はてなキーワード: 進学校とは
先日、高校の頃からの友人と食事をする機会があった。彼は体育会に所属する学生で高校の頃は優秀だったが大学では知への放棄をしてしまった残念な人である。その彼から珍しく食事を、ということだったので楽しみにしながらその日を待っていた。
と、ひとしきりお互いの近況報告が終わったあと彼は言った。彼は体育会に所属しているが、うちの大学にセミプロは存在しない。当然、彼の大学にも純然たるセミプロは存在しない。彼の疑問点はここにある。セミプロの場合、その体育会はひたすら勝つことを目的に活動すればいい。つまり、早慶に代表されるセミプロ集団に属する人間は(例えば野球部ならば)チームとしての実績を積み、その中で個人としてレギュラーの座を射止め活躍することにより、ドラフトで指名され晴れてプロ集団の仲間入りすることが目標であり同時に目的化される。つまり、常に就職活動をしているようなものなのである。しかし彼は違う。
彼は週に5~6日活動し、過酷な(ただしセミプロのそれと比べれば実に緩いであろう)練習を積み、筋トレに励み、より良いパフォーマンスができるような身体を作る。彼自身はチームの中では指折りのキープレーヤーである。主将候補筆頭でかつ1年生の時から出場している。彼がよく体育会に加入した理由を聞かれた時に答えていたのは「すぐに試合に出れる自信があったから」であった。とはいえ、彼のスキルは、セミプロも含めた場合、並以下である。彼の個人的なスキルは組織内の比較優位としては高いがとてもじゃないけれどプロにはなれない。
とまぁここまで詳しく語れるお前は何なんだと思った人もいるかもしれないが、それは当然のこと、ぼくは彼と高校の頃に同じ部活に所属していた同期なのである。これはかなり重要な事実であるが、ぼくも同じように比較優位があったので体育会加入はよくよく考えた結果、しなかったのだ。これが正しかったのかは別問題であるけれど。つまり、彼と同じように学部1年の頃、「セミプロ以外の体育会の存在意義」について悩みに悩んだ末に体育会に所属することなく大学生活を送ることを選んだだけの話であるが、体育会には体育会の論理で彼らは仲間にしようと誘ってきた。その話を彼にも同じようにした。セミプロ以外の体育会には最終目標がないじゃないか。
高校球児はみな甲子園を目指す。果たしてこれは本当なのであろうか。ルーキーズの様に、その先に待っているものがなければそれでもいいかもしれない。しかし、現実はそうではない。進学校の高校生は部活をやっていたとしても、当然その中には「受験勉強」を優先する人たちが一定数存在する。当然、受験勉強に精を出した方が、「比較優位」で彼らは部活に人生を注ぐよりもはるかに有益なものになるだろう。
同じように比較優位を考えるとセミプロ以外の場合、体育会に所属してそのスポーツに精を出すよりも、勉強に励んだり留学したり等々のそれ以外の活動に大学生活を費やすほうが有益なものとなるだろう。セミプロは全国から指定推薦などで才能ある選手を集めてくる。しかし旧帝大の様な国立大学はそういうわけにもいかない。受験勉強を勝ち抜いてきた人間が趣味としてスポーツをやるのならばやはり体育会ではなくてサークルでやればいい。ぼくははっきりと言った。
いや、口では「リーグ2部昇格を目標に活動...」とか言っているような奴らだってプロになれるとは思っていない。勝負事に負けることを意識して臨んでいる時点でクズだと言える。あの大学には勝てないな、とか、あの大学には負けるけど他で勝ちを拾おうとか。ではもう正直に、セミプロ以外の体育会に所属しているなら正直に言えばいいのに。
って。それがむしろ潔い。勉強することから逃げ、好奇心のままに自由な大学生活を送ることを犠牲にしてまで手にしたコネクションであり、「運動会」という肩書きなのだから必死になって守ればいい。守るために努力する。その身体を鍛えるのも組織内での評価を上げることととほぼ同義だ。やるなら徹底的にやれ。
「たしかに俺らはセミプロじゃない。けど、やってる以上は勝ちたい。すべて。」
と、彼は少し悲しそうな顔をしながら言った。そんな後ろ向きな努力をしているとは知らなかった。どうせやるなら勝つためにやるのが普通のような気もした。とはいえ就活を意識していないのも嘘ではなさそうだ。彼に限っての話だが。どう考えても好きなことを好きなだけやっているように見えるが組織全体としては違う。
彼らは新歓期に仲間を増やそうとするときに「うちはOBが強いから就職有利だよ」とか見当違いの勧誘をする。まだ大学に入学して数日しか経っていない、明るい未来しか見えていないフレッシュマンに対する誘い文句としてはエゲツないんじゃないか。まるで高校生が同じクラスの女の子を口説く時に、「うちのお父さん年収5,000万だから俺と付き合えば金持ち気分味わえるよ」とか言うようなもので、下品な上に、まるで自分たちの活動には価値がないかのような言い分である。正確に言えば価値がないのだろう。
