はてなキーワード: 赤城とは
赤城だか加賀だか知らないが、お前らがアニメのオーディオコメンタリーなんかをしっかり聞いてることに驚くわ。
「就職活動で内定を3つ獲得できなければ、大学院の受験を認めない」というものだ。
https://twitter.com/yuichirookuda/status/324168188290011138
奥田ゼミでは、大学院受験に挑戦するには、就職活動で最低内定を3つ取ることを条件としている。
実際、大学院でやっていくためには、最低限、そのくらいの実力は要ると思う。
就活生の名前でググる人事担当者のために、ゼミ生の氏名を列挙しておこう。
赤城 史哉
今井 淳太
平田 恵介
毛 薇壹
西澤 有加
梁 奕良
天野 航成
黒崎 諒也
上條 渉
須藤 美幸
PATRICIA FELIPE
(フェリペ パトリシア)
(2017/7/29)
なお、事実誤認がありましたら、須藤さんのように、私が観測できるように意思表明をしてください。
事実ではないというエビデンスをご用意いただければ記事を訂正させていただきます。
2年前にお名前を挙げさせていただいた、黒崎 諒也さんの近況についても記しておきます。
facebookによりますと、黒崎さんは2019年1月に共愛学園前橋国際大学を中退されたようです。
大学院受験を理由として卒論指導を放棄したために卒業できなくなった可能性があります。
奥田雄一郎教授は自分の業務であるはずの卒論指導を放棄し、学生を退学に追い込んだ可能性があります。
あくまでも推測ですが。
お久しぶりです。
とことん、異性恐怖症再発するかもしれない。
対人恐怖というより、なんなんでしょう。
なんか、必修来ないくせにラウンジでデカい態度取ってるやつ、腹が立つというか、親の顔見てみてぇわ。
どう言う神経してんねん。
#続お年玉
「円」と「縁」。
・
・
という野心に使いたいです。
・
・
Yusaku Maezawa (MZ) 前澤 友作
· 1月19日
【抽選に外れた方へ①】
応募条件はこちらのツイートにリプライする形で、ハッシュタグ #続お年玉 をつけて、あなたの「100万円の使い道」を書いていただくことです。〆切は1/23 23:59まで。リプの内容を見て独断と偏見で当選者を選ばせていただきます。
このスレッドを表示
お久しぶりです。
長い夫婦生活の中でおならの一つや二つしてしまうものですが、まだ新婚なのでちょっと恥ずかしい気がしました。
なのでお尻に力を入れて出来るだけ下品な音が出ないようにして、『ぷぅ』というおならをしたんです。
そうしたら旦那さんは「違うんだよな~!もっとさぁ『ブババ』って!『ブババババ』っておならしてよ!僕はおならからなんかこう生の躍動みたいなものを感じたいんだよ!!」
加えて
「やっぱ三次元は駄目だなぁ!赤城とか加賀なら『ブバブバババババババリバリバリ』みたいなおならしてくれんのかなあっ!!!!」と言われてしまいました。
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6位 島風
(中略)
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先日当落が発表された今夏の夏コミC88において、艦隊これくしょん(略称:艦これ)のサークル数が大方の予想を大きく裏切って前同維持の1846サークルに留まる事態となった。
艦これの同人サークル数は、ゲームのサービスが開始して以来、常に明確な増加の一途にあった。
それが、種々のコンテンツにおける"最大の華"であるアニメ化をもってしてもほとんど増加を維持することができなくなったことに鑑みれば、艦これの同人界隈はついに最盛期を越えて「秋」の時代に突入したと言える。
約2年で成長の限界に達した艦これの同人界隈は今後どうなって行くのか、これまでの傾向を分析しつつ今後について言及してみたい。
尚、本稿は艦これやその他の作品並びにそれらのファンを煽ったり貶したりするものではないことを先に述べておく。
本稿を読み進める方は、あくまで冷静に数字とその結果を見ていただければ幸いである。
序文で「大方の予想を大きく裏切って」と述べた通り、C88の当落発表まで、Twitterや各種掲示板の艦これコミュニティでは「C88では艦これサークル数が2000を超える」ことがほぼ確実視されていた。
読者の方の中にも、漠然とそう思っていた方は多いのではないかと思う。
そのような意見が支配的だった理由を精査してみると、主に以下の2つの要素が根拠として挙げられていることが分かった。
まずは、これまでのコミケにおける艦これ同人サークル数の変遷を見ることにしよう。
・C86(2014年夏):1498 [+362:前同131.9%]
・C87(2014年冬):1840 [+342:前同122.8%]
※註1)C85時点では「301:艦これ」というジャンルコードは存在しないため、有志が計測した実測値となり誤差が含まれる
このように艦これの同人サークル数は毎回約350サークル増という極めて高い増加率を誇っていたことが分かる。
(尚、C84の締め切りは2013年2月であったが、艦これのゲーム本編の提供開始が2013年4月であるため、C84に艦これのサークルは存在しない)
また、2015年は年始からアニメ版艦これの放映が始まり、結果的に賛否は割れたものの大変な盛り上がりを見せていた。
前述したように、ゲームや小説や漫画を原作とする作品において、アニメ化は一般にコンテンツ最大の盛り上がりを見せる場となる。
この傾向は、例えば最近ではアイドルマスター系列作品やラブライブ、進撃の巨人などの作品でも明らかである。
(比較的誰でも簡単に確認することができて、かつこの傾向が顕著に表れる指標としては、pixiv大百科の各作品タグに掲載されている毎日の閲覧数を示したグラフが分かりやすい)
アニメが華と言われる理由はいくつかあるが、本分析のテーマである二次創作や同人に限れば「お金を払ったり特別な装置を用意したりせずとも、TVで見るだけで手軽にその作品の世界に触れることができ、新規のファンが増える」「声や映像によってキャラクターの所作や性格がイメージしやすくなる」という点が大きい。
上述の①及び②のような状況を見て、C88の1846サークル [+6:前同100.1%]という壊滅的な成長率を予想するのはほとんど不可能であろう。
