はてなキーワード: 合憲とは
わたしは大学生で、4年生の今、入学した当初よりずっと政治的なことに関心を持つ人間が周りに増えた。
普段からわたしの周りのfacebookユーザーが自己陶酔しながら主義主張を声高に書くので少々うんざりしていたが、
アメリカの同性婚が合憲との判断を受け、始まった「アイコンレインボーブーム」に対してだいぶ鬱憤が溜まったので
(普段ブログなどを書かないので、文章が読みにくかったらごめんなさい。)
便宜上アイコンをレインボーにしている人をレインバーと呼ばせてもらう。
レインバーがfacebookに残した矛盾をスクショしてご丁寧にモザイクまでかけたのだが
匿名ダイアリーは写真を貼れないようなので自分で書き起こして再現する。
投稿に対してあまり関係のないコメントに関しては省く。それ以外は一切脚色しません。
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投稿者A
http://blogos.com/article/119305/
そしてこの絵中途半端なスマイルがセルフブランディングwしたアイコンて。。
まぁみんなが祝ってるから逆張りしたいかまってちゃんなやろな。。。哀れ
レインバーB
キモいすね。まぁよくTwitterで絡んでくる人みたいですね笑
レインバーC
祭りの外で誰にもかまってもらえず文句言ってるやつってクラスにも会社にもいますね。素直に話しかけてみればいいのに。
かろうじてレンバーではないD
気になったら調べなよw
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え、この人たち、同性愛者の方々が抵抗してきた「偏見」を再生産しているような。
中途半端なスマイルの人だったらだったらセルフブランディングしてはいけないのか。
「誰にも構ってもらえない人」というレッテル張り。
わたしは同性愛者ではないが、「同性婚合憲オメデトウッ!ヒューーー!!」と盛り上がってる
異性愛者のこの偏見に満ちたコメントは、LGBTに特に理解がない人たちにとっては
「同性愛者界隈ってやっぱ意味わからんわ」っていう認識につながらないのかな。
あくまで想像ですが、同性愛者の人たちもちょっと迷惑なのじゃないかな。
余談ですが、このうちの一人はわたしのfacebookでの友達で
反戦活動をしていて、それ関連の記事をものすごくシェアしてくるのですが、
その記事に見える写真は反戦デモをしながら中指を突き立てたり、
身を以て人間が暴力的に戦わずにはいられないことを証明してくれている。
元増田です。反応うれしいです。
ちょっと調子が悪くて、レスポンスがいい加減な点お許しください。
これが難しいんではないでしょうか。
ご自身でも
と書かれていますが、
提案の時点で半数が読めなくてもいい。
投票後に過半数はどっちだったか、それが国民の判断として採られればいいと思うのです。
「なんでもいいからとにかく一度変えようぜ」
ではなく、
ほらほら、ちゃんと議論しないと変わっちゃうぜ、という感じです。
今回の話は、改憲という手続きそのものについて語りたかったので、
(そうはいってもこれは左派のことだろう、というのはそうなんですが)
安保法案についての分類だけでも、挙げていただいた通りに広がります。
ただ、意思決定の順番として、
話が逸れました。
現実性のある改憲の提案と議論はもっとあるべきだと考えていて、
そういうわけで、
「憲法を変える手続きに反対をしている=護憲派」とざっくり定義した上で、
・「特定の条文を護りたい」人
「整理してほしい」の意図は、
この文章の中ではその単純化に乗ってほしい、というところにあり、
つまり「単純化の上で、どっちですか」という問いかけのつもりでした。
が、書き方がまずかったです。
「護憲派の整理が足りないのが悪い」と読まれたのだと思います。
と言われても仕方がないです。ごめんなさい。
例えば、自分でも書いている通り、
改憲に対する自分の考え方も「憲法の機能を維持するという点で護憲」だと思います。
けれども、そんなのを細かく分類していたら切りがないと思いました。
以上をふまえると、
を、
に改めるべきだと思いました。
これだから左翼はとか、ネトウヨはとか、もうたくさんなのです。
やりたい人同士で勝手にやりあっててください。
そんな話より、
合理的に突き詰めればこうなるよ、というのが見てみたかったのです。
それを好きに改変してほしいという出し方にしました。
思い通りに受け取ってもらうのはなかなか難しいですね。
文才のなさを痛感するし、レス打つだけで胃が縮む思いです。
(追記)
なんでわざわざこんな手の込んだ自演をしなきゃいけないんだw
書き始める前もずーーっと考えてたんだぞ!
