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2015-11-18

佐野研二郎の後輩による晒し

多摩美芸術祭での記録だそう。名前も書いてある。

http://www.idd.tamabi.ac.jp/o47059/Tokyo/

晒しかと思ったけど、真面目だなぁ〜

大学側も当人も、これぐらい堂々としていれば実はあんなに盛り上がらなかったんじゃないか?

2015-10-10

美大生の強さ

さてさて、みなさんの頭の中からエンブレム話題が一切消えたころでしょうか、

私の中でデザイナの強さと弱さを感じましたので、ここにいる美大生にひとこと。(いるかな?笑)

パクリ、と言われますが私はパクリでないと確信しています

みなさん、美大受験の内容をご存知でしょうか、

佐野さんの出身である多摩美では「野菜と両手」などという課題が出されます

もちろん手は皆さん持ち合わせていますから、手を見て描きますしかし、野菜イメージで描かなければいけないのです。

私は美大生でもないですが、美大生の過去問を見る機会があり、とても驚きました。

美術を学んできた人は、野菜を見ずに野菜を、缶を水に缶を詳細に描けるのです。

美大はあまり勉学は重視されず、のいわゆる一般受験は私からみるととても簡単です(最近は一概には言えませんが)。

しかし、美大生は形に関する信じられないくらいの知識を身体に染み付かせているのです。

彼、彼女たちに手で描かせると、無意識の内に最善のカタチを手から出してくるのです。

でも、何故こういう形にしたのと尋ねると、曖昧な答えしか返ってきません。

身体の中に確実に正解を見いだして、目の前に形に出来ているのに、言葉にするのが少し苦手な印象があります

これは、とてももったいない。身体に無意識に貯えた知識というのは、体調、気分などに左右されます

言葉にして、いつでもその知識を引き出せる準備をしておくべきです。

さて、長くなりましたが、佐野さんの話です。

佐野さんももちろん美大出身で、身体に貯えた形に関する知識はものすごいことでしょう、

しかし、佐野さんも同じような問題を抱えているように思います

言葉にする能力に興味がないのです、これはMr,desinのメディアに対する対応時に確信しました。

彼の事務所メディアに発信するプレスリリス画像という形で掲載していました。

しかも、フォントA1明朝というデザイナーにとても人気のある書体です。

誰もが扱い易い情報にしなくてはいけないプレスリリスでさえ、彼はカタチ(見え方)にこだわったのです。

ここまでやる、カタチへのプロ意識尊敬すべきことろがあります

しかし、相手はカタチへのこだわりがない人であるのですから、皆が共有しやすいカタチにするべきでした。

エンブレムの件もそうです、彼は自分の身体の中にあるカタチを最大限に引き出して、作成したのでしょう、

私はパクリだとは思いません、まるで別物だとも思います

しかし、似ているとは思うのです。カタチにこだわりがない人に対して配慮して、似ているということを認めてから

でも、私の考えは、こうであるという詳細な言葉にして世に出すべきでした。

それができないのであれば、彼らの知識の塊である、その作品に至までの過程をすべて出すべきでした。

美大生には、自分の身体に貯えた知識を言葉にする意識をしてほしいと、切に願います

彼、彼女たちの能力は世の中をよくします。それは自分たちの周りを見渡すとわかると思います

しかし、世間と少し隔たりがあるように感じるのは、言葉にする能力にあまり興味を示さなからです。

苦労自慢、俺はこれだけ頑張ってデッサン力を手に入れたのだ、という文章ではありません。

何故貴方無意識にこのカタチを選んだのか、貴方経験の中で何故このデザインにしたのか、

ということを言葉にしてください。

2015-09-07

五輪エンブレムをめぐるホッテントリについて

深津貴之 氏の見解が多くのブクマを集めている。

   http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

   http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

 

実はこれは、「劇場ロゴパクリではない」と言っているだけだ。上手にていねいに解説しているが、話の趣旨のもの組織委の見解と同じだ。その点は、増田が指摘したとおり。

 似ているとか似ていないとか最初に言い出したのは誰なのかしら

 

しかしながら、組織委の見解はピントがずれているし、その意味では、深津貴之 氏の見解もピントがずれている。そのことを解説しよう。

 

 1.劇場ロゴパクリは争点ではない

劇場ロゴパクリはもともと争点となっていない。これを話題にしたのは一部の人だけ(もしくは初期だけ)だ。

 

では、何が話題になったか? 次の二つだ。

  (1) 劇場ロゴとの類似性

  (2) 他の画像パクリ(盗用)

 

前者は、著作権問題だ。これは、パクったかどうかに関係なく、単に似ているということで、著作権上の問題が生じる。このことは、劇場側の弁護士が主張したことだ。

後者は、サントリーのバッグや、五輪の展開例や、多摩美ポスターなどで、画像の盗用があったことだ。これを「パクリ」と指摘した。

要するに、「劇場ロゴとの類似性」もあったし、「パクリ」もあったのだが、「劇場ロゴパクリ」は、もともと争点になっていないのだ。

その意味で、深津貴之 氏の見解のもの意味を持たない。ありもしない仮想敵攻撃しているだけだ。藁人形論法であるにすぎない。

劇場ロゴパクリ」というものを、彼がいくら否定しようが、それは、ありもしない怪物攻撃するドン・キホーテと同様であり、もともと存在していない対象否定しているだけにすぎない。

 

 2.チヒョルト展のパクリ

劇場ロゴパクリ」はなくとも、チヒョルト展のパクリはあったと認定できる。なぜなら原案では、右下に余計な赤丸があったからだ。

このような赤丸は、文字とは無関係の装飾要素であり、まったく不要ものだ。実際、他の文字では、このような余分な要素はない。

  http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bunbuntokuhoh/20150828/20150828225213.jpg

なのに、T という文字でだけ、余分な赤丸の要素が追加されている。この文字だけにある特異な現象だ。

このことからしても、これがチヒョルト展のパクリであることは明白だろう。

(仮にパクリでなければ、赤丸は中央上または中央下にあるはずだ。それが佐野デザインの9分割のポリシーからだ。)

 

さらに、状況証拠もある。「そんなことは覚えていない」と弁解したことだ。素人じゃあるまいし、プロならば、これほどのデザインをあっさり忘れるはずがない。

とすれば、「覚えていない」と言った時点で、嘘をついている。あるいは、ジョブズ並みの「現実歪曲空間」に入っていることになる。そのいずれだとしても、パクリはあったことになる。(ただし本人が正直に申告していないだけだ。)

 

 3.専門家に任せるか?

深津貴之 氏の見解の主要な点は、「専門家に任せるべきだ」ということだ。

1. 大衆によるデザイン判断は、デザインの一側面しかジャッジできない。

2. 多面的ジャッジするためには、専門家への信任が必要

 

しかしながら、今回の最終案を決めたのは、専門家である審査員ではなく、素人である武藤事務総長だった。

   http://www.yomiuri.co.jp/national/20150904-OYT1T50016.html

ゆえに、「(決定を)専門家に任せるべきだ」という主張は成立しない。現実には専門家には任せられず、素人勝手に決めてしまたからだ。(そして佐野最終案に決まった。)

 

また、今回の主要な争点は、デザインの良し悪し(デザインジャッジ)ではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。

デザイン的に良し悪しを判断する(ジャッジする)のならば、専門家が決めてもいいだろう。しかし人々が批判したのは、デザインの良し悪しではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。そこでは、次の諸点が問題となった。

  ・ ベルギー劇場と法的争点をかかえている。

  ・ その法的争点は、類似性の有無であって、パクリの有無ではない。

  ・ トートバッグではパクリが判明した。(彼は犯罪者だと判明した。)

  ・ さらに、続々とパクリが判明した。(彼は大犯罪者だと判明した。)

  ・ 原案と最終案がまったく違うと判明した。(組織委は嘘をついた。)

  ・ 原案では、最終案にある大きな円がなかったと判明した。

   (大きな円を選考理由とした初期の説明は嘘だったと判明した。)

  ・ 最終案を決定したのは審査員たちでなく事務総長だと判明した。

   (制度を逸脱した暴走であると判明した。非合法ふう。)

 

これらの問題が続々と判明した。このことから五輪エンブレムとして採用するには適切ではない」という民意が生じたのだ。こういう民意無視して、「専門家判断に任せよ」というのは、問題デザインの面だけに限定しており、きわめて視野が狭い。まったく、問題所在理解していないと言える。

自分の専門領域のことしか理解できない人を「専門馬鹿」と呼ぶ。

今回の問題は、「劇場ロゴをパクったかどうか」というデザイン界だけの問題ではないのだ、と理解するべきだ。そもそも、「劇場ロゴをパクったかどうか」というのは、もともと争点になっていなかったと言える。(劇場だって、そのことを争点としない旨を主張している。商標法違反ではなくて、著作権法による類似を争点とすると主張している。)

今回の問題は、上で列挙したようなさまざまな問題が絡み合っている。ここで「劇場ロゴとのパクリではない」なんていうどうでもいいことを持ち出して、「専門家の言うことを聞け」と述べるような主張は妥当ではない。むしろ専門家こそ、民衆の声を聞くべきだ。

 

最後に一つ。

深津貴之 氏はデザインのことは専門家に任せるべきだと主張する。しかし今回のエンブレムは、エンブレムデザインとしての良し悪しで決まったのではない。展開力で決まったのだ。つまり、布地の柄物のパターン出来映えのような見方によって決まったのだ。

