はてなキーワード: 生物とは
生物的に言えば、オスは射精が終わったらすぐ別のメスに射精することが可能だからね。気持ちがセックスしたメスからすぐに離れてもおかしくない。
メスは子供を孕んだ時守ってもらえるオスが必要だから、セックスしたオスに執着して守ってもらおうとする。
とは言え我々は人間なので、気持ちが通じ合い愛し合ってセックスした後であれば終わった後もアフタートークが思いやりとして望まれるよなぁ。
売る方が悪いのか買う方が悪いのか。
売買春にせよ違法薬物にせよ、需要があるから売るやつがいるのだと思う。
人間(生物)の本能的に欲することに、つけこんでいるとは思う。
転売もそうだが、買う奴がいなくなれば、規模は縮小すると思う。それしかないと思う。
騙す方が悪いのか騙される方が悪いのか?
心の救済を求めて宗教などにどっぷり浸かってしまうのも、原理的には分からなくはないが、
ほぼほぼ頭が弱いからそうなってしまうんじゃないかと思うだろう。
(スパチャや課金にはまるのも、クレカの枠使い切るのも、頭が弱いから・・・)
本人は課金して刹那的に救われるのだが、周りがたまったもんじゃない。
それが問題。
前段でも書いた買う奴がいなくなることしかないのように、
俺はかなり嫌いなんだよね。
リザードマンはいますしドラゴンもいますし世界樹もいますしマンドラゴラも群生していますが、ミントはミントで人間は人間でザリガニはザリガニのままですってなんなんだよ!
生物種ごとノアの方舟で運んできましたみたいな設定とかあるわけでもなく何の説明もなく「む!?これは転生前の世界のオリーブと同じ種だからオイルが作れるぞ!」みたいなちゃっちぃ知識無双させるのやめろや。
客観的に見て、残念ながらそういう評価となってもしょうがない事件だと思う。
ぼーっと突っ立っている人間のなんと多いことか。
また、事件直後も右往左往すらすることなく、ふらふらと夢遊病のように歩いている観衆、
そして警察の制服を着た人間すら、なんの危機感もなく立ち尽くしている。
瞬時に動いて対応できたと思う。
地震や津波といった災害が1000年以上ないこともあるだろう。
ある奈良県民が、
「大阪に出勤しているが、生駒山を抜けた瞬間にのんびりした空気になる」
と言っていたのが印象深い。風土もあるのだろう。
ひょっとしたらそれも織り込み済みで狙われたのかもしれない。
今日、同じ気持ちになってる奴が日本中に10万人ぐらいいるかも知れない。
本当に俺はアイツが嫌いで、「いっそ死んでくれ」とか「ああいう奴が殺されたほうが政治家が国民を舐め腐らなくなる」とか「多少は間接的なんだろうがアイツは既に何人も何十人も下手すりゃ何万人単位でアイツがいなけりゃ死なずに住んだ人間を自殺や病死に追い込んでるんだから報いを受けるべきなんだ」と思っていた。
だが実際に死んだのを見て、「まともな裁判もなしにいきなり殺すのは駄目だ」と今更ながらに思った。
独裁政権がやるような形だけのものじゃなく、その国でも特に賢い人達が沢山の工数をかけて1人の人間から最大の権利を奪うことの是非を問うべきだ。
人間という生物が持つ生きる権利の重さを、軽んじてはいけないんだ。
やってきたことの報いを受けて殺されるとしても、それは日本の法廷によってその積み上げてきた罪の重さが死によって報いるのが妥当であるという判決を経て殺されなければいけなかったんだ。
裁判どころか留置の一つもなくいきなりその場で射殺されてはいけないんだ。
もしも奴が銃や刀を振り回して誰かをその手によって直接殺そうとしていたなら、いきなりの銃殺も仕方なかっただろう。
だがそうじゃない。
この国の政治や行政の手によってこれからまた間接的に誰かの未来を奪って絶望や貧困に叩きつけて間接的に多くの国民の命を危険に晒す所だったとしても、それがその手によって直接行われた暴力でないならその場での射殺はあってはいけないんだ。
今日、そのことがよくわかった。
今まで、自分が心底死んでほしいと思った人間が本当に死ぬのを見たことがなかった。