もう二度とやんない。しんどすぎる。
百田氏と彼に乗っかった若手議員は相応の処分を受けるべきだと思うが、「民主主義の理念を根幹から否定」と言うなら、
先日の議事妨害を正当化した長妻代表代行もひとしく相応の処分を受けるべきなんでは?華麗にスルーされてるけど。
言うなればテロリスト宣言でしょ、野党第一党代表代行による。これがスキャンダルでなくて何なんだ。
結局、気に食わない勢力の主張や行動は強行採決であり数の暴力であり民主主義の否定であり、
それに反する勢力の主張や行動は民意や理念を反映したものとして正当化するっていうダブルスタンダードが諸悪の根源なんだよ。
たとえば、有り得ない仮定ではあるが、今回の安保法制に関する憲法学者の意見比率が合憲と違憲で正反対だったとしたら?
彼らの主張を錦の御旗のように掲げている人たちは、「違憲判定はわずか3人」と騒ぎ立てただろうか?
「最終的に決定を下すのは個々の憲法学者ではなく最高裁だ」と、まさに現在の与党が主張していることをそのまま主張したのではないか?
遺族補償年金の受給要件として、妻には年齢を問わないのに、夫は55歳以上と制限した地方公務員災害補償法の規定が、法の下の平等を定めた憲法14条に違反するかが争われた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は19日、男女差の規定を合憲と判断し、違憲・無効とした1審・大阪地裁判決を取り消した。
志田博文裁判長は「夫に比べ、妻は独力で生計を維持できない可能性が高く、男女差規定には合理性がある」と述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150619-00050100-yom-soci
ちなみに1審では次のような判断がなされた。
13年11月の1審判決は、共働き世帯が専業主婦世帯を上回るなど社会情勢の変化を重視。「性別で受給権を分けるのは不合理で差別的取り扱い」とし、男女差規定を初めて違憲とした。
遺族補償年金制度は、志田博文裁判長の言葉を借りると「働き手を亡くした利益の喪失を補い、遺族の生活を保護するのが目的」の制度である。
現在の法律では、遺族補償年金が受け取れるかどうかは年齢と性別によって次のように区分されている。
年齢 | 男性 | 女性 |
---|---|---|
〜54歳 | × | ○ |
55〜59歳 | △ | ○ |
60歳〜 | ○ | ○ |
ここで訴えを起こしているのは、当時51歳で自身は会社員として妻は中学校教諭として、共働きで生計を立てていたが、妻が亡くなってしまった男性。当事者の収入は明かされていない。
ここで注目すべきは「規則で男性は55歳以上でないと受給できない」として却下されたこと。
収入が十分にあるという理由で不支給になるのは分かるが、はなから性別で不当に差別されていることが問題である。
対して志田博文裁判長は、次の理由で「今日の社会情勢でも、妻は年齢を問わず独力で生計を維持するのは困難で、男女の受給要件を区別した規定は憲法に違反しない」と結論している。
とんでもない。非正規雇用や働いていない女性が「多い」というだけで、男性にも非正規雇用は存在する。ここで鑑みている「社会情勢」はあくまで平均値のことであって、個別に判断すべきことではないか。
上告で正しい判断に覆ることを祈る。
>「条文を決めるプロセスの正当性」と「日本国憲法が国民主権的及び民主主義的正統性を有しているか」と区別できていないのは、そちら。私は後者しか主張してない。
やっぱり区別できてないな
民主的なプロセスで決めてないならいくら内容が民主主義を肯定するものであろうと正統性を有していないということ
>しかし、プロセスが完全に民主的でなければ、憲法が正統性を有しない、ということはない。民主主義的な憲法ってのはだいたいゴタゴタしながら作っているのが世の常。
完全でないなら当然文句はつく。不完全でないものを文句がつかないと強弁したのはそちら。
世の中に人権侵害がたくさんあるからと言ってそれらが正当化されないようにいくらごたごたしながら作るところが多いからといってそれが正しいということにもならん。
>それなりに民主的なプロセスで作られ、それに基づき実際に民主主義な政府が成立し、国民主権が確立したなら、正統性としてはそれで十分。
お前がいくらそう思い込んでようと不完全だった以上文句はつくんだよ。安倍が合憲と思い込んでたって違憲になるのと同様にお前の主観は関係ない。
>それまでよりはよほど言論の自由がある状況で決めたのだから、正統性としてはそれで十分。
以前との比較でましになってるから正統性あるなら戦前だって大正デモクラシーで以前よりましになってたからそれで十分と言えてしまう。
