はてなキーワード: 魔法とは
1年以上前に増田に投稿されたネタだけど、だれも動画にしてくれないので、自分でやってみたよ
翻訳版
さっきこんなの読んだ。
これはすごい!人生がときめく「チェックリスト」7つの魔法!! | No Second Life
http://www.ttcbn.net/no_second_life/archives/20174
だってこの人わざわざdomo ToDo+で持ち物リストを作って、
お出掛け前にわざわざiPhone引っ張り出して確認してるらしい。
見るの忘れてわざわざ駅でリップをかったこともあるとか。
どこのどなたかさっぱり知らんのだけど、
普段持って歩くものくらいスッと思い出せないもんかね。
昔の人は出かける前に「鳩が豆食ってパッ!」ってやってたよね。
ハンカチ、時計、がま口、万年筆、眼鏡、櫛(?)、手帳、パッ!
だったよね(最後のパッ!て何ですか?)。
うちの父ちゃんもよくやってたなぁ。
たぶんこうやって持ち物確認してる人って結構いると思うんだよね。
すげー洒落たやつとか、すげーイケてるやつとか、すげーシュールなやつとか。
そういうの知ってる人は #hatomame つけてつぶやいて欲しいっす。
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。
日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。
アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。
YouTube ではきらびやかなトレーラームービーを見ることができ、
一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。
Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。
村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。
これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。
彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、
毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである。
といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。
村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。
「基本的には同じなんだ」と彼は言う。
「少年が少女に出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」
筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙で人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。
青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。
そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。
チェコスロバキアの作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。
「渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。
運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。
高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。
本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。
青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。
「見かけにだまされないように」と彼は言う。
降りていけば、彼女にとっての世界は根底から変わってしまうかもしれない、と。
そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女が遅刻した約束というのは暗殺の約束であったことが明らかになる)。
そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。
彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。
この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然的ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、
私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。
この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。
一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。
その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説『1Q84』であるように思われる。
怒り、暴力、惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、
偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、
ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。
驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。
そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいつものようにそれを受け流し、
自分の想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。
「リトル・ピープルは突然やってきた」という。
僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事」
明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、
覚えていられたことはない、という。
目覚めたときには消えている、と。
ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹の小説のような繰り返す悪夢だったという。
その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。
食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。
2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。
運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。
私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。
