はてなキーワード: フライトとは
最近、フェイスブック等を使って「ソーシャルランチ斡旋サイト」とか
「飲み会斡旋サイト」「コーヒーミーティング斡旋サイト」が流行っている。
いわゆる「ソーシャルマッチングサービス」だが、これをうまく「男女の出会い」に生かして、
「出会いサービス」というと、「結婚まで至らない、お遊び・いかがわしい不純交際」的響きがあるが、
恐らくフェイスブック系マッチングサービスでも、「真剣男女交際系」なサービスはあるとは思うが、
フェイスブック自体が、偽名でも登録可能なザルサービスであり、あまり期待できない。
※フェイスブックに某有名「男子校」出身の「女性」登録があって、思わず吹いた。
ところで、航空会社は搭乗する際に、乗客の氏名・年齢・性別情報を要求する。
国内線の場合は、身分証明を要求していないので、偽名での搭乗を100%阻止できないが、
比較的、「本当の氏名年齢性別」を乗客の皆さんは記入しているようである。
そして、クレジットカード決済搭乗の場合は、実名・実年齢・実性別確率はほぼ100%となる。
しかし、航空会社は、せっかくの個人情報を、航空保安以外の面では、あまり「活用」していない。
そして、伝統的航空会社(レガシーキャリア)は、格安航空会社(LCC)に価格で押され、
サービス面でなかなか対抗策を打ち出せない。
ということで、レガシーキャリアの活性化と、少子化対策の一石二鳥策。
「マッチングシートを希望する、(20歳~34歳)女性には、マッチングシート窓側を指定させ」
「マッチングシートを希望する、(20歳~34歳)男性には、マッチングシート窓側の隣の席を指定させる」
これによって、「マッチングシートを希望する女性」と「マッチングシートを希望する男性」は、見事「隣同士」に着席することになる。
隣に座っている人は、「多少は出会いを期待している異性」なんだろうから、勇気を持って声掛けしやすい。
マッチングシートを希望する場合はクレジットカード利用に限定することにより、
性別・年齢の虚偽申告をほぼ0%にすることができる。
つまり、「マッチングシートを希望すれば、かなりの確度で、20~35歳の異性が座ってくれる」ことになる。
※もっとも、残念ながらマッチングを希望する異性が現れない可能性も、あるにはある。
その際は「マッチング不成立でした」と伝えることになる。
フィーリングが合えば、お互いにメアドやケータイ番号を交換すればいい。
或いは、「お互い一緒に北海道旅行」なんて発展系も、あるかもしれない。
※そもそも、同じ方面の航空機に搭乗している、ということは、「趣味が一致する」可能性が高い訳であり、
フィーリングが合わなければ、そのまま別れればいい。
時間として「たったの2時間弱」なのだから、「合ってる時間が勿体無い」なんてことはない。
※そもそも、何もしなければ「退屈な機内のムダ時間」でしかない。
「ムダ時間の有効活用」と考えれば、得することはあっても、損することはあまりない。
「関係を深める」のにも2時間弱は適切な長さだし、「別れても後腐れない」と言う点でも、2時間弱は絶妙な長さである。
「北海道に行くのに、LCCじゃなく、レガシーキャリアを利用するだけの経済力の持ち主」なんだから、
いかがわしい出会い系サイトの場合、参加のハードルが低いが為に、「真剣じゃない」参加者が質を下げている。
レガシーキャリアの航空券代を要求することで、「マッチングシート参加者の選別」が図れる。
そして、このサービスは「レガシーキャリアならではのサービス」であり、LCCとの差別化が図れる点でも、ポイントが高い。
なぜなら、LCCの場合、座席指定が効かないケースが多いからである。
シートマッチングサービス参加希望者からしても、これは「そんなに気恥ずかしくない」サービスである。
どうしても「結婚相談所」とか「お見合いサービス」というと、「気恥ずかしい」「気後れしてしまう」キライがあるが、
このサービスの場合は、「レガシーキャリアの航空券購入時に、サービス付帯を申告するだけ」なので、気が楽である。
あと、細かい配慮として、「どの席がマッチングシートなのか?」は、他の乗客には「バレないよう」にする。
マッチングシートを固定してしまうと、「ああ、あの席に座っている男女、マッチングシートに座ってやがる」と好奇の目で見られてしまう。
「10時のフライトでは、マッチングシートを7組設定」とフレキシブルにするのがいいだろう。
このようなマッチングシートフライトサービスが成立するには、一定以上のフライト時間が前提となろだろう。
やはり、羽田~北海道、羽田~九州・沖縄、中部・伊丹・関西~北海道程度のフライト時間は必要になってくると思う。
国際線でも設定してもいいが、日本~アメリカ、欧州のような長時間フライトだと、
鳥人間コンテストを提訴「落下の衝撃で動けない身体に…」 (女性自身) - Yahoo!ニュース
鳥人間コンテストの事故について、鳥人間の立場から考える - Togetter
ふとこの記事に思う所があったので書いてみるよ。
先に結論を書いておくと、
と僕は思ってる。
その結論に至った
という 3点について書くよ。
提訴したのは妥当な判断だと思う。いろんな事が明らかになるだろうし、パイロットが100%悪いという判決にも無いらないと思う。現時点でどういう条件(示談条件とか、パイロットが希望すること)があるのか明らかでないので、他のやりかたがあったかどうかはわからないけれども。
公の場で一定の見解が示されるのも良いことだ。ただ、これで人力飛行機大会がずっとなくなる。ということだと、人力飛行機業界は衰退するだろうね。
さて、読売テレビがわるいのだ。棄権を許さないルールとか許せん。というのは、確かに正しそう。
でも、いま読売テレビが取れるオプションというのは、大会実施の放棄しかない。
いろいろ、安全対策したって、けが人が出る時はでるし、お金はかかるばっかりだ。
そもそも、この大会、お金にならないので、2009年に中止されてる。(Wikipediaみてね)
TVがやらなきゃ、大会が開けない状況ってのが、多分業界にとっては一番嬉しくないところだ。
TV局がやらせないように恫喝してるみたいな話もあったけれど、実際は
という、もろもろの、面倒くさい手続きと、お金の用意をTV局以外が出来ないからだよね。
だれかが、それを全部やって黒字にできるなら TV局を外して、もっと安全で、競技性が透明な大会をやればいい。
選手権大会をうたってるけど、予選も開けないから、よく飛ぶ機体ばっかりじゃなくて面白い機体が選ばれる。そして、大会に出たいけど実績不足&おもしろさ不足で出場できたないチームも全国にはあるんだよ。
でも、面倒くさい手続きとお金の用意が出来る人が、TV局以外にいないんだよね。
あと、TVに映して貰える最大のメリットって、鳥人間に参加したいという人を確実に作ってくれる事。
あの機体つくるのって、数ヶ月にわたって黙々と部品を作って組み立てる超地味な作業なんだぜ。
それを楽しい誘惑ばかりの大学生に強制できるのって、あのTVからくる憧れの部分も強いんだ。
数十人のチームメンバーを、延々と地味な作業に当たらせて、そして結構なお金も払わせて、それでもなお、飛行機を作りたい!と思わせるには、甲子園みたいな場所も必要なんだよ。
お金と人脈と運営能力のある自立した運営委員会と、演出を強要しないTV局が組めるといいんだけどね。
でもそれってF1以上に、人気のあるスポーツってことかも知れないよね...
