はてなキーワード: 物言いとは
同期がウザい。本当に申し訳ないけど、心の底からウザい。
いや、全然悪い子ではないのはわかってるけど、私とは全く反りが合わない…
私はあの子と違って浮いた話もひとつもないし、パチンコとか嫌いだし、面白い話ができるわけでもないし、話題も全く合わないのになんで向こうはつまらないとか思わないのだろう…
そもそもベタベタするのって好きじゃないし、彼氏に依存しすぎな所も嫌だし、何よりも本人はちょっとからかってるつもりなんだろうけど、時々ものっすごい失礼な物言いになるのが本気でイラッとくる…
何なの?こっちがいじられキャラで何も言わないからって何言っても許されるとか思ってんの??
時々本気で喧嘩売られてるのかな今?^^て思うよ?
あとごはんの食べ方汚いのも嫌です、なんでもかんでも混ぜて食うの本気でやめてください
お金のためにたくさん働くのは立派だと思うけど、それだったら私なら外食とパチンコをやめます
つーか米ぐらい自分で炊けばいいだろ…
多分近くにいすぎるし、いつも一緒にいるから余計腹が立つんだろうと思うので私は距離を置きたい
頼む!優しくしたいんだ!仲良く穏便にやっていきたいとも思ってる!!だから距離を置いてくれ!!
こんな事考えるのわがままなんだろうなあ…
贅沢を言っている自覚はあるけど、だからってイライラするのがなくなるわけじゃないし…困る…
職場では穏便にいたいから何も言えないでいるけど…そろそろ本当に限界だよ?
あなたがやめたら同期誰もいなくなっちゃうし一人にするなんて許されないよ?とか言われたけど
こんな将来性もないバイトで一生やってけるわけねーだろこちとらとっととまともに就職してーんだよ
あー辞める時なんて言おう…そう遠い日じゃないんだけどな…
おたくはすべからくアニメを見ているべきだ、と自然体で主張する彼らが嫌いだ。
自分たちは流行りのアニメを追っかけているだけなのに、さも自分は他者より
情報に強くサブカルチャーに造詣が深いかのようにふるまうクソガキが大嫌いだ。
特に金を落とすでもないのに、動画サイトやら何やらでアニメを見た、
ただその一点だけでどうしてあんなに尊大になれるのか、僕にはわからない。
ツイッターなんかを見れば、今日もアニメアイコンに対して拒否反応を示したというだけで
わらわらとアニメアイコンが大挙して誰かを叩き散らしている。正気の沙汰ではない。
彼らは悪意をもってそれを為しているわけではない。彼らはアニメおたくである自分を
悪と思ってすらいない。あまつさえ、おたく文化を誇るべき日本の伝統文化やら何やらと
同一視している。そしてそんな素晴らしい文化を享受している自分もまた素晴らしい文化人の一人だ、
そう信じて疑わない。だからこそ、おたくという存在を否定されれば義憤に駆られ暴れまわる。
世間が、いや、企業がおたくに媚びているのは、おたくが金を落とすからだ。
おたくが金を落とすからこそ企業はおたくをターゲットにした商売を展開し、
奏功すれば更におたくは企業に金を落とす。そういう風にしておたく商売は成り立っている。
だがアニメおたくは金を落とさない。そのくせ、企業がおたくに媚びているという点だけを抽出し
さも自分たちが世間に認められ市民権を得ているかのようにふるまう。
君たちは、決して社会に認められたエラい存在などではないのだ。
彼らが自分たちは情報に強い人間であるかのような物言いをするのも気に入らない。
流行りのアニメを見ているだけの人間がどれだけ偉くて賢いのかは、
ステマ騒動を見れば一目瞭然だ。
企業に飼いならされ、知らぬ間に印象を刷り込まれ、しっかりと意見を操られているくせに
少なくとも俺が反論してる以上、君の言ってることが「完全に正しい」わけではないことは明らかだよな。
でもって
変じゃね?
