はてなキーワード: お供えとは
「俺がオナニーすると雨が降る」
当時かなり好きで萌えてたアニメキャラのポスターを部屋に貼っていた。
初めて1人で遠くの映画館まで見に行き、
普段グッズ方面に小遣いを使いたくない俺が初めて買ってきたものだ。
そのポスターの前にほぼ毎日お菓子をお供えし、数十分ほどしてから食べていた。
心や物を大切にすればなにか返ってくるのではないだろうかと思うほどの信仰童貞脳だった。
我慢しすぎて夢精するほど溜まっていた。
そしてある日、ポスターのキャラを裏切って別のオカズでオナニーし始めた。
夏いうこともあったが、まだ日が明るい時間なのに暗くなっていった。
どんどん近づき大きな雷が何回も鳴り続けた。
実際の時間はわからないが30分か1時間か、ともあれ長く感じた。
雷が止むまで心のなかでごめんなさいと謝り続けた。
何故忘れていたのかという不思議さがあって、
また忘れそうなのでここに記録しておく。
週刊ポスト 2015年4月15日号 高市早苗総務相実弟秘書官が関わった「消えた公庫の1億円」重大疑惑を追う 「議員案件だから信用した」内部証言を入手!
週ポ、がんばってるなあー
その態度が不自然すぎて笑っちまう
叩けばいくらでも汚いホコリは出てくるだろマイタケ?
それにしても安倍トモダチはうらやましい
オレにもマル政案件ください
三重県の小さな農業法人で起きた事件が、永田町に大きな波紋を呼び起こしている。税金からの融資1億円が闇に消え、高市早苗・総務相の実弟である秘書官が、その企業の資金繰りに奔走していた。4月6日発売の週刊ポスト(4月17日号)が、高市氏を襲った「消えた1億円」疑惑について詳報している。
舞台となったのは、三重県鈴鹿市郊外の栽培用ガラスハウスで椎茸を栽培する農業法人・N社。実質的な経営者は奈良で有力な企業グループを経営するM会長だ。M氏は高市氏の重要な支援者人脈であると推測できるようだ。
このN社の経営実態は火の車だった。だが、N社は日本政策金融公庫から2011年1月の無利子融資を皮切りに2012年5月にかけて計2億2000万円の融資を受けた。だが、最後の融資の1年後(2013年)には融資がほぼ焦げ付いたという。同誌が入手したN社の債務状況を調査した資料には、〈総額1億円以上の使途不明金が発覚した〉との記述があった。
日本政策金融公庫の無利子融資には税金が使われている。N社の使途不明金の原資の一部は税金だ。このN社の資金繰りをめぐって駆け回っているとされたのが高市氏の実弟秘書だった。
同誌は足かけ3か月にわたって関係者に取材、数々の証言から疑惑の全容と高市事務所の具体的な関与の事実を掴んだ。高市氏の実弟秘書官、前出のM会長の反応も掲載している。
2015.04.06 07:00
ココ↓に高市疑獄の秀逸な完全図解解説がある。必見!
「俺には大きなバックがいる。国からカネを引っ張れる」
その「政府系金融機関」がまさに
そういう意味で今回
高市早苗・総務相が政治資金を選挙区に配った公職選挙法違反疑惑が、週刊ポスト(12月22日発売の1月1・9日号)の取材で浮上した。高市氏は現在53歳、1993年の衆院選で初当選し、6期目となるベテランだ。第2次安倍改造内閣で総務大臣の座を射止めた。
その高市氏の新疑惑の舞台は地元選挙区(奈良2区)の大票田のひとつである天理市だ。同市は公称信者数200万人を誇る天理教教会本部の所在地である。
同誌が問題としたのは、高市氏が代表を務める「自民党奈良県第2選挙区支部」の政治資金収支報告書にあった2012年1月6日の記述だ。そこには、「天理教教会本部」に「会費」名目で支出された「2万円」が記入されていた。
天理教関連団体へと見られる同額の支出は高市氏の夫である山本拓・衆院議員の資金管理団体の収支報告書にもあった。同誌が山本氏の事務所に取材すると、天理教本部で毎年1月上旬に開かれている「お節会」に、同額を「お供え代」として払っており、「高市代議士も払っていると思います」との説明があった。
もし、高市氏の「2万円」が「お供え代」なら、公職選挙法で禁じられた地元選挙区への寄付にあたる疑いがある、と同誌は指摘している。公選法では〈公職の候補者等の寄付の禁止〉として、政治家は選挙区である地元への金銭・物品などの寄付行為が禁じられている。「買収行為」に直結するためだ。
2014.12.22 07:00
