はてなキーワード: 威力とは
輸出管理問題で輸出規制だと騒ぎ続ける韓国だけど、正直なところ、徴用工問題(日韓請求権協定破棄問題)、火器管制レーダー照射問題、日韓慰安婦合意破棄問題に続いて、あまりの筋の通らなさに怖くなってきた。
今回の場合は、包括優遇措置を安保関連の疑義で停止するが、韓国が話し合いを一方的に拒絶してきた3年間分の使途不明なフッ化水素の行方を明らかにして改めて申請すれば、輸出するよという話なのだが、
国民の大多数にも火がついて、日本製品の輸送を韓国内の輸送業者が拒絶する、レクサスを破壊する、ユニクロへ行って商品を口紅などで毀損する、製品を商店が扱わないなどの行動に出ているし
実に国民の6割以上が、この活動に参加しているか、参加を検討していると、韓国のメディアが世論調査を行ったり、不買運動を報じ韓国人はその運動を称賛していると言うんだから驚くしかない。
更に言えば、請求権協定で終わってる話では?と言う河野外相のインタビュー記事を韓国紙が報じれば、大統領が親日だと名指しで攻撃し、国民が廃刊を請願しているというから仰天だ。
今、日本人旅行者が韓国の食堂に入れば、頼んだ食事に唾や痰を入れる位の事はしてきても不思議じゃない位の不気味な怖さがある。
この1年の間に、韓国政府や韓国人の集団との間に論理的な会話は不可能なのではないか?と言う疑問が湧いてくる出来事が続いている。
日本に仕事や留学で来ている韓国人の個々人には良い人もいるし、全く彼らは嫌いではないのだけど、一連の事件を受けて少し韓国人との距離を取った方が良いという気持ちになっている自分もいる。
国家間の合意を簡単に反故にする事に疑問をもたない反対しない国と、どんな価値観が共有可能なんだろう。約束を守らず事実を容易に捻じ曲げて理解する国民性を持つ国と、どう接すればいいのだろう。
韓国人の中に「土着倭寇」と呼ばれ韓国でも攻撃される二国間の合意は政府が代わっても拘束する事を理解している人々はごく少数でしかない事が分かってくると、言い知れぬ恐怖が漂ってくる。
しかも徴用工問題では、ほかならぬ韓国政府が、請求権協定で決着済みであることを理解し、韓国人への補償を行う道義的責任は韓国政府にあると過去に2度も法改正を行って補償をしている事実すら無視している。怖いなんてものじゃない。
中国人とは、今なら香港の事とかを普通に話せてるんだけど・・・
韓国の恐ろしいところは、条約を結んで以降の両国の対応の経緯を理解して、ムンジェインは廬武鉉政権時に補償を決めた際に、その決定に関与していたじゃないかと言える土着倭寇は30%以下で
大多数はその逆で不買運動に参加する人々であるという事だ。これでは道理が全く通らないはずだ。
この気持ち悪さは、韓国人の集団との間にコミュニケーションする意味を失わせるくらいの威力があるよ。全く理解できない。
(追記)
昔のことをふと思い出した。
大学生のころ、ベトナムやタイを一人で旅行していた時に、韓国人の女の子と知り合ってしばらく一緒に旅行して回った事があった。
ホイアンで写真を撮ってくれと頼まれて、ホイアン内の何カ所かで写真を撮りたいというのでOKして小一時間ほどカメラマンになって、お礼にと言うので食事を奢ってもらってって感じで
二人でいるときはいい子だったけど、他の韓国人に日本人と仲良くしてる事を知られる事を怖がってて、急に壁を感じる事があったのを思い出した。集団になった時の韓国人ってこういう事なんだよな。
「難しいことわかんないけどあたしも日本のこと考えてるヨ」って無記名のお手紙だせるのが投票なんで
どの党でもいい、人相占いとか画数でえらんでもいいし
白票つまりなにもかかないまま日本全体を応援するつもりでもいいから出せ
毎回だしつづけろ
ファンレターと同じだ
絶対消費税増税しないで日本を運営できるって言い切って政権取りにいくほどひどい嘘つきな党は今回いませんでした
(あれ?1つだけあったっけ?w)
不利になるから言いたくないことはなるべく言わず、触れずに政権だけほしがる政党のご意見が公報にのってる
ボートマッチ自分も一回つかったけどやっぱりみんな似たり寄ったり
どこにいれても大差ないけど
面白かったけれど物語として詰めの甘いところが2か所ある。そこが違和感に感じて視聴後に納得しきれない感じが残った。
