はてなキーワード: 保護対象とは
特許法の条文のどこをどう読んだら「もの」(物)が特許権の保護対象にならないと読めるんだろうな。
(定義)
第二条 この法律で「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。
2 この法律で「特許発明」とは、特許を受けている発明をいう。
3 この法律で発明について「実施」とは、次に掲げる行為をいう。
一 物(プログラム等を含む。以下同じ。)の発明にあつては、その物の生産、使用、譲渡等(譲渡及び貸渡しをいい、その物がプログラム等である場合には、電気通信回線を通じた提供を含む。以下同じ。)、輸出若しくは輸入又は譲渡等の申出(譲渡等のための展示を含む。以下同じ。)をする行為
三 物を生産する方法の発明にあつては、前号に掲げるもののほか、その方法により生産した物の使用、譲渡等、輸出若しくは輸入又は譲渡等の申出をする行為
4 この法律で「プログラム等」とは、プログラム(電子計算機に対する指令であつて、一の結果を得ることができるように組み合わされたものをいう。以下この項において同じ。)その他電子計算機による処理の用に供する情報であつてプログラムに準ずるものをいう。
第二十九条 産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。
一~三 (略)
2 (略)
「失うものが何もなく、罪を犯す抵抗感がない」「これから無敵の人は増える」としたり顔で言われても正直困る。
とゆーか、恥ずかしくないの?って逆に思ってしまう。
その年になって、失いたくないもの1つも手に入れられないほど手を抜き続けてきただけでしょ?
こーゆー人は途上国とか生きることに精一杯な環境に生まれた方が良かったんじゃないかな。
日本に生まれてるだけ大当たりで、お前次第でどうにもできる環境にいたんじゃないの?
しんどいながら踏ん張ってきてたら自分に対する誇りとか尊厳とかがあるはず。
せめて「人には迷惑をかけないようにしよう」とか良識くらいは身につくでしょ。
そんな感覚すら身につけられなかったってなんなのか。
「他人に迷惑かけるのは良くないと言うけどそんな常識には囚われない!私は失うものはない!」
失いたくないもの作れるだけちゃんと頑張ってる人を巻き込むんじゃねえよ。
他人に迷惑をかけていい道理なんてなに一つないし、社会の問題じゃなくてお前の問題。
オレはいままで手を抜いて逃げ続けたから、この年でも失うものがない恥ずかしい人間です!
あと、「社会問題だよね」とか言って保護する対象みたいにする論調もやめた方が良いと思う。
それを肯定材料にして開き直っちゃうから。間違ってることはしっかり叱らないと。助長する。
NHK だけでなく、他のマスコミも以前から音声関係の事案についてはここへコメントを求めることが多い。
自分も上の指摘を読んで気になって、調べてみると怪しい点がいくつも出てきたのでまとめておく。
ここの元所長である鈴木松美氏についての Wikipedia 記事を見てみると、無料サイト作成サービスを利用した新しい妙なサイトへリンクが貼ってある。どうも有限会社日本音響研究所を辞めた後で、似たような名称の「音響研究所」なるものを独り立ち上げたらしい。
そして Wikipedia「鈴木松美」の変更履歴とノートを見てみると、最近の、実に味わい深い編集合戦の様子が見られる。
まず Master jal と名乗るアカウントが、2013-08-21に「2012年9月日本音響研究所を退社。」と、何のソースもなしに書き込む。この後、IP 118.6.184.30 の人と Master jal がお互いの記述を削除したり書き換えるという編集合戦が始まる。
Master jal に「元日本音響研究所所長」「日本音響研究所を退社」という記述を書き込まれるたびに、前者を「現在音響研究所所長」と書き換えて、かつ後者の記述を削除する行為を続けていた IP 118.6.184.30 の人は、なんと自らが鈴木松美氏本人だとここで明言しているのだが、その本人がアダム・スミス大学の記事にあった「ディプロマミル」へのリンクと、「ミシガン州による、公式ディプロマ・ミルリスト」へのリンクを削除しているのが分かる。履歴を見れば丸分かりなのだが、アダム・スミス大学がディプロマミル(学位を金で買える実体のない大学)だと知られたくないのだろうか。
