はてなキーワード: 転職サイトとは
転職サイトでスカウトが来てさ、自動送信っぽい文章じゃなくてちゃんと俺向けにスカウト文が丁寧に書かれてて条件も悪くなかったから一応応募してみることにしたのよ
履歴書と職務経歴書とGithubアカウントの提出を求められたんだよね
で、履歴書と職務経歴書はともかくとして主に使ってるGithubのアカウントは今勤めている会社の機密情報だし提出は難しいです、って言って
一応個人用アカウントはあるので送るけどGithub管理下に置いている一部の個人開発アプリ(それもプライベートブランチ)くらいしか置いてないし大したことわかりませんよ
代わりといっちゃなんですがポートフォリオで個人開発歴とか教えますよって伝えた上でそっちも教えたの(そもそも求人票にはGithubアカウント提出必須とか書いてなかった)
結果としてはなんと書類選考で落ちたんだけど、
正直俺の経歴があって書類選考で落とされたことって人生初だったから「え?まじで?」ってなった。
学歴とか職務経歴についてはほとんど求人サイトに同じこと書いてたのに「ここで書類選考で落とすか?」「じゃあ何でスカウトした?」って思って
経歴で落とされるならまあ良いとしてこれがGithubアカウントの方が原因で、俺が一応で提出したアカウントが大して活動してない方のものだってのが人事からエンジニアの方まで伝わってなくて
Contribute数とかで機械的に足切りラインみたいなの設けられてたら嫌だなぁって。
これじゃ単に勤めてる会社の運用ルールが緩くて本業のContribute頻度とかが公開されてたりSMBC流出騒動やらかすような奴の方が得するじゃんって。
開発活動っていろんな形があるのにOSS活動してなきゃ落としますよなんてことあるのかいな?ちなメルカリやらLINEほどの企業ではない
常習バックラーなんだが今日仕事やめた。厳密にいうと明日から今月いっぱいまで有給消化。
いやー今まで仕事ってずっとバックレて辞めますって退職届を内容証明で送って離職票来るの待ってたんだが、今回は人間関係に頗る恵まれていたので正式な手順を踏んだ。
一か月前にちゃんと上長に伝えたら課長に話行って、課長と面談して、部長に話行って部長と面談して、その後最後に人事課長と面談して、正式に退職に必要な手続きの書類書いて、職場の先輩達に辞める旨伝えて、残念がられたりこの先の事根掘り葉掘り聞かれたり(ホワイトな現場だったけど20代最後のチャンスだったし別業界にチャレンジする為の退職だった)現場の引継ぎの準備と引継ぎしたり、協力会社の人達とかお客さんも仕事辞める話聞きつけて色々聞きにきて今後の事根ほり葉ほり聞かれたり、上司に「期待して折角手塩かけて育てたのに別業種に行くのは裏切られた気分(実際滅茶苦茶お世話になって色んなこと教えてもらった)」みたいな事言われてちょっと雰囲気悪くなったり、引継ぎも終わって、職場の人に片っ端から挨拶して菓子折り用意して、入館証返却の手続き済んで、ようやく終わった……。
バックレた時なんかバックレ決めてとんずらしたその日に履歴書作って職務経歴作って転職サイトで何個か求人ピックアップして全部応募して離職票届く前に内定貰ったりしてたんだけど、正式な手続き踏んで退職すんのくsssssssssssssっそ体力減るわ……。ヤバすぎだろすげえ疲れた、みんなこんな事してたのかよ、俺次回辞める時ぜったいにバックレようと思ったぞ。疲れすぎて転職する気マジで起きねえよ。やる気わかねえわ、マジでなんも気力わかん。働きながらだと転職活動なかなか難しかったから、有給消化中に転職先見つける気でいたんだけど辞めるまでが糞だるすぎてMPごっそり持ってかれた。倫理的によろしくないと思うけど、マジでバックレてればよかったわ。しんどい。
今地方の自社サービス開発企業に勤めててその中ではテックリード的な立場。
Saasのシステムを設計フェーズから1から構築したこともあるし、
他にもレガシー目なサービスにDDDやクリーンアーキテクチャ的思想を導入したりTDDの構築と運用へあたっての体制構築や教育を主導したりとか
メンバーのスキルに偏りがある状態でも品質維持するための体制をなんとか作ったりとか
小さい企業ながら割と経験詰めたし今なら転職とか余裕だよなーって思ったがなかなかうまくいかない。