カーステレオではブルース・スプリングスティーンがカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。
車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。
実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである。
「彼女は用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。
「だから多分このあたりのはずだ」
と言ってこちらを向いて念を押すように
「それは現実じゃないけれど」
と付け加えた。
それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。
キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。
村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、
「それは現実じゃないけれど」と言った。
日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上の東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。
村上の東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。
客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓にもっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。
また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトンの2001年のアルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入りの東京ジョギングルートをゆっくりと走った。
私のホテルは新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要な役割を果たす、交通機関のハブ的な場所だ。
登場人物たちが好んで使う集合場所、中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。
そしてフレンチトーストとタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。
そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。
実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、
登場人物が聞いた音楽のプレイリストをオンラインでまとめている読者もいる。
村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社が西日本への『海辺のカフカ』旅行を企画したこと、
ポーランドの翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行のガイドブックを編集していることを教えてくれた。
村上は読者から彼が生み出したものを現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。
たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。
ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。
『1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字の家族から、村上は便りを受け取ったという。
ここでの要点と言えるのは、現実に漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、
村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。
作家活動の初期には、「日本人という呪い」から逃れようとしているとさえ語った。
その代わり、十代の若者として、西洋の小説家の作品を貪ることによって、文学の感受性を培った。
その中にはヨーロッパの古典(ドストエフスキー、スタンダール、ディケンズ)もあったが、
彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀のアメリカのある種の作家たち、
レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルド、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガットなどだ。
処女作に取りかかったとき、村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。
そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。
http://blog.esuteru.com/archives/5722252.html
これで収まるならそもそも問題になどなってない。
何一つ信頼などないのだから。むしろ無限に負債が溜まっている。
それを持ちこたえられる要素はどこにもない。潔く消えるべきだろう。
今まで十分稼いだじゃないですか?企業舎弟として。
でも、所詮舎弟は舎弟だし、ケチがついたら親分にとってはただの有害物質。
むしろ、読者や2ちゃんではなく親分から消される前にとっとと夜逃げしたほうがいいと思う。
匿名って怖いなー。レバレッジとは言わないが、角度をぎりぎりまで傾けられるのがすごい。
魔法が効いてる間はそれでも立ってられるけど、12時過ぎたら重力が元通りになって終わる。
私も程々にしないトナー。
デモンストレーションの相手として手頃だったんだろう。
「来いよ三文コメンテーター!テレビから出てきてかかって来い!」という橋下のデモンストレーション。
どうせ内田自身は安全なところからは絶対に出てこないわけだし、これほど安全な喧嘩のふっかけ方は無いと思う。
外野から難癖つけるだけで飯食ってきた連中の弱さを橋下は熟知してるよ。
何せ自分には「現場の責任者」という強力なカードがあって、「お前ら外野が現場の何を分かってんだ!」という魔法の呪文で大概の相手は沈黙させられる。でもって橋下にはそれを唱えるだけのレベルもMPもたっぷりある状態。
さらに今のこの国には「お前よりも俺の方が現場を知り尽くしてんだよ!」と張り合えるだけの人間がいない事も橋下はおそらく知ってる。
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中学高校と英語赤点だった。もう本当に簡単な文でもわからないレベル。英文法はパズルにしか思えなかった。
MtG をやって、少し英文を覚えた。ネットで調べ物してたらなんとなく何を書いてるか見当つけられるくらいにはなった。MtG でわかった事は、必要性に追われ、情報が経験と結びつけばアホでも覚えるということだった。小学生がポケモンを覚えるようなものだ。
そのあと、ネトゲで外人とチャットしてたらまた少し英語が(チャットで)通じるようになった。この通じるってのは、正しい英文を書けるって意味じゃない。ネトゲでは、その場で共有している話の流れや時間や場所やそういったコンテキストがある。これが学校で暗記としてやった英語とは大きな違いだった。でも、よく考えたら僕らが使っている言葉というのは、共有されたコンテキスト下に無い方が珍しい。FPS や MMORPG でわかった事は、共有されたコンテキスト下でやりとりする分には、正しさよりも返せるかどうかの方が重要だし、文としてあまり正しくない言葉でも、しゃべる必要がある時に何もしゃべらないよりは役をなすということだった。