王将の社長はよく分からんオッサンだったし、板垣退助は大昔の偉い人でしかなく、暗殺されることの是非について語る時の自分の立ち位置があまりにも安全圏にありすぎた。
自分が直接殺すつもりこそなくても、誰かが殺してくれないかとどこかで祈っていた相手が死ぬのを始めて見た。
ある種の当事者意識を持って、その暗殺の是非を考えさせられる最初の機会だったのだ。
もしプーチンが暗殺されたとしても、自分は彼によって起こされた様々な迷惑をあまりにも間接的にしか被ってこなかったのでこんな気持ちにはなってないだろう。
本当に初めてだった。
そしてよくわかった。
やっぱり暗殺は駄目だな。
フランス革命のギロチンでさえもその過程において裁判は存在したのに、ただただいきなり殺してしまっているんだからどれだけ歴史を逆流しているんだって話だ。
2050年、 人類の使うコンピュータは、 ウエアラブルコンピュータからパーベイシブコンピュータへと進化 してゆく。
スマートネットワークに接続するには小さなマイクロチップを ピアスのように装着するだけ。
入出力のインターフェースは顕在意識の思考そのものを 脳波で受け取る。
2055年、
人類は遂に顕在意識を超えて、 脳波で潜在意識からの入力が可能になり、 人類相互ネットワークを完成させる。
2060年
ユビキタスなスマート機器も徐々に全て 人間のネットワークにシンクロされてゆく。
地球上のあらゆる「もの」がインテリジェンスを持ち ネットワークに組み込まれてゆく。
2100年
人類は地球意識を発見する、地球や惑星やそして恒星も 自分たちと同じ智慧や愛情を持った生物であったことを思い出す。
2170年
素粒子(13次元の超ひも)に畳み込まれた 究極の設計図「Xdna」の発見。
そもそもの宇宙の設計図、人類の集合知識、 アカシックレコードの一部が解明される。(なんてね)
2275年
智慧の急激な集積と、急速な出生低下。
2280年
楽園を目指した改善は進む、 人類はもはや必ずしも生まれ変わる(リィインカネイションの) 必要が減ってきたのか。
2355年
多くの人(魂)はより高い意識レベルの修行へと旅立ち、 より高い次元の根元を探求する。
※ここまでは1時間30分くらいでしょうか。
※ここからは5分
2356年
より低い意識レベルの魂の地球への移住が始まり、 人類は急激に増殖を始める。
2655年
2955年
公害の復活、更なる人口爆発、ネットワークの分断、独裁国家の成立
3000年
最終戦争の勃発。
しかし、
エデンの園の記憶を持った数人の人(子供)たちが生き延び、 人類再興に向かうか、、、しかし、先は分からないですね、
※ここで終わり。
なんて、感じでしょうか。
多様性の推進というのは、生物の進化における淘汰圧への抵抗、人間の知性による淘汰圧への対抗になってくるわけなの。
一方向へ収束する遺伝的な行き止まりを避けるために、本能レベルから知的レベルへ判定基準を変えて、より多様な遺伝子バランスの環境を整えようとしているんだね。
何のために?おそらく、種としてより広範囲に、多様な環境へ進出するためのバランス調整。
宇宙で、地球とは違った環境で生きていくためには、思いもよらない特性が有利に働く可能性があるから。
とインターステラーを見た後に思いました。まる。
親友という存在も恋人という存在とも縁がなく、学生時代は部活をやっていたから辛うじて他者との繋がりがあったが、引退した途端、自発的に人と付き合うことをしていないことを思い知った
いつの頃からかWeb小説やマンガに興味を抱き、細々とマンガを描いて自サイトに投稿したりpixivに投げたりしていた
とある共同制作のコミュニティに入れた時は、創作について話せる人がいるって楽しいなと思った
が、時が来れば人の心も移り変わるもので、そのコミュニティの人間関係が嫌になってしまった自分は、pixivの関連作品を非公開にして、親しい人にだけアカウント削除を伝える旨のDMを送った
一方的に共同制作を持ちかけておきながら作品削除をした自分を非難する人がいたが、相手方に非はないのでその通りだと落ち込んだ