あんまり大学の先生を責めると、大学チームはなくなっていくよ。
今回の事故チームは国立大学のチーム。顧問は教授など教員だろう。理系の大学教員てのは、ものすごい忙しくて、プラーベートなんか無いくらい、人生を研究にささげてる人が多い。
そんな中で、顧問を引き受けるというのは、本当にリスクしか無い。とくに、こういう事故のある競技だと。
本業がブラック企業並に忙しいので、"そんなに人力飛行機サークルの監視をしてこなかった"という、顧問の言い訳けは、みっともないけど事実だと思う。ようは名前貸しなんだから。
ちゃんと管理してれば良かったのだ。と第三者の我々は簡単にいう。じゃあ、ちゃんと材料を破壊検査してね、大会と同じ条件で一回飛ばしてね。とか指示したことろで、大学生はお金ないし、技量もないからきっとできないよ。(近いことの出来てるチームはあるよ。歴史とお金の有るところね。)
先生も人間だから、苦労して作ってる飛行機は飛ばせてあげたいし、かといって、適当なことして責任を取らされるのは本当につらいし、選べる選択肢の少ない中で苦渋の判断をしてる可能性は高い。
お金も、技量も無い学生に、命に関わるような事をさせるのをやめろ。と言うのがある意味ただしいのかも。
でも、そうすると良いOB(技術指導してくれて、金払いも良い)が居ない大学の新規参入はすごく難しい。
一方、私立大学が、大学のコマーシャル目当てで、そういう環境を作ることは可能かもしれない。
事故の起きない乗り物っていうのは、本質的に存在しない。旅客機もたまに落ちるし、地上はしってる鉄道だってたまに死ぬでしょ。だから、パイロットには死ぬかもしれんけど行ってきて、と依頼しなきゃいけない。
そんなことをきちんと言えるリーダーは少ないし、大学生の若いパイロットがその言葉の意味をちゃんと理解して、本当に正しい判断をするのも、とてもむずかしいことだ。
とかね。
TV放送がなくなれば、人は来なくなるし、そうすると競技人口も減るだろうけど。
地道にちゃんと運営できたら、TV局もどこか着くかもしれないし、そうしたら人口も増える。
でも、きっと新規チームの参入は困難を極めたままになるだろう。
'安全'な道を選ぶと、こういう選ばれた人だけが遊べるスポーツになる。航空スポーツてそういうものかも知れないけどね。
いまみたいに、学生が希望すれば近くの大学or自分の入れる大学にチームがあって飛行機が作れるっていう環境はなくなる。その環境維持のために、たまに人が怪我したり死んだりするのを、現代の社会は許せないだろう。
後遺症が残ったパイロットさんの blog を読んだら、とても丁寧に今回の件を考えていて応援したくなった。
上にかいた事とは関係なく、大学の先生や先輩の対応がひどそう。裁判で明らかになると良いですね。
色々言う人も居るだろうけれど頑張って欲しい。
ここ数年は7月末に日本で一番大きい湖、琵琶湖で行われることが定番になっている鳥人間コンテスト。
夏が近づくにつれ、色んなチームが各地の飛行場でFlight Testを行なって機体の完成度を高めていっている。まさに人生の糧になると思うし、できうる限りの調整を行えたらいいなと思う。
しかし、Youtubeなんかを見てると多くのチームでFlight Test中に機体を壊している。多くの旅客機や戦闘機の事故と同じく、パイロットが原因で起こっていることがほとんどを占めている(と思う)。
せっかく頑張って作った機体が壊れてしまうのはもったいないので、ぜひパイロットには勉強なりトレーニングなりしてもらって、機体を壊さずFlight Testを行なって欲しい。そしていいパイロットコメントによりいい機体を作っていってもらいたい。
迎角、ピッチ角、経路角、取り付け角は全部ちがう。パイロットならこれらを意識して、ほんというと意識しなくても体が覚えているくらいの感覚で操縦できるようになるべき。少なくとも機体に乗ってFlight Testをする段階では。飛行中にパイロットがだいたい分かるのは、ピッチ角のみ。なので、パイロットはピッチ角を目安に飛ばなければならない。それぞれの関係は以下のサイトでもぐぐればでてくる。感覚がつかめるまで、飛行機の模型なり、フライトシミュレータなり、ラジコンなりでトレーニングすべき。失速は迎角をみないとダメだし、高度は経路角をみないといけない。
http://www.aeroskytech.com/english/firstnotions/firstnotions.html
