はてなキーワード: 語学力とは
そもそもその前提が誤ってるのや
『ITエンジニアはどこの国でも、天才・ガチgeek と 真面目な移民・真面目な下級庶民のするお仕事
IT・科学技術全般が好きで好きで仕方がないガチgeekならしゃーなしだが、
それ以外でそこそこの学歴あるのにわざわざITエンジニアリーマンやってるヤツって、
かなり控えめに言っても頭が悪い』
関連増田:キミ、確か院卒で米国の○○で開発してたことになっているよね?
https://anond.hatelabo.jp/20230123163055#
『未来のことはどうでもよく、とりあえず今、そこそこに給与を得たい』だったら、難しく考えるな誰でもイケると応援したい
社会人として働き始めて、3年経った。
いくつかの失敗も重ねたが、今のところ、それなりに順応し、馴染んでいるとおもう。
給与は身に余るほど、仕事内容も悪くない。同僚や上司との関係も良好に進んでいる。
これまでを振り返れば、今は上手く回りすぎているようにさえ感じる。
自分は、日本の公教育をほとんど受けていない。まともに通えなかった。
いわゆる「怒る先生」が怖かった。今でも大声で怒鳴る人や、怒りをあらわにする人は非常に苦手だ。
義務教育たる小中学校の9年間のうち、保健室登校を含めても、学校に行った期間は2年に満たない。
続いての高校も2か月足らずでやめた。
しかし、両親が教員だったこともあり、幸いにも、何とか勉強をする環境は与えられた。
通信教育や家庭教師、無数の本を与えてくれた。ピアノやバイオリン、習字などの習い事もできた。
いくつかの科目は両親が教えてくれることもあった。
感情表現の乏しい両親であるが、おそらくさぞやの心配をかけていただろう。感謝しなければならない。
その後、大学はイギリスの通信制大学に通った。途中から日本の通信制大学にも所属する二重学籍だった。
というのも、自分勝手に偏った勉強ばかりに加え、社交性にも乏しい自分にとっては、入学試験がなく、学生間の交流も限られる通信制大学が、ほぼ唯一の現実的な選択肢だった。
想定通り、グループワークのコミュニケーションには、社交性と語学力の両面から相応に難儀したが、あらゆる面で実りは多かった。
日本で就職活動を始めた時、自分のような学生は、面接官に奇異に映ったのだろう、これまでの学業の歩みを詳しく聞かれることが多かった。
少なからずはただの「奇異の目」で終わった。「社交性、精神的な脆さや不安定さに不安が残る」といったコメントをもらったこともある。
妥当な懸念だと思う。しかし、いまさら隠しおおせようもない。そのまま続けるしかない。
そんな中でも、いくつかの企業は「主体的な学びの姿勢」と評価してくれた。
ジッサイは、「オモシロ人材枠」として、くじ引き感覚で拾ってくれたのかもしれない。それでも嬉しかった。
この会社で働き、3年が経った。
まだまだ分からないことがほとんどだが、それでも少しずつコミュニケーション能力を補いつつ、専門性も高めてきたと思う。
とはいえ、いつ自分の不安定さが致命的な落とし穴となるかは分からない、これからだろう。
いつも不安定にふらふらとしている自分が、今にあるのは、周囲の支援と偶然のおかげだとおもう。
今の自分は、本来の自分、デフォルトからあまりに上振れしている。
いつそこに戻ることになるのかは、まだ分からない。戻ることになっても、それはそれで良い、と思っている。
でもまぁ、とりあえず、もう少しは戻らずに進んでみようと思う。
進学校で1人か2人学年にいればいいほうだったけど、それがクラスに1人か2人になってる。
まぁ可能な経済力が親にあればそりゃそうなるわな……ってわかるけどなんかつらい。
そりゃ上を目指すために進学校行っているんだからさらに上を……ってなるのはわかるけどさ。
ちなみに今までも大学院から海外に行く人はそのまま日本に戻ってこない傾向が強いのでおそらく学部から進学の子らも日本に戻ってこない傾向になるだろう。
今までは語学力が一種のハードルになっていたけどこれからはAI英会話で簡単に突破できるようになるだろうからさらに加速するだろう。
優秀な若者はさっさと海外行って日本には出がらししか残らないんだろうな……ほんとつらい。
日本の没落が本格的にはじまったよ。どうする?