今のところ3社受けて全部1次面接落ち。受けたのは転職サイトのトップページに一番大きく載ってるような人気企業だから倍率は結構高い気はする。
今のところフルリモートで初年度年収550万~600万くらいを目指してる。多分500万くらいまで水準下げれば求人めっちゃ増えるし余裕な気はする。
あっちからスカウトが来て、競合ではないけど似たようなサービスを俺も構築した経験があったから
御社の製品の○○機能(リリースされたらプレスリリース打つくらいの機能)と似たようなものを営業にほしいと言われてから2日後にはテストカバレッジ率100%の状態でリリースまで持っていきましたとか、
当時はリソース足りず自分一人でほぼ全部対応してたけど爆速でリリースサイクル回して1年で機能数的にも競合製品に負けないくらいまで成長させましたとかこれ以上ないくらいアピールしたよ。
なーにが行けなかったんだろう。やっぱコミュ障なのが影響してんのかなぁ。「えーっとまあ」とか「なんか」「えーーそうですね…」みたいなのが多いのは自覚してる。
フルリモートで給与も高水準だと倍率高いから、もしかしたら20人中の1人や2人採用で第3位だったとかかもしれない。
何をどう変えたらいかなぁ。
転職指南書に書いているようなHPの企業理念読んで面接官が喜びそうなことを事前に作文して頭に叩き込んでおくみたいなことはやりたくないんだよね。
俺会社じゃ面接官する側だけどポートフォリオとか職務経歴しょぼいのに口だけ凄いこといってると
「ああ、この人面接官喜ばすための言葉を事前に作文してきたんだろうなーーー」「この人は”面接が”上手い人なんだな」とかやっぱ内心思っちゃうし
まあ応募して落とされて凹んでまた応募してを繰り返すしかないのかな。
親が死んだら光熱費も家の維持費も全部負担しないといけないんだよ? 家もそのうちボロくなって住めなくなるよ?どうするの?
>家のリフォーム自分で出来たらいいなと思って、職業訓練校は土木とか電気関係やろうかなと思ってる。
45過ぎた頃から、体の不調があちこち出てきて、金は掛かるし、働きづらくなるんや。 体のメンテナンスについて、今から勉強しておこう。
>せやな。今の時点で胃腸がやられてるので暴飲暴食はやめる予定。運動やね。
うちはその年齢の時に6000万円あって仕事も副業で年収分稼げてたのでやめました 本業にすればまあ二、三倍になるだろと思いきや、変わらず。 まあ、ゆるゆるやって生きてますよ
>ただ仕事辞めた後になにをやるかが問題だわ。動画とゲームに満足したらマジで寝るしかない。
うらやましい、自分の人生に必要なだけのお金を稼いであとはのんびり生きる、っての 今の仕事に不満があるなら、完全にやめるよりは合う仕事に転職がいいと思う 仕事の辛さ・難易度...
>のんびり生きるが正解だよね。転職も考えてるんだけど今の仕事が年収やすいけど楽なので、転職する必要あるか?ってのが難しいところ。
・1年目:260万円
学位を取って晴れてポスドクとなった。同じゼミにそのまま残っていて業績過小なので、オーバードクターみたいなものではあるが。手作りの収入は院生時代の奨学金より減少し、奨学金の返済も始まった。給料について事前に説明はなく、同じポジションの先輩が月30万くらいだからそんなもんだろうと思ってたら予算の都合で今年度の採用者はこの金額ですとのことだった。他に行き場所もないからとりあえずそのまま働くことにしたが、すぐに転職サイトに登録した。まあ色々理由はあったが、結局のところアカデミアへの興味も失っていた時期で、かつ結婚も考えていたので、もういいや民間へ行こうと心に決めた。
・2年目:350万円
1年弱ポスドクをやって転職した。微妙に専門分野と関係なくもない専門事務?的な仕事で無事採用され、何も考えずに行くことにした。炎上プロジェクトに放り込まれて月60時間くらいの残業があった時期もあったが、自分としてはランナーズハイみたいな感じになって結構楽しかった。しかしそれだけ残業して残業代がフルで出てもこの金額である。一応、転職エージェントから言われていた金額とピッタリではあった。どんだけ残業前提なんだ。
・3年目:430万円
