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はてなキーワード: 比喩とは

2023-12-11

anond:20210416222337

どうでもいいけど汚物ブンブン飛び回るって比喩としてよく分からんな。

汚物の周りに蝿がブンブン飛び回るなら分かるけど、汚物なんて投げない限り飛ばないだろうし、そのオノマトペブンブンじゃないだろうし。

2023-12-06

anond:20231206182026

前提が間違ってるんだよなお前は

小児性愛人権侵害からこそ法律規制されているんだよガイ

そしてお前が「小学生と同じ」いう比喩を使うという事は、こどもに判断能力がない事実認識できている訳だ

その判断能力を持たない子どもへの性加害は人権侵害である法律が定めている

そしてその真似事している創作物反社会的価値観を許容し、犯罪者を増やし続ける犯罪者生産装置に過ぎない

お前の主張はただの自己本意の快楽に基づく物であり、人権範囲には入らない

お前は犯罪者を許容させたいだけの社会ゴミ害悪害虫しかない🪳

2023-12-03

進撃の巨人最終話アニオリ...なぁ...

最終話アニオリの何が悲しいかって、

漫画版エレンアルミンに対してのセリフエレン「お前なら…壁の向こう側に行ける」をスポイルしたとこ。


このセリフ、素直に捉えると「なんでエレンは壁ぶっ壊すのが確定してるのに"壁の向こう側"なんだ?」

ってなるんだけど、作中の今までの比喩表現提示だと思うと大分しっくりくるのよね。


エレンの地ならしって、取得しただけで過去未来も決定づけられるほど、個人が持つには大きすぎる力の比喩...ここではあえて語らないけどまぁ””アレ””だよね


~~脱線~~

実は進撃の巨人代名詞でもある、「紅蓮の弓矢」でも触れられていて、”宵闇に紫を運ぶ冥府の弓矢”

...これは「二千年若しくは万年後の君へ」で答え合わせができる。”流星に似た冥府の弓矢”

~~脱線~~


そこから考えると、巨人って武力的な概念比喩なんじゃないかと思う。

巨人の中身は人が入っている→その巨人で壁は作られている

そうすると、今まで周囲を隔てていた壁の正体は「人との境界線的」な概念に見えてくる。


そこでようやく壁の向こう側の話に戻ってくるけど、エレンは結局のところ壁を”壊す”ことしかできなかった。

地ならしで人類8割踏み殺して巨人の力...武力を失わせることによって壁を取り払う形になった。

その上でアルミンに言った「壁の向こう側」が効いてくる。


アルミンは最初から作中の敵に対して、必ず初手対話がお決まりだった。ベルトルトやアニに、ほぼ戦闘になるであろう状況でも対話を求めたり。

そんなアルミンだからこそ、エレンは”壊す”ではない別の方法で「壁の向こう側に行ける」と伝えたんじゃないか、って思うんだ。


けれど、アニメ化に当たって、今まで曲解されかねなかった虐殺部分の表現に加え、

昨今の某諸国の壁情勢(自分で調べて)を鑑みなきゃいけなくなった。だから最終回のアニオリでは


虐殺の"明確な否定"と、現状の”情勢への配慮"を同時に行わなければいけない」


...ってことでアルミンがエレンに寄り添って地獄行きになってたね。

情勢の配慮からすると多少は仕方ない...けどなぁ;;

2023-11-29

anond:20231129101430

いや比喩を真に受けてるのは「男として見られない」をLGBTと同様のセクシャリティ問題だって言った上増田だぞ

anond:20231129100944

フェミニズムが「人間として見られていない(モノ化)」を比喩で言ってると思ってたら、とんでもないバケモノに遭遇してびっくりすることになる。

anond:20231129095912

弱男が男として扱われないことってある?

