はてなキーワード: 良心とは
http://anond.hatelabo.jp/20100322140134
精読したわけではないから誤読しているかもしれんけど。
一連のエントリではてこさんは男性を糾弾したり被害者ぶっているわけではなく
「私は男性(のある側面)に恐怖を覚える。」
という自らの感情を表明しているにすぎない。よってそれに対する、
「男だって女が怖い。」
などといった反論は意味がない。なぜなら、それらが正論であっても彼女の恐怖感の
存在自体が否定されるわけではないから。また、男性からの
「傷ついた。」「中傷された。」
という意見はそれ自体は感情であって表明する価値はあるが、それによってはてこさんを
非難することも意味がない。
そもそもあのエントリにこれだけ反応があったのは、はてこさんの意図とは別にエントリ内において
「それでも熊がほんの一撃で目の前の樹をなぎ倒して、ここに座ってお昼にしよう、と言うとき、
私は胸の奥で震え上がるの。どうか私を食べないでね、って思うの。」
とあるように、人間(この場合は熊であり男性)は自らの意図とは別のところで他者に恐怖を与えうるという
絶望的な事実に対する抗いだったのではないかと思う。実際、我々はどれだけ努力しても他者の心を傷つけうるし
その判断は完全に相手に委ねられて自らではどうにもできない。それを明示されたとき、人は自分がある日突然、
他者に拒絶される可能性があることを思い出して恐怖する。そして、その可能性を打ち消そうとする。
では、我々はどうするべきか。
受け入れた上で肯定も否定もせず自分の感情に基づいた意見を表明すればいい。
彼女の言説が本当に力を持つなら、なんらかの形であなたの感情に影響を与えるだろうし(彼女の意図と違っても)、
(ただし、ここでいう感情は好き嫌いではなく、どちらかというと信念とか良心と言った方が近い。)
表現規制に関しては、自分は実効性うんぬんに関係なくゾーニングの徹底と啓蒙活動が必要十分の施策と考えており、
それははてこさんのエントリを読んでも揺らぐことはなかった。
追記)書いてみて、我ながら「めちゃきれいごと(笑)」と思ったが、
実際に連休中に考えた末にでた結論だったのでそのままアップする。
怖い怖いと言われる側の事、一瞬たりとも考えたことないんだろうなと、なんかね、そこに引っかかってしまったもので。
冷静にまとめるならば、
「男性は物理的に強者であるため、弱者である女性の私には怖い。だから、その対象が実在していなかろうと、女性を陵辱するようなゲーム・コミック等が存在する事は暴力になり得る」
という事だと思うのですが、残念ながら元の文章は「男性は物理的に強者であるため、弱者である女性の私には怖い」がその大半を占め、被害者であるという主張が強くうち出ています。
コメントにある「男性の理性良心を信頼できず不安を感じる私は被害者です。」もまさに誤読ではあるのですが、そう誤読させる強さが、その主張にはあるかと思います。
ついつい、そこに感情的に引っかかってしまいました。
男性として生きていても、自分より強いものに接しなければならないことは、常にあります。
女性であっても、自分より弱いものに接することは常にあるでしょう。
StrikerS は微妙な出来だったな。
作品としてはそこそこ面白いんだけど、なんで大人にする必要があるのかと。
せっかくでてきたロリキャラまででかくなるとか意味がわからなす。
キャロはあの作品唯一の良心。
まぁ、テレビ版の「少し頭冷やそうか」だけは評価する。
ん? 名誉棄損は表現の自由を成立させている要件である「他者」を危害に晒すという根拠があって、表現の自由に優越しているんじゃないの?
上位原理(コミュニケーション)を損なわないために下位原理(他者)を保護しようということじゃないの?