当然、一つ目の理由は情報の非対称による格差である。簡単に言えば、新入生という情弱を騙して、雰囲気や勢いで仲間に入れてしまうその常套手段のことだ。往々にして体育会に勢いで入ってしまう人間に限って、やめる勇気がない。やめる勇気がないのだからやめられず続ける。そのうちどんどん体育会の論理が身体に染み付いていく。さらにやめられなくなる。そうして、やめようと思ってもサンクな部分に気を取られて続けることを選択してしまう。そして続ける。続ければ成果が出るのは間違いない。事実、運動会は就職に有利なのだ。
二つ目の理由は、これが複雑とも言えるけれど、組織内における優位性だ。高校の頃は公立高校で勉強ができた人間が一流大学に入ったら都内進学校や灘、ラ・サールのようなレベルの人間と勉強というフィールドで戦うことを(本能で?)避けてしまった結果として、自分の得意分野に所属するのというアレだ。体育会の序列は年功序列だが、その中にも実力主義な部分があると聞く。つまり、実力さえあれば試合に出れるし試合に出れれば活躍できてチームに貢献できる。チームに貢献する人間が劣悪な状態にされるはずもなく丁重なもてなしを受ける。それが実力主義な部分である。
しかしこの友人は違う。バンプオブチキンでもなければもしドラでもないが、圧倒的不利な状態で勝ちたいらしい。はて、どんな夢物語を考えているのか。しかし、人の夢を哂うことは許されない。ぼくは真剣に話を聞いていた。
「俺は勝ちたくてやってる。本気でセミプロに勝つための努力をしている。だけど周りはそうは思っていないらしくて温度差がある。練習中にサボっている奴もいる。そいつらにどうやって注意すればいいのかわからない。俺には注意する権利があるのかもわからない。そいつらの体育会の存在意義が俺のそれと違えばサボる自由があるのかもしれないじゃんか。」
間違いなくこういう人間がいる限り、周りからすれば迷惑だろう。なぜか。生きていく上で、本音と建前の使い分けは非常に重要だ。体育会に所属していることだって就職活動のためかもしれないけれど、やはり外受けが良いように「勝つため」と言うしかない。もちろん他の理由がないわけでもない。ぼくが体育会に所属している他の友人になぜ体育会に所属しているのか聞いてみたところ、次のような理由(建前)があった。「(そのスポーツを)本当に好きだから」「精神を鍛えられるから」「高校の先輩がいて逃げられなかった」「新歓でお世話になったから」「先輩がいい人だったから」「同期がいい人だったから」「酒の勢いで」。。。。。。中には建前にすらなっていないものもあるけれどそれはまた別の話だが、彼らがいかに物事を考えていないかがよくわかるような気もした。
しかしそれとはまた別の話である。セミプロ以外の体育会に存在意義はあるのだろうか。ぼくの立場は一貫して「勝てない体育会には存在意義がない。」というものなので、セミプロ以外の体育会には存在意義が一つしかないと思っている。そのスポーツが好きで大学でもやりたいのであればサークルに入ればいい。練習は緩いし拘束時間も少ない。サークルがないのであればクラブチームに入ればいい。野球で言えば、草野球チームだ。高校時代の友人とチームを作ってもいいだろうし、親の会社のチームに参加させてもらうのもいいだろう。
「勝ちたい」のであれば、セミプロに行けばいい。セミプロがない大学の場合は、再受験して早稲田や慶応に行けばいいだけの話である。別に体育会に所属しないからといって精神が鍛えられないわけでもないし高校の先輩がいようが強い意志さえあれば断ることはできる。新歓中にお世話になったからという理由で大学4年間を犠牲にするほど安い期間ではないだろうし、先輩がいい人なのは新歓中はどこに所属している人も自分たちのいいところしか見せないだろう。同期なんて概念を捨てて外に飛び出せばより多くの同世代がいるし酒の勢いってお前は未成年ではないのか?という話だ。
つまり、セミプロ以外の体育会の唯一にして最大の存在意義は「日本の就職活動で有利である」ということだ。要するに就職活動を4年間やっているようなものであって、体育会が就職活動で有利と言われるのはセミプロの存在があっての事であり、セミプロ以外はその恩恵に肖っているだけの存在とも言えるような気がする。
これだけ書いておいて言うがぼくは決して体育会をdisっているわけではない。が、ぼくは個人的にこのぼくが大好きな友人以外で、本当の意味で真剣に「体育会」を全うしている学生を知らないというだけだ。彼のような人が煙たがれるような体育会であればさっさと滅びるべきだしぼくは彼の姿勢に心底尊敬の念を抱いている。
Twitter上にいる体育会の学生をちらほら見るけれど、本質的に描く「体育会」像が違う。勝つつもりがない体育会の連中が一般に言う「意識高い学生」をしている状態に違和感を感じてやまないしそういう奴らをぼくは、体育会におけるフリーライダーと呼びたい。
体育会に所属している人、特にセミプロ以外の体育会に所属している学生はその辺をよく考えた方がいい気がする。人生は有限である。貴重な時間を体育会に費やしているのならば堂々と「就活に有利だからテキトーにやってるわ」と宣言するくらいの図々しさがあってもいいような気もするけれど。
特に大学に入学して3ヶ月ほど体育会でぬくぬくやっているキミへ。強い意志でやっているのではないならば、今すぐやめるべきだ。高学歴な人たちは尚更やめるべきだ。身体を鍛えるついでに頭を鍛えるのではなく、頭を鍛える気分転換程度でスポーツをやった方が楽しめるんじゃないか?
