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2020-06-21

anond:20200621172457

聖人君主でもなければ立場が人を作る

自分がその立場になっても自分はまともでいられるって勘違いしてる奴は、間違いなく立場変わったら同じことやってるよ

2020-05-09

木曜深夜の例の件について

出発点はアレな発言とはいえ、その発言根底にあるもの断罪されて、じゃあなんでその話が出てきたんだろうみたいな話を

ずっとしてるのってたとえコンビ間の問題矮小化した、としても、俺には反省しか聞こえないんだけど、謝罪降板だ表舞台から

消え失せろだ言ってる方面人達批判ってどこからきてるんだろう。

少なくとも当事者ではないように見える人々が、あたか自分たちは正当な代弁者です、みたいな顔をして、当事者が望んでいるか

望んでいないかはよくわからない、代弁者自身の望みを「謝罪」や「反省」に組み込ませようとする姿は「ゆすり」「たかり」の類に見えて

ドン引きしている。

謝罪を受けるべき人々っていうのがそもそも誰かよくわからないし、この件に接して不快になった人々のその理由も各々様々な感じ方が

あるからそれぞれに対して必要十分な謝罪というのは現実的ではないと感じる。

から反省」を公開説教根本を糾すことで示すのは一つのやり方だと思うし、根本を糾すこと自体相方が「どうかしている」と思うことを

掘り下げる形で進めていくというアプローチを用いたのもよかったと思う。

浮き彫りにされた「どうかしてる」立ち振舞いが詳らかになっていく上で、ヘビーリスナー野次馬も、さらなる断罪に繋げようとしている人々も

内包される問題をそれぞれの感じ方や揚げ足のとり方として受け止めたはずだ。

特定相手がいない、人としてどうかしてる発言に対する真摯謝罪や、反省をする機会があるのならば、どうしてその発言をしてしまたか

というところに立ち返るのは割と自然な流れだと思う。

炎上した事によって貼り付けられた「人としてどうかしてる」というレッテルを剥がすためではなく、何が問題だったかゆっくりとでいいか

確実に理解していくためだ。だからゆっくりと様々なことを語っていく中でたどり着いた、「結婚のすすめ」も理解できるものだった。

結婚」することの副産物として、「他者への感謝がない」「社会的責任感の欠如」「逃げ癖」等の機会点の改善につながるのでは?

との提案は、自分自身結婚を契機に自身の変化を感じた経験からくる発言だろうと想像つくし、本気で結婚する決断に至るまでの思考

や行動は相手を慮ることも含め、避けて来たことに正面から取り組むことになるだろう、との考えからだろう。

普段から聖人君主をキメている人たちの中では「コンビ間の話に矮小化した」という批判を見かけたけれど、今回の話で、自分に言われているか

のような思いをして身につまされる思いをしている人がいるのは象徴的な話なのだと思う。

反省してるなら金を出せ」「死ぬまで謝罪しろ」って言ってる弱者の味方勢(は自分罵声さえ鳴り響けば反省しようがしまいが見えないふり

するしどうでもいいと思っていると思うけど)が思っているよりも大きな規模で、今回のことがどれだけのことだったか自分の性根を見直そう

という啓蒙が行われたんじゃないかと感じている。

また、発言した張本人が何が問題かわかってないと評されてるのも尤もな話で、おっしゃるとおり何もわかってないと思う。

これから知るのかもしれないし、一生わからないのかもしれない。こっちもわかってるつもりでわかってないかもしれないし、とにかくわからんのだけど

逆に実はちゃんとわかってたら本当にヤバいやつじゃん、サイコパスじゃんって思ったりはする。

そう考えたら俺はなんか、許せてしまった。サイコパスに騙されてるのかもしれないけど。

怒る人はこれからも怒ればいいし、署名集めて失職させて芸能界から追放したいと思って行動するならそれもありだし、この件を利用して

政治活動やら人権運動やらなんやらすればいい。ただまあ、見てる人は見てるってだけだ。

まあ、最後の「わーわー言うとります」を久しぶりに聞いて泣いた勢なので単なる贔屓の引き倒しなんですけどね。

2020-03-10

5万円で手を打った方が良かったんじゃ?

伊藤和子弁護士AV事業者から名誉棄損で訴えられる

https://togetter.com/li/1479559

関連:伊藤和子弁護士賠償命令

https://togetter.com/li/1436302

まあ、アレだけ反差別人権を盾にしながら、当人が逆に差別的発言を行っていたら敗訴するのも必然だよねとしか言えん。

これに関しても初めは当人のツイの一言だったからね。

何故か当人被害者面しているけど、これに関しては被害者は寧ろ事業者の方なのよね。

それとこの人豪州マッチポンプの件を見ても都合が悪くなると途端に被害者面し出すし、あの件でもツイを消させようとして、法的手段とかある種相手に脅しをかけて潰そうとしたりしたしねぇ。

しかし見ていて下手したら自分聖人君主で誰からも恨みを買っていないとか思っていそうだよねと読んでいて思ったりもする。

この方に関して言えば並大抵の恨みの買い方ではないからな。

個人的にも児童ポルノ関係創作物規制関係でこの人には大変嫌な思いをさせられてきたから。

それで一回敗訴しているにも関わらず、今だこんな事言っているのは本当にどうかと思うよ。

本当指摘されている様に小手先ばかりで墓穴を掘っていると言うのは同意

是非AV事業者にはこの調子で頑張ってほしいなと思う。

しかフェミさんやこの手の人権屋さんにとってやることなす事全て逆回りの巡回になってきだしたなと昨今見ていて思うよ。

今までが今までで弱者人権を盾にして好き勝手横暴してきたからと言うのもあるけれど。

2019-08-03

anond:20190801013706

増田である

内容にかんするきちんとした反論であったので、言及する必要を感じた。

ちなみに意見としてはこの三行が要旨であろう。

> 奈須作品主人公生き様を見てヒロイン主人公に惚れるケースの方が圧倒的に多い。

> そこを、分かり易い恋愛スイッチキモ男にコロリと落ちるチョロイン勘違いしないように。

増田女性主体性って視点がない。何かしてもらったからじゃなくて、何かしているのを見て恋をするんだよ。

本当にそうですか?

おそらくだが、ほぼほぼこれは衛宮士郎、岸波白野、藤丸立香を指して言っているのだろうと思う。こいつらの特徴は、生き方人生に対する向き合い方=人格的な部分を評価されているエピソードが多いところである。これはwikipedia見るだけでも一目瞭然である。だが、その上であえて言おう。それは間違っている。なぜならば

那須きのこ氏はむっつりスケベであり、むっつりスケベシナリオを書きたいライターからだ。

その証拠に、型月の主人公はただのむっつりスケベである。彼らは純朴・朴念仁・お人好しという格好を装っているだけで、実はメチャクチャむっつりである。これはFate/Extra、Extellaのストーリーを追っかけていればわかる。こいつら、実はかなりヒロインに対してセクハラしてる。ただ同じくらいヒロインたちが主人公に対してセクハラをする。ただ、重要なのはセクハラがどうとか主人公むっつりである、とかそういうところではない。要するにここから那須きのこ氏の作風が透けて見えるのである。つまりキャラクターシナリオ追従している、という作風である

だってそうだろ???