この2者に加え、もう1つ MasterOnken と名乗るアカウントも編集合戦に加わっているが、このアカウントは前述した鈴木松美氏の新サイトのアドレスを何のソースもなく連絡先として唐突に書き込んでおり、加えて編集内容から察するに IP 118.6.184.30 と同一人物(=鈴木松美氏本人)ではないかと思われる。他にも同様の指摘をしている方がいた。
Master jal の正体は分からなかったが、この Wikipedia 編集合戦は2013年の9月から10月にかけて繰り広げられ、一時は記事が保護対象になっていたようだ。
さらに Web を検索してみると、2000 年代の2ちゃんねる無線板で「ファントム」という荒らしがたびたび鈴木松美氏を一方的に糾弾していたことが分かった。松美氏のアマチュア無線の行為(真偽不明)の非難と、肩書にあるアダム・スミス大学はディプロマミルだという指摘をしていたが、いかんせんこの人物は糾弾コピペをマルチポストしまくって荒らし報告されていたようなので、信頼性はマイナスである。なお、Wikipedia の編集合戦はこの当時からあったようで、経歴に書き込まれるディプロマミルについての記述を頻繁に削除していた IP アカウントが見られる(例えばこれとか)。
ちなみに音声分析・声紋鑑定の分野では、元科警研副所長の鈴木隆雄という方がいるらしい。同じ鈴木姓なので鈴木松美氏と混同されがちだが、まったくの別人である。鈴木隆雄氏の Wikipedia や Webサイトを見る限り、こちらは実にそれなりの経歴をもち、まともなメンバーと一緒に活動しているようだ。隆雄氏の鑑定実績と、松美氏が過去に分析したという事件・事故のリストを見ると色々と被っているが、公的に鑑定をしていたのは隆雄氏らしい。松美氏の Wikipedia 記事の履歴を見ると、鈴木隆雄氏の名前が記述されたことも何度かあるようだが、なぜかその後すべて削除されていた。
なお、これとはまた別の鈴木姓の音声科学専門家で鈴木誠史という方もおり、こちらは元郵政省通信総合研究所(現・情報通信研究機構 )所長を務めた人物なので、混同に注意。
昔の詳しいことは不明だが、以下のような映像が残っているということは、松美氏にも事件・事故時の音声分析はそれなりにできていたの……かな。
――と思ったのだが、アキノ暗殺事件については Wikipedia のこの版やこの版を見ると、結局正式な証拠としては採用されなかったのだろうか? という疑問が浮かぶ。誰か詳しい人、教えて下さい。
不思議なのが、現在の日本音響研究所サイトを見ると、退任したとはいえ松美氏の名前がどこにもないこと。サイトで紹介している著書などは松美氏の著作なのだが、そこには著者である松美氏の名が出ていない。何かあったのだろうか。2013年にこういう怪情報が出ているが、真偽は不明。
ちなみに松美氏の息子で現所長の鈴木創氏の経歴は、旧サイトのスタッフ紹介ページで見ることができる。こちらには現サイトには書かれていないアダム・スミス大学の名前がばっちりと載っている。
Adam Smith University 理学研究科 修士課程
スタッフの吉田靖氏も、同じく旧サイトの紹介ページにある経歴にアダム・スミス大学の名前が。すでに修士号を持っているのならそれで十分な気もするが。
この年齢だったら「分かってる」とかこの年齢以下だったら「分かってない」
えーとね、そこを、完全に理解してるかどうかで区別してるわけではないわけ。
これをどこかで区別しなくては行けない。すべての事柄にというわけではないけど、
どこかで権利を線引すべきだ、ということ自体はあなたも同意してくれますよね?
もし、そのような区別を全てなくしなさい、という理論であれば別の話ですが。そこんところどうでしょう?
社会を作る以上、区別はしなくてはいけない、ということを前提で。
実際子供がなんで俺らは出来ないんだー、って文句言いますよね?(あなたが言ってるのはそのレベルなんですけども)
ただ、すべての子供が自分勝手にすることを許可されたら大変な事になることはわかりますよね?
