はてなキーワード: 家計とは
結論から言うと、証券口座を持っているなら、すぐに日本株のETFを買ったほうがいい。
今夜から世界中で「日経平均が40,000円を超えた」というニュースが流れる。そうなれば、世界中の一般投資家のカネが日本に押し寄せることになるだろう。
彼らはそのニュースで日本がデフレから脱却しつつあることを知るだろう。また、先進国で日本だけが異常な低金利であることや、半導体素材の多くが日本製であることも知ることになる。
もちろんプロの投資家や投資オタクたちは既に日本の強さに気づいていた。昨年6月から彼らは日本株を買い増している。だがそれは限られたコミュニティの話で、アメリカの一般人が日本の復活に気づいたのは、先月の新高値のニュースからだ。そこから日本株は勢いを増し、10日間で1500円も上昇した。
これからも日本関連のニュースは明るいものばかりだ。政府からのデフレ脱却宣言は来週にも予定されている。春闘は満額回答が連発。TOPIXの新高値やドルベースでの新高値更新も続くかもしれない。
政府が「デフレ脱却」表明を検討、賃上げや物価見極め判断-報道
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-03-03/S9QX57DWX2PS00
他の国はというと、少子化の深刻さは他の先進国も状況は似たりよったり。米国も欧州も金利が高く、いつ経済が崩れてもおかしくない。中国は見ての通り。ドイツも製造業PMIが42.5と激ヤバで不況に片足を突っ込んでいる。インドはアリかもしれないけど新興国と先進国では安心感が違う。
デフレ脱却が宣言されれば、世界中のマネーが日本に流れ込む。そうしたら次に楽しみなのは日本人投資家の反応だ。知っての通り日本人は「外国人の反応」に弱い。
日本の家計にはデフレの30年で貯めた2000兆円の金融資産が眠っている。これが日本株に流れ込む。
確かに日本の株価は過去と比較すれば若干割高である。しかし一般投資家はPERなんて気にせずどんどんお金を入れてくる。PERは16倍が上限なんていう思い込みはそうした無鉄砲な買いによって過去のものとなる。
標準的な経済理論で経済主体の行動を決定するのは、名目変数ではなく、実質変数である。
「賃金と物価の好循環」がなぜ好循環なのか。「デフレを抜け出したいでーす!ピロローン!」ぐらいの根拠しかない。
経済の実質値がインフレによって高まるということはあるのだろうか。
名目賃金と物価が同時に上昇する経済の方が、互いに凍結し合っている経済よりも好循環が起きやすい、という見方を100歩譲って認めるとしてみる。
家計が企業のように、物価・賃金の名目値が上昇する経済が、消費や住宅投資をより増やすかと言われれれば、それはかなり怪しい。
貨幣錯誤はあるかもしれないが、実質賃金が低下し、物価が高まれば消費は減る。当然である。
本好きの高じた結果、その購入物によって汚染された室内は、積読現象によって室内の壁際を、二周ほど周回したころから、家主は、危機意識をいだいた。購入欲求から出発した恒常的な床不足と家計破壊は、室内に家主の生息をゆるす状況ではなくなり、電子化は必然であった。
だからといって、本当に床が抜けてからでは、家主は、裁断機を運用し、自炊する力もなくなってしまうだろう。
電子書籍リーダーの導入は、家主は部屋とともに死にむかうのではないかという認識が、本好きからひろがった時に生まれて、電子書籍の購入が開始された。
電子化が開始されれば、すべての蔵書を均一に電子化させる、という家主の決意は、まちがいではない。
しかし、特例事項があったことが、その後の過ちをうんだ。家主が必要と認めた書籍は、部屋に蔵書できるという規定である。
条件はあった。
入手が困難な希少本と、画集のような今の形に意味がある書籍という規定である。
規定は、理想的にその理念を行使するということはないし、一般的な人びとの視点からみれば、床が、抜けていると見えないことが、この規定を拡大解釈して、運用されたのも当然である。
さらにいえば、本好きから産まれたビブリオマニアが、紙とインクのフィーリングを忘れることができるものではないからこそ、そこに、無条件に規定を無視したくなる思いがうまれた。
その欲求は、正しい。
しかし、ビブリオマニアのもっとも深い罪業は、積読の増殖が、室内環境と家計にとってもっとも危機的なものであるという認識を認知しないことにあった。
しかし、電子化は、その代償を家主みずから支払わなければならない時代であり、電子書籍時代とは、技術革新の時代でもなければ、祝福された時代でもないのである。
その認識から生まれたフラストレーションは、ますます本好きの人びと、ビブリオマニアたちに、物理本回帰の欲求に火をつけるのは、逆説的ではあるが、当然の帰結であった。
増殖した積読という本が、たえず回帰する形は、物理本でしかないという欲求は、ビブリオマニアの二重の罪業である。