本当はこいつらメチャクチャむっつりのドスケベ野郎なのに、ストーリーエピソード全体で語られる人格は「公明正大で忍耐強く、極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好し」なんだぜ?なんでこういうキャラ付けがなされるのかというと、これまた単純な話で、要するにこいつら性癖を隠すためにこういうキャラ付けがされているだけなのだ。で、特にこれが言いたいのだけれど、本当に主人公たちがマジで性癖があってエロくて人間的に駄目なやつなら全然問題ないのだ。それは単にキャラクター人物像を掘り進めた結果としての個性になる。だが那須きのこ場合は違う。那須きのこ自分自身性癖変態性を隠すために主人公に「人格者」というキャラ付けをする。つまりキャラクターからストーリーを生んでいるわけではないのだ。こいつの性的嗜好を満たすストーリーのためにキャラクターを配置しているだけなのだ。これがキャラクターが描けていない所以だ。

ヒロイン女性が見せる“主人公への恋心の主体性”の正体は、単なるストーリーのつじつま合わせであり、更に言えば作者の性癖シナリオ正当性で覆い隠すためのブラフ

したがって、“女性の恋への主体性という観点が抜けている”という指摘があったが、これも違うと言えよう。何度も言うが、Fateヒロインは基本恋愛スイッチを押されているだけだ。主体性に似たものエピソードの中でときたま見せるときもあるが、これをもってしてFateヒロインに恋に落ちる主体性があると考えるのは間違いだ。単にストーリーのつじつま合わせを狙っているだけに過ぎず、これを持って「きちんと好きになった理由がありますよ」とエクスキューズする逃げ道を作ってるだけにしか見えない。そしてそれを成立させるための男性キャラクターを逆算で考えるため、追従的に男性キャラクターを没個性的なくせに妙に正義感を使命感あふれて包容力がある実はムッツリスケベな男性像ばかりにしてしまうのである

この代表格は型月ヒロイン代表格:セイバーさんと衛宮士郎くんの関係である

そもそもセイバーヒロイン枠ではなかった

 これは有名な話だと思うが、セイバーはもともと男で衛宮士郎が女という設定だったことを知っているだろうか。Fate/Prototypeで描かれている関係こそが、fate/Staynightのもともとの形だったのである。これがキャラデザ担当意向エロゲ売り前提事情から何故かセイバーを女にしてシナリオ改訂しなければならくなった、という逸話は有名だ。(没個性主人公というのもエロゲによくある話なので、型月主人公の妙な没個性性の源流をここに求めることも可能だろうとは思う。が、私としては前述にも述べたようにきのこ氏の作品発表系列として「空の境界」の黒桐くんを源流と考察しているし、これは間違いないと思っている)

 さてここで問いたいのだが、元英国騎士王が現代高校生落ちこぼれ魔術師もどき男子のところに召喚されてきて恋に落ちる主体性ってなんだろう???

        → 答え:主体性なんてそんなもんあるわけねーだろ

 そんなもんあるわけねーだろ。初っ端からシナリオ無理筋じゃねえか。こんなもんまともなストーリーになるわけない。よくてギャグしかならん。衛宮士郎人格的な闇?英国騎士セイバーさんの聖人君主たるがゆえの騎士王としての悩み?アホかそのどこに恋愛につながる要素があるんだよ。シナリオを読めば分かるけど、終始衛宮士郎セイバーさんを女の子扱いするために謎の頑張りを続け、デートをして現代日本の遊楽街を引っ張り回したリ飯食わせてみたりいろいろデートイベントらしきものを作ってはいる作ってはいるが(ry あれこれシナリオの中で理由らしきものは語られてはいる、語られてはいるがどれもこれも取ってつけたようなよくわからんエピソードばかり。

だって元々エロゲですから

 結局このひとことで終わっちまう気がしてならん。だってエロゲですもん。でもこの言葉で終わらせてしまったら思考停止言葉に出した時点でシナリオに対する分析する意味自体なくなっちまうパワーワード。でもある意味では結局この言葉に行き着く気がする。要するに、Fate自体最初からつじつま合わせのためにシナリオ存在してきたようなものだ。恋に落ちて人間性を取り戻す英国騎士王という文学エロゲにするためには、きちんと主人公セックスするために英国騎士王を女にして、彼女デートする必要があったんだろううん。果たしてエロゲを描くために英国騎士王を出してくる意味があったのかどうかは置いても、だ。そう、Fate/StayNightはもともとエロゲだったのだ。だからしょうがないのだ。人間性を描けていなくても、女性の恋に落ちる主体性いまいち説得力がなくても、主人公が単にライター性癖を隠すためだけに没個性的で奇妙なくらいに人格者でありながら実は内面は単なるむっつりスケベでも、しょうがないのだ。

しょうがないわけない

 そんなわけねーだろ。エロゲならキャラクターを描けてなくてもいいのかよ。そんなわけあるか。そんなこと言ったら虚淵さんだってエロライターだぞ。しかも割とストーリー性も評価されてるタイプエロライターなのである。なのにこの作品の完成度の違いは一体なんなのだ?というもっともな指摘を那須きのこ氏は逃れられない。元がエロゲだから、元々無理筋シナリオからこじつけっぽいのはしょうがない?それは単なる言い訳だろう。

衛宮士郎人格異常者設定は、説得力に失敗した好例

 少々反論もあった衛宮士郎についても言及しておこう。すなわち衛宮士郎とは、やりたいシナリオのためにキャラクター人間像に説得力のあるエピソードを加えていく奈須きのこ氏の作風の中でも顕著な失敗例、である主人公が没個性的な理由かつ妙なヲタノリをするのは間違いなく主人公たちが奈須きのこ氏のアバターとしても機能しているからだと私は睨んでいる。それを踏まえて何度も言うが、基本的奈須きのこ氏はむっつりスケベなので、むっつりスケベエピソードを書くために女の子存在している。そしてその女の子と対比させる形で男性キャラクターを反存在的に生み出している。つまり男の子所詮反射的にいなきゃいけない存在からまれてくるキャタクターに過ぎない。そしてむっつりエピソードを成立させるためには女の子がそれなりに異常でなければならないが故に、その異常な女の子に好かれてかつ包容できる男は同様にまた異常でなければならない。つまりシナリオ必然性のためにキャラクターのすべてがつじつま合わせのプロフィールを持っているに過ぎず、衛宮士郎くんの場合は元英国騎士王でありながら実は女の子という異常性を持つセイバーというキャラクターが、魔術適正がありながらほぼ無力の男子高校生である士郎くんとの恋愛を成立させ、恋愛における主体性を持って最終的に結ばれるエンディングを迎えるためには衛宮士郎くんにもそれなりに異常であり傷がなければならない、というシナリオライターバランス感覚から逆算して生み出されたつじつま合わせのキャラクタからだ。

 そろそろ言いたいことが分かってきてもいいんじゃないだろうか?厨二病という自意識過剰男性像が自尊心を失わず英国騎士女王のような格上の女性デートを成立するために必要自意識過剰さを支えるために異常性というプロフィールが用意されている。まさにシナリオ追従でキャタクターを配置していることで起こる典型的弊害だ。

 ちなみに青セイバーアルトリアペンドラゴン過去と元英国騎士王という過去がある女を落とすために主人公(男)もまた異常でなければならない、という等式は単に奈須きのこ氏の脳内にある思い込みであって、実際にはシナリオライター技量次第でまったくそうではないと思うし、そもそも衛宮士郎くんが男子高校生である必要もまったくなかったと思うが(※例えば虚淵氏が描く衛宮切嗣氏とセイバー関係の方がよっぽどドラマティックな恋愛シナリオが書けたのではないかと思うくらいだ)そこは突っ込んではいけないらしい。(※これは単に奈須きのこ氏が衛宮切嗣のような男性像を描けなかったからであり、これは彼のキャラクター像が描けないというシナリオライターとしての欠陥からくるものだ。これがいか病理であるかは全開語った通りなので割愛するし、この原因は彼のむっつりスケベからくるものだと私は主張してはばからない。そしてこれを乗り越えて、魅力的な男性キャラクター像をきちんと描けるようになることが、奈須きのこ氏の課題だと筆者は思う)

人間像がきちんと描けている脚本家って誰よ?