大抵の人は辞められない。
頻尿の人はRRRを見ることは出来ない。大福を食べても尿意は止まらないし、水を飲まなくても尿は出る。オムツを履いて映画館に行くという変態プレイが許容されるのはエロ漫画の世界だけ。
会社で携帯を持つことが義務付けられている人は映画館でもバイブを常に意識する必要がある。特に自衛隊はそれが顕著。映画を見ている間に遠くで災害が起こり、それに気づかないで2時間の間報告義務さえ怠りましたは許されない。
色盲の人は普通の人と同じように映画を見れないし、時には色盲であるが故に重要な情報を見落とすだろう。まして盲目であれば……盲目の人でも音を楽しむために映画館に行く人はいるだろうが、その人は映像を見ることが出来ない自分という存在から離れることは出来はしない。逆に難聴の人間にとっては映像だけしかそこに存在しない。
単に語学力や読解力が試されることもある。吹き替えのないアクション映画で必死に字幕を追わされたり、訛りの独特なニュアンスを感じ取れなかったり。外人の顔は区別がつきにくいが、相貌失認気味の人間であればそれはなおさらで、時には登場キャラクターが少し髪型を変えただけで誰が今どうしているのかを見落としてしまうだろう。
「映画館で映画を見ている間は自分が自分であることを辞められる」というのは、自己の心身や能力に纏わる事柄によって映画鑑賞に支障が起きない人間が一時全てから離れて自由になれる権利を有して初めて起きる現象だ。
本当に完全にこの条件を満たせるのは日本人の半数程度だろう。
当たり前に誰にでも起きうるものとして扱うのは辞めてもらいたい。
富裕層の課税が議論される時に必ずと言っていいほど言及されるのが、富裕層に課税すると彼ら彼女らが海外に移住してしまう、という意見。
海外移住は色々な点で大変だ。富裕層なので金銭的な負担は少ないだろうが、言葉の壁と向こうの文化に慣れることは大きな問題となる。そして、その解決のためには多大なる努力が必要で、お金だけでは解決できない。不自由なく意思疎通ができる語学力を身に着けたり、向こうの文化(食事・住まい・マナーetc...)を理解し慣れていくことには、結構なモチベーションとエネルギーが必要である。
そして、日本で慣れ親しんだ文化から離れることに耐えられる日本人は、どれだけ居るだろうか。あなたは、昼飯に悩んだとき、お気楽にラーメン屋やとんかつ屋に入ってうまい飯を食える生活や、家の風呂でザバザバ湯をかぶれる生活から離れられるだろうか。半年や数年程度であれば何とかなるかもしれないが、一生となるとかなり厳しのではないだろうか。少なくとも、私は幾ら金が有り余っていても絶対に無理だ。
また、日本で築き上げた人間関係から離れられる人も居るのだろうか。特に富裕層ほど人間関係が広そうだし、だからこそ金が稼げている面もあると思うのだが、そういった関係を「金がかかる」という理由で離れられる人はいるのだろうか。
ちなみに、富裕層に限らずインドネシアのような物価が低い国に移住すれば、かなり裕福な暮らしが可能である。メーカー技術者の知り合いからは、海外赴任先のホテルが5つ星ホテルだったり、使用人付きの家で暮らしていたなんて話を聞く。
しかし、長くても数年程度で彼らは日本に帰ってきた。そんな様子をみると、課税を理由に富裕層が海外移住するムーブメントは果たして来るのだろうかと思ってしまう。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE227KZ0S2A920C2000000/
公立高校で教師をやっている。うちの学校には外国籍の生徒が多数いて、外国籍者対象の入試がある。正直、大変なことは多い。各々日本語習得のレベルも違う子たちに教える先生達の苦労は大きいし、同様の入試制度を持つどの学校の話を聞いても、カリキュラム内外の日本語指導は十分とは言えない。本当に色んな課題とか見えない問題があって、各論で話さないといけないこと多々なんだけど、面倒なのでそれはしない。
ただ、ブコメの「日本語ができないのに高校に入れる必要はない」という意見を読んで、違和感が生じた。なぜか。
一つは単純な理由で、日本人であればどんなに勉強ができなくても、あるいはしなくても高校には入れるからだ(実際外国人も定員割れてるところは入れるけど)。外国人というだけで「日本語ができるようになってから」等と言われてしまうのはおかしい。それは差別以外の何物でもない。実際に生徒を見ていても、学習意欲のない日本人生徒よりも、日本語では劣るが学習意欲の高い外国人生徒の方が、高校という場には似つかわしいと感じるときだってある。
ただ、たしかに「高校入学のための日本語学校/試験」のような制度/体制ができれば理想的だという意見には同意する。とはいえ、その実現は遠い話のことのように思える。その間にも日本語はできないけど高校で勉強したい生徒はいなくならないんだし、とりあえずは今ある学校での日本語指導体制を整えた方がいいんじゃないか、というのが一点。
もう一つは、「まずは日本語だけ勉強しといてね」というのは意外に難しいことだからだ。当然ながら、言語は内容と結びついている。マックで働くのに必要な言語と学校の学習に必要な言語は違う。学校で教科を学びながら日本語を学ばないと、いつまでたっても学習で使う日本語は覚えられない。そして一般に、学習に必要な言語の方が習得には時間がかかると言われている。「まずは日本語を」とやってたら彼らはいい大人になってしまう。
ただ、全く日本語ができない状態だと授業どころではない。そりゃそうだ。なので、現状でも入学までに日本語学校に行くのはよくあるケースだったりする。それでも、その程度の語学力では高校での学習にはやはり不十分で、そのギャップを埋めるのは「学校で」行うのが一番効率がいい。本人の努力と周りのサポートは不可欠だが。
ちなみに、こんなニュースが出てるのは文科省が高校の日本語教育に梃入れしようとしてるからだろうと推測する。この2つ目の理由のようなことはJSLカリキュラムと言われて小中では既に実践されているところもある。高校もそれに続けというノリで、何だかなあと思う節もあるが、現実的にはこの方向性で行くしかないと思っている。
あと、最後に。ブコメを見てて「入試の枠として必要なのか」「割合を上げる必要はあるのか」という意見があったが、同程度日本語ができない外国人同士でも学力は違うので、全て底辺校や特定の学校に押し付けると生徒にとっても学校にとっても不幸なことになると思う。例えば勉強のできる子は学習に必要な概念も母語でわかるので、必要なのは主に訳語になるから日本語習得も早い。そういう子はある程度学力で学校を選べる方が有意義な教育を受けられるとは思う。
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ユーモアのセンス、詩や文学への造詣、語学力(英・仏)、服装のTPO・トレンド・ドレスコード
長男の書類・手紙・郵便物の管理、長男の衣類の管理、長男が着る服やアクセサリーのセレクト・着付け、長男が旅行や外出をする際の荷物持ちや護衛、男性家族(父、私、長男)の来客の応対や給仕
月給40万円から、長男の部屋へのノックなし入室可、家事の免除、部屋と食事付き、執事以外の使用人(妻の侍女や家政婦長、メイド、下僕、料理人)に業務を命じられない権限及び必要であればそれらの者たちへ業務(長男の部屋の掃除など)を命じる権限