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はてなキーワード: 共感とは

2024-05-09

anond:20240509081455

昔の日本人忠臣蔵見て共感してたんだぜ

予備軍だらけだよな

ちゃん子供の話聞いて共感してあげれば上京後に疎遠にならないだろ

子供の話をちゃんと聞かず、子育てしてる様に見えて親のやりたい事押し付けられてるだけだったからなあ。上京してるけど親の面倒なんか絶対見ない。好きにやってたんだから最期自分の好きにしてね

加害者共感したら予備軍らしいw

ドラマとかもそうだけど、加害者共感したら人間じゃないみたいな傾向あるよな。人間じゃないなら憎しみや恨みで犯罪はしないでしょ anond:20240509075408

anond:20240508210434

共感を求めてるのはお前では?だから批判に耐えられなくてギャンギャン鳴いてんだろ?

どこが共感求めてんの?

まあお前に足りないのは知能なんやろな

2024-05-08

悩みをぶちまけよう、って趣旨メンヘラ向けアプリがあったんだが、ゴミだな

1. 悩みが共感されるのが誰かが可視化される。共感競争するサイト

2. 悩みを開陳することでそれを脆弱性と考えて付け狙われる

3. サイト内だけでなくGoogleから検索される

黒歴史サイトであることに違いない

anond:20240508205106

共感(笑)しかもとめてないあたりまんさんって感じ

更年期?w

anond:20240508173943

ChatGPTに要約してもらいましA!

我輩は、この度「魔法使いの夜」なる作品について初めて知ることとなった。世間の評判を聞くに、「Fate/Grand Order」における「魔法使いの夜コラボ」は絶賛の嵐とのこと。しかしながら、我輩にはこの企画が甚だ不可解であり、不快まりないものに感じられてならない。

型月の世界観においては、並行世界が枝分かれしており、その先に待つの人類絶滅だという。そこで登場するのが蒼崎青子なる人物だ。彼女は、宇宙移民可能性を秘めた世界を見守る存在とされている。だが、「Fate/Grand Order」の登場人物たちは、宇宙移民など微塵も考えていない。むしろ人類絶滅危機に瀕した状況下でも、異聞帯を巡ることで充実した日々を送っているのだ。

そもそも世界剪定を行っているのは魔法使いサイドではないのか。つまり、彼らはゲーティアや異星の神よりも強大な敵だということになる。彼らは、遠い将来において人類が生き残る世界線を作ろうとしているが、独力ではORTにすら勝てない。そこで、地球を捨て、世界ガチャを回して世界線の育成に励んでいるというわけだ。

このような状況を鑑みるに、我輩は蒼崎青子共感することはできない。むしろ彼女は敵チームの一味だと感じずにはいられない。今回のコラボイベントも、彼女暴走した際に対抗できなければ、上位レイヤーからこの世界線の存続を諦めるよう判断されるのだろう。これは、かつて潰してきた異聞帯を剪定するがごとく、要らぬと判断した上位存在傲慢さを感じずにはいられない。

