はてなキーワード: ドイツとは
「ドイツ人の切断処理の話は、西尾によるでっち上げ」は、流石に無理があると思う。
例えば、岩波新書の『ドイツ史10講』を読むと、著者の旧西独への留学経験から「しばしば『日本と異なり、ドイツは戦時中の過ちに向き合っている』と言われるが、著者が留学した当時の現地ドイツ人はそのような雰囲気ではなかった」と述べてある。これは一例にすぎないが、右派・保守派ではない歴史研究者からもドイツ人の切断処理を覗わせる証言は、まだまだ他にも探せば見つかるだろう。だから、西尾当人に対する評価とは別にして、やはりドイツ人の切断処理はあったと考えられる。増田とは異なり、専門研究者の証言を自分は信頼する。
例えば岩波新書の『ドイツ史10講』を読むと、著者の旧西独への留学経験から「しばしば『日本と異なり、ドイツは戦時中の過ちに向き合っている』と言われるが、留学した当時の現地ドイツ人はそのような雰囲気ではなかった」と述べてある。とくに右派・保守派ではない歴史研究者からもドイツ人の切断処理を覗わせる証言は見られるので、西尾に全て負わせるのはかなり無理な話だと思う。
>メルケルは極左に振れているという噴飯ものの意見も多く見られた。メルケルの所属するCDUは保守政党である。
この一文こそが『噴飯ものの意見』だけどな。ドイツに住んでるけど、CDUが保守だと思ってるドイツ人いない。そもそもドイツ人の大半が日本なら極左呼ばわりされるレベルでリベラルだし、ドイツだと保守≒ナチみたいになってるから保守だと見なされたら国民が支持してない。仮にCDUが保守政党だったとしてもそれはFrau Merkelが保守だということを指さない。日本から彼女がどう見えてるのか知らないけど、保守よりかはよほど極左に近いよ。
ドイツ人がナチに責任押し付けたとかは嘘だと思うし、実際心から反省してるように見えるけれど、あれはパフォーマンス・集団自慰行為なのはみんな知っておいた方がいい。「反省する我々、謝罪する我々、道徳的に正しい我々」にウットリ陶酔してるだけ。現に、パフォーマンスにならないから旧植民地について反省の弁を述べているドイツ人を見たことない。本質的な部分は昔から全く変わってない、思想の多様性は決して許さない全体主義のファシスト。今も昔も「我々が正しい」と思ってるのがドイツ人。
何にせよ、WW2でドイツと日本がやったことは全然違うんだから、そもそも比べることがおかしい。
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ドイツの現状を書くだけですぐ文句つける人出てくるけど、こっちの極左ってこれ↓だって知らないんだろうな。いいね日本は平和で。ドイツみたいな半壊国家見習わず、ずっと平和維持してください。
Robbeetsさんが通説扱いしている「4000年前の遊牧民が喋っていたという説」が
最低でも日本国内では有力な説として流布されていない
ということを言いたかったです。
Robbeetsさんの中では通説なのが
これが日本国外、特にRobbeetsさんの住んでるドイツ近辺でどこまで通説扱いされているのか
ちょっとわかりません
ドイツとナチスが絡むと必ず出てくる言説で、ここでもやはり大量に見られる。
はてなブックマーク:欅坂46も立憲民主党議員も…「ナチスをもてあそぶ日本人」にドイツ人がドン引きする理由 | 文春オンライン
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/50047
なんかズルいなあ。現ドイツはナチスとは別で第2次大戦は全てナチスが悪いっと言ってる感じ。昭和天皇は責任から逃げなかった。
コイツの祖父や祖祖父の世代がナチスを指示したからナチスがああなった。ナチスに全てをおっ被せているのは否定できないだろうよ。
