はてなキーワード: 負け犬とは
2chで垂れ流されている悪思想に国民が洗脳されてるからなんじゃないかと思う時がある。
先人の残した知恵を本などで学ばず、
2chという手軽な情報源で幼稚な思想を吸収していく人たちの、
なんと多いことか…
2ch教は、負け犬の思想がつもりつもって巨大化した化け物(生き物)のように、日本国に存在している。
足を辛めとられてしまう…
本人は、洗脳されていると気づかない。
むしろ、裏事情を知っている自分は情報通でスゲーって思っていたりする。2chの情報は正しいと思いこみ盲信してる。
2ch教は、ニヒリズムを蔓延させ、後ろ向きでひねくれた発想、批判精神をも植え付け、人生をじわじわと破壊していく。
自業自得といえるのだろうか
きっかけは『冷たい熱帯魚』という映画をこの女と一緒に見たことです。
その映画では子供がグレてるので「自分の子供があんなのになったら俺、無理だわ」って言ったことで子供の話になりました。
俺の最悪だった少年時代の記憶から、大きなトラブルを起こさずに子供時代を乗り切ることなんて奇跡みたいなものだという認識で話してます。
俺「子供の世界は常に戦いだから対応する自信ないわー」 女「え?なにと戦ってるの?」 俺「なにとって、攻撃してくる奴と」 女「攻撃してくる奴なんているの?」 俺「いるよ。俺の子供時代はどの時点でも常に敵がいたよ」 女「変なのー」 俺「変ってw おまえには敵がいなかったのかよ?」 女「いないよー。みんな仲良しだったよ」 俺「うそ?一度も?」 女「うん。たぶん私の妹も敵なんていなかったよ」
そんな馬鹿なと思いましたが、
や
男女差が影響してるのかも?
とか
でも少なくとも妹には、彼女には敵が居ただろう
などと、この時点では考えていました。
女「どうして敵になるの?」
どうしてだろう?
と考えて説明しようとしました。
俺「だって子供の世界は大人以上に階級社会じゃん。スクールカーストじゃん」 女「え〜、そんなことないよー」 俺「ないことないって。ラノベとかのテーマになってるぐらい共通認識じゃん?あるあるー、って感じの」 女「ほとんどないから小説になってるんでしょ?」 俺「いやいや、そもそも俺の子供時代はずっとスクールカーストを意識してたよ」 女「えー、それってあんたがおかしいんじゃないの?」 俺「そんな事ないって。誰が強いか、偉いか、みたいなことは誰だって認識してるでしょ」 女「そんなことないよー」 俺「女の子はそうなのか? いや、でも女だってブランド物とかスペックの良い彼氏が欲しいのはカーストを登りたいからでしょ?」 女「わたしはブランド物なんて欲しくないもん」
こんな感じで、まったく話がかみ合いません。
敵までいかなくても、殺伐とした空気になったことぐらいはあるだろうと思って、話を戻しました。
俺「じゃあ子供時代に友達同士で修羅場というか、何か悔しかったり嫌だったことは無いの?」 女「う〜ん」 俺「ない?」 女「あ!そう言えば友達と3人ぐらいで公園に行った時に池にボートがあって、初めてだったから乗りたいって言ったんだけど あんたが漕いだらひっくり返りそうだから嫌だって言われて乗れなかったのが嫌だった」 俺「あ〜、それは理不尽だねー」 女「理不尽?何が?」 俺「いや、だっておまえが漕いだらひっくり返るって決めつけられたら理不尽じゃん」 女「え〜、そうなのかなー。わたしドン臭いからひっくり返りそうだよ」 俺「え?じゃあ何が嫌だったの?」 女「だから、せっかくボートがあったのに乗れなかったから」
一生懸命思い出した嫌な思い出がこれとは!
しかし、そんな事があるだろうか?
この話だって、例えばこの子のカーストが低いせいで、せっかくボートで遊びたいって提案したのに、
この件以外にも常にそういう扱いだっただろうと想像できて、
読むだけで嫌な気分になる人もいるレベルじゃないだろうか?
この時点で「もしかしてこの女はカーストを認識できてない?」と思い至りました。
俺「会話の細かいニュアンスで、こいつはこいつより上とか下、みたいな事を感じることはない?」 女「え〜、そんなこと一度も考えたことないよ。なんでわざわざそんな事を考えるの?」 俺「いや、考えなくてもわかるじゃん。動物にはそういう能力がみんなあると思うよ」 女「そうかなー。よくわかんないや」
こいつ変だ!と思いました。
でも同時に、ひょっとして変なのは俺の方なのか?