この時に、最も公平な線引の仕方が年齢、というだけです。
年齢によっておおまかに能力の差を測る事が出来る。
ある程度の能力を見込むことが出来る。
ただ、そこに個人的な要素は入れない。
個人的な要素を入れてしまえばどうしたって誰かの恣意的なものになる。
年令による制限は勿論知的にどうか、ということを含みますが、絶対ではありません。
ただ、最も差別的でなく、公平に区別しようと思えばそれが一番やりやすい、というわけです。
私の立場の問題なので、あえていいました。
なんお立場の話をしてるのでしょうか?
あなたが女性で女性の差別を撤廃しろ、ということを言いたい、ということ?
恐ろしい?女の人しか子供を産めないのは生物的な事実ですけど。
人間社会が発展して今、家事も子供の面倒も楽になったし、産後の回復も早くなったし、女性が男性と同じレベルで働ける様になって来ましたね?
ただ、過去には同じレベルで、と言うのは結婚して子供を産む以上は不可能だったわけですね?
ここまで言うと、子供を産まない女性への差別だ、というかもしれませんが、
まず、生きてく上で、大多数の人が快適に生きていく社会を作るのは当然のことです。
基本的にすべての人は自分が良くなる為に社会に貢献し、社会のルールを守ってるわけで。
その中で、豊かになって来て、余裕が出てきたら、マイノリティーに対しても、他に危害を加えない、害にならないものであればどんどん認めていく、と言う風潮なわけです。
逆に、そうでなければ、女も男と同じだけの力仕事を行い、残業をし、産休なんてものもホントに産む瞬間くらいしか許されない様な生活を強いられるのですが、
それで良いのでしょうか?
「平等」とは一体何なのでしょう?
貴方の言ってることは、単に、自分の都合の良いとこだけの「良いとこ取り」でしかありません。
勿論、社会が対応出来る限りの事は対応すべきだし、今や、職業よっては、元々男が多い職場などでは、女性を優先して取るあまり、
同じ能力で合ったら女性の方を取る様に、といった逆差別のようなことすら起こっています。
それについてはどう考えますか?
また、客観的とはどういう点でしょうか。
単に、個人的な差によらない、という意味です。
どこの出身でも誰から生まれても、どんな教育を受けてきても10年生きた、ただそれだけです。
なんでそこ、理解しようとしないかね?
ですから、その部分、どう判断するんですか?
年齢による、というのは、ある程度の割合が一定の程度に達するのがこれくらいだ、という基準だ、というのは良いですよね?
勿論、全ての人がそれに達する、というわけではありませんが、その基準は全ての人に平等な基準です。
いいですか?これが平等です。
一定期間は保護下に置く代わりに権利を制限する。その期間というものを平等にするというのがもっとも重要なことだとおもいますがね?
テストに落ちたから自分は恋愛できない、あいつは受かったから恋愛できる、なんですかその世の中は?
だからぁ、その知的障害者に対して認めてる投票権を認めないのは、弾圧だつってんの。
それと同じこと。
知的障害者に関しては特別な処置が取られてるだけだって言ってるの。
そうですよ?だから、難しい話なんですよ。
子供のIQテストなんかで測る、なんてことをしたら、それこそやりたい放題ですよ。
また知的障害者が認められている*(つまり知的には認めてよい水準)であるならば、
当然児童にも、その程度には認められて然るべきという話ですよ。
ですから、知的障害者については、現在の社会が成熟してそのような特別な場合に関して別途対処できる余裕があるから
利便を与えてるにすぎません。
別途、保護を与えてるだけです。
後は、貴方の言う、「子供を性的対象に見るけど、性行為には及ばない」という人に対する対処についての問題ですよね?
あなたの言ってることでは「保護者の範囲」なんてものは存在しないじゃないですか?
その1つには、「区別」なんてものは簡単に出来ない、と言う前提があります。
芸術とはなんでしょう?
子供が実際自分でやりたいと言ったかどうか、ということも分かりません。
例えば、貧乏な家に生まれて、それでお金がもらえる、というのであれば喜んでやるでしょう。
IQテストで周りの子を凌駕するような子でも、むしろ逆に、その時点で一番金が稼げる方法、ということを
理解して敢えて行うでしょう。
ただ、子供の時点でそれを初めてしまえば、一生そういった方向でしか生きていけないでしょう。
実際、そのように金だけで買われていった過去があるので、それらを制限しよう、となってきたのですが?