まとまってないけどこんなところで。
高専の先生でさえ「大学受験生はこんなに頑張ってる!」とか言ったり、
翻って見るに、高専の同級生はバイクやバイト、服装の話ばかり。
理系に興味があるのは間違いないけれど、高専じゃない道が気になってしょうがない。
http://anond.hatelabo.jp/20110616153059
を見てね。
まず、高専をやめて高校に入りなおすのは在学年数だけロスしますね。
10代のころの1,2年の遅れなんて30才以上の人間からしてみれば屁みたいなもんですが、
当事者からしてみれば大きなロスに感じるのも無理はありません。
これは時間的に大変!ってネットでも言われますよね。そのとおり。
それでも俺は大学受験するぞおおおお!そんなに頭は悪くないんだああああ!
…といってそのまま4年生になり、大学への編入学を考えるようになるのが9割。
ほんとに3年で高校卒業資格を得て中退していくのが残りじゃないでしょうか?
2.となりの芝生は意外とショボイ?
そもそも大学受験生ってそんなに頑張っているのでしょうか?
例えば神戸大学工学部前期の難易度は代ゼミでセンター得点率でおよそ75パーセント。
そこそこできる受験生が目指す国公立としては申し分ないでしょう。
あなたは高専を目指すくらいですから理数系が得意なんでしょう。
もし多くの同級生と同様に地元中堅公立高校の進学コースに進んだとしてみてください。
進学コースでは当然受験向けに毎日のように小テストを受けて多くの解法や暗記項目をこなしていきます。
大変ですがそれは周りも同じですからできます。あなたと同レベルか、それ以下の同級生がこなしているんです。できないわけがありません。
さて、3年間の努力の結果、あなたは理数科目だけはクラスのトップレベルにいます(全国レベルでは数千人いるうちの一人ですが…)。でも暗記の多い文系科目は相変わらず苦手です。テスト前になんとなく教科書やノートを見直し、テスト後に答え合わせをするだけのレベルです。
というわけでセンターの過去問では数学9割、理科9割、社会7割、英語6割5分、国語は7割という典型的理科系の得点をしてしまいました。
これだと、神戸大学の配点ではどうなるのでしょうか?見てみましょう。
国語 87.5/125
社会 52.5/75
数学 45/50
理科 45/50
英語 49/75
合計 279/375 74.4%
はい、十分挑戦する価値ありです。もちろん実際に神戸大学に挑戦できる受験生なんてそう多くはないのですが、
ピンキリとはいえ高専に合格する頭脳を持ち、しかも大学受験をしたいなんて言い出すあなたです。このシュミレーションを見てたじろいだりはしないでしょう。
国公立は範囲が広い…ってそりゃそのための勉強を3年するんですからそこそここなせて当然です。これをこなせない受験生が実は大半なんです。
そのまま高専に残っても本気で大学受験するにしても後悔しない勉強法を説明します。
それはとにかく数学と英語について大学受験向けの参考書をマスターする事です。行きたい大学があるならそこの赤本も買うといいでしょう。
を読んでください。
医学部と書いてありますが、普遍的な勉強法が書かれてありますので、これを参考にしてください。実際僕もこれで成績を伸ばしました。
僕の高専時代には青チャートをやりたがる連中は多かったです。好みでやればいいですが、黄チャートで十分です。
素人が大学入試の解答を見ると、「そんなテクニック思いつくか!」
となるものが多いですが、黄チャートをやると当たり前の解法であることがわかります。
高専に通いながらだと、効率よくやってもせいぜい1日2~3題でしょう。一通りやるだけで1年半かかると思ってください。
基本書も「高専の数学」で十分。苦手分野があればその分野について「~が面白いほどわかる本」でカバーしましょう。
これだけやれば大学受験は安泰です。2次試験も標準的な良問を出す大学を選びましょう。神戸大学とかの総合系に多いです。
数学ができるかどうかで高学年の専門科目の大変さは倍違います。受験しなくても無駄にはなりません。
まずは高校の標準的な英文法を学びましょう。自分が使ったのは市村憲太郎「シンプル英語構文とイディオム」です。
解説を読んで、簡単に問題を解き、見出しの例文だけを覚えればいいでしょう。後半の熟語集は別の本でやればいいので飛ばします。
これは長期休暇に集中的にやれば2週間でできます。
あとは「速読英単語 必修編」「速読英熟語」を①の通りに音読します。この時点でセンター8割は楽勝です。
さらに「ネクステージ」で文法力を固めて、「英作文のトレーニング-はじめて編-」の前半を読んで英作文のコツを学び
「減点されない英作文」例題と基本構文、単語をマスターすれば、これも大学受験はかなり安泰です。
英作文はz会を利用するかlang-8で英作しまくって格安添削を受けましょう。
大学受験とはいえ「速単」「速熟」「ネクステ」を終えた時点でTOEIC600点は堅いと思います。
僕は「速単」「速熟」をやった後すぐにCASECを受験したところ、TOEIC換算600点の判定が出ました。(TOEIC自体はうけてません><)
話がずれるので言及しませんが、大学受験がこなせないのに実用英語をものにしようとするのは無茶苦茶です。
4.意気込みは良くても
実際、上記の参考書は高専にいても役立つものなんですが、これをこなすのはメンタル的にも時間的にも至難の業です。
結局あなたが大学受験をするにしても、理系に進むなら素直に編入学をすることを勧めます。
工学部以外に行くにしても、はるかに勉強量が少なくて済みます。
「でも、みんなチャラチャラしてるし、なんか焦る!」
そういう人は比べる対象が間違っています。確かに高専でも40人中10位以下の連中は間違いなく頭が悪いか勉強不足です。
ですが上位5位、3位くらいになるとどうですか?この人たちは結構真面目にやっている上にびっくりするような点数を取っていませんか?