とも思いました。
増田で聞いてみようと思った次第です。俺と彼女どっちが変でしょうか?どっちも変でしょうか?
この時点でふと、もしかして俺の少年時代が殺伐としてたのは、環境のせいじゃなくて俺のせいなのかも、
と考えるようになりました。ここからは俺の話です。
俺は傷害で少年院に入った事があります。いじめっこの首をナイフで刺しました。親兄弟には多大な迷惑をかけました。
でもそれは俺が悪いんじゃなくて、あの状況では仕方が無かったと思っていました。
俺は常にスクールカーストの最底辺に居ました。クラスで下から2〜3番目が俺の定位置でした。
頭も顔も悪くて、恐怖心が強く性格も弱い、運動もできない、というタイプです。
それなのに常にカースト上位の人間と同じ扱いを受けないと、ものすごい怒りを感じるタイプでした。
例えば小学校の掃除の時間に、奇麗なホウキを取り合いになる場面で常に上位の人間と競り合っていました。
恐怖を押し殺しながら。
でも絶対に従いません。カツアゲされても絶対にお金を渡しません。
でも学校を休むのは負け犬だと思い、そんな状態でも皆勤賞です。
ある時、給食の中にうんことおしっこを入れてみんなに食べさせたのがバレて地元に居られなくなり、
転校しても状況は変わりませんでした。
最初は頑張ったのですが、すぐにカーストの最底辺にポジショニングされ、また怒りと恐怖で気が狂う。
この頃から頻繁にカッターナイフや小型ワイフを携帯するようになりました。
でもいじめられても相手を刺す勇気が出ません。親にこれ以上迷惑をかけるのが嫌だったし、捕まるのも怖かったのです。
自殺するか相手を殺すか、そんな事をずっと考えるのが日常でした。もちろん学校は皆勤賞です。
ナイフを持ってない時にカツアゲされたら、相手の目をつぶせば良いと思っていました。
その場合も人差し指では失明させられないから親指を突っ込もうと考え、相手の頭を掴んで親指を目に突っ込む練習をしていました。
でも実行できません。
実行できない自分を情けなく思い、毎日「自分は気違いで人を殺したくてしょうがない」のだと自己暗示をかけていました。
ある日、高校に可愛い女の子が転校して来ました。俺の隣の席になり、いろいろ教えたりしている内に好きになっていました。
でも俺の顔は自律神経がおかしくなったのかニキビだらけで、元々不細工な顔が更に醜悪になっていました。
それに成績も最低で運動神経も鈍いし、ずっといじめられている人間です。
絶対に自分が好かれることは無いのだから関わってはいけないと、できるだけそっけなく対応していました。
でも授業中などについチラチラ見てしまうんです。
それをカースト最高位の不良に見つかりました。
そいつのグループとは絶対に関わってはいけないと思い、距離を取っていたせいか、
それまではほとんど交流が無かったのですが、これをきっかけにいじめられるようになりました。
その頃の俺は日課みたいに毎日4時間目の休み時間にトイレに行っていました。
1時間目からひどい下痢に襲われ、4時間目まで我慢するのですが、耐えきれずに油汗を流しながらフラフラとトイレに行くのです。
学校でうんこをしてはいけない、という鉄の掟をなぜか高校生にもなって継続していたので、
お昼ご飯を食べれば不思議と腹痛が治まるのもあって、なんとか耐えようとした結果、そういうルーチンになっていました。
そこを狙われました。
あまりの事に固まってしまい「え?え?」とか言ってる内にズボンのチャックに手をかけられました。
ちゃんと殺すつもりで頸動脈を狙ったのですが、断続的に出てくるうんこが気になって狙いが外れ、そいつは死にませんでした。
女子は泣き叫ぶし、そいつは血まみれで呻いているし、うんこで臭いし、
こんなカオスな現場もそう無いよなー、などと考えながら大に入り鍵をしめて続きをした冷静な自分がおかしかったです。
あそこまで行くと人間って開き直ってしまい、恐怖も何もなく、むしろ謎の達成感がありました。
「おい開けろ!!」とか怒鳴りながらドアに体当たりしてくる先生に
「開けてやるからジャージ持って来い」とか偉そうに命令してました。
もちろんそれまではそんなキャラじゃなかったです。
ちょっと本題からズレ過ぎたので、俺の黒歴史はこのへんにしときます。
俺の中では「俺だけがこうなんじゃなくて、みんなこういう苦しみをかかえながら、
なんとか生きている。この世こそが地獄なんだ」という認識でした。
たまたま俺は運が悪くて向こう側に行ってしまったけど、みんなギリギリのラインを生きているんだと思っていました。
でもそうじゃない可能性に思い至りました。
俺の問題は、
だと思います。
