はてなキーワード: 中二病とは
他責的であるということは、歪んだ自責の裏返しなのではないか。
私自身にもその傾向があるが、何事も他人の責任にする人がいる。
傍から見れば迷惑この上ない人だが、実はその人の心の奥底では、自分自身を強く責めている何かがあるのではないか。そして、その何かが必要以上に自分を責めてしまうので、心のバランスを取るために、その負のエネルギーを内部で処理できずに、外に向かって吐き出しているのではないかと感じる。
私が何故そのようなことを思いついたかというと、今日たまたまNHK教育テレビで自閉症の家族のドキュメンタリーを観たからだ。
障碍を持つ家族がいるために、色々と振り回される。そして、誰も責める相手はいない。そのような状況の中で、不器用な人は上手く処理できず、「上手くいかないのは自分が悪いのではないか」と思いつめてしまう。自分の中に負の感情を溜め込んでしまい、負のスパイラルに落ち込んでいるようにも感じられた。
私自身も両親が障害者だったこともあり、ドキュメンタリーに出てきた家族の気持ちは少しわかる。
私も両親に対する怒りを感じることがあっても、「障害者だから仕方が無い」ということでどこか自分の中に押さえ込んでしまう癖がついていたように思う。
そのために、それが歪んだ形で外に向かうこともあった。
(現在は両親は亡くなり、そのときの気持ちを客観的に見ることが出来るようになりつつはある)
器用な人であれば、上手くその理不尽さを乗り越えられるかもしれないが、コツをつかめない自分のような人はどんどん不満を心の奥に溜め込んでしまう。
だからこそ、他責的であるというのは一つのシグナルだと思うのだ。
そういう人が職場や身の回りに現れたら、まずその人自身が自分自身を見つめなおすように促す工夫が必要だ。
下手をすれば、その人は一生中二病的な状況から抜け出せず、一生を棒に振ってしまうかもしれない。
取り留めの無い文章ですまぬ。
・絵が下手
・発想が凡庸
・「理系」としてまとめられている非常識性・変人性がただの中二病レベル
・「オタク」としてまとめられてる趣味行動・奇行が浅すぎライトすぎ
・「過剰に論理的」とか「発想が人と違う」ではなく「凡人の変人ぶりっ子」なのがバレバレ
・一方で、本当に変というか、確かに非常識だな(それも単に悪い方向に)という部分がチラホラ見えるがそこには自覚がない
・作者の本当に変な部分は「理系」「オタク」に誤集約してスポイルする事でスルーしている
・寿司屋でネタの正式名称がどうのと因縁つけるのの何が面白い?
冗談抜きに中学生ぐらいがいきがってやりそうな行動でしかない。
これを本人は、読み物として提出出来るぐらい面白いネタだと思ってる。
ずっとこの水準で「俺って面白い変人デショデショ?」なので、かなりキツい。
・作者の同期や彼女との人間関係だけは本当に変人というか、確かに人よりかなり劣っている。
しかもこっちには見世物的な意識が感じられない。むしろなんかイジケたマジレスが多い。
彼女との別れの顛末なんかも、自己中心的でナイーブな視野からの描写に終始し、
「僕はこう感じて」「僕はこう疲れた」ばっかし。客観性・論理性が皆無。
そのつまらん愚痴がカネとって人に読ませるようなものか考えてないのは
これも自意識過剰のなせる技だと思う。
自分の気持ちや関心と、他人の気持ちや関心と、区別があんまり付いてない。自分大好きすぎ。
これは変人ぶりっ子な作者の唯一の「本当に一般レベルとちょっと違う部分」なんだけど、
自覚がないのでそのまんま垂れ流し。
せっかくの本物の変人性部分なのにエンタメ変人ショーにはなってない。
・そもそも「普通の人と一味違う変人」としてのギャップを変人本人が解説するってのは構造的におかしい。
「自分の思考・発想が普通の人と違うと自覚し意識する変人」て。
それはどうやったって「自意識過剰・演出過剰な凡人」でしか有り得ない。
『となりの801ちゃん』(読んだ事ねーけど)は
常識人である801ちゃんの配偶者が観察日記的に述べていくんでしょ?
変人や異界人を描写しネタとして提示していくにはこれしかないよね。
繰り返すけど
「俺ってこんなに変なんだよ」「ほら変でしょう」っていうのは変人ごっこにしかなりえないよね。
構造からして頭が悪いし、変人ショーとしては凡人臭がき出すぎだし、自意識未整理すぎというもんだよ。
ブサヨとかは不細工とかけてあるから、蔑称かなとは思うが、ネットも右翼も別に蔑称じゃないだろ?
