はてなキーワード: 暴走とは
うちの近くに時速50キロ制限の道がある。いろんな車が、その道路を通っていく。
ちゃんと50キロ以下で走る車、ちょっとオーバーして53キロや55キロで走る車、そこそこオーバーして60キロ出してる車、70キロ80キロ出してる車。時折、真夜中には、100キロ、200キロ出してる車の音も聞こえてくる。
友人から聞いた話だが、知りあいがその道路でのスピード違反で逮捕されたらしい。
その知りあいは、5キロのスピード違反で停車させられ、車内を捜索され、警察署まで連行され、事情聴取され、略式起訴で10万円の罰金を申し渡されたらしい。そして、車内に積んでいた荷物は全て没収されたらしい。
スピード違反だなんて犯罪行為をやったのだから当然の処罰だ。警察はこれからもどんどん摘発すると言っている。スピード違反なんてするやつはどんどん捕まえてほしい。安心安全な道路になるのは嬉しいことだ。
少し気になるのは、変わらず夜中に響く暴走音だ。こちらも逮捕に向けて動いていると期待したい。
とはいえ、神奈川県はちゃんとスピード違反を取り締まる、安心して暮らせるいい場所だ。
みんなも神奈川に引っ越してくるといい。でも、スピードには気をつけて。
(言うまでもなく、この話はフィクションです。実在の県や法律・事件などとは一切関係ありませんし、実際の交通ルールに従って走行してください。)
某感じのいい喫茶店がヘイトツイートをリツイートして(誤操作だったらしいが)炎上してた時に思った。喫茶店としての評価がその思想で判断される社会って危うくね?と。
そしたら今度はなんかラノベで似たようなことが起きたらしい。今度は誤操作ではなくてガチのヘイトだったらしいが。
まぁどちらも客商売なのだから客にそっぽ向かれるような振る舞いをしたらそりゃダメだよね、ってのは当たり前なのだけれど、ヘイトが悪の刻印のように一度つけられたら二度と剥がせない、そしてその刻印をつけられたものはどんな理不尽にあってもいい、みたいな空気は嫌だな。
お上が思想信条を押し付けてた時代の方がまだマシだったね。お上が悪で、庶民は善。そんな二元論に落とし込めた。
でも今は隣人と意見が違うだけで焼き殺すか焼き殺されるかの時代になってしまった。
ネットは個対群のコミュニケーションを加速させているって昔増田に書いたけど、誰しもが個の側に立たされてしまうのに誰しもがそれを忘れて無責任な群のパーツになってしまう。個の側に立たされた人は焼き殺されてしまう。生き残ってるのはよっぽど特殊なスキルがある人だけだ。
焼き殺されたヤツには落ち度があった。きっとそう言うのだろう。でもその落ち度、本当にそいつだけの落ち度だったのかね?
罪のないものだけが石を投げよ。この警句は2000年前のものだけど、人間変わらんと言うかネットの特性がさらに加速させてると言うか。
それ以前の好景気自体が偶然と暴走の産物であって、それは必ずしもこの国の実力というわけではなかった。
その陰で誰も真剣に考えてこなかった戦後教育や変わらない戦後体質の悪影響は、この国の人間達に服従することだけを教育し、主体的な変革の意思を奪い、未だに日本的大企業の失策や日大のアレをはじめとして、日常生活のさまざまな場面で散発的に大きな問題を起こしている。
これまで誰も指摘する人がいなかったし、先人の手前できなかったと思うけど、ハッキリ言って、この国は戦後70年舵取りを誤り続けたんだよ。
単発で就職氷河期やら失われた20年やらがあったわけではない。
1発当たって消えるベンチャーやお笑い芸人よろしく、実力を過大評価して直視せず、決して本当の意味で良くなることをしなかったんだよ。70年ずうっと。
そんな体たらくの国で若者が自動車買わないだのゴルフしないだの子供産まないだの、バカ言ってんじゃないよ。
衰退するべくして、滅ぶべくして今まさに滅んでいるんだよこの国は。
いいかげん面倒だなぁ。自分がなにをやったか分からないモウロクしてる人に説明しても負けを認めるわけがないし低能しか返ってこないと思うと面倒くささ倍増ではあるんだけどさ。
最初は、第三者の増田に低能先生がトラバしたんだよね、最初。それ見て変なのと思ってツッコんだんだよ。
教師が生徒を好き嫌いで対応分けるのは完全な悪として批判されるのと同時に、生徒が教師を好き嫌いで対応分けて試し行動みたいなことするのも批判されてしかるべきと教えるべきだ
これに低能が突っかかったわけ
生徒側が好き嫌いを押し通すのは、権力を持たない不利な状況を”意思の力で”はねのけているだけだぞ低能
ほんとお前は馬鹿だよな
まぁ、てにをはが少しだけおかしいのはカーッとなったんだろうからしょうがないとして、おかしなところがあるなーと思ったので、私が横増田をしたのがこれ