特に②の要素は、他作品の当時の傾向に鑑みれば、本来であれば艦これ同人界隈に大きなプラスの寄与をもたらしたはずである。
C88での艦これサークル大幅躍進を確信する声がほとんどだった一方で、ごく少数ではあるがアニメの出来が良くなかったため、C88ではサークルが艦これから離れるのではないかという意見もあった。
確かに、艦これのアニメに関しては、一部の作画の問題やシナリオの迷走などで賛否が大幅に割れていたことは否定できない。
(賛否の割れた例としては、加賀の弓の構え方、赤城の食べていた大盛りカレーの描写、如月の轟沈、提督が吹雪を採用した理由など、激論が繰り広げられていたのを覚えている方は多いのではないかと思う)
これはニコニコ動画での放送後アンケートの結果からも見て取ることができ、特に3話及び9話以降で顕著である。
しかしながら、アニメが艦これの同人サークル数に負の影響を与えたという考え方には否定的にならざるを得ない。
C88の参加申し込み期限は、郵送が2/4(水)、オンラインが2/12(木)であった。
艦これのアニメ放映開始が、一番早いところで1/7(水)深夜であったため、C88の申し込み締め切りまでに4話あるいは5話まで放送されていたことになる。
アニメの前半期で大きく評価の割れた回は3話の如月轟沈の回のみであり、1~2話及び4話以降はしばらく相対的に評価の高い回が続いたため、サークル数の伸びをここまで抑え込むほどの壊滅的な影響があったとは考えにくい。(則ち、9話以降の影響は申し込み期限の時点では現れない)
もう一つの理由として、堅調なアニメDVD&BDの売り上げが挙げられる。
あれほどまでに賛否が割れたにも関わらず、アニメのBlu-ray Discの売り上げは初巻で2万枚に達するほどの売り上げを見せている。
もちろん、BDの売り上げが艦これの同人界隈の盛衰をそのまま反映する指標であるとは思わない。
また、全巻同時予約かつ予約キャンセルを受け付けない前提で別途特典を付けるなどの一部の販売方法の影響も少なからずあるかもしれない。
しかしながら、それでもなお2万枚という販売数は昨今のアニメBDの中でもかなりの上位に位置しているものであり、それだけアニメに否定的でないファンがいるということであり、言い換えれば艦これファンの絶対数自体がまだ多いということに他ならない。
また、後述するが、同人界隈の動向を調べる上で相関性の高いpixivやニコニコ動画の投稿数等も、アニメ放映中に増加していたことも付け加えておきたい。
以上を考慮すると、アニメがC88のサークル数増加に負の影響を与えたとは言えないと結論付けるべきである。
では、同人界隈と相関性の高いpixiv、ニコニコ動画の投稿数や実際の同人誌即売会のサークル数はどのように変化していたのだろうか。
同人界隈の各種分析を行っているありらいおん氏の所見では、「2周年を迎えた艦これの二次創作は、pixiv・ニコ動とも現在も拡大を続けています。アニメ放送後も、今のところ艦これの二次創作投稿が目に見えて減衰するような様子はありません。(中略)これからの1年も艦これでは活気のある二次創作活動が続くでしょう。」と結論付けていた。
http://ascii.jp/elem/000/001/001/1001334/
しかしながら細かく数字を見ていくと、実際には2月をピークに緩やかに減少を続けていたことが分かり、特に記事の掲載後には一部の指標で前年の極小値を下回る数字が現れていることが分かった。
言い換えれば、兆候はすでに現れていたということに他ならない。
pixivは同人サークルが多く利用している投稿サイトであり、そこでの作品投稿数と即売会でのサークル数の間には強い相関関係が見られる。
【月ごとの週平均投稿数】
・ 9月:3653
・10月:3266
・12月:3997
・ 1月:4089
・ 2月:4516
・ 4月:4001
・ 5月:3790
上記の調査結果から、艦これは昨年10月に極小値を示したあと、アニメ化の影響を受けて急回復し、今年2月にピークを迎え、その後緩やかに減少していることが分かる。
6月現在の投稿規模は昨年9月とほぼ同程度であり、アニメ化によるプラスの影響は全くなくなってしまったと言ってよい。
ここで注目したいのは、C88の申し込み期限であった2月の投稿数が極大値(実際には過去最大値)を示していることである。
C87の申し込み期限は8/21であったが、投稿数が当時の2割増しの状態でなおC88の申し込み数はほとんど増えなかったことになる。
・ 9月:13.15
・12月:13.98
・ 2月:15.61
・ 3月:15.57
・ 4月:13.84
・ 5月:13.02
となり、著しく減少していることが分かる。
特に6月はまだ全体平均が出せないとは言え、11月の極小値を下回る結果が出始めていることは驚きに値する。
pixivの傾向を見れば創作者、閲覧者ともに艦これ離れが進み始めていることが明らかになりつつある。
ニコニコ動画も伸び悩む。
投稿数を見ると、やはり2月の週平均投稿数1200を境に下降の一途をたどり、現在は週平均500未満まで落ち込んでいる。
これは昨年10月~今年1月の平均値とほぼ同じで、やはりアニメ化による効果は消滅したと考えて良い。
閲覧数もアニメ最盛期に週平均約13,500あったことと比較すると、現在の約8800という数字はあまりに寂しい。
これもやはりアニメ化以前の極小値である昨年10月の数字とほぼ同じである。
オールジャンルイベントではない、艦これのみを対象としたいわゆるオンリー即売会が振るわないという話を耳にしたことはあったが、実際にサークル数の増減を検証してみると、
・駆逐してやる!なのです!4:41(-4:前同93%)
・(舞鶴)砲雷撃戦!よーい!16:106(-23:前同86%) ※註2)
・海ゆかば3:133(-74:前同64%)
※註2)「砲雷撃戦」は開催地ごとに規模が全く異なるため、同じ開催地のもので比較
と軒並み前同を割り込む事態となっており、増加したのは
・西海ノ暁5:145(+81:前同179%)
など、わずかであったため、そのような話は強ち間違いではないことが判明した。
参加するサークル数が万遍なく減少しているということは、それだけ艦これの同人サークルが少なくなっていることに他ならず、コミケの参加サークルが頭打ちになっている傾向にも合致する。
無論、艦これはオンリーイベントが比較的多く開催されているためサークルが参加するイベントを選りすぐって見かけ上分散しているという可能性もあるが、昨年と比較して開催されるオンリー即売会の数自体も減少しており、疑問が残る。