あーでも、ネット上でライトに右翼している軽い奴、というイメージはあるか。
確かにちょっとイメージ悪いかも。ひょっとして普通に右翼と呼んだほうが無礼がないのかもなぁ。
ただ「この国は右翼が少ない」って、それは要するに、この国の中で自分が右端の方にいるから、世の中が左に感じるのでは……
しかし、これで分かったことは、なんというか、右左どっちも結構中二病っぽいのかな。
バランサーという発想は、左右ともに持つ中二要素なのか。
それ
「ネット右翼という言葉は捏造だ!! なぜなら俺たちは中立だからだ。俺たちを右翼呼ばわりする奴らは左翼なのだ」
単にネットという言葉と、右翼という立ち居地をつなげただけで、蔑称じゃないのに。隅っこにいるのを指摘する右翼という言葉が蔑称だという発想が特に。
それこそ世界の右端から見たら、世の中全部左に見える的な発想というか。
で左翼の方なんだが「俺たちは中立なのだから、左翼という呼び方そのものが間違っている。はてさという言葉が捏造だ!!」といわない印象があるんだよ。
なんか、隅っこにいるのがかっこいい俺と思ってそうというか。むしろ隅っここそ特権なり、と世の中見下だす感じというか。
厨二病という概念が無かった時のことを想像する。中二病という言葉が廃れ、死語になった時代を想像する。
極端な話、ナポレオンが登場しなければ、「俺はナポレオンだ」という形の妄想は存在、成立し得ないのである。
そしてまた、本物のナポレオンが「俺はナポレオンだ」といったところでそれはちっとも狂気ではない。ただの事実にすぎない。
だがナポレオンという人格の型が社会にあるイメージを流布させてから「俺はナポレオンだ」という妄想を持った病人は、
それは社会のもったイメージを過剰にないし不当に自己の中に取り入れてしまった個人である。
ナポレオン、という人間像が全く意味を持たなくなった、たとえば現代においては---これはナポレオンに限らず、現代においては英雄的個人とか、社会に対して極めて大きな意味合いを持つ個人というものが極端に存在しにくくなってきた。
だからこそ、こういう形の誇大妄想はしだいに影を潜めてきたのだと私は思っている。
だが私は多少先を急ぎすぎたような気がする。
上記は30年前に書かれた文章である。
30年前では中二病とは上で言う「ナポレオン妄想」であったのだろう。
現代ではナポレオン妄想と違って、現実に妄想を託せる人物や背景がいないことから、
マンガやアニメ、ラノベという最初から仮想で都合の良い舞台の、都合の良い主人公に、己の誇大妄想を託すようになった。
ただでさえあやふやなフィクションに、さらに自分の妄想をかぶせるのだから、強度は脆い。
それをほんとうの意味で信じきることができるほど緻密に設定を行い、現実の制約を超えてそれにのめり込むのなら、
かつての妄想狂と比較にならないくらい深刻な症状ということになる。
現実に適応するために、そこまでやらなければならないヒトというのが確かにいたのだと思う。
それだけ現実が狭量で、現実的であること、正常であることを強く求められてきたということだと思う。
ただし、「中二病」という言葉が広がったことで少し事情が変わった。
妄想するくらいは、若い頃には自然とかかるはしかみたいなものだということが認められるようになった。
結果として、大半の場合、実際は仲間内だけで通じる演技のような形で共有し、
みんなで妄想狂ごっこ、神経症ごっこをすることで、ほんとうの意味で神経症になることを防いでいるようだ。
一人で抱え込んでいると、ほんとうの意味で深刻な妄想狂になってしまう。
そうならないように、明らかに嘘とわかる底の浅い世界観、共有可能なレベルで妄想を行い、それを開示し、消費していく。
一つの妄想を掘り下げていくことを防ぐため、数やバリエーションにものをいわせて、必要以上にのめり込まないようにする。
キチンと2次元であることを強調され、間違っても現実と混同されないように配慮された上で、効率よく妄想して、効率よく消費して、できるように特化した作品や媒体が数多く出るようになった。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20111129-OYT8T00833.htm
よく知らないのだけれど、大丈夫なのかこれ? 中二病よりさらに深刻な何かの臭いがするぞ。
多分5年くらい遅れてる議論だと思うので、もうネットの中には答えがあると思う。
あともう一個。
ラノベって大学入学~卒業から、おそらく30才くらいまで、読むの辛くなるんじゃないかという仮説を巻がてみた。というか自分が今そんな感じ。なんというか読んでていたたまれない気持ちになると言うか。ピンドラ風に言えば、何者かにならんとして、成れない時期とだあらかな。ちょっと距離感がおかしくなってぎこちなくなると言うか。なんか読んでて嫌な汗書くんだよな。楽しいどころか拷問?
アニメになるようなラノベとかの、ファンタジーとか痛い自意識と向き合うのがつらくなる周期があると思う。
なんか、高校卒業してから、ラノベ読むのがかなりしんどくなって最近惰性で読み続けてるのが西尾維新系とかゼロの使い魔くらいかな。多分他のも中高時代なら楽しく読めたものが読めなくなってる。ラノベなんかある程度のめり込まないと楽しめないのにそれができない。おわクロとかは大好きだったのに、(^ω^)が受け付けないあたりからしても、どう考えても自分側に問題がある。
togetterとかで定期的に、「最近のラノベ批判」みたいなのを見かけるけど、あれ要するに、一時的にラノベ受け付けなくなった人とか、足抜けしようとしている人のいい訳でしょ?
自分が変わったんじゃなくてラノベが劣化したんだ。いやそもそもおれはラノベが面白かったから読んでたのであって俺は面白いものが分かる人間なんだ。いやいや俺は俺が読んでた時代はラノベはまともだったから俺もまともだったんだ-って自己主張してるように見えるんだよね。
見苦しいけどそう叫びたくなる気持ちはわかる。ラノベのめり込み度が高いほど、ふと熱が冷めたときにうわああああああって気持ちになって、その反動でついついラノベ否定とか始めちゃう。まぁそれも含めて中二病というんだと私は思うけどね。
で、なんか他の人を見てると、30過ぎのおっさんが淡々とラノベ読んで淡々と語ってるのを見て、多分今の自分は過渡期かなんだろうなーと。 30過ぎたら、中高時代とは違う感じで楽しめるんだろうな、と期待してる。 とか考えると、ラノベの読者層って結婚前後の女性の就業率みたいにM字型になってたりするのかな。
追記。
いや、はてブもらって嬉しいんだけれど、俺が欲しいのは情報だ。ラノベの読者層の分布なんだ。
自分語りとか、自分の体験や感覚で肯定否定意見、とかはどうでもいいんだ。それは何の価値もない。
こういう書き方したら誰かデータを出してくれるのがはてなだと思ってたんだが、
はてブというのは噂で聞いている以上に怠け者の反応が多いな。(お前が言うな)
http://asciimw.jp/info/ad/comic/bunko-info.pdf
さんくすやで-。うざがられるの覚悟で言ってみてよかったでー。
逃げ打ってんじゃねぇよwww
内容読んでねぇやつの口からトモちゃんだの、トモプラスだのの単語出てくる訳ねぇだろwww
おかしいだろwww
う そ つ け w w w
これってあれだろ? 赤い椅子と黒い椅子が掛け合い漫才してるやつだろ?
