はてなキーワード: 視覚とは
結果が出たけどシェアして笑いあえる人がいないのでここで書かせて
・言語理解:122 平均の上~高い(言葉の理解力や説明力・思考力など
・知覚推理:109 平均~平均の上(非言語の理解力等・視覚情報の処理など
・ワーキングメモリー:103 平均 (聴覚的な情報を一時的に記憶をして、脳内で作業し結果を出す能力など
言語理解と処理速度の差がめちゃくちゃ開いてる わかってるのにできないタイプ
●ASD傾向あり(最終的な診断は検査結果を踏まえてこれから)
共感することが難しい
コミュニケーションが困難
状況把握が苦手
●ADHD傾向あり(最終的な診断は検査結果を踏まえてこれから)
不注意
衝動性がある
聴覚的に過敏
●パーソナリティ傾向
持ち前の知性(そう書いてあったの!)で関わりを調整できているところと、感情にダイレクトで関わるところのムラが激しい
常識的な対応や寛容さがうかがえるが、一方で他人に責任や問題解決を求める傾向もある
割と納得できる内容だった ASDもADHDも持ってるだろうなと思ってたのでショックは特にない
処理速度が遅いとか、ギャップがどうこうとかは考えたことなかったけどなんか納得
他責癖は自覚あってかなり制御してるつもりだったんだけど、心理士いわく、寛容さがあるがゆえに不意に飛び出す他責が反感を買いやすいらしい
視覚的に問題のあるゲームはレーティングあるけど、誰でもクリア出来ないゲームとか、精神的苦痛を感じるゲームもレーティング設けるべきだと思うわ。
辛口のカレーが本当に辛くて食べれないほどだったら返品するでしょ。それと同じで世界樹とかダクソとかクリア出来なかったら返品出来て良いと思うんだよ。
未だにゲーム業界は難しい=面白いってのを勘違いしすぎだと思うんだよ。なぜSTGが弾幕になって絶滅したか本質を理解してないんだよな。
ストーリーもさ、残酷なほど面白いみたいな勘違い多くて、仲間同士で殺し合うゲームとか精神的苦痛を感じる物も返品出来て良いと思うんだ。
やっぱ商品である以上、誰でもクリア出来ないレベルの難しさとか残酷さをウリにするのは甘えだと思うんだ。
商業がこんなんだからさ、フリゲー界隈も真似する作者が多すぎるんですわ。
未だに世界樹とかマドカみたいなゲーム出て来てアホか!って思っちゃいますけどね。
スクエニでさえも未だにヴァルキリープロファイルみたいなゲーム作ってるからな。てめえの顔も見飽きたぜ
いずれ技術が発展すればSNSのミュート機能みたいに、自分が嫌いな要素を予めブラックリストに入れておけば視覚はメガネやコンタクトレンズ、聴覚はイヤホンや耳栓でフィルタリングできる様になるのだろう。
もっと技術が発展すれば嗅覚や味覚のフィルタリングも可能なのかも。
なにせ最近の世の中は自分を不快にさせる存在を無くそうって人が多数派だ。
不快だと叫ぶ人とと不快だと叫ぶ人の存在が不快だと叫ぶ人が、SNSで日々やり合っている。
実際SNSのミュートやブロック機能は不快なものを無くすよりも、不快なものを見ないようにする方が楽だからそちらを実装しているのだと思う。
現実にもミュートやブロックが可能になれば、ストレスが軽減されて生きやすくなる人は多そうだとは思う。
でも現実でもミュートが可能になったら、色々弊害がありそうな気もするんだよな。
たとえばホームレスを視界に入れたくないって人が「路上で寝てる人」をミュートしたら、怪我や病気で倒れてる人に気づかなくなったりするんじゃないだろうか?
血を見るのが苦手な人が血の色をミュートしたら、痛みが少ない自分の出血(アレルギーが原因の鼻血とか)に気づかないみたいな事も起こり得るんじゃないだろうか?
死体なんて誰だって見るのは嫌だけど、死体をミュートしてたら通り魔に出くわすまで危険に気付けないって事になりかねないのでは?
