はてなキーワード: めでたしめでたしとは
バスタがスポンサードなんじゃないの? 高速バス-バスタ着のシーケンスを入れる必要があってあんな展開になってしまったのでは。
この部分は「神話的試練」として描かれていて、フィクション内でも飛び抜けてあらゆることに現実感が薄い。選ばれし者が最後は独力で約束された勝利の剣を抜いて悪魔を打ち払う儀式を超えてめでたしめでたしとなった。それはいい。ただ次のシーンで日常に戻るので、ふつうに観ていたらふつうに唖然とすると思う。
いやマジでそりゃないだろ。U世界で解決できなかったの? あの正義マンがアイツというわりと王道なルートは却下されたの? 現実世界で救われた竜の傷が治るシーケンスがあったんちゃうの?等いろいろあるが、やはりバス移動シーケンスを入れるためには直接対決、というふうにねじ曲がってしまったのでは……
物語全体にも突っ込みポイントは色々あるけど、演出で十二分にカバーしていると思う。それを越えてラスト付近には不自然さがにじみ出てしまっているので、どうにもならなかったんだろうなあ、というのが現時点での俺の推測
みたいな言説に負けてんじゃん
で論破できる言説ではあるけど、相手が馬鹿すぎて通じてないじゃん
本来リベラルが言いたいのって、「1人1人を尊重しましょう」ってのでしょ
マイノリティも含めて1人1人を尊重すれば、結果的に多様性が保たれ、育まれるってだけで。
多様性のある集団の副産物として、今までになかった商品だとか、誰も取りこぼさない行政サービスだとかがあげられるかもしれないけどこれも本質じゃないでしょ。あくまで副産物。
なんのために多様性のある集団を作るかって、いい商品を作るためじゃなくて、「普通と違う人」も他の人と同じように集団に属せるようにするためでしょ。
で、そういう社会では今まで「普通の人」とされていた人、普通でなくては排除されるからと普通のフリをしていた人、抑圧されていた人々も自分らしく生きられるんでしょ。みんなが幸せになって、めでたしめでたしと。
本来の目的は、差別主義者をコテンパンにすることじゃなくて、みんなが幸せになることでしょ。
で、最初の「差別する人もいるのが多様性」ってのに立ち返ると、たしかにそれは多様性だけど本来の目的である「みんなが尊重されて幸せ」は達成されてないわけだろ。
多様性って言葉にひきづられて、何でだか知らねえけど「生物多様性」「遺伝的多様性」とごちゃ混ぜにした奴が、「障害者は遺伝的多様性の観点で有用なんだ」とか優生学方面に飛ぶ奴もいるし。
多様性をお題目にするからこうなるんだよ。障害者も健常者も有用であろうがなかろうが幸せになるべきというのが出発点の筈だろ。
ブコメだと結構な量の綺麗事が溢れているけど、どれだけ言っても公園からホームレスを排除しなきゃ増田の言うところの子供にしわ寄せが来るという現実は変わらないでしょ。
福祉を充実させればホームレスは減るだろうけど、それで全てがめでたしめでたしで解決するなら貧困問題なんてこの世に貧困問題なんて存在しねぇよ。
いやまあ、子供よりもホームレスを優先しろ! って言うなら(俺は賛同しないけど)筋の通った一つの意見だと思うよ。
でも、「お手々つないで仲良くしましょうね」レベルの具体性のない意見で浅ましい自己満足のためにホームレスを庇うなら、それは子供にしわ寄せが行く社会設計の消極肯定でしかねぇだろと。
バカが考えもせずに「ゲームに批評なんて必要ない!」ってキレてる姿がよくネットで散見される。
録画してカウチポテトで爆笑しながら鑑賞したいくらいおもしろいバカなんだけど、バカが心配せずとも、批評はどんな分野にも必要で、にもかかわらずゲームに批評は今も昔もこれからも存在しないので大丈夫です。
「あらゆるゲームを網羅しているフリができる人がいないから」。
批評っていうのはつきつめればおもしろいつまらない価値があるこれはゴミだみたいな判断を下すことなんだけど、
じゃあなんのために価値をつけるのか、っていえば、歴史にその作品を位置づけるためです。ここでいう歴史っていうのは何年にスーパーファミコンが発売されて何年にファイナルファンタジー6が出ました、とかそういうカタログの話ではありません。いやまあ、カタログの話と関係ないわけではないんだけど。