高市早苗総務相は6日、国会内で記者会見し、三重県鈴鹿市内の農業法人が日本政策金融公庫から受けた計2億2000万円の融資を巡って、高市氏の大臣秘書官を務める実弟が関与したとする同日発売の「週刊ポスト」の記事について「悪質でひどい捏造(ねつぞう)記事だ。融資には高市事務所も秘書官も私も一切関与していない」と述べ、全面的に否定した。
高市氏は、実弟が週刊誌側を相手取った民事訴訟や刑事告訴を検討していることを明らかにした。
高市氏は、記事で農業法人の実質的経営者とされる人物について「関係は全くなく、面識はない」と強調した。【小田中大】
04月06日 22時57分
http://mainichi.jp/select/news/20150407k0000m010043000c.html
高市早苗総務相は6日、三重県の農業法人が日本政策金融公庫から受けた融資に高市氏の実弟である秘書官が関与していたとする週刊誌報道について、国会内で記者会見し「私も秘書官も一切関与していない。悪質な捏造(ねつぞう)記事だ」と説明した。民主党の岡田克也代表は同日「国会などでただしていく必要がある。きちんとした説明を期待したい」と述べた。神奈川県内で記者団の質問に答えた。
2015/4/6 18:39
高市総務大臣は、国会内で記者会見し、三重県の農業法人が日本政策金融公庫から受けた融資などにみずからの秘書官が関与していたと週刊誌が報じたことについて、「秘書官や私は一切関与しておらず、悪質なねつ造記事だ」と述べ、記事の内容を全面的に否定しました。
6日に発売された「週刊ポスト」は、高市総務大臣の秘書官を務めている高市大臣の実の弟が、三重県の農業法人が日本政策金融公庫から融資を受けたり、資金調達をしたりするのにあたって関与していたなどと報じました。
これについて、高市総務大臣は記者会見で、「公的金融機関からの融資には、高市事務所も秘書官も、そして私も一切関与していない。一点の曇りもないと自信を持って申し上げられる。記事の見出しや内容はあまりにも悪質で、ひどいねつ造記事だ」と述べ、記事の内容を全面的に否定しました。
そのうえで、高市大臣は「この記事は、私や秘書官の信用を傷つけたということだけにとどまらず、安倍内閣全体のイメージを損ねる可能性がある」などとして、秘書官が今回の報道について、民事と刑事で告訴する準備を進めていることを明らかにしました。
これについて週刊ポスト編集部は「本誌の取材内容は、4月6日発売号の誌面で報じたとおりです。必要とあれば、今後も誌面にて取材内容を報じてまいります」とコメントしています。
4月6日 15時59分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150406/k10010040061000.html
そーいえば海外紙が
思い出した。コレだ↓
いや。ちょっとちがう。
あたしは町を出たかった。町にいたくなかった。でも都会に行きたいわけじゃなかった。あたしは空にぽっかり浮かぶ、あの月に行きたかった。そして月にいくその方法がアナウンサーなんだって思ってた。あの頃は。
あたしの住んでた町は海沿いの辺鄙なところで、今ならわかるけどよそとはちがうちょっとだけ変わったしきたりがあった。
海につながる砂浜から防風林を抜けると町を横切る唯一の県道がある。県道をわたると森があって、森の入口から奥に狭い石段が続く。50段くらい上ったところで森はいきなりひらけて、こんもりとした小山がありその上に小さな祠があった。
観音扉の格子の隙間からは幅1メートル、高さ20センチくらいのたいらな石が見えた。下のほうは地面に埋まっていて、石のまんなかあたりにへんな文字が彫ってある。あたしにはどうみても数字の「710」って読めるんだけど、大人の人たちはそんなわけないって言ってた。
それでへんなしきたりっていうのが、町の子供たちが交代でコップ一杯の海の水を汲んできて祠にお供えするっていうやつ。よその子たちはめんどくさがってやらないこともあったんだけど、あたしは毎日水をお供えしてた。
普通のお供えなら水道の水だと思うんだけど、ここの祠はなぜか海の水ってことになってた。あの頃は疑いもしなかったけど、今考えるとだいぶ変だと思う。