と今のところ現実には存在しない技術について、勝手に心配になったりしてしまう。
まあ目下の俺の課題は、冷蔵庫の奥になっていて賞味期限が切れるまで気づかなかった卵をどう消費するかなんだよな。
卵の食べ過ぎにならないように、小分けにして冷凍すればなんとかなるのかなぁ。
理由 ほとんど殺人的な意図と手段を用いて人の視覚の存在する場所に何らかの美しいものを出現させる装置をお前が保有していて作動させていることに間違いがないから。
手段: ヒトの大脳の表面に麻酔をうち、何らかの無線通信指令装置を用いて、その場所に映像を出現させる。
具体的実施例日時 内容
令和5年7月15日 柴崎克敏が間違えて殺してしまったというバクサイSNSを介した極めて強烈な夢。
令和6年2月24日午前9時57分 女性が上から押さえつけて首を絞める夢。 縁側で老人が咳をしている。
令和6年3月30日午後4時30分 ずんだ朋美が暴れていて、ずんだが面白いことを言うと、30代の若者の髪の毛が爆発して生えるという奇怪な映像
上記の問いをChatGPTで問いかけると次のように答えが出た。
↓
IMAXシアターでIMAX用に撮影されていない映画を上映する理由はいくつかあります。
映画館の体験の向上: IMAXシアターは、通常のシアターよりも大画面や高品質な音響システムを備えています。そのため、普通の映画でも、IMAXで上映されることでより没入感のある体験を提供することができます。
ビジュアルの向上: IMAXシアターの大画面は、通常の映画よりも視覚的な効果を強調します。したがって、IMAXシアターで通常の映画を上映することで、観客はより広い視野で映画を楽しむことができます。
音響の向上: IMAXシアターは、優れた音響システムを備えています。これにより、通常の映画でもより迫力のある音響体験を提供することが可能です。
映画の特別なイベント: 特定の映画がIMAXで撮影されていなくても、それをIMAXシアターで上映することで、特別なイベントやプレミアムな体験として位置付けることができます。これにより、観客に新しい視覚的および音響的な体験を提供することができます。
IMAXシアターでIMAX用に撮影されていない映画を上映することは、映画鑑賞の新たな魅力を提供し、観客により豊かな体験を提供することができる方法です。
だって!!
特別な条件で鑑賞が出来る作品をこんな理由で除外されるなんてひどすぎる。
そうは思いませんか??
実は装置を用いて自分の子供を操作しようとしているから、このかたちのなかであるようにみせるように時間単位で行動すると、たかとしが困って、声をかけてくる
要するにそういったシステムが存在することはネタバレもしないし、関係者の行動としては、そのシステムの電波を乱されると必死になるという事実しかない。
挙句の果てに説明に困窮すると真犯人ではなく、美帆のような弱そうな人が犠牲になりましたという表現をして、真の巨悪の居場所等を視覚からそらし正当化に邁進する。
H30.6.26に殺された稲泉健一、 顔面に拳銃を撃ち込まれた中村信一、 延岡警察署の(た)1534に乗車している者等が巨悪であることは頭にあるが説明は出来ない。
それが商売の人はするんだろうけど、一般的にはどーなのかなーって
abemaかなんかで中身がおっさんかもしれないって番宣?CM?があったけど、よくよく考えると何も変わらないんじゃないかなって
化粧してキレイな人も日常生活でキレイなままいるのは無理だろうし、要は外向けでしょ
じゃ、外側にいる自分にとっては何も変わらなくない?
多分散々Vtuberの時に議論されたことだとは思うんだけど、アニメ絵興味なかったから疎いんだよね
流れとか着地点とか、教えてくれる優しい人がいたら教えて欲しい
リアルが大切っていうけど、化粧した姿はリアルなの?もうわかんないや
五感について考え直す機会があった。ちょっと語らせてほしい。気に障る箇所があったら申し訳ない。
五感というのは、いわゆる味覚、嗅覚、触覚、◇、聴覚の5つである。第六感とか、セブンセンシズとか、阿頼耶識みたいな特殊なものは含まない。
子どもの頃から気になっていた。一部の感覚がおかしいのではないかと。増田民やブクマカの皆様から見てもそうかもしれない。
ひとつずつ、エピソードを交えて話していく。一応、マジで悩んでいる。
鋭くはない。むしろ鈍いと思う。グラタンとかカレーとかケーキとか食べても、となりで食べてる仲間ほどには感動できない。味を感じないのだ。名店にある各メニューを食しても、味の感覚がボヤっとしている。
塩味やアルコール味には敏感である。例えば、先日居酒屋で鯛納豆(鯛の切り身+ひきわり納豆+醤油)というのを食べたのだが、正直無理だった。鯛は美味かったが、納豆と醤油の塩味がダメで残した。
同じく日本酒も飲めない。味が濃すぎて、喉に入る時にオエっとなる。同じ理由で焼酎もウイスキーもブランデーもダメだ。水や炭酸で割れば何とか飲める。
ダントツで一番弱い。小学校の頃だった。妹と一緒に家に帰って、台所に入ると父が鍋でカレーを煮ていた。鍋には蓋がしてあった。妹は、「カレーおいしそうー!」と言ってた。
でも、私にはわからなかった。鼻で嗅いでも、ニオイが伝わってこない。どうしても感じなかった。皿の上にカレーが乗って、鼻を近づけたら何とかわかる。
こんな具合で、自転車通勤中にバキュームカーが汲み取り作業をしていても、汗だくの職場仲間が傍を通っても、山手線の駅構内で女子高生が下水の臭いにオエっとなっていても、私は何も感じることができない。雨の山中で半日ほど履いたソックスでも、鼻を近づけて「ちょっと不快」という程度である。
原始時代に生まれていたら詰んでいた。こんな嗅覚では狩猟や戦争などできそうにない。黄金聖闘士(ゴールドセイント)のおとめ座のシャカに天舞宝輪を食らっても、さしあたり何の影響もない。あの技で最初に奪われる第一感は、たしか触覚だったっけ?