で、その歴史が何でなりたっているかというと、網羅性と「名作」への共同幻想なわけですよ。
これがゲームでは大変むずかしい。
網羅性とは最初に言った「あらゆるゲームを網羅しているフリ」です。
まあ不可能ですよね。どっかのエレクトロミュージシャンがファミコンで発売されたソフトをすべて買って遊んでいたと語っていた記憶がありますが、それが可能だったのはせいぜいファミコンまでだったでしょう。
現在は主要なコンソールだけでも三つもプラットフォームがありますし、PCのインディーゲームにまで手を伸ばしたらキリがない。
プレイ時間だって今どきの大作となれば、クリアまで100時間超えなんてのは普通です。一日一時間〜二時間ずつ進めたとしても一つのタイトルに二ヶ月もかかりっきりになってしまう。そのあいだに、映画なら50本も観られるのに。
JRPGは基本的にレベル上げにさえ時間さえかければクリアできますが、一部のアクションゲームやシューティング、パズルゲームなどはプレイヤーのスキルに依存するため、下手くそはクリアできないという事態が普通に発生する。映画や小説はとりあえず読めば、内容を理解できているかどうかに関わらず、エンディングまでいけます。ゲームはそれすら許さない。そして、ゲームジャンルの得意不得意は人によって異なる。
映画にだってホラー専門の批評家や、SF専門の評論家もいるじゃないか、それと同じでJRPGしかできない人がJRPGの範囲で批評をやる分にはかまわないのでは? と反論される方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、○○専門の批評が成り立つのはメインストリームの批評が存在するからこそであり、そうした足場をそもそも持たないゲーム批評では専門批評もまたありえないのです。攻撃してくる相手がいないことにはカウンターパンチを打てないのといっしょです。
じゃあ、映画の批評家とかは映画ぜんぶ観ているのか。もちろん、そんなわけはない。他の芸術・文学分野でも供給はとっく過多に成り果てている。
でも、かれらは「すべて観ている・読んでいるフリ」ができるわけです。
あああの作家のあの作品ね。こんな感じなんでしょ。と観なくてもいえる。
なぜそんなことが可能なのかといえば、軸となる歴史的名作についての共通了解があるから。
暇さえあれば「20世紀の名作ベスト100!」とかオールタイム・ベスト投票企画をしょっちゅうやっている。
そんな五年とか十年とかの間隔で投票してもメンツ変わらんやろ、と思うし実際にかわりばえしない。しかし、とにかく議論のベースとなる古典を決めておいて、ノるにしろアンチするにしろ、その上でバトりあう。
ゲームにはそれがない。
けれども、なぜそれが画期であり古典なのかを説明できる人はそんなにいない。
ものによったら「その世代にたくさんの人が遊んだから名前が残っているだけ」というのもある。別にそれで残って悪いことはないんだけど、歴史に対する位置付けはやっぱりできていない。
映画や小説だって簡単にアクセスできる古典とできない古典の差がはげしいんだけど、ゲームほどじゃない。
今でこそニンテンドーもソニーもアーカイブスを持ってはいるんだけど、新機種に切り替わるごとにゼロからまたスクラップ&ビルドしているかんじで、ぜんぜん蓄積になってない。どうせ、昔を懐かしんでる年寄りしかやんねえだろ、みたいなナメた意識がありありと伺える。
出している側がそんなんだから、受け取る側の意識が育つわけない。
パニパニの母は警察に電話、ご近所中が1歳のとことこ赤ちゃんを探して捜索開始、大事件となった
そんなこと知らないワイ氏は引っ越し用の段ボール箱をスーパーから持って帰る途中に職質される
なんで警察が人畜無害のワイ氏に犯罪者への目を向けるんやろか?と思いながら「なんかあったんか?」と尋ねるも何も教えてもらえない
なんでや
ぷんぷん😡
スーパー往復して段ボール箱を何度も持ち帰る途中でコース変えたりしてたら人だかりに遭遇
すると、女の人が「ゲ阿古hgじぇあいあおmぎけあお」みたいな大きな声あげて、あばばばばばばって道の向こう側に走っていった
きもっ!!
