はてなキーワード: グラデーションとは
のブコメで、「外見の良さを褒めるのはいいけど、外見の悪さを貶すのは駄目」
「外見の良い人が良く扱われるのはいいけど、外見の悪い人を悪く扱うのは駄目」
てあるけど、それ本気で言ってんの?
この手の主張する人の頭の中では、
と、100人に1人レベルの美男・美女が褒められ優遇されていい目に合うのは、稀な例外だからいいよね、どうせ私たちには関係ないし普通以下のみんなほぼ平等だからいいよ、優遇0であるのが普通なんだから。
くらいの軽い認識なんだろうけど、現実には美しさ・醜さはデジタル2値ではなくグラデーションで
すごい美人もいれば、少し美人、普通、少し醜い、すごく醜い人もいるわけで、現実としてはこんな状態でしょ
これで「優遇0であるのが普通だから、外見の悪さによる差別など存在していない。美しさに応じて優遇されいい目に合うのは問題ない」て言える?
どこが「普通」なのかなんて相対的なもので、外見レベル0の人から見れば、外見の良さで「1」いい目に合ってる人たちばかり見えてそれが基準で、自分は「マイナス1」で差別されてるようにしか感じられないだろ。
そこで「外見レベル0の人にも1の優遇をしましょう、差別良くない」といって優遇1に引き上げたとしても、
外見10,5,2,1の人達からは2以上の優遇されてる人たちが目について、やっぱり「自分は外見の悪さで差別されてる」て思っちゃうだろ。
優遇1の人が50%いたらそれが普通だから問題ない?10%しかいなかったら問題?1%なら差別?それだれがどう判断して決めるの?
Twitterを見ているとたまにオタクが書いたと思われる絵が流れてくるのだが
イイネやリツイートが多い絵は総じてルッキズムに基づいていて気分が悪くなる
まず顔に関してなのだが、奇麗に左右対称になっている事が多い
残念ながらそういう顔は「容姿端麗」と言われる人の特徴で
普通の人はそんな奇麗に左右対称にならない
昨今はデジタル化で顔パーツを奇麗に並び替えることができるようだがそんなものは余計だ
人の顔はある程度歪んでいるのが普通なので
そういう野暮な調整はやめてほしい
肌もちょっと奇麗過ぎる
色の変化もグラデーションをかける程度なのが多い
実際は肌にはシミや毛穴、ニキビなどがありある程度はまだらになるのがリアルな肌なのだ
完全にオタクの書く絵に沿ったようなグラデーション加工を施している
そして目に関しては
そもそも大きすぎる
瞳も無駄に色々加工し過ぎだ
目というのは外側から強膜(白)、網膜(茶)、瞳孔(黒)という構成で
これに逸脱した色や形の目を書くのはルッキズムを増長させているとしか思えない
目の高さも完全に左右で揃っているわけではないことが多い
以上からオタクが書く絵はルッキズムを増長させる装置として働いている部分があるため早急に滅するのがベストだろう
「いやお前がシャットアウトすればいいだろ」とか言われそうだが
言われなくてもTwitterでチラ見する度にブロックして見えないようにしている
ただそれでは全く意味がないのだ
いわんとすることはわかるんだけど
「被害」という強いう言葉を使うには、実際の犯罪率が線引きになると思う。
女性による男性へのレイプ被害率が、男性による女性へのレイプ被害率と同じになるまでは、絶対に共感はできない。
結婚詐欺は男女どちらもそこそこ見かけるけれど、レイプ被害だけは99.9%だ。
これほど性別に偏った犯罪が横行してる限り、男もかわいそうなんだよ、はもう絶対に認められるのは無理だ。
そんな立場では何を言っても無理だ。
男女平等というよりは、性別のグラデーション化の方向のほうが、比較的早く成し得ると私はおもう。
夜道が怖いという男性もいるだろうという発想
男女で2つに分けるという思考を社会全体でナンセンスにもっていくというかね。
やむを得ず男女を分けなければいけない場をのぞき
動画編集ソフトのダビンチは基本的に実写動画の加工がメインだ。どちらかというと映画などで使われることが多くて、日本のようなアニメーションを多用する切り貼り動画にはあんまり向いていない。
その上に元々がカラーグラデーションの調整に特化したソフトということから、AdobePremireとかの本格的な動画編集ソフトより使い勝手や機能は劣っている。しかも珍しくノードを基準にしているので、レイヤーで考える普通の動画編集ソフトよりとっつきにくい。海外産ということもあってQ&Aもあまりなくて日本語ローカライズが中途半端ってところから、日本の利用率ってあんまりない。