そもそも、(原案の)丸と三角と四角というデザインは、あまりにも単純で凡庸であり、これを「美しい」「見事だ」と思うようなデザイナーはいないだろう。なのに、心の底では「くだらん」と思いながら、はっきりと口に出せない。「展開力が優れている」と言われると、「なるほど」と言って承諾するだけで、「エンブレムとしてはあまりにも凡庸な図形だ」という本音を口にできない。

自分の(デザイナーとしての)内心の声を聞くことができず、説明された「展開力」なんていう言葉を信じてしまうようでは、デザイナーたちの良心というものを信用できないのである

専門家は、民衆の声を聞くべきだ。そしてまた、自分の心の声を聞くべきだ。「あの原案はあまりにも凡庸だ」と、自分の心の声が訴えているはずだ。

 


 

 追記。

 

id:sisya 参照元エントリ全然読解できていないように見える。単に似ているだけでは盗用にならず、依拠しているかどうかが重要。もう少し元記事を読み返すことをお勧めする。

 

本項の話を全然読解できていないように思える。「(劇場ロゴと)似ているか依拠しているか」というような話題は、争点にはなっていないというのが、本項の趣旨だ。そんなことはどうでもいいから関係ない、という趣旨

 

だいたい、そんなことは、たいていの人は話題にしていない。著作権を争点にしているのは、ベルギー弁護士だけだ。日本人ほとんどは、そんなことに関心を持っていない。関心を持っているのは、id:sisya さんや id:allezvous さんぐらいだ。

 

この事件問題点は、ベルギー裁判で勝つかどうかじゃない。そんなことを話題にしている人は、ほとんどいない。(そもそも裁判が成立するかどうかもはっきりとしない。訴えの利益がないので、却下されるかもしれない。そうなったら、著作権を争点にするのは、すべて空論になる。)

 

もちろん、本項でも、著作権問題にしていない。そもそもベルギーロゴとの関係問題にしていない。(ベルギーロゴとの関係などはどうでもいい、という趣旨。)

 

id:allezvous 著作権侵害要件たる依拠性を検討できない分析なぞ意味はない。

 

依拠性によらず類似性だけで著作権法違反を問える、と主張しているのは、私ではなくて、ベルギー弁護士 http://bit.ly/1VMxON2 です。詳細は、このリンク先にある週刊新潮記事に書いてあるので、そちらを読んでください。

一般に、ロゴのような単純な図形では、依拠性というものは(証明のしようがないので)問われず、類似性けが問題となります。たとえば、ミッキーマウス著作権では、単に似ているだけで問題視されます。いくら「真似したわけじゃない」と主張しても、「似ている」だけで問題視されます

なお、本項では、著作権についての「分析」なんかしていません。著作権は本項では話題になっていません。ついでの形で、1行か2行、ちょっと引用ふうに言及しただけです。

 

id:bros_tama あの記事は“五輪エンブレムデザインで何が問題であったのか”について書かれているんです.本来どうすべきであったか,解決のためにはどうする,とかはこれを踏まえて考えなくちゃいけないんだよね,という話です

 

それはわかっているし、本項もその趣旨で書いてあります

それを前提とした上で、“五輪エンブレムデザインで何が問題であったのか”ということは、今回の騒動ではほとんど意味がないことだ、というふうに評価しています五輪エンブレムデザインなんか、あまり重要ではないんですよ。デザインじゃなくて、これを採用するかどうかが問題なんです。

端的に言えば、「パクリデザイナー作品五輪正式採用することの倫理的な是非」です。ここでは倫理的問題があるだけで、美術的な問題はありません。美術的なことをいくら論じても、今回の騒動には何の関係もない、というのが、本項の趣旨です。

本質とは関係のないことをいくら解説しても、そんなことはどうでもいいことだ、という趣旨です。


 

誤解があるかもしれないので解説しておくと、私は別に、深津貴之 氏の見解否定しているわけではない。素人向けに専門家が詳しくデザインのことを解説しよう、という努力は立派なものだと思うし、有益でもある。

ただしそれは、あくまで今回の騒動のオマケふうのエピソードとか裏話であるにすぎない。楽屋裏の話。こっそり井戸端酒場でおしゃべりするための話題

今回の騒動は、佐野デザイン五輪エンブレム正式採用するかどうか、ということだ。それは、「採用しない」という形で、一挙に解決した。これだけが問題であったからだ。

一方、劇場ロゴとの類似性とかパクリとかは、ほとんど話題になっていない。だから、こんなことはどうでもいいことだ、というふうに評価している。

深津貴之 氏の見解を(間違っているとして)否定しているのではなく、(本質とは関係ないものとして)軽視しているだけだ。勘違いしないでほしい。

 


 

その後、状況が少し変化したようです。次の質問に答えようとして、気づきました。

 

id:Eizo0000 何と戦ってるんだ。

 

この問題専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視しています。そのことは、本文中で引用した箇所で、下記のことです。

1. 大衆によるデザイン判断は、デザインの一側面しかジャッジできない。

2. 多面的ジャッジするためには、専門家への信任が必要

 

しかしながら、この箇所は、今では次のように書き直されました。

1. 大衆によるデザイン判断は、外見やキャッチーさに集約されていまう。デザインの一側面しかジャッジできない。

2. 多面的ジャッジするためには、デザイナや弁護士など専門家への信任が必要

 

深津貴之 氏が、元の文章を書き改めたので、本項において問題視したことは、かなり色褪せてきたとも言えます

大衆デザインには無知なんだから口出しするな」というような方針が、少しは改まったのだとすれば、本項は一定役割があったと言えるでしょう。

 

  ※ 「集約されていまう」というタイポは、原文のままです。

    引用部分はコピペしました。

 

id:honma200 結論とかまとめを書かないから散らかりすぎてて良く分からん

 

まとめ:

この問題本質は、最終案が劇場ロゴパクリであるかどうかではなくて、考案者があちこちで画像の盗用をしたという問題である。つまりデザイン問題ではなく、法律違反をした作者のデザイン五輪採用するかどうかというという倫理面の問題である。したがって、この問題デザイン専門家に任せておけば済むというわけには行かない。「デザイン専門家に任せよ」という主張は、今回の問題本質からは外れている。

 

  

似ているとか似ていないとか最初に言い出したのは誰なのかしら

深津さんのエントリhttp://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/)は、基本的には佐野氏と委員会の説明をなぞったもので、デザイナーでなくても彼らの説明で「なるほど劇場ロゴのパクりではないのか」と納得した人は少なくないと思っていたので、この内容に対して「なるほどわかりやすい!」と関心している人が多いことに逆に驚いている。

これを読んでも納得いかない人がいるのは、おそらくデザイナーが「似ていない」という言葉を使って反論しているところに理由があるのではないか。万人に納得してもらう説明としては、「似ているが、パクリではない」が正しい。

あのエントリでも書かれているとおり、デザインは装飾ではなく最適解を求める設計なので、限られたパターンであれば結果が似てくることは珍しくない。

ゆえに、色々やった結果が「似てしまう」ことも「悪」とはされないが、同じ見た目のものが氾濫すると混乱を招く(それこそ社会におけるデザイン目的と反する)ので、商標などのルールによってお互いの利益を損なわない形で解決しましょう、というのが現代社会におけるお約束になっている。

からこそ、海賊版など意図的にこのルールを侵し、混乱させ、利益を得ようとする「パクリ行為「悪」なのだ

委員会が「法的には問題がない」と判断したのも、上記のルールにのっとってリェージュ劇場ロゴ商標登録されていなかったことから、「似ている」が「違法ではない」という当然の結論である事実佐野氏の初期案は「似ている」商標があったので修正を行ったと説明されているので、もしリエージュ劇場ロゴ商標登録されていたら、(撤回はされたが)現在エンブレムも「似ている」ことを理由委員会からNGとされていただろう。

当初、デザイナーがこぞって「パクリではない」と佐野氏を擁護した理由は、そういうことだ。エンブレム最終案があのデザインになった課程について、十分納得のいく説明はなされているし、最初から擁護していた人達はそのデザインの良し悪しは別として、コンセプトも含めてなんとなくでも理解していたはずだ。

その上で、なお疑義が残るとすれば、意匠=見た目の問題において「初期案を作るときに“T”の右下に●を置くアイデアチヒョルトからいただいちゃったんじゃないの?」という点だろうか。「9分割のモジュールアルファベット表現する」というアイデアは、言ってしまえばそれほどオリジナリティが高いものではないが、「鼓動のパワー」を表現するという「●」が「T」の右下にあるのはこのエンブレムオリジナリティの一つだといえよう。それが佐野氏が過去に見た展覧会のメインビジュアルに由来するのでは? という疑問が生じたわけだ。だからデザイナー矜持として、原案チヒョルト展のポスター類似の話が出たタイミングで、当初は佐野擁護だったデザイナーの中から批判に転じる人が出たというのも、おかしな話ではない。「(身内として)擁護しきれなくなった」のではなく「初期案のコンセプトの正統性に疑問を感じた」のだ。だが、これも「疑惑」にすぎず剽窃の「事実」は認められていないので、真実は闇の中である

個人的には、佐野氏のエンブレム以外の仕事を見ても、面白いものはあるが独創性に欠けるという感想を抱かざるを得ない。日本広告エンターテイメント世界においてよく見かける、海外で売れているが日本にはまだ入ってきていないものを「いただいちゃう」ようなやり方にどっぷり浸かりすぎてるんじゃないの? と思わないでもない。