女の人が泣き崩れながら赤ちゃん抱きしめてる間に奥さんたちに話を聞いたら冒頭の経緯だと知った
小学生曰く、公園で遊んでたらよちよち歩いてきて一緒に遊ぶとまとわりついて離れなくなったそうだ
迷子かもしれないから公園から出たら、偶然にも母のひとだかりにぶちあたった、と。
無事に赤ちゃんみつかりめでたしめでたし、なわけだけど放っておくと消えるよあいつら。
ワイ氏は子供の頃車に気を付けろ言われた三秒後に親の前で車に轢かれた。
むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは大分に殴り込みに、おばあさんは北海道にザンギ修行に行きました。
おばあさんが川で鶏を捌いていると、大きな大きな唐揚げがどっぷりこどっぷりこと流れてきました。唐揚げに目がないおばあさんは鶏を放り投げると一抱えもある唐揚げを拾い家に帰りました。
おばあさんは大分から伝説の唐揚げをかっさらってきたおじいさんと大きな唐揚げを分けようと半分にすると、中から元気な男の子が出てきました。おじいさんとおばあさんは唐揚げ太郎と名前をつけて唐揚げを与えて大切に育てました。
その頃、白いひげを蓄えた南蛮人が異国の唐揚げを広めていると噂がありました。白ひげの南蛮人が唐揚げ店を始めると周囲の唐揚げ店はもちろん地方の飲食店もバタバタと店を畳むことになると恐れられていました。大盛り食堂の息子は「うっせーなKFCでダチが待ってるんだよ」と異国の黒い汁を飲みながら母親を蹴り飛ばすという鬼の所業をするようになったとのことで、かの店は零細飲食店からは「鬼ヶ島」と呼ばれるようになりました。
唐揚げ太郎の家も唐揚げを作っていたので、この鬼ヶ島には大変困りました。成長して唐揚げの申し子と呼ばれるほど美味い唐揚げを作っていた唐揚げ太郎は鬼ヶ島の白ひげを退治しに行くことにしました。
「これを持っていきなさい」
おばあさんは道中腹が減ったときのためにコンビニで唐揚げを買ってきました。
「唐揚げ太郎さん、唐揚げ太郎さん、そのからあげクンひとつ私にくださいな」
「あげましょう、これから究極の唐揚げを作りに行くのについて行くならあげましょう」
唐揚げ太郎はおやつのからあげクンチーズ味を与えて犬を仲間にしました。
「唐揚げ太郎さん、唐揚げ太郎さん、そのファミチキくださいな」
同じように猿が仲間になりました。
話しかけてきたけど逃げようとした雉を唐揚げ太郎はスナイプして、落ちた雉を犬が拾ってきました。
「雉も鳴かずば撃たれまい」
唐揚げ太郎は唐揚げ棒を食べながら雉を背負うとKFCに向かいました。
「いらっしゃいませー」
たどり着いたKFCでは犬と猿を連れて雉を背負った男が現れたので大騒ぎです。
唐揚げ太郎は厨房へ飛び込むと、持ってきた飛び切りの鶏肉を出しました。
「なんの騒ぎですか」
奥から噂の白ひげが現れました。
「良いでしょう、GSで鍛えた私のチキンを甘くみないでほしい」
「俺はそんな小賢しいことはしねえ」
唐揚げ太郎は醤油と酒、生姜とニンニクというシンプルなタレを作りました。
「そんな貧相なタレで味が出るのかね」
「唐揚げはタレで決まるわけじゃねえ」
唐揚げ太郎は犬と猿に鶏肉を揉み込むよう指示を出しました。野生のパワーで犬と猿はあっという間にふかふかの鶏肉に仕上がりました。
「な、なんと……!」
「骨があったら食べにくいだろう、唐揚げの命は柔らかさなんでい!」
唐揚げ太郎の揚げた唐揚げはまるでマシュマロのような柔らかさでした。柔らかさがシンプルな味を引き立て、なんとも言えない懐かしさがある夢のような唐揚げでした。
「ぐっ……負けた……」
白ひげは膝を着きました。