そのせいで無駄な反抗をしてしまい、本来はそこまで悪質じゃない人を煽っていたのです。
これを回避するのは簡単です。相手を煽らないようにすれば良いだけなんです。
それを可能にする為には、理不尽な扱いを表面上受け入れても、そこから逃げても、それは負けじゃないんだ、という事を理解すれば良かったのです。
戦略的撤退ということを学べば良いんです。
「自分はゴミだから何をされても良いんだ」などと自暴自棄になることさえ避けられれば、
人間は弱いものだから、悪い気持ちを抑えられないものなんです。
攻撃対象になったからと言って、自分だけが弱いわけでは無いし、ゴミだなんて事はあり得ないんです。
みんな弱いからしょうがないんだと理解して、頭を使って、なんとかその場からだけでも逃げられればそれで良いんです。
カッコ悪くても良いんです。そもそもいじめてる人の方がもっとカッコ悪いんです。
たとえ相手の方が力が強かったり、勉強ができたり、ルックスが良かったり、金持ちだったりしても劣等感は不要です。
なぜなら、恵まれているのに、いじめという低俗なことをしてしまうんですから。
だからいじめられてる人はダサくも無いしカッコ悪くもないんです。お互いに弱い部分がある、という、それだけの事なんです。
さて、成人してから迷惑をかけた彼女に謝罪しようと思い、色々調べたところ、その子は実家のある関東に戻っていました。
彼女にはショックだったようで、あれから高校に通えなくなっていました。
「その話は私じゃなくて妹にして。あの子はショックで高校に行けなくなったんだからちゃんと謝ってね」
と言いました。そこに彼女は居ませんでした。
俺はこの女を一生守ると誓います。
身バレが怖いので少し脚色したつもりですが、少しじゃなくなってしまったのは謝ります。
たくさんブックマークがついてて驚きました。コメントありがとうございます。コメントを読んで書き漏らしがあった事に気がついたので修正しました。
そのせいで長い文章が更に長くなってしまいました。すみません。
それと、俺は変に反抗的だったので、一番ひどい扱いを受けていましたが、俺以外では最底辺よりも、中間層から上ぐらいの人間の方が、ひどいいじめを受けていたように思います。ひどいと言っても、みんなの前でオナニーとかでは無くて、殴られたりとか集団で無視されたり、レベルですが。
まあ「フェミの言うこと聞いたらモテると思ったらモテなかった、金返せ!」みたいなのは自業自得なんだが、
少なくとも「モテなくても(モテを志向しなくても)人として承認される」みたいな幻想はあったはず。
でも実際には、一部の自称フェミニストはモテを志向しない男を思い切り叩きまくったよね。
「(女性に)100円だって奢りたくない」発言には、女性へのコミュニケーションの拒絶がある。
男性だから奢るとかいう問題ではなく、“気持ち”の問題だ。「男だからといってなぜ奢らなきゃいけないの?」と似た発想を女性が持つなら、
「女だからといってなぜ化粧しなきゃいけないの? なぜお洒落しなきゃいけないの?」となる。
ピクニックデートには「なぜ女がお弁当を作らなきゃいけないの?」になる。
また男性も、「男だからといって、なぜ女を家まで送らなきゃいけないの? 勝手に帰れるだろ? 平等なんだから」。
…これでデートが成立するだろうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20090513/194505/
コラムニストの北原みのりさん(42)は、20代の男性たちに「性欲はあるのにロリコン化が進んだ。性欲もあり、言いたいことを言う大人の女性と
向き合う体力、知性がなくなってしまった」と手厳しい。雑誌などを分析すると、80年代は大人の男女に憧れる風潮があったが、いつの間にか
少女っぽさがもてはやされるようになった。「お子様文化が進み、若い男性も『子どもでいさせてほしい』と思っている。それならセックスなんて
http://mainichi.jp/feature/news/20131010dde012040013000c.html
彼女たちは、女が性的役割分業を押し付けられるのには反対するが、男が性的役割分業を放棄しようとしたら叱り飛ばしてるように見える。
ってのが、私が今年から行きだした某店なんだけど。
どこが、というのは明確には言えないけど、客全体が負け犬とでも思っているのか、それ系の店作りに余念がない。学生街とラインナップが違うのは大人の街だからなのかも知れないけれども、イヤイヤ、それだけじゃないだろう。
本を買うのってどんなに交通に便利でも、オッサンやオバハンの街は避けたほうがよいっすよ、心の繊細な人は。