同僚である教師Aと教師Bとの間で息子の態度が変わるなら、権力勾配は関係ないんじゃ…むしろ息子は、ヒラ教師であろう担任へ強く当たって、管理職級の教師(校長に言いつけにいく!)には諂ってるとも見えるが。
おかしいと思ったところは、”権力を持たない不利な状況”を意思の力ではねのけている、という状況を、低能がどう理解したのか、という点。
教師に理不尽を飲み込まされたから生徒が意思の力で反発する、ということなら理解できるんだよ。例えば意味もなく坊主アタマを強制するとか。それに反発するのなら確かに理があると思う。
でも元増田の息子のケースは、「結果的に教師が理不尽な対応をせざるを得なくなったが、そもそもは息子が学校で学ぶための基本的なルールを注意しても守らない」と言うところが源泉になっている。その後のラケットでうんぬん~机がうんぬん~部活出るなのくだりなどは、どちらかと言うと、教師が意図した理不尽(元増田息子を狙って生徒いじめをしてやろう等)ではなく、行き過ぎた指導という未必の故意的な結果じゃないかと私は思ったわけ。ここが低能と私の状況認識の差があるところ。
さらに、元増田息子は、登場する学校関係者によって態度を変えている。校長先生や主任に言いつけに行くことができる。つまり(担任に問題があることはもちろん共通認識)学校全体としては元増田息子に対して抑圧的ではない(教育の範囲を超えない)体制がそれなりに有ったと言えるし、もっと言えば「元はと言えば自分が担任の指導を無視しているのが事件の発端なのに、それを棚に上げて一人の人間でもある教師が暴走してしまったことを権力を悪用して糾弾できる」つまり、権力を悪用(言葉が強すぎるけど敢えて分かりやすく)する能力がある子供であると分かる。
だから、教師によって態度が変わることを一概に「権力を持つ教師への意思を持った反抗」と讃えるのは場違いな議論だと思ったし、権力勾配とは関係ない話じゃないか、と指摘した。
そっから先は低能がループ始めちゃったんだよね。私のツッコミを理解していただけなかったからだと思うし、低能先生の状況認識は間違っていると思う。だからおじいちゃんの交通事故に例えた。
生徒側が好き嫌いを押し通すのは、権力を持たない不利な状況を”意思の力で”はねのけているだけだぞ低能 権力に意思による選択は関係ねえよ低能 ほんとお前は馬鹿だよな
前に長々と説明したように、私は、そもそも元増田息子が、その「意思の力ではねのける」をやって良い権利を有さないと考えている。最初に小悪事を行い、指導を(おそらく元増田の記述によると「嫌い」という理由で)無視するという、「義務を果たさないものが権利だけを要求する」状況はフェアじゃないし、高校は義務教育機関ではないしね。
だから私は
と答えた。
もうここから先はかなり不毛になるから、振り返るだけでウンザリするんだけど…
もう一度言う
「好き嫌いで教師への対応を変えてはいけない」という「学校の決まり」は存在しない
私
正直、リアル中学生が言いそうな「地球が何べん回った時だよ!論法」に入っちゃったよ…とウンザリしたので、こう答えて終わりにしよかなと思ったら、トラバツリーが伸びてた。
と言い出したので、ええー!!ってびっくりしたわけよ。権力勾配言い出したのは低能先生なのに…。「関係なくね?」って返したのは私の方なのになぁって。
追記
あ、コピペしたところ改めて読み返してみたら、これ低能のやつ、発端の増田を書き換えてる!「権力勾配」と言う言葉を先に使ったのは低能の増田のはずだったのに。
なーんだ、自分でやっちまった!って思ってたのね笑
増田達を見てきて、影響された。
ポツリと呟く言葉に「ゴミ」とか「クズ」とか言いたくなってしまう。
増田を見る前まではこんなことは無かった。全て心に押し込み、呟きもしなかった。
考えてみたら、増田に影響されたようにも思う。
「増田のせいにするな!」って言い分は良く分かるが聞いてくれ。
誰もが一度は聞いたことがあると思う。
新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。その結果、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるということが証明された。
実験中に常時着用していた女性用の衣服のせいかは不明だが、実験の日数が経過するにつれ日常行動が徐々に女性らしい行動へ変化した囚人も数人いたという。
これは興味深い。
ただ、長いこといると影響され次第に変わり
YouTubeにおいて人種差別、民族差別、ヘイトスピーチを行なっているチャンネルや動画が
5chハンJ民など有志らによって閉鎖やアカウント停止に追い込まれている件が局所的に話題になっている。
そんな騒動の中、ひっそりとテキサス親父のチャンネルがアカウント停止に追い込まれた。
これはある種のネット史上におけるマイルストーンであろうと思い、一ネット住民である名無しの感想という形でテキサス親父にまつわる思い出話を書き連ねたい。