無料な高機能ソフトなのでチャレンジした人もいるはずだけど、ちょっとしたVLOGの切り貼りならともかく、ゆっくり動画とかには全然使えなかった。なにせ矢印や四角形を置くこと一つが手間を要すんだもの。
特にゆっくりのキャラに口パクさせたり自在に動かすってのはダビンチには向いていない。
というのは1年位前までで、最近になってその考えがちょっとだけ変わってきた。
VoiceVoxやゆっくりボイスを簡易的に連携させたり、口パクやキャラの動きをつけたりといったことが楽になるツールが開発されているからだ。最初こそ補助的に使えるかなってものだったが、もはや立ち絵と音声合成ソフトがあれば十分に使えるレベルにまでなっている。YMM4の使い勝手にはあと1年程度で追いつくんじゃないかな。
そのころにはYoutubeの解説動画関係が軒並み下火になっているかもしれないが、なんにせよ日本語でダビンチのツールが開発中ってところにオラワクワクすんぞ。
当初は真面目な口調で解説しようと思ったのだけれど、堅っ苦しくするのもエントリの空気感自体が専門的になりすぎる気がしたので多少くだけた口調で進めさせて貰うね。
んで、まずはすべての絵師の皆様へ伝えたいことがある。
前提として、この「すべての絵師の皆様へ」の見出しの段は以降の見出しの段を書き終えてから追記したものだ。編集後記みたいなものか。
それでは話そう。
皆さんは絵師で絵を描き、ボクはプログラマーでプログラムを書いている。
大きなカテゴリで言えば同じくモノ作りをする属性を持った人間だろうと思わせてもらいたい。
同じくモノ作りをする人間として、絵師の皆様の混乱を知って「あぁコレは絵師の豊かな想像力が悪い方向に働いちゃってるな」と感じたんだ。
間違ってたら申し訳ないけれど、おそらく多くの絵師がイメージしたのは創作内に出てくる人工知能だ。
人工知能の暴走によりディストピアが発生する。そのようなイメージが湧いたんじゃないかな?
そして絵師たちは、ディストピアの前段として自分たちの画風・技術を学んだ人工知能が自分たちのオリジナリティを奪い、自分たちの生活を、自分たちの価値を崩壊させるんじゃないか?と不安になった。
ターミネーターのスカイネットような、火の鳥未来編のハレルヤとダニューバーのような人工知能の支配と暴走が起きるのではないかと。
もしも違う、そうではないと思うのであればココで読み終えたら良いと思う。このエントリは上記を前提に話が進められる。
しかし「その通りなんだ!人工知能はよくわからないけど自分の絵が盗まれるんじゃないかと怖くて怖くて仕方ないんだ!」と思ったのならばボクはこのエントリを書いた意味がある。
絵師だけでなく多くの一般人は知らないが、わかりやすく「人工知能とはなにか?」を解説する際に大半の情報技術者が納得する極々シンプルな表現に「人工知能とは計算機である」という表現があるんだよね。
つまり1 + 1 = 2を計算できる電卓の超高度版が人工知能ということであって、情報技術に関してちょっと疎い人は信じられないかも知れない。
しかし、電卓の中でもちょっと高度な関数電卓になると筆算で苦戦する人がそこそこいるであろう平方根√の計算は出来るし、時間計算に便利な60進数換算が出来たりもする。
そもそも、いわゆるパソコンも計算機の一種であって実際に話題になっているStable Diffusionもパソコン上で動く。
ただし、多くの人工知能は電卓やパソコンのようにハードウェアではないソフトウェア計算機であるという違いがある。
普通の電卓と人工知能の何が違うのか?
それは見かけ上で入力する「パラメータ」に違いがあるんだよね。
それではパラメータとは何か?
これは1 + 1 = 2で説明すると非常にわかりやすい。
パラメータとは1 + 1 = 2のような非常にシンプルな計算式では「1」のこと。早い話が数字なんだ。
そして計算結果を出すには計算式が必要で、足すのか引くのか、掛けるのか割るのか、その振る舞いを決めるのが「+」である。
この計算の振る舞いを人工知能へ置き換えると「アルゴリズム」と呼ばれるようになる。
細かいことを抜きにすると1 + 1 = 2の+部分はアルゴリズムとまずは理解しよう。
演算子はアルゴリズムなのか?とツッコミたくなる有識者も居るだろうけど話を複雑にするツッコミは取り敢えず横に置いておこう!