もちろん、サンプリング本歌取りという手法クリエイティブを発展させることは確かだし、オマージュパロディによって発揮される作家性は存在するので、そういった行為否定するものではない。だが、それらの手法は「コンテクスト文脈)」に乗った上で初めて効果があるものであるサントリートートバックのイラストの件などはコンテクストも何もなく「いただいちゃった」案件のもので、悪質である。(パンの写真メガネ写真を無断で素材使用したのはまた別の問題だ。)佐野氏の事務所クリエイティブに、こういった姿勢垣間見えることで、オリンピックという大舞台デザインワークを担うのにふさわしいデザイナーであるかどうかを問われてしまうのは仕方がないことだろう。

はいえ、現在の「パクリ批判」のあり方は、その内容や手法において明らかに間違っている。

ここで長々と述べてきたことようなことを理解しているのかいないのか、本質とずれた批判センセーショナルに書きたて、多摩美など佐野氏が関わっている所なら話題性があるとばかりに火をつけて回るnetgeekやまとめサイトの在り様と、それに扇動されるネット民リテラシーのほうが、パクリ疑惑以上に深刻な問題なのではないだろうか。

NETGEEKはジャーナリスト津田大介さんも認める信頼と実績のメディア

おちんぴっく、もといオリンピックエンブレム騒動でネット世論()を煽って美味しくアクセスをいただいている糞バイラルメディアのNETGEEK。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という国民性を利用してもうひと稼ぎとばかりに、保守速報痛いニュースなど憂国の士()連合徒党を組んで多摩美卒業制作やらグッドデザイン賞放火してまわり、下級国民()の皆様がアクセスして溜飲を下げる度に広告費がチャリチャリンで美味しいですぅ~(^q^)♪と、右手ワイングラス左手バカを転がしてウハウハするも、情強の皆様からパクリではなくオマージュ」「グッドデザイン賞はそういう賞だ」との指摘がなされて形勢不利と見るや、知ったかぶりがバレた男子中学生のように「そういう意見もあるね」と「ネット賛否両論」みたいな見出しをつけて記事化して海底のサンゴ自分でイニシャル刻み込んで記事にしちゃった朝日新聞ビックリ捏造開き直りを絶賛展開中!!(イマココ)

ところでNETGEEKのサイト紹介「NETGEEKについて」を読むと、「著名人もNETGEEKを読んでいます!」という体でネット有名人()の皆様がいかにNETGEEKを支持しているかツイート引用()する形で記載されていて、いうなれば書籍の帯に「○○さんもお勧め!」みたいな感じでお墨付きを与えているわけですが、twitterでは今回の炎上に対していろいろ含む感じの発言をされているジャーナリスト津田大介氏(41)も永遠スーパー中学生Tehu君やはちまこと清水鉄平などそうそうたる顔ぶれとともに「NETGEEKまたスクープだな!」という絶賛ツイートが大・掲・載されていて信頼と実績の糞サイト太鼓判を押しちゃうの? 押しちゃってるの? みたいになってるんですけれど、こちらジャーナリスト津田氏におかれましてはご納得の上で掲載されていらっしゃるんですかね?

いやまあツイート引用されてるだけですしね、ちょっとtwitterガイドライン違反する形で画像掲載されてるけど大した問題じゃないからいいよね? みたいな感じなんですかね。もしくは過去に「これからバイラルメディアだ!」みたいなTOSHINAO SASAKI的な熱に浮かされて(TABILABOも海外メディア記事をパクってる!とNETGEEKに糾弾されてたのがお笑いだけどネ!)、ついうっかり褒めて称えて持ち上げちゃったけど、昔の話だから仕方がないと思っているのかな?

いやーさすが津田さん懐が広い!!

NETGEEKみたいな糞捏造炎上サイトお墨付きを与えているかのような形で自分ツイートを使われても文句の一つも言わないなんて!! そんじょそこらアナルの小さいネット民にはできないことをやってのける! そこに痺れる、憧れるゥ!!

それとも本当にNETGEEKを支持してるの? 実は裏でネットジャーナリスト仲間としてつながっていて相関図とか書けちゃったりするの? 元ネトランアングラ情報を書いていたライターとして「新しいメディア()のカタチ」だからとかシンパシー感じちゃってたりするの?

気になって夜も眠れません!

2015-09-06

パクリが、デザイナー仕事ではありません。,

魚拓用。1時間後に消す

http://www.amazon.co.jp/review/R33VQYXB3J6P7P/ref=cm_cr_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4838725833

ネットで叩かれているようですが、事態はもっと深刻だとおもいます

何より、「グラフィックデザイン」という仕事自体への信頼を落とした罪は、とてつもなく大きいと思います

擁護していた人間が、信じられない。「仕事」あってのデザイナーです。「彼はいい人」?ふざけるな、です。

真の人柄とは、「デザイン仕事」にこそ、出るものなはず、です。

全てのデザイナーが、こんなパクリ、というか、「雑な仕事」をしているわけではありません。

精一杯、ギリギリの低予算と日夜の仕事の上にちょびっとだけ花が咲くような「地味」な仕事です。

この「パクリ」は、むしろ佐野研二郎」さん、「森本千絵」さん、「長嶋りかこ」さんら、

大手代理店の実質・専属デザイナーからこそ、必然的に起こりえました。(まだまだ他にもいますよ)

一連のパクリは、「氷山の一角」に過ぎないのです。

 彼等は、零細のフリーランスや個人のデザイナーと違って、大手広告代理店電通博報堂とのパイプがあるため、黙ってても、とんでもない「大きな仕事」が降ってきますサントリー資生堂TOYOTAHONDA…そんな大企業デンパクにしかできませんからね。

 それをチャチャっと、イメージソースを見つけ出し、Macでコピー&ペースト。下っ端のほぼアルバイトに近い低賃金アシスタントに、徹夜でとてつもない量の「アイデア」を出させ、その「手柄」を横領ます

横領」と「電通博報堂多摩美ムサビ」を中心とする「これがオシャレなんだぜ」という「自己顕示」が、彼等のいう「クリエイティブ」の正体です。

これを私は「クリエイティヴヤクザ連合」と呼んでおります

彼等に創造性は一ミクロンもありません。「芸能人」に好かれているから、成り立っていただけです。

「ま、素人だしな、センスねえ・一般人なら、わかんねーだろ。」これが、彼等のいう「デザイナー感覚」なのでしょうか?

違います。真のデザイン感覚とは、「一般の人」にこそ、パッと「見るだけでわかるもの」だと私は思います

ちょっと心あるデザイナーたちは、みなこの人たちの「センス」の源泉・ソース元が「パクリであることにとっくに気付いていました。ただ、一般の人の目と耳に届かなかっただけなのです。

圧倒的なお金大人の事情があったからです。

彼等は「デザイナー」というより、「中間搾取業者」さんという方が適切なのです。

その一部始終の技術は、この本の「余白」にも書かれています

 

 デザインに、本当はプロもアマもありません。だからこそ、デザインは過酷な仕事なんです。

 かえって、「素人」だからこそ、曇りのない目だからこそ、デザインの本当の良さがわかるし、ウソもバレるのです。

 国民の祭典であるオリンピック」に、あん葬式か、安っぽいブランドロゴのようなデザインを出してくるセンス

 それに疑いもしないセンス。これが「プロデザイナー仕事」なのですかね?

 こんな「雑な仕事」が、止まることなく、まかり通ったのも、彼等を批判することが「タブー」だったからです。テレビ新聞ラジオという「メディア」の一番の資金である広告」を「美しく」作る方(パクリですけど…)なのですから

 まるで、一連の騒動も、「頭の悪いネット民」の批判から、などと、彼等側の人間は、主張するでしょう。

 

いえ、今回ばかりは、発見したのはネットの方々かもしれませんが、日夜真面目に働く「デザイナーたち」こそ、一番の被害者です。

こんなズサンな人々と一緒にされたくない、とほとんどの方は主張するでしょう。そして、デザイナーこそ、こういう愚劣なクソデザイナーに怒りを感じるはずです。

 和田誠さん、田中一光さん、亀倉雄策さん、横尾忠則さん等、デザイナースターだった時代は、手と情熱とで、素晴らしく美しいデザインをつくっていました。いちいち鉛筆で線を引き、イラストレーターと一緒にアイデアを考えていました。

 デザイナーという仕事は「広告屋」「看板屋」などと低く見られ、軽蔑されていました。

 その逆境からの立ち上がりにこそ、創造性があったのです。

 オリジナルの発想だから日本デザインは優れていたのです。

 パクリデザイナーたちよ、恥を知れ!!恥を!

 何が「ミスターデザイン」じゃ!!その「ネーミング」の恥ずかしさに、言葉も出ません。

 普通、「自分会社」に、そんな恥ずかしい名前つけますか?