あたしは家にいたくなかったから毎日お供えしてた。学校の帰り道に海にいって水筒に水を汲む。石段をのぼって祠につくとなぜかいつもコップはからっぽで水筒から水を注ぐとお供えは終わり。あとはずっと祠のそばに座って、宿題したりぼーっとしたりしてた。日が暮れると決まって月がのぼっててあたしはそれをいつも眺めてた。月が見えなくなってさすがに遅くなるとしょうがなく家に帰った。
あたしは家で殴られてた。ずっと前にお父さんは仕事がなくなってて、お母さんがパートに行ってた。お父さんはあたしのことが気に入らないみたいで、なにかしら理由をつけては殴ってた。お母さんの前では殴らなかったからお母さん気づいてなかったのかな。よくわからない。
とにかくいつも殴られてたからあたしは家にいたくなかった。どこでもいいからこの町の誰も知らないところに行きたいって思うようになってた。でもどこに行ってもいやな人や殴る人がいるかもしれない。そんなふうに考えたら、いつも祠で見上げてるあの月に行きたいって思うようになった。たぶん知ってる人は誰もいない。誰も殴ってこない。ここよりずっと静かな場所で、だからあたしは月に行きたいって強く思った。
ある日のニュースだった。
この国ではじめて宇宙に行くっていう人がテレビに映ってた。ジャーナリストの男の人で外国のロケットに乗って宇宙に行くって言ってた。ジャーナリストっていうのがわからなくってお父さんに聞いたらアナウンサーみたいなもんだって言いながらあたしを殴った。
あたしは、だからアナウンサーになりたいって思った。アナウンサーになれば、ロケットに乗れて宇宙に行ったりもしかしたら月に行けるんじゃないかって思った。次の日、お母さんにこっそりアナウンサーになりたいって言った。お母さんは喜んでくれてた。あたしはうれしくなってこっそり祠に行って月を眺めてた。すごくすごくうれしかった。
アナウンサーってどうやってなればいいのかわからなかったけど、教科書のはしっこにアナウンサーの落書きとかしてた。お父さんには毎日殴られてたけど、アナウンサーになって月に行けばお父さんはあたしを見上げるしかなくっていい気味だと思った。なんだか殴られても平気だって思えるようになった。毎日毎日祠にお供えしてアナウンサーのことばっかり考えてすごくうれしい気持ちになってある日の夜家に帰ったら、お父さんがお母さんを殴ってた。
お母さんは丸まったままやめてって叫んでた。でもお父さんは殴り続けた。あたしもとびついてやめてって叫んだ。そしたら今度はあたしを殴り始めた。でもお母さんが殴られないならそれでいいやって思って我慢してた。我慢して殴られ続けた。
お父さんが言った。
「おまえなんかアナウンサーにはなれねえよ」
頭が真っ白になった。ふざけんなって言いながらお父さんに殴りかかった。なんどもなんども殴りかかった。でも一発も当たんなくって逆に殴られた。くやしくってくやしくって腕を振り回したけどでもダメであたしは泣きながら玄関を飛び出した。
行く場所は祠しかなかった。他に行くあてなんかなかった。あたしは祠でずっと泣いた。泣いてるうちにいつのまにか眠っちゃったんだと思う。もう空が白みはじめてて、これからどうしようかって考えた。
祠を見るとコップの水がなくなってた。とりあえずお供えしよう。あたしはコップをもって海に行き、水を汲んできてお供えした。あんなに悲しかったのにいつものクセでお供えしちゃうんだなってなんだかおかしくなってフフって笑った。
そのときだった。
ゴゴゴゴって大きな音がしたかと思うと地面が大きく揺れた。立ってられない。頭をかかえてしゃがみこむ。
どうしよう。地震だ。たぶん大地震だ。怖い。お父さんとお母さんは大丈夫かな。そんなふうに思ったつぎの瞬間には地震はピタリとやんだ。
おそるおそる目をあける。森の木が何本も傾いてる。祠が壊れていた。祠の中にあったたいらな石がむき出しだ。まわりの土がみんな崩れて地面の下に隠れていた部分もあらわになってる。
「710」
「NOOW]
710の下にも文字が続いてる。どういう意味だろう。でも今は町がどうなってるかのほうが心配だった。
え?石が……しゃべった?
え?え?
「<オジョウサン、サキホドノオイル取得感謝シマス。アナタノオカゲデ任務完了デス>」
「<アナタガサキホド設置シタオイルデ採取目的量ヲクリアシタノデス。任務開始カラ長イ年月ヲヘテヤットオワル>」
……あなた、いったい何なの?
月?今、月って言わなかった?