新年度から正社員に登用されることになった。転職エージェントから聞いていた話とは違い、基本給は据え置きだった。炎上プロジェクトが完了し、残業が減ったのでむしろ収入は減った。しかし業界がちょっと景気の良い時期だったので、人生初のボーナスは3桁万円だった。これは結構嬉しかった。
・4年目:490万円
特に変わらぬ日々。正社員2年目でボーナスがようやく2回出るようになった。しかし業界的にも会社的にも業績が下がっていて金額は下がった。残業もさらに減少した。
・5年目:520万円
コロナの影響で在宅勤務となった。一応昇級したらしく基本給はちょっと上がった。しかしまだ転職エージェントに言われた、正社員になったらこれくらいですよ、の金額には到達していない。なんか残業もそこそこあり、後半は結構忙しかった気もするが、やってる事が相変わらずすぎて飽きてきていた。もう成長している実感もないし、転職しようと思い立った。
・6年目:550万円
他業種に同職種で転職を果たした。まだ任される仕事が少なく、業務量としては今までで一番楽である。在宅勤務は相変わらず継続中。一番楽な事をしているのに今までで一番収入が多いことにはやはり何か変な感じはする。
・今後:今のポジションでは600万くらいがいいところでしょう。とりあえずアカデミアでずっと続けていて助教になるのと同程度には収入を増やせたかなと思って自分を納得させている。今のところで年収がサチったらまた転職は考えるかも。博士取ってから民間でバリバリ稼げている人もいるだろうけど、こういう例もありますよって程度の自分語りでした。
ポートフォリオ作って。
1)今の仕事が自分の年令×15万以下ならそっこー転職サイトに登録する。9時5時残業なしの仕事を選ぶ。30歳だとすると450万。額面。
2)夜6時から夜10時まで平日4時間、土日どっちか5時間。みっちり働いて副業で月20万円を目指す。月に100時間投下すればそんなに難しいことではない。
3)副業で稼いだカネの半分は株式投資と下記の自己投資に回しましょう。株なら米国インデックス、英語ならDMM英会話。特に調べなくてもいい。みんながやってることをやればいい。
4)朝5時に起きて始業前に2時間、英語かマーケティングの勉強をする。で、3-4年後に年収×20万の仕事に転職する目標を立てる。
↓
ざっくり5年後に年収700万+副業240万+インカムゲイン60万(月5万)。簡単ではないが難しくもないと思う。
やるか、やらないかだ。
転職サイトでも3.5以上のそこそこ評判のよい会社にいる2年目だけど
仕事のやり方が共有されず、毎回躓いたりそもそも作業項目の展開ができず不安な毎日を過ごしている。
バイトの時は明確な仕事と役目があってそれに注力してたけど、社会人はとても抽象的だ
先輩社員が何百ページものドキュメントを全て読んで理解して、githubを見て実装する事をしているが、自分がそれをできるビジョンが見えない
人前に立って、誰かのために説明や司会進行ができるビジョンも見えない
仕事のやり方を見つけられるようなサバイバル能力がなくて本当に居心地が悪い
自分と同じように上手く仕事ができない人なんてたくさんいるはずだけどどう生きてるのか謎過ぎる
休職をいつも考えるけど休んだところで何が変わるのだと言う悩みもある
社会人難しすぎる
気持ちの浮き沈みのある日々が続いている。
今日はすごく元気だなぁ、もう薬もいらないかもなぁと思って活動的にしていると次の日疲れて起き上がれなくなる。朝起きた時に「あぁ、今日はだめな日だな」というのがわかるようになってきてそんな日は無理して起き上がることはせずそのままベッドで横になっている。もう二度と起き上がれないんじゃないかと不安が襲ってきてシクシクと泣くこともあった。
かと思いきや朝シャッキリ目が覚め、部屋の掃除やストレッチを済ませて散歩へ出かけ、家に帰ってもまだお昼前だということに気づき「無職最高ーーーー!」とバンザイするような日もあった。
ただ、そんな時でも外を歩いていると5秒に1回は「しにたい、生きるの辛い」と頭の中で呟きながら歩いていた。橋の上など高いところに立っているとスーッと吸い寄せられるような感覚があった。電車も怖くてしばらく乗っていなかった。