全然方向性が違うじゃねぇかww
あの動画は「僕は友達は少ない」を読んでない事を前提に、あくまでタイトル「だけ」に突っ込みを入れてる(しかもあくまで笑いとして)
内容を推測したり、あらすじを読んだりはしてるけど、別に内容の是非には触れてない。
だけどお前のアレは、本を読んだ上で、内容に批判を入れてる。しかもガチでだww
いろいろと予防線張りまくってるけど、お前が「僕は友達が少ない」の内容に不満を持って書いてあることは明白だwww
いやー、見事な好対照だなwww
あ、思いつきってそういうことか?
「僕は友達が少ない」に対する批判を全く反対方向のアプローチをするっていう・・・
んなわきゃねーなww
僕は友達が少ないへの批判文書いたら、逐一細かく突っ込み入れられたから
「実は俺、はがない読んでないもんねー、あれは俺の空想のはがないに対する批判だもんねー、だから実際のはがないを使って反論しても無効ー、バリアー」
って言って逃げてるだけだろwww
そもそも、空想のはがないに対する内容の批判って意味わかんねぇよwww
これが本当だったらこいつは読んでもいない本の内容を自分で妄想して、それに対して自分で批判するっていう意味不明行為だぞww
何がしてーんだよww
しかも、最後はその「僕の考えた空想のはがない」をけいおんだの、マトリスクだの、君に届けだのと実在の作品と比較までしてやがるwww
本当に何がしてーんだよww
それともこれも空想のけいおん、空想のマトリクス、空想の君に届けと比較してるのかなwww
まさか今度は、本は読んでないけどアニメは見ました、とかいわねーよなww
あ、言えねーか
言っちゃってるもんなww
「空想のはがないについて語ってる」ってwww
顔真っ赤にしながら、それでも華麗にスルーしてるように見せたかったんだろうなwww
残念だと思った2点ってのは、こいつが突っ込まれて痛かった2点だろww
内容に対する批判について突っ込まれたから「空想」って事にして、反論できねぇ様にしやがったww
あまりにもあからさまな、突っ込みどころありまくりな、分かりやすすぎる負け惜しみww
だからこっちから先に突っ込んじまったけど、もう一方もあまりに酷いww
<「視野狭窄」で「自分だけの世界」に籠もってるなんて、キャラとして未熟もいいとこじゃない?>とありますが、あなたと私では価値観が逆転の関係にあるということがわかっているはずですよね。それを踏まえた上で遊ばないと面白く無いですよ。
まず、引用するならちゃんとしようや。
そんでこの反論書いてるやつはこう続けてるぜ
つまり反論してる奴は「イヤ別に、はがないのキャラって取り立てて珍しい状態じゃないよね? こういうキャラが出てくるお話なんてごまんとあるよね?」
って言いたいんだろ。
初登場時でこの程度のキャラ立ちしてる作品なんて、(特にラノベ、漫画じゃ)別に珍しくないのに、なんで僕は友達が少ないだけ、そんなに執拗にこだわってんのか?
って話だろうがよww
実際、夜空とか星奈とか理科とか小鳩とか、割とステレオタイプなキャラだよな。
っていう突っ込みに対して、何も言えないから「価値観」とかの問題にすり替えた訳だwww
正確に言うなら「価値観が違うから反論しても意味ない」と言って反論を放棄した訳だwww
まぁでもこいつも出なおしてこいなんて言っちまってるあたり、相当苛ついたんだろうなwww
自分は言いたい放題人の作品悪しざまに言っといて
それに突っ込まれたら、嘘とすり替えで逃げやがってwww
もし、ここまで読んだやつがいるなら
http://anond.hatelabo.jp/20111119082328を読んでみてくれ
こいつ自分の考えた、妄想ストーリーに突っ込み入れてんだぜwww
ホントに笑えるわwww
もちろん悪い意味でなwww
http://anond.hatelabo.jp/20111119082328
http://anond.hatelabo.jp/20111119084030
http://anond.hatelabo.jp/20111120102809
http://anond.hatelabo.jp/20111120125509
何だこいつら気持ち悪いぞ
自覚のあるなしにかかわらず中二病も良いところなんだが
中二病系と言われるやつがわかりやすいけど、別に中二病系に限った話ではなくラブコメとかでもそう。
世界滅ぼすとか、問題解決してみんなハッピーとかそういうのはわかりやすくてええし、結末はそうあってほしいんだけど。
なんといえばいいのか、主人公たちの攻撃力は高いわりに、防御力はどうやねん、って思うのが多い。
結構器は小さそうなのに、攻めるときだけガンガンいこうぜ状態で、周り見えてないけど結局うまく行っちゃうとか、そういうのはちょっとなぁ。
プロレスじゃないけど、もうちょっと主人公が物語世界の人間関係やら環境の理不尽をちゃんと受けきった上で攻めて欲しい。
攻撃力と防御力のバランスがあまりに崩壊してると、すごく、さめる。
一番嫌いなのは、クールとか鈍感な感じで、周りの人間の気持ちを受け止めるのを避けてるくせに
勝利が確定した時に急に覚醒しちゃうやつとか。
コミュニケーションとか駆け引きとか完全に無視じゃんそれ。どこまで据え膳やねん。
どちらかというと、鈍感な時よりも、覚醒モードになった後にイライラする。読後感が最悪。
リスクとか考慮して、戸惑いながらも、えいやで決断するとか最低そのくらいの描写がないと
ただでさえこっちは
「主人公だから死なないんだろ、死なないってわかってるからこういうことできるんだろ」って斜めから見てるのに
書き手から主人公からが、その前提に安易にのっかかってあぐらをかいてるのを見るともう壁殴りたくなる。
ごめん、どう表現していいのかわからず、わけわからん文章になってしまった。
ここから応答。
神明解ろーどぐらすいいよね。私も好き。
電波的な彼女は個人的にはダメだった。みーまーのほうが好き。みーまーは防御力低くなくてアレしちゃったけど、頭の使い方は好き。
