はてなキーワード: 不細工とは
学生時代のサークルの友達に会った。はっきり言っていじめられっ子だった。本人にも空気読めない部分とか発言にムカつくところがあるとか欠点はあったけど、主な原因はぶっちゃけ「デブ&不細工」だった。私は自分も大したご面相でなかったこともあって比較的普通に話していたけど、その時のサークルのメンバーで遊びに行くときとかは絶対誘わなかった。
もう20年以上前の話だし、今さらあの時の恨み言を言う気はなさそうだったけど、相変わらずの容姿とスタイルで、それでもあのサークルの活動に対する愛は深いので感心してしまった。本人はあれだけ居心地の悪い人間関係の中でも、4年間のサークル活動を全うしたことに誇りを持って生きているらしい。
罪悪感と懐かしさが半々の中、たまたま他に話す相手がいなかったこともあり、彼女の近況とか聞いてみた。でも結婚したかどうかには絶対に触れず、当時の姓で呼び、連絡先を交換した。今も学生時代と同じような活動を続けているらしい。違うのは就職して経済的余裕ができて、趣味に注ぎ込むお金が増えたことぐらいに見えた。
私は当時のサークル仲間での飲み会に参加したりしているから結構皆の近況を把握しているけど、彼女にはOB会とかのフォーマルな情報しか行かない。
これから彼女は何かと私に連絡を寄越すだろうか。当時の仲間だった女の子たちは結婚して子どもがいることが多く、なかなか集まりに顔を出さない。私にはもはや彼女に対する嫌悪感はあまりないけど、たぶん飲み会とかに誘ったら他の連中は嫌がるだろう。きっと社交辞令的な連絡先交換だったと思うけど、もし連絡が来たらどうしようか悩んでいる。
結局童貞そのものよりも童貞であることの原因となる状況、いわゆる不細工とか最低限のコミュニケーションがとれないとかそういうことをいじっているのか?
はあちゅうのことはよく知らないが彼女の言ってきた「童貞って……」の文脈は要するに「見た目キモいとか女とまともに話せもしないやつって……」って言ってるのと同等ってことでいいんだよな?
例えば"逃げ恥"(漫画もドラマも見てないが)のゆりちゃんとかいう人はめちゃモテ委員長だったが処女で閉経したらしいじゃん。
まあ性行為の経験がない点では処女なんだろうが、例えば漫画の中でも男に優しいというかフランクな(?)感じのキャラはビッチ呼ばわりされたりするじゃん。
結局、性行為する直前の状況まで行くようなことがあるかが童貞性/処女性を決めるのであって、実際にしたかどうかはそんなに重要でないのかもしれないとは思う。(いや、重要なんだろうけど)
というか、はあちゅうの童貞あるあるみたいなものは、「童貞だから」○○なのではなく、「○○だから」童貞(性行為の状況まで至ったことがない)なんだよね、ではないのか。
それを、さも、性行為経験の有無が原因みたいに語ってしまうことについては、はあちゅう、どうかと思うよ。
だって、なんか一周回って、「俺が童貞だからモテない」みたいな思考のやつを生み出しそうじゃん。
私は、処女だが、それは処女だから(?)処女な訳でなく、性格も最悪だし見た目も不細工だしコミュニケーションもまともに取れないからだとわかっているよ。
あ? 私小説? どうせ、実生活で体験の幅が狭い作家が、どうでもいい身辺雑記を延々と書いた文学のことだろ? くっだらねぇ。
というふうに自分は思っていた。
で、私小説をいくつか読んでみた。
食わず嫌いの先入見は、まちがいだった。
なにが面白いか。
私小説は、主人公が馬鹿で、下衆で、これでもか、これでもかというほどに生活がどんどん下降していくさまが、ある種爽快なほど露悪的に書いてあること、
そしてこれが事実であるかもしれないという期待を読者に抱かせながら、虚実入り混ぜて物語が展開されること、
ではないかと思う。
主人公が失業して貧困に陥ったり、男女関係で泥沼にはまったり、酔っ払って人に迷惑をかけ、誰からも相手にされなくなっていくごとに、読んでいる側としては、変なカタルシスを感じてしまうというか。
で、ネット上で有名になって、お金も欲しいという人は、もっと私小説的な文章を発表してけばいいと思う。
ネット上で炎上してきた(している)話題は、当事者を主人公にして、私小説仕立てにしてみると、もっと面白くなりそうなものばかりだ。
ネット上の有名人が、ネット以外でブレイクすることを妨げているのは、彼ら(彼女ら)が、小賢しいことだ。