「1」がパラメータ、「+」がアルゴリズムと言うのは理解できるけど、人工知能へ置き換えられてしまうと理解が難しい。
そんな人は安心してくれ。人工知能へ置き換えたって意外とシンプルだ。
例えば普通の電卓よりも高度な関数電卓でパラメータ「円周率」を入力したい場合どうしたら良いの?
「3.141592…」と入力していくのだろうか?
それは思い違いで、関数電卓には円周率が格納された「π」があるんだ。
しかもたいていはπボタン一発で入力できる。入力手順が多くてもボタンを2回3回押下するだけだ。
関数電卓を扱える者は高度な円周率をたった1つのπで利用できてしまうわけで、何だかこれはどこかで聞いた話じゃないかな。
ご想像の通り、人工知能の、特に今話題のイラストレーションAIのパラメータとは「Sky(空)」や「Sea(海)」などの言葉なんだ。
普通の電卓ではパラメータ「1」が選択でき、関数電卓ではパラメータ「π」が選択でき、イラストレーションAIではパラメータ「Sky(空)」が選択できる。
この時点で絵師や多くの一般人が「人工知能は本質的に超高度計算機である」ことが理解できたはず。
扱えるパラメータボタンがメッチャクチャ多いのが人工知能なんだ!
しかもイラストレーションAIが扱えるのは「+」や「-」というアルゴリズムだけでなく「絵を描く」というアルゴリズムまで扱える。
「Sky(空)」「次のパラメータを加えて絵を描く」「Sea(海)」の計算結果として「空と海が描かれたイラスト」を得られてしまうのがイラストレーションAIなんだ。
これは大変センセーショナルだよね。
しかもイラストレーションAIが機械学習によって既存のイラストから学びを得てイラストを生成していると言うじゃないか!
絵師が自身のオリジナリティをイラストレーションAIに盗まれてしまうかも知れないという危機感は物凄く理解できる。
普通の電卓から関数電卓、パソコン、人工知能に至るまで計算機の最大の欠点とも言って良い要素に「計算機はパラメータの意味を知らない」というものがあるんだ。
それこそボクのこの話が意味不明だろうから解説しよう。
例えば皆さんが単純に「1 + 1 = 2」という計算式を認識したとき、この計算式がなにを意味しているか、なにを計算したのかわかるだろうか?
さっそく答えを言ってしまえばわかるわけがないのだ。
この「1」や「2」は人数かも知れないし個数かも知れないし、日数かも?電力?重さ?年齢?さっぱりわからないよね。
当然の話だよね。ボクたち人間は計算を用いる際は何らかのシチュエーションに於いて、何らかの意味を求めて計算をするのだから。
単純に「1 + 1 = 2」と記述されても各々のパラメータが意味することが明示されていないから誰にも理解できない。
同じように、あなたが鉛筆の数を計算しようとして普通の電卓へ「1」というパラメータを渡しても、その「1」が鉛筆のことであると決して電卓は理解しない。
それが関数電卓であってもパソコンであっても人工知能であっても計算機は決してパラメータの意味を理解することはないんだ。
「1」が鉛筆であると知っているのは今まさに電卓で計算しようとしている本人だけだ。
絵師の皆様へ問おうじゃないか。
あなたの「Sky(空)」はどのようなものか?と。あなたの「Sea(海)」はどのようなものか?と。
イラストレーションAIを活用したいと考える皆様へ問おうじゃないか。
あなたの「Sky(空)」はどのようなものか?と。あなたの「Sea(海)」はどのようなものか?と。
あなたの藍はどれほど青いのか、絵師の藍がどれほど青いのか、個々人の藍がどれほど青いのか、イラストレーションAIは機械学習をどれだけ重ねてもそのパラメータを理解することはない。
なぜ理解しないのか?
