はてなキーワード: 理不尽とは
ただ、作品を読んで「不快だ」と感じた気持ちを書き記したいだけだ。故に、その作品名や作者については記さない。
ただし、詳細は触れないが、物語の簡単な説明・登場人物には触れるので、作品を読んだ事がある人なら分かるかもしれない。
件の作品は、集団自○を企てるサークルの話だった。SNSで知り合い、とある島に集う事になった彼等の群像劇…というか。
高校生、社会人、様々な立場の人物が登場するが、それぞれの動機には強弱があるらしく、その描写がわりと書かれていた人物と、ほとんどない人物がいた。
…というか。まず言わせてくれ。主人公的な男子高校生の行いが、まずアウト。自分に告白してきた女子高校生に乱暴するのだから。
その場面(文章)は高速スキップした。見るに耐えないからだ。何故こんな場面を入れたのか。最初の不快はここだった。
いくら相手が告白してきて、好意があったかもしれなくても、相手の同意の無い行為は犯罪でしかない。
それを最初に「そうした行為を推奨する目的ではない」と断っていても、誰でも簡単にインストールして読めてしまうようなゲームに入れた時点で問題があるだろう。
この作品に限らず、不快な表現をするアプリゲームが多すぎる事にも辟易している。
総じて言えるのは、「ゲームを遊ぶ人への配慮不足」。文章にせよ、映像にせよ、目にした人がどんな気持ちになり得るのか。
全ての人への配慮が難しいとしても、せめてセンシティブな話題や、デリケートな内容を扱う時には、配慮や注意をする努力が必要だと思う。その努力が、作品の中ではあまり感じられなかった。
作品のテーマというか、作品を通じて言いたかった事が何なのか、よく分からない読後感も不快だった。
作者自身があとがきで「正解を書きたかったわけではない」というような事を書いていたが、扱うテーマが重たいものである以上、その書き方や提起の仕方には、もっと配慮が必要であると感じた。
共感を呼びたいのか、投げ掛けたいだけなのか。描き方や配慮の浅い作品では、メッセージ性に欠ける。
現に、私はただただ「不快だ」という感想しか残っていない。作者や製作陣の頑張り…には申し訳ないが。
要は、中途半端なのだ。多くの登場人物を入れすぎて、一人一人の内情を想像する余地も少ない上、場合によっては理不尽に、残酷に命を奪われる人物もいる。
今、振り返ってみても、結局作品を通して何が言いたかったのか、よく分からないという一言で終わってしまう。
賛否両論が分かれるテーマはいくらでもあるが、あまり考えなしに投げ掛けるだけ、というのは無責任に思う。
(考えなしに、とは言ったが、作者の考えが全く無いわけではなく、確か設定資料?やら、あとがきやらに書いてあった気はするが、重さを感じない言葉だったので覚えていない)
他にも、人妻に接近し過ぎる独身男性や、グロテスクな描写、快楽殺人犯など、不快な要素は多々あったが。
申し訳ないが、二言申すなら、描写不足。配慮不足。これに尽きる。
人の生き死に、特に自ら望むような場面を描くのであれば、直接的な表現も含め、心理描写は本当に慎重に描くべきだろう。
敢えて軽いタッチで…という姿勢なら、描き方が浅すぎて伝わらないし、描く必然性が薄れる。
総じて、後味の悪い印象を覚えてしまった。ふと他の方の反応が気になり、レビューを見てみると、不自然な好評価コメントが並んでいた事に驚いた。
私の価値観を押し付けるつもりはないが、この話はそうした次元のコメント以前に、不快という感想が勝ってしまった。