恐ろしい思想の持ち主ですね、相変わらず。
たとえば、ある成人が自分の子供の頃に変態的な行為を行い、それを写真や動画で残していたとしましょう。
逆に、なんとなくヌードをやってみた、と言う子が居て、その写真を小児性愛者が持っていたとして、
その子がどうしたって消したい、とあとで思った時、誰が被害者でしょうか?
この様な自体を事前に防ぐため、多少厳し目の法律を作ることはあっても仕方がない、と思考実験によってすぐに分かります。
という風潮が有ります。
その、子供の頃に変態行為を行ってることは害でしかありませんので、むしろ規制すべき対象です。
では、それで良いのでは?
小児性愛者、と言うのは、少なくとも「子供を性的対象とする」人だ、ということは良いわけですよね?
貴方の中では、その中で、実際に子供に性的行為を行う人と、それを我慢出来る人、に分けたい様ですが、
それはどう区別したら良いのでしょうか?
彼らは年齢によって不当に分けられている。同じ判断、価値観、
それらをもちながら、何故年をとっていないと言う理由だけで片方だけが禁じられなければならないのか。
年齢ってのは、誰がどうみても客観的に測定する確実な要素な?
で、その年齢による区別っていうのは、むしろ、制限よりも保護の方が圧倒的に大きいこと解ってる?
子供が罪を犯しても成人と同様には認められません。
保護者により保護される権利もあるし、教育を受ける権利もあります。
あんたが言ってることは、それらの保護をまず外すことから始まるんだけど、いいかな?
で、それ、どうやって基準決めるん?
何を基準にするん?
一定の学力テストをクリアしたら成人と認める、と言う制度を作るん?
へー、すごいな。それこそ、金持ちの子供で教育をさっさと受けて試験に受かれば成人して選挙にも参加?
で、一方、勉強が出来ない人間はいつまでたっても一人前として認められず子供扱いされ続け、自由恋愛もできない、と。
すげーな、お前の考える世界。
その、お前の考える正しい基準、示してくれません?
「社会」において、全ての個の特徴に対するルールを作ることは不可能です。
個の尊重は、集団でのルールを守った上で成り立つものです。そこ、さっさと理解できない?
だから、あんたは集団行動できない、1人で生きていくんならどっかの無人島にでも言ってさ、1人で国王として君臨すれば?
あのね、それはもう責任を認められない、というレベルだから「障害」なの。
分かる?それが「障害」なの。そうでなければ、ただ少し理解が悪い人、になるだけなの。
そこは今の社会が決めてるんだけど、その基準も勝手に決められておかしいと思います?思うなら国に文句言ってください。
あなたの何百倍も人権問題に詳しく、あなたの何百倍もそういった人達について考えてきた人達の考えもそこに入ってるんだけどね。
だから、子供の恋愛に主体性は認められてないよ?無いよ?いい加減りかいしろよ?
ほんとにそう思ってるの?あなたも保護する必要あるレベルなの?
てか、ホントにこれ思ってるなら、保護されるべきレベルなんだけど。
危険すぎるだろ、小児愛を本気で正しいと思い込んでるなんて。
えーとさ、大前提としてさ、おまえ、誰と恋愛できると思ってるの?
でもお前は襲っちゃうでしょ?
もしかすると子供はお前に興味持つかもしれない。パズドラでもゲームでもおもちゃでもお菓子でも
子供相手ならお前でも今までに経験したことのない楽しいことを与えられる。
それで、子供がお前のことを「好き」になるかもしれない。
分かる?その危険性?
そんなこと成人した女でもありえるけど、それをどこまでも規制してたら「社会」が成り立たない。
よって、成人、未成年と言う明確な区切りをつけて、ここまでは保護対象、ここからは対象外、としてるわけ。
ね?分かる?
社会を作っていく上で、個を考えた完璧なルールなんて出きっこないの。
その中で、明確で分かりやすく、かつ、大多数が納得するルールで運用してくのが民主主義ね?
理解しようね?
今度は民主主義の批判にまで来るかな?
だから、お前の言ってる「主体性」ってのが、「主体性」じゃなくて、責任と権利全てを持つ、と言う意味になってるんだよ。
お前は子供が罪をおかしても、その子が「主体性」を持ってれば罰するべき、等といってるが、
その差別はどうやって行うんだ?
