はてなキーワード: 白眼視とは
ありもしないことをそれっぽく書くという遊びだから仕方ないのかもしれないが、それにしてもこことかすごい。
アメリカではかなり昔から認知されてて、黒人開放に必死で目くじら立てる連中を、白い目(比喩)で見てた人からポツポツでたらしい。まぁ当然で、当時の黒人は家畜ではあっても敵じゃない。黒人と平等は嫌だけど、それはそれとしてやり過ぎ、ということらしい。
黒人開放(多分黒人解放の誤字)に必死で目くじら立てるって何?
必死で、ていう不要な修辞がまた訳のわからなさを増してるが、そこを除いても、黒人解放に目くじら立てるってなんだ。黒人解放運動に、てこと?黒人解放運動反対論者って白人至上主義者のことか?
白人至上主義者を白眼視してた人ってことは白人至上主義ではなく、かといって黒人解放論者でもないといいんたいんだろうから、基本的にはどこにも属してないノンポリからぽつぽつ出た(何が?)という。
目的語が、その正義依存症なるものだとして、ノンポリから正義依存症がでた、と言いたいんだろうか。なんで?全く意味がわからない。
もしかして、白い目で見ていた人「が」と言いたくてそのタイポなんだろうか。
日本語ができるようでいて、実はてにをはとか慣用句が全くわかっていない人が書いてみた文をシミュレートしてみました、ということなら納得できる。
世の中全部がこうなる!ってもんじゃないからあまりこういう議論はどうかと思うが一応突っ込んどく。
スマホゲームの高コスト化はガチャありきのものだからガチャ自体が白眼視されつつある中でどこまでできるか不明瞭。二次創作と組み合わせて長期コンテンツ化をなしとげたfateや艦これはまあともかく。
アニメなんか粗製乱造で作画の良さが大前提ではあるが乱造過ぎて儲からなくて先が見えない。
ディズニーやネトフリの大作はまああるにはあるが、バズといえるほどじゃないだろう。そもそもあの辺りは一般のサブカルとは一線を画している。
スマホゲームとネトフリがギリギリあり得るか程度だがさすがに君のは20年前のネット時代前の感覚過ぎる。
鬼滅の刃みたいにバズりかけのものを一気に物量でばずらせておしまい。というのがギリギリあるんじゃないかと思う。儲かるが長期的なコンテンツにはならない。
ただ昔のアニメのワンクールごとに嫁が変わるというのが、たまたまバズったもので嫁が変わるになるかぐらいだと思う。自称最先端を歩んでいるという連中向けに、コロコロ最先端のコンテンツが変わっていってもらわないと困るから程度で。
今、知り合いのつてでテレビ局の制作下請け業務のADやらないかって話があってそれを引き受けるかどうか迷ってる。
大学在学時に精神病んだり多重債務が膨らんだことで卒業してすぐ実家に戻って2年くらいニートしてた。
ニートって言ってもぼちぼち家業の手伝いして、とりあえず利息をなんとかするために日雇い派遣に行って、
グループセラピーに顔出したり、町おこしやってる地元NPOでボランティアしたりなんやかんやしてたけどどこにも属してなかったからニートはニートだ。
同じ面子と毎日顔を合わせていると不安でたまらなくなるから月に二日が限界だった派遣も、2年経つごろには週4~5で3つぐらいの現場をローテーションできるくらいには回復した。
そのころになってようやくとりあえずどこでもいいから腰を据えようと考えられるようになって週3のコンビニバイトと週2のホテル清掃を掛け持ちを始めた。
1年前にコンビニの時給が上がってからは週4にシフトを増やしてもらってそっち一本に専念して今もやってる。もうかれこれ4年になる。
当時はやっていたテキストサイトなりに影響を受けてhtmlを自分で書いてみたのが最初で、
それからお遊びで自分のサイトをCSSで装飾をしたりCGIプログラムを書いてみたりしてた。それも高校生になるころにはやらなくなったけど。
それでもずっとWeb周りの情報は集めていて、はてなも情報収集のためにブックマークを使い始めたのがきっかけだった。
2年のニート期間中に、ようやく落ち着いて勉強をできるようになったので、
ドットインストールでJavascript、PHP、Python、Rubyの基本的な書き方をさらったのち、ちょくちょく自主制作をやるようになった。