わりと上記のような指摘があったような記憶するので、一応代表的な脚本家をあげてみる

小林靖子

シナリオライタータイプはいろいろあるが、実力の高い作者がよく言うこととして「キャラクター勝手に動いて言うことを聞いてくれないことがある」。これはキャラクターを掘り下げて書くことが得意なタイプによくある特徴で、稀代の脚本家でいえば特撮系の脚本家として有名な小林靖子氏などがそうだろう。氏は脚本を書いていて、シナリオキャラクターにらしくない行為を強いている場合に、躊躇なくキャラクターシナリオ追従させる。つまりシナリオキャラクターに合わせて改変させてしまうのだ。これはキャラクターシナリオの駒と考えるシナリオライティングとは真逆アプローチだが、結果としてこれが人間像をきちんと描くことからシナリオ自体評価につながる事が多い。

吉田玲子

また同じようにキャラクターが持つ人間から醸し出される雰囲気空気感を出すことにかけては吉田玲子氏の名前を出さないわけにいかない。氏の名前検索すればすぐにでも代表的な作品いくらでも出てくるはずだ。この人も脚本賞を二度受賞している。このひとの名前を出すと、すぐにガルパンとかけいおんが出てくるのだが、私としては「デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」とか最近作品では「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」や「夜明け告げるルーの歌」などを上げたい。他にも「猫の恩返し」「若女将小学生キャラクターを描けている、とはこういう作品のことを言うのではなかろうか。特に氏の作品シナリオの安定感が抜群で評価できる。バランスがよく、それでいて繊細で、何気ない日常の何気ない動作の中に登場人物感情表現する手腕には舌を巻く。

虚淵

女性ばっかりなので、男性も上げておこう。他でもない筆者は虚淵さん大好きであるFateの中で唯一好きといえるシナリオFate//Zero豪語するくらい虚淵押しである。当然PsychoPassも押さえている。ちなみに筆者を女性と指摘する声もあったが、残念ながら私は男性である。「まどマギ」はもちろん「楽園追放」「沙耶の唄」も消化済である。氏のシナリオ面白いところは、なんだかんだ言って社会風刺を含めたメッセージ性をきちんとエンタメシナリオの中に押し込めることが出来ているところであるしかもこの辺を、いわゆる世間の「反戦」だとかいうご教育主義的で説教臭い作品ではなく、エンターテインメントという作品の中で行えているところがすばらしいと思う。あくまでこれはエンタメなのだ、という前提を忘れてしまえば、主義主張の強いプロパガンダのような作品になってしまう。こういう哲学ばかりするアニメーションではなく、きちんとエンタメをやっていながら、そのエンタメに深みを与える要素として社会風刺がきちんと出来ているところがとても良い。氏の脚本ハードボイルドな側面には魅了されるばかりだ。

2018-12-17

さようなら伊集院光こんにちは神田松之丞

2018年12月16日 TBSラジオ 神田松之丞 問わず語りの松之丞より

もう、いろんなハガキとかメールとかでもさ、『カーボーイリスナーとかだと思うんだけど、凄い突撃してくんのよ。

ずるいよ。俺さぁ、伊集院さんとかさ、爆笑問題若い頃のラジオとかさぁ、こんな感じじゃなかった?もっと凄かった気がするけど。いつの間にかさ、アイツらがさぁ、時代に合わせてなんかマイルドになっててさ。なんか、若者に擦り寄ってんだよ。

伊集院さんなんか、童貞搾取してたんだよ、散々。「童貞頑張れ」とか、「クラスイケてる奴らは、ダメな奴ら」で、「イケてない奴らこそ、真のお笑いとか、面白さがわかってる。俺らは立ち上がろう」みたいなさぁ、変な童貞革命みてぇなことしてたでしょ。

俺も、その先陣切って石投げてたよ。「童貞童貞!」ってさ(笑)今、ハシゴ外してやんのよ。「もう会わねぇ」っつってんだよ。石投げてる俺と(笑)俺、あのとき伊集院さんのスピリット受け継いでやってんだよ。

勝手マイルドになってんだよ、向こうで。で、伊集院さん今頃になって何朝のラジオとかやって、マイルドなっちゃってさ。生駒里奈ちゃんかにさぁ、「辛かったねぇ」みたいなことやってんだよ。

あん時、散々やり尽くしてた人が、なんか聖人君主みてぇになってんだよ。なんだよ、俺なんか童貞どころじゃないんだよ。EDですらあったんだから。もう超極右みたいな。極北だったんだから童貞(笑)

2018-09-12

体罰パワハラって本能じゃないか

と薄々思っているんだけどどうだろう

 

自分が誰かに何かを教えるとして

自分理想通りにいかなかったらイライラして攻撃的になるって

結構自然におこる反射動作じゃないか

 

それを飼い慣らしてこその指導者なんだろうが

聖人君主を求められたら供給が間に合わない気も

2018-09-06

anond:20180906123716

mikiponnsuke 母親だって人間だもの聖人君主でもないもの。なんで、親権放棄した母親はこんなにぼろくそに言われるのだろう。親権放棄した父親なんて世の中にわんさかいるのに、誰も叩かない。

 

トップブコメのこれ親権放棄父親もっと叩けっつってんのか放棄母親を叩くなっつってんのかどっちかわからない(アスペ

両立はせんよね?

2018-06-24

特定キャラが嫌いで何が悪い

私は毒親キャラと苛めキャラが嫌いだ。自分毒親育ちで苛められて育ったから本気で吐き気がするほど嫌いだ。

だったらそんな奴が出る漫画アニメを見なきゃいいだろうという意見もあるだろうが、長年愛読して来た漫画にそういうキャラが出てしまった場合は仕方が無い。漫画は読み続けるが、毒親キャラと苛めキャラ存在は正直邪魔しかない。なので暗いとは分かっているが、そのキャラTwitterヘイトして憂さを晴らしてる。

だけど、最近その呟きに一々突っかかってくる輩がいる。「○○だって本当は奥さんのことを愛しているんですよ」だとか「○○は子供を一番にしたいと思っていてああいう態度を取っているだけ」だとか。

そこまでなら別にへぇそうなんですか」で終わるけれど、大体そう言う輩は「だから、○○をヘイトするのは止めてください」って続く。はぁ?って感じ。やめてください、ならまだ良い方で「そんなことも知らないで本当に作品を見てるんですか」とか言ってくる奴もいる。

一番ヤバいなって感じたのは「○○の気持ちを分からないなんてアスペ」「ガイジが作品に関わるな」「池沼」って言ってきたクラスタ。初対面の相手によくアスペだのガイジだの言えるな?いや初対面じゃなくても差別用語並べる時点でヤバい人間だとは思うけど?私だって毒親キャラや苛めキャラのことヘイトする時だってアスペガイジや池沼なんて使ったこと無いんですけど?

特定キャラを嫌う発言だけでどうして他人人格まで否定してくるのかなぁ、って話。

特定キャラに対しての「好き」だの「愛してる」だのはOKで、「嫌い」だの「クソ野郎」だのはNGっていうけどさ。別段私はキャラが嫌いって言ってるだけで、そのキャラ好きな人否定していないし、そのキャラを描いた作者様は否定していない訳で。私は人に直接攻撃したわけじゃないんだよ、初対面の私にアスペだのガイジだの池沼だの言ったクラスタ達と違ってさ。

じゃああんたらはどんなキャラクターでも好きになれる絶対聖人君主だっていうの?現実にいる人間差別用語ぶちまけといて?