はっきり言って普通高校に通っても立派な成績を収める人たちだと思います。
働きアリの話は有名ですが、進学校に通っても大体こういう分布になります。
こういう上位陣をいい意味でライバル視して、他の連中は目指すものが違う人たちと思って頑張ると少し見る世界が変わりますよ。
(いやな奴にはならないでくださいね)
そして勉強に遊びに一生懸命になれれば、後で振り返っても良い5年間になるはずです。
とりあえずこんなところでしょうか?
質問や思いつくところがあればまた追記します。
http://anond.hatelabo.jp/20110525100731の追記
株式会社マイスタンダード(代表取締役 武智建樹)のページのひとつ http://www.geocities.jp/mystandardcojp/link3.html が消えてるのでこちらに記す。「■自由に下記のリンクをご利用ください。」と書いてあったのでいいでしょう。
<a href="http://book.geocities.jp/tyuugaku_zyuken/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://sky.geocities.jp/koukou_zyuken/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://sites.google.com/site/kobetsushidoukyouiku/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://s1.shard.jp/youjikyouiku/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://free-paper.biz/eikaiwa/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://job.sp.land.to/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://mabuchi.soragoto.net/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://sites.google.com/site/goukakutaikenki/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://koukouzyuken.web.fc2.com" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://cramschool.jimdo.com/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://ameblo.jp/shingakunet/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://d.hatena.ne.jp/e-juken/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://nyushitaisaku.blog135.fc2.com/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://kobetu.exblog.jp/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://blog.goo.ne.jp/manabijuku/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://zemi.blog.so-net.ne.jp/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://blog.livedoor.jp/gakuryoku/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://shikentaisaku.cocolog-nifty.com/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://nukiuti-test.jugem.jp" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://hensati-up.seesaa.net/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://jukensei.blogspot.com/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://yaplog.jp/obenkyou/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://plaza.rakuten.co.jp/gakushu/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://kids.ap.teacup.com/kouza/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://study.paslog.jp/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://kaikou.blogtribe.org/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://kyoushitu.at.webry.info/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://kyouiku.7narabe.net" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://fblg.jp/textbook/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://pencil.meblog.biz/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://www4.atword.jp/pta/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://syuusai.dtiblog.com" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://goukaku.osakazine.net/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://moegikai.kyo2.jp/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://narajuku.narasaku.jp/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://hyougojuku.ko-co.jp/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://twitter.com/sitebookmark" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://book.geocities.yahoo.co.jp/gl/tyuugaku_zyuken" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/koukou_zyuken" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://blog.emachi.co.jp/highschool/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://www.kanshin.com/keyword/2630065" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=3069928" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://video.fc2.com/content/%E9%A6%AC%E6%B8%95%E6%95%99%E5%AE%A4%E3%81%A7%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%8C%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B!