はてなキーワード: オイルショックとは
いや?「何もしない」というのが自由主義だから並べていいんだよ。何もしないより、マルクスやケインズのほうがマシということだ。
もっとも、金融制御だけはしていいというのが新自由主義だが、今の日本を見てのとおり大失敗だ。
自由主義って、封建主義に対して、自由にしたほうがうまくいくという思想だ。もっとも、貧富の格差は起きるし、一度大規模経済危機を迎えると、永久に続く不景気と衰退を作る。
ケチが付いたのはインフレだが収入所得が上がらないオイルショックや1970年代アメリカのスタグフレーションだ。
それでも今の海外需要起因ののスタグフレーション懸念に対して、金融緩和を中止せよ、基準貸付金利を上げろ!なんてのが新自由主義の規制緩和だ構造改革言ってたやつの口から出てるのを見ると、本当に何も考えてなかったんじゃないかとすら思えてくる。
そもそも、MMTがなぜもてはやされたのかと言われれば、緊縮財政の根源となってる政府の自国通貨建て借金増大による財政破綻や悪性インフレなるものを撃破したからだ。
財政破綻は外貨借金の問題。悪性インフレも外貨借金由来での輸入困難も一つはあるが、あくまで供給の何らかの問題。
最もケインズ主義はオイルショックやアメリカのスタグフレーションなどでケチが付いているのも確か。さらに経常赤字が増えている国では財政出動をすると外貨借金が増えるからホイホイ財政出動ができないのも確か。
MMTが撃破した部分に入るのはケインズ主義なんだよ。そのうえで、ケインズ主義の限界を理解しながら歩む必要がある。
金利操作をやめろというのは一体何を言っているのだ?と思う。通貨の性質から考えても、民間の信用創造によるマネー量変化が絡むから通貨量の制御にしても、設備研究投資としての貨幣の流通量の制御にしても金利の制御は必要だろうに。
財政出動は通貨安も付随するからな。まずは自国の景気を良くして付随して円安となるのは今はまだ許されるだろう。
ほぼ今がラストチャンスに近いところがあるだろう。海外の需要が高まってインフレでも自国がその需要を掴めない状態はもうどうしようもない。
スタグフレーションスタグフレーション言ってるやつがいるが、スタグフレーションは、増加した需要で物価が上がっても自国がその需要をつかめない状態だ。オイルショックはわかりやすいが、他に戦後復興した欧州や日本に負けた1970年代のアメリカもある。
まあ、ベトナム戦争という無駄な財政出動の余波という側面もあるがな。
今はスタグフレーションの前にインフレにすらなっていない。最もこのまま海外が景気が良くて産業も強くなって、日本がデフレで産業劣化した状態では本当にスタグフレーションになるかもな。
いえ、スタグフレーションはインフレの一種で、供給に問題があって、需要があるが、それを満たす供給がないときです。一つがオイルショックの非産油国。一つが外貨借金が増えすぎて輸入ができない国。
またわざと曲解してMMTと共産主義を結びつけようというやつか。
もっぺんはっておく。
ぜんぜん違うぞ。どちらかといえばケインズ主義の系譜だ。というか、そのMMTの理解なんだよ。せめて、MMT入門みたいな本とかサイトとか見てから考えなよ。
そもそも、昔は政府が何もしないほうがいいという自由主義だった1930年世界恐慌で世界中が不景気になった。そこで、政府が金融、財政、税制で経済を調整するケインズ主義と、政府が生産をすべて調整すれば景気変動が起きないというマルクス主義が起きた。
ケインズ主義は1970年代のオイルショックや、一部の国の経常赤字で完全じゃないということでケチが付いた。マルクス主義は政府の非効率でうまく行かないとなった。
そこで自由主義が金融政策だけ加えて新自由主義として再興したが、やはり一度大規模経済危機を迎えると30年でも不景気を迎えるとなった。
なおかつ、政府の借金で財政破綻が起きると考えられていた。そもそも、管理通貨制度のもとでは自国通貨建て国債では財政破綻しない。財政破綻は外貨借金の問題。
そして、財政の成約がなくなった以上、不況ならインフレになるまで国債なり通貨を発行して財政出動しろと考えている。
つまりは1945-1990年の成長していた日本の経済理論の復活なんだよ。なお1990年ー2020年での経済理論である新自由主義は1930-1945年の経済理論の自由主義の復活な。
ぜんぜん違うぞ。どちらかといえばケインズ主義の系譜だ。というか、そのMMTの理解なんだよ。せめて、MMT入門みたいな本とかサイトとか見てから考えなよ。