 最高に笑えないギャグですよ。口に出してみて下さい。「ミスターデザイン」?。

 オレは偉いんだぜ、ってことでしょ。自己顕示欲の塊なんですよ。ちょっと心あるデザイナーなら、誰でも気付いていたことです。

 

 これを機に、「デザイン」という仕事から、足を洗って頂ければ、幸いです。

後記:多くの方に反響を頂きまして嬉しいです。

少なくとも、サントリーパクリの件は、専門学生の1・2年レベル課題でも今時するか?という初歩的な「画像のまんまパクリ」です。フリー素材か、写真を取ればよかっただけのことです。

デザイナーとして、本当に、ありえないレベルミスです。こんな仕事の仕方は、佐野研二郎氏の事務所だけでしょう、と信じたい…。

しかし、それでもまだ擁護する「デザイン村」の人達にはつくづく情けない…。

理研の小保方氏、音楽クラシック村の佐村河内ホントーに、まったく同じ構図じゃないですか!

デザイナーたちも、仕事に響くので、黙っている方がほとんどだと思いますが、勇気を出して、声を上げて下さい。

グラフィックデザイン」を根幹から揺るがす出来事ですよ。

電通博報堂から箝口令のお達しでもあるのでしょうか?

呆れるほどボロボロとずさんな情報が出てきてしまいます。「思考クリア化」しすぎた結果だと思います

この本を読んで、「そもそものデザインのやり方」への「違和感」を感じて、すぐに某本屋へ、売りましたが、まさかあのときに感じた違和感が、これほどまでに実現化されるとは思いませんでした。

でも、いかに佐野氏が、「手抜き体質」かが、出ていると思いますよ。

なんと…驚愕事実が発覚しました(2015年8月30日)。「ペンギンブックス」という、日本人には馴染みが薄いですが、

有名なペーパーブックのシリーズの名タイポデザイナーヤン・チヒョルト」のパクリであることが発覚しました。

私も、GGGでの展示に行って、感銘を受けました。本当に許せない。チヒョルトは、ハッキリ言って、

作風は地味です。しかし、心に残るデザインをする私も心から敬愛する、「巨匠」です。

しかし、そのチヒョルトの「表面」のデザイン部分だけをペーストして、パクる姿勢

本当に許せません。

しかも、チヒョルトは「本の世界」のデザイナーですよ?

スポーツ世界」のヤツラにならば、わからないだろう、という魂胆でもあったのでしょうか?

本当にふざけてる。デザイナーとしても、最低です。許せません。

コメントに追記)>>広告代理店デザイナー仕事プレゼンが主なので細部まで検討して作りに作り込んだファイナルプロダクツ作成することはありません。ファイナルプロダクツ下請け専門家に任せます。だから”これとこれをくっつけて~”みたいに30%ぐらいの力で仕事を仕上げるのが”デザインする”ことだと思っちゃってるデザイナーになってしまうんです。しか代理店にいたというプライドだけは高いから、始末に負えない。

そうなんですよ。彼等のいう「クリエイティブ」は、日本語訳の「創造すること」や「発想すること」じゃないんですよ。

ズバリ、「自己顕示」なんですよ。

いかにして、「自慢するか」なんですよ。

で、CMの世界では相手のクライアントが、「企業」ですから、世に漏れなかった。会議室の中だけでの世界でした。

しかし、「オリンピック」という晴れの世界で、「Mr.デザイン」こと「佐野研二郎氏」は同じように、惰性でやってしまった。彼にとっては、こういう仕事の仕方が、「普通」なんです。

もちろん、考える力も発想のノウハウも、強さもないから、最終的な「アウトプット」は「何かに似せる形」になります。何かに似せる、しか雰囲気だけ…ぐらいなら、いいんです。

「何かに似せる努力」すらやめて、「そもそも画像をそのままネットからパクっていいじゃん!」

フォトグラファーを使う」「イラストレーター絵描き)を使う」「タレントを使う」のにも、何をするにも、

「何かを作る」には、お金がかかります

「パン一個」買うにも、お金がかかります

それを解消するには、タダで「アウトプット」を創り出すには、いくつかのアイデアがあります

しかし、最も単純明解に、クリアに、ボールドに、全ての制作費が浮く方法があります

一番安く、早く、タダで済ませられる唯一のデザイン

一体なんでしょう。

それは「搾取」です(「パクリ」という言葉は、何となく、「万引き」に似た甘やかしの言葉だと思います。そんなレベルではないですよ、コレは。明らかに「システム」として、「自分仕事」として、やっています。でなければ、こんなに出てくるはずはないです。)。

デザイナーたるもの、誰でも一度は、パクることはあります学生時代に、一からオリジナルを創り出せる人間など、いないし、天才でもムリでしょう。「習作の時代」はあります

しかし、今回は、まったく事態が違います

自分の周りへのヒト・カネ」がメインであって、「モノ」(仕事)は、どうでもいいのです。軽蔑された結果なのだと思います

はっきりと、誰かの作ったものを「奪って、人に提出する仕事」に甘んじてたのだと思います原宿事務所Macintoshの中では、イラストレーターが書いたパンも、誰かのブログのパンも、「一緒」です。

ならば、タダな方がいい。

とすら、考える頭もよぎりません。

まったく自然に「ミスターデザイン」は、搾取します無限仕事がつくれ、永久にカネが入ってくる仕組み…。

思考は確かに「クリア」かもしれませんが、その精神は「ドロドロ」です。

クリエイティヴディレクターアートディレクターという「肩書き」は、「搾取指示人」なのでしょうか。

「クソ・デザイナー」というカテゴライズで、はっきりと「普通デザイナー」とは一線を画す社会にしたいものです。

まさに、「デザイン仕事」によって。

全てのデザイナーこそ、今こそ怒りを上げるべきです。

2015年9月1日、ついに、ようやく、取り下げました。が、凄まじいシロモノの反省文を掲示しました。

ここまで「ひどい謝り方」をできる人間が、いたでしょうか。

帰って来た返事は、「被害者」気取り、でした。

「私は純粋で、クリエイティヴ人間アピールでした。

やはり、闇は深い、と確信するばかりです。

もうこれは確実に、しれっとして、またヒョロっと、5年後、五輪のバックで「名前の出ない形」で関わってきますよ。1000%。

絶対に、です。「今を乗りきれば、大丈夫」と思っているはずです。

もちろん、いわれのない誹謗中傷もあるでしょう。それはお察しします

しかし、博報堂の「営業」の人間は、そういうことで強くなるんですよ。何にも言われないのは、クーラーの効いた部屋で、パソコンと戯れるクソデザイナーだけなのです。

今まで、あまりに「無菌状態」だったでしょうからね。

自分の大好きなお仲間たちと、カネをバンバン出してくれるクライアントと、ドラゴンボールドラえもんを使われても、何も言えないそっちのヒトたちの複雑な気持ちアニメーター漫画家アーティストイラストレーターを、笑顔でほがらかに踏みにじってきたわけですからね。アートディレクターって、一体何なのでしょう。

博報堂では、こんなに「謝る」ということは「罪悪」なのでしょうか。

卑怯なのは、「テキスト」ではなく「画像」で謝るということも、そうなんですが、

リュウミン」を使って、この際も「キレイに、クリエイティヴに、素敵なタイポグラフィ」で謝ろうとするクソみたいなデザイン根性です。

ニッポンは、世界中から尊敬されている映画監督出身国だった。お忘れなく。」のあの「ドヤ感」の「薄汚さ」が、本当に蘇ってきました。その「キタナさ」が何一つ変わっていない、どのメッセージでも。

これが、逆にいえば、彼のデザイナーとしての唯一の「統一性」なのかもしれません。

ただ、「ドヤ感満載」のデザイナーだと、仕事になりません。本来ならば…。

こういう場合、「真摯デザイナー」は、実は、普通の、どこにでもある「そっけない」明朝体を使います

リュウミンだと、あまりに「美しい書体」すぎて、ほぼ「ウソっぽく」聞こえるからです。

そんな「文字への美的感覚」すらないんでしょうね。表面的に、「キレイ」なら、何でもいい。佐野研二郎

そもそも本当にデザインを学んできたのでしょうか?疑わしくなってきました…。

皆様が5年後忘れていても、私は「佐野研二郎」という、愚劣な「デザイナー」という肩書きをした「搾取者」の名前永遠に忘れません。

今は、「炎上」し、「祭り」状態かもしれません。

しかし、私は、もっともっと持続的に追求していかなければならない問題だと思います

この多くの批判が消え、静寂になり、命を吹き返した頃に、

また愚劣な身内自慢とともに、高らかな搾取とクソデザインオンパレードが、そっと始まる(reborn)ように思います

絶対に許してはなりません。本当に。

2015-09-02

多摩美生だけど

ついったータイムライン多摩美現役生・卒業した若手のつぶやきがいくつも流れている。

必要に叩かれている部分についてや、佐野デザイン好きという意見はわかるし

お高くとまったような意見を発信している人はいない。

でも、同胞ながら妙に違和感がある。

なぜこんなにも、業界の腐った部分については避けるのだろう。特にデザイン科の人々。

目を向けて考えていかなきゃいけないと思うのだけれど、日本クリエイティブ業界

理解ない一般人に潰された、そんなつぶやきばかり。

むずむずするな〜。

2015-09-01

多摩美武蔵美卒業生は全員詐欺師と思え

デザインなんてよくわからないフワッとしたもんで金をふんだくろうなんてとんだ詐欺師共だよね。

確かに佐野研二郎氏はうかつで脇が甘すぎてどうかと思うんだが、

突っ込む方も「パクリに見える画像があればOK!」っていう「コピペ作品一丁上がり」という人を責めているとは思えない安直さが気になる。
多摩美ポスター元ネタとされるブログの犬の影絵の手の写真とか、アレがブログ主自撮り画像だってはっきり確認が取れる前からパクリ呼ばわりするのはどうなのかね(件のブログ、他の記事見る限り、昔のテキストサイトっぽい結構あちこちから画像持ってくるスタイルみたいだから、別の出所がある可能性がある)。

ミイラ取りがミイラというか「みーんな上杉隆になーれ!」って魔法でもかかってるんじゃないか?