ナチスこそが全ての原因で邪悪で悪魔で国民はその被害者という形にしないと成り立たないのがドイツ。想起するあらゆるものは排除っていうスタンスは、他のジェノサイド等の件では全く見られない特殊なもの
戦争責任をナチスに押し付けたからこそ、「我々一般のドイツ人とは違う狂信的な集団」として極端にタブー視する必要があるんじゃないかと穿った見方をしてしまう。
そりゃ「ナチス党を絶対悪においてドイツ人が悪い訳では無い」というスタンスだからな。だから謝罪も賠償もしない。外から見ると「ナチス⊂ドイツ」だけどな。
この言説の出元はズバリ西尾幹二である。といっても西尾が「西ドイツ(当時)はナチスを切断処理して反省を拒否している」と言ったのではない。
前年に西ドイツ大統領に選出されたヴァイツゼッカーは1985年連邦議会で後に有名となる演説を行った。西ドイツ大統領は米国や米国の政体をモデルにした韓国のようなものと違い、首相の上に立つが実権力は少なく元首のような役職だ。
この演説は「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」の節が有名で、要するにナチスの蛮行の責任を戦後のドイツ人は引き受けねばならない、蛮行に手を貸していないと言い張るのは許されないとの内容だ。
この演説を岩波の『世界』が取り上げて掲載し、後には数百円のリーフレットも発売した。「戦争への反省のモデルケース」としての評価であるのは言うまでもない。
因みに『世界』は敗戦後に相当な影響力を持った論壇誌だったが、経済成長や全共闘の進歩派攻撃などによって影響力は下がっていた。だがこのヴァイツゼッカー演説の掲載は反響を呼び、リベラル人士に挙って引用されるようになった。
ところで複数人で編集されるwikipediaのヴァイツゼッカーの項は、演説内容が「悪いのはヒトラーとナチズムであり、ドイツ国民・民族も被害者である」だったとの節と、「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。」との引用文が併置されるという面白い状態になっている。
この盛り上がりに対し、ドイツ文学者の西尾幹二が文藝春秋社『諸君』で批判を加えた。
「演説文章をよく読んでみると、ドイツ国民の直接の罪は回避されている」「ナチスの罪はドイツ国民個人に無い事が前提となっている」という内容だ。
そして「日本の戦争犯罪と違ってナチスの罪は人道に対する罪であって国家そのものが犯罪国家で責任の取りようが無い」。
責任が取れない種類のものを引き受けると言っているのだから欺瞞だ、という事だ。
これは文章解釈であり、悪意を持てば文章は逆の意味に解釈する事も出来る。(「ナチスの手口に学べ」は反語だ、など)
それは言語的堕落だが、西尾がそう評価されなかったのはニーチェ思想を専攻とする文学者の実績があった為だ。例えば中央公論の『世界の名著』シリーズのニーチェの編纂、解説は西尾である。実態が無い〇〇総研勤務や過去論文が紀要に全くない文学研究者やバイト以外職歴不明の動画投稿者ばかりで構成される昨今の保守論壇と当時は全く違った。
それ故、西尾の批判は「無邪気な戦争責任論への懐疑」として評価されていた。ヴァイツゼッカー演説のリテラル(文字通り)の内容は、云わば民族原罪論のようなものなので、それに対してニーチェ的視点から欺瞞を突きつけたくなるのは無理もない。
但し、
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
の様な一文を持って「集団が免責されてる」という辺りはニーチェもへったくりもなく単に低質なデマだ。あとで触れるがこれをやり始めたのは小林よしのりだ。この文章は「当時にも残虐行為にタッチしていない人間は居たがその罪は国民は免れない」という意味だからだ。