残念ながら、不快と感じた事自体に議論の余地はない。私にとっては、何故この作品に高評価が付いているのか、といった事の方が疑問ではある。
これもこの作品に限った事ではないが、作品に何らかの共感や感動を覚えた人々の感性は、必ずしも共通する部分ばかりではない。
皆、自分に置き換えたり、単純に好きなキャラクターがいたから等、感想の抱き方も千差万別だ。至極当然だが。
しかし、昔から「名作」「素晴らしい作品だ」と言われる数多の物語において、多くの人々が共通して「良い」と感じる部分があるのも確かだ。故に名作は色褪せない。世代も時代も越えて愛される。
東北放送は、災害対策に奮闘している地元の長が、衆人環視の中で理不尽な理由で子供のように説教されたのを見て、赤穂浪士のように立ち上がったんだと思う
女性差別や性加害はたしかに深刻な問題だしまだまだ圧倒的に改善しなければならない点が多いんだよ。
でも一方で、一部だけど、男性嫌悪に基づいた理不尽な攻撃もある。
そういうのが積み重なると、まともな男ほどリスク管理の観点から恋愛や結婚はおろか女性との接点をできるだけ減らそうとするようになると思う。
そうすると残るのはどんどんクズ男ばかりになってしまって、女性はむしろクズ男にしか出会わなくなる。
そうなると女性はますます「男はろくでもない」と思うようになって男性嫌悪も強くなる。
その結果ますますまともな男は女性との接点を減らし、クズ男比率が高くなり、ますます女性の男性嫌悪が増す。
まともな男との接点がどんどん減っていくことと、女性の方もせめてビジュアルとか表面的な優しさだけでも求めたい、ってことでホスト通いをしたり、彼氏を探すのは諦めて、セフとか推しとか好きピとかを求めたりするようになるのでは。
あまりに理不尽なことでクライアントと言い合いになったので、多少ボカして顛末を記す。
私の会社でとある商品をオンライン販売しており、その在庫管理システムのようなものを必要としていた。
それでネットで検索して「システム構築はお任せください」というシステムインテグレータに見積もりを依頼し、発注することになった。
概ね順調にシステムが出来てきたころ、私と先方のシステムエンジニアとの会話でこのようなことがあった。
先「それなら良かったです」
私「一点いいかな?受注してから発送作業者が作業に取り掛かるまで、現状だと手動で見に行かなければならない。ここも改善したいのだがいけるかな?」 ※特定を避けるためボカしてます
先「なるほど・・・その場合は人が常駐している必要がありますね」
私「その作業、君がやってくれるかな?」
先「えっ?」
私「えっ?」
となって空気がおかしくなった。私の言い分はこうである。「システム」は業務の工程全体を表すのであって、ソフトウェア的な部分だけを表すワードではない。
だから「システムエンジニア」を名乗るなら、ソフトウェア面以外の箇所も改善するのが当然ではないか、というのが私の理屈である。
しかし先方の言い分はそうではない。システムエンジニアはソフトウェアシステムだけを改善し、それ以外は関与しない。
だからソフトウェア改善で対応できない箇所は「システムエンジニア」だから対応しないというわけである。
私にとっては、一体何を言っているんだという話である。システムという言葉を軽視しているというか、濫用しているのではないか。
ソフトウェアも立派なシステムであるが、これは株式会社と株式会社のやりとりである。
ビジネスがシステムの根幹であって、ソフトウェアはその内部のいち部分でしかないことは明白ではないのか?
