はてなキーワード: 罵声とは
最近会社で、部署の新人である自分に対してある人が精神的マウントをとろうとしてくる体験をしたので、そのプロセスを書いてみようと思う。
たぶんブラック企業でもよくとられる手口だと思うので、もし遭遇したら気を付けていただきたい。
何か分からないことがあったら何でも聞いてくれ、と笑顔で頼りがいがあるところをアピールしたりする。
そして具体的に何か聞いたりすると、全部の情報を教えてくれず、最小限を簡潔に答えて忙しそうにすぐに自分の仕事に戻ってしまう。知りたい情報の全容が分からない状態が続く。
〇攻撃的になる
しばらく時間がたつと、「できない」「わからない」ことを徹底的に攻撃してくるようになる。
「なんでこんなことが分からない(できない)の?」「ちゃんと教えたよね?」
その人がちゃんと情報を教えなかったり、ちゃんと教育をしてくれないためにわからない・できないことが多いのだが、このような人は「自分は知ってる(できる)が、相手は知らない(できない)」ことを武器に嫌味な言葉を徹底的に浴びせてくる。
この辺りになると、あの人と関わりたくないと思い、何か聞きたくても聞けないということになる。すると嫌味にとどまらず「何でお前はちゃんと聞きにこないんだ」「お前は無能だ」と罵声を浴びせてくるようになる。しかも、違う人間を巻き込んで、その人の耳や目に届くところでそういうことをする。
そして勇気を振り絞って聞きにいったら、重箱の隅を突くようなダメ出しをして、必ず嫌味・悪口で返してくる。
ここまですれば、立派な精神的マウンティングが完了し、その人に対して恐怖を感じ、言われるがままに行動するロボットが完成する。
面倒なのは、このような人物は、これを無意識にやっているところにあると思う。
その人は別に人を傷つけようという気はなく、「自分がやりやすい」環境を作ろうとした結果、他者に対して精神的優位に立とうとし、このような攻撃的な行動や言動をするのだと思う。
ではこういう人に対してどう対応するかだが、「あなたがちゃんと情報を共有しないため分からないのだ」とまずは正論を言うべき。
こういわれると、たじろいで態度を改める人と、態度を硬化させて徹底的に無視してくるようになる人、そしてさらに些末な指摘や別な話を持ち出してあくまでマウントを維持し続けようとする人と3パターンあるように思う。
水曜の夜、疲れている。最近疲れすぎ。朝起きられず遅刻ぎりぎり。なのに朝ごはんを作る。メイクをする。コンビニで買ってもいい、駅や会社のトイレでメイクしてもいいのに。無駄に一人の朝食を作るから、家を出るともう時間がやばい。出た瞬間から全速力で20分走る。電車に飛び乗る、汗が引かない。メイクの意味ない。
仕事、もうこの仕事つらいと思ったままずっと来てる。最近は、もう無理、仕事が気持ち悪い。年数を重ねて要領は良くなる一方、無駄に罵声を浴びてすり減る仕事に拒否感が強くなっていく。
残業して疲れ切って眠いけど義務感でヨガへ。楽しいかどうかわからない。とにかく健康を維持しなきゃ、きちんと生活しなきゃという焦りが毎日すごい。思うことの半分もできないから罪悪感が積もっていく。週末にはへとへとだ。何もかもバランス悪い。楽しい瞬間もあるけどいつも追われて疲れてる。婚活もしなきゃ、恋人作らなきゃと思うけど本当は仕事やめて知らない町を一人歩いて何もしないでいたい、本当は。なんで婚活なんかして休日に他人に会わなきゃいけないの、こんなに疲れてるのに。
自分の中のゼンマイをいつもぎゅうぎゅう巻いて暮らしてる、ゼンマイ人形をぎりぎり巻いてしばらくカタカタ動いて、週末に少し緩やかになって日曜夜にまたゼンマイ巻いて自分の心を縛り上げる。
迫害されること、命を脅かされること、死ねと言われること、存在を認められないこと
一切の要望を認められないこと、キモチワルイと言われること、いなくなってほしいと言われること
罵声を浴びせられること、侮蔑のまなざしで見られること、好きなことを禁止されること、迷惑だと言われること
多くの事におびえています。
それをされないためには、自身の価値を証明するか、自身がその審判者になる事だと考えています