コミケと同様に、艦これはその他のオールジャンルイベントでもサークル数が伸び続けていた。
しかしながら、実際に直近のイベントで検証してみると、どうやらすでに頭打ちの兆候は見えていたことが明らかとなった。
・コミックトレジャー:381(-34:前同91%)
直近の同人誌即売会の状況を分析する限りでは、C88での艦これサークル数の頭打ちはむしろ予想されてしかるべきものだった可能性が高い。
上述の各種指標が示す通り、艦これ二次創作の勢力が昨年最も低下した時期と同程度まで落ち込んでいて、尚且つ今もなお減少を続けていることを考慮すると、艦これ同人界隈はすでに成熟期を越えてその先へと足を踏み込んだ地点に達したというべきであろう。
アニメ化を経てその隆盛を維持することが困難であった理由を考察するのは容易ではないが、敢えてその愚を犯して私見を述べるならば、艦これそのものの手軽さゆえに訪れた結末なのではないかと思う。
艦これが多くの人に支持された一番の理由はやはり片手間で遊べる手軽さであると思う。
しかしながら、それ故にシンプルなデザインは大幅な要素の追加を許さず、システムの改良やシナリオの設定・追加などの大幅な改定が行われることはほとんどなかった。
加えて国産艦で追加できる艦は最早ほとんど残されておらず(「信濃」を除けばほとんどが駆逐艦のみ)、海外艦に活路を見出そうと試みているものの、必ずしもユーザーに好意的に受け取られているわけではない。(「ローマ」「リットリオ」などは残念ながらあまり芳しい評価を得られなかった)
イベントや改二、大型建造、キャラクターボイスの追加などで拡大・維持してきた人気を、ついに保てなくなる線まで達してしまったのではないだろうか。
言い換えれば、大変失礼な言い回しであることは承知の上で敢えて使うが、作品としての寿命が近づいているということになる。
再びC88に目を向ければ、半ば公式の同人サークルであるC2機関が落選していることも興味深い。
個別の当落をあれこれと詮索するのは良くないことだが、同規模の「東方Project」で言えば「上海アリス幻樂団」が落選するに等しい事態であり、今後の動向に注目が集まるのは必至である。
以上を踏まえると、今後艦これの同人サークル数が増えるというのはなかなか厳しい想定になると結論せざるを得ない。
これ以降もVita版やアーケード版の発売はあるが、アニメ以上のインパクトファクターになるとは考えにくい。
それというのも、艦これは先述の通りその手軽さがユーザーに受け入れられた大きな要素であり、専用のゲーム機を必要とするVita版、衰退著しいゲームセンターに設置される大型のアーケード版などはむしろその流れに逆行するもので、一時的な話題性はあるにしても、アニメほどの起爆剤には決してなり得ないからである。
各々の創作者に迷惑をかけかねないため詳細は敢えて省くが、すでに一部では「ポスト艦これ」を探る動きも出始めている。
これらは間違いなく即売会のサークル数にも影響してくることだろう。
すでにコミケのサークル数が減り始めている東方Projectの場合は、しかしながら各地のオンリー即売会がなおも堅調で、特に博麗神社例大祭の参加人数が一転して増加に転じるなど一部ではむしろ復調の兆しすらも見られるが、これはひとえに東方ファンが10年以上にわたって積み重ねてきた"基礎体力"とも言うべき根強い人気に下支えされての結果である。
近年のコンテンツ消費サイクルの激しい中、2年もの間同人人気を拡大し続けた艦これではあるが、そのような理由で「単に規模が似ているから」と今後の艦これ同人界隈の行方を東方Projectの現状をもとに比較することは困難である。
2015年に入ってから三ヶ月が経過した。それは、今年のアニメの第一陣(1~3月期)が終了を迎えたということを意味する。
一月に始まったアニメの中で放送前の注目度が最も高かった作品は、言うまでもなく『艦隊これくしょん』だろう。2013年のサービス稼働時から今現在まで破竹の勢いで隆盛を極めていることは、オタク世界に足を突っ込んでいる人間にとっては周知の事実である。特に同人ジャンルとしての隆盛がめざましく、その勢いはかつての『東方Project』を彷彿とさせるほどである。今、最もオタク系コンテンツの中で熱量の高い作品と言っても過言ではない『艦隊これくしょん』の待ちに待った「アニメ化」である。世間の注目度が鰻登りするのはもはや必然だと言える。
だが、そのような前評判に反して、実際に放送された内容はお世辞にも上出来とは言えないものだった。いまいち目的が見えないまま展開されていくストーリー、調和の取れていないギャグとシリアスの配分、そして視聴者に衝撃を与えただけで後の展開にはあまり影響を与えなかった如月の轟沈・・・・・・少なくとも従来の「艦これファン」は戸惑いを隠せていなかったように思える。元々の期待値が高かったこともあってか、ネット上の書き込みでは非難囂々である。
一方、これと比較すると面白いのが『アイドルマスターシンデレラガールズ』のアニメである。これは『艦これ』と同じソーシャルゲームとしての出自を持つ作品なのだが、ブラウザゲーの『艦これ』と違って課金要素が強く、ネット上に出回っている数々の逸話も相まって「廃課金ソシャゲ」の代名詞みたいな存在だった。そんな敷居の高さもあったのだろう。アニメの放送時期は『艦これ』と同時期だったのだが、「アニメ化」に対する前評判・話題性は『艦これ』と比べてそこまで高くなかったように思える。事実、当の「デレマス」ファンの間でもそこまで期待値は高くなかった。「無難な内容でやり過ごして、ソシャゲ本体に悪影響を及ぼさなければそれで良い」なんて話をされていたぐらいである。
ところが、フタを開けてみればビックリの良作アニメだった。島村卯月・渋谷凜・本田未央の三人を軸に展開されていくアイドル界でのシンデレラストーリー、絶妙に挿入されるシリアス展開、そしてまさかここまで人気キャラになるとは思われていなかったオリジナルの男性プロデューサーの登場・・・・・・あくまで目算に過ぎないが、従来の「デレマスファン」を十分に満足させただけでなく、アニメからの新規ファンを大勢獲得することにも成功しているように思える。前評判の大人しさからは信じられない大躍進である。