そもそも、昔は政府が何もしないほうがいいという自由主義だった1930年世界恐慌で世界中が不景気になった。そこで、政府が金融、財政、税制で経済を調整するケインズ主義と、政府が生産をすべて調整すれば景気変動が起きないというマルクス主義が起きた。
ケインズ主義は1970年代のオイルショックや、一部の国の経常赤字で完全じゃないということでケチが付いた。マルクス主義は政府の非効率でうまく行かないとなった。
そこで自由主義が金融政策だけ加えて新自由主義として再興したが、やはり一度大規模経済危機を迎えると30年でも不景気を迎えるとなった。
なおかつ、政府の借金で財政破綻が起きると考えられていた。そもそも、管理通貨制度のもとでは自国通貨建て国債では財政破綻しない。財政破綻は外貨借金の問題。
そして、財政の成約がなくなった以上、不況ならインフレになるまで国債なり通貨を発行して財政出動しろと考えている。
つまりは1945-1990年の成長していた日本の経済理論の復活なんだよ。なお1990年ー2020年での経済理論は1930-1945年の経済理論の復活な。
そもそも、左派は弱者より、右派は強者よりぐらいの意味でしか今はないが、弱者より、強者より以前に、景気を上げるにはどうすればよいか考えてほしい。
弱者よりであれば、貯め込む場所の増税が望ましい。累進所得税、法人税、金融課税、留保金課税な
強者よりであれば使う場所の減税が望ましい。消費税減税、設備研究投資減税、償却の緩和、ふるさと納税、寄付緩和な。
そもそも1990年代までは左派はマルクス主義、右派はケインズ主義と別れていた。だけど、冷戦が終わり、ケインズ主義もオイルショックなど単純にインフレにすればよいわけではない話ができて新自由主義に乗っ取られた。
新自由主義で日本の低迷が起きたあと、MMTとともにケインズ主義の積極財政派が帰ってきた。しかし右派の高市と、左派の山本太郎が掲げているように、右派、左派のくくりではくくれない。
積極財政派対緊縮財政派の争いだろう。そのうえで、積極財政派に立憲民主党がなったことは望ましい。ただし、なぜ積極財政が良いか自体が少しピントがずれてる感じはするな。
消費税減税のみを掲げてればいいし、圧をかけたいのなら国税分の消費税を0にする(地方分の3%のみ残す)ぐらい言えば良いのに。
『公助は削って、福祉は家族による相互扶助を基本とする』に対して、そんなことしたら社会が貧困化するよという主張が感想レベルだからダメですかそうですか。そもそも自助や互助で貧困は防ぎきれず、その貧困への対策が共助、公助なわけなんだけども。こんなことは常識の範疇と思っていたよ。
この自助・共助・公助という3分論は、自民党の綱領(平成22(2010)年)で政策の基本的な考え方として採用されている。「自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する」とある。菅氏の発言は自民党員として、党の綱領に忠実であったともいえる。また、社会保障制度改革推進法の第2条には、「社会保障制度改革は、次に掲げる事項を基本として行われるものとする。一 自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと。」とあり、法律の文言にもなっている。
総理大臣になった菅氏が、この社会像としての3分論を具体的な政策の中でどのように生かしていくのかは分からないが、これまで、介護保険制度の創設と運用にかかわり、自助・互助・共助・公助という4分論を唱えてきた筆者としては、共助の主体に地域とともに家族が含まれていることと、地域以外に共助の主体が想定されていないことに若干のコメントをしておきたい。
われわれは、人生の途中で、老化に伴う日常生活上の困難や思いがけない病気、事故、災害など、さまざまなリスクに直面する。このように何か問題が生じて解決を迫られたときに、まず、本人が自助努力で対処する。しかし、それでは無理なときは、本人の身近にいる家族・友人・隣人などが手を差し伸べる。これがインフォーマルな支援、すなわち互助である。自助と互助ではカバーしきれない場合にはシステム化された地域・職域の自治組織が支援する(共助)。この共助システムではなお解決しえない場合に行政が支援する(公助)。この4分論も、いわゆる補完性の原則に基づく社会形成の考え方であるが、自助と共助の間に互助を考え、共助としては地域以外にも社会保険を想定している。
個人が直面するリスクを、その本人の自助努力だけで克服せよというのは無理な話で、社会は、何らかの形で共同してリスクを分担する仕組みを備えていなければならない。自助から出発するにしても、自助の次に互助を想定せず、家族の支えを「共助」に包摂してしまうと、例えば、いつまでたっても家族を老親介護の責任から解放できないのではないか。家族は大事だが、それに頼りすぎては家族が参ってしまう。