「<ソウデス。月資源『ムーンオイル』採取ノタメ、現在カラ約600標準年前ニコノ静カノ海ニ到達シタモノノ事故発生シ緊急着陸シタノデス>」
600……年?
「<オジョウサン、アナタハ当船乗組員ノ子孫デスネ。当船ハ事故ニアイホトンドノ機能ヲウシナイマシタ。当初目標デアル『ムーンオイル』採取完了ニヨッテ起動スル帰投プログラムデシカ月面カラノ脱出ハフカノウ>」
ちょっとまってちょっとまって。いろいろわからないけど聞いていい?
「<ナンデショウカ?>」
ここが月なの?じゃあ、あのあたしたちが月って呼んでるあれは何?
「<地球デス>」
「<事故後ノ乗組員タチガ地球ヲ月ト呼ブコトニシタ理由ハ類推デキマス。地球ヘノ帰還ガ困難トナッタタメコノ月ヲ地球トヨブコトニシタノデショウ>」
「<ソシテ子孫ヲ残シ、町ヲ築キ、コツコツト『ムーンオイル』採取ヲ続ケタ>」
「<ソレヨリ、今オジョウサンハ月……デハナク地球ニ行キタイトオッシャイマシタネ>」
え?そ、それは。確かにそうだけど。でも町が……。
「<町ハ心配イリマセン。先ノ揺レハ当船ノ起動ニヨルモノ。ソレヨリ、オジョウサンハ地球ニ行キタイト?>」
……う、うん。……行きたい……。行きたい!
「<ゼヒ乗船クダサイ。本船ハ地球ニ向カイ成果報告ヲセネバナリマセン>」
「<乗組員ノ子孫ノクチカラ、600年ブリノ成果を地球ニイル人類ニアナウンスイタダキタイ>」
……アナウンス……する……?
……うん……わかった。行く。
地面がせりあがり階段が現れる。あたしが乗り込むと扉は閉まり、大きな音を立てて地面の下から船が現れる。祠の部分につきだしていた平らな石は採油口だ。船が空中で180度旋回し機首を空へ向けると、採油口に刻まれた文字が見える。
「MOON」
「OIL]
あたしを乗せた船が発進する。
月へ。
いや、地球へ。
法事の度に、向こうの実家のしきたりがどうやとかお供えがどうやとかで揉めて、
ほんとうにうっとうしくて死にたくなる。
死にたいっつうか故人を偲ぶとかそんなんが全部ぶっとんで悲しくなるしもう勝手にせいやと思う。
お葬式が終わってから、幾日も経たないうちに私をそんなこと(香典の額の折り合いなど)で何時間も罵倒した夫を
わたしはいっしょうゆるさん。
世間体とか自分が嘗められたくないとか立場とかそんなことばっかで私の気持ちなんか知らんくせによう言うたな
ほんとによう言うたな。
この場合はいくら包むのがいいのか、多すぎても少なすぎても駄目、こんなんで疲弊するのは間違ってる。
もういや!!!
対応1:アメ
真心のこもった暖かい声で、「お賽銭箱へお供えして、どうぞご神前でご祈念下さい」と言われる。
K国人が「ここはなにをするところなんてすか」とか日本語で頑張って聞いてきて、懇切丁寧な説明に納得して、じゃあ…とウォン硬貨を一枚取り出してきて祈願依頼してきた時とか、そうする。
対応2:ムチ
即警察呼ぶ。
傍目には酔っ払いの介抱みたいな感じで連れてかれる。(腰のベルトと、それとみぞおちを深く握られているように見えた)
答えを求めてるっぽい感じでもないけど。適当に答えとく。
神に祈りを捧げる際、大昔は金じゃなくて神への供物をそのまま用意していた。
それが金納める形に変わったのは貨幣経済が発達したからとも言えるし、近代化の過程において供物をダイレクトに用意するのが難しくなったからともいえる。
まあ今でも鶏だの牛だの鹿だの馬だのを金に添えてお供えとして用意するところはあるから、そういう名残が各地に残されてはいるけどな。
神主が捧げる祝詞は古文。中学高校で習うような内容だからまあ聞いてても分かるだろう。
現代語で表した願いをそのまま古文に訳して奏上しているようなもんだ。
例年どのくらい雪が積もるか、最低気温が0度を下回るかで、備え方が変わる。
積雪の予想される地域では、タイヤはスタッドレスに替えるのがあたりまえになる。ひとりだけノーマルタイヤで走っていたら、危ないし、迷惑だからね。
スコップやスノーダンプは、人による。もしものときに備えて、車にスコップを積んでおくのはいいと思う。使うのは、5年に1度もないが、帰宅時に会社の駐車場から出れなくなる悲劇を考えると安心を買うようなものだ。
この備えは、すればするほど、備えた年は雪が降らない。マーフィーの法則が発動したのか、今年は、スノーダンプやタイヤを新調したのだが、活躍のタイミングがほとんどなかった。
