はてなキーワード: 酸素とは
【要約】
・母が咳と微熱で受診して血中酸素測られてコロナじゃないと判定される
(軽症の人だと血中酸素では異常が出ない場合がある by google)
・頼んでも居ない解熱剤や咳止めをたくさん出される
・PCRは市町村ごとに検査可能枠が決まっていて、週に2,3日程度しか行わない
⇒コロナにかかるのは仕方なく、今更感染を止める施策も遅いから普通に生活させて、重傷者だけ拾う方針?
⇒多分、収容施設とか医療体制とかが足りなくなる未来が見えているから、軽症者は勝手に治って免疫もらってくれって方針?
数日前、母が時々咳き込み始めた。
そして昨日、体温を測ったら微熱があった。
母は複数の人と会う職業をしているため、コロナになる危険性はいくらでもある。
こどおじの私も、都内に週2日程度仕事に向かっているので、どこでコロナ患者と接触しているかわからない。
最寄りの医院は「発熱患者お断り」とのことで、発熱患者を受け入れる大きめの病院へ向かった。
大きめの病院で10人ほど待って出てきたのは初老のお医者さんだったらしい。
その医師のコロナ対策はマスク1枚で、母は「こんな軽い装備なのか」と驚いたそうだ。
軽い咳と微熱だけということもあったのだろうが、聴診器も当てられずに血中酸素を図って問題が無いとのことで終了。
「軽い症状の段階で来られたことはすばらしい」
「PCR検査は、市町村ごとに枠が決まっていて、各市で週2,3日、1日10枠くらいしかできないから大変」
「症状が治ったら仕事いっていい」
近くの薬局で処方箋を提出すると、抗生物質の他に咳止めや解熱剤をたくさん出された。
少ない枠を待ってPCRに行くのが大変なので、うちの母はその分長めに静養することにした。
だが、体制的には明日から会社に行っても何ら問題にはされない。
後で問題になっても、「医療機関で陰性と判断されていた」という話になるのだろう。
医療に詳しくないからよくわからないけど、多分コロナが広まる前提で動いているのではないかなぁと思った。
コロナは実際には発表されている数字以上にずっと広まっていて、軽症者まで全員隔離するとパンクするから放置するしかない。
それにしても、解熱剤と咳止めは助かるけど、コロナ患者が誤魔化して出勤する手助けに見えなくもない。
もちろん、非コロナ患者であれば勘違いされて辛い目に合わずにすむから必要とも言えるけどさ。
この体制が悪いとかお医者さんを悪く言うつもりは全く無く、現実に驚いたよ、という話。
コロナなんて自分に大変影響のある話なのに、正しい現在の状態が全く入ってこない。
日本の感染者数が少ないのは、単純にPCR検査枠が少なくて、お医者さんがパンクしないように上手に調整しているから。
「そんなの前からわかってたでしょ」
と言われると、「その可能性も十分あるだろうけど、実際はわかんねえな専門家じゃねえし」と思っていた自分が身近に証拠らしきものを見つけて実感して驚いた、って感じです。
まぁ、埼京線も乗車率100%を毎朝しっかり超えているし、そりゃかかるよね。
ムダに怯えているだけなら教えて下さい。
人混みの中でぶつかる、ぶつかってくる、避ける、避けない、避けろやという話が微妙に盛り上がっているが、俺は人を回避しながら歩く事自体が結構好きだ。
前から来るおばちゃん、その後ろに居るスマホを見ながら歩く姉ちゃん、イヤホンから音漏れしまくりの兄ちゃん、めっちゃ早足で斜め移動してるおっさん、杖ついてる婆さん、酸素ボンベ的なのが入ったカートを推してる爺さん、人混みの中には色んな人が居る。
それぞれ歩くスピードも、移動しようとする向きも、周囲への注意力もバラバラだ。
それらを回避しつつ進むのは意外なほど難しい。
特に駅の構内や繁華街の地下道などは狭い上に進行方向が限定されやすい為に人が密集しやすく、ぶつかりやすい場所だ。
そういうところで可能な限り人にぶつからずに進むという行為は、なかなかの遊戯性を持っている。
上手いこと避けながら進めると割と楽しい。
偶にだがこういった人を避ける勘がやたら冴え渡る時もある。
「見える、見えるぞ! 敵かどうかは知らんがおっさんやおばちゃんが進むルートが見える!」となるのだ。
調子が良い時は、爺さんが息切れして立ち止まるタイミングさえも完全に読める。
スマホをガン見してて前を全く見てない姉ちゃんも、「俺は絶対避けないぞ」と謎の決意をしてるっぽいおっさんも、俺の進路を阻む事はできない。
誰も俺を止められない! もはや気分はマラドーナだ!