2015-08-22

デザイナーっつってもさ、多摩美とか武蔵美とか偏差値40程度の大学でてるやつらの作品なんてたかが知れてる

佐野研二郎の騒動みててそういうことを思ったよね

やっぱ頭の良しあしってデザイン重要だよなってね

本来デザインお絵かきのうまさじゃ超えられないものなのに

お絵かきうまいからってどや顔デザイナー名乗ってるけどさ

東大に字がうまいから入学できるようなもんだよね

情デ卒の視点>"多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと"

多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと』という記事に対する考えを述べようと思います

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

エンブレム正当性についてー

・"最初自分があのエンブレムをみたとき直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムをは一線を化すような新しいデザイン

新しい東京イメージを担ってくれるような力強いものに感じました。"

・"現状では異端であるもののそれがこれからベーシックになっていくはず"

多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと』の筆者は上記の様な内容を、エンブレム批判されるべきではない理由としてあげていますしかし、どれも論理的ではなく、感情論しかありません。

デザインとはある程度の理論存在し、その上にビジュアルの様な表層に見えるかたちを構成するものです(私が学んだことが正しければ)。"直感的"、"シック"、"新しい"、"東京イメージ"といった感覚的な部分を持ち出し、それを理由として扱うのには無理があると考えます

私個人の見解エンブレム評価に価する点を述べるのであれば、ロゴが”展開する”という部分でしょう。文字への展開、ピクトグラムへの展開、映像への展開など、様々なメディアへの仕組みこそがこのエンブレム本質だと思うのです。これらの展開する仕組みの齎す価値は不動のものだと考えます佐野さんの会見でのプレゼンテーションに寄っては、印象が大きく変動したように思えるし、ビジュアルの印象が良くない点が今回多く取り上げられていると思いますが、それはモチーフ曖昧であること、形に込められている意味が表層に現れていないことなどが原因ではないかと推察しています。著名なデザイナーの方や、デザインを学んでいる学生などがこのロゴ批判しないのは、単なる擁護ではなく、ロゴの仕組みを推察し価値見出しての意見だと考えておりますが、もちろん一般にその仕組みをプレゼンテーションすることや、ビジュアルに仕組みを表すこともデザイナー仕事であると思っております。その点は佐野さんの今回の会見は残念で致し方ありません。

筆者はデザイン感覚のみで捉えているような意見しか述べていなかったので、理屈的な部分を理解していないのだと考えています。表層的な部分を見て判断するのであればデザインを学んでいる学生としての視点にすら及ばないと思われます

情報デザイン学科が失敗であるという意見

現在確認したところ記載内容を削除されておりましたが、"情報デザイン学科は、先端技術を用いて新しい可能性を模索することに力を注いできたが、”ただ新しいことをする”学科に陥っている。卒業制作展を見に行ったが、アニメーションクオリティーは低いし、キネクト使ってることがすごいというアピールをしているかの様で気持ち悪かった"

というのが大まかな筆者の内容です。

筆者は、”なにかから影響を受け、文脈形成されていくことを「パクリ」の一言否定しないでください。”とも仰っています

情報デザイン学科卒業制作展に赴き、感覚的に得た情報クオリティーが低い、気持ち悪い)を持ち出し学科自体批判していることは、ロゴパクリだと批判している意見と違いはないように思えるのです。

根本的に考れば、"学科が失敗"することの定義曖昧であり、失敗ではない例とはどのような存在かを述べていませんし、統合デザイン学科の"ベーシック"を学ぶこと()成功したという実績が存在するのでしょうか?対として情デが"新しいことをするだけの学科であるとすれば、統合は"ベーシックしかしない"ということになりますし、発言軽率であることは確実です(削除されたので自覚したとして捉えていますが)。この意見ロゴ批判と違うと思うのであれば、もう少し理屈で語っていただきたいと考えました。

最後

デザイン感覚がすべてではありません。機能意図的に含めた様々なアウトプットデザインです。それを学んだのが情報デザイン学科でした。

今回取り上げさせて頂いた記事があまりにも破綻しているように思えたので、書かせていただいた次第です。

長々と書きたくなかったのですが、文才のない私にはこれが限度でした....。

乱文ではありますが以上が私個人的意見です。ありがとうございました。

追記

とのことでしたが、情報源はどちらですか?これもまたネット批判の悪い点と同じで、情報源を明示することや自身理屈の元で意見として述べるのであれば良いと思いますが、それが事実かどうか、何故そう思うのか、という所を明確に述べないまま批評するのは、"なんとなくロゴがかっこ悪い"、"多分パクリ"、と言う方々となんら変わりはないと考えています誤情報錯綜するのがインターネットですが、発言する際に少しの考えを載せるだけでも変わるのではないでしょうか。

人が製作した作品に対して、展示を見に行っただけで"クオリティが低い"と述べる方は、本当にその作品クオリティーを見ているとお思いでしょうか。文脈によって形成されるロゴ否定しないで欲しいと本人が述べているにも関わらず、文脈の見えない視点から人の成果物批判をしていては矛盾が生じます。それがデザインを学んでいる方のするべきことでしょうか。ちなみに私は、クオリティ感覚であると述べている訳ではなく、引用元の筆者の述べている内容は感覚的に捉えたクオリティだけであると述べているのです。背景などを読み取らずに捉えたものが"クオリティ"であるかすら疑問ですが、私自身は文脈を含めてのクオリティである認識しています

2015-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

なるほど 多摩美生は遊んでるんだね。こんな長い文章かいたうえ全く伝わらない。要点ぐちゃぐちゃ。

デザインなんて最も要点が何かを絞っていく作業なのに。

まず最初多摩美デザイン科で何教えているとか完全に駄作だよね。

長々とウンコみたいな文章擁護して

もうデザイン業界ってホント虚業なんだな。

多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと

佐野研二郎盗作疑惑について(学生個人の意見です/2015年8月23日時点)。

彼はご存知の通り多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業し、現在アートディレクターをやりながら多摩美術大学統合デザイン学科の教授も務めています

実際には、まだこの学科自体設立から2年目で、佐野教授自身講義を行うことは今までにほとんどありませんでした(というか、私はまだ彼の講義を一回しか受けていません)

統合デザイン学

統合デザイン学科は、多摩美の本キャンパスとは別の上野毛キャンパス世田谷区)にあります

学科長はプロダクトデザイナー深澤直人教授で、そのほかに、ウェブデザイナーインターフェイスデザイナー中村勇吾教授HAKUHODO DESIGNの永井一史教授、そしてアートディレクター佐野研二郎教授の4人と統合デザイン学専任講師先生構成されています

現状、学校によくいらっしゃるのは深澤直人教授統合デザイン論)と中村勇吾教授メディア技術概論)で、あとのお二人は統合デザイン論に前期で一度講義をしたぐらいです。3,4年から講義が「プロジェクト」という形態に変わり、そこで教授別にクラスが再度編成され、たぶんそこからお二人もがっつり学校にいらっしゃるようになるはず。

世間的に言えば「つぶしのきく」学科だと思われがちなのですが、実際には「デザインベーシック」つまりデザインの基礎を最初の2年間で徹底的に教わり、そのベースを生かして次の2年間で社会的ローンチできるプロジェクトデザインを学んでいきます。具体的には現在グラフィックプロダクト・インターフェイス描写などの必修と、そのほか選択を受けています教授の顔ぶれをみてわかる通り、細分化されたデザインあらためて"統合"することで、「これからデザイン」に特化した人材を育成する学科です。現在デザインのものが非常に広い意味をもつようになり、そんな時代において「グラフィック」や「プロダクト」などに特化しているだけでなく広い知識と経験を持った人材必要とされています一見デザインとは直接関係のないようなこと(たとえば佐々木正人さんによる『アフォーダンス』の講義)や、表面的なグラフィックの造形技法からCADを利用した立体物、Webやメディアアート作品などに応用されるプログラミングなどいろいろな技術を学ぶことと同時に、それに付随する感覚みたいなもの学習しているように感じます。実際、そういった感覚みたいなぼわっとしたもの現場で役立つこともあり、領域の垣根を越えることでみえてくることや繋がることもたくさんあります

武蔵美の基礎デザインとどう違うのか、と聞かれることがあるのですが、基礎デとは根本的に近いはずです。学科長は原研哉さんで、そもそも深澤教授は基礎デザイン学科の教授だった)

(とにかくやることが多いので、課題の量は半端ないです。たまに自分がなにやってるのかわからなくなります。あと先生たちもまだどのくらいの量の課題を出したら学生達の生存に関わるのかをよくわかってないっぽい。勘弁して欲しい。)

先ほども言った通り、まだ学科が生まれから2年しか経っていないので、3,4年を経験した学生はいませんし、卒業生もいません。だから就職先のデータもなく、倍率はそこまで高くないのですが、統合デザイン学科特有のコンセプトに魅力を感じて、たとえば多摩グラ受かったのに蹴ってこっちに入学したり、試験内容が東京藝大のデザイン学科に似ているところがあるので(平面構成)そこを目指す人たちが受けたりすることもあるみたいです。

