責任なことまで考え出してしまう。
家族思いな人からすれば私は最低で、というかそれが当たり前なのかもしれないし、お子様いらっしゃる方なんて特にお前はなに言ってんだ恩知らずの親不孝ものって感じだろうけど、私は家族計画的に予定外の子なので、誰が育ててやったと思ってるんだとか、お腹痛めて産んで頑張って世話してやったのに、なんて言われても、予定外と言われている身からすれば頼んでないしおろすなりどっかにやるなり選択出来た筈なんだから自分等のミスを押し付けないで欲しいなんて思ってしまう。最低ですみません。
それでもやっぱりそれは駄目なのだと叩き込まれているし、頑張れば予定外でも良かったと思って好きになってもらえるかもしれないから頑張りたい。でも最近は頑張った先に本当に意味があるのかわからなくなってきた。
こんな風に生きなきゃいけない理由が根付いて取れないから薬物に手を出す人がいるんだろうな、と最近思う。それぞれだけど、そうやって行き着いてしまった人は逃げずに生きようと選択した人なんだ。薬物は駄目絶対!だけど、そこまで行っても生きるためにそれ選択したんだと。逃げて終わりにしたい自分とは違う。
でも私がそれを選択しないのは、依存や体が壊れる云々より、怖いが増幅する可能性がもう怖いから。夢に怖いの出てきたら嫌だからなんて情けない理由。
でもどうにか怖いの感情をなくしたくて、そうじゃないとこの先ずっと怖いの苦しいし、どうしようどうしようと今も眠れない。あと数時間後には仕事に行かないといけないのに。
実は合法的にこんな薬や方法、選ぶにはきっと最終手段だけど、実は手術もあるんだよって知ってる方居たら教えてください。まだ生きて働かないといけないので、お願いします。
自分の場合、自分には負担や責任が無理なので、結婚も無理だし孤独死上等なのでそれは構わんのだけど
それが本当なら、世の中がビッグダディ化してるんだろう
つまり、反知性的だったり貧困層だったりが家族計画もなく避妊もせず、
京アニ青葉の父親のように産ませてもほったらかしで下水料金も払ってない家に放置みたいな人が多数派になっていく
これから反知性がより多数派を占めるようになっていけば、政治も農業もロジスティクスも、あらゆるインフラが崩壊していく
パソコンやタブレット、ゲーム機は一部の知的階層が作ればいいので、それは維持されていくだろう
知的にも底辺層はゲームを消費するような、インテリやエリートの作った製品を消費することに底辺層は貢献はするだろう
しかし、あらゆる意味で中間レベルだった従事者が大幅に下落し、普段の生活、医療レベルとかは著しく低くなっていくだろう
医師のレベルは保たれていても、看護師は今より更に低学歴化が進み、医療事故が多発する
多分、この時代が中間層最後の時代で、ここから先は中間層が存在しない、トップとボトムの世界になっていく
上記のような医療事故や交通事故、あらゆる業態での事故が増えていく
長々と説明を聞かされるレンタカーと違ってカーシェアリングはスマホで利用5分前からワンタッチで完了するので
事前手続きとか無いに等しい。ただし、ある程度の都会にならないと近くにステーションがなくて車に乗るまでが大変とか、
近くにステーションが1つだけあっても土日の昼間は埋まってたりとかになるからいつでも使えるわけではない、とかになる。
(カーシェアリングで完結したいなら、引っ越しの時に近くのステーションを探しておくのがよい)
共用の車なのでさすがに無理。
ただ、経済的に余裕がない人に対して言うと、車を持つだけで月5万円ぐらい多く出費かかるわけなので
(通勤に車を使わず、週末だけ車を利用した場合にマイカーとカーシェアリングで比較した俺の差額の概算な。
当たり前だが平日毎日朝から晩まで通勤で使うぐらいの利用率ならマイカーの方が安くなる)
「思い立った時にいつでも乗れる」「荷物を入れっぱなしにできる」というだけのプレミアム特典に
はたして月5万円も払う価値があるかは考慮の余地があると思う。
車にしても新築戸建にしてもそれが価値に見合うときちんと理解してたらいいと思うが
結局コスパが悪い無駄遣いになってることが多くて、他に回せる金が減るわけだから
果たして本当にそれで死ぬまでのQOLが上がってるのか?って話だと思うぞ。
家も車も人生で3番目ぐらいまでに大きい買い物になるわけで、
そこを安く抑えるだけでその他のことにはるかに大きなお金が使えるようになる。