取り付け角は書いてない。取り付け角は、機体の軸と主翼の翼弦のなす角だと考えれば大丈夫。
パイロットは浮き上がったらまずトリムを取らなくてはいけない。トリムスイッチをカチカチやって、自分がいま出しているパワーで水平飛行できるようにする。水平飛行できたら、Airspeedを見て、もし飛びたい速度より速いようであればパワーを徐々に下げ、またトリムスイッチをカチカチやって水平飛行する。落ち着いてトリムをいじること、地上で設定したトリムのまま飛べることなんて考える必要ない。慣れてくれば、この動作は頭で考えなくてもできるはず。
トリムスイッチがない場合はつけてもらおう。操縦デバイスは重要。
パワーは急激に変えちゃだめ。もし大きいピッチ角になってしまってびっくりしてパワーを下げると、一気に経路角が下向きになって迎角が大きくなり、失速する。パワーをゆるめるなら、徐々に下げないとだめだし、そもそも離陸した直後に下げる必要はない。トリムをとればいいだけ。降りるときはパワーを徐々に下げる。とにかく、急激に変えると機体の姿勢が急変するし、パワー効果も変わってしまう。
普通の飛行機は横風が吹いてようがそうでなかろうがあまり気にしない。なぜなら飛行機は横風中だろうが何風だろうが、空気の塊の中を飛んでいるので空力的には変化がないからだ。動いてる電車の中でラジコンの飛行機が飛んでるようなもの。ただし、離陸時には横風が効いてくる。Flight Test中に横風離陸した場合は、すこしラダーを使って風上側に飛ぶようにすれば、離陸後は問題なく滑走路と平行に飛べるはず。琵琶湖でも基本的には同じ。Gustの場合は、また対処が異なるので注意が必要。あと、ローカルな風が変化している場合も注意が必要。あらかじめ頭の中でシミュレーションしておこう。
基本的には、浮いてしまえば横だろうが後ろだろうが前だろうがずっと吹いてる風は関係ない。たまに巡航中の追い風も嫌うチームもあるが、それはほとんど信仰に近い。
これらのことは、色んなサイトにのっている。とりあえずひと通り勉強したい人は、以下のAidがオススメ。ぜひ人力飛行機・鳥人間パイロットには一読しておいて欲しい。
http://www.faa.gov/regulations_policies/handbooks_manuals/aircraft/airplane_handbook/
話し相手は当然彼しかいない。
彼が帰ってきたらたくさんお話したい。
そうして彼にまとわり付く私はどんどん邪険にされていった。
「じゃま」とか「あっちいって」とか。
一緒に寝てもくれなくて、部屋も別。
彼の時間を邪魔しないようにしていたら話すのは食事の時だけになった。テレビを見ながらの。
そんな構ってもらえない日々に耐えられなくなって別れ話をがんばってした。
飛行機を予約してフライト時間を伝えるとようやく彼が焦り始めて
どういう話をしたのか覚えてないけど翌日には仲直りしてた。
これは本当に判断力が狂っていたとしか言えないのだけど
持病の発作が辛くて心細くなってしまっていてつい、研究職の彼に看病に来てもらってしまった。
SEの彼の”ここから浮気”のラインは密室で二人きりになること。
すっかりバリアがほどけてた。
浮気、だ。
そして看病に来てくれた研究職の彼は付き合ってくれと言う。
彼氏のことが好きな気持ちには変わりがないから遠距離でもメールがたまにでも満足してた。
それなのにこの贅沢すぎる展開で結論を急がなければならなくなった。
SEの彼のことは好き。男女間として。
だから別れ話なんてする気にならない。
研究職の彼のことは人として好き。尊敬してる。一緒にいて楽しいし、いつまでもお話していたい。
ただお付き合いするには頼りない気がしてる。
両方ともピンと来ないし両方とも大事な人。
恥ずかしながら彼氏のことをだーりんと呼んでいて
私のだーりんはSEの彼。
だーりんと言って思い浮かべる顔はそんなにすぐに変わらない。
頭が追いつかない。
お付き合いってなにするの?
好かれてない気がするけど成立してるの?
好きな人に看病してもらうのはお付き合いしてないとだめなこと?
近くにいて、声も姿も文字も全部で好きって言ってくれるのを私はどう返したらいいの?
みんなはどう選んでるの?
お付き合いは何をすること?
お前本当に頭弱いな。つうか何か文章が変。
>反対意見を言われたら 叩かれてるって どんだけ 議論に弱いんだ?