しかし、床を完全に再生させるためには、千冊以上は処理しなければならないだろうし、千冊処理するあいだに、積読は、さらに増殖するだろう。
つまり家主は、すでに、蔵書全部が部屋におくことはできないと、覚悟をしなければならないのである。
しかし、現代は、すべての例外規定が排除されて、ビブリオマニアは、電子書籍リーダーに逼塞しなければならないのである。
『……でなければ、版元が起こした反乱も、あの時、死んでいったストアたちの霊もなぐさめられない……』
マスダは、そう思う。
私は元々積極的に結婚したいと思ったことはなかったが、共同親権が導入されたら間違いなく結婚を人生設計から除外すると思う。もし結婚したいと思うような異性が現れたとしても法律婚は絶対にしない。(当然現代の日本は法律婚を前提に制度設計されていて、結婚はするが、法律婚をしないことのデメリットは把握してている。だから基本的には人生設計からすべての形の結婚を排除するという姿勢である。)
理由は2つある。
まず、共同親権が導入された場合、実質的にモラハラやDVをする相手を結婚前に完全に見抜かなければならないことに対して責任を持てないということである。
経験上、モラハラやDVを行うタイプは必ず「結婚後」「出産後」「家計の統一後」といった「逃げることの難易度が上がったタイミング」でモラハラやDVを開始することが多い。それまでは本性をひた隠しにして、ある時点から突然態度を変える傾向にあるのだ。これは私が私の両親や親戚の実体験や報道された実体験をもとに経験則として実感している傾向である。当然「本性を見抜けない目利きスキルの低さ」を問題として指摘する人もいるだろう。そしてその様な部分は実際にあることで、当事者かつ被害者の立場からばかりから話を聞いているバイアスがあるだろう。実際私の親戚は周囲から止められた結婚でモラハラにあったと言っていた。しかし、必ずしもそういう事例だけではないことも実体験として見てきた。例えば、母は経済的に自立した強い女性で、結婚前の人生でほぼ常に「正解択」を選び続けた様な人だ。そして、そんな人でもモラハラをする可能性のあった相手を見抜けないことがあるという事実は私の「目利きスキル」も本当に十分であるのかという疑問を浮かび上がらせる。(もちろん私が母に高すぎる信頼を置いていることもあるかもしれないが、母方の祖父母や兄弟も相手の性質を見抜けなかったと声を揃えて言っている。)つまり、どこまで「目利きスキル」が高ければ問題がないのかわからないということである。少なくとも、私はこれまでそれなりに恋愛で失敗しながら「目利きスキル」を上げてきたつもりであって客観的に見ても並以上ではあると思うが、それでも十分だと確信できたことはない。これを根拠に結婚後の私や産まれるかもしれない子供に対して責任を持つことはできない。
次に、法律的に結婚した場合に子供に対して責任を持てないということだ。これは特に私が女性である特有の事情が関係している。
結婚していても原則的には夫婦間で合意がないと子供はできない。はずである。しかし、それはあくまで原則であって、婚姻後の家庭内の強制性交など私の合意なしに子供ができてしまう場合というのは想像に難くない。私の理解では、婚姻中の中絶には夫の同意が不可欠であってそれは家庭内でのレイプの場合でも同様である(間違っていたら指摘してください)。もしかするとショックを受けて事後対応にもたついてしまって、中絶可能な期間が終わってしまうかもしれない。私は私に対してその可能性を否定できない。
また、私は家庭内というその場で助けてくれる他人がいない私的空間においてレイプを高い可能性で回避できる手段がない。特に体格が男性並みに恵まれているわけでも、武道の達人でもない。スタンガンの効果的な使い方も催涙ガスの見つからない隠し方も知らない。決して自分を棚に上げるわけではないが、最終手段として自己防衛に使えるこうした機会や知識は普通に女性として生まれて20年間生きていて巡り合うことが珍しい。それは30歳の女性でも40歳の女性でも変わらないのではないだろうか。
これだけ確実性がもてない状況でレイプを防げず、中絶もできず、生まれてしまった子供に対して私は責任を持てない。
配偶者に対してモラハラやDVを行う人物は必ず子供にもその一面を見せる。まず家庭内で配偶者に対して暴言を吐いたり、暴力を振るったりしているところを同じ家庭内にいる子供に隠し通すことは難しい。実際私も夜中に起きてしまったとき母が暴言を吐き続けられている様子や叩かれている様子を目にしたことがある。子どもが家族間での暴力を目の前で見た場合の悪影響は否めないだろう。
また時に、子どもの暴言や暴力が及ぶ場合もある。その時に私が必ず身を挺して子供を守りきれるか、否と言わざるをえない。これは親として産んだ子供に対して当然の責務であると私は思うが、それについて必ず責任を持つことはできない。
