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はてなキーワード: 通り魔とは

2014-03-09

キモオタベルを今すぐ外してセックスしまくれ

前にはてなダイアリー見てたらそういうエントリーあってさ。

俺はキモオタモテなくて死んだほうがいい、みたいなさ。

あのさ、それラベル付けだから

お前が勝手キモオタとか自分で呼んでるだけだから

代わりにこう言え。

キモオタっていうのは、

体重がほかの日本人の平均偏差よりも高く、

家に滞在する時間が他の日本人に比べて長く、

肌が日本人の平均よりも白く、

目が平均偏差よりも小さく、鼻が低く、

一部の日本人女性から恋愛対象として外される傾向がある、

・・・・かもしれない人」

というべきなんだよ。わかりますか?

それを「キモオタ」っていう一言で片付けるのがアホだって言ってるんだ。

ラベリングをした時点でおまえはそのオリから出られなくなる。

めっちゃいいこと教えてやるけど、

何でお前にこんなこと教えないといけないのかわからんけどさ、

たとえばお前もしフィリピンとかタイに行ったら、

死ぬほどイケメンから

ああ。うん。これもラベリングね。

イケメン」っていうラベリング

だけどポジティブラベリングはすべきなんだよ。

あのさ、肌が白いってことはフィリピンではステータスなのね。

フィリピンっていうと何、鼻低くて土人みたいなのばかり?とか思ってるかもしれないけど、

ぜんぜん違うから

英語ペラペラで、ほとんどアメリカ人と変わらん。

アメリカにもけっこう住んでたから言える。

フィリピン人は、「すごく貧乏アメリカ人」って呼んだほうがいい。

で、まあ確かに鼻低いのは多いけど、

たまにめちゃくちゃ美人がいる。スペインの血が混ざってるからだ。

それはマジ日本人とか比較にならないくらい美人

そういうのがさ、「キモオタ」のお前を「イケメン」として見てくれるわけ。

セックスかめちゃくちゃ簡単にできるわけ。

だってイケメンからお前。アジアだとね。

とにかくさ、日本っていうせまいオリを出て、

一度世界を広げろ。な。わかったな。

モテないやつは通り魔とか始める傾向があるから日本社会のためにもな。

2014-03-08

香ばしい犯罪者の多発の原因は?

最近何故か連続して香ばしい犯罪者犯罪連続している。

香ばしい系」とは、

見た目が一見、風変わりというかオタクっぽいというか独特というか、

挙動やしぐさも風変わりというかオタクっぽいというか独特というか、

DQN系ではなくオタク系の香りのする特異な人というような意味である


【佐村河内守】

今話題のゴーストライター似非障害者

麻原彰晃彷彿とさせる出で立ちと摩訶不思議な独自の言動とパフォーマンス

香ばしすぎ。


【片山祐輔】

この方は犯罪者ではなくむしろPC遠隔操作事件の被害者かもしれないけれど。

その風貌としぐさがなんとも独特な香ばしさをかもしだしている。


【阿部利樹】

冷凍食品毒物混入事件容疑者

いい年したおっさんなのにコスプレまでして個性的過ぎ。


【竹井聖寿】

通り魔殺人事件容疑者

何もかもが変わりすぎている。



なぜこんなにここ最近に集中して立て続けにこういう個性豊かな香ばしい犯罪者が増えてきたんだろう?

彼らに共通したキーワードがよく分からない。

ドロップアウトというのは一つあるんだろうけど、

それ以外にも何か共通した因果関係が隠れているような気がしてならない。

今後もまだこの系統犯罪者が続出してきそうな気がする。

2014-03-07

通り魔殺人に「死にたいなら自分死ねよ」 府知事発言に「よく言った!」の声

これを正論だと言って持ち上げている奴らは

発言の「内容」だけを見てその発言の「影響」を考えていない

通り魔になるような奴が死ねって言われておとなしく死んでくれると思うのか?

この発言で逆上して他人を巻き込む事件が増える可能性の方が高いと思うんだが?

正しい事を言ってるという自己満足だけで勤まるんだから政治家というのは楽な商売だな

2014-03-06

柏市連続通り魔殺人事件の竹井聖寿容疑者逮捕前のインタビュー動画見たけど、本当に頭が悪そうな喋り方で誰が見てもすぐにコイツ犯人だと分かるようなことを次から次に喋る。