もちろん、『艦これ』のアニメだってBlu-rayディスクの売り上げを見れば11000枚となかなかの数値なので、「商業的に失敗だった」わけではないだろう。ランキングで見ても現時点で冬アニメ(1~3月期)の円盤売り上げは暫定『艦これ』が一位なので、むしろ商業的にはまずまずの結果である。『デレマス』のBlu-rayディスクは現時点でまだ発売していないので比較しようがないし、KADOKAWAを初めとするバックの組織がいったい『艦これ』という人気コンテンツにどれほどの売り上げを期待していたかは全く分からないが、まあ近年のアニメ円盤の売り上げ規模から言えばケチはつけられない数値であることに違いはない。
ただ、こと「既存のファンの満足度」という視点に絞って言わせてもらえば、今回の『艦これ』アニメの内容は散々だったと言わざるを得ない。SNS上の反応を見ると、多くのファンが次週の展開を戦々恐々とした気持ちで見ていたことが窺えるし、事実としてその内容が彼ら彼女らの不安を払拭してくれる展開であったことなどほぼなかった。ていうか、他ならぬ「一番ファンからの評価が高かった回」が、本筋の話をガン無視して挿入された第六駆逐艦たちのカレー回(第六話)だったことがいい証拠である。同じ「ソシャゲ出身のアニメ」でありながら『デレマス』アニメとは雲泥の差である。もちろん単純比較はできないけれど、少なくとも『デレマス』はファンが来週の展開を心待ちにできるクオリティではあった。その週の内容をツイッターで実況して盛り上がることができた。各話の展開を思い出として胸に刻むことはできた。どちらがお互いのファンを満足させたか、延いては「どちらが抱えているファンを大切にするアニメだったか」の優劣はハッキリと出ている。
片や従来のファンすら激怒させる結果に終わり、片や従来のファンどころか新規ファンまで含めて感動させた。いったい何が両者をここまで分けたのか? というか『艦これ』のアニメはどうしてあんなお粗末な内容になってしまったのか? 冬アニメが一段落を迎えた今、改めてそれを考察してみたい。自分でも『艦これ』に対してきつい物言いをしているとは思うが、あのような悲劇的な過ちを二度と繰り返させないためにも、ここでキッチリと批判しておかなくてはならない。人気コンテンツにあやかった粗製濫造アニメは決して許してはならないのだ。
さて、そろそろ「どうして『艦これ』のアニメはあれほどお粗末な内容だったのか」その理由を語っていこう。実はそれこそが『デレマス』のアニメと比較してみると浮き彫りになってくる話なのだ。というのは、背後の組織が持っている「アニメ化」への意識が根本的に違っているからである。
『艦これ』のアニメがあれほどお粗末な出来であったのは、言ってしまえば「人気コンテンツをアニメにしてみた」に過ぎなかったからである。内容なんて二の次で、とにかく「旬なジャンル」を一刻も早くアニメにすることが至上の命題だったのだろう。商品的価値は『艦これ』というブランドが保障してくれるのだから、あとは適当にアニメの中で「吹雪」や「赤城」といった登場キャラをそれっぽく動かしておけば良い。そうすれば最低限『艦これのアニメ』としては成立する・・・・・・おそらく、制作サイドにとって最も重要だったのはこの『艦これのアニメ』として「成立している」ことだったのだ。たとえ「胸を打つストーリー」がなかろうが構成が破綻してようが、「吹雪」や「赤城」という人気の艦娘を動かしておけば『艦これのアニメ』に違いはないので、「艦これジャンルの商品」としては問題なく売り出せるのである。
いわば制作サイドにとって、『アニメ艦これ』は「単なる艦これジャンルのグッズの一つ」に過ぎなかったのである。どれくらいのグッズかと言えば、アニメイトなどで売っているキャラクターが印刷されたクリアファイル、あれと同水準の「一グッズ」だ。その商品的価値は「『艦これ』のアニメ」だというそれだけだ。しかし、たったそれだけあれば「金剛を印刷したクリアファイル」が『艦これのグッズ』として販売されるように、「吹雪や赤城が動いているアニメ」も『艦これのグッズ』として販売できるのである。何ともファンを舐めた話だが、「艦娘がただプリントされたクリアファイル」を『艦これのグッズ』として購入してくれるように、「艦娘がただ動いているアニメ」も『艦これのアニメ』として評価してくれると本気で思っていたのだろう。そうでなければあんなお粗末な内容のアニメを本気で『艦これのアニメ』と言って世に出せるわけがない。
もしかしたら「でも、キャラクターもののアニメなんてそんなもんでしょ?」と反論したい方も中には居るかもしれない。ところが『アニメ版デレマス』を見てみると、明らかに『艦これ』とは「アニメ化」に対する意識が異なっていることが分かるのだ。
『アニメ版デレマス』は、「キャラクターが印刷されたクリアファイル」などの「単なるキャラクターグッズ」は明らかに一線を画している。というのは、『アニメ版デレマス』の場合、「それがアニメとして成功するかどうか」は決して「Blu-rayの売れ行きの話」に留まらないからである。一番分かり易いのは、劇中のアイドルたちのデビューソングだろう。言うまでもない話だが、あれらの楽曲はCDショップで実際に販売されている。ファンのみんなはそれらの楽曲を「あ、アニメのあの話で卯月ちゃんが歌ってた曲だ!」と思って購入するのだ。そして彼女たちの歌声を聞きながらアニメの感動的なシーンを思い出したりするのだろう。
ここで考えて欲しい、もしも肝心のアニメの話そのものがお粗末な出来であったら、ファンのみんなはCDを購入するだろうか? もちろん楽曲として優れていれば購入する人間は居るだろうが、多くのファンは「あの娘たちが血の滲む努力の果てに勝ち取ったあの曲」だからそれを欲しいと思うはずだ。元のアニメの内容がイマイチだったら「あんな雑な作品のCDなんて誰が買うか!」と購入を控えるファンが続出するだろう。『アニメ版デレマス』の成否は「アニメという一キャラグッズの成否」に留まらず、「他のデレマスのグッズの売り上げ」にまで影響を及ぼしかねないのだ。
いわば『アニメ版デレマス』は、『アイドルマスターシンデレラガールズ』という作品に関わる全ての商品の「PV」としての宿命を背負っているのだ。劇中のデビューソングを初めとする関連商品を購入させ、あわよくばソシャゲ本体の方へ誘導して重課金させるという、商業的な使命である。そしてそのためには、ただ「卯月や渋谷凜などの人気キャラクターがただ動いているだけのアニメ」では決して許されない。きっちりと視聴者の心に響くような、彼ら彼女らを魅了してやまない良アニメでなければならないのだ。