安倍自民党に欠けているのは丁寧な法律的手続きであり、批判している野党に欠けているのは
日本が置かれている現在の状況の認識能力と安全保障に対する意識である。民主党などは
自民さえ攻撃できれば日本の安全保障などどうなってもいいと考えているわけで、
もし安倍が懇切丁寧に説明をしたところで聞き入れることはないだろう。
であるから自民党はこのまま数で押し切って法律を成立させるしか無い。
日本は、名分にこだわる振りをして与党の足を引っ張りたいという野党を無視をして実利を取ることになる。
反対だけしていれば議席が守られる日本の野党議員のレベルの低さが政治の足を引っ張っている。
本来国会で議論すべきは法案が合憲か違憲かではなくて現在及び将来の日本の安全保障であるべきで
必要であれば憲法を変更する議論も積極的に行われなければならない。
「こういうのも『人権軽視』の一種なのだろうな」(http://anond.hatelabo.jp/20141009224728)を書いた増田だが、参加者が増えたことによってますます流れが分かりにくくなってしまったな。
これは俺がうまく整理できなかったせいでもあるので、申し訳なく思っている。
もちろんギャラリーに対して、な。トラバ削除とトラバツリー汚しを繰り返して自らの醜態を隠蔽することしか頭にない相手方(http://anond.hatelabo.jp/20141010222658)に対しては軽蔑の感情しかない。
ちょっと考えてみたが、俺はこの記事で互いの主張の流れを要約・評価したうえで改めて出典を示し、以後はこの件に関して記事を書かないことにしようかと思う。
ただし、流れの追いやすさを維持したまま相手方の醜態を周知する方法が見つかれば新たに記事を書くかもしれない(良い方法があれば教えてほしい)。
その場合は、この記事に追記をする(つまり○○(新たな記事)を書いたのは俺である、とこの記事に追記する)方法で自分が新たに書いたものであることを示そうと思う。
1
俺が、前段で「表現の自由についてろくに知りもしない癖に偉そうに語っている(ように見える)連中を放置すべきではないのではないか」という趣旨を述べ、後段で「関係ないが」と断ったうえで、「人権も無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による制約を受けるということを知らない人も多いのだということをここ数年で気づかされた」という趣旨を述べた。
2
これに対して、相手方から「公共の福祉による制限は極めて厳格でなければならない」という趣旨のトラバがついた。
3
俺からの反論として、「俺は公共の福祉によれば簡単に人権を制約できるなどと考えているわけではない(実際最初の記事にそのようなことは一言も書いていない)ので、トラバは的外れである」ことを指摘するとともに、「人権を十把一絡げにして各権利の性質を考えることなく『制限は極めて厳格でなければならない』などと述べるのは人権論をまともに理解していないのではないか」という趣旨を述べた。
ここで少し補足しておくと、「表現の自由」は人権の中でも優越的な地位を占めるとされ、これに対する制約の合憲性を判断する際には厳格な基準によらねばならないとされる。このような理解が前提にあるので、人権一般について、「公共の福祉による制限は極めて厳格でなければならない」などと表現することは、法学をやっている者にとって非常に違和感がある。
4
相手方から「人権制約のうち表現の自由に関するものが争点なのにも関わらず人権制約と大きい枠組みに逸らしている」という趣旨のトラバがついた。
この時点で「3」のうち俺の「的外れである」との指摘については無視されているように思われる。
5
俺からの反論として、第一に「人権制約の話をするにあたっては予め『関係ない』と断っている」、第二に「『公共の福祉による制約を受けるということを知らない人も多い』という結論を導き出した根拠として、表現の自由に関連する最初の記事前段の2つのリンク先に限定せず、『それから数年、俺がネット上のいたる所で目撃してきた人権をめぐる議論の醜状』を挙げている」ことから、後段の人権制約に関する話の争点は「表現の自由」ではない(人権一般である)という趣旨を述べた。
6
相手方から、第一に「人権論が学問的営為であることの周知をすべきであることと公共の福祉によって人権が制約されうることの周知がなされていないこととは関係がある」、第二に「表現の自由に対する制約も人権制約であるから関係がある」という趣旨の「反論」がなされた。
このような流れをふまえれば、「6」が反論になっていないことは明らかだろう。
相手方は「4」で、「人権制約のうち表現の自由に関するものが争点」なのに「人権制約と大きい枠組みに逸らしている」と述べている。