/201009305rJKYnUy/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://www.youtube.com/watch?v=m_NZTokRyZM" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://peevee.tv/v?7dn3cd" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://vision.chobirich.com/viewvideo.jspx?Movie=48478297/48478297peevee344264.flv" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://movie.ozmall.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48478320/48478320peevee344261.flv" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://www.flipclip.net/clips/a07bf23b4e61d1dfcc7f01c04c314d43" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://www.edipa.com/edipa/remix/watch.action;jsessionid=3C3EBC53886809D7683D9997FC832719?remix=BpIzVLqLUta" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://b.hatena.ne.jp/sitebookmark/" target="blank">馬渕教室</a><br /> <a href="http://bookmarks.yahoo.co.jp/tyuugaku_zyuken " target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://bookmarks.yahoo.co.jp/koukou_zyuken" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://bookmark.fc2.com/search/user/nyushitaisaku" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://clip.nifty.com/users/shikentaisaku" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://bookmark.goo.ne.jp/user/manabijuku" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://clip.livedoor.com/clips/gakuryoku" target="blank">馬渕教室</a>
たとえば
http://sites.google.com/site/goukakutaikenki/koukou/taiken14
と
http://blog-kouju.mabuchi.co.jp/2008/09/200814.html
は馬渕教室の合格体験記が書かれたブログ。同じ趣旨のブログを複数設ける時点で方針がおかしいとは思いますが。
http://sites.google.com/site/goukakutaikenki/koukou/taiken14
『合格発表の日』
今木 ●介君
少し早く着きすぎた。天満橋駅で電車を降りた僕は、プラットホームにいる人々を見てそう思った。…
(中略)
僕にとっての馬渕教室は、屈強で頑丈な「背骨」である。振り返ればそこには馬渕教室での辛さの跡、努力の跡、そしてなにより思い出の跡がある。馬渕教室で得たものは決して実績や偏った知識だけでなく、人間として必要な「背骨」、心の支えだったのだ。
辛い時、苦しい時、自分のまわりを見るといい。そこには「背骨」となってくれる、共に戦う仲間と、最高の先生たちがいるのだから。
と
http://blog-kouju.mabuchi.co.jp/2008/09/200814.html
『合格発表の日』
今木 ●介君
少し早く着きすぎた。天満橋駅で電車を降りた僕は、プラットホームにいる人々を見てそう思った。…
(中略)
僕にとっての馬渕教室は、屈強で頑丈な「背骨」である。振り返ればそこには馬渕教室での辛さの跡、努力の跡、そしてなにより思い出の跡がある。馬渕教室で得たものは決して実績や偏った知識だけでなく、人間として必要な「背骨」、心の支えだったのだ。
辛い時、苦しい時、自分のまわりを見るといい。そこには「背骨」となってくれる、共に戦う仲間と、最高の先生たちがいるのだから。
は全く同じ文章のようです。
吐き出したくなったので、ここに記す。
何時だったろう。
きもい、くさい、死ねと毎日のように言われた。友達と思ってた人から無視された。
廊下ですれ違いざまに嫌がって逃げる女の子。スプレーで消毒されて、自分の椅子の座面がテカテカに光ってた。
何もできない、我慢するだけの行動しない自分。死ねって言われなかった日をラッキーデイだと思って。
誰かが助けてくれると期待して。
でも、自分にとって都合のいい人なんて登場しない。
中学2年生、親にもたまらず訴えたけど、自意識過剰だと言われた。そんなことは一過性のものだって。それでも言うと怒鳴られて殴られた。
その高校は私がいた中学校の生徒も入学する学校で、そのうち同じ状況になった。
そして高校1年生の秋、心が折れた。
もう学校には通えない、これ以上学校に行くと自分が変になると当時は相当の危機感を持っていた。
学校を中退してからは親にも無視されて、会話しない、衣食住の提供だけの日々が続いた。この状況が人によっては恵まれていると思う人もそうでない人もいると思う。
そして何時だったか、大学に入りたいと思うようになった。自由な雰囲気で学生時代を楽しめて喜怒哀楽を共にするような友人に出会うような、そんな生活に憧れるようになった。
そして、運よく大学に入れた。
大学生生活は楽しかった。大学卒業後、就職もできて会社員として働いている。
そんな私も今やアラサーの仲間入り。まだまだ未熟だけれども、それなりに努力している。
行動することが善。
今はそう考えている。高校を辞めたとき、大学受験を決めたとき、就職を決めたとき、会社で仕事するとき。
1億分の1人に同じような状況の人がいるかもしれないで、参考例にしてください。
雑多な文章やけど、酔いが回ってきたのでこの辺で失礼しますわ。吐き出すこともなくなったしww
ほな、さいなら~
俺が中学から高校に進学する時、親の意向にそぐわない学校を希望したら、親に皿を投げつけられたことがある。
はじめは親の希望にも沿った学校を志望してたし、結果としてその学校に進学したから、今となってはもう後悔でしかないんだが、どうも、俺はそこで人生を誤った気がしてならない。あの時、本気で行きたいところに行こうと決めていれば、少しはマシな人生だったかもしれない。
進学したのは地元一番の進学校だった。俺が一時希望したのはその次くらいの高校。進学実績で言えば確かに劣ってたけど、なぜか俺には魅力的にみえた。
まあ正直言って進学云々はどうでもいいんだけど、志望校変える!って言っただけで皿投げられたのは未だに納得いかんね。頭ごなしに否定されちゃあ親への敬意もなくなるってもんよ。そういうこと。
出られなくなるのは環境のせいではなく、その場合親のせいになるんじゃない?
当たり前だが、中学からは成績で順位付けされるし、内申が良くないと近くの公立の進学校へは行けないし。
親が塾に通わせるなりのフォローをして、競争をさせるかさせないかの違い。
そして、それは北海道は関係無いよね。
あと、いじめなんて北海道でもあるでしょ。なかったと思えるのは運がよかったか、知らずに済んだだけ。
俺が通ってた小学校では六年の時にあったなぁ。女子同士の陰湿なやつ。
大学受験を考えた時に、周りとの温度差で感じたけども…。
競争社会に適応するか、ついていけずドロップアウトするか、そもそも競争をしないかなんて
結局は親に拠る所が大半で、どこに住んでいても同じだと思う。
ココ読んでて思ったのだが。605とかね。
まぁ高校は普通に進学校だったし基本的に自由、生徒もまぁ常識的な行動を取ってる感じで。
それで、今になって小中学校のような環境に戻って生活しろ!と言われたら
小学校とかどーなん。
まぁ公立校だから生徒(児童)は本当にピンきりだったのは勿論だけど
それ以上に、2学年に1人くらいは有り得ない教師いるよな?