特に感想はない。しいて言えば、40を過ぎた今でも握力が65kgある。子どもの頃から剣道をしていて、握力や腕力のトレーニングに余念がなかった。
じゃあ何? みたいなレベルだが、こればかりは普通だと思う。とはいえ、触覚の敏感さが普通なのかそうでないのか、他者のクオリアを感じることができない以上は意味がない問いである。
視力はいい方だ。子どもの頃からずっと2.0ある。今は土木仕事をしているが、パソコン仕事もする職種である。家でも休日にPCゲームをプレイする。遅まきながらに『グノーシア』にハマっている。
1日に最低6時間はパソコンモニターを見ていることになるが、それでも視力は落ちない。50才近くになったら老眼とかになって、間近を見ることができなくなるらしい。どんな感覚なんだろうな。
これもおかしい。他人の話を聞いていて、聞けているはずなのに理解していないということがある。なんというか、話の中の特定箇所の記憶がないのだ。ブツッと途切れるというか。こんな性だから、英語のリスニングテストはひどい有様だった。職場での意思疎通もフツーに難儀している。
アニメや映画を視聴している時もそうだ。せっかく楽しんで見ているのに、ある場面でブチっと理解の糸が切れて、何度も何度も10秒戻しのボタンを押すことになる。なんでこんなことになるのだろうか。イラっとするが、自分ではどうしようもない……。
いろいろ語りはしたが、増田民やブクマカの意見を聞くために当日記を書いた。
漫画編集者が具体的に何するか知らんけど、こういう分野って自分のポートフォリオを持っていないとキツそうですね。
テック関係だったら、Githubで書いたコード公開して見てもらったり、オープンソースプロジェクトへのコミットを視覚化というやり方があるんだろうけど。
いや、「絵は施工回数を重ねて初めて能力が開花する」ってのはまあ、そうなんですよ。
幼少期に基礎が仕上がっている人なんて例外中の例外で、大多数は平面的で歪な線を引き続けるところから始まります。適性の差こそあれ、10年20年、たゆまず死ぬほど描き続ければ、大体の人が最低限「正しい絵」を描けるようになるでしょう。
ただね、絵ウマ自認の人がのたまう「努力さえすれば誰でも」という欺瞞には我慢ならんのです。
絵を描くには最低限、正確に線と空間を視覚で入力し、それを頭で解釈し手で出力する作業が必要です。
ネットのオタクが大好きな『ケーキの切れない非行少年たち』を読めばわかりますけど、それらの作業を実行するために必要な能力が先天的に欠けている人って確実にいるんですよ。
いつまで経っても幼稚園児みたいな絵しか描けない人がいることはpixivヘビーユーザーの絵描きが一番よく知ってることでしょ。
彼らが寝食を惜しんで講座受講とデッサンと教則本模写とオリジナル絵作成を並行して行ったとして、上手くなると思います? というか、彼らにできると思います?