初恋とか友情のどこが防御力高いんだよwww
烙印の紋章は友人にもススメられたのでいまポチって到着待ってる。ザンヤルマの剣士も読みます。
だけれども、個人的要望ではできるだけ日常ものでもうちょい腰の入ったやり取りを見たいので、ファンタジー系で探すのは後回しにしたいです。わがままでごめん。
私の表現がアレでわかりにくいと思うけど良さげな奴があれば教えて下さい。ちゃんと読みます。というか読みたくてしょうがないのれす。れす。
読むものがなくなるといよいよクロニクルとかホライズンとかに手を出さなければいけなくなりそうでやだー。別に壮大さは求めてないんだよー
ミスマルカは個人的にダメです。というか実はこの記事はミスマルカとアクセル・ワールドがなんか私的にあわない、ってところからスタートしてます。
ロケッティアはいいっすね。小早川さんはまだ読んでない。ロミオにそこ期待して大丈夫だろうか。
十文字青作品はひとつも手をつけてないですねー。文体が超苦手なので尻込みしてるけど読んでみようかしら。
禁書はダメです。アレはダメ。何がダメって、防御力が理不尽に高い。いや、イマジンブレイカーのことじゃなくて、普通あんだけ殴られたら死ぬでしょってところが平気で助かっちゃうから。そのくせ主人公が殴ったら一撃でダウンする敵。イライライライライライライライライラする。こころ我折れてなきゃ無敵って設定が嫌いすぎる。
追記 ついったーで「ロバスト」って表現教えてくれた人ありがとー。それです。したたかとかしぶといとかそんな感じ。
ある程度痛めつけらても大丈夫とか、困難があってもいろいろやりくりして乗り越えるとか。
その際にいきあたりばったりじゃなくてちゃんと頭使ったり、一度ぐっと堪えたりとかそういう部分が欲しいってことです。
「設定の勝利」って言われる話こそ、実は高い技術の勝利じゃね?
「ベン・トー」読んでそう思った。
設定が奇抜であればあるほど、「出オチ」という判定をくだされて終わる可能性が高い。
ニコニコとか超ベストセラークラスだと、別に出オチは出オチとして歓迎されると思うけれど
特にアニメや週刊誌のような作品で一度「出オチ」という評価を下されると二度と復活できない。
「どうせ出落ちだろ」という圧力に耐えて、話を持ちこたえさせ、
そこから再度浮上できるのはそれこそ作者の高い技術が求められるってことになると思う。
なんせ、アニメやラノベは一回パッケージで騙せば済むというものじゃないからなぁ。
というわけで、ベン・トー。
最初私これ絶対1話か2話で切るわーと思ってたけど、今のところ今期アニメで一番面白いと思ってるですよ。
どうせ出落ちだろ、って思う人程見て欲しい作品。 読んでみると王道中の王道を楽しめますよ。
素直に王道やればいい仮面ライダーで学園ものやったあげくイマイチ盛り上がらんというというちぐはぐ感はなんとかならんのか。
なんかマスに近づけば近づくほど、お笑いとか皮肉とかそんなんでまっすぐなメッセージがやりにくく
色物とか腐海のようなゲテモノの世界にこそ純粋まっすぐがあるってのがなんか間違ってる気がする。
参考記事
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20111112/1321057463
一般的に言う良い企画について語ってるもの。普通はこういう企画のほうがいいよね。
逆に言えば奇抜な企画のほうが力技が必要になるわけで、ベン・トーはかなりすごいと思う。
http://blog.livedoor.jp/kashikou/archives/51837848.html
http://raitonoberuteki.blog.fc2.com/blog-entry-9.html
これは「はがない」の記事だけど、「ベン・トー」も余計なことを考えずに美味しく味わえるように作られてると思う。
私も「ベン・トー」と「灼眼のシャナ」を比較して、同じテーマ、同じ中二病ネームの羅列でありながらも
いかに作品が飲み込みやすく作られているか語りたいと思ったけどめんどいのでやめた。
蛇足。おなじアサウラさんがシナリオ担当の「アキバストリップ」がなぁ・・・。
ベン・トー面白かったからこっちも買ったんだけど、うーーーーーーーーーん、って感じでした。
もっとガチでやってほしい。荒いポリゴン絵が服が脱げてもただのお馬鹿としか思えない。
ランブルローズくらいは頑張って欲しい。PS3とかのフルハイビジョンで作りなおして欲しい。
「生徒の自主性を高めるために夕食を用意しない学寮」単に生徒を保護する気がないどうしようもない学校だよね。どこが奇抜な設定?
私はベン・トーについて「設定が奇抜くらいしか特徴がない」といってるやつをDisってんだよ。
一見変わったふうだけど、この作品の魅力は設定面に負ってるわけじゃないって主張をしてんだよ。
タイトルもわざわざわかりやすくしてやってるのに、まだわからんとか頭悪すぎだろ。
お前らの国語能力じゃラノベさえもちゃんと読めないんかもしれんので、口を開くなボケ。特にWelなんとか。
私が言いたいのはこれだよ
設定の勝利って、ベントーは当初本当に売れてなかったのが「設定めちゃくちゃだけど作者の文才は高い」みたいな感じでじわじわと売れていってようやくアニメ化までこぎつけたんだぞ
2chでは私がぼろくそ言われた( スレのURL探しに行ったら、2ch書き込み情報があり、性格はそれなりにそれなりらしい事がわかった )
http://hibari.2ch.net/test/read.cgi/tech/1317639700/365-
つるんでるは、その方が見る人が多くなるかと思って書いたので、一緒にブクマしてたりとか、リツイートされたりとか、はてなブックマークのお気に入られに、ドワンゴ社員でギークハウス在住の奴が入ってたりとか
まあ、こんなところか
365 :デフォルトの名無しさん:2011/10/28(金) 15:54:08.91
まつもとゆきひろさんの連絡先知ってる人いませんか?