「もっと良い案を出せないのに何が教授だ」「代替案出せなかったんだから教授の負けだろ」と言いたい人の気持はわかる。
でもそうじゃないんだよね。少なくとも、そういう返答を真剣に求めているなら、
橋下さんはあのテレビ番組じゃなく別の場を要求すべきだった。いや、どうせわかっててやってるんだろうけど。
いやいやいやw
学者側が「市長、市政について私から献策があります!聞いていただきたい!」って市庁舎にやって来たのを
テレビ番組に引きずり出して叩きのめしたっていうなら
それは「橋下酷い奴だ」ってことでいいけどさ。
そうじゃないじゃん。
橋下が相手としてる学者達って
彼等自身もメディア使って橋下を叩いてきたよね。
凄惨な惨敗という結果になっただけじゃん。
それをああいう結果になった途端
学者側こそ「真剣な答」や「代替案」なんて用意する気なかったじゃん。
あの人達は「ハシズム」とか「子供市長」とかアホみたいなこと一杯言ってきてるんだよ。
(本当にメディアプロレスがいかんと思ってるなら、橋下を非難するのと同じぐらいに
今回ボロクズになってる学者達にも批判を加えているべきだよ、あなたがたは。)
http://anond.hatelabo.jp/20120116194259
そういうやり方したことがなくて、真剣に市政についての代替案を持ってて具申してきた、っていう学者がいるの?
…って言ったら、いっぱいいるだろうね世の中には。そっちの方が多数派だ。
それを橋下がテレビプロレスに連行してボコボコにしたなら、それは凄く酷い話だと思うよ?
でもそうじゃないんだもん。
志が高潔なゆえに、敵の邪悪な戦法にやられたみたいな言い方は
今まで橋下プロレスにやられた学者は高潔でも真面目でもなんでもない、
純粋に弱かっただけ、ただの敗者だよ。
学者の中で一番プロレスが得意かつ人格が俗悪ゆえにメディアに出てきたという
学者の中でもマジメでマトモな学識で一目置かれてる、
今回は相手がずっと格上のプロレスラーでギッタンギッタンにされたというだけ。
こんなの少しも同情する必要なんか無いし、
勝負は全く公正公平だった。
アンフェアな勝負だったって言ってる人は
要するに「橋下が勝ったからアンフェアだ」と言ってるだけでしょ。
今回ボロクズになった学者プロレスラー達こそこれまでの仕事の中で、
プロレスラーでもなんでもない相手に一方的に好き放題なこと言ったりやったり
そういう”アンフェア”な実績がたくさんある筈だよ。
彼等が有名になるまでに。
イメージ的な攻撃やレッテルや変なあだ名をどれほどやってきてる?
自分達はあらゆる反則殺法をやっていいけど
市長が得意技の弁舌やテレビ慣れを使うのは許されない卑劣なの?
そんなアホな。
あなた達の中の「真面目な議論」「建設的な議論」を求める資格がある人の割合はどれぐらいだろうか。
番組を見てて、
個人的には橋下の露骨な嘲笑とかワンサイドゲームとかに嫌な感じがしたけど
あれは「橋下の方がが卑劣だった」んじゃなくて「橋下の方が同じ道の熟達者だった」だけ。
本当にまともで真面目な議論なんてものを望むならまず
あなた達にそれが出来るかな。
前記事
http://anond.hatelabo.jp/20120108211250
ちょっとはてブだけを貶める形になってしまったので、これはよくないな、と改めて、ネット各地で戦うコメンテーター達の特徴を、ウェブ上の争い事なんかに興味のない女子にもわかりやすく、戦国大名に例えてみたよ!
(※あくまで戦う人をツール全体で捉えたものであり、利用者個人の特徴を言い当てているものではないです。)
勢力が非常に広範かつ多岐に渡るため、一括りにすることが最も難しい国ですが、強いていうのであれば謙信タイプでしょうか。屈強な武将がフォロワーという軍隊を従え、RTという名の十文字槍で取るに足らない足軽兵を駆逐していく様はまさに軍神と呼ぶに相応しく、各地での転戦の多さや、持久戦を得意とせず、短期戦で勝敗を決めるあたりも謙信型ツールといえます。当然、国民の大多数は争いを傍目に見ている農民か、無言のRTで追随する足軽や小物であり、武将クラスは100人に1人も満たないということは付け加えておきます。
ネット界古豪。上杉家を「馬鹿発見器」と称し、馬鹿を発見し次第、少数の精鋭部隊が煽動した後、住人全員で場所を厭わず突撃する様は、まさに信玄が得意とした啄木鳥の戦法そのもの。ターゲットにされた者は、最初は「ネット弁慶が」と油断しているものの、知らず知らずのうちに追い込まれ、気づいた時には過去の悪行を洗われ、身分バレ、職場に電話、の三段撃ちで後の祭りとなります。戦国最強と謳われることも多いですが、一人一人は取るに足らない雑兵なので、軍師や精鋭部隊を抑えることが鍵となります。