通じるということのありがたみ、楽しさを知れたのが大きかった。学校時代は、英語が通じるかどうかは 0 or 1 で、間違ってるくらいなら話さない方がいいと思っていた。言葉は間違わないためにあるのではなく、少しでも通じるためにあるのだと当たり前のことに始めて気づいた。この 0 が 0.1 になる経験はとてつもなく大きかった。
そのあと、Flickr 等のコミュニティで沢山の人から英語でコメントをもらうようになった。自分の作品について言われてるわけだから当然理解したいし、僕の作品についてのそれぞれの人からの感想というコンテキストがはっきりしていて、ここでも必要に追われることと、共有されたコンテキストという条件にうまく当てはまっていた。
どう思ったか何を感じたかという文章が沢山書き込まれ、知らない表現も多く必死に調べながら読んだ。不思議と、感情のこもった言葉は記憶に残りやすかった。難しい言い回しでも、その意味がわかった時、「僕にこんなことを言っていてくれてたんだ!」と思うと、それが頭に残る。当然逆に「ばかやろう!こんちくしょう!んなことわかってんだよ!」でも頭に残るのだけど。
こうした作品に対するやりとりで学んだのは言葉の方向性のようなものだ。気持ちの方向性というか意思の方向性というのかな。言葉の一つ一つには今の自分の気持ちはこっち向きでこのくらい、とかこのくらい離れてる気持ちとか、このくらい近づきたい気持ち、という何かベースになるものがあると思う。日本語に翻訳してしまうと沢山の関係ない意味があるように思いがちだけど、それは表面的なもので・・・うまく言えないな。新しい言葉を覚える時に日本語訳を覚えるんじゃなくて、その気持ちの向きと強さを感じるようにするというのかな。気持ちのある言葉を投げかけられると、それが結びついて記憶に残るから、引き出しが増えるのかもしれない。
そうすると、自分の言いたい事を英語にするときも、日本語にしてからその通りに英語にするんじゃなくて、自分の中にある気持ちの向きと強さを直接英語にできる時があってびっくりする。多分これは英語力とはあまり関係ないと思う。語彙がなくても、そういう感覚がわかれば、そういう風になってくる気がする。
(追記: 僕がそう強く思い始めたのは、Flickr や deviantArt でコメントをもらうようになってからだ。おそらく、写真や絵といった言葉ではないものについて言葉をもらうことで、その作品が与えた事――これは日本語でも英語でもないもっと原始的なもの――につながる言葉という視点を得られたのだと思う。当然、小説でも一般の会話でも言葉は他者の内面で理解されてそれぞれに意味を発するので、本質的には絵や写真となんら変わらない。ただ、言葉を使ったコミュニケーションがあまりにも一般化されていることが、言葉も表現でしかないことを人に忘れさせ、自分の思う通りに伝わって当然の魔法のようなものだと慢心させてしまうのだと思う。)
僕は学校英語教育を否定したいわけじゃない。正しい英語を学ぶ事は必要だし。僕が言いたいのはそういうことではなくて。
学生時代の時は英語が使い物になるには "正しい英語を覚える→英語でやりとりできるようになる→英語で考えられるようになる" という順序をふまないといけなくて、前の段階がうまくいってなければ、到底次の段階にいくわけがないと思い込んでいた。
でも実際はそうではなくて、その三つは全て平行してるんじゃないかなって。学生時代に、英語の必要性に追われたり、もしくはすごく英語が役にたったり、ちょっとでも伝わって 0 が 0.1 になる経験や英語で気持ちが直接伝わってくる経験をしていれば、英語に対する印象も取り組み方も、当然正しい英語を学ぶことについてのやる気も、違ったんじゃないかなって。
そうしたものは、学校ではカバーできないから、あなたの努力と向上心がたりなかっただけですよ、勉強の出来る人はみな当然それもやってるのですよ、と言われると反論できないのだけど。僕が中学生だった時には、FPS や MMORPG はまだ一部の人の遊びだったし、スカイプなんてなかった。今ならもっと敷居は低いのかな、とは思う。
何となく、この特異な現象については、ぜひとも文章にしたいと思った。ここから下の文章は、妄想と憶測にのみ基づく、何の意味も無い文章である。
2ちゃんねるのアニキャラ個別板にて伸びつづけるエイラスレは、現時点において、ストライクウィッチーズのキャラスレの中で最も伸びているスレである。この文章を執筆している時点で96スレ目であり、2位のエーリカスレと比較しても倍以上伸びている計算である。なお、96スレ目は、現時点において歴代アニキャラスレッドのTop20に入る長さである(なお、1位は長門スレ、2位はマミスレであるが、この順位がひっくり返るのはもはや秒読み段階である)。
そんなアニキャラ個別板とはどのような板であるかというと、所定のキャラクターを愛してやまない住人が、いかにそのキャラクターを愛しているかを連綿と書き連ねる板である。板に存在するほぼすべてのスレッドにて、住人は、自分が愛してやまないキャラクターに対してああしたい!こうしたい!(だいたいは性的な仕打ち)と延々と書きつづけている。
しかし、エイラスレは違う。ひとたび「エイラさんをぺろぺろしたい」などと言おうものなら、息が途絶えるまで四方八方から袋叩きにされるであろう。住人はエイラさんが愛おしくて仕方がないが、それを満たすために自分が直接行動を起こすことは考えることすら許されない、タブーなのである。
なぜ、エイラスレだけこのような不思議な現象が発生しているのだろうか。それは、エイラさんの極めて特異なキャラクター性故なのである。
僭越ながらエイラさんの紹介をさせていただくと、彼女はアニメ「ストライクウィッチーズ」に登場するキャラクターである。
彼女はスオムス(フィンランド)から派遣された、スオムス軍の中でも最優秀のウィッチであり、その能力は派遣先の501統合戦闘航空団「ストライクウィッチーズ」の中でも卓越している。その優秀さは、被弾数ゼロという、前代未聞の記録が証明している。彼女の固有魔法であるところの「未来予知」…近未来が予測可能であるという恐るべき能力が、これを可能にしているのだ。
容姿も端麗であり(かっこよくキメたエイラさんはイケメン以外の何者でもない)、祖国スオムスには大勢のファンがいるという。15歳とはとても思えぬ活躍ぶりである。
ここだけを聞くと完璧な戦闘員のようにも聞こえるが、もちろんそれだけではない。一度しゃべりだすとぶっきら棒(あゆたボイスなのでむしろご褒美ですけど)、お風呂や食堂にて部隊の女の子に対してしょっちゅういたずらを仕掛ける(胸を触りまくっている)、好物は世界一不味い飴として有名なサルミアッキ…など、年相応に幼い面も残している。
ただし、部隊を思う気持ちは根底にあり、その優しさは簡単には揺るがない。つまるところ、エイラさんは「いろいろあるけど、なんだかんだ言って良い奴、見た目はイケメン美少女、中身は男子中学生」なのである。
補足になるが、エイラさんは祖国スオムスをこよなく愛しており、作中でもその愛国っぷりを堪能できる。基地にサウナを設置したり、前述の通りサルミアッキが好物だったり、サウナに妖精が住んでいると頑なに信じていたり、祖国の親友であるニパと親密に連絡を取り合っていたり…エイラさんは祖国のネタも絶えないのだ。
エイラさんについて語るにあたり、同じ501統合戦闘航空団に属するオラーシャ(ロシア)の隊員「サーニャ」の存在を欠くことはできない。エイラさんは、同性の女の子であるサーニャが好きで好きでしょうがないのだ!