雪の神様へのお供えとして、毎年スコップを新しいものにすることをおすすめしておく。
気温が低い夜から朝のうちに除雪をするのがポイントになる。融けはじめないうちは、雪は軽いので、少ない労力で広い面積を除雪できる。
よく歩く場所だけでも雪がない状態にすると、天気がよくなったときにも、その場所だけ先に乾いてくるので、効果はある。
雪を押すタイプの除雪用品が最近のおすすめになる。雪が水を吸ったあとは、この器具は効果を発揮しにくくなる。
よく日以降の天気予報と相談して、気温が5度以上に上がるようであれば、融けてしまうことが多い。
気温が0度以下で、日が差さない場合は、残る可能性が高い。残った雪にさらに積もると悪循環が始まるので注意されたい。
一番簡単なのは、日なたに雪をまいて融かすになります。うちの近所だと道路にまいて融かすのが主流ですが、地域によっては、怒る人がでるかもしれません。
井戸をお持ちの方は、地下水をまく方法があります。地下水は通年で温度が一定なので、水温が10度から15度の水は、雪に対して温かく、融かすことができます。
普通の水は温度が0度に近いので、より状況を悪化させる可能性が高いので止めましょう。スケートリンクを作りたいのであれば止めませんが。
地下水はくみ上げ過ぎると地盤沈下の可能性があります。北国で地下水をまいていない街は、地盤沈下がひどいところか、地下水すら凍ってしまう地域です。
黙って夜や朝にこっそりと除雪作業をしましょう。人に見つかってはダメです。あくまでもこっそりと作業しましょう。雪かきしたアピールをつぶやいたり、どこかに書き込んでいいね!をゲットのような下衆なことはやめましょう。
それなら「お守りを切れない人」はみんな、イベント的なものではなくちゃんとした宗教的行事に参加して、寄進して、宗教的教義をきちんと守って、神棚に毎日お供えをするとかの儀式的なことをしているの?
そういう宗教的なことを何ひとつせず、宗教や信仰というよりも迷信に近いものを信じているってだけで「信仰している」なんて片腹痛い。それはただ迷信にビビってるだけで、信仰なんていう高尚なものじゃないんだよ。「信じている」だけでは信仰、宗教とは言えない。宗教的な集団に属すと自らが認め、常日頃から宗教的な行動している人のみが信仰を持つと言えるんだよ。それ以外は単に「宗教の影響を受けている」だけでしかない。
自己防衛に勝るもんはない、授業料だと思って諦めなさい、って言いたかっただけなんだが。
ほとんどわかってくれてるだろうし、しょうもないやつと議論しても無駄だけど。
調べてみると拾得物横領は親告罪ではないので警察からしたら物が出たら立件しやすい事案で動きやすいようですよ。
遺失物法第四条2項
施設において物件の拾得をした拾得者は、前項の規定にかかわらず、
速やかに、当該物件を当該施設の施設占有者に交付しなければならない。
ここに書いてある「前項の規定」というのは、第四条1項に、
拾得者は、速やかに、拾得をした物件を遺失者に返還し、又は警察署長
に提出しなければならない。
とあるそうなので、お店が知らないって言うのが本当なら、パクった店員は立派な犯罪者ってことになるようです。
まあよそで落としてないのが確かなら、ってことですが。
監視カメラある店とかなら、警察に言えばそのチェックくらいまではできるでしょう。
お供えを小坊主や乞食が下げて行って食うのは伝統的な習慣であって
窃盗とか「コソコソやってること」は全く違う
わかってるとは思うが一応
教育が出来てなかったら、店員が個人の判断でパクることはあるだろうね。
店ぐるみで、ってのはちょっと考えにくいと思う。
それが勤務中にお店で! って思うからひどい気がするけど、教育されてない学生バイトとかならしゃあないよなあ。
記憶に絶対に間違いがないのなら弁護士に相談すればいいと思う。
警察に届けるのはもちろんだけど。
パクったやつからしたらシラきり通せばいいだけだし、戻ってくることはないだろうけどね。
まあ、ぱくったやつは悪いけど、忘れてしまった自分が一番悪いよ。
ちなみに飲食店でバイトしたことはないけど、お寺でバイトしてたときは、お供えの食べ物をバイトらでハイエナのように狙ってました。
事故の町内の者です。何十年も一日中自動車を路上駐車していて、近所とトラブルになっていたんですが、逆に抗議されるので、腫れ物に触るような感じで過ごしていました。