それが何とも苦しいだろうな、って。
会社なら、まだ「やるべき事」が明確かつ評価・判断基準も合理性が強いから
やっていけるとして、
小学校は
「強引な強権者」に「大声」で「思想・倫理を押し付け」られながら「社会・道徳教育」を施されていく場だ、というのが
非常に耐え難い苦痛になりそうだな?と、ふと思った。
大学(※別に自分のいた所がFランとかではないが)でさえ、「何だか退屈な授業に縛られる苦痛」を感じるというのに。
なんだろうかね。
辛酸を舐めるっつーか。
自分は教師運も悪くなかった(小学校高学年の担任は嫌いだったが)、
んでどっちかっつーと真面目キャラでいたってのもあって
逆に言えば1ミリ運が悪かったら、そういった不遇に見舞われてたかも知れないんだしな。
とにかく、小学校生活怖い。
起業だ起業だといろいろ言う割にサラリーマンになる奴がこれほど多いのはなぜ? 人はなぜツレとつるむの? DQNはなぜ集団でウンコ座りなの? なんでヒキコモリは心を病むの? それは全部同じことで人間が社会的生物だからという答えに帰着する。
チンパンジーの生態を研究していたある学者「そもそも『一匹のチンパンジー』はチンパンジーではない」。「チンパンジー」のチンパンジー性は集団の中でしか見られなくて、一匹だと消えるということらしい。一匹だけ隔離したチンパンジーを観察すると、およそチンパンジーと思えないような行動しか示さないのだそうだ。
ゴリラも、群れの中で非常に複雑な社会をつくることで知られているが、人間・ゴリラ・チンパンジーは、猿の仲間の中でも遺伝子的にきわめて近縁である。人間社会もまた「驚くほど複雑」で、「そもそも『一人の人間』は人間とはいえない」かもしれない。集団の中にいる人間は、ただ一人でいるときと違う「何かの力」を得ることができる。あるサイトに集う人間の数が一定量を超えると、そこに不思議な万能感が漂うこともよく知られている(増田であれ2ちゃんであれ)。
さて、その集団の中には自然発生的に「序列」が生まれるが、これが生まれる理由は集団の生まれる理由と同じと考えるのが自然だ。つまり「集団」の中には、「集団」から得られる「力(あるいは恩恵)」を得やすいポジションとそうでないポジションがあり、そのポジションの奪い合いが「序列」という形で現れることになる、という感じ。たとえば、目に見える敵からじぶんを守ろうと思うと、「最前線」よりは「中心」にいる方が集団の恩恵が得られる。もちろん、だからといってみんなが「最前線」を避け「中心」を奪い合うと、集団は崩壊する。だから、集団を維持するために、たいていの集団は「『最前線』でがんばったものが『中心』にいけるのだ」というシステム(あるいはそういう幻想)をつくることになる。最前線に犠牲だけを強いる集団は遠からず崩壊する。前者は「出世」システムのある会社、後者はいじめの起こっている教室などだ。
3 任意の集団で「トップ」の得るパワーは「最下層」の得られるパワーとはケタ違いである。
同じような目的をもった集団は、複数存在する。従って集団にも序列が生まれる(たとえば「学校」の序列など)。上位集団Aのトップが得るパワーは、下位集団Bのトップが得るパワーより大きく、集団Aの下位が得るパワーは集団Bの下位が得るパワーより大きい。当然ながら、上位集団Aに属するために必要なコストも、下位集団Bに属するために必要なコストより大きい。
だが、下位集団Bの上位層と上位集団Aの下位層では、その関係が逆転するということも、非常に重要なポイントである。なぜそのようなことが起こるかというと、上で述べるように、上位層の得るパワーは等比的でなくケタ違いに(相乗的に)増大していくから。小さな会社の役員が得る満足感や能力や結果としての成長度合いは、大会社の使い捨て層が得られる満足感、能力、成長を大きく凌駕することが多い。
「いや、そんなことはない、大会社だからこそ、巨大なプロジェクトに関わったり、普通では会えない大物とのコネクションが生まれたりするのだ。『田舎の学問より京の昼寝』ということわざもある。」という意見もあろう。確かにそう感じるときもあるだろうが、果たしてその「巨大プロジェクト」や「大物」から見たとき、どうなのか。「巨大プロジェクト」はその人がいなければ動かないのか? 「大物」はプロジェクトの使い捨て要員の一人をいちいち覚えているのだろうか? そのような状態を優位に利用してそこから抜き出ることができる人は、単にもともとすごい能力をもっている人なのではないだろうか。京(都会)で昼寝してる人間と、田舎で学問をしている人間。「田舎」にもチャンスがごろごろ転がっていて、「田舎」でも成長が期待できる、いや、情報化の結果「田舎」という概念自体が大きく変化しているのが現代という時代ではないだろうか。
孫さんとコネクトするために必要なのは、大会社の社員という身分よりも、たったひとつの興味深いつぶやきであったりするように。
4 結論
「むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ(小集団のトップであるのがよい、大きな集団の最下層となるよりは)」。
無理をして入った進学校でオチこぼれになるのと、無理なく入った下位校でトップクラスになってみんなにすごいすごい言われる状況と、どちらが人間の成長によい環境だろうか。集団のトップ(あるいは上位層)になることから得られるパワーは、本当にケタ違いに大きい。そのことの意味を、何度でもかみしめるべきだ。起業家が起業しろしろ言うことの本当の意味はそこにある。分不相応に大きな集団の中で挫折しそうになってる人は、本当にもったいないと思う。その間違ったスケールメリットへの信仰を捨て、もう一度小さな集団の中に帰れば、あなたにはまだまだ驚くほどの可能性があり、それを後押しする環境、あなたを評価する人々がいて、輝ける賞賛に満ちた人生があるのに。