もう何か喋るたびにボロボロ矛盾点が出てきてマスコミ記者達の遠回しな追求に容疑者苦し紛れに受け答えしてる様子が何とも微笑ましい限り。

2013-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20131208080205

俺は打たれ弱いかブログなんかやってフルボッコにされるのは嫌だから増田で書いてる。それでも通り魔みたいに罵詈雑言を食らわしてくる奴もいてへこむけど。

2013-11-17

東電

なんで早く国営化されないの。

国民から搾取しまくった挙句不祥事起こして隠蔽してまた搾取してって

こんなことが許されていいの。これって近年殺人犯の如き扱われるようになった飲酒運転より悪質だと思う。

自殺通り魔するくらいなら東電決死デモした方がいいだろうに誰もやんないってことはみんな怒ってないのかな。

知らないだけなのかな。 怒ってるけど反抗の仕方を学校で教えてもらえなかったからやり方わかんないのかな。

武士道から二百年も経たないうちに人が人を公然と嘲り馬鹿にする世の中になっちゃったね。

電車マナーに怒るくせに生き大恥じを晒してるなんて醜い国民になってしまった。

なげかわしやなげかわしや

2013-10-12

カップルタックルした

金曜の夜。

酔っ払いだらけの電車の中。

手すりに捕まりもせずパズドラに夢中な女が、電車が揺れるたびにタックルをかましてきやがる。

27歳童貞な俺だが、最近では若い女性との肉体的接触などどうでもよく、とにかく非常識な振る舞いが許せない性分であるため、ただただ苛ついていた。

そんな中、隣で恐らく20代のカップルがイチャついている。

酒も入っているのだろう、今にも性的行為をおっ始めてしまいそうな雰囲気だ。

タックルをかます女とバカップルに挟まれた俺。

もちろんしこたま飲んでいる。冷静さなど微塵も残っちゃいない。

その上、バカップルたまたま降りる駅が俺と同じだったんだ。

俺は迷うことなく、降りる寸前、パズドラ女に倣い、カップルの男の方に思い切りタックルをかました。

奴は当然怒った。「おいあいつ今、俺にぶつかってきたんだけども!きたんだけども!!??」

俺は何もなかったような顔をしつつ、足早にその場を去った。

非常識な振る舞いが許せないとかほざいている俺が一番非常識ゴミであったのは間違いない。

それは自覚している。

一瞬後悔もした。俺は何てことをしてしまったんだろう。

彼らに罪などないではないか

しかし、しばらく経って、こうも思ったんだ。

奴はしばらく俺の悪口を彼女相手にまくし立てるだろう。

「何だよあのキモ野郎は!ふざけんじゃねーよ!死ね!!」

多分、彼女もこう返す「ホントだよねぇ~最近非常識クズが多すぎでしょ!!」

その数十分後、奴らは、非常に気持ちいい行為を開始するのである(いわゆるセックス的な何か)。

もう俺のタックルなんぞ頭の片隅にも残っちゃいまい。

それならば、俺のし行為はそこまで悪いことなのだろうか?

俺は今、一人で酔いにまかせて、こんなカスみたいな文章を書き殴っている。

そうしないと、自分を保てないからだ。

奴らはそんなことをせずとも、簡単にストレスを解消できる術を持っている(いわゆるセックス的な何か)。

それならば、せめてキモ野郎のタックルくらいは、許容しては頂けないだろうか?

…そんな自己中心的感情を突き詰めると、通り魔的な存在になるのかもなと、

少しだけ、ほんの少しだけ、彼らの気持ちが分かってしまったような気がした金曜の夜でした。

2013-09-29

保存用メモ

生野区連続通り魔事件』の削除について

該記事は特筆性無しとの主張により数度の削除を経て、現在削除(白紙保護)という状態に陥っています。

経緯

    ①(初版作成)
    ②Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130526(削除5、存続4)、管理者Muyo(ノート/履歴/ログ)氏により削除
    ③Wikipedia:削除の復帰依頼/生野区連続通り魔事件(復帰26、削除15)、管理者Freetrashbox(ノート/履歴/ログ)氏により復帰
    ④Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618(削除31、存続26)、管理Triglavノート/履歴/ログ)氏により削除
    ⑤(復帰強行)
    ⑥Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件20130629(削除8、存続1)、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時削除、白紙保護Wikipedia:削除の復帰依頼#生野区連続通り魔事件 - ノート(復帰1、反対1)、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時却下

②③④ の段階では削除、存続意見が拮抗している状況が伺えます。つまり特筆性無しでコミュニティコンセンサスが得られている状況ではありません。しかし、④ の段階で削除が実施され、⑤にて手続きによらず復帰強行、⑥にて即時削除(白紙保護)がなされています。そこで、⑦にてわたしのほうから手続きに則り復帰 依頼をかけましたが、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時却下されてしまいました。事由としては<同じことを繰り返すな>ということですが、そもそもわたしの理解ではコンセンサスなき削除状態をただす依頼であったため、<同じこと>という認識は誤りだと考えています。

本件につきまして皆様のご意見果たして特筆性無しというコンセンサスが得られているのかどうか、をお聞かせください。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月29日 (土) 14:54 (UTC)

コメント ④の削除は、②の削除で合意不十分として③で復帰した経緯を全く無視したものに見える。よって⑦が提案されたものと考える。しかし、この経緯が理解されなかったらしく、⑦が即時却下されたため、まずここで認識の違いを埋める作業が必要だと考える。--Shigeru-a24(会話) 2013年6月29日 (土) 16:23 (UTC)

コメント この中で一番問題なのは⑤ですね。なので⑥は当然の処置、⑦は却下されて当然です。一方、②から④の判断が適切だったかどうかは削除依頼を隅から隅まで熟読していないので、判断は控えます。--JapaneseA(会話) 2013年6月30日 (日) 01:11 (UTC)

コメント ②および④では、「特筆性あり。存続すべき」ということの妥当性を保証できるような情報がついに提示されなかった、ということでしょう。ですから、少なくとも④については、それぞれの経緯を踏まえた上での、問題のない判断だったと言えます。(個人的には、③では「復帰すべき」とするコンセンサスが得られていない状況だったので、復帰が適切だったのか、少々疑問に感じています結果論ですが、あのまま「復帰せず」でも良かったのではないかと・・・)⑤は行為として最悪なので論外、⑥は当然の処置、⑦は却下されても仕方がないでしょう。⑦は、削除状態を「正す」のではなく「質す・糾す」依頼であったというふうに私の目には映っています。--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 02:26 (UTC)