昔、近所のオジサンが警官を呼んで自動車を何とかしろと頼んだんですが、警官に「差別だ」とつかみかかっていたこともあり、皆が恐れていました。近所ではやっぱりあの方かという感じです。亡くなった先生があまりにも可愛そうで涙が止まりません。トラックはゆっくり走っていたそうですが、倒れた瞬間にお腹をひかれたみたいです。その中学にはやんちゃな生徒が多く、校門で登校指導されていたり本当に熱心な先生でした。事故現場は花束で山ができて、生徒さんが泣きながら手を合わせています。補償なんでしてもらえないでしょう。
人権を振り回す前に、社会人としてちゃんと行動をして欲しかった。こんな若くて素晴らしい先生の命を奪うとは…。
こんなこと書くべきではないのでしょうが、真実を伝えたかった。
わざとやったのではないでしょう。また、反省もされていることでしょう。
でも、それは西陣という旧市街の広くない道路を駐車場のように使って、人の意見も自分に対する差別だとすり替えていたので、必然的に起こることだったのです。
警察が逮捕しなかったのは悔しいです。逆境で苦労されたでしょうし、訴訟を起こしたりされていました。
でも、自分の人権を言うならば、少しでも他人の人権に心を向けて欲しかった。差別は醜いことです。
この事故で、私も隣人として恐れず注意してやめさせなかったことに重い責任を感じ、毎日暗澹たる思いで暮らしています。
場所は五辻通の智恵光院を少し西に入ったところです。加害者のことはもうどうでもいいので、これをご覧になった方は、彼女のために、電柱の横に小さな花か飲み物をお供えいただけませんでしょうか。
2010/04/17(土) 16:00 からスタートしています
http://live.nicovideo.jp/watch/lv14744006
の法話に感動したので文字起こししてみた。
(なお、「えー」は読み易さを重視して取り除いてありますのであしからず)
はい、本日はご参列の皆様、そしてまたご視聴の皆様、献花を頂きまたいろいろと温かいコメントを頂きまして本当にありがとうございます。
また、長らくのご長座、誠にお疲れ様でございました。
本日導師を務めさせて頂きました。削除動画の供養祭と聞いておりましたら、動画供養ということでございまして、少々焦った蝉丸Pと申します。本日はよろしくお願い致します。
動画供養ということでですね、法話の方を一つということで言われましてですね、さて何を話したものかなと考えましたけれども、今回ですね動画供養ということで、供養というものについてですね、一つお話ができたらと思っております。
よく一般的に供養と申しますとですね、今このように皆さん黒い服を着られましてですね、喪服を着て亡くなった方のためにする、それが、供養というふうに一般的にイメージが有るかと思います。
お坊さん呼んで、ワケのわかんないお経聞かされて、焼香やったらやることがなくて、しまいに足がしびれて、あ~やれやれと。
ま、こういうね、仏式の辛気臭いイメージと言うのがあるかと思いますけれども、供養というものの種類にですね、亡くなられました方の後生安楽、次の世がね、どうか無事で平和なものでありますようにと、ま、このように拝んでいただく供養や、法の供養、こうやって教えを説くという法の供養。そして、歌舞音曲、歌や、舞や、芸能というもの、これは元々宗教行事でございました。
そういったものを捧げてですね、賑やかに供養をする、供養と言っても、一口にいっても、これだけ種類があるわけでございます。必ずしも亡くなった方のためだけのものではないと、こういうことでございますが、世の中、この供養ということをですね、脅し文句に使う人が結構いるわけでございます。
あんたが不幸なのは、先祖の供養をやっていないからだとか、七代前の先祖とかですね、水子さんがとか、こういうようなことを言ってですね、アレを買いなさい、コレを買いなさいと。こういうような人達もおりますので、供養という言葉、なんとなく、まぁ胡散臭いというか、疑ってかかんなきゃいけないのかなと、こういう世知辛いことになっておるわけでございますけれども。
今これ見ていただいているユーザーの方の中にもね、自分だけはそういうもんには引っ掛かれへんでと、ま、こういう風に考えている方もおるかと思いますけれども、人間ですね、アイドルマスターの2が発売になるとかですね、いや取りやめだとかですね、Twitter上のTL(タイムライン)にそんなものが流れますとですね、一気に心の隙を突かれまして、右往左往する。