疑り深い性格のため、誰にでもとりあえず謀反の疑いをかけて追い込んでしまう彼らは信長タイプです。一時は天下を取るかと思われましたが、それも遠い昔の話。新しいもの好きで、策略や心理戦に長けていながら、非常に威圧的かつ冷酷であるが故、敵を多く作ってしまい、四面楚歌に。うつけを演じ続けて終わる三文役者も後を絶ちません。心ない皮肉を投げ捨ててばかりいると、仕舞いには部下に焼き討ちに遭ってしまうのが世の常というものです。
国内レベルの些細な小突き合いに満足するのではなく、世界を舞台に闘いたい。いつまでもJリーグで満足している俺じゃない。そんな野心溢れる猛者達が集う場所です。これは天下統一を成し遂げた後、世界に目を向け、手始めに朝鮮出兵を企てた豊臣秀吉タイプと言えるでしょう。世界規模で文化や宗教が入り乱れているのでやや面倒な状態になっていますが、10年前のワールドカップの審判買収をネタにコリアを叩けばヨーロッパ各地から賞賛されるレベルなので、知略戦は必要ありません。英語は必須です。
国内では圧倒的な勢力を誇っていながら、今ひとつ目立った武勇を残せていないその戦果は信長の噛ませ犬となった今川義元と重なるものがあります。仕様上、与えられた情報のみに食いつく受け身の性質であるため、そもそも誇り高い戦闘民族とは言い難く、戦国武将に例えることも躊躇われるのですが、場合によってはストレートな物言いで集団で牙を見せる気概も持ち合わせているので油断は禁物です。しかし、基本的には騎乗もできない貴族体質であるため、あまりにも鋭い逸材は埋没してしまうことが多い反面、「そう思う」「思わない」の二択の統治の安定感には光るものがあります。
とにかく流行の場所に乗っかっていく浮気者。「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」をモットーに、あらゆるSNSを使い倒し、寝返りを繰り返した挙げ句に争いに疲弊し、落ち着いた人間が多く集う安寧の地。人を疑わないことを是とし、終始、当たり障りのない会話といいね!の笑顔でお茶を濁す。揉め事などとは無縁の太平の世ではありますが、ぬるま湯の居心地が悪くなればいつでも次の主君に仕える準備はできている、節操のない集団といえるでしょう。
「○○の良さがわからないなんて信じられない!人の心が無いと思う!」
○○に恋愛を入れても猫を入れても通じる。
恋愛にそういったドキドキやらトキメキやらを感じない人にとっては、恋愛は時間と金を食うだけの無意味なものでしかない。
逆に猫からそういった癒しを得られない人にとっては、猫を飼うことは時間と金を食うだけの無意味なものでしかない。
恋愛も猫も、「無意味に感じる」と言うと、「人の心を持たない冷血人間」みたいな物言いをされる。
人の恋愛や猫にケチをつけたわけでなく、「自分は恋愛する気がない、猫を飼う気もない、理由は良さを実感できないから」と説明しただけなのに、
「それは冷たい人間の考え。恋愛・猫の良さを"素直に認めるべき"」と猛烈に干渉される。
どうして恋愛からドキドキや、猫から癒しを得られないという「特徴」はそこまで糾弾されるのだろう。
「犬好きに悪い人は居ない」って何だ?「釣り好きに悪い人は居ない」って何だ?
書くべきか迷っていたのだけども書くことにした
ごめんなさい
前々職でテレビCMを8年、前職でポータルサイトの広告媒体価値を高める為に5年ぐらい奔走して培ったノウハウが僕にはある
でね、ちょっと失礼な物言いになってしまうのだけれども、例えばYahooトップぐらいPVがあるページに「べにぢょさん」のバナーを貼ると、クレームが結構入ってくるわけです
「なんであんな広告を作ったんだ」と、社内が険悪なムードになるわけです
大手ポータルサイトやテレビCMでそれなりの美男美女しか登場しないのは業界で培った(と言うと大げさだけども)ノウハウがあるのです
美男美女であれば広告価値が上がるし、さらに重要なのはクレーム処理というコストがかからないということ
だから僕は最近のはてブトップページに頻繁に表示されていたべにぢょさんバナーを見て、はてなは広告メディアに関しては素人っぽいなと思ったわけです
もちろんべにぢょさんは悪くないし、はてなは広告のプロでは無いわけですから、これは仕方の無いことです
それに、どうやらその問題のバナーは表示されなくなったようですし、僕がはてブのトップページにアクセスするたびに不快な思いをしなくてよくなりましたし、はてな的にも懸念材料を抱えたまま年を越さずに済んだという点で、日本のインターネットの安定化が図られた歴史的な瞬間だったと10年後に回想されるでしょう
それでは皆さんよいお年を
なんとなくその原因もわかる気がして、それは綱渡りの競争で勝者にならなければならない義務感が全面化していることなのではないかということだ。
職場はもちろん、親、兄弟姉妹、配偶者、恋人、友人、あらゆる人間関係で安心できる場所が少ない。
もちろん、子供でもない限り「無条件に自分自身を受け入れてくれる場所」なんていうものが誰にでも用意されているわけではないのは当り前だけど、
今の日本の社会って「失敗できない」という感覚が強過ぎやしないだろうか?
