はてなキーワード: 資料とは
まず「貧困率」とは、食うに食えない人の人数のことではない。
お前の考えるような障碍者とか孤児とか、そういうのが陥っているレベルの「貧困」で率をとったら、日本の貧困率は相応に低いぞ。
読み合わせ会が半年にわたって行われた
難解な用語も詰まらずスラスラ読めたのはその先輩と私だけだった
私はそんな先輩を冷めた目で見ていた
私が一人、ワインを飲んでいると、先輩が近寄ってきた
先程までと違い真面目な顔で、嫌な予感がして正直逃げたかった
少し身構えていると、先輩は声をひそめて
「読書は好き?」先輩は言い直した
「ああ、はい…」私が答えると
「やっぱりそうか」
「はい…」
「いつもどういうの読んでるの?」
「えっと…」
「えっと…」
「いい、いい、無理に言わなくて。ところで、〇〇の小説は読んだことある?」
「いえ…」
「そうか、一度読んでみて欲しいな」
「はい…」
「よかったら一冊貸そうか?今度お試しに一冊持ってくるから」
「はい…」
「よし、わかった」
先輩はいつもの調子に戻り、にっと笑って親指を立てて立ち去った
あれは一体何だったんだと私は思った
翌日、私が自席で一人お弁当を食べていると、また先輩が真面目な顔をしてやって来た
私の嫌いな分野が題材で、手に取ろうとさえ思ったことがない作品だった
「もし合わなかったら無理して読まなくていいから」
それだけ言うと先輩は立ち去った
家に帰って早速ページを開いた
「ありがとうございました」私は本を返した
「うん。どうだった?」先輩は恐る恐る尋ねた
「凄く良かったです」私が答えると
「ほんとに?他の作品もあるけど、貸そうか?」やっぱり恐る恐る尋ねた
「え、そんなに気に入ってくれたの?」
「はい」
「うん。そういうタイプじゃないよね」先輩は照れながら言った
「よかったら君のお勧めも教えて」
:
川崎市単体では組合員数が少なく(労使交渉などに常時動いているのは更に少ない2、3人)横浜支部などと合わせてがくろう神奈川の支部として活動している。
この組合は、自分達のイデオロギーに合致すること(例として米軍基地移転・マイナンバー反対)や、労働組合として定例の取り組み(賃上げ要求や雇止め反対等)には取り組むが役員が必要性を認めない、労使関係に影響を及ぼすような(要は及び腰になるような)組合員個別のトラブルや悩みには支援介入しない。最初のうちこそ多少は交渉に動いたものの、後半にはこちらは診断書まで提供して何点もの当局の問題点を追及するよう強く要請したが、組合自らが非難している市教委当局や川教組、政治家よろしく殆どにつき「追及はしない」「検討が必要」との回答に留まり何一つ踏み込んだ行動や私の希望する対応はしてもらえなかった。反対にこちらが問題のある人物かのような態度をされた。結局組合加入中にも拘らず一人で当局と交渉することを余儀なくされた。
特に事実上の組合トップである書記長Iはひどい。加入直後こそ御祝儀期間で多少交渉等に動いたもののその段階から我が強く、交渉の席で任せてと話を遮ったり、組合や自身の考えを展開したり当事者である私の主義主張とずれるところがあった。私が二度目の休職に追い込まれた後には、私が医師の勧奨も無視する不当極まる配転命令に屈することはあり得ない、訴訟も含めあらゆる手で徹底抗戦する、異動を前提にしなければ復職は出来ないと再三面談や資料提供も含め伝えているにもかかわらず、自らの考えで勝手に専門医が休職と言っているのだから休職復帰が最優先で復帰まで支援はしない(即ち人事共に屈し、居るだけで心身悪化する苦痛極まりないパワハラ配属先に年単位で我慢しろ、出来なければ分限免職止むなし)と結論付け、こちらの話を聞かず考えも一切曲げず一方的に支援の打ち切りを通告してきた(この時点で事実上除名のようなもので労組として考えられない対応である。貴方の為などと嫌がらせ人事する連中と大差ない)。