われわれ、自分のリテラシーというもの、情報のリテラシー、これをこう過信している方もおられますけれども、案外、簡単に釣れるもんでございます。
あんまり、自分自身のね、目と耳、コレを信じ過ぎるというのは、よろしくないですよと。
話がずれましたけれども、このようにですね、供養ということ、一般的には、じゃ、なにをやったら供養なのかなと。
手合わせて、お仏壇の前でやれば供養なのか、お墓に行けば供養なのか。逆にそういうことはしてないけれども、心の中では手を合わせてますよと、やってない方に限ってこういうことを言いますけどね。
ですから、この供養ということ、一つ覚えておいていただきたいのは、仏教の本来的な意味ですね。
本来的な意味で、供養というのが何かと言うと、手を合わせて、拝んでいただきますときにですね、亡くなられました方をはじめ、自分や、自分の身の回りの人や、生きているこの世の中の他の関係のある、全てのものが、皆どうか幸せで苦しみから逃れますように。
こういう風に自分の心を養っていただく。
ここが、一番最初のですね、仏教的に正しい、一休さんの歌ではなくて、仏教的に正しい供養と、いう事になるわけでございます。
今風に申しますと、他のものに対する思いやりの気持ちや慈しみの気持ち、これを育てていただく。
心のトレーニングをしていただくというのが、仏教でいう供養の一番重要な部分なわけでございます。
ですからですね、こういう風に、動画の供養とかですね、亡くなった方のためだけのものではなくてですね、他の全てのものに対してのそういう想いを心に養うということ、この養ったものをお供えするから供養でございますと、このように言われているわけでございます。
われわれ、普段何気なく動画を見ていたりですね、歌を聞いたり、また人に会ったりと、こういう事をしているわけでございますけれども、その人が、その動画が、その歌が、自分の前に届くまでにですね、どれだけ、苦労や、喜びや、いろんなものを経て今自分の前にあるんですよという。これがですね、心というものをちゃぁんと使っていないと、ぼーっと見ているだけで終わっちゃうわけでございます。
体と同じように、心というものも鍛えていただきませんとですね、どんどん鈍くなるんですね。心が鈍くなるとどういう風になるかと言いますとですね、斟酌(しんしゃく)、いわゆる人の思いを読み取ってあげたり、人の感情を汲み取ってあげたり、「おい大丈夫か」というこういう気遣い、これが出来なくなってくる。
いわゆる、空気の読めない人っていうのはですね、気を使いすぎて空回りという、こういう場合を除けばですね、だいたいそういう部類なわけでございます。
どんどん心が弱っていくわけです。
そして、この心がどんどん弱りますとどうなるかというと、素直に物事を受け取ることが出来ない、感動することが出来ない、心を震わせることが出来ない。
そのうちに、不満と、怒りで自分自身すら支えることが出来なくなってしまう。
ですから、この心をね、鍛えるというこういう供養という意味は、かなり重要なわけでございます。
体の異変はね、お医者さんに行けばRGT-γとかですね、数値は出てきます。
言葉の方は、これもぐっと確率低くなりますけども、親しい人や、自分を心配してくれる人だったら、注意をしてくれます。
でも、心というのは自分自身でよほど気を付けないとですね、誰かが手を貸してくれるものではないんです。
ですから、仏教では自分自身の、あなたの良い心を育てるようにしてください。
供養ということ、手を合わせてね、まんまんちゃーん、チ~ンと、はいこれでおしまいと、まぁこういう方もおられますけれども、そうではなくてですね、自分自身の、他のものに対する思いやりの気持ち、慈悲の心、これを育てていくんですよと。
ここを一番、知っておいていただきたいと。
お金を払えば供養か、物をね、買えば供養か、何かをすれば供養か。何をすればいいのか分からない。
一番重要なのは、心を育てていただくということ。
このようにですね、動画再生の少ない動画ということでまた日の目を見ますようにということをですね、今村先生の故事に習って今この歌供養ということをいたしたわけでございますけれども、日々、日常の生活の中でですね、そういったものに、あたかも消えては浮かび消えては浮かびのですね、ホントに諸行無常のような、このニコニコ動画のですね、この動画の群れの中で、縁があってクリックしたわけでございます。