結局そのシステムインテグレータは、ソフトウェア以外のシステムは対応しませんということだった。私にとっては片手落ちの気分である。
あーマジで見てられね―な。
お前がブルアカのこと好きでもなんでもないことは明白なんだよ。
バ レ バ レ って奴ね。
ブルアカの本質、透き通るような世界観の青を理解していればブルアカアニメが何を目指していたのかぐらい秒で理解できる。
ブルアカが目指していたのは「韓国原産ゲームのアニメ化という偉大なる成功体験の再現」なんだよ。
韓国産ゲームが二次元大国日本に文化侵略を繰り返し、その象徴としてアニメ化というゴールへと到達した日々の走馬灯こそがブルアカの見る夢なのだ。
原作ゲームを荒削りに再現し、キャラ萌えと狂気と闇(ニチャァ)で安易にオタクを刺激しようとする牧歌的で原色的な平成中期のポップカルチャーをやり直しているわけ。
原作ブルアカのOPを聞いた時、君は言いようのない懐かしさを覚えたはずだ。
ブルアカはね、若いオタクが青春を味わうゲームじゃないんだよ。
年老いたオタクたちが、自分たちの夢見ていた青春を思い出すゲームなんだ。
青春を夢見ていた頃の気持ちを共有することで、オタクとしての若々しい情熱を蘇らせてくれるんだ。
今風の技術と絵柄を使っているだけで根っこの部分は何十年も前に流行ったような王道楽園美少女動物園だ。
偉大なるキム・ヨンハが目指しているのは、まだ美少女動物園が青々と輝いていた頃を懐かしむことなんだよ。
レッドオーシャンしていくなかで差別化のために迷走を繰り返し、パイを広げていくためにオタク臭の脱臭を図りだす前の時代の追憶だ。
彼は未来を見通す賢者ではなく、自分が経験によって学んできた歴史を課題に評価する愚者だ。
愚者であるからこそ、余計な知恵を振りかざさないからこそ、その実直な気持ちが受け手の心を捉えるのだよ。
日本カルチャーが忘れた原始的な萌えの体験を愚直になぞり続けるキム・ヨンハの繰り出した新たな一手こそが、オタク黄金時代風なアニメ化なわけだ。
OPだけやたら気合が入ってて本編の作画はちょいちょい手抜きを感じさせるこの空気、これを懐かしめない奴はブルアカのことを何も分かってねえ。
声優がフルボイスで全部の台詞を読んでくれているだけで嬉しいと思えるかどうかが試されていることが、自分が本当のファンであることを証明してくれる試練となっていると思えねえのか?
ブルアカのアニメは俺達に大事な気持ちを思い出させてくれたぜ。
このガッカリ来るような気持ちがよ、当たりの少なすぎるガチャのような理不尽さがよ、スコッパーたれと言うが如くの玉石混淆、これが俺達の脳をぶっ壊してきたんだろうが!
☆3が全然引けねえから☆3を同時に引けただけで自慢スクショ取っちゃうような、そんな賭博性が快感の大原則なんだよ!
ブルアカのアニメだから成功して欲しいという気持ちが裏切られたと感じる時、その気持ちに「コレだよコレェ!」となれないような奴がブルアカをいっちょ前に語ってんな。
そしてアニメ版エデン条約編の評判の良さを聞きつけて帰ってきてから「クソすぎて途中離脱してたわwwww」と言ったことから炎上して全部のアカウントが凍結されるがいいさ。
増田は巨乳でカワボ(死語)の綺麗なお姉さん()で、人当たりはそんなに強くないほう。
生育環境にやや問題があり、細々と芸能活動をしている美人で気の強いママに、流血するほど殴られたり容姿や人格を罵倒されながらメンヘラを隠して健常に擬態する労働長女として大きくなった。
巨乳でカワボで当たりが優しくてメンヘラ臭がすると何が起こるかというと、大量の自信のない男たちに好かれる。
自分のことを底辺とかダメ男とかブサメンとか自称する卑屈な人たち。彼らは能力にも容姿にも経済力にも家柄にも人格にも自信がなくて、落ち込んでるそぶりを見せては慰められにくる。
慰めると今度は好意を寄せてきて、好意を受け入れたら今度はどれほど自分が好きなのか証明しろと言ってくる。