あなたは化け物を作った と言いたい
こんなに素晴らしい人権意識をお持ちのsora_hさんは、最年少ruby開発者だった。。。orz
光り輝く id:kabiy さんを応援してあげて id:kabiyさんは、新しいおもちゃが手に入って大変お喜びのようです。
そして、私を応援してくれる大変素晴らしい方です。 ギークハウス万歳 応援していただいたので、私も応援のお返しのエールを送りたいと思います。
光り輝くkabiyさんに、shine
366 :デフォルトの名無しさん:2011/10/28(金) 16:00:01.19
これは人災じゃないんでしょうか?この人は地震の震災の時の何かの100人ボランティアを使う開発に関わったそうですが
支援や協力をお願いしている部分は関知せず、こちらからしたら嫌がらせにも取れるようなツイートだけして、開き直ってきた
ネットだし事実確認が、ネットを見ただけでは判断できないから、躊躇する人というのもいるかもしれないし
関わりたくないと思う人もいるだろう。みんなそれぞれの事情や都合で生きているのだから
だからと言って、ないがしろにしたり、からかって良いわけはないと思う。
こんなかかわり方は無い
367 :デフォルトの名無しさん:2011/10/28(金) 16:08:25.51
はてなブックマークというもので、わざわざ私のツイートに対し、「warota」と言っています。
ゲームのデバッグのバイトの例を出したから、ruby開発者の自分に何を言っているんだ という笑いだったのかと思いますが
技術の事ではなく、コミュニケーションの取り方というか、それ以前のような気がしますが、
そのような傲慢すぎる関わり方を言っていました。
こんな人 いくら技術力が能力があっても、人間として破綻してないですか?
こういうのは、匿名でしかものが言えない未来がないような人が、する事かと思ってました。
実名で前途有望なはずの人がする事でしょうか?
本当に2chねららしい目撃情報も
376 :uy:2011/10/28(金) 18:00:01.89
可愛そうに ああ可愛そうに ひたすら可愛そうに
そいつは悪くないよw 中学生なんてそんなもんだし、何言うかわからないのが中二病、人それぞれ発病の仕方が違うだけ
むしろ中学生程度を天才だ! っとかいって祭り上げた大人が悪い
そろそろ気づき始めるんだろ
「あれ?自分って天才って言われるほどすごくなくね?あいつのほうがすごくね・・・?うわあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!1」こうなる。
995 : uy : 2011/10/03(月) 18:35:47.45
初修正報告…ども…
俺みたいな中3でRuby開発に参加してる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
Groovyかっこいい とか Haskell総合IDEほしい とか
かたや俺はRubyコミッター、メーリングリストでBUG報告を見て、呟くんすわ
it'a true Bug.再現率低い?それ、もう仕様でいいんじゃね。
なんつってる間に10時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ
377 :デフォルトの名無しさん:2011/10/28(金) 19:47:25.39
uyにだけは言われたくないだろうな
でも、増田は技術系の人が多いから、rubyはrubyってかんじなのかな。日本人が作った軽いプログラム言語? ってことくらいしかしらないけど、私だって名前を知ってるくらいに有名なものに、中学生で携わってるのに、名にこの人格の歪み・・・
今のうちなら治るかもしれないのに
(1/2:コメントに返信追記)
さっきFacebookを見たら、知り合いの女の子が梅田で数人ではしゃいでいる写真がアップされていた。
率直な感想が、「うわ、うらやまし」だった。
というのも、その間自分がしていた事は家のパソコンで一人画像を見ながらオナニーだったから。
このギャップ。現実のギャップに落ち込む。リア充への憧憬は隠せない。
これは確かなことだ。嘘はない。でも、なんか違うんだよな。本当のことを言うと、違う。なかなか理解されないけど、この憧れというのは、「自分もその場に居合わせたい!」という願望ではない。「自分も女の子と一緒にはしゃぎたい!」というのとは、実際は違う。そこに落ち込んでいるのではない。リア充と僕の隔絶は、そこではない。
僕は、リア充にはなれない。それは、「土曜のこの時間に女の子と一緒にはしゃいでいないから」ではないのだ。そして、僕がリア充に憧れているのは、今の自分のこの状況に悔やんでいるからではない。では、なんなのか。
今まで何度も経験したこの感じ。大学の人達と飲みに行ったとき、朝までカラオケをした。6人か7人ぐらいで、ノリがいい男2人と僕と、女の子4人だったかな、忘れた。飲みに行って、その後カラオケ、よくある事だ。その後にも何度かあった。
ぜんぜんたのしくないんだよな。
女の子が不細工だとかそういうことではない。曲が合わないとか会話に入れないとか、そういうのも関係ない。そんなに言うほど仲いい人たちじゃないとか、そういうのも違う。男ばかりだったらとか、女ばかりだったらとか、そいうのも関係ない。ただ、こうやって集まって盛り上がるとかが鬱陶しい。自分は一人で居るほうが気が楽だ。本当に、経験するたびに思う。そういう自分に気づく。でも、誘われたら行く。なぜなら、リア充に憧憬があるから。でも、そのたびにまた現実にぶち当たる。馴染めない。
自分がリア充になれないのは、そういう環境に身を置けないからではなく、その状況を良いと思えないことにある。
僕が憧れているのは、僕が羨ましいのは、「その状況を楽しいと思えることそのもの」だった。
(コメント返信追記)
今頃ブクマがなぜ伸びてるのか謎すぎるけど、ブクマコメントを読んで思ったことをいくつか。
結構誤解されてる方が多い。俺はカラオケのくだりで断って書いたつもりなんだけどなあ。なかなか理解されていない。リア充リア充言うから余計に誤解を招いたかもしれない。