自身の価値を証明することは自身の価値を他人に認めてもらう事であり、
命を奪う事、他人を傷つけることは分かりやすい優劣を決定します(あるいは決定すると思われています)
私を認めてください
ここは弱ってるやつに罵声を浴びせる心無いやつが野放しになってるから、QAサイトのほうがいいと思いつつ。
典型的な「どう思われたい、それができないから苦しんでる」という人間のパターンですね。
人間ってのは仏教で「慢」の感情と言って、こう思われたいという感情があります。
だけど、それがなせないために傷つく。まあ、こう思われたいから努力するという側面もあるので、完全悪な感情ではないですが、制御できないと。
この辺は小池龍之介氏あたりの本が良いです。「平常心のレッスン」とか。他に禅周りの本が良いです。
それに加えて、上記の感情が頭の中をぐるぐる回って脳疲労の状態になってます。
思い通りにならないことを頭の中で思考の自動操縦状態になってます。
久賀谷亮「世界のエリートがやっている最高の休息法」なんかのマインドフルネス本あたりがおすすめです。
あとはビタミンC、オリゴ糖あたりを取るとか。僕はいいと思いますが科学的立証はそこまで、、、なので、まあ、ついでにやってみたら効果があると思う程度で。
ですが、セミナーは正直オススメしません。本読んで実践でも十分だと思うし、教祖に依存させて金をせびるタイプの霊感商法や、質の悪い自己啓発セミナーも世の中いっぱいあるからです。
不審船が来た時は機関銃怖い饅頭怖いと船にこもってたしスーダンからも逃げた
米兵が小学生レイプしたら犯罪を取り締まるのは任務ではないっ!
A新聞に記者として働く学生時代の先輩がいる。彼女は今、アメリカに留学中で、昨今のセクハラ騒ぎを一昨日、知ったという。
同業他社の女性記者が受けたセクハラ被害に対し、思う事をFBに書き綴っていた。
先輩もまた、女性記者として今まで受けたセクハラを受けていた。
しかし、私は正直な所、彼女が受けたセクハラ被害を読んで、「この程度の事がセクハラになるなら、私なんてもっと最悪なケースではないか。」と思う事ばかりであった。
私は、FBに「イイネ」や「酷いね」などのリアクションも出来ず、コメントも残せなかった。角の立たないコメントを書けなかったし、励ましたり同情する言葉が浮かばなかった。「女性の敵は女性」になっている自分が、嫌だった。
そうこうしているうちに、彼女のFBに書き綴った内容の記事は大反響を呼び、改めて感謝の意や今後の抱負・反省などで、彼女はこの話題を締めくくっていた。
私はその締めくくりの記事を読み、虐められていた時の自分と重なった。虐められていた理由は、
・偉そう
・高みの見物
・人を何だと思っているのか
・「ごめんなさい」と言えば許してもらえると思っている。
・馬鹿にしているのが解る。
という理由だ。私は虐めを受けている当時は、全くわからなかった。謙虚に低姿勢に、世間様と接しているのに、なぜ、その彼らにこの様な酷い罵声を浴びなければならないのだろう。
鼻につくという理由で、なぜ。
けれども、先輩の締めくくりの記事には、まるで当時の私そのものの様子が、書き綴られていた。それを読み私は思わず、
「これじゃあ、風当たりが強いのも、無理はないな。」と思った。
反省している事、優等生の様な考え方、選民思想、そんな自分が理不尽なことを耐えて「あげた」だけでも偉いのに何故。
その様な事が見え隠れするような、表向きの締めくくりの美しい文章に思わず「勘違いした人間の間違った謙虚は、痛々しい」と感じてしまった。
ここで、先輩の文章を添付したりコピペする事は出来ないけれど、なぜ自分が虐めを受けてきたか、痛いほどよく解った。
虐めは悪い事だけれども、虐められる方も悪い。その理屈は近からず遠からずだと思った。少なくとも今の私だから、自分の痛々しい優等生っぷりが公害であったと理解できる。これでは社会が受け入れてくれるはずがない(社会に馴染めるはずがない)し、邪険にされるのも良く解る。