いかがでしたか

会話というか雑談の極意

つまるところ相手の話したことを違う言葉で言い返して共感を得たことを伝える

anond:20240508123755

理解できたということは共感できるということでオマエの問題でもあるんやで

蒲田行進曲の良さが本当に全くわからなかった

YouTube期間限定で公開されてたから有名作品だし見とくか〜と思って見たらもう最悪だった。共感感情移入も誰にもできなかった。

木っ端役者ヤス兄貴分で売れっ子俳優の銀ちゃんに言われて妊婦小夏結婚して養うわけだけど、まず銀ちゃんが図々しいだろ。パワハラとかの次元じゃねえじゃん。落ち目女優妊娠させといて「堕ろせっつってもこいつ聞かねえんだ、今俺にスキャンダルがあったら困るのわかんだろ?」じゃないよ。マジで、本当に、「孕ませた女を適当な後輩とできちゃった結婚させることで醜聞を避けたい男」の気持ち想像できねえのよ。時代が離れてるから当時の制作陣と客の認識が「あー、芸事世界じゃこのくらいあるのかな」なのか「いやいや、さすがにやりすぎじゃない? ヤスも断りなよ…」なのか「はぁ!?何だコイツ売れてんのか知らねえけど何様!?(今の俺これ)」なのかわかんねえよ。とんでもねえパワハラカスキャラかと思ったらかっこいい兄貴扱いでした(CV: コウメ太夫)だよ。でヤスも聞くなよ。尊敬してる先輩だとしてもそんなひどいお願いされたら軽蔑しなよ。いや、本当に貧乏基本的人権も半分無えような身分で聞かざるを得なかったのかもしれねえけどさ、だったら後から「大部屋の俺が断れるわけねえだろ」ってキレんなよ。「俺もどうしていいかわかんねえんだよう」みたいなこと言えば許されると思うなよ。「弱いところを見せるのはおめえだけ」的な美学でやっていい範囲を超えてるだろ。うだつの上がらねえてめえの媚びへつらいを棚に上げて辛さを訴えるな。臨月の妻を蹴るな。模造刀持って部屋で暴れるな。妊娠中毒症で苦しむ妻のために「コレがコレなもんで」っつって健気に働いたお前はどこに行ったんだ。泣きながら抱きしめて絆そうとするな。小夏も「あんた……(泣)」じゃないんだよ。そこまでされて許しちゃ駄目だろ。小夏身分ってそんなに低いわけ?切られ役で十人でいくらみてえな扱いされてメインの男優に厄介ごと押し付けられて断れず了承して勝手にキレ散らかす野郎よりも発言権ねえの? 何をされても許し支える舞台装置じゃねえんだから意思っつーか主体性を見せてくれよ。銀≫小夏ヤス(銀ちゃんのことがまだ好きだけど……まあまあそんなこと言わず……的な距離感の頃)のパワーバランスが銀≫ヤス小夏になってたけどそもそもそんなでかいパワーバランスあるのもおかしくねえ?夫婦じゃん。押し付けられて仮初のスタートだったけど悪くない関係だったじゃん。弁当差し入れしたり結婚式の司会はこいつにお願いしたとこで……とか言ったあとキスしたりしてたじゃん。40年前の映画から割り切るしかねえの? 「たまにおもしろいし憎めない愛嬌があるけど偉そうだし変な人ではある」ぐらいだった俺のおじいちゃんがマシな人だっただけなの? ジジイババアたちはこの上下関係暴力にまみれた社会に慣れてるんだとしたら今の時代生きづらすぎるだろ。隔絶デカすぎて同情するわ。

あとそう、芝居が古い。オーバーで、なんかこ う中川家とか友近とかゆりやんレトリィバァとかならモノマネできそうな感じ。最後最後にあるネタバラからするとオーバーなくらいで良いのかもしれないけど……まあ単に自然な演技が王道になったのが割と最近(なんだよね? 詳しくないけど)だからこれはしょうがいか。で画質と演技が古いのに音質だけ変に良くて浮いてて、序盤「これ吹き替えしてんの……?」と気になって会話に集中できなかった。それと間とか緩急が少なくて忙しない印象だった(セリフが食い気味で気になるところがあった)。時代柄というか景気とか世間の風潮とかが絡んでくるのかも知れんし、本当にこればっかりはしょうがないけどね。

そんで見終わってコメント欄見たら昔は良かった一色というのに反吐が出る。「この頃は本物の俳優がいた」じゃねえよ。トーク番組とかインタビュー記事とかTwitterとかYouTubeとかが無かった(あっても少なかった)から俳優本人の自我とか制作の裏側が見えなくて偶像扱いしやすかっただけじゃねえの? 今は暴かれすぎてるのとお前らが老いから出てきた若い人がいっぱいで見分けつかないからそう思っちまうだけだろ。そらクソ恋愛映画とか原作ファンをナメてる実写化とかアイドル副業俳優やってますみたいなのばっかだけど思い出フィルター取ったら昔もそんなもんじゃねえの。かわいいだけの棒読み女優だの一握りどころか一つまみの銀幕のスターだのだけで回ってる粗製濫造邦画だのにまみれてた頃がそんなに恋しいかよ。