お前はお前自身の設定した「不寛容なみんな」を叩きたがっているだけでまともな話できてないんだから絡んでくんなよって言ってるの。
>じゃぁ、子守を載せることに対して議論するなら、やっぱりビジネスクラスには載せろ エコノミーならみんなが我慢した方がいいだろ。
>だから、増田が、 じゃぁ、ビジネスクラスにはCAがいっぱいいるなら、そのCAとして子守専門を入れればいいじゃないか!と反論すればいいだろ。
一人芝居とかwww何で俺とお前が歩み寄んなきゃならないんだよwwww
お前の主張は一貫して
「みんな、容赦無さすぎ。」
「周囲が 耳栓してますから オッケーです。という『文化』になれば」
「他の大多数が我慢したほうが合理的」
と、「とにかく我慢」の一点張りじゃん。
俺は最初からそういう話はしてないんだけどって言ってるの。歩み寄るとかじゃなくて単にお前の理解が足らないだけなんだよ。
>現実的にもそういった付加価値的サービスはいきなりエコノミーではなく、まずは ファーストクラス&ビジネスクラス向けに展開するべきだろ。
>高付加価値サービスを いきなりエコノミーからというのは 意味がわからん。
いや別に専任ベビーシッターつけるんじゃなくて、子どもの相手が得意・好きなCAに研修でも施して乗せれば、それを売りに宣伝打てるよなっていう話なんだけど。
狙いは快適なフライトの提供と、「子連れに寛容なフライト」を確立することで子連れのニーズをさらうこと。
コストコストってそれほどコスト高か? 「研修」の内容さえしっかり確立できりゃ口コミのひとつも立てば十分元が取れそうだけど。
「やるならエコノミー」なのはその方が顧客満足度を上げるのに効率がいいからだ。
ファーストの客なんて席がそもそも部屋みたいに区切ってあるしいざとなりゃナニーを一緒に連れてくんだぞ。逆に需要ねーだろ。
>俺が言ってるのは その分のコストを考えれば 耳栓のほうが圧倒的に現実的という話だ。コストはチケット価格に反映される。 だから、数セント出来る対処ではだめなのか?と言ってるだけ。
そもそも空港で売って金儲けてるものを機内で配ることで航空会社どれくらい得するの?
申し出ればエコノミーでも耳栓くれるっぽいけど、アメニティとして配ってるのはビジネス以上のランクのクラスくらいみたいよ。その意味を考えろよ。
運悪く飛行機の前後に常識知らずの子供が座ることが多すぎるんだが、フライト前の座席指定で、どうしたら子供から離れることが出来るのかな。
過去の迷惑は、後ろから何度も座席を蹴飛ばされた、大声で騒がれる(乳幼児に限らず。「あらあらだめよ」を1度言って後は放置する親多数。また、親は文庫本読んでのんびりしてやがったヤツもいた)、おもちゃ代わりなのかペットボトルで前の座席から手を出して俺の足をはたかれた、等。
満席というわけじゃなくても、絶望的なまでに運が悪すぎる。国内便だと座席変更するほどの時間は無いし。
大騒ぎ、奇声、乳幼児もいたから異臭(漏れたらしい)もありだ。このあたりまでは我慢した。
だが、前の席と間隔はあいているはずなのに、後ろからガキにバンバン蹴飛ばされた。
最初は母親が注意していたが、俺が何も言わないのをいいことに途中から注意せず。
フライト3時間経過して「いい加減にしろ!席を蹴飛ばすな」といってやった。言わなきゃわからねえのか、いいとか思うのか・・・。
(なお飛行機はスカイなんとかという会社ではなく、米国アトランタ州に本社を置く会社だ。この会社もアレだけどな)
連れが微妙な顔をしていたが、俺はこういうことを野放しにするから「日本人は恥ずかしいイエローモンキー」と思われるんだと思う。
着いたホテルで、ビュッフェで人を押しのけてがっついてる家族はアジアの某国とおもったらほとんどが子連れの日本人(日本語を話してるだけという可能性もあるが)だ。走り回る場所じゃないのに、馬鹿みたいに走る、大声で「ママーママー!!」と絶叫。米国のちいさな子は控えめに話をしているというのに。
おどろいた。ここまで劣化しているのか。
さらには、ホテルのサービスを受けたいといっていたバカップルが当該ホテルの利用客じゃないとか狂気の沙汰か?
スタッフが適当にあしらおうとするが「じゃあ、二人で記念写真とってもらおうよ!」俺は遠目で絶句、だがスタッフは偉い応じた。
その後もバカップルはホテルでうろうろしていたが、近くで会話を無理やり聞かされるのも頭にきたのでその場を離れた。
前にここの書き込みで「原発が絶対安全な理由を言ってみろよwwwwww」なんて書き込みがあったのをふと思い出したので考えてみた。
原発が「絶対安全」なんてことはあり得ない。
というより、全ての事象において「絶対」なんてことはあり得ないのだ。
けど、それを一般に説明する場合はどうなのだろう?
例えば、飛行機が飛ぶ時に
何て事を言ったとする。
本来であれば(科学的に考えれば)生涯の自分のフライト数の予測値から生涯で事故にあう確率を計算して
「あ、一生で事故にあう確率なんて(例えば)0.01%未満じゃないかだから安全だ」
と考えるだろう。
けど、普通の人はそんな数字なんて見ないし、ましてや計算なんてしないだろう。
だから
と不安に思うだろう。
それに、そんな計算云々を示しても大抵の人にはちんぷんかんぷんだし、はぐらかされている感じを受ける人も多いのではないだろうか。
と説明するしかないのではないだろうか。
で、これと同じ現象が原発においては「科学者」→「国民」や「科学者」→「政治家」という説明段階で起きたのではないか・・・と予想する。
だが、前述の通り科学者は「絶対」という言葉を用いない。用いるとしたらそれはインチキ科学者か、科学者失格である・・・と思う。
となるとこの説明に「絶対」を付けたのは誰なのか。
たぶんではあるが、それは、受け取る側の国民もしくは政治家なのではないかと思う。
事故は怖い、だから、「絶対」を付けることで安心したいとか責任から逃れたいとか、そういうことを考えたいのではないかと思う。
こんにちは、鳥人間マネジメントを専攻している彦根嬢です。私は知識も工作技術もありませんし不器用ですが、鳥コンに関してはプロフェッショナル。今回は、人力飛行機女子力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います。
あえて2~3世代前の木桁やアルミ桁を使うようにしましょう。そして交流会の場で好みの男がいたら話しかけ、わざとらしく主桁を出して400番くらいでやすってみましょう。そして「あ~ん! このメインスパー本当にマジでチョームカつくんですけどぉぉお~!」と言って、男に「どうしたの?」と言わせましょう。言わせたらもう大成功。「CFRPとか詳しくなくてぇ~! ずっと木桁使ってるんですけどぉ~! 湿気でゆがむんですぅ~! ぷんぷくり~ん(怒)」と言いましょう。だいたいの男は新しいCFRP桁を焼きたがる習性があるので、古かったとしても先輩のCFRP桁を使っているはずです。
そこで男が「新しいCFRP桁にしないの?」と言ってくるはず(言ってこない空気が読めない男はその時点でガン無視OK)。そう言われたらあなたは「なんかなんかぁ~! 最近薄肉大径が人気なんでしょー!? あれってどうなんですかぁ? 座椅子しそうだけどわかんなぁぁああい!! 私かわいそーなコ★」と返します。すると男は「座椅子じゃなくて座屈でしょ? FEMに頼らなくても計算できるよ。本当に良くわからないみたいだね。Excelできるの?」という話になって、次の休みの日にふたりでマンドレル選びのデートに行けるというわけです。あなたの女子力が高ければ、男がプリプレグ買ってくれるかも!?