よせばいいのに会社のメールを見て、自分が残した仕事を後輩がつつがなく完了させているのを見て落ち込み、自分なんてやっぱりいないほうがよかったんだとまたシクシク泣いた。この頃には声をあげて泣き叫ぶことは無くなっていたが、暴力的な衝動は突発的に現れて、壁を殴ったり、カフェで窓際の席に座っていた時に、目の前のガラスを叩き割りたい衝動に駆られた(流石に行動に移してはない)。
小説やドラマなどは見れるようになったが、ニュースやバラエティなど喋っている声がキンキン響くものは相変わらず見れなかった。YouTubeでは焚き火の映像などを見ていた。勉強を頑張っている社会人のvlogが好きで、いつもそれを見てモチベーションを上げていたのだが、病気になってからは見ると動悸、頭痛がして視聴することができなかった。この人たちはこんなに頑張っているのに自分は…という罪悪感で心がやられてしまったのだと思う。
本屋に行ってうつ関連の本を立ち読みしたりした。以前は本屋で時間を潰すのが好きで、自分の仕事関連の専門書のコーナーに行きワクワクしながら本を物色していたのだが、この頃はそのコーナーに近づくと頭痛と動悸がし、涙が出そうになっていた。
適応障害についての本を買って読んだが、頭がぼんやりして内容が入ってこなかった。
全然眠れないと思ったらものすごい眠気に襲われる日もあり、風呂も入らずに眠る日も度々あった。
活動できるときはとにかく歩いていた。2駅隣のTSUTAYAまで歩いて漫画を30冊借りて、また歩いて帰るというようなことをしていた。
病院では「元気な時とダメな時がある」と伝えると、「そうやって波を繰り返して徐々に良くなっていきますからね。元気な時に無理しすぎないようにね」と言われた。なんかそのくらいなら自分でも言えそうだな、などと思った。特にカウンセリングなどをされるでもなく、5分くらいの診察の後処方箋をもらって帰るという繰り返しだった。
この頃、友人の結婚式があり久しぶりに大人数のいる場に出かけていった。電車に乗ることもできてほっとした。
長い間会っていなかった友人たちばかりだが、お互いの近況を話したりするのは楽しかった。自分の病気のことも話したが、全く平気そうに振る舞った。友人の目にどのように映ったかはわからないがみんな気遣ってくれた。
久しぶりに会えて楽しかったが、やはりひどく疲れてしまい家に帰ってすぐに寝た。翌日も疲れは残っていた。コロナのおかげで二次会とかもなくサクッと終わったのでまだ良かった。
薬の服用量も減った。2種類の薬を服薬していたが、1つは不安になった時だけ飲めばいいとなった。
この頃から少しずつ自炊もするようになり、なかやまきんに君のYouTubeで紹介されていた野菜スープなんかを元気な時に作り置きしていた。ただ野菜を切って煮るだけだが、キッチンはぐちゃぐちゃになり、効率的な動きもできなかった。料理はものすごく難しい作業なのだと知った。
転職活動を始めた。休職した瞬間から、もう前の職場には戻らないと決めていたので、とりあえず職務経歴書や履歴書を準備し始めた。ただ、そのテンプレートを埋めるのも一苦労で、リモートワークに使っていた机に座るだけで具合が悪くなった。仕事関連の本を見えないところにしまい、机の位置を変えた。できるだけカフェなどの外で作業するようにした。1日に30分~1時間ほどしか作業することができず職務経歴書を完成させるのに二週間ほどかかった。
転職サイトに登録するとありがたいことに色々な会社やエージェントから声がかかり、面接の予定がどんどん埋まっていった。
転職活動はオンラインでできるので助かった。ただ、1日にいくつもやると流石に疲れるので、午前中に1件やるのみとしていた。転職の選考のスピード感についていけず、働いている体で「現職の都合が…」とスケジュールをできるだけ引き延ばした。
今思うと、こんなに早く転職活動する必要はなかったが、当時はとにかく不安で、焦りがどうしてもあり、早めに始めてしまっていた。傷病手当金がもらえるギリギリまでのんびり休んでいれば良かったと思う。
仕事を始めた時に備え、資格の勉強などを始めた。面接のない日はカフェで参考書を開いて勉強していたが、この頃勉強したことは全く頭に残っていないのでやる必要はないと思う。それよりもゆっくり休んだほうがいい。
この頃は寝られない日が2日続き、翌日はぐっすり眠れるというようなサイクルになっていた。昼寝は相変わらずしていた。
人の多い店などにも行けるようになり、ジムに行くこともできて、回復しているのを感じた。