さいごに

面白かった人、感動した人、マジで、どこが良かったのか教えてください。見識を広げたいから。笑わないし否定しないから。

2024-05-07

anond:20240507223625

さんじゅうねん前の大学生時代バイク乗りの先輩どうしで部室で雑談しててツーリング先で野良動物荷物をつつかれた話になり、あわてて追い払ったときに出た言葉方言で周囲の観光客から笑われた、というエピソードで二人とも関西出身だったので「あれあわてとって咄嗟にでた関西弁ってなんでか笑われるよな(苦笑)」とあるあるネタみたいな共感をされてたことを思い出した

AI否定派ってなんで全部AIで完結させる前提なんだろ

人が見て調整するとか考えないの?

anond:20240507082648

少年漫画主人公チビが多い

チビをいじられつつデカライバルを倒すという展開にカタルシスがある

貧乳をいじられつつ巨乳キャラより魅力的に見えるというヒロイン構造と同じ

チビ貧乳は未熟の象徴であり、成長の余地があるからこそ共感を得やす

 

一方ハゲとは老化の象徴であり、かつて持っていた若さを失った悲哀なので

笑いに転化するしかない

これと対応するのはザマス系ババアキャラである

かつて持っていた美しさを老化で失った悲哀を笑いに転化する典型的キャラである

 

わざわざ歪なミラーリングするまでもない

人と自分を比べるなって言われても性格上なかなか難しくて…

色々と本なんかを読んだりもしたんけれど、人を自分マルチバース的な感じで捉えて共感できることを探してみたら素直に応援できたり、自分も頑張ろうって思えるようになった

なにより、他人があまり怖くなくなった

変に見上げたり見下したりとかもしなくなった

自分本位っぽい考え方だが、この感覚だけ覚えておいてちょっとずつ調整していきたい

anond:20240507012320

女嫌いの女体好きに関してはケンコバも言ってて共感集めてるから別に普通だよ

そして女も割と知ってる概念から亀裂が深まるね

anond:20240507012006

言ってる意味は分かるんだけど、普通言葉の感じで内容の正当性を図ったりしない(というかそれやるなら議論の場に出てくるべきではないと思う)から共感できないな〜。

anond:20240506233546

この句における一茶はあくまでも風景の一要素としてやせ蛙と並列されている。つまりは蛙ごときに向かい合って必死になっている俳人描写である

すっげーオリジナリティ溢れる解釈だな。

普通は痩せガエルに対する共感だとか痩せガエルに仮託された長男への応援とか解釈されてるよね。

2024-05-06

漫画が完結まで読めない

いやまあ別にいいんだけど、なぜかマンガが完結まで読めない。

直近で読んだのはゴールデンカムイくらい。

これは期間限定無料だったから「この日までに読まないと!」ってのがあったからみんなとフィナーレを迎えられた。

完結を見届けたマンガホントに少ない。

いつか最終巻を買わなくちゃな…って義務みたいに思ったまま何年も経ってもう本屋で見つからない、みたいなのが続いてクセになったのか、電子書籍使い出しても治らない。

実際、お金もないしな。同じお金使うなら新しいマンガ読みたい。

単行本発行部数ってどんどん下がっていくものみたいだからオタクじゃない一般の読者なんて割とそんなもんなんだろうけど。

雑誌時代自動的最終回がきてたから良かったなぁー。

自分の手で作品を「終わらせる」のもなーんかイヤというか尻込みしてしまうんだよな。気合いが必要っていうか…キャラたちとお別れするのが寂しいのか?