具体的な話を書けず、抽象的な内容でゴメン。私が言いたかったことは、昔の私を引っ叩いて自分の勘違い・自惚れ・思い上がりを先輩の記事を読ませて、不快感を通じて自分を客観視させたいという事だ。
夫が同情していた。
私はどちらかというと女を土俵にあげるなアナウンスはあり得ないだろと思う方だったけれど、夫曰く
「このアナウンスした人、たぶんアスペもちか何かで、たまたま運悪く市長が突然倒れるというアクシデントに見舞われ、
頭がパニックになってどうしようと思ってる中、会場から女は土俵にあげるな!ていう罵声が飛び交っているのを聞いて、
咄嗟にルールにそった正しいことをしなければっていう意思が働いてしまって、自分なりにパニクりつつ正しい行動をしようとした結果、
最悪の結果として招いちゃったんじゃないかな…」
って話をしていて、アスペもちの人はそういうことがあるのかもしれないな、と少し思った。
何かのTV番組でこのアナウンスした人の問題だね…ってコメント出してた人がいたけれど、
おそらくそうなんだろうなあと。
アスペという病気を持ってて頭がパニくってる状態なら、正常な判断できなくなるし無理もないなあと思ったのであった。
勿論全部想像だけどね
九州なんて仕事でも行く機会がないしテンションあがる。向こうについてまったり酒うまー。
で、翌日が悪夢の1日。嫁さんのお姉さんの旦那、つまりお義兄さんにあたる人から
「なあ、俺君、今の会社にいつまでいる気だ?じつは結婚相談所を立ち上げたいんだが手伝わないか」と言われた。
「いやいやいや…無理っす」と答えたら「一生サラリーマンでいいのか。成功したくないのか。来てくれれば年収500万以上だって狙えるぞ」
義理の兄とはいえ、あんまり話したことないし事業に誘われても困る、と率直に伝えたんだけど、聞く耳持たず。
30分以上続いて半分罵声っぽくなってきた。「身内だからこそ誘ってるんだ、チャンスだろうが!」とか。九州人怖い。
「あのね、私の勤務先は業界最大手だし管理職やってる。年収はぶっちゃけ500の倍以上出てる。ローンあるけど持ち家だ。この条件を捨てて都内から九州に引っ越し、結婚相談所でビジネスする理由がある?」と
いったら恨めしそうにずっとこっち睨んでた。
物凄く空気悪くなったので、逃げるように東京に戻ってきたんだけど、今度は「カネあるなら出資しろ」とかきてて、これもうダメだ、と思った次第。
ありゃあクズだ。
近所で工事してたお兄さん達と仲良くなって、蕎麦屋で飲んでた。
そしたら店に有名人が大勢でやってきてお祭り騒ぎになったから、別の店に行こうって電車に乗って移動した。
着いた先の地酒の店で働くことになって、皿洗いチームで仲良くやってたけど
授業の中でみんなそれぞれ今日1日で変わったことを発表する時に、
片言の英語で「視力が良くなりました」って言ったら少しだけ笑いが起こった。
終業のベルが鳴った後、「さっきのめっちゃうけたんですけど!日本から来たの?」って
すらっとしてさらっとした髪のスポーツ系長身白人少女に流暢な日本語で声をかけられ、
自分の能力に自信アリアリな態度にイラっときてずっと片言の英語で対応してた。
しばらく一緒に歩きながら話をしつつブラブラ公園に向かう途中、
夥しい数の鳥の糞が落ちてるのを発見、瞬時に警戒体制に入り上空を見上げるも、既に生暖かいハトの糞が腕に付いていた。
彼女とハンカチ貸すよ汚いから遠慮するよ遠慮なく使ってよとりあえず洗おうよ的ないちゃいちゃをした後、
あざ笑うかのように鳩の群れが地面に降り立った。
復讐してやる。
なあに、ちよつと、おどかして、みるだけの、いたづらさ。
スッと近づきパッと足を出しサッと首を突いてやった。連中バーっと羽音立てて驚いて逃げてやんの。ぷふー愉快愉快。
その中に一羽、俺に対して敢然と立ち向かう、立ち姿の美しいオスがいた。ほお、何か文句の一つもありそうなお方だ。
ジリジリと間合いを詰められ、まるで舞台袖にいるような、あるいは飛び込み台の上に立つような、それに近い緊張感が辺りを包む。
遠くで聞こえた飛び立つ羽音が合図だったかのように、彼が俺の右足に狙いをつけてクチバシを振るう。
そうはいくかと右足を引き、返す刀の左足刀が首を狙う。瞬間、向きを変えたクチバシが俺の左足を受け止めた。