その冬の当局への年一回の異動交渉の場でも、他役員への私の強い申し入れの結果なんとか名前「だけ」は出させたが通勤負担の低い職場という一般論だけで私の詳細な希望は盛り込まれなかった。ついには加入当初は当然になされていた、どこの組合でも組合員の基本的権利である筈の労使交渉の場での発言等の進捗情報の送付共有(私個人のため特別に作成するものではなく普段から全組合員に向け書記長により作成されているもの)さえもしてこなくなり組合仲間から指摘されても改めず、その対応について私が指摘すると自らの過去の発言を翻し「組合員の権利」→「病状を考えて送らない。アンバサダーではない。送付する義務はない」。病状悪化などしないしそんなことは一切こちらから希望してもおらず提供するよう改めて強く求めると後日SNSにて自分が悪いにもかかわらずハラスメント(笑)されただの引用文にかこつけてテメー呼ばわりだの逆切れしている始末であった。よってこれ以上加入を続けてもメリットはゼロどころか話にならず不快極まりないため脱退することにした(なお、上記発言事柄等は全て証拠として残っている)。
SNS等では加入させるために威勢の良いことをごちゃごちゃと並べ立てているが、結局のところ何を言おうが事実として私の抱える労働問題の殆どの力になることは出来ず、それどころか後半は最初の一歩である当局への申入れや交渉さえせず脱退後は他の学校事務職員には送っている情宣誌も私には勿論一切送って来ない。これがコイツ≠組合の本性である。スケールメリットもないこの組合に加入し毎月無駄な組合費を払わされるくらいなら直に弁護士に相談するなり自分で自分のための組合を立ち上げた方が遥かに良い。人数が少ないため自浄作用もなく役員の交代も期待出来ず加入は全くお勧め出来ない。
4月末で、クソみたいな先輩が辞めた!
興奮してこんな時間になっても眠れない。
最終出社日に、本当にお世話になりました。まだ教えていただきたいことが沢山あったのに残念です、と心にもないことを言えた私偉い。
本当は、イェーイ!転職してくれてサンキュー!と思っていたよ。
印象に残っている先輩の姿
・挨拶はもちろん返してくれない
・5分前に届いた急ぎでもないメールの対応(アンケート回答)をしていないことを大声で責められる
・ダメ出しは鼻で笑いながら、「考えればわかるでしょ」のみ
・会社独自の書類に、どの程度の粒度で書くのかを聞いてもこれ以上の回答はもらえない
・同じ作業でも「少しは自分で考えて動いて!」「必ず私に確認をとって!」が日によって変わる
・仕方がないので、作業内容をチャットで報告して対応するようにしたら「なぜ報告するのか。平社員の私に報告は必要ない」
・先輩が仕切る会議当日に休む。資料の状況をチャットで聞いても無視。会議はなんとか回した。
・翌日何食わぬ顔で出社。ありがとうとか、ごめんねとかそういう類の言葉は一切ない。それどころか、会議の結果をなぜ報告しないのかと催促された
など、人間性に難がありすぎて、平常心で仕事を教わるのが非常に大変だった。
中途入社だったので「やべえ人だな、上司に適宜状況伝えとこ」で乗り切れたけど、新卒だったら潰されてただろうな、と思う。
そんなひどい人を採用してくれた会社には感謝しかない。アルムナイ制度で戻ってこないことを祈ってる。そちらで定着してください。外に出さないでください。
Xは事件の9日前(2018年4月2日)に書類作成を巡り被害者Aから12回か13回訂正を求められた。修正は翌日未明の3時までかかり、Xは疲れていた様子だったが『理不尽な指導・暴言・暴力』は一切なかった。
もー円安やばいとか後進国だとここ数日いい話が全くないし、絶望することばかり。
「なんでこんなに働いてるのに」ってみんな思ってるんじゃないの。自分の周りの仕事を見てるとここ15年であきらかに「手数が増えている」気がする。無償の。広報みたいなPRの人たちは外注すればいいのにそのお金がないから「自分たちでSNSに投稿する」とか、他の部署や他社を説得するために余計な(これはほんとに余計な。最後の目的のためにじゃなくて誰かがどこかで「安心」するためだけの)書類が増えたり。
生活で言うところの「見えない家事」みたいな仕事が増えてきてる気がしてて。「丁寧に」「細やかな」みたいな呪いをかけられてる日本国内の仕事は、そりゃ残業時間も多くなるよね。でも残業代もらわないと今の生活水準保てないよね。残業代マックスでもらった後サービス残業当たり前。その残業代も36協定みたいなやつで縛られて。
雑とか言われてもいいからさ、「最低限」で最適解を出したいよ。上司の「聞いてない」を解消するためだけに会議のための会議をやったり、資料をつくる、その丁寧さ、お金にならない細やかさがどんどん労働を蝕んでるんじゃないのかな。