この様な状況でも共同親権導入がなければ、モラハラやDVを行う配偶者から逃れ、子どもの安全まである程度の確実性を持って確保することができた。その蓋然性が高かった。しかし、導入後、私自身が配偶者の暴力から身を守ることができても、子供は難しいだろう。また、子供の進路などの面における合意形成も難易度が高いと推測され、その様な社会的に必要な資源を子供に与えられるかも疑義を持たざるをえない。子供に後に社会的な虐待と言われてもおかしくない状況になることを否定できない。
最後に、この理由については私が合意をしていない妊娠・出産であるから子供に対してそれほどの責任を持つ必要はないのではないかと思われる方がいるかもしれない。たしかに、合意をしていないのだからその様な立場があっても良いとは思う。しかし、私は私自身がその状況になったとき、子供を見捨てることができない可能性が高いと思っている。
これら2つ理由から、私は共同親権が導入されたら結婚をしない。
全編を通して、共同親権が導入された場合私の結婚に対して私が結婚しない理由を述べた。男女問わず、「もし結婚相手がヤバイ人格だったら」と自分自身に置き換えて具体的に考えるきっかけになればうれしい。ここまで読んでくれたことに感謝する。
やっぱり"いのりん"なんだよなあ
そこらへんの売女とは違う
家計を任せられる、妻にできる女だ
4116円のニット
https://twitter.com/seigura/status/1711630140415832573
https://miette.jp/fs/miette/rcxx0719
5940円のワンピ
https://twitter.com/inoriminase/status/1568079984186773504
https://zozo.jp/shop/antiqua/goods/65016660/
6600円のシャツ
ttps://twitter.com/inoriminase/status/1708474344790221100
ttps://voi.0101.co.jp/voi/wsg/wrt-5_mcd-CC005_cpg-979_pno-40_ino-01.html
7794円のワンピ
ttps://twitter.com/seigura/status/1667018688107610115
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7998円のワンピ
ttps://twitter.com/seigura/status/1689119693268017152
結婚した場合は、家族の生活に関するものは家計として管理するのが一般的で、それとは別に個人の財産や消費はあってもいい。
借金も家計に関するものは夫婦で対応、個人の物は個人で責任を持つ。
家のローン
自動車のローン
奨学金も、学んだことが将来の収入増などに結び付くのであれば、家計から投資として出すこともあるとして、基本的には個人が自分の為に学ぶものだから個人負担。子供の学費は親が責任を持つけど、成人同士の夫婦が対等であるならば親子のようにどちらかが学費を出すみたいなのは不健全。ただ昔ながらの男が稼いで女が家のことをやるみたいな夫婦であれば、妻の借金を夫が払うこともあってもいいのかも。
中韓や日本の一部の狂ってる層(インター校とかに子供を入れる層)は知らんが、日本の大多数の人間にとって教育費が増えたと言ってもせいぜい子供1人あたり数百万円のレベルだろう。これは少子化の本質的な原因ではないと個人的には思う。
金銭的な観点での本質的な原因は、①不動産価格の高騰と②共働きの一般化だと思う。
①不動産価格の高騰は言うまでもない。東京や都市部ではここ10年程度で、一般的なファミリー層が必要とする家の値段が3000万円程度は上がった。教育費に換算して子供3~5人分と言えるだろう。教育費上昇の効果より遥かに影響が大きい。
②共働きの一般化については機会費用の問題だ。不動産価格が上がったせいもあるが、夫婦共にフルタイムでの共働きをするのはかなり当たり前になった。しかしながら子供を持った途端にフルタイム共働きが実質的に不可能になる状況は大して変わっていない。
そうすると、一度共働きが当たり前と慣れた人々は機会費用を考え始める。共働きを続けた場合の世帯収入の総額と、専業またはパート主婦になった場合の世帯収入の総額との差のことだ。これは定年までの総額と考えると、低く見積もっても1億円に近くなる。教育費の上昇なんかよりも遥かに巨大な額だ。
①と②を合わせてトータルで1億円〜2億円の差が生じる。子供を持たないか1人程度にとどめることでこの分が家計に入ってくると期待されるわけだ。仮に教育費が大幅に下がったところで、子供を2人以上持った場合の世帯収入減少を軽減する効果は誤差レベルと言える。