イラストレーションAIは計算機だから、道具だから、そして新しい時代の絵筆だから。
はっきりと言ってしまえば、イラストレーションAIが教師データとして収集した既存イラスト群へ機械学習をかけ、そこから新規イラストを生成しようとしても、イラストレーションAIが保持しているパラメータが意味するものは、個々人の主観と同一のものであるとは限らないだよね。
しかも、イラストレーションAIのパラメータは既存イラスト群から統計的に成立させたものであるから特定個人の主観と100%合致することはないと言って良い。
「私の空は緑から青のグラデーション」と考える人が居ても、その人が求めている緑や青などの色、グラデーション感、そもそも空の描画の仕方、雲があるのか無いのか、光はどうなのか、イラストレーションAIへ与えるべきパラメータを想定するだけで膨大になっちゃう。
少なくとも「緑から青のグラデーションの空」程度のパラメータでは現在のイラストレーションAIでは理想的なイラストが生成される可能性は著しく低いはず。
これはもう完全に「この色とあの色を混ぜてどうのこうの」という状況とまったく同じであり、だからこそ「Stable Diffusionのパラメータがどうのこうの」という記事が乱立しているんだ。
断言して言おう。
現在のイラストレーションAIという絵筆を最も上手く扱えるのは絵師の皆様であると。大半の一般人よりも「Sky(空)」や「Sea(海)」の奥行や深みを知る絵師のパラメータ調整はボクたちのような情報技術者は決して敵わないだろうし、多くの一般人などは写像の言語化すら困難なはずだ。
例えmimicのような特定の絵師の特徴量を学習できるようなイラストレーションAIが登場しようが、そのパラメータを区切り設計しているのは絵師よりも「Sky(空)」や「Sea(海)」を知らないボクたち情報技術者だ。
ボクたちは絵師がどこまでを「Cheek(頬)」と考え、どこまでを「Forehead(おでこ)」と捉えるかを知らない。
ほぼ間違いなく我々はあなたの絵柄を完璧に出力することはできない。あなたの絵柄と比較してどこか違う、どこか違和感のあるイラストしか出力できない。
情報技術者はあなたではないから、あなたの認識の範囲を知ることができず、そうならざるえないんだ。
あなたであれば知っていることをmimicは決して理解できない。なぜならmimicは計算機だから。
計算機は1 + 1 = 2の意味を理解しない。あなたのイラストの特徴量を学習しても出力されたイラストがなんなのか計算機は、人工知能は理解していない。
イラストレーションAIであなたの作品を出力できる人間はこの世でたった1人、あなた自身だ。
イラストレーションAIは新しい絵筆であり、今後新たな絵筆がどんどん登場するはずだ。
例えば描画キャンパス全体の傾向からペンの入り抜きを自動的に補正するイラストレーションAIペンなど面白いかも知れない。
これを実現するにはmimicと同じようにあなたのイラストを人工知能へ学ばせることが必要になるだろう。
しかし、その入り抜きが正しいか判断するのはあなた自身なんだ。何故ならばイラストレーションAIは絵筆であり、絵筆の振る舞いが正しいか決めるのは意志のない絵筆ではなく使用者だから。
性自認はグラデーション。どんな人でも成長や気分で常に変わるもんなんだよ。
恋愛感情、セクシュアリティ、性欲減退、新生活への渇望、ごちゃ混ぜ。
ほんとに興味ないやつはこの記事すら見ない。
「あなたに無関心」って陰で言う事がどれだけ当事者を傷つける分かってんのか。
ここでさえ自分に正直になれんのか。
今まで父親の理想像をメディアで語っておいてーとか言う奴もいる。
あのな、結婚初日から「私、おそらく離婚します」なんて思うやつなんているか?
良きパパでありたいと思うのは当然。
そうありたいと努力して、いままのいままで人生頑張ってただろ。
仕事でもプライベートでも生活のために必死に自分を切り売りした。
りゅうちぇる「今まで黙っててごめん」
ぺこ「いままで辛かったね」
これがお前らにこんなにも響かんとは。
こいつら20代だぞまだ。
当事者のセクシュアリティ、「墓場まで持っていって欲しかった」発言、そっち興味あるとか人として終わってるわ。
りゅうちぇるくん今までよく頑張ったな。
俺に抱かせろ
性自認はグラデーション。どんな人でも成長や気分で常に変わるもんなんだよ。
恋愛感情、セクシュアリティ、性欲減退、新生活への渇望、ごちゃ混ぜ。
ほんとに興味ないやつはこの記事すら見ない。
「あなたに無関心」って陰で言う事がどれだけ当事者を傷つける分かってんのか。
ここでさえ自分に正直になれんのか。
今まで父親の理想像をメディアで語っておいてーとか言う奴もいる。
あのな、結婚初日から「私、おそらく離婚します」なんて思うやつなんているか?