性愛もコミュニケーションの下位原理の一つだから(ただしそれほど重要ではない。コミュニケーションには情動が普通必要だけど、性愛は情動の一種にすぎないし、特に人間は性愛以外のコミュニケーションが多い)、コミュニケーションを損なわないためには性愛を保護しなければならないんじゃないかな。
表現の自由より下位で保護されるべき原理となると、身体の自由や思想・良心の自由やプライバシー(柳美里とかあったね)や他者危害など極めて限定されると思うけど。
この非道な状況で、
偉そうによくもそんな事がほざけるものだな。
良心に従って、何をされても耐えるのが正しい道だと説きたいわけか。
ドコモの場合
牛丼は0円です、ただし2年間毎月280円いただきます解約したらペナルティで一万円いただきます。
ソフトバンクの場合
牛丼は5600円です、ただし本日0円にして2年間に分けて280円頂きます、解約したらその月からの残った牛丼代を頂きます、
↑ややこしいのはこれだけ、あとのややこしいプランとかはパケット上限が下がる変わりに2年間解約できないとかはdocomoにしろwillcomにしろ
どこでもやってる。
ソフトバンクは解約できないプランを作ってるだけ、ただソフトバンクのやり方はややこしくして無理やり0円ケータイにしようってのが汚い。
きっかけはここを読んだから
幼い娼婦だった私へ から一部抜粋 ソマリー・マム (著) /文藝春秋
http://www.rainbow.gr.jp/ukifune/somalymam.html
一番グサッときたのはここ
>‥‥その後、殴ったり、タバコの火で火傷させたり、爪をはがすようになった。いまはもっと残酷になっている。目立つところに痣(あざ)をつくるのを避けて、かわりに頭に釘を打ち込むのだ。信じられないことだが、証拠写真もある。少女を縛って電気ショックを与える。死んでゆく子もかなりの数にのぼっている。ニーク・ルオンでは、下水路のなかに少女たちが縛られているのをわたしたちが見つけた。こうした変化は、斡旋人やその他の多くの男が夢中で見ている中国ビデオの影響によるのかもしれない。この手のビデオには、あからさまなサディズムによる拷問のシーンが多い。しがないオーナーたちはこうした映画の虜になってしまい、同じシーンを再現しようとする。誰にも邪魔立てされずにできるのだ。
「中国ビデオ」とあるけれでも、日本のビデオ・マンガ・同人もあっちこっちの海外サイトにうpしまくられてるし
今後見られる可能性は充分あるな、と思ったので
これはね、仮に非実在青少年の規制が成立されても何の解決にもつながらないってことは重々わかってますよ
規制したところで違法うpは無くならないし、無限にコピーされてくし、そもそもその国の治安の問題だし
ただ、日本のオタクたちが現実と妄想の区別がちゃんとつけられる良心的な人間だったとしても
傷つけられても、殺されても、誰にも気に取られない実在青少年が居るんだ、ていう事実に大変ショックを受けたんです
もし大好きな日本のマンガ、アニメ、同人がきっかけで本当に殺されちゃう子供が居たとしたら…と、思うと…ね…
被害妄想過ぎかな…
誰かわからない心ない人達は一旦置くとして
有村君がこういうこと言っちゃうのはかなりショックだった
いつもの彼なら女の子がいじめられた脅かされたりしてるニュース見たら
誰よりも熱く加害者を憎み、ブコメで無神経な発言をしたはてなーにも余勢で掴みかからんというぐらいに怒るのにね。
あれが彼の大きな特徴であり、そこが好きでファンって人もたくさんいると思う。
被害者の女の子が皇室のああいう立場だってことが重要だったんだろうけど
彼の中のかなり芯の部分に見えた良心を、思想が上回るんだね…
なんか嫌なもの見た
— 自民幹事長:徴兵制を検討? 談話で否定 - 毎日jp(毎日新聞)
ttp://mainichi.jp/select/seiji/news/20100305k0000m010084000c.html
論点整理は「国民の権利及び義務」の項目で「ドイツをはじめ多くの国では、憲法で、国民の兵役義務や、良心的事由に基づいてこれを拒否する者の代替役務等が定められている」と指摘したうえで、「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係などについて、さらに詰めた検討を行う必要がある」と提起した。