小賢しいとは、自分の失敗や品性の低さを指摘されると、取り繕ったり、反論したりして、自分を分相応以上に賢く見せようとするということだ。
こうすることにより、彼ら(彼女ら)は、いっそう小者に見えてしまう。
コンテンツとして自分の価値を最大化したければ、大正、昭和の私小説作家のように、あるいは現代の西村賢太のように、卑小さを卑小さのままに、破綻を破綻のままに描き出し、そのことから生じる業を生きるほうが、じつは戦略としては賢いかもしれないのだ。
サッパリ自著は売れないながらも、昨年の彼の税務署への申告額は、小説関連の収入と、作家の肩書あっての各種アルバイトで、それでもx千x百万円になっていた。汚ねえ身なりをしているからと云って、そう容易く浮浪者を見る目で眺めて欲しくはないのである
これをフィクションと受け取るかどうかは、読者次第だろう。
炎上芸人は炎上芸人のままで終わる必要はない。もっとコンテンツとしてのポテンシャルがある。金銭的に報われる可能性がある。自分の人生をコンテンツとし続けることの業を生き続けるだけの覚悟があれば。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000984/card3212.html
「近所の借金がうるさくて仕様が無いので、どこかに行つて書いて来るつもりだ。……大洗の方へでも行かうと思ふ」と言い残して主人公は東京を出て茨城に行き、知人のつてを頼って旅館に逗留するが、そもそも宿代を持ってきていない。知人が何とか融通してくれるだろうと最初から当て込みながら、居座る。
知人は当然のことながら激昂し、旅館からは宿代をつけにしたまま追い出される。
有り金がないまま次々と宿を変えながら茨城をさまよう話なのだが、最初はちゃんとした旅館だったのに、しだいに宿のグレードが下がっていって、最後はドヤ街の宿のような木賃宿で弟の送金を待ちながら、身につけたものをどんどん質に入れて裸になっていくところが笑える。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000249/card49655.html
馬鹿で不細工で貧乏であることに強い劣等感を持っている主人公の中学時代を描いた作品。恥ずかしい過去を思い出して悶絶するときのシーンはとくに秀逸。
「あツ、あツ」と、私は奇妙な叫び声を発して下腹を抑へた。両手の十本の指を宙に拡げて机の前で暴れ騒いだ。
「何を気狂ひの真似をなさるんです。えイ、そんな気狂ひの真似する人わたし大嫌ひ」
私淑していた葛西善藏の気狂いっぷりを書いた『足相撲』もあわせて読みたい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000249/card1337.html
ミハイル・バフチンがカーニバル文学と読んだドストエフスキーの作品のように、これ以上ないほど気まずく不謹慎な破綻の場面を職人的な巧みさで書ききるようになった著者の近年の作品はすべて必読。
今まで散々自分の美貌を使って、いい思いをして甘い汁すすってきたくせにとしか思えません。
日頃から異性からも同性からもチヤホヤされて自尊心は満たされて自己肯定感も育って、挑戦するチャンスを与えられて、きっと仕事の中でも自分の中の女を武器に(美人風顔出しライターにありがち)したときも腐る程あるだろうに、被害者面しやがって。
こちとら不細工は、異性に露骨に美人とは違う扱いされたり(わかんねぇだろうなこの辛さ無力感は)、上司からセクハラといっていい暴言はかれたり(強者側からしたら愛あるいじりと呼ぶのだろうけれど)日頃から心にダメージを負ってるんだっつの。生まれたときから千倍不細工よりいい思いして楽して生きてきてるくせに、弱者のふりすんじゃねえ。女性の代弁者のツラしてんじゃねえ。てめえは強者側なんだよ。同情と賞賛を浴びたい強欲さと、自分は弱者ですって声高らかに言えちゃう強かさが、やっぱり美人(美人風)ならではの傲慢さだわ。
女の敵は女って言うけどな、それあたしのことだから。美人(美人風)の敵はあたしだから。だからはあちゅうのことは絶対許さない。炎上しろ、燃えカスになれ、時代に消費されてただの色欲ババアになれ。次世代の子から見てダサい存在になり腐れ。むしろもうなってるのかな?