弱男は戸籍も男だし男子トイレや男湯に入って問題になったというのは聞いたことがないが

恋愛対象として見られない」を意味する比喩である「男として見られない」を言葉通り受けてるアスペ仕草なだけじゃん

2023-11-28

子供の頃から死ぬのは苦しそうだという恐怖がパラノイアのようにまとわりついていた。ある時気絶を経験してみて、死なんて案外こんなものなのかもしれないと思った。睡眠は死のイトコとはよく言ったものだ。身体的な苦痛に対する恐怖は薄れていった。恐怖は抽象的なものスライドしていった。

「無」になることが怖くなった。

意識の断絶。経験したことのない状態体験した者は一人残らず口が聞けなくなっている。これはどういう思考過程で恐怖が薄れたのか忘れてしまった。どう足掻いた所で避けようもない。火の鳥吸血鬼はきっと存在しない。ならば不安になったって仕方がない。考えるのをやめることでいつしか怖くなくなっていたのかもしれない。

存在を忘れられることが怖くなった。

無になっても、他人を介して自分存在を繋ぐことが出来るのではないかと考えるようになった。それが成し遂げられないことへの不安だった。

大抵の人がそうであるように、自分という存在もまた忘れられれば初めから無かったかのようになってしまう。結婚して子供を残せば自分存在を残せるかもしれない。でも4代5代も先になれば、誰も読みやしない墓石に刻まれ文字だけの存在になるだけだ。遺伝子を残した所で、それが自分アイデンティティを為すものだとはどうしても思えなかった。それはただのモノだ。いつか朽ち果てる墓の中の骨と変わらない。そこに自分の考えや言葉性格は何もない。そもそも血が途中で絶えない保証なんてどこにもない。

思春期自己実現への焦燥感や全能感と合流して、偉大な存在になれば望みは果たされるだろうと思うようになった。教科書に乗るような存在になれば永遠になれる。誰も自分を忘れない。

しか自分が大それた存在ではない事を薄々受け入れていく内に、この望みも薄れていった。ビートルズだって数百年先も人々の記憶に残っている保証はない。バッハだってカエサルだって仏陀だって、いつかは忘れられるかもしれない。

生きている間だけ存在し続けるのも、死後せいぜい数十年、数百年、数千年の間人々の記憶に留まるのも、永遠に比べたら誤差のようなものだ。それに身も蓋もない話をすれば地球だってどうせいつかは爆発するらしい。他人を介した方法でも、永遠存在になろうとすることは諦めた。今思えば、地球がなくなっても宇宙へ住処を広げない可能性がないとも言い切れないけれど。

これらはすべて理屈問題というよりは納得、受容の問題だった。

後悔を抱いて死ぬことが怖くなった。今に至るまでこれだけが怖い。

死は避けようもないが、しかしたった一度きりの生があるのもまた事実だ。

生きる意味などどこまで考えても見つからなかった。理詰めで問うていけばどれもこれも絶対的地盤などなく、あやふやものの上に成り立っていた。宗教というものの意義が肌感覚理解できた。しか自分なりに意義を見出す事は出来るはずだ。ならば心からの納得が欲しい。

死ぬ間際に人生こんなんで良かったのかという思いが頭を過る事に対して、強迫的な焦燥感を抱くようになった。

しかし肝心の焦燥感をぶつける先が見つからない。

映画を見漁っても、友達付き合いをしていても、方々を歩き回ってみても、楽器を弾いてみても、曲を書いてみても、心からの納得は得られない。

それを振り切れるほどの情熱もないままに、存在不条理なんていう目を向けてはいけないもの凝視し続けて頭がおかしくなってしまった。

意味などない生活を積み重ねる事が苦しくなった。気が滅入る。

情熱を持って生きるか、それが出来ないならせめて日々の気晴らしにかまけて人間存在不条理など忘れ去ってしまった方がいい。

くだらない考えもほどほどに目の前の生活淡々と送る。それが地に足のついた人生であり、そういうバランス感を模索していく事が人生の中で生き甲斐を見逃さないための誠実な生き方というものなのかもしれない。

そう頭で思っていても、情熱の燃料にもならない湿った焦燥感がどうしても捨てられず、後生大事に抱えている。これを捨てたら比喩ではなく石ころと同じ存在になってしまうように思えてならない。石ころと同じ存在になってしまうのはとても恐ろしい。仏教はそれを肯定しているらしいが、何をやっても納得してくれない心がそれだけは強く否定している。