集まりの内容なんて関係ないんですよ。オフ会であろうが趣味の集まりであろうが大学の飲み会であろうが会社の打ち上げであろうがオタクの集まりであろうが、集まりそのものが苦手、で、楽しくない。全然盛りあがれない。知ってる話題でも楽しくない。詳しいと余計に喋りたくない。関心のある内容はこんな場で話したくないし話題にもあげないで欲しい。話し振られると適当にごまかす。鬱陶しい。早く帰りたい。メンバーとか内容は関係ないんです。その辺を勘違いされてる方がブクマコメントで多数お見受けできるので、再度確認のため断っておきました。
本当は全レスしたかったけど面倒だからトップ10へレスさせてください。年始暇なので。
その間ってのはフェースブック見てる間じゃないぞ。知人のフェースブック画像で抜きながら落ち込んでるとかテンションが病気。
neogratche
一人でいる事の方が楽なのに、「それは負け犬の人生だ」って社会が否定してくるから苦しい、っていうのはあるかもしんない 2011/12/31 26
一人でいるのは楽だけど別に楽しくはないんですよね。かと言って、人といて楽しいかとういうとそうでもないにもかかわらず、楽しそうにしている人を見ると自分もそうなれるのかもしれないと期待して現実を知る。その繰り返しでした。
fromdusktildawn
「数人で盛り上がって楽しむ」ということができないのは、単に感性の問題だと思ってる人がときどきいるけど、スキルの問題が大きいんだ。「数人で盛り上がって楽しむ技術」というのがあってそれをマスターすればいい 2012/01/01444 clicks 21
めんどくさいっすね。そんなめんどくさい技術ならいらないっす。よく、頑張ったら頑張った分だけ喜びも大きいとか言う人いますけど、私はそれ全く理解できないです。むしろ頑張った分だけ割に合わないと感じる方なのでそういう努力はしません。
y_u_s_u_k_e
オナフェイス充
xevra
要するに他人に興味が無いんでしょ。他人が喜ぼうが悲しもうが死のうがどうだって良いんだろ。だからつまんないんだよ。圧倒的な自己中が非モテの特徴。/大勢が無理なら異性とデートすればいいだろう。捗るぞ 2012/01/0114 clicks
大勢の場で他人に興味抱いてる人って気持ち悪い。そんなのどうでもいいに決まってんじゃん。村社会かよ。自己中ってのは他人の迷惑を顧みないとか、自分の都合で他人を動かそうとするやつのことで、俺は他人に関心がないだけで文句つけたり迷惑かけたりはしてないから、それに対して文句言われる筋合いはないんだけどなあ。一応ある程度空気読んでるから。
rin51
よう、おれ / 学生の頃 男女6:3くらいで山へドライブへ行って目的もなくダラダラ過ごしてるのがツラくて「おい、とっとと帰ろうぜ」と駄々こねたのがオレ 2011/12/31
じゃあ行くなよ!まあ、何か楽しいことあるかなって期待もあったんだよな。無かったら帰るのが正解。
feita
俺も、人間としてぶっ壊れてることへの敗北感と優越感を感じます。中二病的な意味で。/まぁぶっちゃけ単に自己中なだけなんですけどね。こっちからアクションしてあっちからレスポンスないだけでストレスがマッハ。 2012/01/015 clicks
君のそれと俺のそれは全然違うように思える。ぶっ壊れてないし、羨望はあっても敗北感はないし、優越なんかどっから湧いてくんのって感じ。自己中でもない。俺は人に場に合わせるから。俺はレスポンスなんかなくていい。
AmanoJack 本題無視
ROM専腐女子として別に何か書きたいことがあるわけじゃないけど書き手になることに憧れる、みたいな……私もそんな風に萌えてみたいよ……オタ充爆発しろ……みたいな 2011/12/31
みんながみんなそうなら分かるんだけど、みんな楽しそうにしていて自分が全く楽しくないのはなんなのでしょうね。みんな嘘ついてるようにはとても思えない。ていうか嘘ならフェースブックにわざわざ書かんやろ普通。
nymc
価値の無い集まりにしか参加したことがないからそう思うんじゃないかと思う。自分にとって価値ある、楽しい集まりはお前自身が作れ。他人に頼り過ぎ、任せ過ぎじゃないか? 2012/01/0216 clicks
大阪駅の一風堂当りで演説してる人からただでもらったので読んでみた。
ひとことで言うと「大人のためのセカイ系中二病のススメ」という感じ。
誤解がないよう、本の内容の前にwikipediaを引用しておく。
設立当初は霊言集の刊行などによる「霊知識」の普及を中心とした啓蒙活動が展開され、信仰に関することが説かれることはあまりなかった。後に、教団内で組織ができるようになるが、多くの会員は入会する前に持っていた信仰に従い、会を指導(支援)しているとされた「高級霊」(例:日蓮宗系の人は日蓮、浄土真宗系の人は親鸞)を信仰していた。1989年からは、「三宝帰依」など信仰心について説かれるようになり、1990年「信仰と伝道」の法話が説かれ、1990年からは組織的な伝道活動が開始されるようになった。また、宗教法人となった1991年には、『月刊Asahi』4月号で幸福の科学の紹介記事が掲載されたほか、東京大学での野外講演「黎明の時代」(5月)、東京ドームでの「御生誕祭」(7月)、講談社フライデーへの抗議行動(9月)などで世間の耳目を引いた。1992年12月には、会員でも代理本尊の一つである「家庭御本尊」を安置することが可能となった。1994年4月10日には、主宰により「方便の時代は終わった」と宣言され、根本経典や基本書の『太陽の法』が改訂され、教団の運営体制の整備が進むとともに、三宝帰依を中心とする信仰へと移行し、1994年6月からは三帰誓願式が始まっている。
現状は、仏教の中でもとくに浄土真宗をベースとした教義を説いている印象を受けた。
他力信仰、来世での救済をベースとした互助組織のようなカタチをとっている。
言ってみれば戦国時代における石山本願寺から、武力的要素を引いたようなものである。ってそれ引いたらもう別物か?