http://anond.hatelabo.jp/20110120022852
地方の進学校で天才と呼ばれていた奴が、東大に進学したら周りにもっとすごいやつしかいなくて挫折してしまった時、それを乗り越える方法を考えてみた。
ちなみに俺は東大生ではないが、とある一分野で似たような挫折を味わっているので、根拠のない想像というわけではない。
こんなすごい人たちと机を並べて学べる立場の俺すげー、でもいい。
周りのすごい人たちの威を借りるわけだ。
「俺たち東大生ってさ……」って言い方は、東大生でもまん中以下の奴しか言わない。
2 真の敵は自分だけだと思う
周りを見るのをやめて、自分がやりたいことをどの程度達成できたか、という物差しで測るようにする。
たとえば地方に戻る。地方に戻れば、「東大卒の俺が、東大で学んだことをお前らに教えてやる」っていうデカい態度を取ることができる。
僕が高校を卒業したのはもう何年も前のことで、いい加減高校時代の友人と連絡を取る機会もほぼなくなり、それぞれが自分の人生を一人で歩んでいる2011年。とっくに就職し、結婚し家庭を築いているかつてのクラスメート達とは違い、恥ずかしながら僕はまだ文献や論文に囲まれた生活を送っている。
深夜、PCに向かって作業していると何故かいつも決まって思い出すのが、高校時代にクラスメートだったY君のことである。彼は今どうしているのだろうか。
僕の通っていた高校の文化祭ではクラスで出し物を企画したりすることはなかったが、毎年クラス対抗の校内合唱コンクールがあり、進学校なのに意外とクラス全員がかなり真剣に取り組んでいた。音楽系のクラブに所属していた僕はいつも合唱の責任者や指揮者を任されていて、高校三年生の時に僕が指揮者をやるのに対してピアノ伴奏をしてくれたのがY君だった。
正直Y君とはそれほど仲が良いわけではなかったし、かといって悪くもなかった。仲というものがそもそもなかった。それ以前にY君自体がかなり謎の多い子で、元々大人しい性格が災いしてかクラスでもY君と仲の良い子はいなかった。ただ分かっていることは幼い頃からピアノを本格的に習っていてかなり上手だったということだけだった。
何の曲をやったかははっきりと覚えていないが確か高田三郎の『水のいのち』より「雨」だったような気がする。この曲はアカペラではなく伴奏があるので、ピアノが弾ける生徒がいないといけない。ということで僕は、どうやらY君はピアノが上手いらしいという情報のみを頼りにして、Y君に伴奏をお願いした。
その時のY君の微笑みは今でも忘れることは出来ない。「なんで自分が…」「僕じゃなくても他に弾く人いるんじゃないの?」ということを、決して口には出さないが目で訴えつつ波立てずごまかすように苦笑い…というのが容易に見て取れた。本来なら考えておいてほしいと選択を任せてその場は一歩退くものなのだろうが、当時の僕はまだ人と接する方法を知らず、Y君の人の良さに浸け込み、無理やり拝み倒してOKを頂いた。今思うとつくづくウザい奴である。そういう訳でY君は(おそらく嫌々ながら)伴奏を引き受けてくれた。
練習は(僕とY君の間で多少のコミュニケーションの齟齬はあったにせよ)順調に進み、合唱コンクールは無事に終了、僕らのクラスは3位を取ることができた。まぁこのへんはなんともなく終わったから割愛する。
問題はそこからまた少しばかり時が経ち、卒業した後のパーティの席だった。
卒業パーティで僕らは学校の愛唱歌(校歌ではない)を歌うことになった。これが変わった歌で、構成が合唱部分→独唱部分→合唱部分となっていて、この独唱部分を、我が高校に昔から在籍する外国人の教員さんが歌うのが通例になっていた。そしてこのパーティでも例外ではなかった。そしてこの愛唱歌での指揮&伴奏が僕とY君に命じられたのだった。公式の場だから適当に4拍子振っておけばいいので指揮は問題ないが、伴奏はそうも行かない。やはり練習する必要があり、本来なら楽譜が必要なのだが何故かピアノ伴奏の楽譜が存在しないらしく、Y君は受験前後のバタバタしていた時期だというのに自分で伴奏編曲して練習してきてくれたのだった。
そして本番。愛唱歌を歌い、一つ目の合唱部分は無事に終わった。だが次の独唱部分で事件が起こった。
肝心の外国人の教員さんは結構なお年だからか、完全にその独唱部分を、僕の指揮もY君の伴奏もガン無視の自分のテンポで(しかも若干の調子っ外れで)歌い出したのだ。指揮はまぁ適当に振ってるのか振ってないのかでごまかせるが伴奏は完全にストップ。ちらりとピアノの前にいるY君の顔を見ると、どうしようどうしようとパニックに陥っていて次の合唱部分も弾けるか危ういくらいに焦っていた。そんな僕とY君のパニックなんか露も知らず外国人の教員さんは朗々と気持よく独唱部分を歌い続ける。
そして第二の合唱部分は伴奏がなかった。でも生徒はみんな散々イベントのたびに歌わされた愛唱歌なので別に伴奏なんてなくても歌えたのだった。
この地獄のような愛唱歌斉唱が終わった直後、僕は一礼するとすぐにY君の元に駆けつけて声をかけた。
「大丈夫?まぁあの人完全にお年だったから予想できない事故だったし…一番の合唱のところはすごくきれいな伴奏だったよ、ありがとう」
なんかそんな感じのことを彼に言った。実際泣きそうになりながらごめんなさいと呟くY君を慰めるために何を言ったのか正確には覚えていない。ただY君の伴奏は練習では完璧だったし、忙しい中伴奏編曲までやってくれたY君には感謝さえ覚えていた。