コメント 各依頼について、

        ②の時点では存続意見より削除意見のほうが妥当(この時点から資料にニュースでは不十分、以後の経過次第では復帰可能と示唆されています)。
        ③については削除依頼で不参加の利用者が多く参加した(何故最初削除依頼意見を言わなかった方々がこれほど参加したか原因は予想できますが)ため、意見合意が出来てないという理由。
        ④については意見が十分に出尽くしWP:DP#CLOSEで言うところの『審議がまとまった』(自分は削除意見と存続意見の大勢が出揃ったと解釈しております意見がまとまったという意味ですと『意見が拮抗している、その他技術的な理由等により、終了判定と削除実施が遅れることがあります』と相反するものになるので)ところで、削除意見のほうが理にかなうという判断。
        ⑥はGFDL違反が絡む案件。
        ⑦は新たな材料が無いため③,④の焼き直しとなることは自明。

    現状ではこういう解釈をしており、どの管理者の行為についても問題は無いものと考えます。そもそも特筆性を問題にされている案件なのに二次資料の提示がされないことが現状での特筆性の無さを示していると考えます。よそでも言ったのですが『現状では確認できる資料が新聞レベルでありその域を越える資料が提示されていないため、特筆性(WP:GNG)を担保する二次資料(WP:PSTS)がないためウィキニュース最近の出来事止まりということです』。
    ④において無効撤回も含め賛否コメントの内容を大分すると
    削除意見「現状特筆性が無い、特筆性を裏付ける資料が無い、特筆性を担保する資料が出てきてからでも遅くは無い」27「ウィキニュースの範疇,報道量の不足」4「雑報である、単なる嫌韓感情」1 
    存続意見「犯行理由等が特異,人種にまつわる事件」10「特筆性の理由は不適」1「特筆性はある、資料は十分」11「ネットニュース,削除依頼などで多く関心を持たれている事が特筆性の証紙」3「発展性がある」3「削除に足る要件を満たさない」2「議論不十分」1「事件の大小は問題無く十分百科事典的」1--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 03:35 (UTC)
    分量が多いので若干見落としがある可能性などは否めませんが、だいたいこんなところです。加えて一度コメント入れて議論しない方もいますので編集者間の審議の合意は無理です、審議の内容であるコメントや議論に基づき管理者・削除者が削除の提案に合意をすることはあるでしょうが。--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 03:35 (UTC)

コメント 大勢という文言を使ってらっしゃる方がいますが、基本的にWikipedia多数決ではないと思っています。ですので、④の時点で「削除票が多い→削除が妥当」という解釈は間違っています。この間違いを糺そうとしたのが⑦の当方依頼および今次の議論提起です。削除されるのであれば、削除票が相当な大勢を占めねばなりません。相当な大勢であれば、それはコミュニティコンセンサスが得られていると考えてもいいでしょう。しかしながら、そうではない。であれば、削除ということでコミュニティコンセンサスが取れていない状況であると考えるのが妥当です。多数決ではないんです、コンセンサスが取れているかどうかなんです。何回も書いているんですが、ここの観点でのご意見を伺っているのです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 05:21 (UTC)

    コメント ヒートアップしすぎです。お茶でも飲みましょう。いま、生野の件の参加者平等に招集したところでありますから、皆さんの意見を聞きましょう。
    もう一点。返信を乱発するのはよくないので、私のコメントの一部を撤回しました。--Shigeru-a24(会話) 2013年6月30日 (日) 05:30 (UTC)

        仰ることはわからないでもないのですが、本議論を提起したことによりこちらWikipedia:投稿ブロック依頼/BlueSkyWhiteSunでわたしにブロック依頼がかけられています。わたしがブロックと決したならば、本議論も自動的にクローズとされてしまうでしょう。あまり時間は残っていません。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 05:37 (UTC)

            『大勢』は『たいせい』であり大体の状況という意味です。すなわち削除意見、存続意見が大方出揃いコメントの傾向が定まったということです。
            元々の英語版の『Wikipedia:Deletion policy』にある『Deletion discussion』によると「削除依頼に参加する編集者は削除するか否か見解を出せる」「可否は多数決により決まるわけではない」「参加者は各々が自分の見解について説明し方針を参照する」といった内容であり、利用者の間で合意形成をするのではなく、利用者各自が見解を述べ管理者・削除者に対し合意を得るというのが本義であると考えます。そういった意味ではWikipedia:削除の方針の削除依頼のところは主語が省略されており誤解を招きやすい表現です。
            自分削除依頼は利用者の間で合意形成をするものでは無く、個々人の意見が集まったところで管理者・削除者が判断し閉じるものである解釈しております。今回の件に関しては存続方の見解が削除方の見解に比べ具体的な証左に欠けていたのではないかと考えます特に資料が新聞ニュースまり特筆性を押し出すには力不足であったと見ております)。--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 08:03 (UTC)

                すべての合意は利用者間でなされるものと理解しています管理者等は利用者間の合意に背くことはできないと存じます。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 09:47 (UTC)

特筆性という『弱い』制約にしたがって削除するには合意レベルが低い。合意が取れているのか自体も明瞭でない。--60.34.102.131 2013年6月30日 (日) 07:46 (UTC)