からなのか「ガラスの仮面はよ完結してくれ!!」みたいなのもイマイチ共感できないでいる。

もちろんベルセルクみたいに未完で作者が亡くなったら悲しいけど、それは作者が志半ばでさぞ無念だったろうなっていう種類の悲しさで、続きが読めない!!っていうのとはちょっと違う気がする。

短歌を詠むほど俳句は作れなくなる

https://anond.hatelabo.jp/20240506061423

短歌結社に入っていて、歌会にもよく参加していたことがあるが、元増田のような話は何度も聞いたことがある。もはや歌人あるあるネタだし、私も深く共感する。ただ、字数という点に増田はこだわっているようだが、この話題はそのようなレベルの話ではない。

多くの人は短歌俳句が同じ短詩型文学であるから短歌も詠めれば俳句だって作れるだろうと思いがちだが、それは大いなる誤解だ。むしろ短歌を詠めば詠むほど、俳句から遠ざかることになる。

なぜなら、両者は表現アプローチ正反対からだ。短歌風景言葉を使って<私>の情念を表す文学であるのに対し、俳句は<私>と言葉を使って風景を表す文学なのである

短歌を詠むということは、言葉情念圧縮するということだ。穂村弘短歌爆弾に喩えたが、自分情念読み手の心奥深くに埋め込もうとするために、言葉の選定や配列独自性をもたせていく。風景すらも歌人にとっては情念の道具に過ぎない。日本語に己の爪痕を残してやろう。世界は我が情念を表すために存在するとでも言わんばかりの自意識過剰さでもって詠むのが短歌というものだ。己の全情念31字にすべて押し込めようとするエゴイズムこそ短歌というもの醍醐味である。誤解を恐れずに言えば優れた歌人とは己の日常を糧にした自意識純粋培養物なのである

それに対して俳句を作るということは、言葉風景カットする行為だ。17字というフレームの中に厳選した風景の要素を置いていく。私は風景から要素を抽出するための機械しかない。俳句にとって情念ノイズしかないのである

このような対比で見ると、短歌を詠む人が17字は気持ちを込めるのに少なすぎる、となぜ思いがちなのかが分かるだろう。字数云々ではなく、根本的にその容器は、あなた情念しまうところではないのです。高級フランス料理の小さなお皿にニンニクしまラーメンを入れようとする無理な行為なんですよ。俳句を作るなら、あなた後生大事に抱えているその情念は捨てましょう。わかりましたか

そうは言っても短歌人はやめられない。短歌を苦しみ抜いて詠んだきたのだから、この情念は捨てられない。世界から笑われようとも俺はこの17文字に俺の心情を詰め込んでみせる。31文字でできて17文字でできないことはないっ。ここに俺の私の僕のアイデンティティがかかっている。

という具合に短歌は人に冷静さを失わせ、言葉を発するとき自意識を手放すことができなくさせる。そしてどんどん俳句精神から遠ざかっていくのである。だから短歌を詠めば詠むほど、俳句は作れなくなる。

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追記しようとしたら長すぎたので記事を改める

一茶の句は反例にならない。

https://anond.hatelabo.jp/20240506233546

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https://anond.hatelabo.jp/20240508195326

俳句情念は込められないという主張について、上の増田より鮮やかな反例を挙げていただいた。俳句への理解を深める契機をいただけたことに感謝する。

anond:20240506115921

ここで昼餉真赤な夏の花佇つゆゑ

(ここでひるげ・まっか/まあかななつのはなたつゆえ)

   

中村草田男(なかむら・くさたお)という明治まれ俳人の句で、上5と下5が字余り(ないし、中7と下5が「句またがり」)なので素直に十七音ではないね。書いている俺もこの句は知らなかったけど、読み取ってみようと思うよ。長くなるけどそれはしょうがないと諦めてくれ。

   

内容は、すごいざっくばらんに書かれた意味だけを言うと「ここで昼食にしよう、(近くに)赤い夏の花が咲いているから」だね。まぁ言葉意味だけ追っても俳句は分からないので、ここから深掘りしないといけない。