架空毒親や苛めっ子ぐらい嫌いになったっていいじゃん。現実世界人間危害加えるわけじゃないんだからさ。

現実世界毒親とか苛め首謀者に手を出せない代わりに、二次元キャラ妄想の中でボコってるだけだってのに、それの何が悪いの?

抵抗できない相手攻撃してる時点でお前はクズ、って言われてもさぁ。趣味って基本ストレスを発散する為の物じゃん?

それだってのになんでそれすら許してくれないの?そもそも許す許さないじゃないよね?お前等の意見が作者様のご意見みたいに言うんじゃねぇよ。

私のキャラに対するsage不愉快って言うんなら、私からすればお前等のキャラに対する意味不明ageの方が不愉快から消えて欲しいわ。

ただただそのキャラのガワが好きだからって、自分の都合の良いように「良い人設定」を捏造して悦に入ってるくせに。

キャラ勝手に良い人設定にして、キャラ所為人生ボロボロにされたキャラ達に失礼だと思わないのか?

酷い時には人生ボロボロにされたキャラの方を「嫌なら抵抗すればよかった」だの「甘んじて受け入れるからキャラも歯止めが利かなくなった」だの。淫行した癖に被害者加害者扱いする老害共と一緒だなお前等は。

本当、博愛なんだか正義感なんだかしらないけど、毒親と苛めっ子なんて基本犯罪者だろうにさ。

暴力振るって罵って嘲笑って、時には命まで奪うような奴らのことを「嫌い」って言うのがそんなに悪いことなの?

鍵垢も検討してるけど、キャラageの為に捏造をあたか真実みたい垂れ流してる奴等が鍵垢使わずにいるのは腹立つわ。

そういうわけで、俺はこれから毒親と苛めに対するヘイトを呟き続けます

特定キャラが嫌いで何が悪い!!!

2017-12-20

me tooに共感する人が男女問わずこれだけいるのに

自分から過去セクハラしてましたって奴が一人も出てこないってどういうこと?

セクハラはまだしも、力関係を利用したパワハラなんて至るところにあるだろ

というか多かれ少なかれみんなやってる

会社での上下関係もそうだし、学生上級生になった時でもそう

もっと言うと友人関係だって家族だって関係を利用して相手を抑圧したり攻撃したりってことが当たり前のようにある

この問題本質的意味で捉えるなら、似たようなことをしたことないやつなんて見つける方が難しいだろ

もし、me tooの運動共感してそういったことを無くしたいと本当に思ってるなら

自分自身過去の行いを振り返って自分自身告発しないと筋が通らないだろ

俺の言ってること間違ってるか?間違ってないんだよ

お前らが共感してるのは、告発によってセクハラがなくなることじゃないだろ

告発によって圧倒的強者が落ちぶれて足蹴りにできるのが気持ちいだけだろ?

ちなみに俺は気持ちいわw

お前ら匿名なのに聖人君主気取ってんじゃねーよ

2017-12-19

https://anond.hatelabo.jp/20171218134506

毒親だという可能性も気づけないんだな、皆が聖人君主な訳じゃないぞ

そうやって色眼鏡付けて物事見る人って、物事を一辺倒に判断する所あるから詐欺師に騙されないようにな

2017-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20170503173102

この追記があっても金はいらない運転手ケチと叩いているみなさんは聖人君主ですね

2017-02-21

ヤフーを始めとする日本メディアはなぜマサオ聖人扱いしたがるのか?

実際はマフィア使って覚醒剤売るドクズなのに

 

俺の予想だけどこれはCIA陰謀だと思う

マサオ聖人君主だったことにして日本国内北朝鮮に対する反感を育てて

開始するであろう北朝鮮への攻撃に反発させず協力させるつもりかと

2016-05-24

批判があるのがチャンチャラおかしい。

橋下徹氏、米軍風俗活用に再び言及きれいごと解決しない」

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=169609

殺人レイプがある状況で、

当然のように風俗も利用しているだろうよ。

夜遊びのちょっとぐれた若いナンパしたり弄んだり。騙してトンずらしたり。

まあ様々な被害があるでしょう。

そりゃ、米兵が全員、聖人君主禁欲生活送ってくれたらそれが最高なんでしょうが、そんな非常識なことはファンタジーでも起こらない。

アメリカ軍キレイごとで、風俗まで否定してるから犯罪に走るバカがいるんだ。若い男を数万に単位で集めて来てるんだから、そこまで面倒見ろよ。

現実認めてちゃんと指導しろよって話だろ。

よその国の軍隊がいる時点で、どこからも不満が出ない解決策なんてないんだ。ならモアベターを探すだけだろ。

あと犯罪率を、一般日本人比較するな。本来兵隊民間人を守る存在で、厳格な規律を求められてる公人だろ。

自衛隊と比べてどちらの犯罪率が高いんだ。

2014-12-25

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰2

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記の続きとして分割投稿されたものである

作家人格登場人物人格

西谷は「主人公作家分身」であり、それは「五感を共有していること」、「心の奥底まで共感しあうこと」だとするが、だからといって「主人公作家の思うように考え、行動することを意味するのではありません」と警告する。五代/榊もまたありがちなワナビラノベについて「キャラクターが作者を代弁するただのお人形になってる」と揶揄している。

このように見てみると登場人物作家関係について、作家が主なのではなく登場人物が主である、と主張しているように見える。しかし当然ながら各場面における登場人物の言動や思考作家によって執筆されるのであり、作家が考えないのであれば誰も考えてはくれない。

この点でヒックス登場人物作家の一部であるとして、作家のある面を誇張したものであることを求めている。つまり嫉妬深い人物を描くならば自分嫉妬深い側面を誇張した人格創造する、というもので、全くの新たな人格創造するのではなく、そのベースあくま自分自身だとする。

これに基づけば「キャラクターが作者を代弁する」状態とは、その人物を描くにあたり作家の誇張が無い状態、いわば作中に作家自身名前だけを変えて登場した状態だと言える。作中に登場する作家自身がどれだけ失笑を買うかはくぅ疲の例を見るまでもないだろう。

登場人物作家自身である主人公は間違いなく作家の思うように考え、行動する。しかしその作家の「思う」主体作家人格そのままではなく、登場人物それぞれの設定によって歪められ誇張された人格であり、その結果時に作家人格そのままであれば決して選択することの無い言動に出ることになる。

キャラクターはある瞬間、勝手に動くものです」とは大塚の言だが、逆に言えば登場人物はだいたいの場合作家の想定通りに行動する、ということでもある。当たり前だが一定合理性をもって人間は行動するものであるし、他人ならまだしも登場人物人格ベース自分自身である以上、ほとんど常に作家想定外の行動を登場人物がするんです、という状態はありえない。もしそうだとすればそれは単に何も考えておらずその場しのぎで適当に考えているからか、もしくは薬物でもやっているからだろう。

なお突如として想定外の動きを登場人物がした場合ヒックスはそれにあわせてプロットを書き換えるべきだとする。ヒックスは後述するようにプロットを重視するが、それ以上に登場人物を「愛さなければならない」という。

ヒックス登場人物創造する際、その登場人物の将来の夢は一体何なのかと作家に問いかける。これは夢を作家が事前決定しろという意味ではない。それではヒックス否定する「組み立てられた登場人物」にしかならない。