「あいつは使えない。使えないやつとはつるまない方がいい。いつ自分の評判に響くかわからない」。
実際、中学生あたりの年頃に、いじめる側にまわるかいじめられる側になるのか戦々恐々とする構造とあまり変わらない。
裏で働いているのは利害関係の論理で、この利害の理屈があらゆるところに顔を出している。
でも、個人的な関係まで悪化するかはともかくとして、ビジネスの場ではある程度それは仕方の無いのことだ。
しかし、恋愛関係が損得勘定なのは珍しくないとしても、親兄弟や利害が無いはずの友人関係までもが損得で勘定されかねない今の状況はどうなんだろうか。
いけてるやつとつき合いのあるいけてる自分、いけてないやつとつき合っているいけてない自分。
そして、自分は自分の友人や親兄弟や恋人から見て、いけてるのかいけてないのか?
あるいは実際はそういうわけでもないのかもしれない。
親兄弟・友人同士の関係における損得勘定感覚、利害の論理はもしかするとそれほど前面化しているわけではないのかもしれない。
だけど、ここで重要なのは「そう感じられる」ということだ。不信の種にはそれだけで十分だ。
社会生活を送るにあたって「失敗できない」という緊張を延々と強いられたらどうなるだろう?
誰に対しても「へまをすれば自分は徹底的に見捨てられる。だから決してミスをしてはいけない。この綱を踏み外してはいけない」
という強迫観念を持って日々を生きなければならないとしたらどうなるだろう?
そして、失敗してしまった人間が「自分はへまをしてしまった。綱から落ちてしまった。だから自分は見捨てられても仕方ない存在だ」
と感じているとしたらしたらどうだろうか?
恐れる人間は当然のようにその恐れの原因である自分の物差しを、そのまま他人を評価する物差しとして使う。
この場合「へまをしないようにそこに精力を傾けて努力している私は、へまをした人間を切り捨ててもいいのだ」という感覚だ。
こうして実感された全方向における関係性の「綱渡り感」は社会的現実になり、再生産され、綱から落ちた者への容赦ない冷笑・蔑視・罵倒は正当化される。
とにかく明るく元気で前向きにいることが義務づけられているこの空気の中、
少しでも気鬱な表情を見せれば途端に敗者の匂いが漂い、それだけであらゆる場面で敬遠の対象になってしまう。
今までの日本社会ならば、失敗したとしても、明るく元気で前向きにいることが可能だった。
社会全体が経済的な繁栄を享受する中で一度二度つまづいたとしても、もう一度立ち上がってライフコースを再構築するくらい日本社会の路は太く安定していたからだ。
「なあになんとかなるさ。死ぬわけじゃあるまい。人が人でなくなるわけがあるまい」が現実だったのだ。
だけど、今や日本社会の路は一本の綱になってしまった。誰かがどこかで失敗することは避けられない。
そんな社会で私たちは「一度躓いたら徹底的に孤立する」という「綱渡り感」から逃げられない。
「みんながやっている綱渡りなんだ。敗者が孤立するのは当然だ」という声があらゆるところから聞こえる。
でも果たして本当にそうなんだろうか?本当に失敗した人間は孤立しなければならないんだろうか?
目の前の路は、落ちたらまっさかさまに孤立へと落ちる、一本の綱なんだろうか?
実は、目の前の路を「綱渡り」にしているのは僕たち自身なのではないだろうか?