今までの宗教は、仏教しかりイスラムしかり、発祥した地域の束縛を受けているとし、
それゆえに争いが絶えない。特に旧いものを新しいものが倒そうとしてしまう傾向があるとして諫め、
そういったものを、より広い視野から、至高存在「エル・カンターレ」によって調和・調停させる。
これによって未来の最終戦争を防ぎ、地球平和を実現しようというのが最上の目的。
要するにセカイ系。
ただし、普通のラノベと違って、そこそこ現実感覚があるため主人公一人だけというのは無理があると理解している。
また、大人は若者と違って基本的に殺し合いや戦争といったものに憧れよりも嫌悪を抱く。
そのために補足が行われている。
・その一は「一人で戦わない」こと
「大勢の人間が一つに集まって、セカイ系の主人公の役割を一緒に果たそう。みんなでセカイの敵と戦おう」と促す。
・そのニは「武力を持って戦わない」こと。
平和を目的とし、手段にしても「争いの調停者」という形を取る。武力介入しないソレスタル・ビーイング?・・・うーん。
・その三は「支配するのではなく模範となる」ことを目的とする。
世界宗教によって世界を統合し、争いをなくすことが目的なのだが、自らが世界に広がろうとはしない。
あくまで日本に理想の宗教国家をたて、モデルケースとして運営することで、世界がソレに倣うように仕向ける。
なぜ日本にモデル国家を建国するかというと、日本は未熟ながら、最も理想を実現するのに適した下地だから、だそうです。
こうやって中途半端に自分のコトを賢いと思っている大人の心をくすぐるのが上手だな、と感じた。
何事も斜めに構えてケチを付けるけれど、ちょっと合理的な説明を返されるところっと信じてしまうタイプの人ははまっちゃうんだろうな。
成り立ちからして明確な教義を持ってスタートしたわけではないことから、信仰によって他者を排斥するということはあまりない。
唯一のルールは教祖である大川隆法を信仰することであり、ソレ以外を強要されることはない。かなり自由。
(逆に言えば、他の「個人崇拝」型の宗教や論理的に厳密な人間を極端に嫌う)
「幸福の科学」という言葉にあるように科学についても寛容、というより手段や戒律に厳格な要素は少ない
あくまでも幸福を実現することが目的であり、その目的にかなうのであればそれは全てエル・カンターレの意に沿うものである。
それは他者への愛(作中では「慈悲」)と大いなる存在への感謝(作中では「信仰」)によって成し遂げられる。
要するに目的が正しいならなんでもありってこと。
大事なのは「信仰心=大いなる存在を信じ、その愛に感謝すること」をもって生きることだけであり、
その基礎さえできていれば他の宗教についても非常に寛容。
社会全体の幸福を増大させる限りにおいて自由を尊重し、格差社会も肯定する。
彼らは「みんなで不幸になりましょう」という教義を持った異端なんだそうです。詳しい説明はなし。
セカイ系の文脈で見れば、明確に戦うべき敵が存在する。それは「世界の幸福量を減らす存在」である。
非常に漠然としているが、それだけ個人によって想像力を働かせる余地があるということでもある。
幸福実現党の人たちが、実にいろんなバラエティに富む政策提言をしているのはこのあたりのユルさがポイントか。
人間を霊的な存在と捉え、より高次な視点から世界全体を把握する
あくまで天上界から見ての善悪を重視する。一番大事なのは信仰を持つことであるとする。
ちなみに、人間が霊的な存在であるということを認識し、ソレを極めると過去の偉大な霊との交信なども可能になるらしいです。
世間一般では「幸福の科学=大川隆法が○○の霊との対話をしてなんかテキトウなこと言ってる」というイメージがあると思うが
あの対話はこの「人間は霊的な存在」=「霊的な存在には制約がない」=「現世と来世の境界も超えられる」という教義によるらしい。
現代の日本や世界情勢の分析について、中途半端に現実的で、そこからはじまる怒涛のオカルト臭い説明がなんとも言えない。
「もしドラ」読んだ。順番逆だけど「小説の読み方」も参考にできたので面白く読めた。
感想を一言で言うと「第一章は素晴らしい」かな。まだ読んでない人も第一章だけは読むといいと思う。
追記:
いろいろ書いたけど、結論としては「ヒカルの碁のオマージュ」でいいような気がしてきた。
1章で主人公の人格を描き、2~7章でマネジメントを描き、最後に対決の場を用意する。
こういう時は、どちらを優先させるべきか、という主従関係を考えさせる。
「マネジメント」をドラッカーやQBのような人格的存在ではなく、主人公が一方的にアクセスする存在にしたのは
あくまで最後まで「マネジメント」が常に上位で、主人公はそこから学ぶ存在であるとするためだろう、と。
1章以外があんまり面白くなかったのは、主人公がまったく動いてないからだと思う。
ヒット作の基礎としてもっと研究されてもいいかもしれないなー。
このマンガは、戦争という、誰が描いたのかしれない、とてつもなく大きく理不尽な物語に巻き込まれた人物の、「あれは一体なんだったのか」という理不尽を徹底して問うているものだと思います。 そのために、膨大な書籍を読破し、引用し、言葉の限りをつくして、主人公はその理不尽さに対峙するのです。これは作者の大西が戦中言いたかったことのすべてを、「これは一体何であるのか」という世間への問いを、主人公に代弁させているのではと思います。