ここでいう「夢」はその登場人物人格依存して考えだされるべきものである。これは大塚世界設定で指摘した、ある条件を前提にしてそこからどうなるのか、ということを演繹的に導き出していく方法とよく似ている。

もちろん何の事前設定もなく人格を作れと言われても作家当人人格しかなりえない。ゆえにいくつかの設定は事前定義必要である。それは主題や、もしくは世界による必然性を伴った定義であることが望ましいだろうが、それら断片的な設定に後付で作家適当にどんどん設定を付け足していくのではなく、演繹的に設定が導出されていくべきだ、というのがヒックスの考え方であると筆者は理解している。

西谷ヒロインブラジャーの形状にこだわった逸話はしょーもないの一言で済む話だが、そこに人格から来る必然性があるのであればわからなくもないと言えよう。

読者による登場人物への感情移入

以上のように作家登場人物関係について述べてきたが、一方で主人公を決して困難な状況に陥らせないワナビにそれを指摘したところ「だってかわいそうじゃないですか」と反駁したという事例を西谷が挙げている。この点だけ見ると作家主人公に同化し過ぎたり、感情移入し過ぎることに問題があるように思えるが、西谷がここで問題にするのは、ワナビとは裏腹に読者がまったく感情移入できていないことにある。読者も同様に感情移入しているのであれば、徹底して登場人物への虐待作家が行うことに逆に嫌悪感を覚えることすらあるだろう。

西谷同様、筒井は「自分作品感情移入しているからといって、読者も必ず感情移入してくれるだろうと思うのは間違い」と指摘する。

本格ミステリSFなど、感情移入必要とせずとも最後まで読ませる魅力を持った小説存在する。しか感情移入が読者に続きを読ませる原動力として強く機能することは言うまでも無く、感情移入できないという状態は読むのをやめようという動機になりうる。読者が感情移入をしてくれるに越したことはない。

さて、基本的に読者の感情移入物語の中心を担う主人公に対してなされるべきであるが、ではどのような要素が感情移入を誘うことができるのか、という点について各説を整理する。

まず榎本水島主人公年代ターゲットとなる(と下読みや編集部が想定する)読者層と重ねるべき、としている。すなわちラノベ主人公中高生であることが望ましいと言う。同じ理由性別男性の方が好ましいと言いうるだろう。スレイヤーズブギーポップのように女性主人公成功例はもちろんあり、水島のようにそれを地雷ジャンルとまで言うのもいかがなものかと筆者は思うが、女性より男性の方が主たるターゲットである男子中高生感情移入を誘いやすいことは想像に難くない。

まず作者自身モデルとして主人公に据えるやり方について、「基本的に失敗する」「ナルシズムか自虐に陥るのがオチ」と榎本は断言する。もちろんそれで成功している例もあるが((森博嗣などは成功例と言えるだろう))、分の悪い賭けであることは確かだろう。

主人公に求められる特質について、西谷榎本飯田は読者の憧れを具現化していることであるとする。憧れとは立場的、能力的、性格的に秀でていることでもたらされるものだと榎本は言い、クーンツもまた「高潔」「有能」「勇気」「好感」という要素を挙げ、これらを満たしていることが必要だとする。

そして最も重要な点は、完璧超人では読者の共感が得られない、という点である。「ジェームズボンドのような例外はあるが」とクーンツは言いつつ、共感を得られやす主人公には上記の要素に加えて「不完全さ」が必要だとしている。これは人によって「欠点」「弱点」と表現は異なるが、いずれも同じ意味である

一方で「低スペックで卑屈、無個性へたれ」な主人公像については、飯田は「マスな読者のニーズとはマッチしない」として、そういった主人公ラノベは「実売数千部のマイナー作品」に見られる傾向だという。榎本もまた、読者が作品を読む理由の最も大きなものは「自分とは縁遠い出来事を手軽に楽しく疑似体験するため」であり、現実の平凡な中高生に近い主人公像ではそれが得られない、という。

しかしながら水島は「平凡な主人公」でも問題ないとする。超人能力を持った主人公像を否定することはないが、榎本飯田のように平凡さを否定することもない。西谷も同じであり、憧れへの言及最近のヒットしたラノベを見ているとそのような傾向がある、と言うにすぎず、読者の分身として機能する平凡な主人公像も肯定している。

さて、筆者はこれらの各説は人物の能力精神倫理区別せず論じていることで生じた混乱だと考えており、ここで対立があるとみることは無意味だと考える。

能力とは例えば「直死の魔眼」のような、その人物だからこそ実行可能な、常人には実行不可能行為名称である。この点での超人性を主人公が備えているかべきかは物語上の必要性によって判断されるべきであって、主人公がそうした点で無能であることは全く問題なく許容されるし、また絶対に負けず死ぬこともない完全無欠の超人能力を持っていても(それが物語必要ならば)問題ない。

次に主人公精神についてであるが、これは完璧であってはならず、平凡でなくてはならない。あらゆる誘惑に対して微塵も揺らぐことなく、確固とした信念を持ち理性と知性に溢れた決断をし続ける聖人君主はご立派すぎてうさんくさく、クーンツが言うところの「好感が持てること」という要件を満たさない。飯田にしても「ヒーローは悩む存在である」としてこの点での超人性を否定する。自分の将来や恋愛といったわかりやすく、読者が共感できる悩みを主人公は持つべきであり、さらに「何を考えているのか、わかりやすく書くほうがよい。感情オープンにならないキャラには感情移入しづらい」とする。

最後主人公倫理は、読者の倫理に反してはならない。主人公への感情移入によって「あらゆる女の子モテまくる存在であるという全能感」を読者は得るのだと飯田は言うが、しかしどれだけモテようとも複数同時並行で交際することは一般に許容されない。「主人公は鈍感でなければならない」とする指摘は、倫理的正しさを保ったままその状態を維持する点で(安直だが)効果的に機能する。

一方で木刀を持って不法侵入の上傷害沙汰を起こした同級生に対して警察を呼ぶことなく、彼女の空腹を察してチャーハンを振る舞い、自分の恥を晒しながらも穏やかに話し合いで事態を解決する主人公は、まさしく完璧超人と言うべき存在である

Unlimited Blade Worksとかマジカコイイ!憧れる!といった読者もいるだろうが、失笑する人も少なくないだろう。しか倫理的にそうすべきと読者が思い、また自分にも物理的には不可能ではないだろうがしかしなかなかそうはできないと思うことを主人公がやってのけることにこそ、多くの読者は「憧れ」を抱くのではないかと考える。

さて、憧れは感情移入の要素として極めて強力に機能するが、冒頭からいきなりその段階に持ち込むことは容易なことではないだろう。まず最初主人公へ興味を抱き、好感度を稼いで少しずつ感情移入を誘い、そして上述のような行為によってその感情移入を一気に深め、確固たるものとして確立する、というのがより無難戦略だと言える。

こうした興味喚起、好感度向上に役立つ要素として、例えば西谷は「肉体的な苦痛を与える」ことを有力な手法だとしている。クーンツの「主人公を冒頭で過酷な困難に放り込む」も同様の指摘と考えられ、冲方による「苦しい場面での感情移入成功すると、自然ハッピーな場面ではそのまま感情移入してもらえることが多くあります」というのも、苦痛を伴う場面は幸福な場面よりも感情移入効果が高いという指摘だと言えよう。

西谷が肉体的苦痛をあえて挙げている点は特に説明はないものの、おおむね誰にとっても明確でわかりやすいという点で精神的苦痛よりもメリットがあるからだろうと筆者は理解している。