思えば初めからそうだったのかもしれない。子供の頃から普通に楽しく生きていれば、生きている実感を見逃さなければ死になんて目も向かなかったかもしれない。鬱病の素質があっただけかもしれない。

世の中の人間は意識的にでも無意識にでもこんな事は踏まえた上で、バランスよく自分なりの賢い生き方をしているのだろうか。まあ他人のことはどうだっていい。

といったような考えに10代の大半と20代の少しを費やしたが、同じような内容が大学哲学系の講義でサラッと語られていた。

読書をしていればこんな考えに時間を浪費する事もなかった。車輪の再発明だ。無学の悲劇だ、と笑われそうだが、自分はそう思わない。そこには単に理屈だけではない実感が乗っている。価値観DIYのようなものだ。拙くとも自分で辿り着いた事に意義がある。今更のポジショントークなのかもしれないし、それのせいでバカみたいに勝手に苦しんでるんですけど。

スクワット辞めて一週間…

尻が重い

比喩とかではなくマジでそう感じる

椅子から立ち上がるのに力が必要状態

その癖膝の痛みはまだ取れない。

朝とかは平気なんだけど、仕事してるうちに痛み出てくるんだよね。

歩けはするけど。

本当に後一週間で治るんかなこれ

2023-11-27

比喩自由って言葉表現の自由とどう違うのかを知らないのだけど、比喩自由として許される範囲を示すべきではないか

例えば「片手落ち」とか「バカチョン」が許されるのかどうかを

これらを比喩自由論者は使ってもいいと考えているが当人は使わないとすればその理由も知りたい

件のブログはその辺にも触れているわけだし

プロレス芸に関しては、プロレスと言う興行がどういったものかどう解釈しても知らないのにサゲたいだけで使っているか文句言われてもしょうがないだろう

はてなにいそうなオタクが知りもしないでと常々文句を言っているのと同じ

ブコメでもは文字数が足りないとブコメに貴重な文字数を割いているのを見ることがあるけど、ブログに書いてURL貼ってもいいのよ

2023-11-25

女。40になり、外を歩く時少し安心できるようになった。男が声をかけてくることが減ったから。比喩でなく息がしやすいと感じる。

若い女性にスライドしているだけで、女に声を掛ける男が減ったわけではない。そう思うと苦しいが、自分としては本当に楽になった。

男は若いからこれぐらい自由感覚で出歩けるのかもしれない。そうなら羨ましい。

2023-11-24

anond:20231124130854

それは病的そのもの字面通り病気の疑いがあるの意で使ってるか比喩表現なのかって違いだろ。病的(比喩)な野球キチガイから病気ではないな普通に

2023-11-21

江川紹子意見について

 江川紹子意見があった。

  https://note.com/amneris/n/nbf2ed1fcd873

 

 羽生結弦離婚について次の三点を言う。

 (1) (マスコミの)誰が何をしたのか、明確にするべきだ。

 (2) (マスコミの)取材報道に「許可」は必要

 (3) (離婚する前に弁護士などの)プロの力を借りよう

 

 これらについて、はてなーから多大な批判が上がった。

 

 ──

 

 (1) については、特に批判はないようだ。ただし、意図は異なる。

 江川紹子は、「マスコミのうちの悪い部分と良い部分を区別して、悪い部分だけを批判せよ」という趣旨だ。

 はてなーは、「マスコミ報道はすべて悪だ。区別必要もない」という趣旨だ。これについての批判が少ないのは、(2)に含まれるせいだろう。

 

 (2) については、多大な批判がある。「結婚報道については、許可必要に決まっている。プライバシーなんだから当然だろ」と。

 なるほど。妻についてなら、それは当てはまるかもしれない。しか江川紹子が言っているのは「妻の許可」ではなく、「夫の許可」だ。

 羽生さんの場合は、結婚事実は伝えたいが、妻となった女性については一切触れてほしくなかったのだろう。ただ、これだけのスターだ。……ただの一私人とは言えない。

 夫の許可必要という考えには、私は与できない。

 夫の許可については、こう論じる。

 果たして取材報道には「許可」が必要なのだろうか?