銃は突然でてきて突然使われる。どういう意味を持つか劇中で全く説明されていないから銃の意味を理解できない。
大人への抵抗の象徴として表すならその威力を知るシーンがほしかった。劇中のテレビドラマで銃で撃たれるシーンをみてほだかがドキリとするとか、すがさんが銃を見つけてその恐ろしさをほだかに脅すとかがあれば銃の意味を感じられた。
最後にすがさんが待ち構えているシーンは何だろうと考えると愛する人を失って生きてる大人が大人の生き方を教える役割なんだろうな。
「苦しいがこうやって生きていける。今なら大丈夫だ。戻ろう」って諭す役割なのにすがさんがびびってる。混乱してる。導く役割なのに導けない。
直前に泣いたすがさんの涙は何だったのか。ひなさんと離れたほだかに自分を重ねたからじゃないのか。だからほだかのために最後でてきたのではないか。なのにほだかのためじゃなく自分の恐怖のために表れた。
こんな種類の文章を増田に投げるのは気が引けるしお呼びでない感が強いけど、どこに吐き出していいかわからないから増田に投げさせてもらう。誰かに聞いてほしいけど、わたしのことを知ってる人に言うには恥ずかしい。
観ているあいだたびたび「最高」の文字が頭のなかを多数埋め尽くしサムズアップの絵文字がしたから泡みたいに湧き上がって消えていく。
1点注意があるとすれば山戸結希の映画をみるときに映画をみるつもりではいけない。
前作の「溺れるナイフ」を観ていたのにわたしはこの3年で忘れかけていた。
なんなら溺れるナイフよりも映画として映画してないので注意が必要だ。
わたしはその感覚を思い出すまで、映像が始まりタイトルが出てくるまでの十数分(推定)を要したがタイトルが出てきて、さて本編というところでは完全に順応したのでとても楽しむことができた。
この感覚がなかなかなじまない人にはずっとピンとこない2時間なのかもしれない。
なのでこれは私個人の感想でしかなく語彙力もないため他の人が読んでもなんの参考にもならないであろう文章だなと思う。
監督とほぼ同世代の、たぶんクラスタとしても似たような位置にいる、サブカル好きな女の視点からの感想。
画面を通して伝わってくる山戸結希の好きなものたちはわりとそのまま刺さる、そういう感じ。ていうかこういう文章を書いてる時点でだいたいお察し。
ちなみに試写でみて公開は来週なので内容についてはあんまり触れないようにする。
まずストーリーを追おうとしてはいけない。眺めているだけで勝手に物語は進んでいくのだから理解をせずひたすらに受け止める。
そのストーリーを受け止めるに徹しているあいだに目の前にはこれでもか!!!というほど監督の「好き」が詰まっているであろう画面が繰り広げられていく。セリフの間に差し込まれるマンションの模様めいた外観、遠目の夜景、スチル写真、セリフが流れているあいだもなんの関連性もなくどかどかと差し込まれていく。(いや、関連性はあるのかもしれないが、そのときの私はすでに脳がトリップしており目の前の映像をみても「最高!!!」としか思えない知能指数しか持ち合わせていなかった。)分割され左右の色味が違う画面、乾いたコンクリートの質感、こだわったアングルでトリミングされた画角、風になびく黒髪のボブヘア、大きめのパーカーから伸びる細い脚、揺れる視線。
「リアリティ」なんてものも求めてはいけない。こんなこと言うやついるか?なんて愚問だ。言うやつがいるかどうかではなくて「ここでこれを言わせる」。ここで、この声色で、このセリフが投げかけられる。意味が通っているのかなどではなく、コラージュのように、画面、セリフ、そして表情を次々と浴びていく。
これが映画に詳しくないわたしのなかで一番気持ちがいい山戸結希の映画の観方だ。
ちなみに初っ端から「少女漫画原作の映画ダーッ!!!」的なセリフがオンパレードで、これが20代も半ばを過ぎたわたしの心にはかなりきつい。おじさんたちは鼻で笑い飛ばすこともできるだろう。もしかしたら中高生ならもう少してらいなく受け入れられるのかもしれない。が、わたしはそのセリフにキャッキャする心を10年前にはそこいらに捨ててしまっていて、でもそれにキャッキャした心を持ち合わせている過去は確かにあるので、どこか浮足立つ気分と羞恥とのあいだでグラグラと揺さぶられる。「わたしのその過去を掘り起こさないで!」みたいなめちゃくちゃデリケートなところをくすぐられている気分になる。悪意があるわけでもなければ、感じるのも「不快感」というよりは「羞恥心」なので心のデリケートなところではあるけれど土足で踏みにじられているわけではなく、くすぐる。画面の中にいる主人公の女の子をみていても似たようなことを感じる。こういう主人公の女の子みたいに扱われてみたかったなという自分、そう思うのは恥ずかしいと思う自分。そうやってデリケートゾーンをもてあそばれているあいだにも画面はどんどんと切り替わる。美しい、かっこいい、かわいい。いつのまにかその心の深いところに隠していた感情がその美しい、かっこいい、かわいいで貫かれていく。