これが「徴兵制検討」と速報されたのに慌てた大島氏は、談話で「論点整理はあくまでも他の民主主義国家の現状を整理したもの。わが党が徴兵制を検討することはない」と否定した。
ttp://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50471710.html
上記目次の最後の「前田×福田対談」が面白かったので、いくつか抜粋して紹介します。
平成11年度の対談らしいので、もしかしたら既に有名な対談なのかもしれませんが。
以下は、全て前田氏の発言です。
日本のやった戦争に問題があったのは確かだけれど、当時の日本人にしたら、煩悶、苦悩を重ねた末にやらざるをえないと覚悟を決めてやったわけでしょう。男子に生まれ、徴兵されたら、否でも応でも闘うしかない。なかにははっきり嫌だと思っていた人もいただろうけれども、一応は「お国のため」という大義名分で自分を納得させたはずでしょう。 そういうそういうギリギリのところで国とか公に殉じた精神、心根を汲まなくて、全部あの戦争は侵略だったみたいにして断罪するのはそれこそ卑怯だと思います。敗北と言う結果が分かっていて、まるで時間のカンニングペーパーを見て答案を書いているようなものじゃないですか。カンニングペーパーを使って、当時の人たちの行動を批評するのじゃなくて侮辱する。そういう人たちの書いたもの、言っていることというのは、もう本当に嫌ですね。しかも、自分は日本の罪を認めています、悔いていますという、自分一人だけを良心の高みに置いているような感覚がたまらない。
どんなものにも光と闇がある。歴史もそうです。広瀬武夫や佐久間館長のような軍人もいれば、そうでないひどい軍人もいたでしょう。誇らしいこともあれば、惨めな、恥ずかしいことを背負っていくこともあったはずです。でも、そうした諸々を引っくるめて背負っていく。そういう熱い思いが、歴史を語るには何より大事じゃないですか。俺はそう思いますね。
(従軍慰安婦問題に関して)俺は、やむをえなかったというのも、一方では確かなことだったという気がするんですよ。当時、東北の農村なんか本当に貧しかったわけでしょう。日本の娘も遊郭に売られれることは珍しくなかった。それは朝鮮半島も同じだった。そういう現実を前にして「親には考を尽くす」という価値観のなか、親がそうしたのか、子供がみずからそうしたのか、それはもうさまざまだったろうけれども、逃れられない運命のようなものに、人も国家も翻弄されたというのが実相だったんじゃないかと思うんです。確かにその舞台が戦場と言うことで、いっそう悲惨になったのは間違いないけれど。
(従軍慰安婦問題・強制連行に関して)俺はいろいろと親戚とかに昔の話を聞くんだけれど、少なくともその範囲では聞かなかったですね。
近親憎悪が日本と韓国の間にはある。結局、似ているということがかえって反発や憎悪を生んでいるんだと思います。とくに韓国の場合、儒教がいい意味でも悪い意味でもプライドになりすぎているから、歴史的にその文化圏の辺境にある日本に対してはどうしても優越的感情を持つことになる。日本の文化の源はすべて朝鮮を通じて伝えられたと言う意識ですね。
名前を出して悪いんだけれど、辛淑玉さんなんか見てると、情けなくなってくる。差別されたとか、日本は加害者だとか言うだけで、それだけ叫び続けて一生を送るのかなと思うと、とても俺は共感できない。力道山や大山倍達だって差別されたはずだけど、ちゃんと一個の人間として、大した生き方をしてみせたじゃないですか。有名無名に関係なく、俺の知ってる限りそういう在日はたくさんいますよ。
でも俺のような考え方は、在日の中でも少数だと思います。たとえば在日への差別問題にしても、日本の部落問題と同じように、実際にそれを「食い物」にしてるやつがずいぶんいます。自分が現役引退を契機に出自を公にしたら、もう嫌になるぐらい多くの奴が寄ってきましたよ。でも、その中にどれだけ本物がいたか。
朝鮮総連や韓国民団は日本に対して差別だなんだと言うけれど、同胞が北朝鮮でどういう目に遭わされているか、あるいは韓国に帰ってどういう扱いを受けているかについては、世の中に聞こえるような形では誰も何も言わない。何だこれは!