  

まず俳句は、その映像を思い浮かべるところから始まるよ。

  

「ここで昼食にしよう」ってことは、昼食の場所を選べるわけだね。すぐ後に「夏の花」があるので、それがある環境、つまり野外だということも読み取れる。夏で野外で食事場所を選べるとなると、これはつまり弁当を持って散策ハイキング的な行楽を思い浮かべるよね。

行楽なら、高原とか草原とか、そういう緑の多い場所が思い浮かぶね。(明治まれの人の句だから現代的な行楽とは違って、素朴なものだと思うよ)

行楽に出るくらいだから、天気は良いのだろうね。夏の晴れの日。緑の丘、青い空、流れる白い雲。夏の行楽は避暑目的、涼を求めてするので、高原の涼やかな空気感、風の流れも想像できるね。

昼食前から出発して、そろそろ腹が減ってきたのかな。そこで真っ赤な花が目を惹いたのだろうね。この赤い花の傍で弁当を食おう、と決めた。そういう句だろう。

ここまで丁寧に「そう連想される理屈」も書いたけど、俳句をそれなりにやってる人はこういう読み方に慣れているので、元の句を見ればすぐに、「行楽、夏の緑の中、赤い花の傍でお弁当を食べる」という映像直観的に思い浮かぶと思う。

   

ここまで映像を読み取ったけど、増田が知りたい「どう凄いか」とは、その映像をどう鑑賞するのか、というところになると思う。

   

「ここで昼餉」といきなり強い意志を示したね。普通俳句は作者の意思思考など入れ込まないので、これは珍しい作りだ。ちなみに短歌は人の意思を盛り込むのが普通なので、元増田にとっては「短歌で慣れたスタイル」だから、印象が強かったのかもね。確かにインパクトがあってちょっと驚かされる。もっと言うと、字余りとした分、「本来入りきらないものを押し込めた」ことによる作者としての強い意志、この「ここで昼餉」と決断した意思の強さも表現されていると思う。

  

「昼餉」の後は、なぜこの場所食事場所として選んだか、の理由を述べている。「真赤な花が咲いている/立っているから」と。

夏にまつわる緑や青を連想させつつ、ここで「真赤」と、異なる系統の強烈な色をぶつけてきたね。これもインパクトになる。「赤い」ではなく「真赤」としたのも、インパクトを強める方向へ作用しているね。

しかも「佇つ」とした。「佇む・たたずむ」は、静かに立っている、じっとしているという意味だ。夏の高原で風まで想像していた、ゆるやかな「動」の映像の中に、急に「静」が放り込まれた。これもインパクトだね。さらに言うと、「佇つ」という一言からは、その花が何本も群生している光景よりは、一本だけが生えている様子を思い浮かべる。青、緑の中に一点だけ「赤」が生まれた。この対比が映像としてとても鮮やかだ。美しさも感じる。うがった見方をすれば、この句を詠んでいる時、作者の中村自身が花の傍で「佇んでいた」のだろうな、と想像することも出来るね。その並びの映像ちょっとばかり面白みも感じるよ。

   

まとめると、作者の中村はしばらく、同じような「夏の風景」の緑や青の中を歩いてきたんだと思う。そこへ、まったく違う「赤」という色が浮かんだ。その鮮やかな驚きと、その赤の美しさ、魅力が彼の足を止めさせ、ここで昼食にしてこの花を眺めていよう・この花と並んでいようと思わせ、さらには句に詠ませたのではないかなと思ったよ。個人的にはその驚きに共感したし、表現も切れ味あって良かったし、良い句だと思ったよ。句にする価値のある驚きだった。(名作かと訊かれたらさすがに考えるけど)

   

俳句は情景・映像を詠むもので、作者の意思感情感傷を直接に書くことはないんだけど、情景の中に感情を織り込むことは可能で、この句はそのように情景や映像の中に作者の驚きを詰め込んだ句になると思うよ。