コミュニティに関連するアカウントを削除し、新しいアカウントを作ったら、びっくりするほどフォロワーが少なくなってしまった
いかにコミュニティにべったりだったのかが分かって、自分はそのコミュニティに学生時代の部活のような依存をしてしまったのだと気づいた
そして、コミュニティから出た自分は、以前のように個人サイトでマンガを描くことを試みようとしたのだが、うまくはいかなかった
なぜなら前のコミュニティで非難DMを送った人がフォロワーのフォロワーにいることに気づいてしまったからだ
あの人が自分を恨んでいることを知ってるし、自分も迷惑をかけた自覚はあるからせめてその人の目の入らないところで活動を続けたいという気持ちでアカウントを作り直したつもりだったのだが、考えが甘かった
そりゃあ前のコミュニティと繋がりがある人をフォロワーに持てば大なり小なり自分の行動は筒抜けになるだろう
自分で撒いた種ではあるのだが、自分は行動力も計画力もないのだと悩んだ
いくら鍵をかけても、アカウントが存在する限り「あいつまだマンガ描いてるの」と思われるのだろう
いや、あの人はそんな性格じゃないと言い聞かせるも、心の中で例の批難DMがしこりになって残っているようだった
相手方が「許して欲しいという気持ちが透けて見える」と語った文章だけが今でも目に焼き付いている
自分の気持ちが相手に理解して貰えないのは辛いことなんだなと、今文章を書きながら思った
時は経ち、吹っ切れては無いものの、噛み切れるようになった想いを抱えながら、自分は新たに(というか以前まで存在していた化石サイトを改装した)サイトを作ってぼちぼちマンガ制作を再開している
就職をしたものの、人間関係は依然として希薄なのでプライベートで人と会うことなどとんとなくなった
他人に失礼をしておきながら、そして名のある作家ではない大前提がありながらも、自分には創作しかないのだと理解してしまった
それ以外にやることがないと言えばそれまでなのだが、辛うじて趣味らしきものがあるのは有難くは思う
ところで、以前Twitterでとある呟きを見かけて、意味がわからないけど意味をわかりたいからメモっておいたものがある
新人の頃、先輩編集者が新人作家さんに言っていた忘れ難い言葉があります。「子供の頃からずっと友達がたくさんいて、社交的で、遊び場もゲームもたくさん与えられた人間は、絵描きにも物書きにもなれない。才能にも技量にも理由がある。貴方のコンプレックスはその証拠なんだ」。なんだか泣けました。— たられば (@tarareba722) August 8, 2014
やべえこのツイート2014年のなのかよ!と一瞬思ったが、8年も経てばなんとなくニュアンスが分かるようになった、と思う
読解力がないというか、頭の中で線と線が繋がらないために心から言葉を理解出来ていないが、つまるところ自分は満たされていなかったのだろうという結論が出た
ホッテントリの、恋人が出来たから創作活動が出来なくなった、というのはご最もだと思う
満たされない感情の置き場が創作から恋人に移ったのだろうし、生物としての仕組みはそれが正しいものだと思うから是非その人を大切にして欲しい
残念ながら自分は生物として欠陥があるようなので、今後も創作という一人相撲を続けるだろう
SNSの#繋がりたい 系のタグは生理的に受け付けないし、創作の人間関係で人様に迷惑をかけたのだし、そもそもクローラーにサイトの画像舐められて自分の手元から作品が独り歩きすることが嫌な人間だから検索避けをする以上、SNSで迂闊にサイトのURLは貼れない
故に、表立って作品を宣伝することはせず、その辺の隅っこで自分専用の墓場を作る予定である
自分で書いてて思ったが、凄く陰気で頑固で根暗な人間だなと思った
だから創作なんて毒にも薬にもならないものを趣味にしているのだろう
インターネットに墓場と言っても、デジタル遺産となってネットの藻屑になってしまうのだろうけども、ひとまずはその認識で行きたいと考えている