俺は人口10万人以下の地方で公務員をやってる。念願の博物館への異動が叶ったのに、クソ女のせいで異動になった。
美大を出て資格をとった俺にとって、希望した博物館への異動は願ったりかなったりだった。しかし、異動先には学芸員採用でそこに居座っていた上司とクソ女がいた。上司は変わり者だがさして問題ではない。問題はこの新卒2年目のクソ女だった。
まず、女は学芸員のくせに展示がズブの素人だった。俺は美大で展示の演出方法について学んだし、この女より確実に多くの美術館に足繁く通っている。とにかくこの女の担当展示がひどいものだった。空間演出というものを知らない。パネルに手製のへたくそなイラストを描いただけで満足しているようで、見るに堪えない展示だ。
それに加えて俺の持つ事務業務を手伝おうともしない。新人なら、事務や雑務も多くこなして早く仕事を覚えるべきなのに、このクソ女は時間を見つけては研究ばかりしている。展示に役立てようとしていたみたいだが、ならまず空間演出を学んだ方がいい。
これらのことを、本人や周りにも言っても改善される余地がないので、Twitterに職場のことを書きこんでいた。少ないながら、俺の書き込みには少ないながら現職学芸員や大学教授からの賛同を得た。
しかし、このTwitterアカウントが見つかったことで俺は異動になった。間違ったことは書いていない。大学で博物館学の教鞭を執る教授も、俺に賛同し、クソ女のことをバカだと言ってくれた。なぜ正当な批判をした俺が異動になって、無能なバカ女が博物館に居座るんだろうか。社会は、女に甘い。そういえば、クソ女は、一橋で表彰された(上司から聞いた)ことを鼻にかけて、無能のくせに一回り年上の上司にあたる俺に資料の触り方がどうだの、レファレンスがどうだのあれこれ言ってきた。挙句俺が取材を受けているときに、「それは間違ってます」とすぐさま野次をいれてきた。事実関係が間違っているなら、後から訂正すればいいだろうに、すぐさま否定することで俺に恥をかかせた。このでしゃばりで、物の順序も知らない無能のどこが優秀なんだかわからない。女だから大学の査定も甘いんだろう。まだ大学に通ってるらしいが、よほど甘い汁が吸えるのだろう。こんな能無しのバカに博士論文なぞ書けるわけがない。
俺も最初はこの女に甘くしてやった。そいつのために時間を割いて運転の練習を見てやるために公用車予約までしたのに、直前で具合が悪くなったとかでサボりやがった。思えばそいつは月一で頻繁に体調を崩す。崩す癖に職場に来て皆に心配をかけて目障りだから、ふたりきりのタイミングで注意してやった。自分の体調も管理できないバカに仕事が勤まるわけない。
せっかく学芸員になる夢をつかんだのに異動になったのは、すべてこの無能クソ女のせいだ。どうにか法律が許す範囲で報復したい。
維新の会共同代表の吉村大阪府知事が、「0歳児投票権」(未成年の子の投票は親が代理して行う)を提案し、維新のマニフェストに加えたいという意向だという。
(https://digital.asahi.com/articles/ASS4T2RNLS4TOXIE01TM.html)
これについて同党音喜多幹事長が、次のようなツイートをリツイート(リポスト?)していた。
吉村知事の0歳児投票権=ドメイン投票の実現可能性は兎も角、海外で真面目に議論されて国会まで行った話を、あたかも与太話のようにせせら笑い取り合わない風潮をみると、この国の知識レベルが心配になる
海外の議論で主な論点はすでに整理されてるが、日本のSNS界隈の反応はそのレベルに達してない
吉村知事が言ってるドメイン投票は例えばドイツでは連邦議会において議論され、(https://bundestag.de/resource/blob/531942/6669f3e29651882065938fc6a14fd779/wd-3-157-17-pdf-data.pdf)、無論導入にはいたらなかったものの、第三次メルケル内閣のManuela Schwesig家族相など、賛同者もいた昔からあるアイディアの一つですが
ドイツの連邦議会で議論されたというのは、この議論が無理のあるものではないということを示す一つの傍証とされているのだろう。音喜多氏もこれを自分の議論を支持する意味でリポスト(?)しているようだ。ただ、リンク先のPDFを見て色々な意味で驚いた。