いってもPHPとPythonはWordPressとC4DのXpressoくらいでしか使ってない。Rubyは一回TwitterBOTとミニゲーム作ったあとなんか好きになれなくて弄らなくなった。
でももともとWebに憧れがあったからかサイト制作でJavascriptを使うということは結構長く続けられた。
通ってた大学はメディア関係の学部でイラレフォトショもそれなりに使ってたからそんなつまずくこともなく、ちまちまポートフォリオに制作したサイト溜めてた。
あと関係ないけど図書館でJavaの参考書借りてきて写経したり、XCodeでSwiftに挑戦したりしたけどアプリにあんま興味なくていつの間にかやらなくなった。
それもサーバー代が払えなくなったりHDDがおしゃかになって全部なくなったんだけどね。ここ最近はPCも持ってなかったし。
なんとか最近になって惨めな田舎生活から飛び出すだけのお金が貯まって、定職につくことまでようやく考えられるようになって
「ちょっと遅くなったけどだめもとでまた一から頑張ろう、まずはポートフォリオまとめていこう」と思ってた矢先にコロナショックで世の中おかしくなりだした。
自分も不安でたまらなくて、コンビニバイトをしていることから小売業の求人に応募しつつ、Web制作や、大学時代の経験から映像制作の募集に片っ端から応募した。
ADの誘いを受けたのはこの流れで、受けた企業の採用担当でない社員の方から別の企業を紹介されてそういう話になった。
履歴書も見たしもう一度会ったらもう内定を出すと言われている。
あからさまに怪しいと自分も思う。放送業界のハードさは周知の通りである。しかし自分にはトラウマがある。
大学卒業直後に第二新卒での就職を目指して3か月だけ就活をしていた時期がある。
そのときに「テレビの制作やってる部署に中途採用してあげるから一か月後に荷物まとめて東京に出てきて」と言われ結局自分はそれを蹴った。
当時はほぼ無収入なのに借金の返済に月6万かける生活で不安が大きかったのと、
クライアントや代理店から依頼された案件で企画から制作までじっくり取り組んでいきたかったので放送業界はやや不本意だったからである。
でも今になればあのとき飛び込んでいれば違った未来があっただろうと後悔する気持ちがある。
少なくとも今のようにぼんくらとして馬鹿にされ近所から白眼視されながら惨めに孤独に片田舎で生活するようなことはなかったのではないだろうか。
今の自分は映画「悪人」の妻夫木の役どころや「レズ風俗」の永田カビみたいなもんである。
今現在はその企業以外に2社映像制作会社(放送関係ではない)の面接選考が進んでいてそれも自分を迷わせる原因だったりする。
最近のはてブの話題からいろいろ考えてしまうんだけど、現実逃避するように誰に見せるわけでもないポートフォリオサイトを休日に作り続けてる。
しか残ってないよな
はもうどうでもよくなりつつある 未婚率が3〜4割とかになってくると独身者を白眼視するって雰囲気じゃなくなるだろう
男女ともにオールラウンダーたることを求められるいま、ひとりでは食い扶持が稼げない女性もひとりでは家事ができない男性もいなくなりつつある 当然家族全員養うより自分の分だけ稼ぐ方が楽だし、家族みんなのメシ作るより自分のメシだけ作る方が楽でもある 電化製品や冷凍食品なんかの進化もめざましく、ひとり暮らしの大変さは減る一方
マッチングアプリとか風俗…はしばらく下火になりそうだけど、そのへんが無くたっていまのエロコンテンツはすごい 男向け女向けゲイ向けレズ向け、ズーフィリア向けに下手したらネクロフィリア向けまで揃うネットは偉大 オナホとかバイブの類も進化し続けてるし、今後VRエロが隆盛すると思うともはやリアルセックスは不要と言ってもいいかもしれない
家族がどんだけ多くてもせいぜい10人とかなのに対して、ネットは何百人何千人と気軽に繋がることができる
まあこれに関してはコミュニケーションに求めるものの個人差がデカそうだけど、いつのまにか結婚してました!ってタイプじゃない人間はそもそもそんなに深いコミュニケーションを好まない気はする
配偶者とケンカなんてしようものなら家が戦場と化してしばらく嫌な思いをするが、ネットでケンカになったらブロックしてその分新しい友達作ってハイ終わりだ
結婚は終わりだよ 結婚っていうか婚活、「相手がいない状態から結婚そのものを目的として努力すること」が終わりというべきか