そういう人の存在を無視して努力論を語るのはすげー残酷なことですよ。俺だっていつか……と夢見ながら描きまくって、成果が出なければ努力が足りなかったことにされるんです。こんな辛いことってないですよ。
努力論を語りたい絵描きはまず、人は各々のスペックによってスタートラインに絶望的な格差があることを認め、「誰でも」という欺瞞を引っ込めて「やってみなければ適性の有無ははかれない」とでもすべきです。
こと努力の話になると「俺ができたのだからお前らもできるはずだ」と想像力の欠落した根性論を言い始める絵描きが多く、なんとも暗澹たる気分にさせられます。
自慢を兼ねた激励のつもりでしょうが、才能がない人を追い詰めかねないですよ、それ。
あなたは自分が指から血が出るほど小説や詩を書きまくったとして、プロ級の腕前になれると思いますか。思わないとしたら、それはなぜですか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/chumatsu/n/nf7465e239c20
このnoteのエントリー自体は個人の感想なので特段言及するつもりはないんだけど、久々にはてブにFF16の話題が上がってたので思わず書きたくなった。
ちなみに私自身はFFシリーズと同い年、11と14も含めてすべてプレイ済み。
さすがにスクエニの大作ということもあり、発売前後はメディアによるレビューもにぎわった。
FF16がリリースされて1年近く経ち、ユーザーの評価も一通り出た感はある。
『ストーリーが浅い』
一理無いとも言えない。
が、私としてはほとんどのレビューや評価において欠けている要素があると感じる。
それはサウンドトラックに関する言及である。FF16は音楽ありき。
とても良いなんてレベルではなく、FF16は音楽がセットとなって評価されてこそ初めてトータルの評価ができると思っている。
思うに、音楽に言及されずに評価されるFF16なんてオペラなのに音楽について語られないも同然。
個人的にはFF16の評価のうち3割は音楽が占めているといってもいいくらい。
ゲームにおける音楽は空気、雰囲気を表現する手段としていまだに最重要要素と思っている。
グラフィックス技術の発達によって視覚情報は情報量がかなり増えたが、
ゲームにおいてディスプレイを超えてプレイヤーが存在している現実空間に直接干渉してくる要素は、いまだに音楽だけなのです。
まぁ私は長いこと音楽をやっているので、平均よりは音楽を過大評価しているかもしれない。
でも、もともとFFはコンポーザー植松伸夫時代から、ほかのゲームと比較しても音楽が評価されてきたことを考えると
音楽の重要性は高いと思いませんか?(デベロッパーにとっても重大事だったと思う)
FF16におけるゲームとの一体感や没入感、プレイ体験への寄与度は桁違いで
今でも名曲が多いとされている植松伸夫時代(ハードウェアの限界もあった)を超えて、ゲーム音楽の一つの到達点だとさえ感じている。
だからこそ、ゲーム音楽コンサートは数あれどこんなユーザー参加型イベントが成立するなんてFFくらいじゃん。
https://www.jp.square-enix.com/music/sem/page/brabraff/portal/
ことFF16はやっぱりサウンドトラックをおまけとしてはとらえたくないんだよな。
浅い!そんなザマでは辿り着けんぞ。
なぜ、以前は動いていた心が、動かなくなったか問え!
パタパタと春風に煽られ、旗がはためいている。はて、旗が揺れているのか?風が揺れているのか?
シナプスとシナプスの繋がりを発見しろ。前頭葉と海馬の繋がりを発見しろ。腸と脳の繋がりを発見しろ。視覚とお前の繋がりを発見しろ。世界の全ての繋がりを発見しろ。
あなたは過去を振り返って、昔の自分が熱心にしたことを笑ってはならない。それは間違いなく、一人の人間にとって真実であったからだ。あなたはそこから学び取れる。
旅は長く道程は困難だろう。然れども歩まぬならお前は干からびて死ぬ。
自分を知ることは実験の連続だ。終わりはない。知ることこそ手段にして目的なのだ。
幸運を祈る。
次の文章は、延岡消防長の永谷正男による『人間の規格をしたかたちだけのデザイン科学による時代』 という本の一節である。 これを読んで後の問いに答えよ。
問1 下線部(ア)「デザインとは人間の視覚を利用した、そこに社会的意味を持たせる、一種のくわだて、たくらみである」 とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
問2 傍線部(イ)「過去の経緯に比較し、実際には、何の価値もなく、犯罪者がいなければ、およそ魅力は出ない」とあるが、どういうことか、分かりやすく説明せよ。
問3 傍線部(ウ)「現実には、日本人の見た目への劣等感につけこんだ視覚的な詐欺命令であり、極めて悪質である」とあるが、どういうことか、分かりやすく説明せよ。
問4 傍線部(エ)「そもそも、存在していない、あるときにしか、構成され、意匠されない」とあるが、どういうことか、100文字以内で分かりやすく説明せよ。なお、採点に当たっては、
ア ジサツ イ ボウキャク ウ シュンジュン
分析ツールを作って、様々な凝った統計情報を表示したいと思ったことはないだろうか。
ロジスティック回帰でモデリングして係数表示をしたり、決定木を視覚化したり、相関の行列をヒートマップで表示したりと、いろいろなことができる。
しかしいざツールを作ってみると、「そんな分析は必要ない」と叱責されてしまうのである。これは一体どういうことなのか。
それは開発に近い人の考える「分析」とビジネスに近いところにいる人の「分析」が、メンタルモデルからして全然違うのである。
ドメインに近いところにいる人たちは、もっと基本的な統計を要求するだろう。
収益の推移だったり、アイテムが特定の属性のユーザーにクリックされる確率だったり、特定の条件に合致するアイテムの単価の分布だったりと、そういうものだ。
開発者がやるべきことは、csvファイルをアイテムに対する特定の検索条件・グルーピング条件などで出力してダウンロードさせることだ。