第一に、このPDFはドイツ連邦議会調査局(Wissenschaftliche Dienste)が作っているものである。調査局が作っている立法資料を持ってきて連邦議会において議論されたというのは羊頭狗肉の感がある(※)。たとえば日本の国会図書館調査及び立法考査局が資料を書いたら国会で議論されたことになるのだろうか。
第二に、調査局の報告書(タイトル:生まれた時からの選挙権[構想]の諸問題)という体裁上、両論併記的であり、あまり執筆者個人の意見は出ていないが、この提案に対する分析の水準は明らかに日本でいま議論されているようなレベルのものではないことに驚いた。なお、ドイツ法に詳しくない方のために申し上げるが、ここから先で述べる「基本法」とは、ドイツにおける憲法典(日本国憲法のような)にあたる法である。
要約すると、
・親に子どもの数分の選挙権を付与するモデル(Modell des originären Elternwahlrechts)は、ドイツ基本法38条1項1文が保障する平等選挙の原則に反するし、平等原則の原則は20条の民主的連邦国家原理に含まれる。したがって、基本法79条3項の定めにしたがって、このような提案はたとえ基本法(憲法)改正によるとしても許されない。(4-5頁でバッサリ斬られている)
・一方子の選挙権を親が代理行使するモデル(Modell des originären Kinderwahlrechts)については、別途の考察が必要になる。(同)
・基本法38条2項(選挙権年齢)の改正が必要という点はともかくとして、実質的な側面としてはやはり基本法79条3項が定める基本法改正の限界について検討するべきであるが、そこで重要になるのは、基本法20条の民主国家原理に含まれる平等選挙の原則にこのようなモデルが適合するか否かである。
・親の代理投票主唱者は、親は子の票を受託に基づいて行使するので、平等選挙原則に反しないと主張する。すなわち、親自身の投票権行使と子の投票権行使は区別して行うべき制度であれば平等選挙原則に反しない。また、たとえ平等選挙原則に反するのであるとしても、このような制度は普通選挙原則(選挙権を万人に付与すること)に奉仕するから、その意味では民主主義原理に役立つ(※基本法20条、ひいては79条3項に反しない)。(7-8)
・このモデルへの批判者は、まずもって、望むか否かは別として政治プロセスに参加できない人にも選挙権を与えても、民主主義の正統性は得られないとする(※普通選挙の拡大という言い分は見せかけであるということだろう)。そのうえで、親による代理投票は、事実の問題として、親に複数の票を与えることに他ならない。親自身の票と子の票を区別して投票するという仕組みは非現実的である。そもそも代理投票という仕組み自体、子どもは成熟していないということを前提としているのであり、親が子の受託に基づいて投票するという議論と矛盾する。加えて、親を通じた代理投票という仕組みは、選挙権が一身専属的な権利であり、国家の意思形成に責任を持って参加する力をその人だけに与えるものだという側面を無視している。結局、基本法20条、ひいては79条3項に反する。(9-11)
ここから分かるのは、ドイツでは親の代理投票制度は、普通選挙の拡大に資するし、かつ、代理投票モデルであれば、平等選挙原則に反しないという形で議論されているということである。少なくとも「消滅可能性自治体」があるからとかいう「地方創世」で一山当てたいコンサル向けのくだらない理由が提案の原点なのではない。また、少なくとも表向きは、少子化対策のために子持ちの票を増やそうという理由でもない(その理由の馬鹿らしさはこれでも読めば良いhttps://mond.how/ja/topics/v35a8jk8lwp89el/jw3f2o4dj0z9fo4)。あくまでも普通選挙の拡大に資するというのが理由である。より民主的な政治制度への変更を試みようという提案(として自らを位置付けている)というわけだ。ただ、民主主義は平等選挙原則も同様に要請するから、ドイツ人がやっているように、平等選挙原則と両立するかを考えなければならない。