そしてもう一つ効果的と思われる方法が、飯田が指摘する登場人物ギャップである

登場人物ギャップ

本項では「キャラ」と「登場人物」を区別しないが、新城はそれぞれ異なる意味定義しており、曰く登場人物を「内面があって葛藤と選択をする人格」、キャラを「こういうシチュエーションではこういう言動をみせそうな、いかにもそんな外見の人物」とする。

飯田は「人間は意外性のある物語に弱い。とくに、内面なんてなさそうな人物に内面があった、というパターンに弱い」と述べ、人物の外面と内面ギャップを設けるべきだとしている。すなわち新城がいうところの「キャラ」としてまず描かれ、それが物語を通して「登場人物であると描いていくことで読者の感情移入が誘えるのだ、とする。

ところで飯田は良いツンデレと悪いツンデレがあるとして、良いツンデレ多面的感情の一つにツンとデレがあるが、悪いツンデレにはツンとデレの2面しかない。だからハルヒは不人気でルイズは大人気なのだ、とする。筆者はツンデレに良し悪しがあるとすれば、それは新城の言う「キャラ」と「登場人物」であろうと考えるため、飯田の説には同意しない。

ツンデレ」は言動まで類型化された属性である本来内面であるはずの照れ隠しの典型的言動はまさしく「こういうシチュエーションではこういう言動」であり、そこに人格を読者は感じられず、むしろ「お人形」として認識されると考える。

良いツンデレがあるとすれば、同じ典型的発言をするにせよ、そこに「葛藤と選択をする人格」があると読者に理解されることが要点と考える。ツンデレ喫茶バイト事務的発言する様を見て「ツンデレ萌え!」と興奮できるオタクがいないとは言わないが、ドン引きするオタクの方が多いだろう。

さて、さら飯田ギャップは「属性」についても適用できるとする((「属性」についての議論としては東のデータベース消費論などがあるがどうでもいいので無視する))。登場人物へは二つの落差のある「属性」を付与することが効果的だと飯田は言う。例えば「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」における「モデル」と「オタク」という組み合わせを挙げ、「モデル」が持つ華やかでリア充イメージと「オタク」が持つ根暗コミュ障イメージを同一人物に同居させることで意外性を与え、興味を喚起できるとする。なお当然ながらこの手の単純な「属性」の組み合わせはそれ以上工夫する余地が無く、すぐに陳腐化する点は飯田自身が指摘するところである

このギャップについては、陳腐化しやすい「属性」の組み合わせよりもその個別の設定においても有効機能する。

例えば「とらドラ」における「目つきが悪いヤンキー」かつ「家庭的で親切」という主人公の設定、「小柄で可愛い」かつ「家事は苦手で暴力的」というヒロインの設定はそれぞれ落差のある設定だと言えるだろう。これは個人的レベルでのギャップであり、また同時に登場人物間のギャップにもなっている。

西谷主人公ヒロインを組み合わせると完全な人格になるよう相互補完関係を持たせること、また主人公には対照的な人を親友として持たせるのが好ましいとする。しか主人公ヒロイン親友という限定した関係に留まらず、主人公格として機能する集団を想定し、それぞれは別の仲間とその設定にギャップをつけること、というように拡大解釈可能だと筆者は考えている。

投稿文字数上限により、下記へ続く

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰3

2014-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20140301023237

聖人君主なんか居ないが、自分が人をどう見てるか、どれだけ人を傷つける人間か、ある程度理解してるのは必要だろ。

一番怖いのはそこに気づかず人を苦しめてる奴な?

お前らは恐らく人のためになる以前の屑だから元増田以下の恐ろしい人間かも知れないが、

元増田は平気で笑いながら人を殺す、そういう人間の怖さがある、って話なんだけど、それも感じない?

普通にこれ、怖い話だと思うんだけど。

2013-10-01

はーああああああああ。何でだよ何でなんだよ何で何で

なんであいつばっかなんでいやうんあああああああもうもうもう…

死ね!とは言いたくないけど、死ね!とかはぜろ!とか言いたくなる!俺だって彼女欲しいわほんま

まあおまえなりに辛い事たくさんあるってのもわかるよ、わかる

でもなぁ。のどから手が出るほど欲しいもんもってるやつに、俺はいいことばのひとつ

かけられんわ。ああ、そうだよ嫉妬だよ嫉妬。みにくーい嫉妬だわ?

彼女作る努力ですか?してます最近ようやくしはじめました。でも、この腹の内のどすぐろおおおおいのは

ちっともおさまらないんですよどうにかしろよまったく

いやおまえがさ、悩んできたのもわかるんだよ、すげーわかる。うん。だからあんまりひどいことなんか言いたかない。

祝福もしてやりたい。でもなぁ、はぁ。うん、そんなことできるほど俺聖人君主じゃねーわ。うーん。もう腹立つ。

その三文字が腹立つわけ?わかる?俺めっちゃしたのそれさ。あーもう。うん。。。。。

嫉妬するだけじゃあしょーがねーとは思う、でも俺、今まじでそれどころじゃねーんだ。

全部なげうって、色々するほど余裕ねーんだわまじで。だからさ、落ち着いたらなんとかしようって思ってるけどさ、

今この感情はおさえられねーっつーの!

爆発しろ!!!あああああああああ!

2013-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20130504230749

あの朝生メンツ性格の悪さと言うか胡散臭さでは歴代トップクラスなように思う

ネットもつかえん時事馬場が選んだ老害政治屋聖人君主に見えるレベル

2011-08-01

男の性欲は、いわばスイッチ

http://anond.hatelabo.jp/20110801190731がまさにその通りで、

あいうのは年齢とかそういうデータじゃないの。理屈じゃないの。

視覚エロを吸収する生物なの。完全に見た目なの。

である以前に動物なの。獣なの。

スイッチが入ってしまったらどんな聖人君主でさえ欲情してしまうの。

性格とか関係ないの。あとはプライドとか理性のせめぎ合いで苦しむしかない。

極限まで追い詰められると、同姓にまで手が出てしまいがちになるのは

亡国の軍隊情事ニュースや、過去歴史とか見てたらわかるでしょう。

 

世のお嬢さん方は、この事実を知って、忘れないでほしいと男ながらに思う。

2011-03-06

「敬意」の解釈の違い?

勝手な推測なので違っていたら申し訳ないが、フランチェス子氏がいう取材対象への「敬意」は

取材対象がどんな者であれ立場を一定程度尊重する、というレベルのものだったのでは?礼節に近いというか。

例えばフランチェス子氏にめがね王氏を取材する、といった仕事が入ったとして

この状況でめがね王氏の人格を尊び敬うという気持ちを心底持つのは難しいと思われる。

それでも仕事となればめがね王氏の立場を理解し一定程度は尊重するべき、といった話だったかと。

ましてや被災者への取材という文脈で出た「敬意」という言葉違和感は感じられない。

その「敬意」という言葉にめがね王氏が過剰に反応し、のっけから煽りモード全開で「挑発したと。

でもフランチェス子氏がいう「敬意」が文字通り「人格を尊び敬う」という意味だとしたらどうだろう。

犯罪者への取材の動機が犯罪を許さない、といった正義感から来る場合

罪を憎んで人を憎まず、といった聖人君主的心情を保てるのだろうか。

それがプロだといわれればそれまでだが犯罪人格は裏表とも言え(この辺は法律論としても議論のあるところ)

そこを分けて取材し記事にすることが出来るのだろうか。

取材中まるっと人格を尊び敬ったところで、記事にしたものが対象者を否定するものだったら

そもそも人格を尊び敬ったといえるのだろうか。

その辺をめがね王氏は冷静にフランチェス子氏に聞いてみて欲しかった。

いずれにしてもめがね王氏の挑発は目を覆いたくなるひどさだったし

誹謗中傷名誉毀損に話の中心が移り、フランチェス子氏の考えを更に深く知る機会を失った意味

めがね王氏がいう取材方法が間違っていることを自ら証明してしまった。

2010-03-20

多分、横領なんだろうさ。

http://anond.hatelabo.jp/20100320005430

直属の上司は、時折、心底「有り難い」と思える言葉をかけてくれる。飴と鞭みたいなもので、社長にどやされて凹んでるときに「なにあれ、こっちの都合も考えろっつーになぁ?」とか言ってくれる。別に完全無比の聖人君主ってわけではないが、社長より共有できてる部分が遥かに大きいので、心底有り難い。厳しい言葉も多分にあるが、ちゃんと意欲を奮い立たせる言葉が混ざってる(こともある)。あれ、これも飴と鞭じゃね?