これはつまり、一般的な人権制約ではなく、「表現の自由」が争点である旨を述べるものだ。
そして、これに対する反論として、俺は「5」を述べたものである。
http://togetter.com/li/729640
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/729640
どうしようもないな。
いつものことながら、こうも訳知り顔で「表現の自由」について語れる面の皮の厚さにはおそれいる。
おそらく、人権論が体系化された「学問」であるという意識がないんだろうな。
「人権」はさまざまに分類され、それぞれについていかなる範囲で保護されるべきか、ということが慎重に議論されている(大雑把な言い方だが)。
そうした事実を知らず、あるいは軽く考える人々を放置することは、「人権」を薄っぺらい理想論と捉え(議論の厚みを知らないだけなのに!)容易く切り捨てる風潮を蔓延らせることにつながるのではないか。
そうだとすれば、これも一種の「人権軽視」というべきだろう。
人権論の権威を高めるとは言わないまでも、学問的な営為であることを周知するためのなんらかの手当てが必要だと思う。
関係ないが、昔ある人と「公共の福祉」について話したことを思い出した。
そのとき俺は、「人権も無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による制約を受けるなどというのは誰でも知っている常識であって、皆それをふまえて議論している」という趣旨のことを述べ、相手は「いや、そのことを分かっていない人も結構多い」と応じたように記憶している。
それから数年、俺がネット上のいたる所で目撃してきた人権をめぐる議論の醜状は、相手が正しかったことを明らかに示していると言わざるを得ない。
Mさん、俺が間違ってました。
後段(「関係ないが」以降)だけを読めば、これはどう読んでも人権一般に対する制約の話であって、「表現の自由」に限定した話とは読めない。
しかし、前段と関連させて読んだ場合、後段についても「表現の自由」に限定した話と読む余地が出てくる(その場合相手方が「2」で「極めて厳格」との表現を用いたことは、不自然とは言えない)。
そこで、「そういう読み方はしないでくださいね。前段と後段はまったく別の話であって後段は人権一般に対する制約について言及したものですよ」と注意喚起するために(も)、俺は「関係ないが」と断っているのである。
したがって、相手方が「表現の自由に対する制約も人権制約の一種である」などと主張することには意味がない。相手方は、人権一般ではなく表現の自由が争点だと述べているのだから。
相手方が主張すべきは、後段のみでも表現の自由に限定した話と読めることなのである。
本件に関して意味ある主張のやりとりはこの程度であって、後は相手方が勝手に、
なお、俺がこの件に関して書いたのは、本記事及び出典中の奇数番号の記事のみである。
今後新たに記事を書くことがあれば、適宜追記していく。
集団的自衛権への世論の高まりを感じる昨今、ふと気がかりになったことがひとつ。
集団的自衛権が合憲とされ、自衛隊が戦地へ赴き銃を手に取ることになるとしよう。
必然的に自衛隊員が銃撃戦で敵兵を殺害することも十分考えられるだろう。
その場合、自衛隊という肩書きがために人殺しというレッテルを貼られることは予想されないだろうか。
何時ぞやのベトナム帰還兵のように。(ランボーとかディアハンターとかドライバーとか最近観たから特にそう思う)
特に日本においては帰還兵の受け皿となる場所は用意されてないだろう。
PTSDと社会の心無い中傷に耐えられなくなって自ら命を絶つ者が現れても不思議ではないと思う。
「黒人が人間だと考えることは不可能である。彼らを人間であると考えれば、我々がキリスト教徒でないことを認めざるをえなくなる。」
「法の盾、正義の名のもとに行われる暴虐ほどひどいものはない」
一つは両親から。
「分離すれど平等」の主義のもと、公共施設(特に鉄道)での黒人分離は人種差別に当たらないとし、これを合憲としたアメリカ合衆国の裁判。
7対1の賛成多数によって判決は下された。
アメリカの市民になることを可能としない、私たちと非常に異なる人種がいる。
[差別]公共施設(特に鉄道)での黒人分離は人種差別に当たらない。
[差別]今ここで人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!ウォレス
生まれながらの奴隷は他人の所有物となる能力を持ち、したがって現実に他人の所有物であって、知性のある者の言うことを理解する能力はあっても知性そのものは持っていないからです。アリストテレス