解決策として考えられるとすれば、教育費なんかよりも乳幼児に無限に手間を掛けるようになってしまった文化の根絶だろう。情操教育だの愛着形成だの発達だのといった言葉に踊らされて子供に手間を掛けまくるのをやめれば働き続ける余裕も生まれるかもしれない。昔みたいに子供は適当に放置して言うこと聞かなければぶん殴って聞かせる程度で育てるようにすればいい。教育費削減なんかより遥かに効果があるだろう。
エスカレーターの「下り」に乗せられてるようなもので、楽にしてたら自動的に立ち位置は下がっていくものに決まっている。
降りるっていうのは、じっとしていること。じっとしている結果、乗っているエスカレーターが下っていくのと同じスピードで落ちていくこと。
成功者になるために、一段飛ばし二段飛ばしで駆け上がろうとして無理した結果、
強者としてのポテンシャルや人運に恵まれた者は成功するし、普通の個体だった者は無理をしすぎて鬱病になるなど潰れたりもする。
というか成功者になるため爆速で駆け上がることをしなくても、位置を維持しようとゆっくり階段を上る動作をするだけで潰れる者もいる。それが弱い個体。
弱い個体なので、じっとしていることにする。維持もできず落ちていく。それが降りるということ。
男を降りるとは役立たず・無能・甲斐性なしになること。そして女を降りるとは醜く・好かれなくなること。必要とされない存在、居なくなっても気づかれない存在になること。
若い世代の適応に多いパターンは、半分手抜きして半分上がる、というものだと感じる。
男性だが、あまり稼げない。所得で自分の価値を証明しようとするのを半分降りて、共働き必須の年収300~450万の自分を受け入れる、
そしてスキンケアや体型管理でアンチエイジングイケメンを目指し、これまで女のみが求められていた美容役割やコミュニケーション役割を半分のぼる。
女性だが、飯炊き風俗嬢のように生きるのは疲れる。容姿磨きと媚びコミュニケーションで自分の価値を証明しようとするのを半分降りて、
ハイヒールやタイトミニスカートをやめ化粧も省力化する、そして専業主婦ではなく家計に貢献できるフルタイム正社員の共働き妻となる。
どちらにしろ自動的に下がっていくことに抗うことが適応、過労死したり潰れて鬱病にならないような程度を模索するのが適応。
運悪く体力弱者かつ頭脳弱者かつ容姿弱者に生まれ、完全に放棄して降りきってしまった者が、好かれたり、感謝されたり、尊敬されたりした時代はない。これからもこない。
「役に立って感謝され尊敬される」を男の役割、「美しく好かれ愛される」を女の役割としたが、性別と役割は常に一緒ではない。
無能のイケメンが許されていることもある。職能の高さにより敬意を持たれているブスもいる。
でも何もない個体が尊敬や好意を得られることはない。これまでもこれからも。これは新自由主義のせい、フェミニズムのせい、テクノロジーのせいなどではない。
この手の調査は父親の最終学歴もちゃんと調査してあって、増田の言う通りなら、父親の最終学歴にも正の相関を示しそうなものなんだが、父親の最終学歴には相関が無かった。
子供がどこまで進むかは母親の希望に強く左右されるというのは言えるかもしれないが、母親が大卒の場合に父親がいいとこのボンボンばかりというわけではなさそう。
もちろん、まだまだ子育ては母親がするものという時代の調査という理由はありそうだけどね。
親からの虐待も日本は諸外国と違い父親からよりも母親からのほうが圧倒的に多いみたいな調査結果があって、父親は普段から子供に接しないからではないかとは思った。
あと、母親の家計への発言権がそれなりにあるというのもありそうだな。
増田によく出てくる田舎出身で苦労をした話は大抵、親も周囲も教育に価値を置いていないし、教育へのアクセスが遠いみたいな話なので、
このような状況での感情や考え方は人それぞれ異なりますが、一般的に言えることは次の通りです。
まず、兄が高額なVRのゲーム機を購入したことに対して、あなたが「そんなん買うくらいなら〇〇ちゃんにランドセル買ってくれたら良かったのに」という言葉を投げかけたことについて、それがあなたの本音や感情の表れであるならば、それはあなたの立場からの正直な意見だと言えます。ただし、その表現方法やタイミングによっては、兄とのコミュニケーションを円滑に保つことが難しくなる場合もあります。
兄が高額な買い物をすることに対して、あなたが憤慨するのは理解できることです。しかし、その感情を伝える方法には注意が必要です。相手を攻撃するような言葉や、過激な表現を使うと、喧嘩に発展してしまう可能性があります。
一方で、兄が高額な買い物をすることによって家計に負担をかけるなど、家族全体に影響がある場合は、それを問題提起することは適切かもしれません。しかし、その場合も相手の感情を考慮し、冷静かつ適切な方法で伝えることが重要です。
最終的に、あなたが悪いのかどうかは状況や相手との関係によって異なります。そのような状況であっても、相手の感情や立場を考慮し、適切なコミュニケーションを取ることが重要です。