「壊した!」とか「ケガした!」などを表現する「><」を表情に入れると、作業場の男性鳥人間は「なんかこの子カワイイなぁ」や「支えてあげたいかも」と思ってくれます。作業場では現実世界よりもイメージが増幅されて相手に伝わるので 「><」 を多用することによって、男性はあなたを可憐で女の子らしいと勘違いしてくれるのです。そういうキャラクターにするとほぼ絶対に同性に嫌われますが気にしないようにしましょう。
飲み会などで鳥人間が女性に話すことといえばアニメや声優の話ばかり。よって、女性にとってどうでもいい話ばかりです。でもそこで適当に「へぇーそうなんですかぁ~?」とか「よくわかんないですけどすごいんですねぇ」と返してしまうと、さすがの男も「この女ダメだな」と気がついてしまいます。ダメ女だとバレたら終わりです。そこは無意味にテンションをあげて、「えー! なにそれ!? 知りたい知りたーい♪」と言っておくのが正解。たとえ興味がない話題でも、カッターナイフや接着剤の話題に切り替えてその場を乗り切りましょう。積極的に話を聞いてくれる女性に男は弱いのです。
いろいろと話を聞いたあと、「エポはアセトンで、スチのりがアルコールなんですね! 覚えたぞぉ! メモメモ!」などとコメントすればパーフェクト。続けて頭に指をさしてくるくる回しつつ「キュンキュンキュン! キュンキュンキュン!」と言って、「どうしたの?」と男に言わせるのもアリ。そこで「瞬着の促進剤を吹きかけて記憶を仮止めしているのでありますっ☆」と言えば女子力アップ! そこでまた男は「この子おもしろくてカワイイかも!?」と思ってくれます。私は知識も工作技術もありませんし不器用ですが、こういうテクニックを使えば不器用でよくミスる女のほうがモテたりするのです。男は優越感に浸りたいですからね。
男と滑走路に入ったら、真っ先にスズランなどのひもを使った風見棒を立てて「あーん! 風がどっちから吹いているかわからないんですよねぇ~(悲)」と言いましょう。するとほぼ100パーセント「どうして? バカなの?」と聞かれるので、「バカじゃないし風がやんでほしいけど吹いてるんですっ><」と返答しましょう。ここでまた100パーセント「吹いているのにどうして風向きがわからないの?見ればわかるでしょ?」と聞かれるので、うつむいて3~5秒ほど間をおいてからボソッとこう言います。「……だって、……だって、風が吹いたら飛ばせないじゃないですかぁっ! パイロットかわいそうですぅ! まだジャンプもしてないのにぃぃ~(悲)。飛ぶかどうかすらわからないんですよ……」と身を震わせて言うのです。
その瞬間、あなたの女子力がアップします。きっと男は「なんて優しい天使のようなコなんだろう! 絶対にゲットしてやるぞ! この女のために俺は飛ばす!」と心のなかで誓い、あなたに惚れ込むはずです。意中の男と付き合うことになったら、そんなことは忘れて好きなだけ風見をして大丈夫です。「風向きわからないんじゃなかったっけ?」と言われたら「大丈夫になった」とか「2時方向から1.3」、「日が出ると南に回りそう」とか言っておけばOKです。
ぴきゃっwwwwwwwwwwwwぴきゃっwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
デストライアル。ちゅーとはんぱにポニキャニあやちゃん。
るっくるっくにこんにちわ。ってベイビーそれは間違っているぜ。
ぴくっwwwwwwwwwwwwwぴきゃみんwwwwwwwwwwwwwwwww
なんだかとっても笑えてくるよ。
ぺかっwwwwwwwwwwwwwぺかっwwwwwwwwwwwwwww
ぺがりー伊藤ナイト。しっかし大丈夫かなぁ。大丈夫だろう。きっと大丈夫さ。
It's トワイアルナイト!!新たな称号目指して飛んでいくぜ!
ぴろりろりんっとはじけ飛ぶ。ぴかっぴかっにしてあげる。うふふ。
何もかもありにしてしまったら、超フリーダムな世界へいってしまった。
ペギョパラッチ。だんだん狂っていく人の頭。
ピギョヴァロチッ 何の鳴き声です?それは。
ヴェギャッヴェギャッ マイマシュマロン。ましまろおばけが出てくるぞ。
ヴィギョッヴィギョwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ベブラバンシwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ビョギョッwwwwwwwwwボギョwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
スライドアターックwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
どうでもいいけどふらっとでね。ふらっとでかけてね。
楽しすぎて笑えてくる。
ほーほけきょwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
びぎゃすwwwwwwwwwwwwwwwwwびぎゃすwwwwwwwwwwwwwwwwwww
デストライアルに挑戦だ!ふぎゃーwwwwwwwwwwwwwwwwふぎゃーwwwwwwwwwwwwwwwwww
ぺぎゃーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ぴぎゃーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
意味不明な言葉にも、味があればそれでいいじゃない!カニ味噌じゃない!
ぽーぽけきょwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
プッチョヘンズアップ!カマンベイベー!!
ひぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
らめなのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
びっくりするほどユートピア!パラダイスのその先は?
ヘモグロビン。ビロリロリン。超コマネチ。こんなことってないっちー!!
ばろしwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ひたすらにばろしwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ばーろーwwwwwwwwwwwwwww
笑えてくるぜ、全くだ!!びぎょびぎょぼよよんびぎょびぎょ~ん
忘れもしない今年の5月18日。武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。普段から心底思ってはいた。「いつ死んでも仕方ない」とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。病状は確実に進行する日々だった。
一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、「ちゃんと死ぬための用意」にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。
手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。「はぁ…やっと死ねる」なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。
ということで早速腹はきまった。私は自宅で死にたい。周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。
妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。「死ぬってのも悪くないかもな」理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。ただ、一つだけどうしても気に入らない。「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。死ぬのもツライよ。断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。私が暮らしているあの家へ。
少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。
さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。ところが。肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。ありゃ?ある意味、こう思った。「死にそびれたか(笑)」その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。
生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。
死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。
出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。自分の生きた世界を愛している。そう思えることそのものが幸せだ。
私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。いま死について思うのはこういうこと。「残念としかいいようがないな」本当に。
しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。両親とマッドハウス丸山さんだ。今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。許しを乞いたいような気持ちだった。
自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。「すいません、こんな姿になってしまいました…」丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。感謝の気持ちでいっぱいになった。怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。
一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。けれど少しは理解もしてやって欲しい。だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。
私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、「大丈夫。なんとでもするから心配ない」とのこと。泣けた。もう号泣。これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。今回も同じだ。私も進歩がない。丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。
両親に告げるのは本当に切なかった。本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。
それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。一大決心をして親に会うことにした。両親だって会いたがっていた。しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。私は本当に幸せだった。ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」何も言えなかった。
両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。
ありがとう、お父さん、お母さん。二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。
両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。
最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。「私、最後までちゃんと伴走するからね」その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。「私の妻はすごいぞ」今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。
気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。深く深く感謝いたしております。
そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。何から何まで、本当に世話になった。で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。心から頼む。
さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。
じゃ、お先に。
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http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565
無断転載しました。ごめんなさい。
俺は仕事で欧米に移り住むことになって4年目、妻とは昨年結婚してから来てもらった。
共に30代を回ったばかりなのだけど、妻が最近子供を早く作りたがっている。
もしも日本で「正社員」のポジションをもらってれば、たしかに今頃既に子作りに励んでいたかもしれない。
あるいは、今この場所にあと2年残ることになってれば、やはり積極的にここで作ってたと思う。
というのも、こちらのほうがきちんとした大学病院を使えるので。
でも任期の関係で来年夏にはここを去ってどこか(日本かわからない)に行かないといけない。
タイミング的には昨年の秋に作れば間に合ったのだけど、そのときには妻はこちらの言葉に自信がないからとそのプランは拒否したのだった。
でも周りを見ると、日本の企業からの出向で来た人なんかは言葉ができてなくても(実際、通訳も出産時には付くらしい)ぽんぽん作ってる。出向である程度余裕が出来るから。(あるいは俺よりももっと半端なキャリアの腰掛の人=PDでも、つい作ってしまう人が多い。)