縁があってクリックしてですね、自分の気に入るものもある、気に入らないものもある。
指摘をしたり、批判をしたり、こういうこともある。
あるけれども、その最後に
「GJ!」
の一言か、「お疲れ!」とこういう風にですね、書いていただけるだけで、作る人間としてはですね、作り手の方としては、それを励みに、画面の向こうの見ず知らずの誰かのために、それを思ってですね、「また明日から動画作ろう!頑張ろう!」とこういう風になれるわけでございます。
なかには、純粋にね、自分の楽しみだけということで、誰得という動画もあるわけでございますけれども、作り手の方がニコニコしていただき、また受け手の方もニコニコして見られるという、こういう環境を目指していきましょうと。
そのために色々と言いたいこともある、批判したいこともある、指摘したいこともある。
それを言った後にですね、で・も、ツンデレ風にですね、
「GJ!」
「お疲れ!」
こういう風に言っていただきましたらですね、みんながニコニコしながら動画を作成してやっていけるんではなかろうかと。
ですから供養ということね、心を育てるということ。
こういう形式は、定期点検みたいなもんです。普段一番重要なのは、日日(にちにち)のご修行、一日のうちのどこかでもですね、そういう心を育てていただきまして、習慣としてください。
習慣にならないと、どんどん悪くなります。
仏教では、人間てのは善でもなく悪でもないですよと。慣れ親しんだ方向に行っちゃうんですよと。
悪い方に慣れればどんどん悪くなるし、良い方に慣れればどんどん良くなる。
心を良い方へ持っていく、そのための気持ちを養う。
ここを一つ覚えておいていただきまして、これが一番重要なことでございますのでですね、覚えていただいて、日々ご精進いただければなと、思っておるわけでございます。
さすがにそのー、そうそうたる面々を前にしましてですね、ちょっと足の震えが止まらないなということでございますけれども、これを以ちましてですね、ニコニコの動画供養の方を終了と、させていただきます。
それでは、ご床座お疲れ様でございました。
同居の家族構成はこんな感じ。
嫁
嫁の親父
子供三人(上二人は嫁の連れ子)
俺(マスオ状態)
実は結婚寸前まで知らなかった。というか嫁も嫁の親父も「不真面目学会員」なので、一般人と全く変わらない。だから、結婚する時も最初ウチの親に学会員てだけで眉をひそめられたけど、今はまったく問題なし。ちなみに俺の実家と嫁・嫁親父の関係も極めて良好。
おれが学会嫌いをカミングアウトしたら、池田大作の本も焼かないまでも隠してくれたし、そういう配慮にはホント感謝。嫁の家が学会員てことなんてずっと忘れて暮らしてた。
そんなうちに、ずっと病院生活だった嫁の母親が死んだ。通夜と葬式しなくちゃならない。
おれ遺族にあたるし、めっちゃ我慢してたけど、坊主なしで喪服のオッサンがナンミョーナンミョー連呼して、隣にいる嫁や近所で仲良くしてた義兄とかもナンミョーナンミョー言ってるのに正直ドン引きした。後ろみたら嫁の連れ子の二人も、上の子はサボってたけど真ん中はナンミョー言ってるし。ちなみに、この二人は学会には入れていないとのこと。
普段まじめに宗教活動してなかったらあまり気にしないけど、葬式とかあると強烈に意識するよねこーいうの。ていうかホントは嫁にも学会辞めてほしいし聖教新聞を昔からとってるのも辞めてほしい。でも、嫁の家(嫁親父含む)からしたら前々からこんな感じのユルユル学会員生活できたのに、やってきた新入りに「おれが気に入らんから辞めろ」と言われるのも癪だろう。だから、「おれはイヤだしホントは辞めてほしいけど、強制はしない」というスタンスをとっている。
しかし枕元にある、「今まで存在すら忘れそうになっていた」仏壇が開いて、学会特有の「戒名じゃなくて実名の書いてある」位牌を毎日見てるとどうにも気になってしょうがない。今まで「やっぱ学会はアカンわ。わしゃ目が覚めた」といってた嫁親父が「池田大作」と書かれた香典袋を見て興奮して舞い上がってたのを見て呆れる。嫁に言われたことはなんでもそのまま忠実に実行する真ん中の娘がお供えのご飯をもってきて大声でナンミョー唱えるのも正直ムカムカする。
嫁がおれに気をつかって本を隠したりして譲歩しようとしてくれているのに、おれはムカムカしてるあたり、自分のワガママの方が大きいなぁと自己嫌悪にも陥ってみたり。