僕の弟は今大学4年生で、本命ではないけれども、某企業から内定を頂いている。だけど本人はひどく落ち込んでいるようだ。
大企業へ就職する者が多いという周りの友人に比べた時、弟は、既に失敗している、綱から落ちてしまった、という思いがするのだそうだ。
驚いたことに、留年してもう一度本命の企業(某広告代理店)に挑戦したいと言い出す始末。正気の沙汰とは思えない。
挙句の果てに、弟は僕に対しても卑屈な態度をとるようになってしまった。
僕の会社は弟の内定先よりもはるかに知名度の低い会社だというのに、だ。そんな弟を見るのは軽くショックだった。
だけど、自分の周りを見てみても、もしかしたらそういう感覚は、この日本社会ではもう当り前なのかもしれないと思うようになった。
共に氷河期の就職戦線を生き残った大学時代の友人が、弟とまったく同じ卑屈な態度をしていたからだ。
失業をきっかけに鬱になってしまった彼の元を彼の妻は去っていった。幸か不幸か彼らには子供はいなかった。
そして友人は変わった。ひどく自分を卑下し、まるで「まともな人達」と同じ場所で生きていること自体が申し訳ないことかのように振る舞うようになった。
彼の失業や離婚に心を痛める人間は世界で彼ひとりしかおらず、他の誰一人として彼の心痛を共有できるものはいないかのような物言いをするようになってしまった。
氷河期世代の割に比較的のんきに生きてきた僕は、今とても恐ろしくなっている。
今まで考えたこともなかったけれども、もし僕が会社から解雇を告げられたら、あの卑屈な表情を僕に向けてきた弟や友人は僕を嘲るだろうか。
僕の恋人は負け犬を見る様な目で僕を見て、そして僕から離れていくだろうか。何より僕はそんな態度をとり始めた周りの人間を恨まずにいられるだろうか。
人生の苦しい状況で、支え合うことよりも、蜘蛛の糸を奪い合った亡者達と同じように蹴落とし合うことを選び、
ひたすら損得と利害だけで行動するような餓鬼の如きなにかに成り果ててしまうのだろうか。
綱の下に広がる網は、綱の上を歩いている時にははっきりと見えるけれど、一度綱から足を踏み外した瞬間に消えてしまうのかもしれない。
なんという恐ろしさ。徹底的に孤立するから綱から足を踏み外せない、でも誰かは足を踏み外さなければならない。
ならば蹴落とす、自分が落ちない為に。落ちたやつには目もくれない。
こんな緊張があらゆる人間関係で全面化してしまったら、そりゃ狂うわ。
綱をうまく渡れている時でも生きている心地がしないもの。
「もし、お前の一番の希望が通らなかったとしても、その時は僕がどこかにコネをつけてやるから。そのくらいはなんとかなるから。だから後悔の無い様に思いっきって挑戦してください」と。
そして、友人にはこうメールする。「元気?お前が暇なうちに久しぶりにまたオールナイトでも見に行こうぜ」。
彼女にもメールを送る。「お仕事おつかれさん。今度、温泉でも行っておいしいごはんでも食べて一日中ぼーっとしてゆっくりしよう」。
多分、会社の同僚にも送るだろう。今はもうあんまり顔を合わせなくなった大学時代の友人や高校時代の友人にも。父と母にも送ろう。
少なくとも、僕にできる部分だけでも常に網を張っておこうと思う。
きっと今は、そういうひとりを思いつめさせないように気遣う努力がひとりひとりにとって必要な時代なんだと思う。
そうじゃなきゃ、みんな悲惨な気分を内に秘めて、そして隠しきれずに卑屈な顔をしながら生きていかなければならなくなってしまう。
いいことがあれば共に喜び、わるいことがあったら共に悲しみ、そしてまた再スタートを切ることをお互いに後押しし合わなければダメなんだと思う。
これだけ厳しい時代なんだから、経済的な意味でも、人間的な意味でも、そのくらいのことができなければ、僕たちは人間でなくなってしまう。
非処女を罵るよりも、一度やったら責任をとって一生大事にするので処女の人来てくださいってアピールする方がよっぽど処女をゲットするには意味があると思うけどそういうアプローチは滅多に見たことない。なんでだろうね。不思議。
だからー
俺自身もこれ書くの二度目だし
増田では何度も指摘されてることだけど、
処女厨っていうのは実際に処女と付き合いたいとか処女と結婚したいって人たちじゃねーのよ。別に。
少なくともネットで先鋭的に声を上げてる層(君みたいなのでも観測できる層)はね。
だいたい「処女厨」なんて言う紛らわしい呼び名のせいで
君みたいなピンボケがよってきては鼻息荒くトンチンカンな話をするわけで、
もっと反日とか嫌韓みたいに「嫌非処女」なんて呼んだほうがまだ実態に即してると思うんだけどね。
処女厨たちの具体的な行動を正確に書くと
これだけだぜ。
三次元女性で唯一あいつらの処女非処女チェックが入るのは三流アイドル。
自分の話されてると思って処女厨の会話に物言いつけにいくなんて自意識過剰もいいとこだ。
処女厨のことなんか忘れてご自由に健やかにお過ごしください。
事実として
女は若い方が価値が高い
この事実から見て元増田の言っていることは間違ってないというか至言なのだよ。
と捉えたのだろう
いかにも女が一人で出来ることをわがままからぐずぐずサボっているかのような物言いだけど、
女がさっさと結婚するためには男が必要だっていう当然の発想がなさすぎて引く。
この国同性婚認められてねーし。
追記:
個例しか無いんでアレなんだけど、やっぱ知り合いカップルとか大学入学くらいから続いてるんだけど
収入と時間の兼ね合いがアレすぎて結婚できねーみたいなの多いよー。
「子供はしっかり育てたい、けどそのためにはキャリアは間違いなくブッツリ行く。旦那? 激務過ぎてむしろ支えてあげないと…」
みたいなね。
激務って端的に結婚厳しいんだけど男はそこんとこ認識してないってのが鮮やかに言動に出るよね、例えばこの元増田みたいに。
「俺がやってるんだからみんなやれよ」というだけの話か…。
それが「リスクとってる俺すげえだろ?」以上の意味を持たない物言いだってことくらい分かって言ってるんだよね?