平等選挙原則に反しないというためには、親自身の投票と子の投票を厳密に区別する必要がある。それが現実問題として可能なのかということをしっかり考えなければならない。この仕組みの賛同者がドイツの連邦議会と調査局を区別していないというぞんざいなやり方をとっていることからすると、どうもドイツの議論は話の枕に使われているだけで、ドイツの議論を真面目に受け止めて、そのような制度が可能なのかを考察する者はあまりいなさそうだ。私個人の意見では、親と子の投票を厳密に区分した制度を作ることは無理だろう。というのも、この仕組みが問題になるのは、子の投票意向と親の意向が相反する場合だが、その場合、子は自らの投票意向を開示して親を説得しなければならない。これでは投票の秘密も何もあったものではなく、逆に子が投票の秘密を守ろうとすると、親の投票意向をコントロールすることはできない。それでは子から投票を付託されたという代理人という建前が崩れる。また、投票意向が明らかにならない子について親が「代理」するのでは、結局親に二票与えるのと変わりがない。加えていえば、代理権を持つのは母親なのだろうか、父親なのだろうか(吉村知事は制度実現のあかつきには自身が子の分も含めて4票あるというので、父親が前提なのだろう)。ここは、親と子の投票を厳密に区分するという発想をとれば実は問題が生じない(子の意向に沿うならばその票を投ずるのは父でも母でも他の保護者でも構わない)のだが、先程述べたように、特に投票意向を表示できない子については区分は無理だろう。したがって、事実上「二票」入れられるのはどちらなのかという争いが生じざるを得ない。そのような場合には「0.5票」を両親に付与することも考えられるが、正面から両親に票を与えることを認めれば、ますます平等選挙原則に反しないという建前が崩れる。
そもそも、ここから分かるように一口に子どもといっても投票が可能な年齢の子とそうでない子がいるのだから、投票が可能な年齢の子について代理投票などという面倒な仕組みを採らずに投票権の年齢を下げれば良いだけの話だ。たとえばオーストリアでは16歳まで投票権年齢が引き下げられているが、引き続き14歳投票権が議論されていると聞いた覚えがある。このような議論は真剣な考慮に値すると思う。
繰り返しになるが、ドイツではこの投票制度が平等選挙原則に反しないと言えるか否かが議論され、それが難しいと考えられているようだ。だとすれば、ドイツの議論を踏まえて、この制度の賛同者は、この制度が平等選挙原則に反しないようになる制度の可能性こそを真面目に考えるべきだろう。ただ思いつきでぶち上げても、もう終わった話だと一蹴されるのは当然である(※)。なお、そもそも平等選挙原則について真面目に考えないのであれば、民主主義にコミットしていないと思われても仕方がない。上記の議論では、平等選挙原則は基本法(=憲法)改正によっても曲げることは許されないと言われている(※※)。
※興味本位で調べてみたところ、ドイツ連邦議会にこのような基本法改正の提案が提出されたことはあるようだ(2008年提案)。ただ、連邦議会のHPで確認する限り、提案は委員会に付託されたが、その後本格的な審査が行われた様子はない。つまり、賛成・反対の議決もなく、本格的な議論もされずに一蹴された話だということだ。
https://dip.bundestag.de/vorgang/der-zukunft-eine-stimme-geben-f%C3%BCr-ein-wahlrecht-von/14939
※※
これはドイツ基本法79条3項の規定故ではあるが、憲法改正の限界という純法律的な論点を脇に措いたとしても選挙権の平等を真面目に考えないことが民主主義者であることを疑わせるのは変わりはない。なお、日本国憲法も、14条1項からして平等選挙原則をとっている(そうでなければ一票の格差が問題にされることはない)が、平等選挙原則の排除が憲法改正の限界に引っかかる理論的可能性はあるだろう。
(追記)