「背負っているものの重さが違う」、『艦これ』の第6話で第六駆逐艦隊にそう語っていたのは足柄さんだっただろうか。カレー勝負ではその重さが災いして雷たちに勝利を譲る結果になってしまったが、現実の世界ではやはりその重さこそが「作品のクオリティ」として如実に表れたと言えるだろう。「単なる一グッズとしてのアニメ化」に過ぎなかった『艦これ』と「他のグッズの命運を背負ったPVとしてアニメ化」された『デレマス』の違いである。異論がある提督諸君はどうか自分の胸に聞いてみて欲しい。『艦これのアニメ』を見るのと、それと同じ時間を使ってブラウザゲーム内で艦娘のレベリングに励むのと、どっちが満足感を得られるかを(特に第6話以外でだ)。
さて、この話は以上で終わるが、最後に余談として「どうして『アニメ化』に対してそこまで意識が違ったのか」を個人的に考察しておきたい。
それは、そのまま「背後にある企業の態度」の違いだったのではないだろうか? 『艦これ』の背後にあるのはKADOKAWAという企業であり、基本的にここは「その時々の旬の作品のメディアミックスで利益を上げる」のがポリシーである。言うなればKADOKAWAにとって個々のコンテンツは「消費財」であって、食いつぶして消化しきったらまた次のコンテンツに移動するのである。我々にとって『艦これ』は近年まれに見るモンスター的コンテンツであるが、そんな『艦これ』でさえも母体であるKADOKAWAにとってみれば「その時々の旬な作品」の一つに過ぎなかったのではないか? 世に出てから二年に満たない期間で「アニメ化」までこぎ着けたのは、むしろ「旬が過ぎ去らないうちにアニメ化して利益を回収しよう!」というそういうことだったのではないだろうか? 邪推と言われればそれまでだが、どうにもKADOKAWAには「コンテンツへの根本的な不信感」みたいなものがあるような気がしてならない。
対して『デレマス』の背後にあるのはバンダイナムコエンターテイメントという企業である。ここにあるのは別にポリシーと言うほどのものでもなく、「いかに自社コンテンツを長生きさせて利益を上げるか」という企業としてごく普通の態度である。KADOKAWAが個々の作品を「果実」として見なしているのに対して、バンナムはどちらかと言えば「果実のなる『木』の方」と見なしていると言える。生み出したコンテンツは「金のなる木」であって、これを「長持ちさせること」こそが自社の利益になるのである。なのでKADOKAWAのようにコンテンツを「消費」することなどあってはならない、できる限り「持続させること」こそが至上の命題なのだと言える。そのようなスタンスだから、『デレマス』のアニメもしっかりしたものでなければならなかったのだろうと思われる。どっちかというと『プリキュア』のアニメでおもちゃを買わせているバンダイの方のノウハウなんだろうね。終わり
そのせいで、彼女たちの行動理念に説得力がなくてどうしても唐突に感じられてしまう。
公式で設定固めないための配慮なんだろうけど、それが悪い方向に働いている。
なんで主人公の吹雪が「誰かの役に立ちたい」って理念で動いているかの理由とかが、
回想とか1話の動きで明示されないから、視聴者は唐突すぎてピンとこない。
たとえば、第一話は着任初日に人助けをして遅刻。それで懲罰をうけるとかありがちな設定でも良いと思う。
偶然提督が、人助けの姿を見てて、ピンと来たとかで、重用するだけの根拠も作りやすいし。
似たように赤城は赤城で尊敬に値するだけの過去が、僚艦から垣間見えたりしても良いと思う。
実は赤城は出世が他の空母より遅いけど、その理由が人を見殺しにするような命令だったので
それを無視して人を救ってたからとかで、キャリア組の加賀がその姿を見て赤城に一目を置くようになったとか
なんかオレの状況と似ていると思った。
あと戦艦ね。
赤城は80くらいまで育てた。
でも後のほうになってから、駆逐艦や潜水艦が必要なシナリオが出てくるのでまいった。
ゲームとしてのバリエーションが少ないので、ひたすら同じ作業を繰り返すことになってしまう。
「これ、マクロでよくない?」って感じ。
画面上のステータスを読むことのできるマクロ(ロボット?)があれば十分に作業を任せられる。
たまーにちょこっと動かしてみるが、もうパターン読めてしまっているので
新鮮な驚きというものがない。
どうやってみんながモチベーションを維持しているのか謎。
艦これアニメ弓道問題の本質は、やる気のないアニメートに尽きる
http://anond.hatelabo.jp/20150113233602
を書いた増田です。
巷では第3話の内容が取りざたされるなか、今さら第2話に言及するのかよ、ってツッコミはごもっともですが、ニコニコ配信で視聴してる人へのネタバレ回避のためのこのタイミングの投稿ということでご理解いただきたく。
さて本題。
艦これアニメ第2話における如月のセリフによって「足柄が合コンに行って失敗した」ことがほのめかされており、そのことに反発が集まっているという経緯がある。ツイッター上での感想などはtoggetterにもまとめられていたりして、ちょっとした騒ぎに。
よくある演出じゃないかと擁護する向きもあるけど、そもそも足柄というキャラに男漁り的な属性を付加しているのは二次創作でしばしば見受けられる描写であり、しかし今まで公式の媒体でそのような扱いを受けたことはない、という事情がある。つまり問題のセリフは、単によくあるテンプレ描写という位置づけではなく、公式にはもともと無かった属性が二次創作で盛んに用いられているからという理由でアニメに輸入されたという構図に見えてしまう。これは原作ゲームの足柄のファン(かつ、二次創作での描写に不満を持っている層)にとってはキャラ改変・改悪にも映るわけで、荒れるのもむべなるかな。過去にも赤城の大食い属性が二次創作から原作ゲームに逆輸入されたという前例もあって(そのときも一部の赤城ファンを中心に荒れていた)、二次創作ネタが公式に採用されることを嫌う提督が少なからずいるということがあらかじめわかっていたのに。
本筋に関係ない枝葉末節なのだからスルーしろという向きもあるけど、枝葉末節ならなおのことこのような描写をする必要性がないはずで、なんでこんな描写を入れたのかと、よりいっそう制作側のセンスが問われる話になる。こういう点について鈍感な制作陣は、そもそもキャラクター人気に支えられている原作のアニメ化になど携わるべきではないのでは?