ストライクウィッチーズという作品において、エイラさんがサーニャに対して好感を露にしている場面は、戦闘で大活躍する場面と比較しても圧倒的に多い。アニメが始まった直後はそれほどでもなかったが、気がついたらエイラさんはずっとサーニャのことを意識している、とても面白い女の子になっていた。
サーニャが自分に対して冷たく接していると、自分が何か嫌われるようなことをしたのではないかと、異常なまでに自分を責め立てる。サーニャに近寄る変な虫は、容赦なく追い払う!そして、サーニャがそばにいると、それだけでうれしい。サーニャが笑ってくれると、もっとうれしい。でも、サーニャが自分のことを嫌っていたら、どうしよう…
戦闘では完璧超人ぶりを見せていたエイラさんだが、サーニャに嫌われるのだけは怖くて仕方がない。未来を予知できる自分の能力も、「もしかしたらサーニャに嫌われているかもしれない」という杞憂から、恐ろしくてとても使えない。女の子1人に対してここまで骨抜きにされてしまうとは、どんだけ純情なんでしょう。
このエイラさんの性格に追い討ちをかけるように、意図的かそれとも偶然か、面白いことが行われた。あろうことか、エイラさんが怖くて仕方がない「サーニャのエイラに対する感情」の設定を、ブラしまくったのだ。高村監督の認識では「エイラ→サーニャはloveだが、サーニャからエイラには感情が伸びていない、伸びている先は宮藤だ」とあり、その一方で秘め声CDでは「エイラは特別な人です」としゃべっていたり、秘め録CDではサーニャに公開告白したエイラに対して特に否定も拒否もせず「バカ…」とつぶやくだけだったり、つまりサーニャがエイラをどう思っているかについては、公式の見解として信用に足るものが1つも無いという状態なのである。
サーニャがエイラのことを嫌いというわけではないことを除くと、何もハッキリしていない。となると、足りない部分は自分で補えばいいじゃないか!
…これが昨今のエイラーニャブームの諸事情である。エイラーニャにおいて、エイラの考えは一貫して「サーニャ好き!でも嫌われてたらどうしよう…」であり、これに対してサーニャの感情や、外的因子であるところのニパやエーリカが絡み合い、面白くて、見ているこっちが恥ずかしくなるような、まったく別の世界が構築されていく。これは、世界を構築する側としても、世界を堪能する側としても、楽しいものなのである。
誤解を恐れずに言えば、エイラスレは、エイラを自分の嫁だと言い張ったり、エイラが不幸になるような話しさえしなければ、何をやってもいいスレになっている。主な活動は、強気なことを言わせた直後にサーニャを投入して凹んでるけど嬉しそうなエイラさんを堪能したり、親友を取られまいと必死なニパさんに対してサーニャが格の違いを見せつけたり、フィンランドの話をしたり、サウナの妖精の話をしたり、新しく登場した抱き枕が思いっきりコレジャナイと議論したり、台詞はぶっきら棒なのに声が可愛くて別の世界に目覚めそうだと告白したり、エイラさん出撃しなさすぎですけどひょっとしてNEETですかと疑ってみたり…本当に何を話しても良いのだ。
基本的には、箱庭に入ったエイラさんにちょっかいを与えて楽しむ場である。いろいろいじってた後、最終的にはサーニャを投入することによって、エイラさんが幸せになれればそれでいいのだ。
他のキャラスレみたく、住人がみずからエイラさんをペロペロするよりも、サーニャを投入した方がエイラさんは幸せになれる。それならば、我々はエイラーニャが幸せそうにイチャイチャしているのを、陰から見守るだけの存在になろうではないか。エイラさんをペロペロしないのは、エイラさんを愛し、幸せを願っているからに他ならないのである。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4094512918
めちゃ面白かった。久々に良質な「ツンデレ」ヒロインを描き出してくれた作者に感謝。
Amazondではやれスクールカーストものだ、AURAと違って構成力が、みたいな評価が目立つけれども、そんな事どうでもいい。良くはないけどそれは二の次だ。
この作品のAURAにもない特徴は、学校の空気の話よりも、久々に良質な「ツンデレ」ヒロインを描き出してくれたことだと思う。大事な事なのでry