例えばさっきのカーシェアリングの場合、たまに使いたいときに時間借りしてる俺からしたら、
「いつでも乗れる」「荷物を入れっぱなしにできる」だけの特典に大体月5万の固定費を払ってるように見えるわけだ。
ぶっちゃけ実際に使ってみたら、そんな細かいことはちょっとの工夫でどうにでもなるし、
(ただし独身一人暮らしの意見。子供がいる場合は少し事情が違うとは思う)
その浮いた年間60万円で家事を減らしてくれるドラム式洗濯機やロボット掃除機を買うなり
子供や趣味、旅行に使うなりした方がよっぽどQOLが上がると思ってる。
生活環境変化のリスク(転勤、離婚、家族計画の変更、介護で親と同居することになった場合等)に対応できなかったり、
何も考えなかった人は長い間住んで家をどうにかしないといけなくなった時になって大損してることに気づいて
リソース配分の話は確かにあるよね。夫婦共に第一子として育ったけど、向こうは裕福で一人一人に向き合った繊細な育ち方を、こちらは貧乏で苦労があってもみんなで乗り越えよう!みたいな粗い育ち方をしてたのも関係あるかも。
ご飯の時は毎回家族揃っていただきますして分け合うのが当たり前文化だった私が、結婚後に大皿で副菜出したら、旦那は鳩が豆鉄砲食ったような顔してたなって今ふと思い出した。
私は子どもともそういう家庭を築くつもりでいたんだけど、旦那は旦那で、違う温かな家庭像があるのかもしれない(でも本音は結婚前に一緒に2人目キャピキャピしてないで本音をぶつけてほしかったよ…2人目を含んだ家族計画図だってお遊びでだけど描いてたのにさ)。
既に存在している我が子が一番なのは夫婦共に確かだし、少なくとも3〜4歳差以上とは思ってたから、我が子愛でながらもう少しゆっくり考えてみる。焦らずいきます。ありがとう。
高卒が望ましい。大学はただのモラトリアム。若くから働いて税金を納めること。
稼げる仕事につく必要はない。貧しくとも生活のために一生懸命働く姿が美しい。田舎者は地元で就職すること。
結婚は出来るだけ早くすること。晩婚や同性愛は非生産的。異性に対し選り好みせず、結婚した相手との生活の向上に努めること。遊びまわって家庭を持たないなど言語道断。子どもは最低でも2人、できれば3人以上作ること。
夫婦どちらかの両親と同居して、子育ての手伝いなどをしてもらうこと。親が老いてからは出来る限り自宅で介護すること。
田舎では特に、行政サービスの低下が見込まれることから、住民自らの手による地域のための活動が望まれる。近隣住民と助け合い、声を掛け合って生きること。
超少子高齢社会という国難に直面した今、国民一人一人が一丸となって国のためにはたらくことが大変重要です。自分一人が良ければ良いというような自己中心的な考えは捨て、みんなのために生きましょう。また、みなさんの周りの人が立派な模範国民になれるよう見守り、声かけなどのサポートを徹底しましょう。
自分はゲイで、体格がでかいくせに口調や仕草が柔らかいせいか、他人に違和感を持たれることが多い人生だった。
短髪マッチョとかではないんだけど、(あれこいつもしかして)って思われやすいキャラクターだったと思う。
さっさとカミングアウト出来たら自分自身は楽なんだけど、言われても反応に困るだろうし自分がゲイであることは隠して生きることにしていた。
怪しまれない程度にフェイクで恋愛の話・セックスの話をして、結婚や未来の家族計画についても聞かれれば答えていた。
3年の付き合いで旅行も一緒に行くくらい親密だった。
ある日本人たちから「もしかして増田って」と聞かれたので正直にゲイだと答えた。
その時は「やっぱり!早く言えよ〜。気使わせてごめんな」なんて逆に謝られた。
本当にいい友人・同僚を持てたと思って、その日はすごく満たされた気分だった。
でも、毎月ある部署全体の飲み会で、上記の同僚の仲の一人がこういった。
「みんな、増田に色々質問してみてよ。こいつちょっと訳ありだからw」
さっと血の気が引いて、心臓がばくばくいった。
引きつってごまかしたけど、そいつはそのまま続けて、でも巧妙に「増田はゲイ」という言葉を使わずに
でも確実に、それを部署全員に伝えた。
自分の顔はかなり引きつってたし、情けないけど半泣きだったと思う。
その反応で、なんとなく飲み会全体がシーンと変な空気になってしまった。
それでもそいつは、「増田はゲイ」であることを話題に、ずっと一人で笑ってた。
その日以降も出社しているし、あの日の飲み会のことは流して笑ってる。