それにしても、吉村氏に関しては、自身が子の分も含めて4票あるというから、「代理」モデルの利点である平等選挙原則との抵触回避の利点をわざわざ捨てているように思う。利点を捨てるような発言を自分からしていくあたり、本当にただの思いつきなのだろう。ドイツ人の議論を持ち出しながら(これをやったのは音喜多氏だが)、ドイツ人が回避しようとしていたことをやってしまうのは無様だ。「消滅可能性自治体」に引っかけた話題作りという以上の意味はないのだろうが、話題作りのために民主主義の根本原理に手を触れるのはどうかしている。それが弁護士のすることだろうか。
(再追記)
(再々追記)
https://piyolog.hatenadiary.jp/entry/2024/04/26/013037
これがそうかは100%自信がないけど、ここ数年コンサルが中下流まで手を出して炎上する大型案件が多い。
または、コンサルが上中流までやって、下流は(運用フェーズを見越してねじ込んだ)発注者側の開発運用業者が入るパターン。
これまでは上流+中流は大手SIerのインテグ業者で、下流はSIer肝いりの会社が入るのが通例。
だけどこのパターンって「あからさまなベンダロックイン」になるので、単純換装しかしないのにコスト増で時代についていけないわで、5年ごとの換装の2~3回目で発注者側は爆発する。
そこで耳障りのいいコンサルが、経営層に響く資料を作ってシステム刷新を受注するというのが最近。
しかし、泥臭いインテグ仕事が苦手コンサルが、これまで大手SIerが得意だった「カットオーバー前に行う泥水仕事」の処理の仕方がわからず炎上する案件が後を絶たないとみている。
んー調べてきたし赤松の言い分も見たけれど
それならフォーラムの資料に載せるのは宮本君から君へだけで十分だし
原作者と作画が異なる作品の取り扱いという点においてはアクタージュじゃなくて
皇国の守護者のほうが漫画家の権利についての議論には適切だったろうに
ウケ的にはアクタージュなんだろうな
みたいなほうが支援者たちは「漫画家は悪くないのに打ち切りなんて酷い、漫画だけでも売って印税を漫画家に渡して救済すべき」って乗ってくれそうだし
実際漫画家は悪く無いしな
でもさ
> 以上のように、私の資料で「アクタージュ」を取り上げているのは、作者や出演者等が犯罪を犯した場合に作品・コンテンツはどう扱われるべきかを皆さんと議論したいとの考えからです。
って赤松は書いてあるけれど、漫画家の声明見たら議論の余地さえない内容だったんだけどな
議論ってことはアクタージュの漫画家が出した声明の「被害者が作品を目にすることで恐怖を思い出したり苦痛を与える原因になりかねない」という一文を無視して「作品は売るべきだ」「売らないべきだ」という議論をしたいってことだろ
アクタージュの漫画家は徹頭徹尾「被害者の救済が最優先」であり「被害者を叩くな」と「被害者のことを思えば打ち切りは妥当」という利益よりも優先すべきものがあるとした毅然たる態度だったのになぁ…なんで汲み取らなかったんだろう
今日も仕事と責任は全部俺だけど、報酬だけは会長(パパ)と半分この日々が始まるぜ
なんで俺だけがこんなに頑張らなくちゃいけないんだろうという自問自答から始まる毎日が苦しいです
もうすぐ株主総会だからそこでうまく追い出せたらいいけど、ごねまくるだろうから俺の思うとおりにはいかないだろうな
「お前が楽して社長やってるのはパパのおかげだろ」っていうみなさんの意見もごもっともなんですが
経営資料全て見た俺が思うのは、この会社に利益をもたらしてるのは創業者(じいちゃん)が作り上げた仕組みであって
パパはただのサラリーマン社長やって美味しい報酬をちゅーちゅー吸ってただけなんだよね
うちみたいな弱小零細企業の社長(パパ)が今までなんでこんな高い報酬取ってたのか不思議だったんだけど
蓋を開けてみれば、設備等の投資に振り分けるべき金を自分の懐に入れてただけだった
そんでその出がらしを引き継ぐのが俺ってわけ
人生つらい
“信長を気にかける貴重な資料” 義父 斎藤道三の書状を発見 | NHK
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20240424/k10014431231000.html
ブコメに「なんじゃこりゃ?」ってレベルの言い掛かりがあったので
migurin
素直にすごい。どうでもいいけどブコメ、記事に「濃姫」と記載があるのにわざわざ
mouseion それにしても信長と帰蝶との間に子供が出来なかったのが悔やまれる。
え?帰蝶が??