コメント 「④の時点で『削除票が多い→削除が妥当」という解釈は間違っています」とおっしゃられている方がいらっしゃるのでコメントします。そもそも、④の時点で「削除票が存続票より5票多いから削除しました」などという低レベルな判断・処置が行なわれたのではなく、削除票、存続票の中身をよく吟味し、検討して、総合的な判断の結果として、④で対処なさった管理者の方は「それぞれの投票時のコメント内容を見る限り、削除が妥当」と判断なさった、ということです。ですから、「④の時点で『削除票が多い→削除が妥当』という解釈」があったかどうかということは問題になりませんし、④の時点での管理者の方の判断には「糾す・糺す」必要のあるような間違いもありません。「削除されるのであれば、削除票が相当な大勢を占めねばなりません。相当な大勢であれば、それはコミュニティコンセンサスが得られていると考えてもいいでしょう。しかしながら、そうではない。であれば、削除ということでコミュニティコンセンサスが取れていない状況であると考えるのが妥当です」とのご意見については、結局のところ、Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディア多数決主義ではありませんから見た場合に、意地悪な言い方をすれば「全有効投票数における削除票の占める割合がある一定量以上でないと『削除』という判断を下せない」ということになってしまます。そもそも、「削除票が相当な大勢を占めねばならない」とする根拠が不明です。ウィキペディアでは票の数でコミュニティコンセンサスが得られたかどうかが決まるわけではありません。投票の際に、どのような理由を述べるか、が重要なのです。ぶっちゃけた話、仮定の話として「方針文書・ガイドライン文書と照合した上で、具体的に理由を述べた削除票5票」と「個人的・主観的な理由を述べているだけの、適当な理由付けの存続票5票」があったとした場合、表面的には「票が同数」ですが、これは「存続」以外では判断できないということなのでしょうか。そういう事ではないと思うのですが・・・。「多数決ではないんです、コミュニティコンセンサスが得られているかどうかなんです」との仰せですが、一連のコメントを拝見する限り、「削除されるのであれば、削除票は相当な大勢を占めねばならない。大勢を占めていなければ「削除が妥当」とするコンセンサスが得られたことにならない」という意見は、削除票を不当に軽く扱うものであると思います。その理屈ですと、「票の中身を検討する必要性」が度外視されているように感じますし、何よりもまず、「削除票と存続票の扱いや重さに極端な差をつけている」ように感じますが、ウィキペディアにおける「票」の重みは、「投票時のコメントの中身」によって決まるのであって、「削除票だから軽い」「存続票だから重い」というわけではありません。削除票が相当な大勢を占めていたわけではないことをもってコミュニティコンセンサスが得られていないとするのはかなり無理があるのではないでしょうか。投票時のコメントの中身や説得力次第では、表面上の票数とは関係なしに、票数が少ない側(④のケースだと、「削除」側)の主張が通るケースもあるでしょう。しかし、④のケースでは残念ながらそうではなかった、ということでしょう。長文失礼いたしました。(結局のところ、「④の判断は誰が何と言おうと間違っていた。④の削除処置を糺し、正すために、記事を復帰すべきだ」ということなのでしょうか)--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 08:18 (UTC)

    コメント そういうあなた自身が存続票の存在を不当に軽くみているとしか思えません。中身中身と仰いますが、一体どこで削除票には中身があり、存続票には中身がないということがあきらかになったのでしょうか。存続票に中身がないといっているのはあなた個人であってコミュニティはそのような判断はくだしていません。くだしていない以上、双方の見解票は同等の重みをもって扱われるべきでしょう。なお、「正す」「糺す」論については本論とは無関係なため割愛させていただきます。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09

(UTC)

        返信 (BlueSkyWhiteSunさん宛) 票の「中身」は管理者の方が判断材料としてよく読むわけです。そして、その結果として、記事は削除になったり存続になったりする、ということです。私は「存続票に中身がない」とは一言も申し上げておりません。強いて言うならば、存続票が削除審議に与えた影響力の結果は、管理者の方々のご判断(処置)に現れているのではないでしょうか。なお、「(存続票の中身についての判断をコミュニティが下していない以上)双方の見解は同等の重みを持って扱われるべき」とおっしゃられていますが、そうであれば「(削除票の中身についてもコミュニティが判断を下していない以上)存続票と削除票は同等の重みをもって扱われるべき」ということです。ということは、「削除されるのであれば、削除票は相当な大勢を占めていなければならない」という意見説得力を失います。なぜなら、票の重みについていかなる予断もないはずの状況で、最初から「削除票は相当な大勢を占めていなければならない」(語釈に忠実に言うならば「削除票は議論において相当な力を持つ中心勢力・メインストリームとならねばならない」となるでしょうか)とすることは妥当性がないからです。「相当な大勢を占めない限り、『削除票』を投じても記事は削除にならない」ということであれば、存続票に比して、削除票がクリアすべきハードルが高い(「相当な大勢」を占めねば考慮されない)という状況を招きますしかしながら、「双方の見解は同等の重みをもって扱われるべき」であるおっしゃれたということは、「削除票は相当な大勢を占めていなければならない」という見解は撤回又は否定されたものと考えられます。なぜなら、「削除票の側だけ、クリアすべきハードルが高い」ということはなくなるからです。(翻って、存続票について考えた場合、存続票も「存続の為には、存続票は相当な大勢を占めねばならない」とお考えなのであれば、まだ話はわかりますが、一連のコメントを拝見する限りはそのようなお考えは読み取れませんでした)--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 11:06 (UTC)