伝説の五人抜きの実況が脳裏に蘇り、万能感が俺を包む。そして――
大抵こういう時は柱とか壁にぶつかるのだ。
人の動きが読めるもんだからそっちにばかり注意が行って、人以外の物への注意が散漫になりがちなのだ。
まだ壁なら良いが、車にぶつかったり犬や猫を踏んづけたりすると大変な事になる。
みんなも気分だけマラドーナには気をつけよう。
年末調整とか、部屋の掃除や備品の購入とか、夕ご飯を食べるとか、仕事の調べ物とか、いろいろやることはあるが、
YouTubeとTwitterとまとめとしたらばと、更新してもこれ以上最新の情報がなくて、仕方なくYouTubeでおすすめの動画を見た。
愛の物語なんだよってのを見て、そういえばそんな風にイノセントな時代もあったなとふんわりした気持ちになって。
平日も土日も誰とも話さないのもあって自分を振り返る機会がないから、壊れたままになっていた。
こうやって書かないと本当に自分の気持ちとか言葉にすることがないから、自分のために書いている。
平日も土日も誰とも話さないってすごいな。
メンタルケアとして風俗をヘビーユーズしてたが、性欲とか抜きにして人と話さないとさすがに壊れるわ。
とりあえずは、こうやって書けたことで、酸欠だった脳に酸素が行くように、人間であることを取り戻した感があるから、夕飯食べるところからやろう。
人間関係を増やす努力をしてないから、縁は細くなって千切れそうになる一方だけれど、どうしたものかね。
何人か仲の良い人を家に呼べるような人間になりたいな。
興味本位でアンガーマネジメントの本を手に取った。
自分の怒りを制御しようというのが、「アンガーマネジメント」だ。
怒るのを禁じるのではなく、むやみやたらに当たり散らすのはやめましょう、という趣旨だ。
怒りをライターの火に例えて、物が燃えるのは、ガスと火花が必要だと言う。
そもそも酸素が必要じゃないかとモヤモヤしたが、それは流した。
とりあえず、きっかけと普段の鬱屈が合わさって、怒りの炎が燃え上がるのだ。
なるほど?
12問の質問に答えるもので、まず回答させたあと、点数を振り直させる。
ページをめくった先に、点数づけをしろと書いてたから、先んじて点数づけもできない。回答の時点で点数振れば2度も考える必要がないのに。
そして、点数が高いというより、2問の合計点数が高いものが当てはまってると言われる。
どちらかというとYES、どちらかというとNOでも、4点と3点だったためか、全部似たり寄ったりの点数になって、6項目のうち3項目同じ点で高かった。
タイプ別詳細は別ページにあるという。
複雑な気持ちになりながら、そのページに移った。
詳細説明のページをめくると、あなたは迷惑な人です!と書かれていた
カチンときている私がいた
朝6:30起床、パンをチンして口に突っ込んで、弁当を10分で作り、歯磨きして着替えてゴミ出して出勤
電車では寝てる
仕事を定時でダッシュして帰宅して、19時。買い物して帰ったらもっと遅い
家族の夕飯を作り、洗濯機を回し、皿を洗って、風呂をやって家族に入らせ、日によってはアイロン掛ける、洗濯物畳む、翌日に出すゴミをまとめる
これで早く終わって21時
汗をかくので風呂に入る
スムーズにいってこの時間。名もなき家事や買い物が発生した場合は24時。
時間がない。積んでる本も読めないし、据え置きのBoWやりたいけど、時間なさすぎでできない
土日は土日で、でてきた不要品をメルカリで売る手はず、通院、美容院、こたつとか出す、あれこれあれこれしていると終わる。あと平日寝られない分寝てる
いやもうほんとさ、隙間時間ガーとかいうけど、移動は車だし、英語の勉強とかも隙間で出来る勉強と出来ない勉強があるわけよ
たとえば長文読んで書き写して聞き取りチェックするとか、家じゃないと無理だし
削るのは睡眠しかないので削ってきたが、睡眠は8時間とりましょう!とかいやもう無理だわ
これ、子供がいなくてこれだから世の中の共稼ぎの子持の奥さん達ほんとすごいわ
コロナのおかげで化粧しなくてよくなったので時間が少し浮くようになった
あとはアイロン掛けるのがしんどすぎるからワイシャツとかの文化なくならんかな