構って損した。
いわゆる東京大阪比較は主題ではない。「なんでやねん」の意義を主張したい。
会話の中で許される応答が否定と肯定の2つしかなかったらと考えると恐ろしい。
私にはとてもじゃないが耐えられない。
きわどい話には、どっかの小鷹さんみたく「え、なんだって?」とスルーするしかなくなるだろう。
阿呆のふりをして、逃げることばかり考えるだろう。
相手の機嫌を損ねたくないばかりに、ヘラヘラと追従するだけになるだろう。
否定の拳をふりあげては、振り下ろす場所とタイミングに悩んで頭痛持ちになるだろう。
冒頭の宣言を覆すようでなんだが、やはり東京に出てきて少し戸惑ったことは事実だ。
お互いに肯定ばっかり。だよねー。ですよねー。
あほらしい話がどんどん膨らんでいって、変なノリが形成される。
一度出来上がったノリが、誰も崩せないところまでいって、みんなで赤信号わたるみたいな
「誰も望んでない結末」みたいなのを何度か経験させられた。
相手の会話の途中に異議を挟むと、すぐ喧嘩になってしまうというのもあった。
「なんでやねん」さえあれば、と思うことが度々あった。と言うか結局すぐ使うようになった。
こうして俺の大学デビューは結局関西人キャラということになってしまった。
ツッコミを期待してのボケとかそういうのは中級者以上の話なのでかんがえなくていい。
もっと初歩的な話だ。「なんでやねん」はそもそもなんのためにあるのか、だ。
「でもポジティブフィードバックは返しませんよ」の2つを兼ねる。
話が脱線したりずれそうになったときに、制止をかける役割を果たす。
その上で、この「なんでやねん」は否定や反論ではないてんが重要である。
さらに相づちを打つ側の自己完結的な行動として扱われる。
つまり、話し手はこの「なんでやねん」にいちいち応答する必要がない。
否定されたわけでもないから、ただちょっと相手の反応が芳しくないというのを察して、
話のテンポを落としたり、少しコースをかえたりという微調整をすればいい。
「なんでやねん」は会話の受けてにとって無くてはならないものだと思う。
「なんでやねん」があることによって、相手に相槌を返しやすくなる。
相槌というのはそもそも話し手の会話のテンポをコントロールするためのものだ。
「うんうん」「なるほど」「それでそれで」など加速する方向はみなさんもよく使っているだろう。
ただし、減速が必要になる時もあるのだ。
会話の中に、この装置が組み込まれていないと、なにかと困る。
こちらについても「ちょい待ちや」とか「おいおい」とか「そんな阿呆な」とか色々あるけれど
やはり「なんでやねん」が一番便利だ。深く考えずに使っても、あんまりカドが立たない。
漫才とかのせいで、アクション付きの攻撃的な言葉と勘違いされているが、
実際は会話のカドを丸め、とんがりにキャップを被せるような使い方をするものなのだ。
というような話を今日の飲み会で熱く語ってドン引きされました。
話がヒートアップする前に、誰かが「なんでやねん」と言ってくれさえすればこんな事には・・・。
余談。
会話が苦手な人は、なぜ自分がそれを苦手としているか、という時に
「心にないアクションをとるのが嫌だ」とか
「相手の意見が理解できなかったり、違和感を感じる時にどう反応すればいいかわからない」
そういう時には、何も考えずに「なんでやねん」という言葉を使うといろいろ捗るぞ。
(もちろん、ポジティブフィードバックのみの会話に親しんでいる方々など、
少しの制止にも不快感を示す方々もいるけれど、そういう人達とは付き合わなければいい。
肯定のみの世界で生きるなんて私には息苦しくて耐えられない)
あとね、これはいわないほうがいいと思うんだけどこの際だから言っちゃおう。
他人の話に軽くでも異議を唱えるってものすごい快感なんだわ。最も手っ取り早い自己表現だしね。
逆に、ずっとYesの返答を続けるのってストレスなんだわ。コントロールされてる感じするでしょ。
だから「なんでやねん」ってのが会話に混じってると聞き手の健康を守る効果があると思うのね。
さらにいうと、「なんでやねん」という反応があるお陰で、話し手側も安心ってのがある。