KADOKAWAアニメでいうと、キディ・ガーランドにおいてニコニコネタをふんだんに突っ込んだエピソードを放送して視聴者の顰蹙を買ったという事例が思い出されるけど、二次創作との距離の取り方がわかってないアニメスタッフ(それも上流工程)がぼちぼち現れてきているのではないか、という気もする。
ここまでが前振り。
今回の問題も、第1話における弓道描写の問題と同様に、単なる一描写の巧拙の問題にとどまらず、制作全体に潜んでいる本質的な問題の氷山の一角であり、駄作化の兆候なのではないか、というのがここからの主張。
まず1つ言えるのは、作品の方向性がスタッフ間で共有・統制されていないのではないか、ということ。
アニメでは提督の姿の直接的な描写が避けられているが、提督を具体的に描かないことで男の影を排除している、あるいは提督=視聴者というニュアンスを込めていることは、様々なスタッフインタビューでもほのめかされている。いずれにせよ、いわゆる美少女動物園型の作品が志向されていることになるが、ならばなぜ合コンなどという男の影ちらつきまくりの要素を出してしまったのか。提督の描写を避けるというかなり強い枷(実際にそれによって作劇が不自由になっている部分は多かろうと思う)を自分たちでハメておきながら、その意義をスポイルするような要素を、まったく本筋に関係のない枝葉末節のところで触れてしまう、というのは、自分たちがどういう方向性で作品を作り上げていこうとしているのかコンセンサスが取れていない、または誰一人として自覚していないか、あるいはわかっていながら実務がコントロールしきれていないか、いずれかである。
もう1つは、原作のキャラ描写を読解し理解したうえでアニメという媒体ならではキャラ描写をしていく努力を放棄しているのではないか、ということ。
この点については、「ハラショー」しか言わない響、という例もあるが、もう少し議論しやすい例として暁を挙げたほうがわかりやすいだろう。アニメにおける暁もまた、レディーに絡めた発言ばかりしている。これは一見すると原作通りであるかのようにも思えるが、ではなぜ原作ではそのような描写になっているのかを考えてみると、その大元には背伸びをする女の子像を描きたいという動機があると容易に想像でき、しかし原作は立ち絵が静止画ゆえ動きが表現できず、また提督と艦娘の会話どころか艦娘どうしの会話すらない造りとなっていて、モノローグ的なセリフによってのみ背伸びしがちな女の子のキャラ性を描かなければならないため、その条件に最適化した結果が、ある種テンプレ化したようなあのセリフ群になっているのだろうと思い至る。その点、アニメという媒体ならば動きもあるし会話もさせられるから、個々の場面に合わせてキャラ描写をもっと柔軟に行うことができるし、むしろ原作通りのセリフ回しをそのままアニメでやってしまうとテンプレ臭が強すぎて場面から浮きかねずかえって不自然になるだろう・・・にもかかわらずアニメでは愚直に原作のセリフを真似てばかりいるのである。
公式コミカライズやそれこそ同人誌などでも、場面とセリフとをきちんとすりあわせて、テンプレ臭くならないような、それでいて暁が背伸びしようとしている感じを醸し出し、その可愛らしさをうまく表現している例は多々ある。そういった例と比べると、アニメでのキャラ描写は練り込みが足りてないし、そもそも練り込もうという意欲もなくただわかりやすいレディーというキーワードを振り回しているだけの、ひどく雑に記号化された描写にしか見えない。
足柄に合コンを匂わせる描写も全く同根で、原作における足柄がいったいどんなキャラなのかということを掘り下げて考えることをせず、ただただわかりやすい記号として男漁りという要素が二次創作界隈に流通していたから、それを拝借してきて一丁あがり、という安直な脚本になっているのである。
以上2つ、艦これアニメにおける足柄の合コン言及から垣間見える問題点を述べた。前者は制作全体がきちんとまとめきれていないことを示唆しており、後者は脚本家の技量不足を示唆している。このような事態に陥っている制作体制から良作が生まれてくるなどとは、全く期待できないだろう。
牛タンカレーの幟に惹かれて、食券機の一番上に並ぶカレーから適当な値段を選んで、
そのまま、お店に入った。
食券を渡してから、携帯に目を落として室内機のタイマーを設定しようとアプリを立ち上げたら、
直ぐにカレーが来た。
しょっぱい。ひたすらしょっぱい。
具が全くない侘しさがしょっぱい前に化学合成がしょっぱい。
大盛りをお願いしたことを軽く後悔して、空になったコップのお水をお願いしたら、
ふと、カウンターの案内が目に入った。
長崎ちゃんぽんの美味しい食べ方。
ああ、そうだ。以前このお店に来て長崎ちゃんぽん食べたことあるわ。
食券機のボタンを押した時は微塵もそんなお店だと感じさせなかった。
自席はカウンターのちょうど曲がり角だ。お客さんが食べている内容がよく見えた。
大体2~3人の間を置いて座っている人のメニューは、カレー、皿うどん、カレー。
その最奥の人も箸の持ち方ではなかったから、おそらくカレーだろう。
リンガーハットより高くて微妙なちゃんぽんから、しょっぱくて美味しくないカレーへ。
もうすぐ、潰れるお店だ。何とはなしの確信と微妙な後味だけが舌に残った。
先日拝見した艦これで赤城さんが食べていたカレーが不味そうだと思ったら、
すごく不自然な世界なんだけど、登場人物の誰も疑問に思わなくて怖い。
提督は声も姿もないし、補給や整備のオッチャンとかのスタッフもいないし、司令部は艦娘3人だけだし、鎮守府の周りには町が見えるけど遠景だけしか描写されてない。
鎮守府以外の世界は全部敵の手に落ちて滅んでるけど鎮守府の周囲だけ平和に見えてるんですかね?(結城友奈は勇者であるとかマトリクス的な世界?)
そんで人間はみんな遺伝子操作で環境適応したか呪力によって言葉を奪われ妖精に変えられたんですかね?(クロスアンジュとか新世界より的な世界?)
鎮守府の外にまともな世界があるのかどうかが、どうでもいいことのように扱われているのが怖い。
さらに、唯一描写されてる鎮守府の外側の存在である深海凄艦ですらもコミュニケーション取れるのか怪しくて怖い。
ストライクウィッチーズのネウロイや蒼穹のファフナーのフェストゥムの方がまだ話し合いできそうだ。
そもそも主人公サイドがミュニケーションを試みる気配がないというのが、地味に怖い。
ナウシカをやれと言うつもりはないが、進撃の巨人やファフナーでさえ、敵を理解しようという動きがあるのに無いんだから怖いわ。
世界の誰も深海凄艦に疑問や興味を持たずに駆逐しようとしているのには、多分エレンもドン引きですよ。
主人公が日常アニメのように転校してきて、格好いい先輩にあこがれて艦娘として訓練がんばってると思ったら、普通に轟沈があるんだからインキュベーターにでも騙された気分だ。
赤城さんは崇高な使命として過酷な運命を受け入れているようだけど、那珂ちゃんとかは洗脳か宇宙世紀的な意味で強化されているか幼児退行しているようにしか見えない。
誰だよ、小学校低学年くらいの少女たちにこんな過酷な運命強いているやつは!