一面三浦しをんの、意識というより圧力高い系ディスプレイとか。
んでそんなとこは客層もあんまりよくない。棚の前を陣取って携帯で長話してるオバハンは必要以上に声が大きいし、ショボいオーラの塊のくせに目付きが悪そうなオッサンが睨んでたり、お前何しに来てんの?って言いたくなるようなKindle姉ちゃんがいたり。
ともかく、本好き、読書好き、って人以外の人が大量流入している模様なんすよ。
このふいんき(なぜだか変換できない)の悪さ、本当にどうにかならないのか、と。
またレポします。
>元増田が何を求めてこういう説教してんのかわからんけど、プレゼンとしては説得力ほぼ皆無よ。
環境は、おのずと、後から整っていくもので、初めからある訳じゃない。
人間は自らが求める場所へ赴く。そしてそこで満足すればいいのだけど満足できない人がいて、本当はもっと違う場所に赴きたかったと後悔してる…)
何を求めているのか分かっていないのは、そちらの方。
自分が何を求めているのか?漠然としていて分からないから、様々なアドバイスをされてもまるで響かないし、分からない。
「本当は成功したい。けれど出来ないから、それを出来ている人間を叩いて憂さ晴らししよう!」
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150207005122
レス返してないのも特にコメントが思いつかなかっただけで、他意はないよ
ほんとだよ
金に使い道がないならくれよなああああああああああああああああああああ
俺にはあるんだ
税金きちんとするなら拾得物として半分持っていかれるみたいだな
国民健康保険くらいおまけしてもらわな耐えられんな
そりゃ
kibarashi9 1億円あれば、年間200万つかって50年。まー死んでもいいかって年まではイケるな。金握ってるやつのワガママ聞かなくていいっていう人生はすばらしいよな。
せやろ
同僚に後輩に馬鹿にされたり女の子にキモイって言われることもないんやで
trash__box ホリエモンが言うには「見栄」「世間体」の二つを捨てれば、少なくとも金のためには働かなくていいそうだ。確かにそうだと思う。命とは宇宙が滅びる200億年の間にたった一回だけ与えられた刹那。楽しく、自分らしく!
あんま真に受けん方がええで
そうやって甘やかしてきたので2年で10kg太りました
nowa_s 棚ボタの金を一億円か。控えめに、1年で500万使うとしても20年で使い切る。あぶく銭を手に入れて、生活費込みで1年500万で済むとは思えないから、もっと早いかな
20年あれば次のまくらが1億円になってるだろ
a2de 寝てる間に枕がアタッシュケースになってるの気づかんとかよっぽどだ
早くしろ間に合わなくなっても知らんぞだよね
良いアイデア
就活ほど嫌な作業は無い
枕がそのくらいの大きさだから(1億円なんて見たこと無いから適当だけど)
1億円(の一部)でもうちょっと大きな枕を買ったら次は3億円くらいにはなってるはずだ
bell_chime_ring238 なぜ働きたくないって気持ちが湧いてくるのかね。客とか上司とか自分より上位の連中がたくさんいて、クビも出世もそいつら次第なのが耐えられないの?だとしたらただの負け犬だ。そいつらより強くなってみせろ。
俺は働かずに金が欲しいんだ
それな
そりゃ横領する奴も出てくるわって思うよな
せんけど
noabooon 僕も昔は「働きたくない」と思ってたけど、あれは正確には「会社員になりたくない」だったんだ。自分で商売始めたら毎日が楽しいよ。仕事ってこんなに楽しいものだったんだと驚くよ。
働いて楽しい人はどんどん働いて、働くのが嫌な人にお金をあげればいいと思うよ
cyberglass 1億円だと一生は暮らしていけないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20150114231342
穴に落ちて這い上がる話と、穴から這い上がれない話の二つしかない、という主張、直感でおかしいのがわかるだろう。
まず、その他の話がある。
群像劇、叙事詩的な話はどうなんだ、登場人物Aが勝って登場人物Bが負ける話はどっちなんだ、と。
その他の話を除けばいい。例外は除いて考えよう。
除いたあとで穴に落ちて這い上がる話と、穴から這い上がれない話、とに分けよう。
登場人物Aが勝って登場人物Bが負ける話を、登場人物AかB、どちらかを主人公とみなして、どちらかを小道具と見立ててれば確かにどちらかのハコにいれられる。
直感は解決されただろうか?