出自が在日だからということで韓国で就職差別を受けたり、北朝鮮に帰国すれば殺されたりひどい目に遭わされたりする。こういうことに黙っていながら、日本国内の差別反対だとか、参政権をよこせだとか言う人間を、少なくとも俺は信用できない。
>しかも、自分は日本の罪を認めています、悔いていますという、自分一人だけを良心の高みに置いているような感覚がたまらない。
これこれ。
所謂リベラルとか媚韓の人に対する嫌悪感ってのは、ここに由来する。
前田さん、言ってくれてありがとう。
mumurも何回も言ってるけど、彼らは「差別をなくしたい」のではなく、「差別を糾弾している自分の演出」が目的なんだよね。差別とか犯罪とか、世界普遍的絶対的に悪とされる事柄を糾弾することによって、絶対的に善の立場に立つことが目的。
普通の人はそんな他人のことはどうでもよくて自分のことで精一杯なんだけど、この手の方々は何故か他所様の悪の追及に闘志を燃やす。彼らは本来的には正義感の強い人なんだけど、日本人的な潔癖症と相俟って、いつでも悪を糾弾していないと気がすまない。
この、潔癖症の正義感は、「弱い人」の訴えに無謬性を与えることになる。
もちろんそれは、気持ちとしては分からないでもない。
涙ながらに痴漢の被害を訴える女子高生に対し、「嘘つき」とは口に出来ない。例え思っていても口には出来ない。
しかし、普通の人ならば、色々な異論・反論を耳にしたり、矛盾点を発見したなら、疑念が沸いてくるものである。
ここで潔癖症の正義感は、その「疑っている自分」に対しても嫌悪感を引き起こす。異論は受け入れず、「事実かどうか」は無視される。その結果、一般人との認識が乖離し、ますます大衆の支持を得られなくなる。
この「絶対的弱者」と「それを擁護している自分」という強固な図式は、実は彼らの差別意識の現われだと思うんだよね。潔癖症で正義感が強いからこそ、自分の内にある差別意識を取り除くべく、他人を糾弾し続ける。
君が代不起立元教員、二審も敗訴 東京高裁
卒業式の君が代斉唱時に起立しなかったのを理由に、定年後の再雇用を取り消したのは違法として、東京都に対し都立高の元教員10人が再雇用の確認や慰謝料などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は23日、請求棄却の一審東京地裁判決を支持、元教員側の控訴を棄却した。
起立や斉唱などを指示した都教育長通達や校長の職務命令が思想・良心の自由を定めた憲法に違反するかどうか、都の処分が裁量権の乱用に当たるかどうかが争点だった。
奥田隆文裁判長は、通達や職務命令について「起立や斉唱の外形的行為を求めるのは特定の思想の強制や禁止に当たらず、思想・良心の自由を定めた憲法に反しない」と指摘。
都の処分についても「不起立は職務命令違反や信用失墜行為に当たる。『勤務成績が良好』との再雇用の要件に欠けるとした都の判断は不合理とはいえない」とし、裁量権の逸脱はないと判断した。
判決によると、原告10人のうち9人は2004年1月、再雇用などの合格通知を受けたが、同3月の卒業式で起立・斉唱しなかったのを理由に取り消された。残る1人は翌05年に合格通知を受けたが、同様に取り消された。
再雇用しても言う事聞かないのは分かりきってるんだから雇用する義理も義務も無いと思うけどな。
当人が「反省してます。次からはきちんとやります」と言うのであれば話は別だろうけど。
田中秀臣先生が勝間に入れ込み始めた時点で半分投げたが、上念司のこの発言をリツイートするこたぁないだろう。
http://twitter.com/smith796000/status/9479432445
私もそう思ったのですが、偶然でしょうかw RT:@jimuyakagyo 岩本ブログを「学界で決着つくまで、素人はガタガタ言わずデフレ不況に耐えてろ」というふうに受けとってしまった(略) #デフレ危機_
そら、池田信夫みたいに「狂人」呼ばわりしないにしろ、こんな発言にリツイートするとは焼きが回ってるとしか思えんな。
まず学者を説得するほうが大事だというのは、リフレ派のbewaadさんがこのところ説いてる所で、全く同感だ。
http://www.ichigobbs.org/cgi/15bbs/economy/1447/908
同様に、リフレ政策がマクロ専門家の間で「常識」となるならば、
日銀はリフレ政策を採用するはずだ、と個人的には予測しているのです。
わたくしが見るに、最近、飯田先生をはじめ「世間知」の理解を得るための試みは著しく進んでいますが、
「専門知」の世界でリフレ政策を「常識」にしようとする試みはあまりなされていません。