滑り覚悟でボケてもいいし、ちょっとキツめや喧嘩腰の物言いを「試してみる」ことが出来る。
美しいものに限らず、楽しいもの、嫌らしいもの、何でもいいけれど、形容詞で表すことのできる多種多様なものどもを受け入れられる態度って素敵だと思う。
意味が分からなくても、価値が分からなくても、取り敢えず特定の形で成り立っている物事や出来事や関係性なんかを受け入れてみる。受け入れてから批判なり肯定なりすればいいと思う。
個人的に拒絶って拙い行いだと思う。拒絶してしまう人がいることや、拒絶してしまう対象があることは受け入れるけれど、そういった否定がありうることが少し悲しい。
食わず嫌いだとか偏見持ちだとか、理解出来ないからや理解したくないからって否定するのは、勿体無いことだと思う。
無論、否定と云う行為はその人にとっての社会観を形成する大切な境界線を引く作業に他ならないのだけれど、小さな領域を囲う図形を描いたって勿体無いような気がする。
まあ、その領域内での物事は大いに煮詰まるのだろうけれども。
でも、漠と広がった領域内で薄味の世界観に浸るのもまたいいのではないかなあと思うわけで。
意地の悪い優越感ゲームのような物言いだけれど、受容性だとか許容性って大切にしたいなあと感じるのです。
需要とか許容ばかりしていても駄目だけれどね。
つまりは、みんな違ってみんないいってことなんだな、きっと。
「夫の学歴や職業や社会的地位や年収を比較し合ってランク付けしてる」っていう、よくあるあれ。
物凄く男性的な発想だよなーと思うこの頃。
現実だと、奥様社会における自慢の種とかランク付けの種ってそんなんじゃないよなあ。
勿論本人の能力が最も強い種だと言うのは置いといて、
夫に対するランク付けだと「いかに高学歴高収入高地位か」ではなく「いかに自分を愛して大事にしてくれているか」と言う発想になると思う。女は。
自慢したい場合は「私の夫はこんなに私に優しいの」「こんなに私に尽くしてくれるの」「家事も育児もやってくれるの」「子どもにも夢中で良いパパなの」
etc的なことを言うし、
卑下/謙遜したい場合は「私の事など省みてくれない」「家事なんて全くしない」「家なんてほったらかしで帰って来ない」etc的な事を言う。
「うちの夫は○大卒で年収○万なの」「凄い!うちなんて▲大卒で年収もたった▲万だよ、羨ましい」なんて会話、ないわー。ネカマ臭いわー。
そもそも大多数の女はそこには興味無いんじゃないかな。
考えてみれば、そもそも独身でも彼氏自慢の種として「○大卒で金持ちで~」なんて言う女居ないよなあ。
同じように「私にこんなに優しい、尽くしてくれる、愛してくれる」的な物言いになるよな。
なんかいろんなとこで何度も出し尽くされてるネタな気もするけど、リアルで相談できるひとが全然いないので増田に書いてみる。
大学生なんだけど、恋愛ができない。というかどうしたらいいのかわかんない。ほんとに。
この人のこと好きだなっていう感情にはなる(ので、正確にはタイトルには誤解がありますすみません)けど付き合いたい、この人の恋人になりたい、とどうしても思えない。
もっと言うと、性的な関係になることにものすごく抵抗がある。嫌悪に近いのかもしれない。
別にトラウマがあったわけじゃない。トラウマ自慢したいわけじゃないです。
大好き!と思ってデートとかするじゃん、それでちょっと手なんてつないじゃったりする。向こうもなんかけっこうその気だし、一緒にいてすごく楽しい。
まぁ次のデートあたりで既成事実になりそうだ。そんなの告白される前からなんとなくわかる。
でもそこで改めて立ち止まってしまう。
付き合う前からそんなこと考えてる私が馬鹿なのかもしれないけど、この人と性的な行為をしたいかっていうと全然したくない。
でも恋人同士になったらそんなの避けられないっていくらなんでももうこの年だしわかってる。
自分でも毎回最低だなって思うけど、手のひらを返したように「あなたとは付き合う気ないですよ、よいお友達ですけど恋人ではないですよ」オーラを出して無言で圧力かけまくる。
告白する隙なんて、「そういう関係だよね」を言う隙なんて、与えないように細心の注意を払う。