同僚との会話では、どーにも愚痴にしかならないのだ。「●●だよねぇ」、「●●ですねぇ」と言い合うことで、多少心理的にプラスな面もあるかも分からないが、目立って大きい効果はない。もっとも、愚痴り合うことで生じる信頼関係みたいなもんもあるから、愚痴り合いは否定しない。よく社長槍玉にあがる。これが「ディスる」って概念なのだろうか。

上司には不満らしい不満はなく、強いて言えば、構造上の齟齬が生じるだけのこと。共有できない部分も生じるだけのこと。自分はこの商いのため、小さな悪事に手を貸そうと思う。子飼いを作り、品の流れを作る。現状、我が社で扱える品ではないが、社に十分なリソースが生じれば、あるいは自分がそのリソースを肩代わりすれば、商材に昇華できる、かもしれない。徒労に終わるかもしれない。

自分が、この部門に注げる労力は限られる。勤務時間を下手に増やす事はできない。やりすぎれば、採算性の危うさに気付かれる。勤務の外で、進められることを進めるしかない。「会社を通さず、私的にやらせてください」とは上司に言えない。嘘を積み重ねる。

2010-02-20

統合失調症のススメ

統合失調症患者妄言としてスルー推奨。

下手すると自殺しますよ。

http://d.hatena.ne.jp/unsui456/20100218見て夏目漱石統合失調症であるという事を知り、

学問のススメにならって統合失調症のススメを書いてみます。

とおもったら福沢諭吉でした、すみませんw

昔からなぜか病気になりたいと思っていた。多分中二病。私は特別なんだとかそういう。

思い返せば、病気(風邪)になれば母親から優しくされるからか、なんかの病気になりたかったのかもしれない。

もしくは小学生の時に隣に養護学校が隣接されており、養護児童との接点があった。

彼らは確かに見た目は奇異ではあるがゆえに、周りから優しくされて少し楽に生きているように子供の目には写ったのかもしれない。

始めから変人を目指す自分がいたのかもしれないが、その辺は定かではない。

ただ相対的には、少しわがままな子供であったのかもしれない。

そして最近人生がうまく行かない。自殺しようかとかよく考えていた。

病気になろうとしているのだからそうなるのは当たり前なのだっていうのは浅はかだと思う。

心の中では本当になろうとしている訳ではない。サボりたかっただけかもしれない。

ただ「私は病気かもしれないな」が重傷化して、発症してしまう思い込み病に近いものであると思う。

病は気からといいますが。

そしてやる気がいまいちでないのを自己診断で鬱だとかADHDだとかそういうものであると思っていたのだが、

最近世界とうまく行かないと思っていたら、統合失調症に近いものに陥っていることに気がついた。

これはやっかいな病気で様々な妄想が止まらない病気だ。

病気が進行していくと、面白いくらいに世界が崩壊していく。

今までの価値観(人間として大切な所)や大切なはずのものがどうでもよくなってくる。

この世界感の崩壊は体験した人間にしか分からないのかもしれないけど、

serial experiments lainの主人公の行動に共感が持ててしまいます。

ただ以前視聴した大分後にそう思ったわけで、私が影響されやすいだけなのかもしれません。

一番怖かったのは、自分の思っている事が相手に伝わってしまう「気がする」(※本人は100%伝わったと勘違いしている)という症状だ。

脳内言葉(脳内音声)として文章化して物事を考えている場合にそれが人に丸聞こえになってしまう、と周囲の状況から判断してしまった。

まさにサトラレ状態。

それに気がつき(勘違いし)パニック障害に近いものも発症していた。

病気の状態を調べている最中にも、精神科世界では便宜上「そういう気がする」に押さえて伝えておかなければ、

自分の意思を周囲にまき散らして迷惑をもたらすからだ、と思ってしまった。

そんなことが伝わるはずがなく、自分の思い違いである、という認知が狂ってしまうことで、

どんどんと疑心暗鬼になって行き、負のスパイラルに陥る。

一旦これに陥ってしまうとなかなか抜け出せない。全ての事が思考が伝達した結果であると感じてしまう。

そうすると自分の思っている事がちょっとした考え事が何か大それた物であるとか、人にどう思われているかとか、

そういう事ばかり考えるようになって、その結果、幅広い視線で物事を考えられなくなったり、世間の人間が汚くみえてしまった。

ただ幸いにも人が助けてくれてるのかなという感覚はあった。

始めは何か周りから嫌がらせをしているかのような感覚

次にmatrixではないが、聖人君主資格をもった救世主を探して周りの人が行動しているようにみえた。

そして人間は実は脳内音声が聞こえている生き物なんだと自分に理解させ、人間になるように諭される。

そして自分に少しでも救世主資格がないと発覚すると、汚い人間性を持った俗人になるように誘惑され、

志のない一般市民への転落へと陥れようと画策しているかのように人間が見えた。

以下妄想垂れ流し。

統合失調症根本的な思考方法パターンが異なっているだけの人種だのだと思う。

http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/fe5d47a4094d72a271d6de0c7980bc6aのようなSとN、みたいな。

でも実はこれは誰にでも備わっている能力であると思う。

今ではパニックを少し抱えつつ冷静に落ち着いて行動をしているけど、普通自然体が言葉で思考する人種にとっては黙っておけというのは難しい。

(※黙っておけ=お前の脳内音声が聞こえるからうるさい、と言われている気がしていた)

音が気になる人は、別にそれは小さな音なのだから騒音として聞き流すか、音楽でもかけていれば気にならなくなるはずだろう?

仏教や禅の精神では心を無にするのが落ち着くと考える人がいる。特にそれが盛んな地域では、他者の生み出す意識の流入が嫌われる。

なのでそういう宗教の人は、統合失調症を発症した人間に対して「何か悩みがあるのだろう」と優しく語ってくれるのだが、

決して悩みがある訳ではなく単にそういう考え方の脳を使うスタイルであることを理解してもらいたい。

心を無にしても無の境地があるだけで、何にも新しいものは生まれてこないと思う。ただ生み出しやすくはなるけど。

誰もいわないけど、「心の声」や一種の「テレパシー」は存在するのではと考えている。

オカルト的なものではなく、脳からマイクロ波が飛び出し周囲に伝搬する「フレイ効果」というもので、

脳内音声は他人に聞こえるのではないかというのが私の見解。これが自我という奴なのか?それを知っているのが普通なの?