そして卒業パーティは僕とY君の心に深い傷跡を残して終わった。
数日後担任の先生から手紙が来た。そこにはY君とご両親が僕に非常に感謝していたこと、初めてピアノをやっててよかったと心から思えたと言っていたこと、そして良ければ手紙を下さいとY君の住所が添えられていた。
だが僕はいつか手紙を書こうと思っていたにも関わらず結局送らずじまい、そのまま引越しのドタバタで恩師から頂いた手紙も紛失してしまった。
以上が僕とY君の思い出である。
今でも自分は薄情な人間だなとこの事を思い出すたびに実感する。
ただY君にもし逢うことが出来たら一言言いたいのだ、「僕は君の友達です」と。何年もの間、君のことを忘れられなかったよと。会って、あの忌まわしい卒業パーティのことを笑って話し合える日はいつか来るのだろうか…
俺高校2年くらいまで英語全然できなかったけど、今(社会人)はTOEICで900とか。センター試験(リスニング無かった頃)は180くらいだったと思う。
俺の経験からすると、日本の中高の英語教育は根本的に間違ってて、百害あって一利なしと言っても過言じゃないと思う。
(ただし進学校とかは独自の方法論持ってそうだから別かもしれない。俺は馬鹿中高だったので。)
英語はまず最低限の文法を覚えたら(this is a pen, do you have a pen?レベルね)、簡単な教科書か何かを暗記するまで音読すると良い。
ついでに耳も鍛えられたら一石二鳥なので、リスニングCDのある教材だとなおよし。聞き流すだけじゃなくてシャドーイングとかしましょう。
そうすると英語の構造を脳がパターン学習するので、その上で文法を勉強すると良い。
文法も日本の文法書は受験業界特有の奇妙な専門用語や方法論が多すぎて実用的じゃないので、grammer in useとかの英語圏の国の教材を使うのが良い。
これだと受験は突破できないかもしれないけど、基礎がしっかりしてれば受験モードに(一時的に)シフトするのも簡単だと思う。
単語は超重要なので適宜憶えていくこと。読み書き発音を繰り返せば憶えていけると思う。暗記得意なタイプならターゲット的な単語集でもいいかも。俺は無理だけど。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110106とhttp://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080203を読んで思った。
自分とこのブログに書くと容易に身元バレするんでこっちに書く。
僕はろくでもない中学校にいた。県下で有名な、警察もうちの中学の名前を出すとしかめ面するような学校。
そして、僕はそこの現実をとても興味深いと思い、世の中をわたるすべも覚えた。
定期試験の最中に後ろの席のヤンキーに答えを見せるのくらいは当たり前。
放課後の教室でセクースしていたヤンキーアベックを学級委員として見過ごさせていただくとか。
ヤンキー男に絡まれてたかられたらその男と肉体関係のあるヤンキー女子に頼み込んで許してもらうとか。
そういうのをたくさん覚えた。ついでにそのヤンキー女子に筆おろしをしてもらったのは秘密だ。
美形でおっぱいの形もよかった。
でも僕はそういうのが嫌で、ちょっと離れた私立男子校に入学した。
入学したはいいものの、中学校で勉強しない癖、馴れ合う癖を覚えていた僕には、
受験少年院と言われていたその男子校の生活になじむのに1年くらいかかって、
もちろんその間の成績は最底辺だった。
今思えば東大に10人も入れないごくごく中堅レベルの進学校だったんだけどね。
最終的にはその高校を首席で卒業して、たぶんちきりんさんの通った大学に後輩として入学した。
そこからが大きな違いだと思うんだけど、僕はその大学での生活をとても楽しんだ。
“選ばれた人達だけで構成される集団の嘘くささ”はひしひしと感じたものの、
その嘘くささそのものを、僕はずっと追っかけて勉強してきたんだと素直に思えた。
その嘘くささが楽しかった。
中学や高校では得られない知的な刺激が多い友人たちとの会話に、自分がこれまで知らなかった世界を見た気がした。
アルバイトもたくさんした。もちろん時給3000円の家庭教師もした。
お父さんもお母さんも僕に頭を下げたけど、当たり前だと思った。何しろ僕は頭がいいんだ。
だからKDDのオペレーターやセブンイレブンや居酒屋で働こうなんて思わなかった。
効率よく家庭教師をやり、ついでに家庭教師の派遣業みたいな会社の立ち上げに関与し、
儲けたお金はぜーんぶ青短のFカップと立教のCカップ(処女)と上智のAカップ(処女)と昭和女子のビッチと東京海上の一般職OLとJALのスチュワーデスに使っちゃったけどね。
就職活動は、法学部だったから、当然のように国家公務員試験を受けた。
だって、うちの大学にきて、国家公務員試験でないと意味ないでしょ。
民間の就職活動もしたよ。都銀が人気だったから都銀の内定ももらった。
就職活動を本格的に始める前にはBCGからもお手紙もらったよ。
僕はそれが何か知っていたので遊び半分で試験を受けに行って、準備万端のICUの女子と上智の小賢しそうな男に負けて面接で落選した。
そしてそれから10年くらい経って、今はたんなる平凡な・・・だ。特筆すべきことは僕の人生に何もなかった。
みんなが好きで、みんなが目指す道を歩いてきたのに。
やはり人生は、迷った時にはマイノリティに身を委ねるべきだ。もちろん、それにふさわしい能力を身につけていることが前提だけど。