象徴的には、大瀧先生や脇田先生、福田先生がリフレ政策に極めてネガティヴな評価を、
それぞれの専門的知見から導かれるものとして公にしているわけですが、
それに対する反論は見たことがありません。
「経済学的手法」一本槍でいくべきとはわたくしとて思いませんが、
現状は、「経済学的手法」があまりに行われなさすぎだ、
http://www.ichigobbs.org/cgi/15bbs/economy/1447/930
主張の内容が似通っているにもかかわらず、日銀は批判し、経済学者は批判しないというのは、
部外者から見れば、よく言っても馴れ合い、
悪く言えば反論しない相手を選んで議論しているように思えます。
後のはやや割り切りすぎのコメントで、リフレ派の先生も経済学者を批判することはある。でも、日銀批判ほどしつこくない印象もある。(vs池田信夫バトルはおもしろいがね)
http://www.ichigobbs.org/cgi/15bbs/economy/1447/833
どうやっても検証の仕様がなく、うまくいって水掛け論にしかなりませんし、
むしろリフレ政策を主張する側にある種の「胡散臭さ」を漂わせる原因になっているようにも見えます。
http://www.ichigobbs.org/cgi/15bbs/economy/1447/843
たとえば文部科学省が理科教育に創造説を採用しないように、官僚組織は学界の通説に刃向かう度胸は一般にないですし、
もし刃向かうなら、それこそトンデモだと批判すればよいだけの話です。
そうした通説としてのリフレ論や日銀理論批判を学界で確立することができないのに、
日銀職員は保身のために学問的良心を売り渡してるとか、親日銀の学者は御用学者だとか言ってみても、
それこそ「ニュートラルな人」として読んでいる自分だが、なぜリフレ派にいまいち乗れないのか、bewaadさんは上手に突いていると思った。
つまり、リフレ派に信用性を感じないんだ。日銀陰謀論の類も、日銀がなんとかすればと最後は日銀頼みになるのと、表裏一体だし。インフレ期待を煽れと言ってる側の信用がないというこの皮肉。
http://www.ichigobbs.org/cgi/15bbs/economy/1447/874
リフレ政策の妥当性を経済学から導き出せないなら、何から導き出すの?
政治学? 物理学? 哲学? 星占い? フライングスパゲッティモンスター教?
それとも、妥当かどうかはどうでもいいからやってみるべきとでもいうの?
他の人に突っ込まれてここはヤケクソ気味のbewaadさんだけど、その通り。何でもいいからやってみろということに最後はなる。でも、それってすごい暴論。
田中秀臣先生の勝間礼賛にクラクラした覚えがある。それでも多少信じるところはあったけど、さすがにこのリツイートを見て、もう降参。参りました。
僕には好きな人が居て、その人もどうやら僕のことを好きらしかった。
僕はいわゆる非モテというやつで、恋人なんてついぞ出来る気配はなかったけど、元気に実直に、自分の良心に反さないようには生きていた。、
彼女はそんな僕の内面(他人からすぐ見えるところだから外面か)をなぜだか好いてくれたようだった。
彼女は自分の感情を隠すことが下手なようで、彼女が僕に好意を抱いてくれていることは、すぐに僕の知るところとなった。
女性からの好意を感じたことのなかった僕はいつしか、彼女のことを特別に気にかけるようになった。
彼女と同じ空間にいるだけで意識してしまうし、つい姿を目で追ってしまう。
友達に相談したら、それが好きになるということなのだと教えられた。
かくして僕と彼女は、たいした会話も交わさないまま両思いというやつになっていたらしい。
だけど彼女が好きなのは理想化された僕で、僕が好きなのは自分を好いてくれる彼女なのだった。
次第に彼女と言葉を交わすことになった僕が最もよく聞いた単語は『意外』だったような気がする。
僕のだらしない実態を聞いて驚く彼女相手に自虐みちた笑顔を浮かべながら、彼女が好きなのはこんな自分ではないのだと繰り返し再認識した。
僕の方こそ本当に彼女のことを好きだったのかと言われると疑問符がつく。
つくのだけれど付き合うということに憧れのような感情をいだいていた僕は、彼女に告白することになった。
彼女の好きそうな状況で彼女の好みそうな台詞で行った告白は、5年よりも長い5秒程度の沈黙の後に受理され、めでたく僕の彼女いない歴がリセットされたのだった。
付き合うということが、僕にはよくわかっていなかったのだと思う。
メールを送るにしてもどんなことを言えば良いのかわからないし、
結局のところ、息苦しさを感じながら彼女と会話するよりだらだらインターネットを見ていた方が僕の性にはあっていたのだ。