でもね電通の女の子の過労死のときも思ったんだ。やっぱり世界は美人に動かされるんだねって。あれ、女の子が不細工なら話題にならなかったよね。天動説、地動説ちがう、美動説だよ。美しいものが好き、美しいものを大切にする、美しいもののために何かする、それが世界の法則なんだよね。
不細工に味方はいない。不細工が声あげても揚げ足とられるだけ。不細工のためにみんな一致団結してくれない。だから、ネットメディアに取り上げてもらったり援護者をつけたり同情をひくこともしない。自分の身の程はよく知ってるから。
日々傷ついても傷ついてないふりして、笑ってひとりで立ち上がって前向いて生きてくしかないし大事な人は自分で守っていくしかない。満員電車に小さい子とかお年寄り妊婦さん乗ってたら体を張って守るしかないし、まずは人に優しくする。それが不細工の不細工なりの生き方。美人と同じ世界に共存して、自分の半径1メートルの世界を動かすための唯一の方法。自分を少しでも好きになるための苦肉の策。
最近はあちゅうさんという人がセクハラを告発したことが話題になっているのを目にしました。しかし一部では「はあちゅうも童貞をいじってただろ!お前もセクハラだ!」という意見も出ているようです。そういった意見へのはあちゅうさんの回答ととれるツイートがありました。
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本人が堂々と公言している童貞、ヤリマンをコミュニケーションネタとしていじることや下ネタとセクハラは違うと思うんですけどねー。明るく楽しく笑えるものが自粛になるのは嫌だなー...。
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このツイートを見て私はすごく悲しい気持ちになりました。そのことについてずっと思っていたことをここで吐き出して終わらせてしまおうと思って書いています。これは別にはあちゅうさんや誰かに対して文句をいうものではありません。これを読んで私のような人間に同情しろ、配慮しろと言うこともありません。セクハラうんぬんにも全く関係がなく、私の個人的な感情を自己満足としてネットの海に漂ってしまえと放り投げるものです。ただ、ずっと言ってみたかった。でもきっかけがはあちゅうさんだったので、タイトルに名前を出してしまいました。申し訳ありません。
私は生まれたときから取り返しのつかない不細工でした。童貞という概念が生まれる前、みんなが漠然と恋をし始める小学校高学年あたりの時にはもう私は心優しい女子がしてくれる事務的連絡以外の異性との接点がなくなっていました。その容姿からいじめにもあいましたし、ひどい言葉をみやざわけんじの詩とか道徳の教科書と混ぜて飲み込みながら人格を形成しました。
高校時代までmixiや個人のブログなどはありましたがそういうものに無縁だった私がはじめてインターネットで社会らしきものに触れたのは匿名性の高いtwitterなどのSNSが普及しはじめたとき、大学に入ったあたりのことでした。(そのときには現実世界では私を笑っていた子供たちも正しい大人になり優しくしてくれましたが、どうしようもない大人になった私は受け入れられずに社会性というものが既に皆無でした。)そこで童貞を名乗って笑いを取っている人間がいることを初めて知ったのです。
彼らも多くは本当に性交渉の経験がないので童貞に違いないと思うのですが、彼らのような私から見れば全く普通の人間の軽い自虐が「童貞らしさ」を形作り、その文脈で童貞が語られているのを見る度に私はなんとも形容しがたい、淀んだ気持ちになるのです。私は自分が異性から拒絶され、みんなが当たり前のようにしているらしいことができない笑えない現実、そのコンプレックスにひどく苛まれている自分こそ童貞であると考えていました。しかし私と一般で言葉の持つ意味にギャップがあることを知りました。
それを知ってなお、私は私の童貞で遊ぶことはできませんでした。本当に人に愛されたかったし、明らかな嘘で告白された時はそれも見抜けないほど喜びました。「お前、童貞かよw」と言われればただ唇を噛みしめて下を向いていました。そういう人間が僕以外にいるのかはわかりません。見たことありません。でも本当に苦しんでいることを「本当に苦しんでます。」と言うことはネット上であっても、匿名であっても、私には今までできたことはありませんでした。(自分でもつくづくいじめられっこ体質だと思いますが)
だからといって童貞をポップに扱うことが悪だとも思いません。私が今の童貞という形容に収まりきらないほどの欠落した人間だと言ってしまえばそれで終わる話なのです。性交渉へのライン上にいてもう少しで手が届きそうな童貞のもどかしそうな、どこかに淡い期待を含んでいるような様こそ真に童貞らしいと言えるかもしれません。はあちゅうさんが言うように童貞と言えば「明るく楽しく笑えるもの」となっている現状を理解しているつもりです。私のようなものは全くそのライン上にないものだから「怪物」とでも呼んでおけば良いのかもしれません。それでもせめて童貞でありたいと思ってしまう私は童貞という言葉にどうしても反応してしまいます。自分のことを言っているのではないのに勝手に傷ついているのですから一種の特殊な被害妄想みたいなものかもしれません。