いかにもステレオタイプ通りのアメリカ共和党支持者的、キリスト教的な言動を繰り返すだけの単なるおっさんだった。
そんな彼が日本で注目されるようになった転機はシーシェパード問題だ。
アニマルプラネットの放映する"Whale Wars(鯨戦争)"という番組がアメリカにて2008年頃に大ヒットし、
シーシェパードと名乗る過激なNPOの捕鯨抗議活動と海洋環境問題が世間の耳目を集めていた。
テキサス親父はそんな潮流の中で「シーシェパードはパフォーマンスに堕した差別主義者のテロリストだ」と早い段階でYouTubeに声明をあげた人物だ。
動画が発掘された経緯は定かではないが、これがネトウヨ層に大ヒットした。
字幕がつけられ、ニコニコ動画に転載され、シーシェパードは差別主義者で良識あるアメリカ人はそれを見抜いているのだと注釈をつけられ、ネットの至るところで動画が拡散された。
少なくとも”Whale Wars”に端を発するシーシェパードの過激で傍若無人な振る舞いは日本でもある程度知られ、
その前身であるグリーンピースなどの諍いも含めて、捕鯨は当時のネトウヨ層にとって極めて重要な問題だった。
そんな中でテキサス親父の力強い断言は、ネトウヨ層にとって大変感慨深いものだった。
テキサス親父は快刀乱麻を断つが如く「西洋的な価値観で他民族の伝統や風習を野蛮だと断じるのは差別に他ならない」と論じた。この声明については今でも俺は賛成したい。
その後もテキサス親父はシーシェパードを批判する動画を相次いでYouTubeにアップロードし続け、ネトウヨに賞賛される日々が続いた。
テキサス親父も人が良かったのだろう。ネトウヨのリクエストが殺到したのか、共和党支持者らしい共産主義や社会主義への批判を行うようになり、いつしか慰安婦問題にも触れ、ネトウヨの大好物の「マスコミが報道しない真実」に言及しはじめた。元々、陰謀論好きな一面も見受けられただけに必然的な流れでもあったかと思う。プロパガンダバスターが彼の二つ名だったし。
テキサス親父は一部のネトウヨに持ち上げられ続け、日本事務局なるものが発足し、
テキサス親父の日本での講演会や書籍が出版される事になった。この頃すでに俺はテキサス親父への興味を失っていた。日本事務局は幸福の科学の藤木なる人物が中心人物で、テキサス親父を取り巻く新興宗教のきな臭い話を聞くようになったというのが非常に大きい。YouTubeで正論を言うテキサスのおっさんは、そこにはもういなかった。
ハンJ板にてテキサス親父を振り返るスレッドが立ったので、別角度からの一意見としてレスを転載したい。
>テキサス親父ことトニー・マラーノ Tony Marano について記しておかなければいけないことがる
>あのおっさんは、黒人の射殺に反対し、黒人が教会から排除されたことに反対し
>キリスト教原理主義者が「あいつらはホモの売春ばっかやってるから天罰だ」と言ったのを反対し
>フィリピンのドゥテルテ大領の政策も「麻薬中毒の子供の母親の気持ちになれ」と叩いてた
>韓国叩きさえ、きちんと犯罪者や個人と国籍民族を分けて叩いていた
>じゃあ、なぜ、倒せたのか?
>つまるとことろ、中国の政体批判をトニーはやってるだけなのに
>トニーは「俺は韓国人全てが悪人とは言って無い」とか言ってるのに
>ニダーの顔の絵や字幕を右上にもってきて「ウリたちは土人だから何もわかないニダー」と言わせたり
>とにかくトニーと違い
>そこに弱点があった
>トニー自身の言葉ではなく、日本人スタッフの字幕が俺の攻撃ポイントになった
このハンJ民は明らかにテキサス親父に精通しているもののテキサス親父動画の通報を行なったと思われる事から、
かつて愛した過去の恋人の死に際を看取るような心境だったのではないかと察する。
そう。そうなのだ。かつてシーシェパード問題で先陣をきったテキサス親父は、もうどこにもいない。
パっとしないおっさんが日常の延長で行なったYouTubeの時事問題評論が極東の島国の特殊な層にウケて持ち上げられ、
やがては暴走して韓国人、中国人差別に走り、YouTubeから動画とチャンネルが削除された。それがテキサス親父の歴史的経緯だ。
上記の内容を読むからにテキサス親父は差別主義者ではなかったという反論もあろうが、
その証拠はわざわざ挙げるまでもない。目を覆うようなテキサス親父の差別表現を列挙するのは心苦しいし、YouTubeでのBANという事実だけで客観的な評価は十分だろう。
(ちなみにテキサス親父自身の個人アウカウントは今も生きている。BANされたのはあくまでテキサス親父日本事務局だ。)
テキサス親父は排他的で横暴、高圧的な価値観を非難する良心的な一市民だった。
けれども彼はいつしか排他的で横暴、高圧的な価値観を振りかざして民族差別をする側の代表になっていた。