  

でも俺は下手の横好きでしかないし、人にこんなこと説明するのも初めてなんで、実は的外れなこと書いてたらごめんな。

anond:20240506102800

当時の上級国民に向かって「これ私のことだ……」って勝手共感する方がアホってことだわな

高齢未婚童貞の弱男だからずっと好きだったんだぜ」は共感できるけど斉藤和義は既婚者で未婚の俺たちから共感を得てカラオケとかで小銭を巻き上げる弱者商法をやってる悪魔だと思うので大枠でいうと大嫌いな曲です

「虎に翼」は本当に見ているのがきつい

anond:20240504180148

全面的共感。妻がよく見るので仕方なく付き合っているが、「虎に翼」は本当に見ているのがきつい。

あれがいい、という人はジェンダー差別とか真剣に考えたことあるのかな、と本当に思ってしまう。というか、真剣に考えている人が共感しているとしたら、そもそも間違っていると思う。差別というのはああいものではない。

元増田の言う通り、差別というのは当時の「常識」に即して行われる。どんな人間でも、その常識に寄りかかっている生きている。ほとんどの人は、それが差別と気付くことはない。だからあんな直情的な反差別セリフが瞬時に出てくることは絶対にない。戦後ならまだしも、戦前の段階で。


1960年代以前の昔の映画を見ている人にはわかると思うけど、わかりやす女性蔑視発言が直接出てくることはほとんどない。女性差別的に取り扱うことが大きな常識だった時代は、社会に広く深く溶け込んでおり、そういう女性蔑視言葉自体不要からだ。逆に女性が丁寧に扱われている、という印象すら受けると思う。


いずれにしても、女性差別テーマ映画ドラマをつくるなら、以下のプロセス時間をかけて丁寧に描くことを求めたい。

(1)女性差別だと気付かない段階

(2)女性差別に気付いて悩み苦しむ段階

(3)違和感や怒りを少しづつ口に出し始めるが相手にされない段階

(4)ようやく相手にされ理解されるようになる段階

大奥』1日限定全巻無料vs「大河逆ハーレム漫画がなんで日本SF大賞なんて取れるんだよ」と思っていた俺

要点だけ

・ピッコマで24時間全巻無料だったので『大奥』を読んだ。

・前に読んだ時は「単なる男女逆転逆ハーレムだろ?」としか思わなくて2巻まで読んで投げた。

・7巻(の35話)から始まる赤面疱瘡vs医学vs異学排除の三つ巴は話の構造が立体的になっていて面白かった。

ジェンダーSFってそもそもSFって名前がついてるだけでSFじゃなくない?

イケメンにも歴史にも興味がない俺にこの作品評価する資格はなかった。

個人的好き嫌いで言うと7巻~12巻は好きだけど、それ以外は正直しんどいだけだった。

作品根底にある「将軍が女だったらヤバくないっすか?」みたいなのに全然共感できなかった。俺のジェンダー感だと「有能ならどっちもでいいだろ」なので。

・とりあえず人生宿題が1つ片付いた気がする。



経緯(飛ばしていい)

いつか「大奥」をちゃんと読もうと思っていたが、中々その機会がなかった。

いろんなランキングとかでの評価の高さに釣られて1・2巻まで読んだ時の感想は「江戸時代日本逆ハーレムしつつ、ついでにフェミニズム的なノリで男はクソだといいまくって気持ちよくなりたい連中の下世話な漫画」だった。

だがそれだけの漫画日本SF大賞を取れるのかという疑問があった。

単に男女の役割を逆転させただけのものジェンダーSFと言い張る界隈に対して、一言物申すためにも一度こちらが勉強しておきたいという暗い情熱もだ。

とんでも設定をぶちあげてフェチズムを描いた作品として家畜人ヤプーのような物を想像していたのだが、どうも他の人のレビューを見ているとエログロナンセンスアイディア勝負けで評価はされていないように感じた。