よ、今日は専門外だけど飲んでたらオモシロイ話聞いたからタレコムわ
なお、聞いた本人に了承とったけど変に絡まれてもなんだから新規ソースゼロでお届けします。
オレが言ったんじゃないぞ
opiegro32
太田はネタとかじゃなくて本当に腐ってるから「太田が悪い!」とか言って茶化す風潮はやめてほしいなあ。本人の悪質さが薄れるだけだよ 2013/12/04
太田克史さんってのは、偉大な人だよ。
というネタで飲んでたのが発端で、
この対応ってあたりまえっちゃーあたりまえだよねー、ねー、みたいな話をしてた。
んでだ、ハタと思い至った。
これは、フーダニット、ハウダニット、ホワイダニット、クローズド・サークル全てが含まれているのではないかと。
結論から組み立てた気配のする小説を読んだ時の強烈な既視感が俺を(以下略
だれが、こんなことをしたのか。
ってのは、オレが書かずに既に書かれてるからそっち読んでくれ。
んで、「盗作ではない」という話でこじれてるのはなにか、という話なのだが、
一回ここをハッキリさせとこう。
はい、1番の裁判沙汰にはなりません。両者ともコレはハッキリ認識してる。
盗作の定義ってのは曖昧で、そもそもアイデアは法律の保護対象にはならん。
具体的には『名探偵ドイル』であっても、訴えられて負けたりはしない。
映画ノベライズレベルで同じとかキャラクターが明らかに同じ(二次創作)で無い限り、
もうコレは相当に厳しい。
パクられたと言っている古野まほろの言ってることは突き詰めると
「俺のパクったって言えば許してやるよ」
という事になる。
盗作じゃない盗作じゃないって言ってんのに何度も絡んでるってのは、変だ。
これまで古野について一切、どこかで語ったり、書かれたりしていないのは何故なのか。これらがハッキリすれば、何の問題もないと思います。
自尊心の問題なのよね。
俺を無視するな、と。
そこで、どういう落とし所があり得るか。
ほれ、仁義とかスジとか浮世のギリってヤツ。
さてここで一つの問題が見えてくる。
星海社FICTIONS新人賞で、太田さんイチオシで、CLAMP。
さあ、日程逆算は野暮だからやめておくんだ!
と、いう状況下で、メフィストでデビューしといて他社に移籍した作家のプライドを満たすために何かをするか?
いかにして、それがなされたのか。
コレも俺が言ったんじゃないぞ
brainparasite
さて、高校生で名探偵でって話をしようとして、CLAMP好きそうならどういう"学園"にするだろうか。
普通の高校?そりゃ担任がボディーガードなら無くはないだろう。
ミッションスクール?まあマリア様は見てなくても考証が面倒だろう。
というか、高校ってのは中等教育機関だから、そもそも「伝統的な」高校ってのは難しい。
つうかぶっちゃけた話な、誤解を恐れずに言えば、
明治に諸列強と並ぶ国家にしようと、帝国大学を頂点としたピラミッドを作ったので、
教育機関ってのは、政府か、士族か、パンピーか、みたいな形になった。
慶應義塾を福沢諭吉が立ち上げた時に、政府に対抗した中産階級の教育機関を目指したのは、まあある意味で流れとしては必然だったのかもしれない。
閑話休題。
つまりだ、伝統的な高校で、軍閥のニオイを消しつつ権威を身に纏わせるには、サムライのガッコウってのは、オテガルなわけだ。
古野まほろや太田克史の出身校とか考えると、このへんは興味深いね!
実際に読むと判るけど、中村あきは清涼院流水系の、まあそういう芸風だ。
設定厨って言うよりは、真面目な顔した高校生が賢しらに推理合戦で謙遜しあう、あー、暑くてもぴっちり制服来てんだろうなーっていうそういう感じの話だ。
うっかり私塾からスタートして南洋研究機関を設置した島に移住してたら海軍に施設接収されたり学生総出で米軍に対向するようなおもしろ学園とは根本から違う。
絵は見えてる、書きたい内容もある、ではパッケージをどうしようって時に、誰と誰が相談する?