というわけで、個人的に大満足でした。ちひろまじかわいい!ツンデレツンだな。
ツンデレ系のヒロインとうまくいくためには、ある程度主人公側にも
「対等にやりあうガッツ」や、ヒロインの芯の部分に踏み込む厚かましさが必要だ。
この作品の主人公は、裏技的な方法でヒロインの内面を知ったのちに接する。
つまり、先にデレの果実を味わうことでヒロインを好きになれるわけだが、一般にはそういうケースはない。
主人公が臆病だったり、空気読み過ぎるタイプだと、上手くいかないのだ。
5年くらい前のほうがラノベやエロゲの主人公はヘタレだと言われていたじゃないかとも思う。
よく考えてみると、ヘタレというのは今から振り返ると悪いことばかりでもなかったような気がする。
というより、ツンデレヒロインとうまくいくもう一つのパターンがこのヘタレ系だと思う。
ツンのトゲ部分とぶつかるのではなく、ひたすら受け止めて、包んでしまうというパターンだ。
ヘタレ系主人公は一般に気弱であったり、決断力がかけているなどの欠点が指摘される。
しかしコミュニケーションが高く、空気が読める、自分の気持ちをゴリ押しするより相手や周囲に配慮できるという長所もあった。
なにより、男であるにもかかわらず俺が俺が、と自分を押し付けない。
「受身でいることに耐えられる」ってのはすごいことだ。この難しさ、あり得なさは男からしたらファンタジーレベルである。
私自身、男として「男はかくあるべし」ってイメージがあるから、
こういうヘタレ系主人公と自分の望ましい方向には大きくずれがあり、苛立ちを感じることのほうが大きかったけれど、
もう自分の分身としてみる必要もなくなり、純粋に他者としてみると、いいところも見えてくる。
ただ、ヘタレ系の主人公がある程度リアリティを感じさせるには、
本来「お父さんと娘」とか「兄と妹」といった関係のように、そもそも力関係が非対称というか、男側が有利であることが必要になる。
ただ受身なだけの、自己主張しない男には、女がそもそも見向きもしないからだ。
表面的には弱腰に見えて、直に接すると大人である、安心感がある、そういう所があって、初めて女性も多少は魅力を感じるのではないかと思う。
私自身はただのヘタレなので、尻に敷かれるだけであり、その経験からもヘタレの部分に魅力を感じてもらえるとはとても思えない。
そもそもツンデレヒロインはほとんどの場合個人として優秀である。
優秀であるからこそツンが映えるのであり、ツンが機能するからこそデレに価値が生じる。
無能なツンデレなど、無能なツンの時点でゴミであり、そんな奴が出れても豚の鳴き声にしか聞こえない。
それに対抗する主人公は、ヒロインに対抗する何らかの優位を持っている必要がある。
<小早川ブログがなかったら>この子はいわゆるツンデレ少女だったと思う。
んで、この主人公だとおじけづいて彼女と深い関係になることが出来なかっただろうと思う。
ヒロインの内面が見えるくらいの優位を確保して、ようやくツンデレヒロインと向き合える。
ヒロインは、主人公の優位の部分に魅力を感じる。だが主人公のそれはただのチート。
それをさらけ出したら魔法が解けてバランスが崩れてしまう。さてどうしよう。
主人公の「分」を考えると星奈ではなく夜空がお似合い。しかしメッキのお陰で星奈とうまく言ってる状況をどう変化させるか。
とかね。星奈は間違いなく魅力的ではあるけれど、この先納得行く形で彼女との関係を描けるのか、疑問。適当に夜空とくっついて終わりじゃね?
一時期はただツンデレのヒロインがいる、というだけでよかった。
でも今はそれなりに主人公とヒロインの関係性が問題になってくると、難しいような気がする。
普通の主人公だと、釣り合いの取れるヒロインの魅力は薄いものとなる、
かといって、魅力的なヒロインを作って普通の主人公だとヘタレ死ね、となって楽しくないし、
魅力的なツンデレに見合うだけの主人公は、一般読者とは全く乖離した存在となってこれまた共感できないだろう。
そんなわけで、ツンデレヒロインと、それに見合う主人公を作るのは難しくなってきていると思う。
ツンデレを読みたきゃSFを読めっていろんな人から言われるけど、
SFのヒロインは優秀すぎるし、パートナーの男性もそれに輪をかけて優秀すぎるので全く共感できないんだYO!