そこまでくると、「んなわけあるかよww」という気持ちが芽生えても「でも最高だからいい」でぶん殴って倒すことが可能になる。
そんでまず清水尋也最高って気持ちになる。声がいい、背が高くてスタイルがいい、眼鏡似合う、うざったい髪型似合う。「こういう前髪長い男好きな人、いるよねーww」うるせえ最高だ。
そんでそのあと板垣瑞生最高って気持ちになる。声色が甘い、目線が甘い、溶けたような顔がうまい、少女漫画セリフが似合う。さっきの浮足立つ気持ちと羞恥心とのあいだで一番グラグラしたのは板垣瑞生最高ゾーンのときで完全に敗北して浮足立ちまくる。
ここまできて堀未央奈は最高って気持ちになる。めちゃくちゃかわいい。しょっぱなからわりとかわいいではあったんだけど、不安げな顔と嬉しそうな笑顔で完全に俺が守るからな!!!ってわたしのなかのイキリ男子が総立ちした。し、わたしのなかのJKがこの子みたいになりたいって叫んでた。
山戸結希は本当に女の子のための映像を撮るのがうまいのは、男の子が最高にかっこよくて美しくて、さっきから言うみたいにわたしがとうにそんな気持ち捨ててしまっていても何度でもゾンビみたいに蘇らせてくるだけの威力で少女漫画の中の男に恋をする気持ちにさせる、ってのがまずあるんだけど、女の子が最高にかわいい瞬間の多幸感にあふれた映像、恋をする女の子を女の子の視点で画面に落とすのがめちゃくちゃにうまいところだと思う。
板垣瑞生最高と堀未央奈最高が交互に襲ってきた時点でわたしは完全に肩までホットギミックに浸かった。もうなんでもいい、最高だって手放しになっちゃった。
そしてそんな気持ちのまま、思春期の少女の気持ちで、映画を観ているととうとう、
間宮祥太朗は最高、がやってくる。間宮祥太朗は本当に最高で、まずべらぼうに演技がうまいことが演技とかあんまりわかんないなーと思ってるドドド素人、映画を観る趣味もそんなにきちんとないようなわたしにもわかるほど演技がうまい。胸がぎゅうぎゅうになって少女の私は完全に間宮祥太朗のことが好きになってしまう。目線、表情、声色。浮足立つようなしぐさやセリフも、間宮祥太朗の切実な感情が透けて見える演技で一気に温度を持つ。さっきリアリティを求めるなとは言ったけどあったらあったで最高の気持ちになってしまう。人ってゲンキンな生き物なので。求めてはいけないけど。
最後リミッターを外した山戸結希が怒涛の渦になって息をつく暇もない勢いで殴りかかってくるのだけどわたしはそれを観ながら本当に息が苦しかった。ぼっこぼこに殴られて勝手に涙が出てくるけど感動したとかそういうんじゃなくて、デリケートゾーン握られたままぼこぼこにされたら勝手に涙が出てくる仕様なのだ。心臓のもっと奥のほうにどかどかと全部に蛍光ペンひいてあります!そういうセリフだけ残しました!みたいな、日常生活の会話では絶対にないエモを毛糸にしてぐるぐるぐるぐると神経質に手のひらでもんだ塊みたいな言葉たちがどかどか投げ込まれて息が苦しくなるし涙が出てくる。クライマックスに向けての盛り上がりかとも思うけどなにか大きな謎が解き明かされたとか、思いがかなったとか、そういうことではなくて、頭の中「最高」で埋め尽くされたわたしの頭蓋骨のなかに最高が上塗りして、そして、最高…!で終わる。
初めてキスをしたときの気持ち、この子に今夜ついてったらどうなっちゃうんだろうというドキドキ、自分のことを求める人がいると身をもって知ったときの驚きと高揚感。忘れてたと思ってたけど私の中にまだあった。20代も後半で、アラサーといわれるわたしはもう若い女の子ではないけれど、ずっとずっと女の子でいられるような気持ちになる。