これらが作中ではすべて当たり前のように描写されてて、しかもこの狂気に満ちた世界が日常として永遠に続くんだろうなって感じがしてとても怖いです。
艦これ1話はひどかった。ただ絵面がシュール(特に棒立ちが多すぎ)なのが面白かったのでそれはそれで。だが二話は単純につまらない。
初見の印象は、極めて凡庸。それもそうで、どうせ二話は特訓回だろうというのはみんなわかっていたし全体の印象はそこから出るところが全くなかった。逆にみたらテンプレをこなす話として見て、ごく普通のようには見えた。でももう一度見返すと、平均的ですらなくつまらない。
二次設定を入れてくるという点について、とくに足柄のあたりで不満が多くあがってるらしい。その点については、もうこれは「そういうアニメ」なのだとは思う。それをいうなら、大井だって当初はただの北上さん仲良しキャラでしかなかった。公式でもレズを匂わせるような台詞を増やしたのがクッションになっているのか、アニメで「北上に話しかけてくるやつは敵」みたいな、ただうざったいだけのキャラになっていてもなぜか文句があまり出ていない。それってどうなんだろうと思うけど、みんなそういうもんだと思ってるらしい。
なにせ今回の主題は特訓によって、吹雪が技術・身体的に成長するところなのは誰がみても明か。ところが特訓が始まるのは後半のBパートからだ。これは遅すぎじゃないだろうか。
そもそも本来ならば、吹雪が自分から川内型の三人に特訓を申し込むべきじゃないのか。作中のように、三人からのお誘いという形だと「やる気がないわけではないが、先輩にいわれるからこなしています」というモチベーションに見えてしまう。最も危機感を持つべきは本人であって、周囲は「何もそこまで」とブレーキをかけようとする役割をこなすべき。そうしないと吹雪自身の「頑張り屋」という印象すら曖昧にみえる。
それに、特訓自体に対する挫折が全くない。最初の川内との特訓で「全然うまくならないね」と言われるくらいで、あとは言われたことを淡々とこなしてるだけのように見える。それでいいのか?
本来ならばここで、どれほど頑張っても上手くならないことにふさぎ込んでしまうような描写が必要じゃないだろうか。どうして自分なんかが艦隊に選ばれたのだろうと、訓練の中で苦しむシーンが本当は必要なはずだ。そしてできれば、そのときでこそ赤城との交流を描くべきだ。今の描き方では、吹雪が赤城を憧れてる理由は「強いから」というだけのものでしかない。赤城も昔は吹雪のように苦しんだけれど、一航戦としての使命感が支えになったんだよみたいな、そういうやりとりをしてこそ、自分と身近な、強さだけじゃない本当の憧れになるんじゃないの。風呂場とメシ場で馴れ合うだけで、はたして「憧れの先輩」としての関係に見えるかぁ?少なくともあれだけじゃ、赤城と仲良くなったようにすら見えない。
ましてや、ただでさえBパートに訓練シーンを詰め込みすぎてるのに、そこにすら那珂の無意味な茶番をいれてくる。どういうバランスを考えてるのかさっぱりわからないが、那珂のアイドルキャラ設定って二話もかけて押さないといけないもんなのか。そもそも那珂のやってることって北上に魚雷についておしえてあげてって頼むだけの役割で、実質このパートで無理矢理北上を魚雷のエキスパートとして紹介するためだけの役になっている。ものすごく無駄だと思う。
そんな状態だから、実質10分もない程度の特訓描写で吹雪がある程度まともに動けるようになってるのは嘘くささしかない。
一応こけたり、何発か連装砲を外してるが、「まだ完璧じゃないですよ」という捕捉的なものにしかみえない。挙げ句、それを川内や神通が台詞で説明しだすのが、おそろしくダサい演出だと思う。
こういうのって、「このくらいやったからこそ、吹雪は上達したんだな」とみる側に納得させるためのものじゃないの。なんで台詞で説明しちゃうかな。結局、10分もない程度の薄い特訓描写を台詞で無理矢理、吹雪ちゃんはこんなにがんばりましたよって誘導している。出来が悪すぎ。
それもこれも、Aパートをキャラクター紹介と、その掛け合いに使ってるからよくない。
そして艦これはおそらく、今後も多数のキャラを絡ませるためにこういう「ただキャラクター紹介をするためだけの無意味なパート」を定期的にとっていくんだろう。なにせ加賀や、長門たちすら吹雪たちと直接絡んでるわけではないからまたいちいち絡むだけのやりとりをとらないと、お話の進行ができなくなっていく。
さらに(多分今後からませたいのであろう)金剛型やら五航戦やら大和やら他の駆逐艦連中やらと考え出すと。
多数のキャラと絡ませたいのは、こういうアニメでは必須だろうけど、だったら最初から日常描写主体の話にしてればいいのになぁ。戦闘は棒立ちだらけで動きもシュール、日常は無理な原作用語の多用と二次設定、肝心のシリアス部分は圧迫されて詰め込み、これで本当に面白くなるかといわれたら、先は暗い
まず念のために言っとくが、アニメイトじゃないぞ。
事の経緯を改めて確認しておくと、
詳細はTogetter↓参照
元のツイートにはガチ批判の意図は無かったにせよ、このアニメのデキがなぜビミョーなのかという核心に近いところを、この指摘は突いているように思う。その理由を以下に述べる。
問題の画像に反発する意見として「キャプテン翼やテニスの王子様は、題材となった実在の競技と比較するとメチャクチャなことをやっているのに、多くのファンから支持されている。したがって題材へ忠実でないことがただちに悪いわけではない」というものがある。この主張は確かに頷けるものであるが、それはあくまでも、あえて題材に忠実でない表現をすることによってのみ描き出されるものがあるから、という創作の意図があってこそである。例に挙げられた2作品について言えば、題材に忠実な表現によっては不可能なほどダイナミックなシーンを描写したい、という意図があってあのような内容になっているのは明白だろう。
翻って、問題となった艦これのシーンはどうだろうか。赤城・加賀の所作のところどころ、あるいは施設や的など、実在の弓道を意識して真似ている部分が多々見受けられるが、しかし赤城が弓を射るシーンそのものは、問題の画像が指摘するように、実在の弓道に忠実となるような描写が徹底されていない。あえて徹底していないのだとすれば、それによって何かが描き出されているだろうか?新しい価値がその徹底しない表現から生まれているだろうか?答えは否、だろう。
たかが1シーンではないか、と思うかもしれない。不作為の不徹底が1シーン見えたから何だと言うのだ、と。
しかし問題のシーンは、たかが1シーンなどではないのだ。着任したての吹雪が一航戦の練習風景をこっそり覗き、赤城の弓を射る姿を初めて見て感心するシーンである。吹雪が赤城に憧れを抱くという、いわゆるフラグが立つ場面であり、ここで吹雪の感心っぷりを視聴者にも共有させなければ、その後の吹雪の心の動きを視聴者に共感させることができなくなる、非常に重要なシーンなのだ。したがってこのシーンの演出における最優先の目的は、いかに赤城をカッコよく美しく描き、吹雪同様に視聴者をも見惚れさせるか、というところに重点が置かれなければならないはずだ。