また「奥さん」コミュニティーだと子持ちが多数で、「おたくはいつ?」みたいな無神経な会話も多いので(それを現地人にやるとハラスメントなのに)、余計に妻は子作りのプレッシャーを受けているらしい。
で、他方で自分自身はいわゆる「修行」というか研修の身みたいなもので、来年度以降の「正社員」としての雇用が定まってない。経歴としてはなんかにはなるし、妻もそう思ってるのだけど、具体的に決まってるのでないから、万が一のことを考えると子供なんか今は養えない。この1年が就職活動の正念場なので、そこを待ってほしい。
というか、そもそも受精をする気が出て来ない。結婚前に日本に帰国したときなんかは、長距離のフライトから戻ってシャワーも浴びずに玄関先で乳くり合っていたものだけど、今は勃起も義務感のせいで尚更完全ではない。よっぽどネットでエロ動画見たほうがいい。本当は妻がそれなりにそそる格好をしてくれれば十分に立つのだけど、彼女も(子供作りたいとかいうくせに)結婚後はだらけたTシャツ・パジャマで動物的(といっても野性的に興奮するのでなく、単なる交配)にしかセックスしない。
そもそも俺との子を作りたいなんてことじゃなくて、私ももう年だから子供を作るなら今作らないと(って言う割りに子供が大好きっていう言動もない)としか言わないから、俺は単なる種馬かと思ってしまう。実際、最近は精子を冷凍保存して、就職活動中に彼女だけ実家に戻って受精するからなんてことを言う。
ほんと種馬でしかなくて、こっちが就職決まった後に、子供と共に実家に引きかえって生活費だけぶんだくろうという気かと邪推してしまえもする。
ヨーロッパにいる友人宅に、お土産もって会いに行きがてら泊めてもらおうかな、と考えている(友人の都合は確認済)
勤め先の会社はまとめて夏休みを取得しても、1日ごとに取得しても良いという比較的自由なシステムなのだが、
自分の業務の都合で「どうしても会社にいなければならない日」があるため、友人の予定と自分の予定をかねあわせて往復の時差とかフライト時間考えると、どうしてもシルバーウイークにひっかけた3泊4日が限度。
で、飛行機代調べてみたら、往復で19万ぐらいかかるのだね。
さほど裕福ではないので、「友人に会い、さらに海外旅行という経験&価値」と、「ホテル代はかからないとはいえ、数日しかないのに飛行機代だけでそんなにかけていいのか?」というところで、行こうかどうしようか揺れている。
iPadを買って何かと話題の電子書籍(有料でダウンロードするもの)に触れてみたが、思っていたのと違っていて落胆が大きかったので、電子書籍はかくあるべきだ!と感じた点について記しておく。
結論から言うと、「金を払ってダウンロードした電子書籍は購入者の所有物として、購入後は購入者が閲覧環境に関わらずいつでも自由に読める」ということを電子書籍の最低限の常識としてくれないとやってらんねーぜこっちは!と思った。
例えば電子版のVogueを購入してみたのだが、アプリの起動時に何故か通信を始める。Wi-Fi等の通信可能環境下であれば当然通信終了後に問題なく読めるのだが、通信環境下でない場合、通信中のアイコンが点滅した状態から先に進まず閲覧モードに入ることが出来ない。後になって、通信環境にない場合はiPadを「フライトモード」に設定することによって起動時の通信を回避できることに気づいたのだが、そもそもこのような設計仕様となってしまうのは、「購入後でも起動時に通信が必要な仕様としてしまうと、読書環境の自由度を制限することにつながる」という認識が配信者側に足らないのが原因であるように思う。
また、ソフトバンク提供のビューンも同様に、閲覧するためには通信が必須である。Wi-Fi環境でダウンロードしておいて後で読む、という使い方は完全に出来ない(フライトモードでも通信回避は不可能)。
Vogueの場合は単純な設計ミスまたは説明不足だと思うので今後改善されて俺が思うあるべき姿に到達するだろうと思う。
問題なのはビューンだ※1。閲覧環境や内容に制限がある代わりに、月額はホンの数百円というビジネスモデル。定額料金を毎月徴収し売上を確保するためにこのような仕様にしているのだと思うが、内容はまだしも閲覧環境に制限があるのは書籍としては致命的な欠陥である。金だけとられて手元には何も残らないと感じる人が多いのではないか。
つまりは、電子書籍は購入後に閲覧環境に制限のないオンデマンド配信を絶対的な主軸として展開してくんないとユーザーはついていけないよということ。月額基本料金形態は絶対的に支持出来ない。
「金を払ってダウンロードした電子書籍は購入者の所有物として、購入後は購入者が閲覧環境に関わらずいつでも自由に読める」これが動かすことのできない大前提であるべき。で、これで採算が取れないというのなら単純に単価を上げるとかね※2。権利保護が不安ならまぁ読める期間を1年とかに制限するとか(これはユーザーとしてはちょっと不満が出るだろうけど)。
とにかく、ビューンのような月額基本料金ビジネスが電子書籍配信のスタンダードになって、電子書籍の可能性が潰れるようなことは絶対に起きて欲しくない。
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※1:さらに言うと、ビューンは「地球の歩き方」も読めて、「ああ、こういう旅行ガイドブックは電子のほうが旅先でかさばんなくて超いいな!完全版欲しいなー」と思ったのだが、例えば出版社側が「ビューンで読めるので完全版の配信予定はございません」とかなったりしちゃったらこりゃ最悪だぞ!と危惧している
※2:紙書籍より安くなきゃいけないなんてことはないからね。電子のメリットが発揮されてたら紙より高くても買う人は買うと思う。
コード・ブルーは2nd seasonを初めて見たのだけど、
米ドラマ「グレイズ・アナトミー」に類似するエピソードのあまりの多さに驚いた。
作品として先に発表されているのはグレイズ~だから、
パクっているのはコード・ブルーのほうになる。
大体のケースがそうだけど、パクっている方が話として弱い。
元ネタでは根拠のあるエピソードを、
根拠の部分をとっぱらってエピソードだけもってきてるから、わけがわからなくなってる。
グレイズ~を先に見ている家族は、これが気にならないのか不思議だったので聞いてみた。
「コード・ブルーってグレイズ・アナトミーパクってるけど、気にならないの?」
「どこがパクってるの?あっちはインターンものだけど、こっちはフライトドクターものじゃん」
思ってもみない返答だったので、追及せず終了。
好きで見ている人間がいるのだから、
不快になるような感想は言わないでおこうと思いながらつきあっているのだが、
ついついあまりにも似ているエピソードに関しては
「どっかでみた、どっかでみた」
とか、つい言ってしまっていたのだが、全く気にならなかったらしい。
おまけに
って言われたので、思わずこう返した。
「それはコード・ブルーがパクってるからじゃん、ERでそんなにエレベーター出てくる?」
グレイズ・アナトミーではエレベーターを使うシーンを明らかに狙って作っているし、
それがとても効果的になっている。
グレイズ・アナトミーを思い出させるようなつくりであることがとても多い。
というようなことを言ったら、あっさり納得した。
べつに、コード・ブルーがパクリ作品であることに同意してほしかったわけではない。
ただ、主体で見ている人間が気にしていないことの方に納得がいかない。
初めに謝っておく。浮気しましたごめんなさい。
話し相手は当然彼しかいない。
彼が帰ってきたらたくさんお話したい。
そうして彼にまとわり付く私はどんどん邪険にされていった。
「じゃま」とか「あっちいって」とか。
一緒に寝てもくれなくて、部屋も別。
彼の時間を邪魔しないようにしていたら話すのは食事の時だけになった。テレビを見ながらの。
そんな構ってもらえない日々に耐えられなくなって別れ話をがんばってした。
あなたのことは好きだけど耐えられないので地元に帰りますと。
飛行機を予約してフライト時間を伝えるとようやく彼が焦り始めて
どういう話をしたのか覚えてないけど翌日には仲直りしてた。
これは本当に判断力が狂っていたとしか言えないのだけど
持病の発作が辛くて心細くなってしまっていてつい、研究職の彼に看病に来てもらってしまった。
SEの彼の”ここから浮気”のラインは密室で二人きりになること。
すっかりバリアがほどけてた。
浮気、だ。
そして看病に来てくれた研究職の彼は付き合ってくれと言う。
彼氏のことが好きな気持ちには変わりがないから遠距離でもメールがたまにでも満足してた。
それなのにこの贅沢すぎる展開で結論を急がなければならなくなった。
SEの彼のことは好き。男女間として。
だから別れ話なんてする気にならない。
研究職の彼のことは人として好き。尊敬してる。一緒にいて楽しいし、いつまでもお話していたい。
ただお付き合いするには頼りない気がしてる。
両方ともピンと来ないし両方とも大事な人。
恥ずかしながら彼氏のことをだーりんと呼んでいて
私のだーりんはSEの彼。
だーりんと言って思い浮かべる顔はそんなにすぐに変わらない。
頭が追いつかない。
お付き合いってなにするの?