女の子ではなくなってしまいかけてから、女の子のかわいさを身に染みてわかるようになって女子アイドルを好きになるなどしたので、女の子のかわいさをわかったうえで、また女の子になれるなんてそんなにうれしいことはない。
思春期の女の子の気持ちのままこんな感想文を書いてしまうし、推敲もしないまま、日本語もぐちゃぐちゃなまま、オンラインに投げる。
わたしはもう高校生でもないからこんなに自分に酔っているような文章は恥ずかしいと思っていたのに、どうしてもこうなってしまった。だって最高だから。
山戸結希は最高だ
昨日は体調不良でいつもより遅めに出社。これが電車でクソみたいな展開になった。
疲れ果てて一般席で寝ていたが、足元が何かに小突かれる感触を感じた。
多少混雑していたから、ぶつかるのは仕方ないと思っていたが・・・あまりにもしつこい。
びっくりして目を開けると、白髪でスポーツ刈りをした60前後の女性が物凄い形相で睨みながら自分を蹴っていた。
首にスカーフを巻いていて、同年代くらいの連れの女性もいた。これからマダム同士でランチといった感じだ。
なにか話しているようだったので、耳栓代わりに付けていたイヤホンを取ってみる。
「譲れよ。 ほら、譲れよ!」
付き添いの女性と楽しく会話している感じで、こちらには気付いていない。
そうか、俺に席を譲らせるためにこいつは何度も蹴って起こしてきたのか。
止める気配がなく、最初に気付いた時点から数えると10回以上は蹴られてた。
高齢者が若者に席を譲るようにキレる、というのはネットの記事でもよく目にすることがあったが
譲らせるために、他人に善意を強要するケースをまさか体験するとはな。
普段、一般席でも混雑時に気付けば小さな子どもや高齢者に席を譲ることはあったが、
具合が悪くて気付かないとき、譲れないくらい疲弊してても容赦なく責められるのか。
一瞬のスキも許されない。
具合が悪いことを伝えても話が通じなさそうな相手だったので、
その背後のお気持ちを力説されても(しかも後出しで)相手にしないよ
つまんない漫画読まされて「つまんないですね」って評価して、「いやこの作品を描いた背景の気持ちを共有しろよ!」って始められたら困るだろ
そんなの無理だと思うけど一旦可能だとして、
すでに色々と威力で持って他人の生活に制限かけようとしてるんだから「倫理の話だ」じゃないでしょう
ただ社会活動家っていうのは結局人の生活に介入して嫌がらせすることに快感を感じる変態集団にすぎないことが大半なので
ヴィーガンを早めにぶちのめしておこうっていう反発する人達の動機もわかる
>肉を食べることが善い人生だって奴と何一つ共有する気が無いくせによくそう一方的に被害者ヅラ出来るよな
>とにかくお前らは性格も頭脳もひ弱で、そのひ弱さは何から生まれるかというとその常に被害者ヅラして拗ねて逃げ出す習性だよ
俺自身の肉体と頭脳と性格がひ弱であることは否定できないけど、自分が被害者であると主張はしてないぞ。俺はあくまで、家畜たちを犠牲にし続ける活動に加担したくないと言ってるんだ。
でもヴィーガンは非ヴィーガンに注文をつけてるから言い返されてるわけじゃん?
「加担したくないと言ってるだけ」ってのは嘘だね
あと肉を食べて美味しいと思うこと自体は良い人生だと思うよ、その瞬間はね?
でもさ、例えば人を騙してゲットした金でうまいもん食うことがいいとは思えないだろ?
肉は美味いよ、でも肉を食うには殺さなきゃいけないだろ?
もう生きてるやつを食べるために殺すことを(俺は)否定しないけど、食肉産業でやってることは、殺すためにバンバン産ませることをやってるわけじゃん?そこまでする?
あのな、俺は上座部仏教徒なんだよ
てめえがそのひ弱なお気持ちをひねり出すずっと前から不殺生戒を守ってるんだ
それでいて反発された途端被害者ぶるひ弱さ、
そういうものを笑ってるだけなの
お前の頭の何が弱いって
相手の話もきちんと読めないことだよ
俺はこのツリーで不殺生という価値観について一度も否定してないからな
われわれ仏教徒はお前等の「なんとなく可哀想」なんてふわふわなお気持ちとは隔絶したビシッとした理論で不殺生です
よくヴィーガンごとき新興宗教が不殺生について俺達に説教垂れようとか思い上がれたなw
俺はお前等のだらしない議論姿勢や、倫理や戒律の不洗練、どうしようもない頭の悪さを非難してるだけ
肉なんて食ってねえよばーか