            あー、ごめんなさい。同等に扱われなければいけないのは「双方の見解」ではなく、「双方の票」ですね。これはわたしの2013年6月30日 (日) 10:54 (UTC)のコメントを読んでもらえればわかると思います。それと作成された記事はWikipediaでは存続が基本です(誰でも勝手に記事作成はできますが、誰でも勝手に記事削除はできませんよね)。記事に対して削除すべきというのであればそれ相応の根拠がなければいけない。その根拠をまとめたのが削除の方針です。削除の方針を適用するためには根拠を述べて審議を通さなければいけないのです。なかでも削除方針ケースE(特筆性)は立証が難しい、というかほぼ不可能。であるならば、コミュニティの大勢を以って判断するしかないわけです。それが最前から繰り返しているコミュニティコンセンサスです。もし、コミュニティの大勢が一致していない場合、つまりコンセンサスがない場合、ケースEについては削除主張者は根拠立証不可であり、作成された記事は基本存続の原則に立ち戻るわけです。つまり、「存続の為には、存続票は相当な大勢を占めねばならない」ということはないのです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 11:36 (UTC)

コメント 私はもう、この事件に関連する議論はもう疲れたのであまり参加したくないのですが、会話ページにお知らせがありましたので、お知らせがあったら必ずコメントする義務はないのですが、一応コメント残しておきます。あと機種依存文字である丸囲み数字は代替できる時には使用を控えるべきかと思いますが・・・。 まず私からすれば、②の削除措置は私個人としては問題のない事だと思っていましたが、まぁ仮に合意が取れていなかったとしましょう。そのための③があり、現に復帰しました。私からすれば、復帰する合意も取れていないので、削除の合意が得られていないとする意見に対して復帰の合意が得られていない意見が出なかったの不思議なのですが、復帰依頼で十分な人数と期間を持って議論をすべきという意味合いがあったのかもしれません。では、その間で特筆性を有する資料をどなたか提示したでしょうか?私は無かったと考えています特筆性が「ない」の証明は複数の状況から総合的に判断するしかないですが、特筆性が「ある」と証明するのは、たった1つの資料を提示すれば済むことです。それを悪魔の証明というかヘンペルのカラスというかは分かりませんが、そういうことです。 なお、⑤に関しては論外です。仮に前の復帰依頼で削除の合意が得られていなかったとしても、それは復帰の合意が得られている事と同義ではありません。議論を無視した復帰は方針に反します。したがって⑥の削除は全く問題ありません。 そして⑦についても問題ありません。というか、この議論もほぼ同義かと思います。④の削除でも言われていますが、記事の復帰にはこれまでに挙げられたもの以外の、全員とは言わずとも10人中8人くらいが「この事件には特筆性がある」と言える資料を提示すべきです。私はこの議論に対して最初から削除派を貫いていますが、そのような資料が提示されれば考えを変えますし、提示されても尚考えを変える気がないと判断するのでしたらいつまでも納得しない人としてコメント依頼を提出するなどの事は構いません。ですが現状では、はっきり言ってしまえばそういう現状を変えるような客観的な根拠を提示せずに復帰に固執する方が納得しない人に該当するのではないでしょうか?そして、各議論で「削除票と存続票は拮抗している」という意見散見されますが、多数決主義ではないという方針は何度も述べられていますが、仮に票数を数えるとして、存続票のどの程度が中身の濃い、具体的な意見を述べていたでしょうか?依然出た意見かぶるものもありますが、存続票が多いのに削除を断ずるのは不当だという意見は、中身の濃さを見ずに存続票と削除票のそれぞれの重さをないがしろにする意見かと思います。 --Kiruria281(会話) 2013年6月30日 (日) 08:33 (UTC)

    コメント 票の中身論については上にコメントしましたので割愛します。特筆性においての削除(削除ケースE)やその他の削除ケースは、削除要件によって削除を行うものです。そして、そのケースに該当しない場合、多くの記事同様、存続が適用されるわけです。削除を訴える側は自らの主張にともない、削除要件を立証する必要があると理解します。立証が不可能であれば削除を申請することは不可能です。ケースEについてはもっとも立証が難しいものしょうがコミュニティとして記事の特筆性がないという判断がくだれば、立証に代えることも可能でしょう。コミュニティとしての特筆性がないという判断、すなわち、コミュニティコンセンサスが得られるかどうかが、ケースEの適用是非を決定するということになると考えますしかるに本件の数次にわたる投票がなされている現況を顧みれば、コミュニティコンセンサスが得られていないのはあきらかです。それを問うているのが本議論です。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC)
    コメント 私は②には参加してませんが、読み返すと④の時以上に、②の存続票が酷過ぎるなと感じました。5対4と言ってもスピード違反論理意見が二つにそれと同調する意見だけでは、他の削除票と同価値と呼べるものではないでしょう。②の時点で削除で決着ついたと言わざる得ないでしょう。その後状況の変化があったわけでも、加筆されたわけでもない④の削除が正当か不当かなんて論じるまでも有りません。⑤⑦に至っては問題外でしょう。加筆さえされて充分量の内容になったのであれば、復帰に協力でもしますが、現時点ではあり得ない話です。--あな34(須魔寺横行)(会話) 2013年6月30日 (日) 09:25 (UTC)