創作と言いつつ、結局は自己満足だから、自分の見やすい形で管理したいというのが本望なのだ
自分が楽しいものをたまたま覗いた他の人が楽しんでくれたら嬉しいけれど、道端に歩いてる人にこれ面白いよ!と宣伝することはしたくはない
労力だからだ
インターネットの中でも自分のことをアピール出来る人は凄いと思う
例のDMがきっかけになっただけで、元々自分がネガティブ寄りの思考を持つ人間だったのは自覚している
最近(自分が見かける範囲で、だが)「音楽制作は続けるけど作品を表に出すことは辞めたいと思っている」「このゲームが完成したらもう絵なんて描きたくない」という呟きをちらほら見かけるようになった
もちろん締め切り前のイヤイヤ発言ではなく、ばっさりと今後一切の活動を辞めるニュアンスの発言である
彼らのフォロワーでもなんでもない自分は、悲しいなと思いつつ、創作が心の障害になるのなら辞めることも選択肢のひとつだとも思った
今現在創作くらいしか趣味がない自分も、いずれそんなことを思う日が来るのだろう
コミュニティを抜けた日から、永遠は夢想だと思うようになったので、その日が来るまでになんとか絶望しないように生きていきたい
オマエの言う事は100%正しい。
生老病死、生きてるだけで四苦八苦と太古の昔から言われているんだよね。子育ての最終ゴールって?労働させることだよね。こんだけTwitterやらなんやらで仕事行きたくないだのなんだの呟かれている世の中に
子供を産んで労働させるって控えめに言ってクズだよね。大抵の人は労働なんかしたくないはずなのに自分の子供には労働を強いるわけじゃん。あほくさ。まあオマエは労働を苦と思っている感じはなさそうだが。君は親ガチャに当たったんだろうね。おめでとう。
生きててよかったと思わせるには単に育てるだけじゃだめで、プラスアルファ社会で生きていくための武器を授けないといけない。それは考え方だったり容姿だったり地頭のよさだったり努力できる性格だったりするが、要するに「上手く」生きていける能力を授けるべきだ。
けどそれってどうやって教育すればいいのかよくわからないよね。遺伝や環境にも左右されるし。結局は出たとこ勝負の結果論でしか語れない部分だ。
なんか前虐待されて育った東大生が反出生主義に反論みたいな動画、サムネでしか見てないけど、そういうのも結果だけ見たら虐待されてよかったじゃんって話になる。虐待という環境と親から受け継いだ地頭やなにくそ根性が合わさって東大に行けたんでしょ?って話。
試験だって仕事だってスポーツだってなんだって過程よりも結果が大事なわけじゃん。子育ても同じだよ。過程で愛情がなかったとしても結果として東大に入れたんなら親としては子育て成功じゃんっていう。まあ東大に行くこと=成功としていいのかはさておき。
正しい。親子の縁は切れない。法律上の話ではなく、遺伝の話。子は遺伝や生育環境の影響をもろに受ける。お前の遺伝のせいで障害持って産まれたとしよう。学校でいじめられて自己肯定感の低い子供になって社会に出ても苦しむ人生が続く。でもその発端ってオマエの遺伝子なんだよね。
よく自殺すればいいじゃんとか言うバカいるけど、生物には生存本能というものが備わっていることを知らないらしい。生老病死でも死が入っているように、死の概念があるからこそ苦しむんだよね。苦痛のない安楽死施設ができて簡単に死ねるのなら話を聞きましょうとしかいいようがない。
あと、子供がどういう宗教観を持っているのかというのも考えないといけない。自殺したら地獄に落ちると信じているのなら、死にたいなら死ねばいいじゃんなんて言われても死ねるはずないんだよね。こういう短絡的な自殺すればいいじゃんとかいう奴らは親から受け継いだ遺伝子が腐って
いたのだろうと同情するしかない。そいつらには親を恨む権利があると伝えたい。
まあそうかもなあ程度の感想
オマエに最後に言いたいのは、絶対に生涯をかけて子供を産むなってことだ。35過ぎて精子も羊水も腐ってきてから「やっぱ寂しいから子供作ろっか♪」とか絶対にやめろよ。マジで