そういうことを、この作品を読みながら考えた。この作品は久々に良質のツンデレヒロインを味わえた。
私はツンデレが大好きなのだけれど、それ故にほとんどのツンデレの出来に不満を感じていたので、この作品はとても楽しめました。まる。
ガチ無知というのは「HTMLとかの知識が全くない人」という意味です。他意はありません。
先日「WEBサービスを作りたい!」と思い立ったガチ無知の自分。まずHTMLから勉強した。そんな自分の理解を復習ついでにまとめてみる。
まあはてな界隈では少ないだろうけど、俺と同じガチ無知の人がいたら、HTML/CSSについてイメージが掴める、かも。間違ってたらごめんね。
HTMLをプログラミング言語みたいなもの?と思ってた人。(少なくとも俺はそうだった) 違います。
じゃあHTMLとは何か。文章を飾り付ける魔法だ。飾り付け。それ以上でもそれ以下でもない。
世の中には数多のサイトがある。数多のデザインがある。アレ全部文章の飾り付け。画像?Flash?飾り付けだ。
HTMLは、ずらっと文字だけが並んでるとページが見づらいからそれを見やすくする魔法。とりあえずそう認識しとこう。
HTMLは「文章を飾り付ける魔法」だ。じゃあ魔法を使うにはどうすればいい?
呪文を使うんだ。35まで純潔を貫き通す必要のないお手軽な魔法だ。
じゃあ呪文の使い方をば。
[呪文 飾り付けたい文章] ←これを
[呪飾り付けたい文章文] ←こう
そう、挟めばいい。HTMLは範囲指定魔法。だから効果範囲を呪文で挟む。以上。HTMLの使い方解説終了。
↓これは、文章を強調する呪文。
<strong></strong>
で、↓この文章の一部に魔法をかけよう
HTMLは、"HTML is Text Markup Language"の略です
これを、
<strong>HTML</strong>は、"<strong>HTML</strong> is Text Markup Language"の略です
すると、
HTMLは、"HTML is Text Markup Language"の略です
こうなる、と。おしまい!
ここまででわかるだろうけど、俺の解説はものごっつい大雑把だ。
「呪文を強化する」 魔力を底上げするわけじゃない。魔導書は特定の呪文しか強化できない。
氷の魔導書を読むと、ヒャドは強化されるけど、メラは変化なし、みたいな話。
CSSと言う名の魔導書の書き方はこうだ。
強化する呪文名 { 強化内容 }
以上!
じゃあさっきHTMLの紹介で使った<strong>呪文を強化する魔導書をつくる。
strong {color: red;}
これは、strongに{color: red;}の効果を追加する魔導書。読んで字のごとく。色を赤にする追加効果。
さっきの飾り付けた文章が
HTMLは、"HTML is Text Markup Language"の略です
となる、と。呪文自体が強化されてるから両方赤になっている、と。
以上。終了。
さらっとメモ書きをするつもりが、すっげえ長々と書いてしまった。
まあインターネッツの大原則として、「間違ったことをドヤ顔で披露するとみんなに修正してもらえる」というのがあるので、このエントリもそういう役割を果たしてくれるんじゃないかな、、、
HTML4.0を勉強したんだけど、HTML4→HTML5の違いというのは、魔法を使う杖がランクアップしたようなもの、という認識でいいのかな?
ルイーダの酒場で待機してる男戦士です。酒場送りにされて4年になりました。
パーティに加入したばかりのころは男勇者は謙虚で努力家で模範的な勇者だと思いましたが、長く一緒に旅をしているといやな所にも気がつきました。
(英雄色を好む的な意味で)いい部分もそれなりにあるけれど、みなさんに知ってほしくて書きます。
1.MP管理が厳しいのに、調子に乗って大魔法連発して計画性がない(女賢者の前でかっこつけすぎ)
2.仲間の気持ちを考えない。損得で行動する(急に新規加入してちやほやされた挙句、スーの村近辺に置いていかれた女商人がかわいそう。あと酒場に戻る仲間の装備は全部回収する)
3.自分が成功しないんじゃなくて、他人が成功するのが悔しい、のに他人が失敗するとキレる(俺がはぐれメタルを仕留めると「たまたま当たってよかったな」っていうのに、俺がミスするとキレる)
4.仲間を他の勇者パーティと比べる、見た目的な基準でしか戦力を計れない(どいつを仲間にするか決めるときに、さんざん悩んで、結局、おっぱいの大きさで決めた)
5.モンスターは基本的に退治すべきだけど、無害なモンスターもいじめたりする(怯える目で見るはぐれメタルがかわいそうでわざとミスを連発したら俺は干された。俺は今でも怒っている。)
6.会心の一撃で仕留めても文句を言う(なんで?早く戦闘終わったのに。男勇者はとにかく他の男メンバーが目立つのが嫌い)
7.性癖が変(女好きなくせに、おっさんの「ぱふぱふ」にはまったり、あぶない水着を男僧侶に着させたりする)
8.性別で装備品購入を優遇する(女賢者最優先。そういうことをいうと「酒場行きだぞ」と怒る。でも装備品の影響が大きいのは戦士職でしょ?)