        コメント 票の中身論については上に述べましたので割愛します。充分量の内容というのはどの程度の量か、具体的にご提示いただけますか。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC)

コメント 論点を整理します。ケースE(特筆性)による削除は立証は難しい(これは削除側にとっても存続側にとっても同様)、したがってコミュニティコンセンサスを以ってその有無を判断せざるを得ない。本件については長期にわたってその特筆性の有無が審議されており、直近の正常審議の行われた④の投票においてもコミュニティとしてのコンセンサスが得られている状況ではない。票の中身云々については立場によってお互いが相手の票の中身を判断して良いものではなく、基本的にその票の重さはいずれのものであっても同等に扱うべきである。なお、わたし自身の特筆性を有りとする論拠は日本では稀有(初?)なヘイトクライムであること、外部のニュース媒体からWikipedia編集に関して報道があった、こちらも稀有(初?)なケースであることです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:54 (UTC)

    コメント 二度同じことを言うのもなんですが、削除の方針について日本語版のベースとなっている英語版では利用者各自が方針に則り削除すべきか存続すべきか意見しその審議内容から削除者・管理者が判断するようです。日本語版でもWP:DP#CLOSEに『意見が拮抗している、その他技術的な理由等により、終了判定と削除実施が遅れることがあり


  

2013-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20130901182705

もしかして共感できないことと殺すこと直結してるの?

もしそうなら異常だっていう自覚くらいもとうよ

言っても通じないだろうし自覚したからと言って通り魔やめてくれるわけじゃないだろうけど

2013-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20130823112614

自殺ってテロとか通り魔本質的に一緒だよね。

「善良」とか言ったってそれは直接命を奪われる被害者加害者自身だというただその一点のみでの話であって、完全に目くそ鼻くそ

被害者の周囲の人間、ことに被害者本人と大変に親しくしていた人間に回復不可能かもしれないレベルの深刻な傷を負わせるという点では全く同等レベルの「罪」だよ。

他人に迷惑かけるのを「知ったこっちゃない」と言えるくせに「生活が立ち行かない→とりあえず生活保護」って選択肢がないあたりとか、

「人から物を奪う以外生きていく術がない、それはイヤだから死ぬ」ってマインドなんかのものすごい自己中さも通じるものがある。

要するに、「悪者でない、加害者でない、無力でそこそこ善良でやれること全部やったのに報われないアンラッキーで可哀想なオレ」像を守るために死ぬってことでしょ。

テロとか通り魔はそこをちょっぴり踏み込んで、「可哀想なオレ、だから最後復讐ちゃる」ってなってる、それだけ。

自殺者がテロリストとか通り魔殺人犯より優しい思いやりのあるヤツってことは絶対にない。おんなじ凶悪犯だよ。

自分に本当に必要ものに関しては目を閉じて耳ふさいでるくせに、自分がやりたいことをやったら他人にどんな影響が及ぶかについては一向に考えない自己中心主義者

一番厄介なのはオチのつけようがないってところだ。

例えばテロリストだったら、仕掛けた爆弾大勢殺傷したけどテロリスト自身が死ななかった場合、取っ捕まえて死刑にしてちゃんと殺してやることは筋が通るけど、自殺しようとしてるヤツは失敗して死ねなかったときどう取り扱えばいいか誰にもわからない。

自殺しようとして死ねなかったら、それはラッキー?アンラッキー

後遺症が残っちゃったら、困る?それともどうせドンなのは変わらないんだから困らない?あるいはまた「再チャレンジ」するからどうってことない?

それを支えようとする家族としてはどう?アナタの目の前にいるヤツはまぎれもなくアナタ家族にして可哀想な社会被害者であると同時にアナタの大切な家族をブチ殺そうとして失敗した殺人未遂犯って状況ですよ?

通り魔自分家族殺そうとして、運良く家族は死ななかったけれども重傷(と後遺症)負って、でもその通り魔社会で苦しめられて犯行に及んだんだから今後は精一杯のびのび健康的に生きられるような環境を用意してあげましょうね刑罰とかもってのほかよ、ってならないだろ?

しねばいい。しねばいいよ。

しかし死なせるとまさにその「通り魔」の思うつぼというこのジレンマ

だったら「殺さずに苦しめる」一択だけど実行すると間違いなく家族の方がより苦しむ。

これが悪でなくて何だっちゅーの? 「善良」? どこが? 生き地獄で苦しんでくれない?

2013-08-18

不特定多数不快ものまき散らしておい嫌なら見るなってのは

通り魔無差別に殺傷して「死にたくないならよけろ」とかいうようなもんだよなあ

なら最初からでしゃばるなっての

でしゃばるなら当然不特定多数から叩かれるリスク有名税として受け入れんとな

外国ドラマ程度なら不快に思う方がどうかと思うが

いじめまがいの暴力暴言芸やってるタレントが言うのはいかがなもんかと

2013-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20130729161116

かい事件って、むしろ成りすまし詐欺のような、ある程度のインテリ層が資金を使って巨額の詐欺をしたり、教育とか関係なしにわけわからん通り魔的な事件起こすことの方が多いんじゃない?

本気で分からないんだけど、いつから「でかい事件」の話になったの?

在日朝鮮人インテリ層が多くて巨額の詐欺をしてるってことなの?