〜〜

ざっと学科についてはこんな感じです。詳しくは学科サイトをみたり、各教授のNHKプロフェッショナルとか本をみたりしてみてください。デザインに興味のない人でも、おもしろいと感じる点はきっとあると思います

さて、たぶんこれを読んでるみなさんが一番興味があるのは佐野研二郎さんについてだと思うので彼の話題に。

オリンピックエンブレムについて

 関係ない話ですがエンブレム発表の前日に佐野教授現場の手伝いに行った視デの友人曰く、めちゃくちゃ笑顔だったようです。彼自身亀倉雄策さんのオリンピックエンブレムがかなり好きで、それを(いい意味で)引用して新しいエンブレムを作り出し、それが選考で選ばれたんだから、嬉しくない理由がわかりません。

 最初自分があのエンブレムをみたとき直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムとは一線を画すような新しいデザイン、新しい東京イメージを担ってくれるような力強いものに感じました。そしてそれと同時に、あ、きっとこれ佐野さんのデザインだ!と思いました。たぶんそう思った要因の一つに、中央の「黒」の棒の部分があります。完全な黒ではありませんが、こういったエンブレムで無彩色の黒を使うのは一般的にはわりと暴力的結構批判もきそうだなと思ったのですが、そもそも佐野教授自身黒色を多く用いることで有名なので納得がいきます。たとえば、「統合デザイン学科」のロゴやその周辺のデザインはすべて白と黒形成され、学科の、現状では異端であるもののそれがこれからベーシックになっていくはず、という考えや、力強い勢いを感じられ、学科学生の多くはこのデザインを気に入っています。他にも東京国際映画祭ロゴをはじめ黒を多用したものは多く、今回のエンブレムに関して喪章だなんだと言われていますが、まあそういうネガティブイメージで彼がデザインしたということはないかと思います

 造形的にベルギーデザイナーエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。というか、そもそもロゴの本とかをみると似ているもので種類分けされているぐらいです。造形的に似ているからといって、そのなかにあるコンセプトは異なります。造形的な点のみで「パクリ」だと決めつけてしまうのは、あまりにも強引なのではないでしょうか。今回のエンブレムは、エンブレムとしてのオリジナリティよりもその拡張性や普遍性を追求した、シンプルで力強いものだと感じています

 さらに、ベルギーデザイナーはそのロゴ商標登録していないとのことです。となると、エンブレム側にまったく問題がないと言っても大丈夫なのではないでしょうか。

 記者会見佐野教授感情的だったという話がありますが、もともと彼は自分自身でも「おれはキレキャラだ」とおっしゃっていたり、講義中に実際にキレてくれたりするので、まあ無理はないかなと思います。余談ですが彼は最近藤子・F・不二雄関係仕事が多く(映画TOYOTA広告成功から)、ドラえもんミュージアムにあるレストラン新聞広告用の写真を撮りに行った際「ジャイ子の“ハット”シュッドビーフ」がもう販売中止ということを聞いて、レストランの方に無理を言ってその場で作ってもらい、その写真新聞広告に載せメニューを復活させたという逸話があります。好きなものに対してのオシは誰よりも強く、普段から感情的にはなりやすいような人なのだと思いますhttp://fujiko-museum.com/blog/?p=18605/

 このエンブレムに唯一問題があるとすれば、なんとなく「高揚感」が感じられないところです。ただ、それは佐野教授問題があるのではなく、それはこのデザインをたくさんの候補の中から選んだ選考委員問題があるのです。他に、もっとオリンピックらしさ」があって、高揚感の感じられるデザイン案なんていくらでもあったはずです。

 その選考一般的選考会の方式をとっているのであれば、いまいわれている佐野さんのデザインから特別に選んだということ憶測もありえないのではないでしょうか。基本的選考名前を伏せるはずだし、原研哉さんや葛西薫さんをはじめ他にも応募した有名デザイナーはたくさんいらっしゃいます(応募基準も厳しい http://www.fashionsnap.com/news/2014-09-19/olympic-tokyo-emblem/)。

トートバックについて

 これについては、一人のデザイナーとしても、いち仕事人としてもありえない行為だと私は思います。まったく擁護できません。佐野教授下の人がやったとしても、「佐野研二郎デザイン」と書いてしまたからにはそれなりに彼にも大きな責任が生じるし、そもそも画像からまるごとトレース(というよりコピペ)するのはまさに「パクリ」で間違いないと思います。いかに制作環境が劣悪だったかがわかります一般的デザイナーであれば、なにかをトレースする際、そういう素材の揃ったサイトに月額とかでお金を払って利用したりしていることがほとんどかと。こんなやっつけ仕事お金がもらえるなんて、純粋に「いいなー」と思いました。バレてよかったですね(今後のMR_DESIGNのためにも)。

デザイン業界は"腐っている"?

 ネット上では佐野教授周辺の関係図みたいなもの話題となっています審査委員が同じだとか、広告代理店が牛耳っているだとか、いろんな話があります。つまりデザイン業界は身内のなかで行われているということです。残念ながら、それは確かにあると思います業界内で評価するシステムというのは確かにあるし、長嶋りかこは彼の直属の後輩です。

 自分の話になりますが、私は実はまったくデザイナーになりたいと思っていませんでした。多摩美の、統合デザインに入りたいと思ったのは、まさにそのコンセプトに魅力を感じたからです。深澤教授のおっしゃっていた「いいものを触った時、『これがほしかったんだよね』と人は言う。本当に欲しい物のかたちは、すでに決まっている。」この言葉が、デザインのみならず広い意味で今後の「デザイン」に応用できると思ったのです。だからいまでもグラフィックプロダクトをやりつつもそれが最終地点ではなく、デザインという思想や考え方をあらゆる事柄に応用していきたいと考えています。そういうことを学ぶには、ぴったりな学科です。そして受験勉強をするために、予備校に通い始めました。そこの授業ではあらゆる有名デザイナー作品が取りあえげられるのですが、その中にはどうしても理解できないものもありとても悩んだこともありました。もしかしたら、そういったものなかに現在問題視されているような業界評価システムの土壌でうまれものもあるのかもしれません。

 一般人に受け入れられにくいデザインは、果たして優れたデザインと言えるのでしょうか。なにをもって、ただのデザインは優れたデザインになりうるのでしょうか。その答えはまだ私にはわかりません。

そのほかのデザインについて

 いま、どんどん新しい「パクリ疑惑」のデザインネットユーザーによって見つけられてきていますが、デザインの歴史が深くなり文脈形成されていくと、そこには明らかな引用模倣も増えていきます。それはどんな文化でも同じで、音楽なんかもそうです。デザインスタイルであり、継承されていくものなのです。だから、造形的な面でなんでもかんでも「パクリ」と決めつけられてしまうと、デザインの歴史が続いていくことそれ自体否定することと同じになってしまます。なにかから影響を受け、文脈形成されていくことを「パクリ」の一言否定しないでください。

 今回の件で佐野教授問題があったことも明確になりましたが、一方で、彼の講義を受けていたからかもしれませんが、とてもじゃないけどオリンピックエンブレムにおいて彼は雑な仕事をするとは思えません。

亀倉雄策仕事で一番好きなのは1964年東京オリンピックエンブレムだ。シンプルで力強く、唯一無二のデザイン。いつの日かこのようなシンプル骨太仕事がしてみてみたい、と思うようになった。ニッポンを、世界を、あっといわせる仕事。一生に一度でいいからそういうデザインをしてみたい。シンプルであること。明快であること。太くあること。Simple. Clear. Bold. ある日から僕のデザインの指針となった。デザインとはなんだ。デザインにはなにができる。そういう自問自答を繰り返した。(中略)目の前の画面は世界に確実につながっている。デザインシンプルで深い。考え、それを超えるべく手を動かし、また考え、また手を動かす。邪念はいらない。デザイン思想だ。簡単に。深く。明快に。太く。でも簡単に。ストレスはある。でもいつも朗らかである。そういうデザイナーでありたい。デザインの道はまだまだ続くのだ。負けない。僕には亀がついている。亀はゆっくり、確実にやってくる。

佐野研二郎

 エンブレム問題トートバックの問題根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。

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(追記1) より主観的意見です

エンブレムについて、おそらく審査員も彼の作品だと見ただけで分かる人もいたかと。黒を使用したこと、そしてあのTOKYO 2020のフォント。あれは東京国際映画祭ロゴでもおそらく使用していましたし、彼のデザインだと一目でわかる点でもあります。正直、あのフォント幾何学図形を用いたあのデザインにとって最も理想的フォントであったとは思いません。

学生じゃないだろみたいな意見をみて「いや学生ですけど・・・」と匿名なりに思ったりしたしそれを証明できないのもなかなか悔しいのですが、多摩美術大学統合デザイン学科の学生です。「業界の端っこにいるみたいな気分になってる時点でこの界隈の闇を感じた」美大って、セミプロみたいな人が集まるんだと思います。それは、一般大学とは別の特殊試験内容が課せられるからで、それをクリアするために誰しもある程度のレベルの状態で入学してきます。そういった意味で、業界の端っこみたいな感覚私自身拭えない点です。生意気だと思われてしまったら、申し訳ないですが・・・

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(追記2)