しかしそれは、どんなに言葉を尽くしても語り尽くせるものではなく、それがいったい「何」であるかなど、断定することはできません。多くの死者と悲劇を産み出したものが「何」であるかを説明などできないのです。しかしその「説明することのできなさ」、そして「何」であるのかを誰も知らぬままにただ抑圧されてきた者たちの鬱屈、そういったものが描かれているのではないでしょうか。
私が戦争体験がないのと同様、漫画化したのぶえのぶひさにも、戦争体験はありません。それでいて、軍生活の細部までもを絵で表現するという「無謀」に挑戦するのは、抑圧された者の語り得ぬ言葉の鬱屈さを彼も抱えていて、語りたい、言葉が欲しいという、ただ一つの情熱ではないかと思います。 戦争はたくさんの人から言葉を奪いました。そして今も、たくさんの人が自分のリアリティについて、語る術を持たず、沈黙を強いられています。そういった人々が何かを語らんとしたとき、それはダムの決壊のような勢いを持って、言葉の放流となって私たちの前に現れます。 私たちはそれにとまどい、それが「何」であるのかを理解できません。言葉はあまりに複雑で、あまりに多すぎるからです。そして、その言葉の放流を前にしたとき、私たちは「閉口」するのです。主人公の東堂に論破される人々のように。
そして、語っている本人ですら、もはやそれが「何」であるのかなど、分かってはいないのかもしれません。ただ、その語り得ぬ「何」かを、その「説明することのできなさ」を、他者に言葉を尽くして「説明している」のだと思います。オマエはこれを知っているのか、知っているなら語ってみよ、説明してみよ、と迫るのです。そして誰も説明できずに、言葉を飲み込むしかないのです。 これだけの言葉を尽くしても、決して説明しえない理不尽があり、これだけの言葉を用いて25年かけても昇華されない痛みと悲しみと怒りがある。極力まで押さえた表現からにじみ出てくるもののすごさに、私はただただ、言葉を失って、圧倒されたのでした。
これは大西巨人の「神聖喜劇」という作品のコミック版に対する感想。
作者が最も描きたかったのは回心的な体験の部分であろう。主人公が立ち上がる部分。
つまり冒頭に当たる一章の部分。ここの描写は良いと思う。
(2)・宗教的な救い、
・自分の居場所、方向性
おそらく、作者自身がそれを体験し、誰かに伝えたいという強い思いから、この作品は書かれたのだと思う。
その意味で、彼が「もしドラ」の後に「小説の読み方」の本を書いたのも、彼の中ではつながっていると思われる。
というより、「もしドラ」と「小説の読み方」では全く同じことを言っている。「***との出会いは人生をすくう」ということだ。
彼が今後別の話を書くとしても、おそらくこういう「師匠との出会い」「良い本の出会い」がテーマになるのではないか?
そこから解放されること(抗うこと)をを欲してやまない、それでいてその望みを自覚できないほど自らを抑圧している主人公が、
ある言葉との出会いをきっかけを手に入れ、人生が救われる、という過程、いや瞬間。それを描ければきっかけはなんでも良いのである。
実際、ラノベでも中二病小説でも、似たようなテーマは手を変え品を変え書かれている。
ただ、この作品は他のものと少し違うところがある。
「生まれ変わりたい」という主人公の思いとその実現がまっすぐ、なんのひねりもなく寄り道もなくそのまんまベタに書かれているということだ。
そこに一切の照れもなければ、言い訳もない。ラノベにありがちなごちゃごちゃした設定も全くない。
高校野球の部活というありきたりの舞台で、今時一般的には口にだすのも恥ずかしいとされるようなまっすぐな思いだけを描いてる。
読んでるこちらが気恥ずかしくなるほどのストレートど真ん中な感じは、なんだかすこし懐かしささえ覚える。
話の筋書きや細かい描写などはツッコミどころ満載だが、むしろその不器用さが「青少年の主張かくあるべし」という感じで好ましい。
この正直小説と読んでいいのか迷うくらい本当に「まっすぐ」な部分は珍しいと思うので、食わず嫌いせずにぜひ読んで欲しいと思う。
なぜ人が宗教を求めるのか、知識を求めるのか、物語を求めるのか。
そういう根本的な部分についての彼の思いを語ろうとしている点ですごくよかった。本編があとがき、みたいな何かを感じた。
この作品で重要な存在としてとりあげられるのは「マネジメント」についてだが、
別にこの作品は主人公が読む本が「マネジメント」でなくても代替が可能である。
実際には、普通の日本の高校生にとって、マネジメントの代替物になりそうなものは現実的には少ないと思うが、
この作品の主人公にとってほんとうに重要なのは、作中で多数引用されている中の、ある一節の文章だけである。
その一節が、主人公の中にある価値体系を肯定し、主人公の人生の希望となる・・・この部分の描写が全てである。
故に、この作品はマネジメントが中心にはない。マネジメントのなんたるかを描こうとした作品ではない。
ただ、このあたり、一章で提示された最重要な部分と、マネジメントの説明の混線が2章以降に見られるような気がする。
正直に言わせてもらうと、最終章以外は読まなくても良いと思う。
一章とまるでテンションが違う。
必要がないとまでは言わないが、もうちょっと何とかならなかったのだろうか。
なぜすばらしい一章から、こんなふうに続いてしまうんだろうか、よく理解出来ない。
下手なエロマンガとかだと、最初の出会い部分とエンディング以外は
登場ん人物の人格とか細かいことはいいからエロだけやってりゃいい、みたいな展開になることがよくあることなんだが割とそれに似ている。