通り魔社会的精神的に追い詰められた末に起こすもので、教育は大いに関係あるでしょ。

まともな教育、って、日本にいれば公的教育ならほぼ無償で受けられるっしょ。

公教育さえ受ければ教育として十分だというのはさすがに無邪気すぎる。

雇用については、そもそも日本で職がないなら自国に帰れっつー。

善良な市民様なら無責任に「国へ帰れ」とか「帰化しろよ」とか言えるけどさ。

政府にとっては寝た子を起こすようなものでしょ。

やると絶対に面倒くさいか放置されてるんだよ。

過去にやったときは大失敗したし。

外国人に優先的に仕事を与えなきゃいけないの?

誰も「雇用を与えろ」なんて言ってないよ。

雇用を与えれば犯罪率は下がる」と言ってるだけだよ。

単に事実を述べただけなのに、勝手にあれこれ解釈するのは止めてくれるかな。

ヒステリックにすぎるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20130729154743

貧乏暮らしでまともな教育を受ける金もなければなりやすいでしょ。

何度も繰り返すけど、最近犯罪って、そういう「食うに困って」とか「教育が足りない」ゆえに起きてるもの

かい事件って、むしろ成りすまし詐欺のような、ある程度のインテリ層が資金を使って巨額の詐欺をしたり、教育とか関係なしにわけわからん通り魔的な事件起こすことの方が多いんじゃない?

まともな教育、って、日本にいれば公的教育ならほぼ無償で受けられるっしょ。

でも外国人の中には「日本教育は拒否、自国の教育を受けさせる」って頑固なのもいる。そうなるともう日本がどうこうできる問題じゃないよね。

雇用については、そもそも日本で職がないなら自国に帰れっつー。なんで日本に居座ってるの? その時点でおかしいでしょ。それとも日本人でさえ就職難で困ってるのに、外国人に優先的に仕事を与えなきゃいけないの? 効果もわからない犯罪率低下のために?

2013-06-25

最近関西圏で頻繁に在日韓国人による重犯罪発見されているね

兵庫尼崎角田美代子らによる恐怖支配と一連の殺人死体遺棄事件、大阪北区通り魔連続殺傷事件(うち一件は殺人か)、そして堺市死体遺棄事件は

全て在日韓国人による重犯罪みたい。

言いたくはないけど、ちょっと怖い。

大阪には、在日地区で有名な鶴橋西成あいりん地区、東住吉矢田などの地域があってただでさえ治安が悪いと吹聴されてるのに

ここに来てああいった連続的な重犯罪蔓延してるとなると本当に関西圏っていうのは頻繁にそいつらによる犯罪があって、

更に警察そいつらを放置し、府や県や市も放置プレーに走ってて完全にあいつらに掌握されてるみたいになってる。

実際大阪市市長橋下徹兵庫県知事井戸敏三などは売国奴だし、総連とか朝鮮企業暴力団の多いパチンコ利権にしがみ付いてる所なんか真っ黒。

生まれ故郷なのにこの二都市京都ウンコ過ぎてマジで韓国人排斥運動が熾烈になりそうで嫌なんだよなあ

嫌っていうか、日本人は基本的にこういう民族間闘争に無関心だし、今度の事件にも苦々しく思ってるよ

どちらにしろ、重犯罪者は垣根なく例外なく死刑でいいよ。マジで死刑で死んでほしいわ

平和関西を取り戻したいな

2013-06-18

子供がいるということ

34歳、子供ができた。ようやく1歳になる子供の寝顔を見ながら、これから襲い掛かってくるであろう恐怖と戦っている。

子供がいるということは、恐怖と向き合うことに他ならないのだ。

  • ちゃんと成長できるか?発達の傷害はないか
  • 臭いからという理由で嫌われたりするのか?

などなど、様々な恐怖が襲い掛かってくるので不安しかたない。

自分子供の頃、親とケンカして「あんたも親になったら親の気持ちがわかるわよ!!」と言われたことをよく思い出す。

自分の親たちも、同じような恐怖と戦ってきてくれたんだな、と理解してじんわりとした気分になった。

http://anond.hatelabo.jp/20130618133254

いやいや、アウトローこそが男が男になるための唯一の解なんだよ。

ユニクロ経営者を見よ、ワタミ経営者を見よ。

アキバ通り魔からオウム真理教まで、数々の重大事件の犯人を見よ。

奴らは紛れもなく男だ。男を見せるとは、ああいうことだ。

それを踏まえて、君は女性といちゃラブしたい、男になりたいという。

なら答えはひとつだろう?

「一般的な範囲」にとどまるうちは男になれないよ。

2013-06-14

「生まれない方が良い」の現代性、正当性

子供を作るのは鬼畜所業。それか馬鹿http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

はじめに言っておくと全面的に同意する。

ずっと自分も考えてきたことだった。

そのうえで、この「生まれない方がマシ」というこの主張は時代性というか、現代体現しているように感じる。

なお、他の「生まれない方がマシ」言説として、学術レベルではこんなのがある。

http://www.amazon.co.jp/Better-Never-Have-Been-Existence/dp/0199549265

この人は比較最近知ったのだが、2ちゃんねるでもスレが建てられるなど、徐々に認知度は上がってきているらしい。

あとシオランは有名だよね。

話を戻すと、はっきり言って,少しも異常な議論だとは思えない。

快を善とし苦を悪とする功利主義的前提を徹底すれば不可避的に行き着く結論だからである

そしてこの前提、そして言うまでもなく「他者危害原則」が現代スタンダードからである

他者危害原則は、普通愚行権(「他人に迷惑かけなければ何やってもいい」)という話だが、裏を返せば「他人に迷惑かけることはしてはならない」ということでもある。そして、出産とは根源的な他者危害行為である