要するにmigurin の主張は
「濃姫のことを帰蝶と書くのは知識マウントである」ということだが
これは全く当たらない。
何故かといえば
別の有名どころに置き換えるなら
幸村=帰蝶
信繁=濃姫
の関係。
築山殿=濃姫
の関係。
後世のお話本で「面白味のあるキャラ名」としてあてがわれたのが幸村であり、瀬名であり、帰蝶であって、
もうちょいマシな根拠で「面白味はないけどより正確性高い呼び名」とされるのが信繁であり、築山殿であり、濃姫だ。
歴史知識というよりキャラとしての「信長の嫁」を扱うための便宜的な名前だ。
まあそう呼ばれてた可能性は高いよねということでしかない名前。
こちらの方が保守的であり歴史的正確性に意識の向いた呼び名なのだ。
つまり、
もしも「私は歴史知識に造詣深いですよ」とか「歴史知識に正確性を求めてますよ」的なアピールがしたいなら
migurinは一体何を言ってるのかさっぱりわからないということだ。
高い確率で単に「そっちの方が親しみがある」っつーだけだ。
近年のコンテンツでも「濃姫」じゃ面白くないから「帰蝶」採用率が高い。
「道三の隠居城の鷺山城から嫁いできた」というより細かい知識が盛り込まれている。
「濃姫?ああ鷺山殿ね!」なら歴史オタクの知識マウントっぽい。
かっこつけたいなら鷺山殿だ。
そもそも大した確証もなく人の発言をマウント扱いすべきではないが、
このmigurinにいたっては「何がマウントに当たるか」を判断するていどの歴史知識があるようにも見えない。
傍から見た感想としても「こいつ何言ってんの?」の一語である。
このレベルで歴史知識がないのに人の発言を知識マウントに感じるのは、単に闇雲なコンプレックスのようにも見える。
歴史ネタ以外でも被マウント感を覚えることはあるか、日頃どんなときにマウントされたと感じるか、等々を記録してみるのもよいと思う。
(念のため書いておくけど
俺が主張してるのはこのmouseionてやつはマウントしてないだろって話で
俺がマウントしてるという指摘なら受け入れるぞ
昔の女性の名前が特定されにくいのって、何で?女性は文書に名前が書かれることがないから?
2024/04/25
せやで
Cat.6A規格対応ケーブルを頑張ってまとめてみました。(一般消費者向け販売メーカー限定)
「CAT6A準拠を名乗るフラットLANケーブル←こいつゴミです( anond:20240422112615 )」 の匿名ダイアリーが気になったので。
シリーズ名 | 製品名(2m) | 説明 | amazon | 製品ページ |
---|---|---|---|---|
LD-GPAT/BK/RS | LD-GPAT/BK2/RS | 黒 | www.amazon.co.jp/dp/B0BRMLNN6N | https://www.elecom.co.jp/products/LD-GPATBK2RS.html |
LD-GPAT/BU/ID | LD-GPAT/BU2/ID | 青 | www.amazon.co.jp/dp/B0C9N1KHWN/ | https://www.elecom.co.jp/products/LD-GPATBU2ID.html |
LD-GPAT/BU/RS | LD-GPAT/BU2/RS | 青 | www.amazon.co.jp/dp/B088D2GQFF | https://www.elecom.co.jp/products/LD-GPATBU2RS.html |
LD-GPAT/BU/RS1 | LD-GPAT/BU2/RS1 | 10本セット、青 | www.amazon.co.jp/dp/B0C9MYL7CS/ | https://www.elecom.co.jp/products/LD-GPATBU2RS1.html |
LD-GPAOS | LD-GPAOS/BK20 | 屋外用(20m) | www.amazon.co.jp/dp/B0BYYFN1NC/ | https://www.elecom.co.jp/products/LD-GPAOSBK20.html |
LD-VAPF6A | LD-VAPF6A/SV04 | すき間用 | www.amazon.co.jp/dp/B09QW1WQR6/ | https://www.elecom.co.jp/products/LD-VAPF6ASV04.html |
シリーズ名 | 製品名(2m) | 製品ページ |
---|---|---|