僕と彼女は申し訳程度に数回のデートを重ねたが、その度に彼女の僕に対する気持ちが離れていくのがわかった。僕の彼女への気持ちも同様だったから。
電光石火の早業で、僕は彼女に振られることとなった。
僕は自分の最後の言葉が「ありがとう」だったのか「元気でね」だったのか思い出せない。本当は「ごめんね」と言うべきだったように思う。
気づけばもうあれから5年も経っていて、僕の彼女いない歴は着々とかつての記録に近づいている。
つきあうということがどういうことなのかは、未だもってわからないままだ。
国母選手のバッシングがあたかも全日本国民によって行われてるかのような思い込みで書かれた日本社会の批判をネットでよく見かける。こういう人の周囲の家族や友人の間で何人ぐらい国母批判をしてたのか気になるが、おそらく自分自身も含め誰もそんな話してなくて、テレビのワイドショーか何か(2ちゃんコピペブログ?)だけ見て日本社会が全部そうだと思い込んでるだろう。しかしそのテレビや2ちゃんですら擁護の声があるわけで到底国母批判が日本社会の総意とはいえないはず。にもかかわらずなぜそういう日本丸ごとを対象とした批判がはてな村で賞賛されまくるかというと日本が嫌いで嫌いで仕方がない人が圧倒的に多いからだろう。日頃は在特会批判で盛り上がってるから差別に批判的な良心的な人間が多いかのように見えるが、こういうことがあるとすぐにはてなーの本性がばれる。君達は本当に薄汚い人間だよ。
せっかく2時間もかけて前のエントリーを書いたのに、丸一日経っても誰も読んでくれないよ…と涙に暮れていたのですが、なんとお褒めの言葉付きで長文のリプライが!「もうこれは2chに自作自演で宣伝書き込みをするしかない」、と悲壮な決意を固めかけていたのですが、ああ、神様、どうやら私は人の道を踏み外さずにすみそうです。
馬鹿なことを書くのはこれくらいにして本題に入りましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20100217164344
「中銀が高めのレートでインフレターゲットを実行する」能力も意志もないのです。処方箋はあるのに肝心の中銀がそれを採用しようという意思がないのです。
こんな中銀ですから、平時においてインフレ率を高めに誘導しておく必要が、すなわち名目金利引き下げの余地を残しておく必要があるのです。
まず、ブランチャード(フランス語読みではブランシャール)らがここで書いた文章の表題をもう一度確認してみましょう。”What we thought we knew”とあります。直訳すれば「我々が理解していると考えていたこと」でしょうか。
ここで過去形になっていることは非常に大きな意味を持ちます。これは「今はもうそうは考えていない」ことを意味しているからです。日本語的な発想では「過去にそう考えていたとして、今どう考えているかは分からないのでは?」と思いがちですが、今も引き続きそう考えているなら英語では現在完了形を使わなければなりません。
英語はこの辺りの時制のコントロールに対して非常に厳密です。ですから、1970年のJohn Smithの論文がこう主張している、という表現をするときには、J. Smith (1970) arguesと書くのが普通です。論文自体が書かれたのは40年前ですが、Smithの主張が今も有効であるならば、現在形になるのです。逆に Smith (1970) arguedと書いた場合、この著者はSmithの意見を既に時代遅れなものと見なしていることになります。
つまり、私の翻訳した部分はブランチャード自身が「既に時代遅れである」と判断したことについて書いてあるのです。翻訳では若干時制が不明確になってしまっていますが、『中央銀行が将来の高い名目マネーサプライ成長率とひいては将来の高いインフレーションにコミット(訳注:約束)できるなら、中銀は期待インフレ率の上昇によって将来の予想実質金利を低下させ、それによって現在の景気を刺激することが出来る』という下りは、原文では
The formal argument was that, to the extent that central banks could commit to higher nominal money growth and thus higher inflation in the future, they could increase future inflation expectations and thus decrease future anticipated real rates and stimulate activity today.