互助は、自発性とゆとりと思いやりに基づく支え合い活動であって、その活動範囲も支援能力も限定的である。それは、家族・友人・隣人が無償で行う支援活動であるからである。しかし、自助のすぐそばに、この互助が息づいていることが自助の励みになるのである。老いて心身が弱っても、自分の生活に関することは自分で判断し、できるだけ自分で行おうとする個人の自助努力を尊重し励まし支援する、それが互助の意義である。自然災害のときにも、真っ先に頼りになるのは自助と互助の結びつきである。新型コロナ禍の困難の中でも自助に寄り添う家族・友人・隣人の親身な支援こそが大事である。
わが国にはシステム化された地域の自治組織として、自治会・町内会があり、近年は地域運営組織が台頭し、これらは市区町村行政と相互関係をもって活動している。この地域が共助の主体として期待されている。ただし、同じ共助のなかに、リスクを共有するもの同士で助け合う社会保険制度が存在し、国と自治体の行政(公助)が関わっているから、共助の主体は地域だけではない。共助システムである医療や介護の社会保険制度は、経費の約半分を国と自治体の公費(租税)で賄っているし、介護保険では保険者を市区町村にしているから、この共助システムは共助と公助の混合型といえる。それだけに、公費負担をしている国から、システム運用を通ずる効率化圧力が絶えず加えられる結果、公助から共助へ、共助から自助へとリスク負担を逆流させようとする動きが出てきやすい。要注意である。
共助、公助の成り立ちと役割については、このリンク先の厚生労働省白書に良くまとまっている。https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-01.pdf
(工業化に伴う人々の労働者化により、血縁や地縁の機能は希薄化した)
産業資本主義の社会では、企業が潰れたり、解雇されれば失業してしまい、また、けがや病気などで働けなくなった場合、労働者は所得を得られなくなる。その一方で、労働者が血縁や地縁の関係から一定程度独立した結果、それら血縁や地縁で結ばれた人間関係を基礎とする支え合いの機能は、近代以前の社会と比べて希薄化しているため、個人にとって、生活が立ちゆかなくなってしまうリスクは大きなものとなる面があった。また、産業資本主義の社会では、労働力の商品化の結果、モノやサービスの生産が「使用者-労働者」の関係を軸に展開するようになる。近代以前の社会と異なり、労働者は自己の労働力以外に機械や原材料などの生産手段を持たない。生産手段は使用者(資本)によって所有され、労働者はそれを借用しながら自己の労働力を提供する。この関係の下では、自ずと労使の力の差が生じる。使用者に比べて力の弱い労働者は、低賃金、長時間労働という劣悪な労働条件を強いられ、解雇のリスクにさらされるようになる。過酷で貧困な生活を送る労働者は増え、労働問題が大きな社会問題になっていった。労働者たちは、同業者の間で相互扶助的組織を設けるなどして生活上のリスクに対応してきたが、これらの組織に加入できたのは、経済的に多少の余裕のある熟練労働者などに限られ、多数の非熟練労働者などは、それらの組織に加入することができなかった。
(近代的な社会保障制度の創設はドイツから始まり、欧州各国に広がっていった)
近代的な社会保障制度が世界で最初に創設されたのは、大陸ヨーロッパのドイツであった。ドイツでは、19世紀終盤に、帝国宰相の地位にあったビスマルク(Otto von
Bismarck, 1815-98)により、法律上の制度として世界で始めての社会保険制度(疾病保険法(1883年)、労災保険法(1884年)、老齢・障害保険法(1889年))が制定された*3。社会保険制度は、事業主の負担と併せて被保険者(労働者等)自ら保険料を負担(拠出)することにより給付の権利を獲得するという関係があるため市場整合的であるとして、多くの工業国で社会保障の手法として第一義的に選好される傾向が強いものとなっていった。そして社会保険による給付は、市場経済的な権利関係の裏付けを欠くために、社会の負担、あるいは自助能力を欠く者との差別や偏見から逃れられず、受給にスティグマ(汚名)が伴っていた恩恵的・救済的福祉の給付とは異なっていた*4。また、あらかじめ生活リスクに備える点で、それまでヨーロッパ各国で主流であった事後的な「救貧」施策から事前の「防貧」施策への第一歩を踏み出した点でも大きく評価された。
(略)