それは束縛だったり、長時間の拘束だったり、金銭だったり、家事の提供だったり、相手の心身のケアだったり、暴言や理不尽に耐えたりすることだったりするんだけど、マジで幼いんだなぁという感想しかない。
要約すると、彼らを全肯定して、現実面の全ての不足を満たして、その上で彼らに尋常でない執着をし続けないと、彼らは不安とか寂しいとか全然大事にしてくれないとか言って泣く。すごい気軽に泣く。
年下も年上もそう。
なんかそういうラノベでもあるのかな?みんなテンプレみたいにそういうやつばっかりで気持ち悪い。愛を証明しろと言ってくる。自分は何も負担してないから気楽なもんだよね。
最近はもう「気持ち悪いので関わりたくありません」って本人たちに言ってる。
そうすると傷ついたって泣く。
親のために子ども産むとか論外なのは分かってるけどどうしても見せてあげたい、見せれなかったら死ぬほど後悔するだろうなって思う。
旦那も最初はほしくないで一致してたけど、話してみると何やかんや自分と同じような心情らしい。
今はその子どもがいないから親のためにしてあげたいって気持ちが膨れ上がるけど、いざそんな理由に押し切られて産んだら可哀想なのは子どもの方。まともに子どもを育ててあげられる全く自信がない。巣立つまでの20年近くの中で絶対に子どもの心に傷をつけることとか言っちゃうと思うし、どこかで嫌気が差したら我が子だろうとその先ずっと嫌いなままでいてしまうと思う。いいお母さんでい続けられる自信が全くない。
旦那は子どもに全部を捧げる覚悟がない、覚悟がないと子どもは育てられないし自分には難しいと言っていた。
けど、親は頑張って色んなものを犠牲にして、多分色んな理不尽とかにも耐えてきて私を育ててくれたのに、親には孫の顔を見て喜ぶという見返りがないことへの理不尽さがどうにも耐え難い。親は常々「孫の顔が見れたらもう悔いがない」と言っていた。それを叶えてあげられるのは自分たちしかいない。
親への申し訳なさを一生抱えても子どこはつくらずに生きていくべきだと思う。けど、どこかで耐えきれなくなって子どもをつくってしまう気がする。
青髭になるのはヒゲが濃くて毎日キレイに剃るタイプの人(これは有名か?)
ヒゲが薄い奴のヒゲ剃りは大抵雑ですぐ終わり、ヒゲが濃い男よりも清潔感があると評価され、ヒゲが濃い奴はだらしないと扱われる
電気シェーバーでも新品のT字カミソリでもどうやっても完璧にキレイに剃りきれないうっすら見えるゴマヒゲと、本当に剃り残してるヒゲは全然別物だけど女さんからは同じ扱い
理容室の顔剃りもヒゲ剃りだけ見たら自宅のヒゲ剃りとさほど変わらない
明らかに理不尽だが、この事でお気持ち表面するヒゲが濃い男は少ない模様
いわゆるチー牛顔の人は何故かヒゲが薄い人ばかりで、そこだけ羨ましい
>自分より大きい生き物から唐突に、理不尽に高圧的な接しかたをされたことがないからそう言えるんじゃないか
自分より大きい生き物から唐突に、理不尽に高圧的な接しかたをされたことがありまくる低身長男性の事は蔑ろにして、馬鹿にしまくって、都合の良い時だけはこういう事言い出すの、端頭おかしいとしか思えない。
はじめに、文章を書くのは久しぶりのため少し読みづらいかもしれません。
・女に声かけたら警戒された、脅かしたら逃げた。
あの時の男側から見たらこの程度の話。あとから状況を伝えた時、旦那にはこの恐怖が伝わらなかった。私が何でその程度の事で怯えるのか理解できないみたいだった。
だからどこが嫌で何故怖かったのか、吐き出しながら纏めてみようと思う。
駅から家まで歩きで15分、仕事終わりの19時ごろ。普段は人と車通りのある大通りだが、その日は人もまばらだったので早足で帰っていた。
10メートル先、男が道端でスマホをいじっていた。男は半袖でキャップをかぶっていてB系の服装、体格はそんなに大きくなかったが腕にワンポイントの刺青が入っていて『怖い』と思った。
男は私に気がつくと顔をあげ。こちらへ向かって歩き出す。自意識過剰かもなと思いつつ、不審な動きが気になって避けるように端を歩いた。