好かれてない気がするけど成立してるの?
好きな人に看病してもらうのはお付き合いしてないとだめなこと?
近くにいて、声も姿も文字も全部で好きって言ってくれるのを私はどう返したらいいの?
みんなはどう選んでるの?
お付き合いは何をすること?
静岡県に住んで2年になる。出張がてら富士山静岡空港を3回くらい使ってみた。今年開港したばかりのあたらしい空港だ。
感想としては、この空港はビジネス客のこと一切考えてないということですね。というのも、書類やパソコンを置くデスクがない。あと、今どき、電源プラグがない。
この空港は、クルマジャンキーの静岡県らしく、自家用車でのアクセス(だけ)が想定されている。結果、連絡バスと飛行機との接続が悪く、空港で2時間近く待たされるなんてことがざら(東名高速はすぐ渋滞するので、ぎりぎりのバスでは危険すぎる)。というわけで、県外からのビジネス客はラウンジどころかコンビニと寿司屋しかないような空港で、ベンチに腰かけて待つしかない。作業のできるデスクくらい作ろうよ。
さらに、上述のとおり電源がない。たまたまないわけではなく、無断借用を警戒して、利用客のいる空間からコンセント(プラグ)をほとんど追放している。確信犯。羽田や札幌や中部や福岡は無料の電源が豊富にあるし、佐賀や愛媛や小松や女満別などは、職員に言うと「不便な空港ですみませんね~」と言われつつ、電源を貸してもらえた。
ところが、富士山静岡空港の職員は違った。
「掃除用のコンセントを勝手にお使いになる方が多いので、その都度、注意しております」とのこと。
その物言いに違和感を覚えた私が、「今どき、空港の電源使用は必須のサービスだと思いますけど?」と聞いたところ、
「みんなの空港ですので、一部の方だけを優遇することはできないという、公共のルールです」と自信たっぷりに言われた。
静岡県のネイティブはこの手の高飛車で役人的な奴が多くて私はいつもうんざりしているんだが、それはともかく、
「では、空港使用料を払っていない、空港見学の住民がトイレを使って水を流しているのも注意なさっているんですか?」とお聞きすると、
「この空港の決まりごとですので!」と繰り返すだけの壊れたレコードになってしまった。
いや、無許可で電源を使ってはいけないのは分かるよ。私もそれはしない。
ただね、空港での電源開放が「一部の方への優遇」になるという発想はどうなのかなと。
私は、空港での電源使用は最低限のインフラに含まれると思います。特に、こういうフライトの前後にやたら待たされる空港では。実際、静岡空港の複数の職員は、電源プラグがないというクレームをよく受けていることを認めた。
富士山静岡空港(というか静岡県庁)のおかしいなと思うところは、クレームが多い案件を改善点として上にあげるのではなく、「ルール違反者」として処理したがるところ。別に、空港に温泉を作れとかムチャクチャ言うてるわけじゃないのにねえ。
そのようなわけで、富士山静岡空港の真意がどうであれ、この空港をビジネス用途で使うのはやめたほうがよいなと思った。
あと、コンセントを無断使用していたわけでもなく、ただ利用の有無を問い合わせただけの人間にまで「説教」口調で話しはじめたのがいかにも静岡県民らしいと思いました。この県は全般に、接客下手なんだよな。これは余談だけど。
成田と羽田の国際線/国内線の線引き問題で,いろいろな声が上がってる。
一番大きいのは,成田闘争という歴史の積み重ねに対する感情部分を丁寧にフォローできるかどうかの問題だろう。
それは大事な部分だということで別枠に置くとしても,成田の人々が「空港都市づくり」というものに何を期待しているのか,どうにも理解できない。
成田空港を利用した個人的経験からすると,観光旅行客も出張旅行者も空港にたどり着いたら,基本的には空港施設に閉じこもり,フライトを待って飛び立つか,都心へ向かうバスや列車に乗り込むかしかしない。正直なところ,観光客やビジネスマンの利用数が増えても,空港施設はともかく,都市や街へのメリットは限定的では無いかと思う。(利用料が増えることによって,その地域に落ちるメリットがあれば,ぜひ教えてください…)
むしろ,成田空港は,徹底的に貨物空港になることに徹したらどうだろう。
素通りする旅行客やビジネスマンよりも,貨物に関わる従業員や貨物に関わる関連企業の誘致,貨物に関わるビジネスマン達の滞在環境を整える戦略をもって「空港都市づくり」を目指した方が,よほど効果があるんじゃないだろうか。
あるいは,それでも観光客やビジネスマンの利用者が多い方が地域に落ちるメリットが多いなら,それを誰か説明してもらえると有り難い。