されない。
間違ってはいない。
まず、波瀾万丈、という言葉があるように、主人公は上がったり下りたりする。禍福は糾える縄の如し。
上がったところで終われば確かにハッピーエンドに見える。
もしも毒りんごで殺されたところで終わってしまえばバッドエンド。
だが、その後を追い続けて、喧嘩の絶えない家庭になって、そこで切ればバッドエンドである。
登場人物が全員死んでしまうような1ページを最後に追加することもできるし、
死んだはずの主人公が不思議なことに何故か生きていた、と書くこともできる。
無敵の殺人鬼を死に物狂いで倒したホラー映画の主人公たち。ハッピーエンドだ。
だが、稲光をバックにヤツの死体が動くカットを最後に付け加えたら?
試写会のA/Bテストでラストが変わった映画の話などよく聞くではないか
「最後にデザートが出たよ」
きのう君が行ったのは焼肉屋だったろうかフレンチだったろうか。
鍋料理だろうが中華だろうが、アイスか杏仁豆腐かなにか、最後に甘いものが出てきてもおかしくない。
ハッピーエンドか否かによってその物語がどういうものであるか知ることはできない。
冒頭の二分法を受け入れるのに直感的な抵抗が生じるのは、それゆえかもしれない。
もうひとつ
「助けの必要な負け犬が主役のストーリー」と「お仕置きの必要な成功者に天罰が下るストーリー」
という二分法もあるそうだ。
これは中身に言及があるという点で、ハッピーエンドかどうか、という分類にはない特長がある。
だけど、やっぱりこれも物足りないんだ…
http://anond.hatelabo.jp/20150114231342 <h3>o- *</h3>
穴に落ちて這い上がる話と、穴から這い上がれない話の二つしかない、という主張、直感でおかしいのがわかるだろう。
まず、その他の話がある。
群像劇、叙事詩的な話はどうなんだ、登場人物Aが勝って登場人物Bが負ける話はどっちなんだ、と。 <h3>o- *</h3>
その他の話を除けばいい。例外は除いて考えよう。
そのあとで穴に落ちて這い上がる話と、穴から這い上がれない話、とに分けよう。
登場人物Aが勝って登場人物Bが負ける話を、登場人物AかB、どちらかを主人公とみなして、どちらかを小道具と見立ててれば確かにどちらかのハコにいれられる。 <h3>o- *</h3>
直感は解決されただろうか?
されない。
間違ってはいない。
しかし、その分類に果たしてどれだけ意味があるだろうか。 <h3>o- *</h3>
まず、波瀾万丈、という言葉があるように、主人公は上がったり下りたりする。
上がったところで終われば確かにハッピーエンドに見える。
だがもし、その後を追い続けて、喧嘩の絶えない家庭になって、そこで切ればバッドエンドである。 <h3>o- *</h3>
登場人物が全員死んでしまうような1ページを最後に追加することもできるし、
死んだはずの主人公が不思議なことに何故か生きていた、と書くこともできる。
(井伏鱒二の「山椒魚」の改稿を見よ) <h3>o- *</h3>
「最後にデザートが出たよ」
焼肉屋だろうが鍋料理だろうがフレンチだろうが中華だろうが、最後にアイスかなにか出てきてもおかしくない。
ハッピーエンドか否かによってその物語がどういうものであるか知ることはできない。
冒頭の二分法を受け入れるのに直感的な抵抗が生じるのは、それゆえかもしれない。
<h3>o- *</h3>
もうひとつ
「助けの必要な負け犬が主役のストーリー」と「お仕置きの必要な成功者に天罰が下るストーリー」
という二分法もあるそうだ。
これは中身に言及があるという点で、ハッピーエンドかどうか、という分類にはない特徴がある。
だけど、やっぱりこれも物たりないんだよな…