この事は大人の対応として誰も言ってくれないんだが、逆にこれを言うとオカルト扱いされるというレトリックもある。

電磁波ハラスメント」というものも出てきているくらいに、人が密集した地帯では深刻なものになりうる。

脳内での受信部位であるミラーニューロンが発達した人々の間では耳障りな音がするらしい。

これは自閉症スペクトラムの中で自閉気味にある人間には、聞こえないか聞こえても無視できるくらいの音声、もしくは人間的な度量があるのかもしれない。

こういった自閉症のようなマイノリティーが病気として追いやられ自殺に追い込まれるという社会は終わりにしたい。

私の頭がおかしいのだけなら、そんなこと(脳内音声が伝わる事)はないと言ってもらいたい。

逆にそうでなければ自分がおかしい、病気だぞという方向におさえこまれる意味が分からないからだ。

こんな感じで、ちょっと冷静になってみると訳の分からない理論勝手に唱えていました。

一旦統合失調症の発症に気がつくと、実は人間という存在は全てが脳の思い込み刷り込みの産物でしかない事に気がつく。

人類が作ってきた歴史文化そのものが、特定の価値観があるんだよという刷り込み。

感受性豊になると世界カラフルに見え、恋愛をすると世界が輝いてみえるように、世界は白黒で無価値なものに見えた。

よくありそうな自己啓発などではなりたい自分イメージしなさいと言われる。このイメージする作業は、人によって脳内言葉であったり映像であったりするだろう。

そして言葉映像以外でも、同じように実は人間の5感は自分の意志で脳をコントロールする事ができるかもしれないと思っている。

外部入力がなくても脳内感覚を作り出せる、という意味で。

音声はともかく、味覚や触覚や嗅覚視覚を実際の入力とはかけ離れてコントロールできる。

ただ再現可能性がないということで科学にはなりえません。自分だけのものとしてうまく使いこなせるようになりたいですが。

幻聴というものを自分の制御下で行っている人はいるだろうか?

スパイラルの底に陥って、どうしても幻聴は外部から攻撃されているんだという概念から離れられず、

自分でやっている事に気がつかないで苦しんでいる人もいるのかもしれないと思うが、

一般に普通とされる人間がそれらの幻覚を自ら進んで実行する脳コントロールをしてみる欲求はあると思うのだ。

ビジネス自己啓発や美容で用いられる思い込みの力は、社会的プラスに作用する方向に使うからいい。

これを自分の感じる感覚無意味であるものとする方に作用していくと、精神的に荒廃した人間が出来上がる。

無意味であるとはどういう意味であるかというと、例えば痛覚。これを遮断するように脳に働きかけると、痛みを感じなくする事ができる。人間はヤバいときには、沈痛作用の脳内麻薬を分泌して本能的にそうやっている。

これをやっちゃうともう後には戻れない所にくる。私の予想では、後に戻るには赤ん坊精子の時からと同じ道順をたどってこなければいけない。

私はさすがにそこまで自分自分を追い込む勇気はなかった。

ただ人にはそういう精神的な所に気がつかずに生活してきたベースとなるそれぞれのパーソナリティーはあるにしろ、

社会性をもったパーソナリティーは排除されるように教育がなされている。

自分連続殺人犯だとかの反社会的パーソナリティーの気持ちも別に分からない気はしない。

やっても得になる欲(興奮)が欠落しているのではなく、それを理性によって閉じ込めているだけかもしれない。

頭で考える事が出来たからといってすぐに犯罪に結びつく訳ではない。人間には理性がある。

行動しなければ何を考えても自由であるはずだ。少なくとも日本では内心の自由保証されているのだし。

人間は一人で生きていく存在ではないとよく言われる。

これはまぎれもない事実であるかどうかは分からないが、社会ベースとなる考え方だと思う。

だからその考え方を元とすれば、どうやっていけば(障害者も含めた)社会全体がより良い物になっていくかを考える事が可能であると思う。

2009-09-13

メシウマ”の醜悪性と“自己責任”に縛り付けられた社会

私はメシウマというコメントが大嫌いだ。見るだけで気分が悪くなるし、絶対に使わないように心に決めている。

この言葉には呪いが込められていると思うのだ。

似たような場面、例えば誰かの失敗を知った時や何かしらの事件の速報などで使われているネットスラングには、『プギャー』とか『プゲラ』(もう死語?)なんかがあるように思う。

これらはまだ大丈夫なのだ。見ても笑っていられる。それほど気分は悪くならないし、嘲笑のレベルに限度が見受けられるように感じる。「それくらいしといてやれよ」と余裕を持って思える。

でも、私にとってメシウマは違う。確実に悪意が滲んでいるように思えてしまうのだ。もしくは、悪意が滲んでいるニュアンスだけを切り取っているように感じられる。

この言葉が出る以前に使われていたであろう『プギャー』『プゲラ』等の言葉にも、使用者によっては現在メシウマと似た意味を持たせていたこともあっただろう。

でも、同じくらいの比率で、嘲笑が、『馬鹿だなあ』と苦笑するようなニュアンスが込められていたのではないか。変な言い回しになるけれど、以前は温かみのある罵倒だったのだ。

けれど、現在散見されるメシウマには、そういった温かみを感じられない。人によっては感じる人もいるのかもしれないけれど、私にはどうにも無理だ。

だって、メシウマには『誰かの不幸で今日も飯が美味い』というのが原点にあるのでしょう?

聖人君主を騙る気はさらさらないし、こういった感情を持たないなんて言わないけれど、それを誰かに伝えることや表現することは甚だ醜悪だと思う。

メシウマというコメントにはモラルがない気がするのだ。

そして、このメシウマ発言をする人が併せ持つキーワードに、『自己責任』がある(もうひとつは、自己が所属しているだろうグループ良心を求めるなというもの)。

これだけ祭り上げられているのには本人に原因があるからだ、という論法だ。過ったその人こそが悪いという口上。

確かにそれは間違いではない。火のないところに煙は立たない。人が面白おかしく群がるには、それなりの理由がなくてはならない。

しかしながら、ちょっと待って貰いたい。何事にも限度があると思うのだ。追求する限度を設けてやってもいいのではないのか。

最終的にどこで線引きをするかの問題だから、嫌なら見るなと片付けられてしまうかもしれないのだけれど……。

ただ、行き過ぎた自己責任論は、いろいろなところで談上に上っている規制論とは違った角度から、社会を生きにくくさせてしまうと思う。

寛容になることはまたちょっと違うかもしれないけれど、緩やかなグレーゾーンがあるからこそ、人は生きやすいのだと思う。

なら、そう言うお前がメシウマを許容できるよう寛容になれって、グレーゾーンを広く取れよと言われてしまうかもしれないけれど、芸能人とかネット炎上した人とかがいつまでも叩かれるのが自己責任だからって簡単に帰結してしまうのは、少し厳しすぎると思うのです。

刑事事件の犯罪者に対する量刑の如何についてとか、出所者に対する人権の問題とか、いろいろ話は大きくなってしまいそうだけれど、やはりどこかで許すことのできるラインが必要ではないでしょうか?

……ならば、コンクリ事件の出所者も許すのかと問われると、うーん……難しいのですけれども。

過ちと罪は同等なのでしょうか?

過ちは許すことができるのではないでしょうか?

そうしなければ、過ちに対する憎しみは消えないのではないでしょうか?

罪は裁かれる。過ちは許すしかない。そして、人は、人にはどう対処すればいいのでしょうか。

途中から想定される反論に答えられなくて、更には最後の方、話が大きく飛躍した上に疑問だけ残って蛇足になってしまいました。

なんかすみません。ごめんなさい。

謝るくらいなら書くなってね。

もう終わる。

2009-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20090425184009

先生聖人君主であるべきとされているからね

しかしそいつらは普通以下だな

教師って普通以下が多いよな

教師を志望する時点で精神が幼稚だから仕方ないのか

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