はあちゅうさんの様な美人が「童貞が好き」と言う。それをみんなが笑ったり、リアクションしたり、「ど、ど、童貞ちゃうわ」と言ってみたりする。醜悪で陰気な、童貞だけど童貞らしくない私は外からそれをただただ変な顔をして黙って見ているのです。いつもいるけどいないのです。
私はそれがただ、なんとなく悲しいのです。
まつりさんもはあちゅうさんも、告発がここまで話題になったのは彼女らに容姿端麗だとか学歴だとかネームバリューだとかがあってのものだ。
被害者が美女だったからこの件が明るみに出た上で問題視されたという点は同意。
男が悪いという訳ではなく、女も「あんな不細工が被害に遭ったとか何言ってんのpgr」という反応を返してくるし、一部を除いて男女を問わず被害者に同情しない。
そもそも醜女は軽視されやすいので、発言力や社会的ネームバリュー、発信力のある醜女は少ないし、注目も集まりにくい。
上のような反応が返ってくると分かっている時点で,表立って発言しようとする意志なんか先に砕かれる。
追記1:
本人にとっては非常に嫌なことであったことは分かるし、勿論セクハラする奴が悪いと思うが、自身の価値を理解しているからこそマスコミを通じて一般に公開するような告発ができたのだろうという感想を否定できる人はどれくらいいるだろうか。
周囲が自分の味方になってくれることを分かっているからこそできた告発だろう。
追記2:
国連で直に非難決議貰うという、先進国ではありえないくらいの話を日本が受けて問題になってる外国人研修生問題だけど
何でこれが最近になってめっちゃくちゃに騒がれてるかというと、為替の話が関係しているんだよね、何故か政治家や官僚に至るまでみんなこの辺を理解できないとか外国人は軟弱だ!とか根性論にすり替えてるけど
例えば、東南アジアやかつての中国や韓国、90年代や00年代の頃は、死ぬ思いをして密入国してでも日本で働きに来てたけど、時給の相場はたいして変わらなかったといわれてるんだよ、つまり時給400円とか500円みたいな子供の小遣いみたいな値段で、コキ使えてたし、向こうも文句言わなかったわけ
何故かというと、これを自国の通貨で換算したら、日本円で言えば年収7~800万くらいに相当するくらい、為替の差があったからというところが関係してるんだよね。
はてなでたむろする男嫌い拗らせてる不細工拗らせてポリコレ棒振り回して、そんな妄想BL漫画の中だけで書いとけよというキ×××そのものの妄言を政治的主張と吐き出す淑女に、たかが稼ぎが1万円上か下かでマウンティング合戦に、年収詐称を繰り返しては空しく金もないから暇ではてなで勝ち組のなりきりをして、今時少年漫画の悪役でもいわねーようなコテッコテの弱肉強食論を振りかざす現実逃避以外の何物でもないことを今日もシコシコしている紳士の皆さんは当時の彼等の環境を自分がもし、というので考えてみればわかるでしょ?
時給で言えば3000円~5000円クラスの仕事に相当する稼ぎを叩き出せてるんだから、そりゃきったねぇキモハゲ親父の×××や××××だって×××できるだろうし、実写版ジャバザハットみたいなバケモノババアの×××や××だって×××しまくってお姫様に尽くす王子様にいくらでもなれるでしょう
で、今はアジア諸国の経済成長で通貨価値がどんどん上がって、日本は通貨安にどんどんなっていってるから、結果として「かつての破格の高給」が「ありえないレベルの薄給」に転落したから、奴隷労働だろうが!と文句を言われてるというわけ
他人事じゃないからね、これ、日本の経済力落ちて一番最終的に困るの、日本人全体だから、海外言って稼げばとか外資いって稼げばいい、とかパリ症候群拗らせて妄想の勝ち組生活や空論を経験談みたいに振りかざしてる場合じゃないのよ、おわかり?
女のブスは存在そのものが社会の最底辺・タブー・存在していてはいけないモノなので、女のブスを笑い話のネタにすることはシャレにならない。しかし、男の不細工に関してはそうはなっていない。男は女と比べて社会的強者であり、男の不細工は女のブスよりも何倍も恵まれた存在であることから、男の不細工はネタになりやすかった。しかし、今後女性の社会進出が更に進むと、男の不細工も笑えない時代になるのではないか。
今テレビに出ているお笑い芸人なども、女性視聴者たちの心の中では「いなくなってほしい」と思っているのかもしれない。冷静になって考えてみると、男の不細工は存在が許されて、女のブスは一切排除するというのは平等ではない。どちらも出すか、どちらも排除するというのが本来のあり方ではないか。
https://anond.hatelabo.jp/20171211121939
人とはちょっと違う奇形を避けるという機能が頭のなかに備わっているんだ
不気味の谷とかも同じ
つまり、奇形や不細工は遺伝的に問題がある可能性が高く、避けたほうが種としては良いんだろうと予想できる
そういう不細工に見えるもの、不快なものをぶっ殺すという行為にポジティブな感情を覚えてしまうのも
やはり種としてそうなってるんだろうと思える
現代社会の都合は、種の都合とかけ離れつつある
どちらが良いかとは言えないが
脚が一本しか無かったり、目が一つしか無かったり、そういうのはよくある奇形だ
ただ、少しおもしろいと思えるのは