それがどうだね?不作為の不徹底だ?真面目に演出するつもりが無いのかと言いたくなる。赤城をカッコよく美しく描くために、あえて実在の弓道に忠実な描写から外れました、ならわかるよ。でも実際の描かれ方は、ただ漫然と、脚本・コンテに「赤城が矢を放つ」と指定されてたからそのとおりに描きましたーというだけの、なんら創意工夫のない描写じゃないか。
艦これと弓道にまつわる話題を見聞きしてきた御仁なら既に承知のことと思うが、実在の弓道は型にこだわる武道だ。だからそれを忠実に再現するだけでもある程度の美しさを描き出せるはずなのだ。なのにそれをせず、かといって自前で創意工夫した描写でもない。こんなの、赤城をカッコよく美しく描こうという意図がそもそもありませんよーとしか見えないではないか。アニメ的ウソに塗れながらもカッコいいポーズを決めようとした、片足立ち射法の加賀のほうが百倍マシだ。
こんな調子で演出意図スカスカの作画をしたら、いくらセリフで「すごい集中力」などと吹雪に言わせようが、そのセリフに納得のいく作画が伴っていないのだから視聴者は白けるだけだ。そしてこのシーンで吹雪に共感し損ねた視聴者は、直後の甘味処のシーンで赤城を思い出し惚ける吹雪が、どうしようもなく浮ついて見えてしまうだろう。惚ける吹雪にキラキラエフェクトを使うくらいなら、直前の赤城の描写こそ(吹雪主観でエフェクトかけまくるなど)ベタベタに演出して視聴者を引き込むべきはずなのに。
つまり実在の弓道に忠実でないことが問題なのではない。実在の弓道を真似た描写をいろいろしておきながら、肝心のところで忠実でなく、しかもその不徹底が演出意図によらない単なる怠慢に見える、ということが問題なのであり、突き詰めれば、この重要なシーンにおいて赤城をカッコよく美しく描かねばならない、という意志の不在が感じ取れてしまうのがダメなのだ。
そもそも我々がアニメーションに期待するのは、まさしく物語に沿って絵が動く=アニメートすることだろう。プロット上カッコいいと定められたシーンはカッコいいアニメートとして見たいし、美しいと定められたシーンは美しいアニメートとして見たい。それが叶わないならアニメーションを見る理由などない。ビジュアルノベルやCDドラマで十分だ。すなわちアニメートの気持ちよさを追求しないアニメーションに、存在価値などない。
艦これアニメのダメさは、つまるところそれに尽きる。このシーンはこういう意味があるからこういうアニメートで見せなければならない、という演出意図をきちんと持って1シーン1シーンを丁寧に描写していく、そういう意志に欠けているように感じられるのだ。それをもっとも象徴するのが問題のシーンなのである。
もうね、久々に沸騰したんですよ。熱々ですよ。
ヘリオグラフィから始めて13×18cmの乾板機材が持ち歩けないから映画フィルムを流用してバルナックさんが作った携帯カメラが馬鹿にされながらも世界を席巻していく歴史から、色収差とレンズコーティング、ナイキスト周波数から撮像素子1枚でカラーなら本質は補間演算とか、一気に書き殴りましたよ。
で、それじゃ何も伝わらないと思って、それはお蔵入りですよ。
シグナリング(判りやすさの目安)の話に、技術的なことを持ってくると、
行き着く先はマクベスのカラーチャート持たせて撮影始めるのがスタンダードになる未来ですよ。
カメラマンはね、ブツ撮りする人だってね、基本客商売なわけですよ。
だからね、基本温厚だし、怒らない。
綺麗に撮りたいから、綺麗に撮って欲しい気持ちも分かるし、気持ち良く撮られて欲しいとも思ってる。
ただね、この話はね、これは礼儀とか、相手への敬意とか、そういうレベルの話なわけですよ。
「せっかくフルサイズ機買ったのに彼女が体重50kgオーバーだった。死にたい」とかそういうレベル。
「おまえ元が良くないんだからせめて体重くらいは落とせって話ですよ当然ですよ」とかそういうね。
自らが情熱を持って高めたものをね、粗末に扱って欲しくないって思いは誰しもあるものですよ。
それこそカネをもらうプロじゃないからこそ、そこには精神性があるわけじゃないですか。
納品した宣材をね、粗雑に扱われたってクライアントには文句は言いませんよ。それがプロですよ。
趣味で精魂込めて造った梅酒を、べろんべろんの酔っぱらいが水みたいに飲めばそりゃ文句もあるでしょうよ。
でもね、越えちゃ行けないラインってのはあるんですよ。
自らの趣味に情熱を持たない相手を下にみる行為は、やってはならんわけですよ。
「精一杯頑張ったのに、スマホで記録されるみたいなのは、ヤだな」というのと、
「え、せっかくワイン飲むのに、ブルゴーニュの8地区すら知らないの?あり得ない!」というのは、
その本質が違うわけですよ。
自らの情熱に誠意を持って接して欲しいと願うことと、
全く異なるわけですよ。
スリーサイズで選んで、あとは顔で選んだんで、別にコスは何持ってきてくれても良いですって言われたら良い気分にはならんでしょう。
こないだ金剛だった人ですよね?赤城も超良いですね!是非1枚撮らせて下さいって言われて断るかどうかですよ。
ディスカバリーチャンネルの番組に「世界の名軍艦TOP10」というのがある。
これは専門家の意見やファン投票を踏まえ、脅威度・兵装能力・防御力・就役期間・革新性などの項目で歴代の軍艦を独自に数値化し、ランク付けしたという内容。
ランキングは以下のとおり。
すぐ気づいたと思うが、このランキング、日本の軍艦は1隻もランクインしていないのである。
確かに、この指標で大和や武蔵がランクインしないのはまあ仕方ない(脅威度ゼロだし就役期間も非常に短いし)。
ブコメではわかってる人も多いけど狭量で視野の狭いミリオタが多すぎるからあえて書くの。
新装版「海上護衛戦」 帯と解説について賛否 - Togetterまとめ
これ見てうわぁ・・・ってなったのはこっちなの。
出す側としては慈善事業じゃないんだからある程度売れる見込み(今回で言えば艦これとのコラボ需要による売上見込)があって初めて復刊しましょうって話になんの。
あんたらみたいな少数のミリオタが買うくらいで復刊なんかできないの。
復刊はうれしいけど下手に艦これとコラボすんな?調子いいこと言ってんじゃないの。
復刊されるだけでもありがたいってレベルなの。
艦これに感謝しろとは言わないけど、艦これがあるから復刊につながったんであって、こと復刊について艦これを批判するのは自分の首を締めるのと同義なの。
ミリオタはファンタジーに生きてるのかもしれないけど出版業界は現実に生きてるの。
理想でメシは食えないの。