となっています。過去形に注目してください。ブランチャードはこの議論を最早信じてはいないことがここからも分かります。過去形の解釈について納得がいかない方はマーク・ピーターセンの「日本人の英語」辺りを読んでみると良いでしょう。
つまり、ブランチャードが批判的に取り上げているのは、「処方箋があるにもかかわらずそれを採用しようとしない中銀の存在」ではありません。処方箋に問題があるにもかかわらず、それを中銀の意思と能力の問題に矮小化してしまった経済学者の態度こそが批判されているのです。だからこそ、前回翻訳した最後の部分で『公平を期しておくと、Fedは日本の経験を無視したわけではなく、2000年の初めにデフレのリスクを憂慮した論文を発表している』と添え書きされているわけです。経済学者にも良心的な態度を取った人がいたことは、公平のために言及しておく、と。もしも「リフレの処方箋」にコミットする能力と意思を中銀が欠いていることをブランチャードらが問題視しているなら、to be fairなどと書くはずもないことは文脈から明らかでしょう。
ですから、
将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、4%のインフレ率が必要となるのです。
将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、流動性の罠など恐るるに足るのです。
この解釈をブランチャードらの論文から引き出すことは出来ないと思います。この論文で議論されているのは徹頭徹尾経済学の問題であって、「能力と意思を欠いた」中央銀行に対して批判的な表現は、(上でも書いたとおり)少なくとも私の読んだ限りでは全く見当たりませんでした。中央銀行は能力も意思もないから、それを前提に現実的な経済理論を再構築しよう、とも書いていません。今まで半ば普遍的に信じられていた、「2%前後で安定したインフレ率が望ましい」という経済学者のコンセンサスそれ自体に疑義を唱えているのです。
加えて、中銀が無能ないしは怠惰であるという理由以外で能力/意思を欠いているのであれば、それは中銀の問題(だけ)ではなく処方箋の側に(も)問題があると考えるのはごく普通の理解であろうと思います。例えば、中銀にそもそもコミットメント能力が備わっていないならば、それを前提とした処方箋は無効であることは当然ですよね。
「いかにして流動性の罠に陥らないようにすればよいのか」を問題にしているブランチャードが、「いかにして流動性の罠から抜け出せばいいのか」という問題への処方箋であるリフレ政策を支持するはずも否定するはずもないのです。
前回翻訳した部分をもう一度参照してください。なぜブランチャードらは2%のインフレ率を望ましくないと判断したのでしょうか。ブランチャードらは過去にも「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念があったことを紹介しています。そして、その懸念は「ゼロ金利になっても、中銀が将来のインフレにコミットすれば大丈夫だ。」という、Eggertsson and Woodford (2003)らの議論によって葬り去られました。そして、日本の金融政策の失敗を受けても、一度葬り去られた懸念が見直されることはありませんでした。
そして、世界中がゼロ金利の罠にハマった後、ブランチャードらはようやく「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念を復活させます。それは、「いやいや利下げ余地が小さくても問題ない、打つ手は他にある」、というリフレ派の議論がもはや有効とは言えないと考えられたからこそなのです。繰り返し書きますが、「流動性の罠から抜け出す簡単な方法は存在しない」からこそ、利下げ余地が論点として再浮上し、高いインフレに伴う経済への負担を覚悟してでも流動性の罠に陥らないようにしようという結論に至る、という論理構成なのです。この論文はかなり読みやすい英語で書かれていますので、暇があれば通読なさると良いでしょう。
また、以上の説明から、最終段落で言及されている「ブランチャードらは流動性の罠から脱出するためのリフレ政策を支持していると読めないこともない」点は、誤読であると申し上げるより他ないことはご理解頂けるのではないかと思います。この辺りも、原文に当たられた方が文章の雰囲気と構成("stood more uneasily in the way"や"to be fair"など)をよりはっきりと掴めるでしょうから、原文を当たられることを繰り返しお勧めします。