 また、事柄によっては、当事者が望まない私事を、読者・視聴者の「知りたい」に応えることを優先して、報じる場合はある。芸能人スポーツ選手政治家など著名人交際離婚不倫隠し子、あるいは過去不祥事などを巡る報道の大半は、そうではないか

 当人の「許可」がなければ取材報道もしてはならない、となれば、メディアは本人が望む情報だけを拡散する宣伝媒体しか機能しなくなる。

 私人でなく芸能人についての報道だ。それについて「許可」が必要かと問う。羽生芸能人プロ)として、スケートショーで莫大な稼ぎを得ている。1席5万円の席を数千席も売っており、1回で数億円の売上げを誇る。普段芸能人としてマスコミを利用しておきながら、いざ結婚となると「許可」を求めるというのは、ご都合主義だろう。

 

 「それでもプライバシーについては許可必要だ」

 というのが、はてなーの声だろう。しかし本件は、必ずしも「プライバシー侵害」とは言えない。理由は次の二点。

 そもそも結婚慶事であり、結婚の告知はプライバシーには相当しない。結婚披露宴がプライバシーであるけがない。世間関係者に周知することで祝福を得る。誰も困らない。今回、困っているのは羽生結弦だけだ。少なくとも奥さんは困っていないし、むしろ名誉を感じている。だから奥さんの方からの苦情もない。この件では、地方新聞社が批判されているが、地方新聞社はよくある「結婚報道」「死亡報道」の一つとして(地元での)公開情報報道しただけだ。秘密となるプライバシー侵害したわけではない。

 羽生さんはあれだけの有名人。そして、奥さんとなった末延麻裕子さんも地元では有名なバイオリニストです。しかも、地元には彼女をよく知る方も多くいて、『おめでとう』という祝福の声が多数あがっていました。その事実を報じたまでです。

 小さな新聞社とはいえ人権問題については重く考えていますし、掲載前に弁護士相談しました。ウソを書いたのであれば訂正しますが、地元が歓迎しているという事実を書いただけ。記事を出した後についても、末延さんサイドからクレームなどは一切来ていません。 (¶)

 https://gendai.media/articles/-/119572?page=2

      ¶ の段落を加筆しました。

 地元慶事公開情報報道しただけであるようだ。プライバシー侵害とはまったく違う。

 この情報の公開を厭がっているのは、羽生結弦一人だけだ。そして、その彼は、普段マスコミを利用することで、巨額の金を稼いでいるのだ。

 そういうふうに、「あるときマスコミを利用し、あるときは極端にマスコミ拒否する」という二重基準を、マスコミは受け入れるべきなのか……というのが、江川紹子問題提起だ。「こんな基準を受け入れたら、ジャニーズ不正報道できなくなる」という懸念は、もっともだ。

 

 ※ 文春の「盗み撮り」は、また別の話。これはプライバシー侵害になりそうだ。しかし「盗み撮り」ならば、別件としてプロ弁護士に頼ればいいのであって、今回の「マスコミ批判」とは話は別になる。

 

 

 (3) については、特に論じない。

 


 

 一方、羽生本人よりも、妻の立場心配する声もある。「地元の声」として紹介される、「離婚された妻が可哀想だ」という趣旨だ。

 これについても、「マスコミが悪い」という批判をするのが、はてなーだ。しかし、「誰それが悪い」という責任論よりも、「被害者である妻が可哀想だ」という同情論を取ることもある。

 この件については、次の比喩を考えてほしい。

 すごい強盗に襲われた被害者夫婦がいる。その強盗は、巨大な力をもっており、巨大なナタを振るって、被害者夫婦を襲った。

 そこで、被害者夫婦抵抗することもなく、あっさり降伏した。夫は「命を助けてください。お金差し上げます」と言って、金を差し出した。さらに妻をも差し出した。こうして金と妻を差し出すことで、命は助かった。しかし妻は陵辱された。