男と接触しなくて済むように歩道の右端に寄ったのに、やたらとこちらを見ながら向かってくる。
仕方がないのですれ違う数メートル手前で道路植栽のゾーンに仕方なく足を踏み入れた。
まばらな植栽の土を踏んで歩くと新品のスニーカーが汚れた、大きい車道に挟まれ反対の歩道へは逃げられない。
通りすがる瞬間も警戒していると男が突然腕を広げて通せんぼのような事をしてきた「ねぇお姉さん」と声をかけ、携帯をちらつかせた。笑いながら。
私は唐突に道を塞がれたのが怖くて、植栽を越えて車道に出て走って逃げた。
逃げ切って姿が見えなくなっても、不快感や唐突に腕を伸ばされた恐怖は続いていた。
寄る必要のないコンビニとスーパーに寄って追われていない事を確認してからようやく家に帰ることができたが、旦那が帰るまでは落ち着かず安心できなかった。
1ヶ月ほど経ったけど、あいつがどこかから見ているんじゃないかと帰り道は未だに気が気じゃない。呪いみたいに付き纏ってきてある日私の人生を壊しそうな気もする。帰り道のたびに警戒しなければいけない、そんな漠然とした不安があいつの気軽な声かけで私に刻まれたのが本当に嫌だった。
補足するが、私は長袖のヘビーウェイトパーカーとパンツで身体のラインや肌などは出していなかった。
そのうえで何かをされる前に警戒していたとしても、こんな仕打ちをうける。これが自衛でなんとかなる筈がない。
出先で声をかけられる事は正直言ってとても不快だ。
自分より背丈の大きい生き物が品定めするようにこちらを見て、さも「選んでやったんだから光栄に思え」というような尊大な態度を取る。
無視すると舌打ちされたり「ブスのくせに」と聞こえるように言われたり、ある時は聞くに絶えない卑猥な言葉で罵倒されたこともある。
これらは全て別の男からだ。
自分や友人のためにお洒落して出かけた帰り道、駅前で声を掛けられる。それで無差別に舌打ちや暴言を聞かされて嫌な気持ちにさせられる。
大切な人の為のお洒落な装いが、昨日たくさん考えたお洋服がそいつらに汚されたように思えて、唾でも吐き掛けられたような気分になる。
でも物理的に勝てないことを知っているから殴りかかることもできなくて、そいつが私のことなんて忘れた後も延々心の中で呪い続けるしかない。
ずっとずっとずっとずっとその男たちを呪ってる。
大切なひとと会った後のあったかい心を殺したのに、あいつらはのうのうと生きてる。
「ナンパされて嬉しいだろ?自慢できるだろ?」
嬉しいはずないだろ、なんでそんな奴のために無料で笑顔を振りまかないといけないんだ。
なんで見ず知らずのお前の為に嫌な思いを我慢しないといけないんだ。
嫌な思いをする一部の奴が我慢すればいいじゃんと押し込められる。
ナンパくらい大したことじゃないとも言われる、あなたにとってはそうでも私にとっては大した事だ。
自分より大きい生き物から唐突に、理不尽に高圧的な接しかたをされたことがないからそう言えるんじゃないか。
不快を示して殺された例だってあるから思うがままに罵詈雑言を返すこともできない。それを知ってて声掛けしてくる卑怯者と弱者の忖度を知らずに声掛けする愚か者。
そもそも恋人が欲しい人同士でのマッチングの手段が存在するのに、わざわざ道端で声をかける時点でズレている。時代遅れだ。
でも男達の中にいるナンパ推奨派はそれを気づかせず、ナンパのメリットを並べ立てる
好きな女を選べるだとか金がかからずどうこうとか、色恋を売ってない穏やかに生きてる一般の女までモノのように扱う。そのノウハウが金になるから時代遅れなのを隠して薦めようとしているみたい
そうやって数打てば当たる戦法で相手に尊敬もクソもない最悪の声かけが起こる。
思うがままに色んな愚痴を並べてしまったけど、上記の理由でナンパや声掛けは大嫌いだ。
時間を奪った上で、不快を被らなきゃいけないってどんな嫌がらせ?駅前に陣取ってストーキングして声を掛ける事がどれだけ自己中心的な事なのか考えたほうが良い。