というか、他者の存在のもの害悪なのだ

「生まれない方が良い」の現代

すでにその一部を書いたところだが、根本的には「ネオリベ」。これに尽きる。

「なんだまたはてサか」と思わずに聞いていただきたい。

話は簡単である

現代とは、社会の改良(福祉的な方向での)に対する希望がまったく失われた時代である

というか“社会存在しない”ので、そもそも改良することも、異議申立てをすることもできない。

こうして一切が「自己責任」となるなか、昨今の科学的知見は、遺伝子・幼少期の環境といった本人にどうしようもないレベルで「人生運ゲー」というミもフタもない事実を、私たちに突きつけてくれる。つまり自己責任」とは自由意志がどうのといった話ではないのである

資本主義はもう近代自由主義とも無関係になってしまった。

しかし、唯一これだけは私の責任ではないと主張できることがある。

しかもそれは事前に防げたことである

もちろん、生まれたことである

まずはこれがひとつ

(なお、これに対し、「現に生きていることをもって出生の事後承諾とみなす」という主張が考えられる。裏を返せば「生まれたくなかったんなら、死ねば?」というわけであるしかし、自らの意志によって生まれたのでない者が、自らの意志によって死なねばならないとは甚だ不条理である。というか、この場合、死に方については論議できない。つまりその人が「大量殺人を犯して死刑になる」という死に方を選んでも文句は言えない。実際、この種の通り魔たちは<生まれない>という行為?に及んだのだと私は考えている。私のいう<生まれない>とは、あらゆる自発性・主体性能動性の拒否であり、したがってその者は「生かされる」か「殺される」しかない)。

自我に倦む

現代自意識肥大していく時代である

これはさまざまな要因が絡んでいるが、ぱっと思いついたものを挙げるとこうなる。

①個人化

生活上の選択肢の爆発的増加

生活の具体性の消滅

最後のものだけ説明すると、人類は生まれてこの方、空間時間を縮めることに専念してきたといえる。

少しでも速い移動手段を求めた。空間を均質化し、通信技術を発達させ、どこにいても同じように振る舞えるようになった。

あらゆる場所は「ここ」になり、あらゆる時は「いま」になった。

「いま、ここ」とやたら耳にするように、実のところ時と場所とが極限までに抽象化されてしまった。

こうして「私」が場所と時にかかわらず重要になったのだ。

ところがこの「私」とは主観的には唯一存在だが、客観的には「いま」「ここ」と同じくらい抽象的なものである

まり「私」にも何ら内実は伴わない。

自我の内実を埋めてくれる具体的な生活空間経験は、多くの現代人には得がたいものになった。

やがて人々は「私」にウンザリし始めた。

思えば、多くの娯楽作品が「私の抹消」を描いてきたのは、偶然だっただろうか?

このテーマ近年になって伊藤計劃ハーモニー』が完成させたのだが……私自身の話をすると、自分のなかの「モヤモヤした気持ち」を「生むという鬼畜外道所業発見」にまで至らせてくれたのは、ほかならぬこ小説であった。

英語でも日本語でも、生誕は受動態で語られる。

では、人間はい能動態になるのだ? 

あるとき「なった」と勝手に見なされるだけだ。現代人は何よりもまず、自由を強制されている。

自由の強制から逃れ、自由から自由になるために、「生まれないこと」を要求する人は今後も増えるだろう。

2013-05-23

大阪通り魔殺人事件で韓国籍毎日新聞配達員が刺殺された件でTBSはダンマリ

毎日新聞社員でありながら、本来味方であるはずの側の人間を刺殺し、それについて本来報道しなければならない立場新聞社がダンマリを決め込んでいる状況。

社員を全く守る気がない会社ブラック企業のようだ。

このままダンマリを決め込むのはいいが、それでは毎日新聞は自社の社員を平気で見殺しにする最低の企業だと囁かれても仕方ないし、信用だってガタ落ちだろう。

こうなっては、徹底的に取材し報道して真実を明らかにするべきだ。

それが毎日新聞社員を守る企業であり、そして真のジャーナリズムでもある。

何処かの国に配慮する必要は全くない。

何故殺されなければならなかったのか、嘘偽りなく報道する事こそ、刺殺された毎日社員への手向けとなるのではないだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20130523005753

通り魔の罪は通り魔けが背負うべきだ。

それが出来てないのが在日朝鮮人という存在なんだよ。日韓基本条約で「完全に解決」してる問題を何度も何度も蒸し返し、どれだけ謝罪をしようが「心がこもってない」と罵り、関係無いビジネスなどの場面でも「日本人慰安婦反省してない」とか喚いて精神的優位に立とうとする。

通り魔の罪を在日朝鮮人全体にかぶせるのが醜い行為であるなら、その醜い行為戦後、何十年間も続けてきたのが朝鮮人という民族である。これを良い機会とし、朝鮮人こそ悔い改めなさい。それが、この事件で犠牲になった日本人の供養にもなる。

韓国籍通り魔の所行は他の在日韓国人とは関係ない

自分は思う。通り魔の罪は通り魔けが背負うべきだ。

でもこれが在特会の排外デモになると、「これは日本人全体の罪なのだ」と言い出す人が現れるのでつらい。

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