最後に、ブランチャードが書いた部分を、少し分かり易く脚色してみます。
とあるところにあるリフレ村で司祭様が村人に説教をしています。
司祭様 「全能なる我らが神はこの村の人々を温かく見守ってくださっておる。なんの心配もいらないよ、君たちは選ばれた民なのだから。100年前の大飢饉(大恐慌)では人々は神への祈りを捧げなかった。だから多くの民が死に絶えたのだ。だが今は違う。私が正しい神への祈り方を教え授けている。神は我らの祈りを請け給うたのだ。」
女 「司祭様。それでは何故私の父は病に苦しんでいるのでしょうか。既に10年以上、病床を離れることが出来ません。」
司祭様 「…それは、あなたの父親の信心が足りないからだ。神を理解する能力に欠けるからだ。彼が心から神を信じているならば、彼の病が長引くことなどあり得なかった。家に帰って彼に伝えなさい。悔い改めよ、と。さすれば彼はたちどころに快復するであろう。」
これは新興宗教の必勝パターンでありまして、この父親が毎日祈りを捧げても(量的緩和)、喜捨の額を増やしても(国債買いオペ増額)、病から快復しないならば「信心が足りない!まだ不十分だ!」と言い続ければよいのです。楽な商売でございます。
ただし、この戦法は多くの村人が病にかかってしまうと通用しなくなります。挙句の果てに村の外からは賢者様がやってきて、「いや、そのお祈りじゃ患者は救えないでしょ。治療法は確立されてないし、一度病気になっちゃうと後が大変だから、とりあえず患者が増えないように予防策を考えようか」とおっしゃっておられます。
さぁ司祭様の立場は一気に悪くなってまいりました。石もて追われる5秒前!しかしこのまま大人しく村を去る司祭様ではありません。一発逆転の隠し玉は当然用意してあるはず。疫病快癒の大祈祷でもって見事リフレの神のご威光を天下に知らしめ、村人達の笑顔を取り戻して下さるに違いありません。
【政治】共産党、ハイチ支援の救援金700万円を日本ユニセフ協会に届ける
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1265857185/
568 :名無しさん@十周年:2010/02/11(木) 19:31:39 ID:BfX97PRT0
アグネス・チャンは偽善者じゃないから、そう呼ぶのはやめて欲しい。
偽善とは、
【偽善(ぎぜん)】
善であると偽る事をいう。また、これを行なう者は偽善者とよばれる。
外面的には善い行為に見えても、それが本心や良心からではなく、
虚栄心や利己心などから行われる事を指している。
↑こういう奴の事を【偽善者】と言うんだ。
アグネスがいったいなんの【善】をしたんだ?どんな【善行】をしたんだ?
募金ピンハネ団体の日本ユニセフ協会で募金ビジネスとしてギャラを貰い、
金集めをしているだけで、善行ではなくただの商売、営利行為をしているんだよ。
日本ユニセフからギャラを一円も貰ってないのか?
マザー・テレサのように全財産をとは言わないまでも、少しでも貧しい子供たちへ財産を寄付したか?
ビルゲイツやサッカーの中田みたいに基金を作って自分の財産を貧しい者に与えたか?
アグネスは貧しいものに与えるのではなく、逆に奪っているではないか!
これのどこが善を偽る、【偽善】なんだ?
ただの悪じゃないか、もしくは詐欺行為だ。
この前ラーメン屋で隣に座っていた人達が、朝青龍問題について言及していた。
男A「朝青龍を知っている人に聞くと、みんな愛想が良くて優しいって言ってましたよ」
男B「そうなんだ。でも、マスコミは悪役に仕立ててるよな」
男A「そうですね。こういう世の中ですから、叩ける人を探してみんなストレス発散しているんじゃないですかね」
男B「それって寂しいな。金がないならともかく、良心まで無くしていってるんだな」
的な会話が聞こえてきた。
俺も朝青龍は好きじゃないけど、確かに叩きすぎな気がする。朝青龍だけじゃなくて、世の中全体が誰でも良いから「叩ける人」を探してる感じがする。
不景気で金がないから、遊びや旨い物食べたりしてストレス発散できないのかもしれないけど、その代替として「人を叩く」という
行為が横行してしまったとしたら、凄く寂しい。日本人の良心というのはどこに行ったのか?って思う。
こういう話をすると「○○国でもやってるよ!」という反論をする人がいるけど、悪い事を真似てどうすんだよ。