だから西尾を哲学的文脈で好意的に評価する時、こういう所は無視して、ユダヤ・キリスト教の道徳に類似した欺瞞を指摘した、と評することが多い。
だが西尾はニーチェ専攻にも拘らずにルサンチマンに駆動させられやすく、「切断処理を表明する演説」論者にのせられてそう言っちゃうのよな。で、論壇が経歴不明なバカや宗教右翼で埋まってパージされると冷静さを取り戻す、というのをずっと繰り返している。
90年代前半までとその後の保守論壇というのは質が全く違って、例えば引用したブコメで言うと、
とかは今は普通に見られるが、当時ならあり得ない。何故といって日本は交戦相手の米英仏豪に謝って賠償金を払っただろうか?勿論していない。
フィリピン以外の賠償金は全てチャラにして貰った。特に米国は自国の民間企業に対しても対日債務は諦めるようにした。ドイツも同じスキームだ。
そして日本はそれら交戦相手の連合国にチャラにしてもらう代わりに戦場となった主に東南アジアに対して復興後の開発援助を約束した。これらの戦後処理を全てやったのは自民党であって、それ故保守論壇人士の方が戦後処理に詳しかった。だから「ドイツは交戦国に賠償していない」なんて事は相当のバカじゃなきゃ言わなかった。それはどこも一緒だから。
こういう訳で当初は「ニーチェ研究者の文章解釈」として評価されていた西尾言説が、「ドイツはナチスを切断処理して反省を拒否する立場である」という風に化けて行く。
この決定的な曲がり角は先にも言った小林よしのりなのだが、小林を論壇に引き込んだのは西尾なのだ。だから西尾は小林やそのフォロワーが後者の言説を流布して行くのを黙認していた。
その後西尾は宗教右翼に教科書運動を乗っ取られてパージされてしまい、「彼らの運動論は左翼のそれだ」と批判する羽目になるのだが、彼らを引き込んで論壇の真ん中で活動させたのも西尾だったのだな。
という訳で「ドイツはナチスを切断処理して反省しない立場」節の原初は西尾で、それが解釈ではなくて「表明したという事実」に化けていったのである。
2015年にメルケルが来日した際、朝日新聞で講演して安倍政権の歴史認識を批判する場面があった。
講演、インタビューに態々選んだのが朝日新聞というのは明確なメッセージだ。
これにネットの一部は沸騰してドイツ叩きが盛んになった、という事があった。
何故そんなに逆上したかと言えば、一部で「常識」となっているドイツナチス切断処理論と反対の立場から冷や水をぶっかけられたからだ。
仕舞にはメルケルは極左に振れているという噴飯ものの意見も多く見られた。メルケルの所属するCDUは保守政党である。
このナイーブな恐慌状態は集団で信じていた事を現実が裏切る事で起きていたので、これぞまさにルサンチマンだ。
ニーチェの思想に沿って生まれた解釈が30年経って反ニーチェ的なナイーブに転化していたというのは寓話的だと思う。
当たり前だが、メルケルもドイツもナチス切断処理なんて立場を表に出した事は無い。統一ドイツの成立条件見れば当たり前だ。
西ドイツはEC加盟国だったが東ドイツはそうではない。統一は他の加盟国の承認が必要だった。
そしてベルリンというのは統一の前日、最後まで連合国の占領下にあった。
ソ連は勝手に東ベルリンを自分の勢力下としてしまったが、米仏英はそんな事認めていない。法的には最後まで共同統治であった。
つまりベルリンの占領はこれら4国の承認が無い限り解けない。もしヴァイツゼッカーがナチスを切断処理してドイツに責任無しという演説をしたら、東西ドイツがその態度だったら、ベルリンを首都に出来ただろうか?
そしてEUの顔役が出来ただろうか?