(社会保障は、個人の生活上のリスクに社会的に対応する仕組みとして求められるようになり、産業資本主義の社会と国民国家の発展を支えていった)
このように、産業資本主義が発展する中で、血縁、地縁がそれまで果たしてきた人々の生活を保障する機能は限定的なものとなっていった。それらの機能を代替するため、傷病、老齢、失業などのリスクに公助又は共助という形で社会的に対応する仕組みが必要となり、現在に通じるような社会保障制度が求められるようになったといえる。
そして、社会保障が血縁や地縁の機能を代替*8することにより、人々は経済活動に注力することができるようになったという意味で、社会保障は産業資本主義の社会、国民国家の発展を支えていったともいえる。
(世界恐慌から第二次世界大戦までの間に、戦後社会保障の構想が練られていった)
1929年には、アメリカのニューヨーク証券取引所での株価の大暴落をきっかけに世界恐慌が発生した。その影響は大変大きなもので、1930年代には各国で多くの企業が倒産し、街は大量の失業者で溢れ、社会不安はますます増大した。
(略)
ケインズの理論によって完全雇用に近づければ、失業給付を激減させ、なお残る失業者に手厚い給付ができ、また、社会保障によって全国民に最低限度の生活を保障すれば、有効需要が増え、さらに失業者が減る。このように、ベヴァリッジとケインズの考えは互いに補強しあう関係にあった。これは「ケインズ・ベヴァリッジ主義(体制)」、「福祉国家の合意」などと呼ばれる。その後、ベヴァリッジは、第2次世界大戦中の1942年に、いわゆるベヴァリッジ報告(『社会保険および関連サービス』)を英国政府に提出し、「ゆりかごから墓場まで(Fromthe Cradle to the Grave)」のスローガンの下、新しい生活保障の体系*10を打ち立てた。このベヴァリッジ報告の影響を大きく受け、第二次世界大戦後には世界の多くの資本主義諸国で、経済の安定成長と完全雇用*11、国民福祉の充実を目指す「福祉国家」の潮流が広がっていった*12。
(戦後、どの先進諸国にとっても社会保障は不可欠なものになった)
(1970年代―オイルショック後の経済成長の鈍化等により、社会保障・福祉国家批判は大きな潮流になった)
(1980年代―新自由主義的な政策が採用され、社会保障・福祉国家の「見直し」が行われた)
(新自由主義的な政策は、経済のグローバル化の趨勢とも親和的だった)
(社会保障・福祉国家の「見直し」がもたらした弊害は大きなものだった)
(当初の「見直し」という目的が実際に達成されたかについても、見方は分かれる)
(1990年代以降、社会保障の重要性が再認識され、過去に指摘された問題点に応える努力をしながら、社会保障・福祉国家を再編成する時期に入っている)
(今日では、社会保障は様々な機能を持っており、私たちの経済社会に欠かせない重要な仕組みである)
今日では社会保障は、個人の視点からみれば、傷病、失業、高齢など自活するための前提が損なわれたときに生活の安定を図り、安心をもたらすことを目的とした「社会的セーフティネット(社会的安全装置)」という機能を果たしている。また、それを社会全体としてみれば、所得を個人や世帯の間で移転させることにより貧富の格差を縮小したり、低所得者の生活の安定を図る「所得再分配」や、「自立した個人」の力のみでは対応できない事態に社会全体で備える「リスク分散」という機能を果たしているといえる。
さらに社会保障は、必ずしも恵まれない人たちにも社会の一員としての帰属意識を共有してもらうことで社会的な統合を促進させる。また、消費性向が高い低所得の人たちに所得移転し購買力を高めることで個人消費を促進したり、医療、介護、保育などの社会保障関連産業における雇用の創出を通じて経済成長にも寄与する。こうした「社会の安定及び経済の安定と成長」といった機能も果たしている*20。
このように、社会保障は私たちの経済社会にとって欠かせない重要な仕組みとなっている。だからこそ、支え手である現役世代(働く世代)の人口が減る少子高齢社会において、どのようにして持続可能な制度を構築していくか、若年者等の失業問題や社会的弱者が孤立を深める状況(社会的排除)を改善するためにどのように社会保障制度を機能させていくべきか、経済のグローバル化に伴う国際競争の激化が雇用の柔軟性や流動性を要求する状況など社会保障が前提としてきた雇用基盤の変化や経済の低成長が続く中で、どのような所得再分配や雇用政策が適切なのかといった点は、先進諸国にとって、重要な政策課題となっている。
社会は貧困化するの件が感想でしかないので、感想に対する反論などありません残念でした
人生に遅いということはないよ