しかしたらジェンダーなだけでなく本当にSFで、5巻ぐらいか未来人が出てきて、10巻で超能力者、15巻で未来人、そして最終巻で神が登場したりするから日本SF大賞を取ったのでは……そんな突拍子もない空想も膨らんでいった。

いつか読もう。

そんな気持ちを抱えていた俺に機会がやってきた。


ピッコマで1日だけ全巻無料になるらしいと知ったのはGWが始まる少し前だ。

普通に買っても買って満足して読まないだろうことは分かっていたので、こういった期間限定で読める機会はちょうどいい。

今回の24時間無料に焦点を当てなければ下手すればもう二度と読む機会は来ないという感覚がビンビン来る。

とはいえ前に読んだ感じだと1巻につき1時間弱かかるわけで、1日で残りの17巻を読むのは厳しいだろう。

そこで俺はふとマンガParkを立ち上げた。

前に1・2巻を読んだときに使ったのがマンガParkだったからだ。

アプリを立ち上げて検索してみると、まだ「大奥」は引き上げられておらずFREEコインで読めるようだ。

2巻の途中までが完全無料、そして11巻までがFREEコイン

ここで少しだけフライングしてから24時間無料に挑むと丁度いい塩梅になりそうだ。

そして俺はGWが始まる少し前から毎日30分ほど(約4話分、約2/3巻)大奥を読み進めるという姑息フライングによって7巻までを事前に読み終えた。

残りは12巻。1時間に1巻読めば12時間で終わる計算だ。希望が見えてきた。


長く苦しい戦いだった。

12時間までいかずとも10時間大奥をひたすら読んでたと思う。

10時間ひたすら同じ漫画を読み続けた。

漫画喫茶でドラゴンボールうしおととらを一気読みしたことはあったが、その時も流石に10時間はかかってないし、一度読んだことがあるからおおよそ内容は頭に入っている。

初めて読む漫画を1日に10時間読む。

しか特に好きな漫画というわけではなく、前々から興味はあったけど感覚的に合わない漫画を「今ココでトドメを刺さなければもう一生読む機会がないかも知れない」という予感に急かされるままに読む。

キツかった。

幕府財政状況や百姓暮らしぶりと同じぐらいにキツかった。

フライングしてなかったらそもそも読み終わらなかった




感想

まず俺が一番言いたいのは「これはSFじゃなくない?」ってこと。

ジェンダーSFというジャンル自体は聞いたことがあるけど、そもそもそのジャンル自体SFという名前文化盗用してるだけじゃないってこと。

これがSFに含まれるなら光源氏でさえ「もしもこんなヤベーイケメンがいたらという思考実験なんだが」でSFなっちゃわない?

男が死ぬウィルスによって社会構造が何から何までまるっきり変わるならともかく、むしろこの作品が言いたいのは「男女が普通に逆転するだけではないでごわすか?男が特別なわけではないでごわしょ」なんでしょ?