良きパパでありたいと思うのは当然。
そうありたいと努力して、いままのいままで人生頑張ってただろ。
仕事でもプライベートでも生活のために必死に自分を切り売りした。
りゅうちぇる「今まで黙っててごめん」
ぺこ「いままで辛かったね」
これがお前らにこんなにも響かんとは。
こいつら20代だぞまだ。
当事者のセクシュアリティ、「墓場まで持っていって欲しかった」発言、そっち興味あるとか人として終わってるわ。
りゅうちぇるくん今までよく頑張ったな。
俺に抱かせろ
何かしら個性があってなんぼのイラストがコモディティ呼ばわりされうる時代になったとはなんとも悲しいねえ
ま、二次元に愛着のないマーケッターから見れば同じようにしか見えないんだろうが見る人が見れば一見同じような画風の集まりのなかにもやっぱり似たような凡百としか思えない絵から、これは一味違う保存に値するものとして見出すところまで判断のグラデーションがあるからなあ。
気に入った絵師のpixivとか特定したいならいつも通りsaucenaoや知恵袋という人力検索あたりをうまく活用するしかないってことね
はともかくとして、増田が子供が好きな人間だったのは良かったと思うが逆に周りからの圧力で流されて子供を産んで苦しんでる人もたくさんいるという事実があるんよ
https://www.amazon.co.jp/母親になって後悔してる-オルナ・ドーナト/dp/
フェミニストのなかにも、心が男のLGBT的な人がいるんじゃないのかなって。
心が男で女性的な母とか妻を押し付けられると耐えられない、みたいな人いるんじゃないのかなって思った。
発達障害とかは普通の人とグラデーションって言われてるけど、LGBTもそうなんじゃないの?
心は男性!とは言い切れないけど、なんとなく女性ともいいがたい、みたいはグレーゾーンの人。
私もちょっとそんなとこがあるので、レズの人に近づいたら「そんな興味半分で近寄られても迷惑だ」ってバッサリ言われて。
LGBTの権利が認められて堂々と世の中に出てくるのが悪いとは言わないけど、いままでグレーゾーンでなんとなく結婚して子ども産んだタイプが思春期の中2病こじらせたなかで「私はLGBT!」とか宣言しちゃって後戻りできなくて出産までたどり着けずに寿命を終えるとしたらちょっともったいない気もする。
自分が何だろうが自分の子どもはかわいいし、遺伝子のリレーをつなげられた安堵感は大きい。
LGBTを自覚せずに大人になる悲しみ(フェミ化)、喜び(結婚出産)、いろいろあって人生だ。
りゅうちぇるはしらん。
多分。
https://togetter.com/li/1932519
このまとめを見て、
「たくさんテレビや雑誌に出てほしいからハガキを書いてたんだけど…」
などの声を見て、自分と「好きになり方」が違うんだな、と思ったので個人的な認識を書く。
私はあまり「推し」という言葉を使わない。なんとなく違和感があって苦手だ。
じゃあなんなのかというと、突き詰めてしまえば私は「消費者」だと思っている。
私は彼らの能力――音楽や、演技や、トークや芸――にお金を払うだけの価値があると思うからお金を払っている。
「健康でいてほしい」「幸せでいてほしい」とか、そりゃ思うか思わないかなら思うけれど、
当人に声をかける機会があっても、「お疲れ様」「ゆっくり休んでね」と伝えるよりは、
今過ごした時間がどれほど楽しかったか、その人の演技や演奏がどれほど素晴らしかったかを伝えたいと思う(なかなかうまくは行かないが)。
人によってその割合はグラデーションになっているのではないか。
「コンテンツが好き」も「人が好き」もどちらも間違った気持ちではないが、
好きな気持ちが噛み合わないとお互いに不幸なように感じる。
例示が古くて恐縮だが、秋元康アイドル(AKB等)の投票券商法などは
楽曲というコンテンツそのもののためでなく、推しの順位を上げるために金を払う……という点で「人が好き」に近いのではないかと思う。
(「推しの順位を上げる」という祭りに金を払っている、という点ではコンテンツかもしれないが…)
では、自分たちで作詞作曲して活動しているバンドのCDを、一人のファンが何十枚何百枚と購入してみせたとして、
そのバンドが手放しで喜んでくれるか……といえば微妙ではないだろうか。
一般にバンドは楽曲という「コンテンツ」で商売をしたい人たちで、
「人が好きだ」という動機で、コンテンツを蔑ろにお金を払われても嬉しくない人のほうが多いのでは…と思う。
もちろん、「コンテンツ」「人」のどちらが好きである、と100:0で決められることはなく、
みんなそれぞれに割合があるとは思うのだが、
しかし、コンテンツを売りたいと思っているのに人の部分にばかり着目されてしまう場合
私は渦中のVTuberのことをよく知らないが、
決してVTuberの全員が、「人が好き」なファンばかりを狙っているわけではないのではと思う。
ファンとはいえ人間だから、当人の希望に100%沿うべきだなんて思わないが、