 このあと世間は、「強盗強姦魔が悪い」と大々的に批判した。夫も「悪いのは強盗強姦魔です。あいつのせいで被害に遭ったんです」と言うだけだ。

 しかし妻は納得できなかった。「強姦魔に妻を差し出すことで自分だけは助かったのね」というモヤモヤした思いが残った。「僕はきみを守るよ」という結婚前の言葉はどこに行ったの、という思いだった。しかも、そのあとで離婚に至るなんて、結婚ときの誓いはどこに行ったの、という思いがした。「病めるときも健やかなるときも、妻として愛し 敬い 慈しむ事を誓います」という誓いはどこに行ったの、と。

 ともあれ、妻は「傷物」とされて、あっさり放り出された。

 夫も世間も、「強盗強姦魔が悪い」と大々的に批判するだけであって、可哀想な妻のことを考えてくれる人は、ごく少数にすぎなかった。

 マスコミ批判するだけの はてなーは、どれに該当するのか? 

 

 ともあれ、今回の離婚で大幅に利益を得たのは、羽生結弦一人だった。彼は妻を放り出すことで、離れかけた多大なファンを引き戻すことに成功した。これで話題を売ったあとでは、以後のスケートショーでは大量の客がチケットを購入してくれるだろう。「私たちの結弦さまが、他の女を捨てて、また私たちの前に戻ってくれた!」と狂喜乱舞することだろう。チケット爆売れ。マスコミは悪役となる。マスコミ羽生結弦に利用されただけだった。はてなーもまた、まんまと利用されただけだった。 

2023-11-13

比喩「〇〇的」が消滅する熟語

天文学的予算 

 

日本では数兆円以内と思われる

http://gopira.jp/sym2022b/gopira_Hayashi_202209.pdf

宇宙科学予算について (令和2年度概算要求) 令和元年9月5日 文部科学省研究開発局宇宙開発利用課

https://www8.cao.go.jp/space/comittee/27-kagaku/kagaku-dai31/siryou1.pdf

大型将来計画方向性 林 正彦 (日本学術振興会) 光天連シンポジウム 2030年代の天文学と光赤外地上・スペース計画日本戦略 2022年9月21日

 

等参照

anond:20231113183922

実態を知らないということの比喩なのにそんなこともわからない知能の低さを披露してくれるとははてなー馬鹿集合体だな

anond:20231112225347

人が暮らしている場所で、雑草放置するのは好ましくないかも。でも、雑草は手つかずの島なんかに自由に生息するのはむしろありだと思う。

犯罪者雑草比喩するなら、そいつらの国籍をはく奪し、島流しゼロ文明島内に集めて、そこで勝手暮らしてもらいたい。

国籍をはく奪したら、憲法違反にもならんかと思ったり。

という漫画ストーリー想像してみた。

2023-11-11

anond:20230519141228

いい感じのテンポ、秀逸な比喩、なんか爽やかなラスト無駄に出来が良くて好き

「ケツの穴の小さい」

器や度量が小さいという意味でのこの言葉は、男性には使うけど女性にはあまり使わない印象。

「ケツの穴の小さい男だ」という罵声は見聞きしても「ケツの穴の小さい女だ」という罵声はあまり見聞きしない印象。

ケツとはもちろん比喩だろうが、字面通りシモの意味を想起させて卑猥な印象を与えかねないから、女性に対して用いるのはけしからん、という価値観だろうか。

あるいは、器や度量を求められるのは男性だけであり、女性には求められないというような男女差によるものだろうか。

2023-11-06

独身テレワークって人生終わってない?

コロナ前でさえ「家と会社の往復しかしてない」って出会いの無さを比喩ってたのに今では家から家じゃん

異性どころか他人との接触すら無いじゃん

脳みそインターネットに繋いでお亡くなりになってても気づかれない存在じゃん

anond:20231106172741

まあ「俺ひとりだけ」は、比喩というか修辞表現だ。つまり「妻との共有財産」を引き立てるための誇張だ。勘弁してくれ。

当然通行する車はあるし、そもそも、この道いいよと教えてくれたのも宿の主人だし。

2023-11-05

冷や飯が好き

なんかの比喩ではなく、冷たい米飯が好きなのです。

はいってもわざわざ好むわけではなく炊飯器に入れたまま保温が終わって品質保持のまま電源が切れた冷たい米飯を食べるときにわざわざ温め直すことをせずにそのまま食べるのです。

冷たい飯美味いですよね?