9.正面向かないと話せない(足元調べすぎ)
10.元気になるのは夜になってから(カザーブ村のおじいさん、勝手に「どくばり」持って行ってごめんなさい。かわりに謝ります)
割と真面目な話をすると、UI次第でタッチパネルでも化け物染みた操作は可能だと思う。
具体的には、インフィニティブレードってゲームがあるんだけど、このゲームは「縦横に剣を振る」って操作以外に「盾を構える」「左右によける」「スーパーモード(ボムみたいなモノを発動する)」と「魔法を使う」って操作があって、リアルタイムだからかなり忙しいんだけど、慣れるとこれらの操作を完全に駆使して自分よりも数十倍の体力と攻撃力を誇るラスボスを駆逐できるようになってたりする。
タッチパネル前提だから優しいゲームバランスになってるだろうって? そんなことは全くなく、このゲームは周回前提のゲームバランスで、周回するごとに敵の反応速度や強さがレベルアップしていって、なおかつそれは無限に強くなっていく。主人公のレベルは一定で、最高レベルに上げてもラスボスはかなりきつい。(周回するごとにラスボスも強くなると言う鬼仕様)
でも、慣れるとこれらにも結構健闘できるようになって、タッチパネルの操作も人間じゃないレベルにまで高まる。
全てのゲームがそういった方面に走るとは考えにくいが、ストイックなゲームバランスを持つゲームがいくらか出てくることは、このゲームの存在からして保証できる。
人間の可能性は無限大なんだよ。FPSのWASD操作に慣れてしまう人修羅がいるように、俺らもタッチパネルの11点検出機能でも不足を訴える日は来る。
まだ、それが藻前さんには見えていないだけ。俺には、将来全ての人類がタッチパネルを前に指を触手がごとく動かしながらタッチパネルをこねる人類が見えるぜ?
それがいつになるかは分からないけどな。でも、きっと、いつか。
元記事探してたら、たくさん見つかったのでメモ。世界を変える方法は無限にある、きっと。
http://www.marcandangel.com/2011/09/04/140-ways-to-change-the-world/
(あなたでもできる【世界を変えることができる102の魔法の言葉】http://yukkuri.livedoor.biz/archives/357515.html の元記事)
http://richmondacademy.org/102WaysofChange.aspx
http://abundance-blog.marelisa-online.com/2011/03/25/ways-to-change-the-world/
http://www.lyved.com/life/20-ways-to-change-the-world/
http://www.amazon.com/Ways-Change-World-Your-Twenties/dp/1402221096
どうして「スタッフのために」「被害者が」「余計な不快な思い」をしなきゃいけないわけ?
店員同士で注意しあうならいいけど、客にそれを求めるのは違うでしょう。
コップの水ひっかけたら、関係のない第三者は「ひっかけた人が変」と思うけど、
どうして被害者がそう思われなきゃいけないのか?