病気部分がSFかといっても、単に男が死ぬ致死率の高い天然痘ってだけで、解決方法天然痘のものをそのまま持ってきただけだし。

俺の勝手な考えだけど、これはSFではないなー。


SFかどうかは置いといて作品としての評価をしようとしたんだけど、考えていく内に俺には出来ないってことが分かった。

だって俺、歴史とかイケメンとか興味ないもん。

イケメン坊主を脅して無理やり種馬にしてやるぜぐへへへ・・・とかやられても、「権力者は身勝手だな―」ぐらいにしか思えなくて。

徳川家が途中から女ばかりになっちゃうんですよ!凄いでしょ!とかやられても、「ゆーて直虎も謙信も女だったしなー」ぐらいで終わっちゃうわけで。

日本SF大賞取ってなかったら読んでなかったタイプの客というかね。

そんな人間にこの作品を正しく評価できるわけないでしょ。

辛いものきじゃない客が10辛頼んで「舌が痛すぎて味がしなかった。豚の餌未満 ☆1」ってレビューしててもそれは単なる検索汚染じゃん。

つーわけで評価棄権します。


評価はせんけど好き嫌いの話は少ししようかな。

公式が「医療編」と書いてる7巻ラスト~12巻は普通に面白かったな。

治療方法自体天然痘の焼き直しなんだけど、それが蘭学によってもたらされることで政治劇に絡まっていってるから一筋縄はいかなくなってる所に話しの膨らみを感じた。

トップが変わることで一度全部ひっくり返ったあと状況を逆転していくのとか作劇としてしっかり王道だったなと。

他の将軍様が女としての幸せを軸に物語を展開させがちだった中で、思想を持つものと持たぬもの戦い・当主としての成長っていう熱血軸で展開していく家斉のストーリーもこの作品の中では新鮮味があって面白かったな。

作中最大級ヴィランも出てくるし、いろいろな解決方法に納得感があるし、実際ここが作品ピークだった気がするんだよな俺の個人的好き嫌いを抜きにしても。

他にも黒木が~青沼が~マジで~カッコよくて~と飲み屋で延々アニメの話してる中年オタクみたいな感じでしばらく語れそうだけど、俺の話聞いてる暇があったら実際に読んでほしいし一度読んだ人ももう一度読んだほうが俺の話聞くよりもタイパがいいだろうからここらで切り上げるか。

大奥ちょっと読んだけどマジで無理だわつまんなかったわー。優男が尻掘られそうになる話とかどうでもいいわー」と思ってる人でも途中全部飛ばして35話から読むのはアリなんじゃねーかって気はする。

この部分はマンガParkでも読めるしな(7~11巻はフリーコインだけど12巻はボーナスコイン枠なのでコインを買うか動画広告再生して貯めてくれ)。


フライングも合わせて15時間近くかけて全部読んで結局「うーん医療編意外は全然合わなかったな―」となってしまたことについて後悔がないかと言えば、トントンなんだよね正直。

最終巻での感動のラストっぽいのもそこまでに積み上がった「ここまできたなら凄いの見せてくれ―!」ってハードルが上がりすぎてだいぶ肩透かしだったし。

失礼な言い方になるかもだが、「ありのままの姿見せるのよ的な?それって要はアナ雪やろ?こんだけ引っ張って最後にやるのがこの程度なの?」って感じだったのよね俺的には。(この程度の自由さえも奪われてしまうお貴族社会の悲しみこそがこの手の作品におけるトロの部分なんやろなあというのは分からなくはないんだけど、もっとこうなんか19巻読んだかいがあったぜマジスゲーみたいなのを期待しててですよ。)

黒歴史最後を紐解いていく展開として公武合体にかこつけて凄い所に踏み込んでた感じはするんだけど、最後大人しい着地になってしまったなと。


そもそも俺の中で「将軍が女とかありえん!帝が女とかありえん!」みたいなのが全然ないんだよね。

だってそういう仕事してる人に求められるのって機能を果たせるかであって、それって個人資質依存してるんだから性別なんてどうでもいいじゃん?

男でも無能なら勘弁して欲しいし、女でも有能ならぜひやって欲しいわけで。

別に俺が将軍エッチしたりオカズにしたりするわけでもないんだから、その人達性別とか本当にどうでもいいんだよね。

まあこの辺は産まれてきた時代によるのかも。

ゆーて大奥の連載が始まった頃既に40を超えてたような人、つまりバリバリ昭和生まれからしたら「将軍が女とか絶対嘘でしょ」って感じなのかもだけどね。

俺がジェンダーSFSFだと認識できないのはそういう所も関係してるのかも。

うんまあ、総合的には無理してでも全部読んで良かったかな。

宿題を1つ片付けられた感じはするので。

しばらくはこういう「合わなそうだけど読んでおかないといけない気がする」でコンテンツを接取するのは休もう。

めっちゃ消耗したよー。

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