唐揚げ太郎は白ひげの店と提携することになりました。唐揚げ太郎の唐揚げを認めた白ひげは唐揚げ太郎の唐揚げを異国でも売り出すことを勧めました。
こうして唐揚げ太郎の唐揚げは「雉印の唐揚げ」として世界に広がり、団子のように串に刺した姿と雉の色をモチーフとした緑とオレンジのロゴで愛されたということです。めでたしめでたし。
トップブクマに農家がたくさん。そんな今日、借りてきた本を読んでたら、日本の農薬残留基準値が世界に比べてゆるゆるで、単位面積あたりの農薬使用量も中国とそんな変わらないトップレベル使用国と知って、怖くなった。内容は↓みたいな感じ。
https://www.google.co.jp/amp/s/bunshun.jp/articles/amp/42123
メジャーな農薬の主要成分に「グリホサート」ってやつがあるらしいが、日本はこの基準値がゆるゆる。そしてこの物質、発達障害(自閉)との相関があると現在研究が進んでいるらしい。
世界的自閉大国の日本・韓国は、世界的農薬大国でもあり、両者の相関がかなり疑われてある。
自分は農学部農学科出身で、身の回りに農家の倅やフィールドワークで農家農村を良く知ってる人たちが多かったが「日本の農家は農薬バンバン使うよ」ってみんな言ってた。
おらが畑では昔からこうじゃっつって、アカデミックな研究結果無視して、独自の勘で、バンバン撒いてたそうな。こういう体験があるから、なんかありそうな話だなってめちゃ思ってしまった。
けど基準値そのものが、信用ならないって超怖いよな……でも減農薬野菜なんて下級国民には高くて買えないのである。発達発達。(めでたしめでたし)
1.中止するとコアな支持層の反発をくらう
オリンピックは非常に大きな利権の塊なので、中止にすると自民党の一番コアな支持基盤が揺らぐ。それだけは避けたい。
また、なんだかんだで開催してNHKが盛り上げれば、一定の支持は得られる。
はてなに巣食う聡明な皆さんは、国民を馬鹿にすんなとキレるだろうけど、残念ながら国会議員の皆さんの方が国民を正しく理解してると思われ、なんだかんだ盛り上がってめでたしめでたしな人はかなり多いはず。
2.どのみち第五波は来る
オリンピックをやろうがやるまいが、緊急事態宣言解除して経済活動再開したら感染は広がる。いずれにせよ第五波までは避けられない。
どっちみち避けられないなら、オリンピック中止して票を失うよりは開催した方が良いという判断になるのは当然。
今大事なのは、第五波がオリンピック前やオリンピック中に来ないようにすること。
3.対策に自信
三度の緊急事態宣言で、飲食店さえ締め付けたら感染は抑えられるという自信を持ってしまい、第五波が来ても何万人もの人が亡くなる最悪の事態にはならないとタカをくくっているのが見て取れる。
どうあがいても第五波は来るが、なんとか抑え込むことはできそうなので、オリンピックはやった方が選挙的にはプラスという判断だと思われる。
4.ワクチンが確保できた
たぶんこれが一番大きい。ファイザーのワクチンが十分な数確保できたことが自信に繋がっている。
無茶な圧力までかけて計画を前倒しさせ、なりふり構わず接種率を高めることで、第五波の次は来ない想定だと思われる。
オリンピックで危惧される変異株の流入だが、ファイザーのワクチンは今のところ変異株にも高い効果が認められている。
とにかく、ワクチンを確保できたのだから、少しくらいオリンピックで感染が広がったとしても、そこまで恐れることはなくなった。
それなら、票を失うリスクをとってまでオリンピックを中止する理由は全くない。
むしろ、第五波で一時的に感染が広がっても、あとはワクチン接種とのスピード勝負でしかないので、選挙までにガンガン自治体に圧力かけて進めれば十分な勝算がある。