旦那がブルーカラーの友達は毎日大量に洗濯物が出るからそれもそれで時間かかるそうだ
はー
我が家では悪いなとは思いつつも彼が入った湯船に入りません。
最近までは洗剤で洗うんだしすすぎは水道水だし…と風呂の残り湯で洗濯していましたが、洗濯したにも関わらず薄めた小便のにおいやたまに薄くどくだみのようなにおいがするため、やめました。
彼の衣服は単独で洗っていますが、メーカーの指定通りににおいが気になる場合の分量で洗いを15分、酸素系漂白剤を試す、クエン酸やセスキ炭酸ソーダなど試しましたがあまり効果はなく。
洗濯したての服や週に三回洗うこともある寝具から、漂白剤を使って洗濯をしても濡れた外飼いの犬のにおいがするのでほとほとうんざりさせられます。
なぜ一緒に暮らすまで気づかなかったのかというと、彼はこまめにデオドラント効果のある汗拭きシートで手入れをしていたから外で一緒にいるときには汗をかいたらにおったりもするのは仕方ないよね、程度と思い込むミスを犯しました。
庶民に一冊の本も届かない時代にそれらを習得する(させる)には宗教システムを使うのが手っ取り早い。近代化で次々と宗教のバグが見つかり人類は宗教に絶望し緩やかに捨てた。
廉価大量の製紙技術は情報増大をもたらし宗教に頼らず個の判断で生きることも可能になった。
ネット時代に入り、さらなる情報過多は個人の知を向上させず混乱を招いた。
人類は他己による
の基準を求め始めた。
集合知、民主的な意思決定。欠点は無い。SNS同調はロジカルな収束だ。
特に推論は過去の知識と経験と言語と感情、様々な脳機能を組み合わせる必要があり、
右脳左脳脳幹前頭葉すべての部位で大量の酸素と糖が消費される。
これは人体にとってはコストパフォーマンスの悪い活動である。
丸太を右から左に移動させる単純作業ではエネルギーは筋肉で消費されるが、本来ヒトを含む動物はこういった活動に最適化されている。エネルギー効率から見るとコストパフォーマンスが高い活動といえる。
片付けして身綺麗にしましょう
今後は、
やがて離合集散の時代を経て勝者いくつかのグループにまとまるだろう。
この動きはすでに始まっている。天皇信奉するネトウヨなどもそれ。
古くからネットやっている人間に言わせりゃンな事ナニを今更だろう。
ネット勃興時代からすでに指摘されており、2ちゃんねるでも散々テーマになった。
他人の感情を集めて煮詰めるには、調理と鍋と料理人が必要であり
例え調理人になれなくても、諦めて無自覚な具材になるよりマシだ。
そうだそうだ、久しぶりに筒井の「朝のガスパール」を読み直そう。
(筒井は30年前にこうなることをあっさり見破っていた)
植物を植えても大気中のCO2(二酸化炭素)は減少しないという説がある。植物は光合成により大気中のCO2を吸収して成長するが、成長が止まればそれ以上にCO2を吸収することはない。そして、植物が枯れたら微生物により分解されて植物を構成する有機物はCO2に分解されて大気中へと排出されることになる。植物は枯れるまでの間は炭素原子を有機物として蓄えているが、枯れた後は微生物により分解されて大気中へとCO2が排出されるので、大気中のCO2総量に変化は生じないということだ。
マクロな観点でも同様なことが言えるだろう。人の手が加わっていない森林は植物が成長したり枯れたりと新陳代謝をしているが、森林が拡大・縮小している訳でなければCO2の吸収量と排出量は等しいので、大気中のCO2濃度に変化を及ぼすことはない。森林を直接ないしは映像で見ると、森林を構成する木や草が大気中のCO2を吸収しO2を排出しているかのように錯覚するが、それは間違いであると理解できるはずだ。
仮に人類が伐採してきた地球上の森林を植樹により全て元に戻すことができたとしても、大気中から吸収できるCO2は、伐採した木材資源の燃焼により排出した分だけである。石油や天然ガスに代表される化石燃料の燃焼によって排出した分のCO2まで吸収することはできないので、大気中のCO2濃度は人類が化石燃料を使用する以前の値まで減らすことは不可能である。