なにゆえに、それがおこなわれたのか。
別に新人賞でオリジナリティを重視するのはかまわない。むしろ当然である。既に市場に似たような作品があるのならば、多くの読者は新人ではなく実績のある作家の作品を選ぶだろう。
いやー、そうね。
見事に「設定」に関する話しかしていない部分を引いて来ている所にセンスを感じる。
ポイントはね、誰も筆力を話題にしていない所。
高校生で400枚書くのが凄い、という話はしている。
クサしているのは、平たく言えば「見た目」の話。
想像して欲しい。
大日本帝国って名前の世界観で、子爵令嬢の依頼を受けた斬首死体に対面したり、瀟洒なホテルのラウンジで酒かっくらったりするガキどもが右往左往するアニメと、
いちおうは現代社会の公立高校で、女子バスケットボール部の壁写真が無くなったり、体育館でジュース飲んだりするガキどもが右往左往するアニメと、
絵面で観た時に、似ているだろうか?
つまり、星海社にとって芸風というのは、読んで想像した絵面が似ているか否か、だ、
というか、いっちゃなんだがフツーはそうだろう。
完全無欠の生徒会長の号令一下、無理難題を適当に片付けるって書くと「生徒会の一存」も「めだかボックス」も同じになっちまうが、読んで受ける印象は相当に異なる。
判り難かったらこう言い直せばマンガやラノベに詳しくない連中にも伝わるか。
この4作品はいずれもアーサー・コナン・ドイルの描いた誉れも高き史上最高の名脇役がモトネタだけれども、見栄えはずいぶん違う。
勿論、それぞれコナン・ドイル卿には敬意を払ってるが、例えばそれぞれがそれぞれの作品をいちいち上げたりしているだろうか?
(なお、モンタナ・ジョーンズに関してはマルコ・パゴット絡みでセーフ)
星海社に限らず、新人賞ってのは、いちおうは「応募された作品から」って話になる。
ただな、すげえオモシロイとか、ものごっつ読ませるとかじゃ無え。出版できるか、だ。
んだがね、例えば新人賞が出てない回ってのもあるわけで、応募がゼロだったからじゃない。
ほいでだ、「出版すると設定がヤバイ」ってヤツがハイペースで原稿用紙を埋められるとする。
するってぇとだ、
新人賞ってのは、「審査員の考える出版できそうな作品」に与えられる。
別に要件がツマビラカになってるわけじゃねえから、当然応募側はよく判らんで爆死する。
じゃあ、「審査員の考える出版できそうな見栄え」を「見た目で落ちたヤツ」が知ることが出来れば
言ってみれば効率良く新人賞を通過することが出来るってスンポウだ。
ここは、ひらかれていない。
1.選考に関わった全員が『天帝のはしたなき果実』を読んでいないor内容を忘れていた。
2.色々類似点があると気づいていたが、この程度大した類似ではないと考えた。
3.色々類似点があると気づいていたが、読者は類似に気づかないと考えた。
イラストに大御所CLAMPを使っている時点で4番は無いだろう。考えられる可能性は残りの3つ。外野である我々にはどれが真実なのかを判別する術はない。
はたしてそうだろうか。
中村あきのデビュー作、『ロジック・ロック・フェスティバル 〜Logic Lock Festival〜 探偵殺しのパラドックス』の主人公は、『中村あき』だ。
古野まほろのデビュー作、『天帝のはしたなき果実』の主人公は、『古野まほろ』だ。
そりゃあいくら太田さんに縁の深いメフィスト賞たって、50回も近くなりゃあうっかり読んでない作品が合ってもオカシクナイヨネー
って、真顔で言えるだろうか。
そして、そんな作品がぽっと現れた時に、
太田さんが大きく関わる星海社でそれを見逃す編集者が果たしているであろうか?
すべては、めいはくでは、ない。
身も蓋もない話、これが星海社からではなく別の出版社から刊行されていたら、ここまで話題になることもなかったと思うのだが……。
そーねー
登場人物はこれで全部で証拠も全て揃っているので、後は推理するだけでござい、とはならん。
「犯人はおまえだ!」というセリフを一度は言ってみえてモンだが、そうもいかん。
しかしだ、状況を平静な目で見つめた時にだ、
に、世界観だとか設定だとか、小道具の話が入ってないのは、弁護士に相談した結果じゃねぇだろう。
誰が、どのように、何のために、「新本格」推理小説を出版したのかを考えると、