ベルギー側が商標登録していないためエンブレム盗用疑惑について私は「まったく」問題がないと書きました。著作権がある、ということだけでエンブレムとの類似性を訴えられるのであれば、本当にどんなデザインでも訴えられてしまます商標というシステムは、そういう意味でも機能している。ただ、自分自身勉強不足でもあるのでもっと調べてみますhttp://ipfbiz.com/archives/olympiclogo.html たださっき調べたら、東京オリンピックエンブレムもまだ商標登録が済んでいないとのことで・・・w

佐野教授への評価は、私自身、下がりました。学生とき評価とかなにを偉そうにと言われるかもしれませんが。こんな仕事をするひとにはなりたくないな、と純粋に思いました。トートバックのような小さな仕事でも、しっかりと制作しなければ、大きな仕事、つまりオリンピックエンブレムのような仕事ダメになるというか、結局ものをつくるとき姿勢ってそのひとの評価デザインにもちゃんと反映されるんですね。この一件はデザイナー関係者、それを学ぶ学生、もしくはいままでデザインの外部にいたとされていた人たちにとって、デザインとはなんなのか、パクリ模倣とはなんなのか、そういったことを知り考えるきっかけとしては良い機会になったと思うのです。だからこそ、そこで歪んだ考え方や間違った見解が社会に浸透していくことは、できるだけあってはならないことだと思います。なにが正しくて、なにが間違っているのかすらよくわからない時代ではありますが。

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(追記3)

多摩美情デに関する批判は完全に話題から脱線している内容であり、改めて読んでも全く的を得ていないものです。訂正しお詫びします。大変申し訳ありませんでした。

・ご指摘の通り「在日」や「売国」などに関しては一部のネットユーザー根拠のない事実拡散しているだけだと認識しています。この一件を複雑化させるだけだと感じたので訂正しました。

2015-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20150815055846

あの兄弟背乗り疑惑まで出てるしなぁ

大体、ただの都立高校出身高校3年の夏まで何もしてないのに、ちょろっと代々木通った程度でストレート多摩美に入ること事態普通じゃないよね。

今も対して変わらんかもしれんが、今の40前後多摩美大卒は3浪4浪当たり前だったはず。

受験した佐野研二郎入学した佐野研二郎は違うかもしれない。

知らないけど

2015-08-15

デザイナーをそこまでコケに出来る理由ってなんなの

エンブレムの件以来、いくらなんでもデザイナーデザイン業界バカにされすぎてて腹が立ってしょうがない。

普段デザインのデの時も興味のない、センスも何もない奴らがなんで上から目線で叩きを続けてるんだろう。

互助会とか言ってるけど、互助会に入るためのハードルがどんだけ高いと思ってんの?】

多摩美武蔵美を出てもほとんどはカスみたいなデザイン事務所就職してる奴らだらけで、

電博に入れるのなんてエリート中のエリートなの。その時点で「選ばれた人たち」なわけで

センスのかけらもない一般人のお前らが叩いていい相手じゃないの。

叩きたかったら同じ立場に立ってから叩けよ。

デザイナーのくせに互助会批判してる奴ってなんなのw】

どうせしょうもないデザイン専門学校とか出てるクソみたいなデザイナーなんだろうけど、

お前らのせいでデザイン全体のレベルが下がってるのでデザイナー面しないでもらえますか?w

お前らなんて建築家に対しての土建屋みたいなもんなんだからしゃしゃり出てくんな。

同じ立場に立ってから言え。

まさか普段デザイン展に行ってもいないくせに叩いてないよね?w】

あんだけ上から目線で叩いてるってことは、デザイン展とかもきちんと見に行っている

デザインに興味と教養がある人ってことでいいんだよね?

そういうのを見に行ってないくせに叩いてるやつは自分を恥じたほうがいいと思うけど。

なんか、こんなしょうもない国民相手にデザイン仕事してるのにうんざりしてきたわ。

毎度毎度一番しょうもないデザイン案を選ぶクライアントだらけだし。

2015-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20150814172406

デザインに限らず美術の賞(もしかしたら文学とか文化系全体?)ではコネは大きいと思う。とは言え、能力のない人間では賞は取れない。コンペで勝ち残った作品はやっぱり美術的に見たら素晴らしいよ。スポーツと違って数字では計れないから説明するのは難しいけど。

素人には分からない」って言われると腹たつかもしれないけど、何十年も自分の目でAB判定してたら流石に見る目は出来る。自分武蔵美多摩美でもないし電博でもないデザイナーだけど、コンペで勝つ作品はやっぱり素晴らしいと思うよ。

デザイナーの身内褒め

現役美大生です。

いろんなまとめサイトやそのブコメなどで「多摩美ムサビは同じ出身校同士の結びつきが強い」「電博(電通博報堂)とのつながり」というコメントがちらほら見受けられました。それを一言で「身内褒め」でピシャリと言い切ったものもありました。

今まで僕はギャラリーでサノケン佐藤可◯和、森本千◯、長◯りかこなど、美大生の間では名の知れたデザイナー作品を数多く見てきました。その作品を見るとたまに、またか…と思ってしま自分がいました。まだデザイン仕事に深く携わっていませんのではっきりと言い切ることはできませんが、色々な人達が指摘した通り、身内褒めは存在すると思いました。

まず電博エリート派閥にいるのはほとんど芸大ムサタマです。そして電博就職したいと思っても面接を受けられるのは学校が決めた成績上位者の極一部だけです。ゾシビやゾーケーが電博にいないわけではないと思いますが、芸大ムサタマ以外でドカンと売れるデザイナー(野田凪、吉◯ユニなど)は電博出身ではなく、電博出身独立したデザイナー事務所所属したのちフリーになるという流れです。だから電博芸大ムサタマの結び付きが強いと言われるのです。

またエンブレムの件で言えば、前作の亀倉雄策デザインが圧倒的というのもありますが、美大芸大専門学校とかの美術的な素養がある人達の間だけでウケるグラフィックってやはり存在します。ではなぜ芸大や五美大にいる人達が見たものが良いとされるのか。一目エンブレムロゴなどを見て「ここが良い、ここにメッセージが含まれてる、ここが足りない」といった、デザインに隠された欠点メッセージを読み解く訓練をしているからです。「デザインが分かる人」のイメージは概ねこれだと思います美大生の間でもそれは同じです。

しかしこの目が肥えていくうちに、美術素養がない人の作品見方に大きく差が開いてきます。これが身内褒めを促進させるのではないかと思っています

デザイナーや専門の批評家同士、ワカッテル人達に絶賛されたりお墨付きも貰えたりする。この身内褒めがあってこそデザイナー自身にとって簡単には揺るがない評価を手にすることができますデザインに詳しい人が良いと評価すればデザイナーとしての評価に直結するでしょう。これは絵画でも同じです。(他にそういう例えができるものがあるかどうか探してみてください)こうしてデザイナーキャリアは作られます

今回みたいにとことん目立つところで、美術素養がない人達に発表するということがそもそも少ないのです。一般人にはどうせ分からないだろうけど、凄く良いんだよこのデザイン、と褒める人達美術が分かる人達、つまり身内に限られてきます。わかる人が分かればいい!という独り善がりのデザインに向きやすいのです。

美術素養がある人達でも、良いと言われているものが何故良いとされているのかを見抜けない、また理解できないことは多々あります。例えば大◯卓也がデザインしたHungry?というキャッチコピーとゾウを使ったカップヌードルCMはとにかく業界内で絶賛されていますが、僕にはよく分かりませんでした。更に見抜く力が少ない一般人が「見る側」として圧倒的な人口を誇る中で、素養ある人達けが分かる世界を見せてこれが優れたものですって言われてもねって感じかと思います

もちろん十人十色で感じ方は違います。だけど美術素養があって各々評価基準見方を分かってる人にはいデザインだと見抜けても、まったくそういう知識もなしに初めて見たときには物足りなく見えたりするデザインはどうしたらいいのか。考えているデザイナーはいるでしょうか。コンペで選ぶのはみんな素養のあるサラブレッド達だから尚更です。

2015-08-09

東京芸大にしても所詮偏差値55前後で俺よりバカなんだよな~ってふと思う

ここ最近デザイナーやらかしをいろいろと思うんだけどさ

佐藤可士和とか佐野研二郎とかの問題ですよ

どや顔デザイナーですってかんじ出してるけどさ

このひとら多摩美とか武蔵美とかじゃん?

偏差値低いよね

いや実技があるのはわかるよ

でもデザインって結局頭でやるもんでさ、実技試験にしたってデッサンでしょ?