料理をひっくり返す増田は、その不快をこうむってでも訴えたいものがあるんでしょう。
自分は現状を確認して、時間がかかるようならそのままキャンセルして帰りますよ。
余計に不快になりたくないから。それで、次からは、ほかに選択肢がある限り行かない。
アニメとか漫画とかライトノベルの女の子にうつつを抜かしていた俺だが、ハーレクインというものすごい鉱脈を発見してしまった。
特に秘書モノと分類可能な作品群は、委員長モノが好きな諸兄におすすめ。
俺は恋愛モノ好きなオタのおっさんなんだが、エロゲ文化の周辺たる萌え系ラブコメとか好きだったんですわ。でもアニメはちょっと時間かかりすぎて体力が持たないし、萌え系漫画も少女漫画も電車で読みづらいじゃん?すぐ読み終わっちゃうし。
そこでライトノベルを重宝していたんだが、あれ現実よりのセッティングの話探すの結構大変よね。非現実的なのはそれはそれで好きだが、そればっかりだと飽きるじゃん?舞台設定に振り幅が欲しいと思った。
そこでまず行ったのがミステリやサスペンス系統。西之園萌絵さんとか教授とらぶらぶでちょうかわいいでしょ。萌えが売りじゃないわけだからストーリー面白いしね。でそればっか読んでて今度人死にすぎって思ったわけよ。サスペンス超怖いし。探すとこちょっと間違ってたなと。
で、ふと考えて女の子向け小説かなって思った。でもブックオフで女の子のいるところで本を開いてみるとホモ率高いんですよ。痛い目見る。そこでおっさん考えたね。
「そうだおばちゃん向けだ!」
って。
で、ハーレクインが置いてある棚を試してみることにしたんですよ。
言わずと知れた翻訳物恋愛小説ね。著者近影とか後ろの広告に載ってるけど大体白人のごつい顔のおばちゃんがにっこりしてますな。
ストーリーは全部同じ。自動生成かって言うぐらい同じ。出会って、波乱があって、愛して、ヤって、幸せになる。まあそれ言うと小説は失う話と失ったモノを取り戻す話しかないとかいう極論になっちゃうんでおいといて。
まず、現代的でないモノはヒストリカルという名前がついている。英国貴族モノとか、中東ハーレムモノとかね。ファンタジー度高め。いや現代の舞台でハイスクール諦めて村の農業用品店で働いて病気の母を養ってたら仲良くなったカウボーイの渋いおっさんが実は多数の農場のオーナーだったとかいうのがファンタジーじゃないかっていうとファンタジーなんだけど剣と魔法的なそれっすよそれ。魔法出てきたためしがないけど。変に現実的なんだよな。
ええと、次にロマンスとかディザイア。典型的なやつですな。そもそも俺「ハーレクイン・ロマンス」っていう出版社かと思ってた。これな、ほぼ100パーセントSEXシーン有ります。途中まで純愛純愛してても絶対ヤります。というか主人公の女は官能小説みたいな身体の構造してます。好きな男と目を合わせたら身体の芯が熱くなってこまっちゃうし口で嫌とか言っててもキスされたら熱烈に返しちゃうし。いわゆる「強姦されたい願望(※ただし大好きな男に限る)」ってやつですな。まあただこのSEXシーン、野郎が読んでも抜けませんが。
最後はイマージュ。一番ソフトです。SEXシーンはありません。朝チュンです。ええ、朝チュンです。やっぱりヤってます描写がないだけで。キス→朝チュン→いちゃいちゃ→改行2行→子供抱いてる、みたいなそういう。全般的に描写押さえ目な代わり些細なことでヒロインが不整脈とか狭心症起こします。心臓大丈夫か死ぬぞおまえみたいな。あとこのシリーズで初めて「カナダ人にも間接キスでドキドキっていう概念がある」というのを知りました。どうでも良いですかそうですか。
で、ロマンスとかディザイアに頻繁に出てくるモチーフに「秘書」があるんです。これが俺のおっさん心にど真ん中ストライクでした。
ストーリーはみんな同じ。
例「おはよう増田君」「(やーん今日も良い男♥)おはようございます社長(キリッ」
例「おいどうなっとるんだコンパニオンこねーぞお前ちょっとこの服着て展示説明やってろ」「はい社長!(えっ私こんな凄いの着るの…?)」
例「準備できました社長」「よしいけ今のうち代役手配しておくからな!頼んだ!(こいつこんな綺麗だったっけ…?)」
例「(どうしようどんな顔すればよいかわからない)おはようございます社長(キリッ」「お、おはよう増田君(おかしいな昨日はあんなに、夢でも見てたのかワシ)」
例「プリンタに君の履歴書が大量にあったんだが」「やめるんです!さようなら社長!」「えっちょっとまてええ」「さようなら今までの私!(片思いばれちゃったし好きって言ってくれなかったし身体だけとかもう耐えられない)」
ちなみに秘書は可能な限りの全力で泣きながら地の果てまで逃げます。頑張れボス超頑張れ。金とか人脈とか秘書の親族とか両手いっぱいの薔薇とか全社員の前で告白とか使う。
そんなわけでハーレクインのオフィスモノは委員長モノ好きとか一部のツンデレ好きに超おすすめ。