寝られない日は日中に筋トレやHIITトレーニングをして体を疲れさせるようにした。
だんだん見られるものも増えてきて、アドラー心理学の本なども読んでみた。あとはスマホでゲームなんかも始めてみた。久しぶりにやるとめちゃくちゃ面白くて、没頭できた。ゲームをしている間は他のことを考えずに済むのが良かった。
ついに内定をもらい、入社条件の交渉になった。正直こんなに早く決まると思っていなかったので、もっと休みたい気持ちがあり、現職の都合で~とか、まだ他社の選考が~とか色々言って提示された入社日から1ヶ月延ばそうとしたが受け入れてもらえず、やむなく病気のことを話した。内定取り消しになってもしょうがないと思ったが、意外にもそうはならず(法律上のしばりとかもあるのだろうが)、提示した条件で入社するかを決めて欲しいと言ってもらえた。
とにかく前職を直ちに辞めたかったので、体力的に不安ではあったが(あと、もう少し無職でフラフラしていたかった)内定を受けることにした。
病気がひどかったときは早く働かなくてはと焦っていたので、働きたくない、無職でいたいという欲求が出てくるのはむしろ健康になったのかもなぁなどと考えていた。
次の職が決まったので上司に退職の連絡をした。先日休職延長の連絡をしたばかりなので少し気まずかったが特に何を言われるでもなく、たった9分の電話で退職連絡が完了してしまった。
その後、各種手続き書類が自宅に郵送され、粛々と退職手続きが進められていった。
頭痛も睡眠障害もまだ治っていなかったが、医者に内定をもらったことを告げると「良かったですね、まあ新しい職場でも無理しすぎないようにね。最初は頑張っちゃいますからね」と言われただけで、復帰なんてまず無理、とは言ってくれなかった。
働きたくない働きたくないとひたすらごねていたが、自分でもわかるくらいに体調は回復していた。朝起きてジョギングをしたりもできるようになっていた。昼寝もしなくても大丈夫な日も増えてきていた。
つづく→適応障害と診断されてからの記録⑤
設計職を辞めた。
無職になってからはずっと、よく言えばのんびり、悪く言えば怠惰に過ごしている。
失礼なのは承知だが、何もスキルが無くてコミュ力も無いから事務職を考えている。
それでも、前職の内容から自動的に設計職が「おすすめ」に表示される。
今後何十年のことを考えると……設計職に復帰した方がいいかもしれない。
資格とって、手に職つけて。
「おすすめ」の企業名で検索をかけ、在職者のコメントをチェックしてみる。
「忙しいがやりがいがある」「残業は多いがその分稼げる」「自ら学ぶ姿勢が必要」「女性でも仕事についていける体力があればやっていける」「やる気のない人は脱落する」
前職の記憶が蘇る。
いつもいつも締切に追われて、ただでさえ厳しいスケジュールなのに分からないことが多くてなかなか進まず、質問すれば面倒くさがれ、一つ一つ調べれば時間が足りず、虚弱体質故に体調を崩しやすく、精神的にも体力的にも強い女達に囲まれて肩身が狭くて、精神的にすり減って仕事のペースが落ちてしまったところで「やる気がない」と蔑まれて。
設計は好きなはずだった。
でももう、本屋で建築雑誌を手に取っても、何も感じるものがない。
ずっとその価値観で生きてきた。
午前中は転職サイトをうろうろ。
他人のネガティブ発言がウザいのは分かっているが、1人で考え込まず客観的な意見をもらうことは必要。
もう少し、いやあと数年、甘えさせてください。
最近コスメが当たるチャンスを狙ってアンケートばかり答えている。無駄に思っていたが意外な効果あり。物欲が抑えられる。
つまり私はものが欲しくて買い物したいのではなく……なんだろう。何か別の理由で買い物をしている。
店長に言わないといけないことがあったのに言い出せなかった。「疲れてるね」と言われてしまった。
ほぼニートのくせに肉を食って酒を飲んだので、少し転職サイトを見てから寝ることにした。
甘い言葉ばかり並ぶ求人。良さそうに見えるが地雷だろうか。「未経験OK」はありがたいけど、それブラックなんだっけ。
事務職は楽そうだと思っていたが、チームワークが重要なのでコミュ力高くないといけないらしい。
自分は多分個人プレー派……いや、本当か?人のいうこと聞くだけの仕事が向いてるタイプのはずだが。
おやすみ。