その軽い行いがどれだけ相手を傷つけるか、そして相手から恨まれているかをちゃんと考えるべきだと思ってる。
でも皆はそんなに気にしてないのかな、女の子はもう諦めてるのかな?こういう奴らに対してどう思ってるの?良かったら教えて欲しい。
あのナンパ男たちは私の気持ちを台無しにして怖い呪いをかけたから、そのお返しをしてあげる。
私は駅前で声をかけて嫌な思いをさせてきた男の顔を覚えてる、何をする訳じゃないけど。
自分の子供時代を考えると、親が街中の社宅から郊外の戸建てに引っ越して自然が豊かで遊び場が豊富になって嬉しかった覚えがある。もう感動したというレベルだったわ。
遊び場が広い嬉しい!と思ったこと一度もない気がする。本当に個人差でかいな。
何故かうちの猫は俺を踏んでいく。
その先にある餌場との間で寝ていたからかと気付き、場所を変えて寝ているとそれでも俺を踏んでいく。
わざわざ遠回りしてまで俺の上を踏んでいく。
こっちもここまでくると躍起になり、隅の方でゴロンと横になっているとそれでも猫は迂回し、俺の上を踏んでいく。
何故なのか。理不尽だ。
年収・学歴は努力で変わるものだから分かるけど、身長でふるいに掛けられるのはどう考えても差別的だしおかしいと思うんだよな。
生得的なものでふるいに掛けられる理不尽さを女にも実感してもらうために、女のバストサイズでフィルターできるようにもしてほしい。
善い行いをすれば良いことがあり、悪い行いをすればバチが当たる。
努力をするだけ結果に繋がる。
そういった考えを「公正世界仮説」、それに準じることを「公正世界信念」などといったりするらしい。
善い行いをし続けた者が理不尽に死んだり、悪い行いした人が悠々と生きていることも珍しくない。
努力が結果に繋がるとは限らない。
実際、そんなことくらい分かっている。
しかし、そんなことを承知の上で、漠然と「公正世界であってほしい」とも思っている。
つまり広義的な「ゆる~い公正世界への信仰」に覆われている状態なわけだ。
問題は、これが「あいつは持っているのに、なぜ自分は持っていない」といった感覚を生みやすいこと。
(相対的剥奪感なんていうらしいが、社会学を語りたいわけではないので名称はどうでもいい)
さて、先ほど、世界は公正ではないものの「ゆる~い公正世界への信仰」があると書いた。
この信仰によって「あいつが持っているのだから、自分も持っているべきだ」と考えが出てくる。
或いは「自分が持っていないのだから、あいつも持っているべきではない」と。
実際に奪われたわけではないし、もとから自分の物というわけでもないのに。
では、どうやってこの妄執を解消していくか。
一見すると穏当だが、この手段が極度に達すると本当に「他人から奪うことで手に入れる」ことになる。
そもそも「自分も持っているべきだ」という前提があるため、必要以上の、特別な措置をとりたくないわけだ。
ふたつめは、それを持っている人から取り上げること。
これも実質的に「他人から奪った」形にはなっているが、自分がそれを手に入れるかは重要ではない。
あくまで「自分が持っていないのだから、あいつも持っているべきではない」という考えのもと取り上げるからだ。
みっつめは、「何らかの真っ当な要因によって自分は持っていない(あいつは持っている)」と脳内保管することだ。
しかし、これは公正世界の非現実性、そのギャップを埋めるためにやっている時点で破綻している。
つまり、この脳内補完も現実に則していないため、どこかで無理が生じやすい。
その“無理”が積み重なって自分一人で処理しきれなくなると、今度は“外”に干渉することによって解消しようとする。
そもそも世界は公正じゃないのに「世界は公正であってほしい」と思うことがバグの原因だ。
しかも、この「公正世界」は自分のミクロ的な視点、つまるところ「小規模な世界」に押し込められているのが実情である。
公正な世界なんてものが実現可能であったとして、それが「自分の望む世界」かは別の話、ということだ。