ごめんなさいと思いながらほとぼりが冷めるのを静かに待つ。終わる。鎮火。
はあ。よくない。っていうかごめんなさい。
今まで彼氏いたことがないわけじゃない。最初の人とはかなり長いこと付き合ってた。
セックスが嫌いなわけでもなかったし、むしろいちゃいちゃしてる時間楽しかった。だから単純な嫌悪でもない気がする。
で、まぁどっちのせいでもなく別れた。繰り返すけどなにかトラウマを植え付けられたわけではない。
暴力とかも全然ない。未練もない。彼との想い出を汚したくない!とかそんなドリーミーな感情もない。
2人目に付き合った人は、よくある話だけど彼氏と別れてめそめそしてたときに優しくしてくれて雰囲気で付き合うことになった。
とっても仲良しでいっしょにいて超楽しかった。彼とは手つないだりキスしたりはしたけど、なんだかんだごまかして(実家暮らしという最強の切り札…)結局最後までセックスしないで別れた。
そんな長く付き合っていたわけでもないんだけど、でもひどいな自分…とは思った。明確に避けてた。彼のこと嫌いじゃないのに!全然!
うわーちょっとこれはやばいぞ、私ちょっとまずいんじゃないの、とうっすら思った。やっぱりそうだった。そのあとずっとそうだ。
またこんな風に別れちゃうのかもな~って思っちゃって、恋人をつくる気にどうしてもなれない。
女の子の友達には「はやく彼氏つくりなよ~~」「○○くんとデートしてどうなったの!?」とか聞かれる。
大学生はひまなんだもの、恋人がいないやつにいかに恋愛させるか、は話題として鉄板すぎるわけです。
そのいつも同じような質問にあいまいに笑って答える。「なんかめんどうなんだよね」「なんか気持ちがのらないんだよね」
ほんとは具体的にわかってる。いつもストップかける点はわかってる。
でもそんなの恋愛至上主義の女の子たちの前では、あまりに瑣末すぎる部分、だ。
「とりあえず付きあえばいいじゃん!」で終わるし、その答えに一理どころか納得できる部分が(少なくとも彼女たちのゲームのルールでは)大きくあるのもすっごいよくわかる。
付き合う前からそんなことが頭をよぎってしまう自分がおかしいのかおかしくないのか、そこでそういうことしたくないって明確な理由もなくでもかなり強く思ってしまうのがおかしいのかおかしくないのか、それすらちょっとよくわからない。
考えすぎだよ、とか言われちゃうとそれで終了なんだけど……
若いんだから恋愛しないと~、という物言いはよくわかる。でも無意識にブレーキ踏んじゃう。
恋愛したくないわけじゃない。好きな人がいてどきどきしてる時間はすごい楽しい。
でも現実的に恋人っていう二者関係に陥ると考えるともうつらい。
似たようなこと感じたり考えてきた人がもしいたら、いったいどうやってマインドを切り替えたのかあるいはあきらめをつけた?のか教えてほしい、です。
元増田です。的確なレスありがとうございます。
こういう話、相談する相手がなかなかおらず、ましてやはっきりとした物言いをしてくれる人もいなかったので、すごく嬉しいです。
やっぱり認識が甘いですよね…。何かあってからじゃ遅い、一番困るのは私のはずなのに。
相手が私をどう捉えているのか(舐めているのか、本当は遊びのつもりなのかなど)は、正直よく分かりません。
普段接している感じでは遊びの関係じゃないと信じていますが、私の一方的な思い込みと言われればそれまでです。
…馬鹿ですね。はい、馬鹿だと思います。相手のせいにしてもしょうがない。
金銭面の負担以外でも大人だな、と感じさせるシーンはこれまで何度もあって、
やっぱり学生はまだ子供で社会人は大人だ、となんとなく分け隔てた考えを持っていましたが、
私も大人でした。というかSEXする以上子供だろうが責任を持たなければ。
SEXするなら避妊は当然という考えが薄れてきていたのもあると思います。
運よく妊娠せずにこれていたため、徐々に危機感をなくしていたんだと思います。
ですが、おかげで改めて避妊に対する意識を持てたように思います。
やっぱり、避妊はしなきゃいけない。して当然のこと。
今一度彼氏に言ってみます。ダメならピルを飲むなり、きちんと行動しようと思います。