まだみんな惰性でやってるけど、近々冷静になって(コロナ禍も効きそう)アホらしさに気づく 好きな人がいるなら結婚すればいいし、いないなら無理にするようなことじゃない
朝ご飯を食べながらテレビを見るとはなしに見ていたら、また新型コロナの話。
この話ホントやめて欲しい。
新型コロナに罹患していても、ちょっと吸い込んだホコリとか、日常的な雑菌などを喉から排出するために、タンが出るときは出るだろう。新型コロナに起因しない、健康な人でも出ることがある日常的なタンのことだ。
空咳が出るのもおなじく、健康な人にもありうる。ちょっとした花粉症的なヤツとか、飲み物がむせるとか、いくらでもあるじゃん。
ちょっと考えたら咳だけで新型コロナ断定は無理って分かるのに。
で、こういう情報が、電車の中や公共の場所で空咳が出てるヒトを白眼視するみたいな、社会のギスギスさを助長する。
テレビはそこの責任を取らないし、多くの視聴者もよく考えないでこういうことを信じるし。
本当に新型コロナかどうかは、医学的な検査をしなければ断定出来ない。咳の種類だけでは素人が判断できないってはっきり言って欲しかった。こんなのは当たり前の話だと番組を作った方は思ったのかもしれないけど、今の視聴者のリテラシーは残念ながら低いから。例のトイレットペーパー騒動が証明してる。メディアにあおられて不要に買って。
ここでいうヘタレは、最初から逃げ腰・及び腰で物事に当たる奴って意味でひとつ。
もちろん俺のことなんだが、ようやく抜け出す糸口が見えてきたって話。
そもそも最初から逃げ腰・及び腰ってのと、一旦は腰を据えつつあまりしんどくならないよう切り上げる算段を打ち始めるのは、全然違う。
後者は抜かり無いとかちゃっかりしているという話で、まだ一定の理解を得られる目がある。
でも前者はもう分かりやすく保身丸出し・我が身可愛さ丸出し、即ち「お前自分のことしか考えてねーじゃん」というわけで確実に白眼視ないし嘲笑されるだろう。
ちなみに俺が前者みたいなスタンスになったのは大きな挫折を経験してからだけど、そんな事情は周りの知ったことではないので、信用を得るためには正すしかない。
と、年末年始に大休止しつつ自身を冷静に振り返り、このように思い至った。
で、周囲から見た人格なんて対外的な言動でしかないので、この場合「言い切る」「やり切る」に徹すればいい。
だから、あとはそんな言動を実現可能にする心構えというか考え方の話なのかな。
多分なんだけど、度胸ありそうな人の考えって、
のいずれかないし、その両方みたいな感じ?
とりあえず、こういう考えで失敗の恐怖心を追い出すことから始めようと思う。
今思うと、単に仕事として依頼されたからというだけでなく、こういう学習漫画を描くことで社会貢献して箔をつけようとしていたのかな。単に雑誌に大衆向けとして描くだけでは社会人的評価が得られにくかったから。あと、こういう漫画の執筆を通じて、漫画家自身も勉強になり、学がつくというのもあるだろう。最初から立派な監修がついてくれてるから安心できるだろうし。
かつて矢口高雄が、エッセイを教科書に載せたいという教科書会社の申し出に対し、「エッセイではなく1ページマンガを書かせてほしい、原稿料もいらないから」と頼み込み、マンガを初めて教科書に掲載させることに成功したという。
これはどういうことかというと、「音楽の教科書にビートルズ」と同じ。かつてマンガは俗悪な読み物として親や教育者から敵視されていたが、マンガを読んでいた子供たちが大人になり、その社会的評価も変わっていったということをあらわす象徴的なエピソードだ。矢口は子供の頃から敬愛する手塚治虫のマンガが大人から白眼視されることにいらだちを抱えていたというし、積年の思いを晴らしたとは言える。
例示された漫画家は、そのようなフラストレーションを抱えた世代だろう。学習漫画を描くということは、彼らにとっては「子供たちのために漫画を描く」ということが世間に認められたことの一種の確認にはなったと思う。しかし増田の言う「社会人的評価のために箔をつける」は的を外してないように見えてだいぶズレている感じがするし、「漫画家にも勉強になる」って、まるで漫画家は勉強してないような言い草だな。この投稿で一番気になったのは増田の持つ漫画家への蔑視的偏見だ。