当たり前すぎてバカらしい。
サイモン・ウィーゼンタール・センターには通報フォームがあるから、誰でも通報できます。
米山の言説は「ありもしない被害を言い立てる」という主張を「ユダヤ人気分」という表現に連結していることから、米山は「ショアー(一般的にホロコーストと呼ばれる)は無かった、或いは小規模の被害でしかなかった」と考えているのではないかと推測されます。つまり、米山は歴史修正主義者の疑いがあります。
ちなみに、東京五輪で小山田圭吾の過去の問題行動が批判を集めて逃げられなくなったのは、小山田らの被害者が障害者だったため、国際社会においてナチスドイツのしたことと地続きと見做されたからです。なにしろ、ナチスドイツは障害者を絶滅収容所送りにしたので。
退廃芸術の排斥論を掲げて、特定の文化に関わる人々を特定地域に押し込めようと主張する米山が、国際社会からどのように見られるか、注目したいところです。
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中国が世界のシェア5割を占める。製錬に大量の電力を消費するため先進国では製錬が出来ない。
地表のどこにでもあるが高純度の金属シリコンには大量の電力を必要とするため生産国は限られる。
2017年ぐらいの資料では日本企業が多結晶シリコンのシェア5割を占有していたが、現在は中国企業が8割を占有
2004年はシャープを筆頭に日本企業が世界シェアの7割を占有していたが、2020年には世界シェアの67%は中国企業が占めている。日本、ドイツは脱落。
リチウム原料はオーストラリア、中国、チリ、アルゼンチンの4か国で全世界のリチウム原料の産出量の95%を占めるが。リチウム鉱石に含まれるリチウムはわずかに6%、最大産出国のオーストラリアから中国に鉱石を輸出し、中国で精製している。
リチウム精製は環境を破壊するため先進国ではコストが合わない。
チリ、アルゼンチンはかん水によるリチウムの産出を行っているが、中国資本下にある。
電池に用いられる主要4部材,、2020年で中国製負極材は8割、正極材、電解液で7割、セパレーターで6割を占める状況。
世界シェアの7割をコンゴ共和国が占めるが、世界最大の銅コバルト鉱山の買収等、コバルト鉱石のシェア35%は中国資本下にある。
いわずもがな。
タンタルコンデンサはノートPC、タブレットPC、スマートフォンに使用される。
中国にはあまり存在しないレアメタルだが、欧州企業の製錬を引き受けているため3割のシェアを持つ。
中国が6割の産出量を占める。
軽希土類
いわゆるレアアース、中国の埋蔵量自体は30%だが、製錬作業には著しい環境破壊が伴うため、先進国では生産コストが折り合わず。
重希土類
レアアース、生産過程において放射性物質であるウラン・トリウムを随伴産出するため、先進国では生産不可。
日本の排他的経済水域内、太平洋下5000mに重希土類を含む泥の存在は知られているが、採算が取れる見込みは無い。
レアースの一種、鉱石産出量、中間材の酸化ネオジムの生産シェアは中国が約9割を占める。
権力を持ちさえすれば卑劣なデマが許されるってんだから腹立つ💢そしてドイツで共産党でっち上げたナチスみたいなやり方
欧米、特にヨーロッパの難民を見ていると、難民先(ドイツ等)に対して、職や自国民と同等の権利をあてがえ、一方で自身の信教にも配慮しろ、という主張が散見できる。
自分自身、難民になったことは無いし、難民の知り合いもいないという前提で発言するけど、一日本人的な主観としてはこれは傲慢だと思う。郷に行っては郷に従え。ヨーロッパにも似たようなことわざがあるよね。
人道的な難民キャンプを作ってくれれば、そこで生活します。衣食住も標準的なものを提供してもらえれば構いません。その上で、我々も代表者を選出し、国際社会に向けて我々が無事に帰国できるようアピールします。
って主張するのが、本筋だと思うんだよなぁ。
こう言うと先進国の傲慢だと思われると思うけど、難民ってのは自国で迫害されて、生きるか死ぬかで逃げてきている(っていう定義な)んだから、仕事などプラスαの権利の前に、まずは生存権の保障を要求し、難民先もそれに応えるべきだと思う。
いきなり働かせろ、就労ビザをよこせ、ってのは、その国に住む人のみならず、その国で審査をパスして就労ビザを得た外国人に対しても、大変傲慢な主張なんじゃないかと思う。
お前が難民になっても同じ主張をするなよ、って批判する人もいるかもしれないけど、それはなってみなければ分からない。
ただし、仮に他国の税金で養ってもらう立場になるのであれば、それは当然の権利として受け取るのではなく、その国の納税者に感謝するとともに、その国のルールに従って権利を享受したいと思う。