パッと距離をとる。
「こいつ、なかなかやるぞ」
「こいつ、なかなかやるな」
もうこれ以上続けることに益はない。
「いい出会いだ」
「いい出会いだった」
鳩胸の内に微かな温かみを感じた瞬間だった。
「こんのクサレケツァルコアトルがー!!」
響く罵声、轟く羽音。
覚醒。
「水からの伝言」とは、水に向けてポジティブな言葉を投げかけると綺麗な結晶が出来る一方でネガティブな言葉を投げかけると汚い結晶が出来るというものである。いわゆる嘘科学の一例によく挙げられるものの一つだ。これは水以外にも米などでも行われていた(もちろん結果の信憑性は察しの通りである)が、この実験は人間に向けても行われているのかもしれない。私が生まれてから今の間まで、成果を出しても褒められることはないが、何かと失敗すればとにかく文句ばかり言われる。何もしなくても気持ち悪いなどと罵声ばかり浴びせられ続けてきた。正直、性格が歪んでしまいそうで気が狂う。
久しぶりに深夜にお酒を飲んだらなんだか浸ってしまったから少し吐き出させて下さい。
家族だからで許さなければならないことがあるのってどうなんだろうって最近考えるようになった。
姉が今彼氏と同棲していて、その事に関して姉のことを良く知る友人から一緒に暮らせるなんて彼氏さんはすごいねって言われたっていう話を姉からされた。
他人にそう言われるってことは姉にそれなりに問題があるってこと。
今の彼氏との生活がどうなのかは知らないけれど、姉がまだ学生で実家で一緒に暮らしている時は何もしない人だった。
家事は当然何一つやらないし、当時小学生だった私に中学の宿題をやらせていたり、長期休暇中は誰も何も用意してくれないから私が姉の分のお昼ご飯も作ったりした。
今は彼氏の分のご飯も姉が作っていると聞いた。その他の家事については知らないけれど。
とにかく姉の気分によって振り回される生活だった。さっきまで笑ってたのに急に殴られたり蹴られたりすることもあった。だから気分良くいてもらうためにたくさん気を使って生きてきた。
殴られた時、本当は痛くて泣きたかったけど泣いたらそれが不快にさせるから笑いながら何急に?びっくりしたって言う。思った以上にきまってめちゃくちゃ痛いんだけどって、笑いながら言うの、おかしいでしょ?
でも機嫌を損ねて罵声を浴びさせられるのが怖くて何されても非難するようなこととか、否定する言葉が出なくなっていった。
今まで色んな人に相談した。姉がこわいって。
親ですら殴られていることを知らなかったって。見てないだけだよ。よくあるみんなて夜ご飯食べ終わった家族団欒の時間でさえ急に頭叩かれてたよ。
みんなが「抵抗したの?」って聞いてくる。
出来ていたらこんなに傷付かないよ。
それすら出来なくなるように昔から罵倒されてきた。もう洗脳されてるのかなって思うぐらいに自分が駄目なんだって植え付けられた。
それとその言葉に、抵抗出来ない自分はおかしいんだって追い詰められた。
姉の面倒を見る私を仲の良い姉妹だねって言う人全員騙されてるなって思う。
姉に騙されてるだけじゃなくて、そうやって姉の面倒を見ることが嫌いじゃないよってアピールする私からも。
自分が理不尽な目に遭ってるとか不幸だとか思わないための防衛みたいなのがいつの間にか働いていて、仲が良いねって言われる度に良かった、騙されてくれた、私たちは仲の良い姉妹なんだって安心してた。
でも一度離れると駄目だよ。
もう一緒に生活出来ない。
あなたの我が儘を聞いてあげられない。
違うよね。自分より弱い私を所有物だと思ってるよね。
家族でも、姉妹でも、嫌なことは嫌だし出来ないこともあるんだよ。
何で家族だったら許してくれると思ってるの?
何で家族だったらそんな我が儘な人と一緒に暮らしていても褒められないの?
何で1番大変な時に1番被害を受けて1番耐えていた私は誰からも何も言われないのに、社会人になって性格が丸くなって、落ち着いた人になった人間と一緒に暮らしている他人は褒められるの?
もう疲れた。
でもこれからも抵抗出来ないままでいるならこの生活は続くんだろうね。
抵抗の仕方なんて忘れちゃったよ。