そりゃあ炊きたてのも美味しいですし、保温したもの外食で食べるたいがいの米飯がこれ)も好きです。それと同じくらい冷たい飯も美味しいということです。

弁当ご飯も冷たくても美味しい。おにぎりもそう。もちろんホカホカご飯でも美味しい。

なんだってこんなことを書くのかというと家族ご飯が冷たいことにありえないくら否定するからです。

それがわかってるから温めて出すけど、温めが足りないと再度の加熱を要求する。

私はレンジの加熱により熱くなった器を持つのと包んだ熱いラップを取るのと吹き出した蒸気が熱い状態が嫌いです。親の仇より嫌いです。

アレに触るくらいなら冷や飯でいいというのが正解なのかもしれません。



そう思ったのは幼少期にあると思い出したのです。

両親も祖父母も家で働いてましたから、早い段階で保育所に預けられてました。

保育所弁当で、町内をバイクで移動する事が多い祖父毎日昼時になると、おれに弁当を作って持ってきてくれました。自分たちの昼にあわせて炊いたご飯に作ったおかずをつめたのを持ってきます

祖父ヘルメットを被ったままニコニコと現れて保育所先生に渡すのは日常でありますし、だれもイヤミや妬み嫉みはいわずに羨ましがりもされてませんでしたが、たまに思いついたように先生が「毎日かいご飯いいねえ』と言われるのが幼心にみんなとちがい恥ずかしくもあったし、みんなの冷たい弁当のほうが美味しそうにみえたんですよね。

その感情が根元にあったから冷たい飯に憧れに似たようなものがあるのかもしれないです。

小学生遠足などで早々にその願いは叶ったんですけどね。

そう思い出したので記しておくことにしたんです。

anond:20231105003934

この質問は非常に複雑で、多くの感情的政治的歴史的な要素が絡んでいます

ユダヤ人歴史を通じて迫害を受けてきましたが、現在イスラエルパレスチナの衝突は、単に「大昔の仕打ちをやり返す」というものではありません。この地域の緊張は、宗教的な違い、地政学歴史的な主張、民族主義国際法外国の影響力など、非常に多くの要因によって形作られています

第二次世界大戦後、ユダヤ人国家建設する動きが加速し、1948年イスラエル建国されました。これは、国際連盟とその後継者である国際連合によって支持されたものです。しかし、この決定は、すでにその地域に住んでいたアラブ人特にパレスチナ人にとっては、自らの土地に対する主権無視されたと感じるものでした。それ以来、イスラエルパレスチナ人の間には、土地国家正当性安全保障移民資源などに関する衝突が続いています

いじめられた引きこもり犬猫を虐める」という比喩は、この衝突の複雑さと重大さを正確に表しているとは言えません。それぞれの側には、自分たちの行動を正当化する物語がありますイスラエル側では、国家安全保障ユダヤ人歴史的土地への返還重要な要素とされています。一方、パレスチナ人は、自分たち土地自己決定権を守るために戦っています

国際コミュニティでは、この問題に対するさまざまな見解があり、この衝突を終わらせるための解決策が長い間模索されています平和を実現するためには、両方の側の合意相互の譲歩が必要とされています

このような感情的問題について話す際には、全ての側の視点尊重し、事実に基づいて冷静に議論することが大切です。

2023-11-04

anond:20231104151017

というか、ここでいう「相手にも通じる言葉」というのは半ば比喩でね。

相手が話している最中に大声で遮る」「根拠もなく相手悪者と決めつける」「関係ない数年前の事を持ち出す」「泣く」「物を投げる」

といった、相手が使う戦法をこっちも使う、という事なのよ。

自分レベルを下げないとできないでしょそういうの。

そうやって糞みたいな泥仕合に持ち込まないと聞く耳持たない奴が相手のケース。

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