デザイン論ってむしろデッサンよりも歴史とかのほうが重要じゃない?って思うんです

とくにグラフィックデザインとかなんてそういう感じするんだけど

オリンピックの○とか■とかデッサンやったかいあるのかね

デッサン至上主義とかでもあるのかね

ここ最近佐藤可士和とか佐野研二郎みたいなのがやらかしてるのみてるとさ

ああ、やっぱ頭悪いもんな~って思っちゃうんだよね

2015-05-10

暗黙の線引き

今週の弱虫ペダルを見た。ネタバレになるから詳しくは控えるけど、「1位以外は意味がない」という言葉が心に残った。

オリンピック世界大会だったら、普通の人なら銀メダルでさえ超人的なすごさだと思うだろう。

対して、その二位になった人は表彰台では笑顔を振りまいているが、悔しさで一杯のはずだ。

この一般人選手認識の差はなんだろうか。もちろん、理想の差なんだけど。

時たま、何かに突出してるようなすごい人に出会うけど、

そういう人ってある分野に対してものすごく理想が高いんだと思う。

もはや野望だ。貪欲に知識を吸収するし、もちろん努力もしてる。

そして、俺は意図的にその状態に持っていけるのではないかと考えてる。

その手段としては、理想の高い人に近づくことやその環境に身を置くことだ。

そこにしばらく身を置けば、大分成長するのではないか。

これはよく認識されている事項だとおもうけど、ちょっと説明する。

高校生でクソバカ共に囲まれれば、美容師などの大学で学べない分野を除いて、

専門学校が当たり前だろという感じになる。

例えば、絵が描きたいから専門学校に行こう、という。

これには美大に行けるほど頭は良くなくて、そんなくらいのバカでも通えるから、という消極的な前提が含まれている。

それで進学したその専門学校には同じような考えの奴らがいるから、さらにそんな価値観に侵されていく。

逆に藝大や武蔵美多摩美以外ありえないという環境に囲まれれば努力する下地が整って行くのではないだろうか。

ほかにも、非進学校なら専門学校fラン以外ありえない、

似非進学校だったら日東駒専未満はありえない、

ぼちぼち進学校だったらマーチ駅弁未満はありえない、

進学校なら旧帝大未満は人にあらず…などの「暗黙の線引き」がある。

本人がマーチも行きたいけど日東駒専でもいいやと思っているのなら、

それは日東駒専未満はありえないという線引きをしている。

からそいつはほぼ確実に日東駒専以下の大学に行くハメになる。

それは自分で納得できる暗黙の線引きに従ったから。

この、「⚪︎⚪︎未満(以外)はありえない」みたいな価値観内面化するのって成長の点において物凄く重要だと思う。

仮に超進学校から旧帝大以上に行けなくてクラスメイトからまれたとしても、

それをバネにして在学中に会計士などの超大型資格を取る人もいる。

そのようなものしか満たされないからだ。だけど、辛酸を舐めた分努力はできた。

から、⚪︎⚪︎上手くなりてえなあってのがあったら、その分野のガチ勢コミュニティに入って揉まれていくのが重要なんではないか。

英語ぺらぺーらになりてえ…と思ったら、ガチ勢サークルに揉まれにいく。

仮にTOEIC700しかなかったらもちろん蔑まれる。

英検一級、TOEIC900すら取れんとかありえないという価値観内面化する。それがバネになる。

よく自己啓発本ミッションステートメントとか願望を書こう、とかがあるが、

この暗黙の線引きを引き上げることの方が重要なんじゃないだろうか。

もちろんミッションステートメント否定するわけではないけど。

「思いのタネを撒き…」ってくだりが有名だけど、

この暗黙の線引きそこが思いのタネの正体なんだと思う。

暗黙の線引きと自分の現状を比べて、その線引きに満たなかったら、動く。

線引きのレベルと現状が同じなら、習慣にもならんし、努力もしないじゃんということ。

だって⚪︎⚪︎未満は自分にとってあり得ないんだし。⚪︎⚪︎を満たしているならもう動かないじゃん。

しか留意することが二点ある。

一つは単にファッションとしてその分野を触りたいと思うのであれば、

意識高い奴じゃなくて、「今日ベンチャー系のセミナーに出た。いい刺激になった」などと

Facebookでほざくただの意識高い系に成り下がるということ。

もう一つは、これは「自分の」成長の為に使うのであって、

他人を」見下すためにあるのではないということ。

あなたが持っている暗黙の線引きはどこにありますか。

2009-07-14

twittrでフォロワーを増やすために気にすべき9つの要素まとめ

タイトルは一部旧字体表記

1.リアルにおける地位・肩書き・知名度

2.サイバースペース((観測範囲内の))における地位・知名度

3.直近1~20post

4.アイコン

5.ふぁぼったー

6.年齢・性別

7.趣味

8.フォローしている人

9.following/followedの比率(通称f/f比)

1.リアルにおける地位・肩書き・知名度

学閥

東大京大早稲田慶応多摩美筑波以外の学歴は晒す必要が無い。

勘違いしないで欲しい。これは何も「低学歴twitterするな」と言ってるわけじゃない。

これらGig6以外の大学出身者が属せるクラスタがほとんど存在しないだけだ。

現役大学生なら「○○(地域名)の大学に通ってます」としておくだけで十分なのだ。

職業

学生無職ニート問わずどんどん晒すべき。もちろん、一番強いのはIT系!

地位

好みによる。一部下心ある人を狙って「社長」と名乗るのもいいが、

それでも釣れるのはやっぱり絶対数の多いIT系だけだろう。

リアルでの知名度

(特定の方面で)高ければ高いほどロケットスタートを決められる。その加速度たるや、ピーチ姫もびっくりだ。

しかし、ネイティブtwitter-erからはしばらくの間「お客様」扱いされる諸刃の剣でもある。

2.サイバ(ry

ブロガーとして

貴様がすでに「アルファブロガー」として巷間から好感を得ていれば、またたくまにtwitterで広く交歓を持てるだろう。

ただし、常に読者からpostにブログ並みとまではいかなくてもある程度のクオリティーは求められるし、何よりブログ更新がおろそかになる危険がある。世の中一寸先は闇なので、ブログフィード配信にとどめておいたほうが無難かもしれない。

一介の無名ネットワーカーとして

twitterはそんな貴様を応援します。

3.最近のpost内容

日記

@ばっかりなのは良いとしても((むしろ社交性・積極性の高さがプラスに評価されるかもしれない))、その内容が「おはよう」やら「おかえり」だけなのは拙い。「何食った」とか「どこいる」とかも同様。せめて5postあたり1回くらいは70文字以上の文章をひねりだす努力をしよう。

「でも他に書くことがないよ!」とおっしゃる貴様。その「何食った」とか「どこいる」にちょっとプラスするだけでいいんです。理由を、予定を、因縁を、歴史を、感想を、原因を、結果を、情景描写を、心象描写を、ダジャレを、自身の哲学を。

「何かおもしろいことを書こう」と努力すれば少なくとも評価してくれる人は出てくるはずだ。

TLに反応系・ネタ師系

さぁ、血反吐がでるまでネタを吐き出しつづけようか。貴様の場合、話はそれからだ。

4.アイコン

ポートレイト

若くて麗しい女の子写真一択。貴様が男でも、だ。

動物

もちろん可愛ければ可愛いほどよい。ただし、あくまで基本は犬猫だ。

同種の動物アイコンにしている者同士は妙な連帯感が生まれるので絡みネタが生まれやすい。

また、実際にペットを飼っているならその行動を逐一描写しているだけでもふぁぼがザックザク

実は脳内だろうが虐待してようが、貴様は大勝利だ。

アニメマンガ

なるべくなら有名どころから画像を拝借しよう。それと時勢を読もう。

たとえ好みでなくても今話題になってるアニメキャラを使おう。

上記以外を選択

するということは、つまり、貴様アイコンによる好感度アップ策を捨てた、ということだ。

他でがんばればいい? 甘い。貴様twitter the killing fieldを甘く見すぎている!

ブーム

乗るっきゃない。

6.年齢・性別

もちろん若ければ若いほどいい。自分容姿に自身がなければアイコンアニメマンガ美少女キャラを据えよう。そうすればバカな男どもは勝手妄想を膨らませてくれる。ネットの利点を最大限に利用するのだ。

男の場合はそこまで顕著に年齢が影響することはない。

高校生以下だと稀に「ガキuzeeeee」みたいな理不尽物言いをつけられることがある程度。

7.趣味

どの分野でもいい。とにかく最大公約数を狙え。

ただし「小説が好きです」とか「サッカーが好きです」みたいな曖昧プロフはだめだ。

ハルキストです」「シオカニスタです」となるべく細かく書こう。

iPhoneは持ってるだけでfollowerが増える魔法ガジェット

8.following

twitter廃人クラスタ判定によく「最近のfollowing状況」を覗くらしい。

なるべくなら仲がよさげな人つながりでフォローしていくことを心がけよう。

9.f/f比

一番重要。これに比べたら他の項目はすべてカス

値が1未満→貴様カス

値が1.0~1.3→十分ではない

値が1.4~1.7→一番の食べごろ。

値が1.8~2.0→逆にちょっと遠慮してくる人が出てくる

値が4.0以上 →なにそれこわい

following千人以上だと不利?

人はf/f値をほとんど本能的、直感的に弾き出す。

理系という名の数学音痴文系という名の数学白痴が多いtwitter界隈だとf/f比を弾き出すのに扱う数字があまりに大きくなりすぎると機能不全を起こした上に「なんだかわからんがこいつ気持ち悪いのでフォローしてやんない」という結論に達してしまうことが多い。

本来ならfollowingが200前後にしぼるのが理想だ。が、それだと1000follower達成時にf/f比が5.0前後という貴様の今後の更なる発展にとって、あまりよろしくない数値を示してしまう。というか、それ以前に800超えたあたりから敬遠する人がでまくって1000超えを達成しにくい。そう考えるとfollowingは400~500あたりに絞るのが現実的だろう。

2009-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20090114111031

俺は武蔵美なり多摩美なりで妥協しちゃうような奴が多いイメージなんだよな

絵ならどこでも書けるっていう

音楽系だとわからんけど。有名な音大ってどこだ?

日大芸術学部、とくに映画学科なんかは山ほど浪人してでも入りたい奴がいるらしいけどなあー

大学に何期待してんだか

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