そこで私が提言するのはタイトルの通り木炭を作って埋めることである。CO2を樹木に吸収させることはこれまで人類が行ってきた植樹による環境活動と同様だが、その上に成長した木を伐採して木炭を作ることが既存の植樹活動とは異なる。生成された木炭を燃焼してCO2を排出したら本末転倒なので、木炭は地中に埋めるものとした。植樹した木から木炭を生成して埋設するまでの過程を仮に【木炭埋設法】と呼ぼう。この【木炭埋設法】を繰り返すことにより、理論的には下記の化学反応式の通りに、大気中のCO2は木炭のC(炭素)とO2(酸素)へと分解されることになる。厳密には光合成による反応式と炭化による反応式で説明すべきだが、本質ではないので簡略に述べた(単に著者が詳しくないだけでもある)。
CO2 → C + O2
もちろん木炭を生成するには何らかの熱エネルギーが必要となるので、ここに石油や天然ガスを使用することもまた本末転倒となる。燃料としても植樹によって育成した木を用いるか、電気炉(当然、化石燃料を用いない発電による電力が望ましい)を使用するなどの工夫が必要となる。いずれの方法をとろうとも、最終的には生成した木炭を埋設することになる。
これには様々な反対意見が考えられる。燃料として使用可能な物を埋めるだけなのはもったいないだの、経済的な生産性がゼロもしくはマイナスで不合理だのといった意見があるだろう。環境問題は年単位の短期間で解決できるものではないし経済的合理性を持っているわけでもないから、長期的な観点から問題を解決する視点を養う科学リテラシー教育が必須となるだろう。大気中のCO2削減という大きな問題を解決するには、せいぜい百年程度しかない人間の寿命はあまりにも短いからだ。【木炭埋設法】で埋設した木炭は、石油や天然ガスが枯渇した将来の人類に残す資源だと考えれば投資活動と解釈できるので、長期的な視点で見れば経済的合理性を持つともいえるだろう。
国家でもNGOでも企業でも、CO2排出を削減する為に様々な提言・活動を行ってきたことだろう。植樹以外だと、石油や天然ガスの消費量を削減することや、原子力・水力・風力・太陽光などの代替エネルギーの利用を推進することだったりする。それらの営みはCO2排出削減に大きく寄与してきたことだろう。しかしながら、排出するCO2を削減することはできても、大気中に存在するCO2を削減することにはならないのである。昨年話題になったグレタ・トゥンベリ氏にしても、演説で怒りの表情を露にして世代間対立を煽るという既存の環境活動にない斬新なものだったが、演説以外での活動内容はといえば既存のCO2排出削減の枠組みを超えるものではなかった。
しかし【木炭埋設法】は違う。CO2排出量を削減するだけで、大気中のCO2を削減するという根本的な解決を後伸ばしにしたり無視する様な、これまで人類が行ってきた消極的な環境対策とは大きく異なる。大気中のCO2を減らすという積極的な環境対策のみならず、将来の人類の為に木炭資源を投資するという長期的な経済活動をも含有している。残念ながら短期的な観点では利益を残すどころが損失しか生まない活動なので、企業ではなく国家やNGOによる積極的な賛同を得ることが望ましいところだ。そのための礎として、単に植樹をするだけでは大気中のCO2を削減することにはならないことと、【木炭埋設法】こそが真のCO2削減になるという知識を、これを読んだ皆さん一人一人に伝われば幸いである。
口呼吸良くないって
つまり健康を保つためには「鼻呼吸」という身体の使い方をしなくてはならないわけだ。
鼻から吸って鼻から出すのだ。鼻から吸った空気は鼻腔を通ることで、異物が除去され清浄となり、暖められ、湿っている。
上鼻甲介という脳の近くを通るので脳の冷却も行われる。鼻腔粘膜の異物除去作用を侮ってはいけない。
http://www.niigatah.johas.go.jp/about/archives/2015-08.html
私、喉がいがらっぽいときやなまつば貯まったとき、絶対化粧室までいくもん。
身体に空気(酸素)を取り込む時に、ウィルスを予防しようって意味なら
網戸に隙間があると蚊が入ってくるのと同じ……。