PC-N6A | PC-N6A20-K | www.ohm-electric.co.jp/product/c09/c0912/878195/ |
PC-N014 | PC-N0143 | www.ohm-electric.co.jp/product/c09/c0912/12279/ |
シリーズ名 | 製品名(2m) | 説明 | amazon | 製品ページ |
---|---|---|---|---|
KB-T6ATS | KB-T6ATS-02W | 実質的な対応 | www.amazon.co.jp/dp/B07D7QZN6P/ | https://www.sanwa.co.jp/product/network/list/kb-t6ats.html |
KB-T6AY | KB-T6AY-02W | 実質的な対応 | www.amazon.co.jp/dp/B0988Z46QD/ | www.sanwa.co.jp/product/network/list/kb-t6ay.html |
KB-H6A | KB-H6A-02NV | 実質的な対応・PoE対応 | www.amazon.co.jp/dp/B0BQYP7XKQ/ | www.sanwa.co.jp/product/syohin?code=KB-H6A-005NV |
KB-T6AWP | KB-T6AWP-05BK | 実質的な対応・屋外5m | www.amazon.co.jp/dp/B0BKZR3WJK/ | www.sanwa.co.jp/product/syohin?code=KB-T6AWP-05BK |
KB-H6Aについてはフルーク試験なども行っており実質的に問題のないケーブルの可能性が高そうです。
それ以外についても、Cat.6A対応とは記載がないが、10ギガビットイーサネットに完全対応、しっかりした太さの配線を使用している事などから実質的に十分な性能がある可能性が高そうです。
シリーズ名 | 製品名(2m) | amazon | 製品ページ |
---|---|---|---|
GH-CBE6EB | GH-CBE6EB-2M | www.amazon.co.jp/dp/B00OC7F04S/ | https://www.green-house.co.jp/products/gh-cbe6eb/ |
Cat.6A規格対応と表記があるものはなし。伝送帯域はCat.6A対応や、10G対応などの表現はある。
Cat.6A関連のケーブルは取り扱いなし
伝送帯域がCat.6A対応というのは、500MHz帯でのLAN通信に対応していて、10Gリンクできる可能性が高いという事かなと思います。
それだけでCat.6Aの規格を満たすわけではないと考えます。
この3ページ目に載っている「ツイストペア情報配線システム標準化G メンバー企業の製品であれば安心して使用できるが、残念ながら業務メーカーで一般向け商品はほぼ販売していないと思われます。
その他のページの内容も、高度で難解ですが、役立ちます。
https://home.jeita.or.jp/upload_file/20170526155527_9x5o4Lc1Eh.pdf
既定の速度でリンクして、その周波数帯で通信できるのは最低限として、その上でノイズ耐性など様々な条件を満たさないと安定した通信ができません。
規格を満たしていない場合LANケーブルを束ねるとエラーになったり、ノイズが多い環境で通信が不安定になったりします。
修正したいのにずっと反映されなくて困っていましたが、ハイパーリンクを追加するとエラーになるんですね。教えていただいてありがとうございます。
4/24 23:45 LD-GPAT/BKを削除、サンワサプライの製品を追加。ハイパーリンクを追加するとエラーになる事を教えていただいた。
4/25 品質について追加。
見終わった後に思ったことは地方の性風俗関連の歴史は消えかかってるなという印象
東京の性風俗すらキャンセルカルチャー好きのメディアによって消えかかってるのに地方の性風俗なんかもっと相手にされないだろう
風俗はもう大阪の新地の性風俗ぐらいしか残っていないぐらい均一化されて地方独自のものはなくなっていく
吉原展で展示されている作品類は春画の影響が単純に強いので海外へ幾らか資料が渡ったのは幸いしていると感じている
もう保管できません…各地の博物館・美術館で収蔵品あふれ返る 新しい置き場所がつくれないなら何か工夫は:東京新聞 TOKYO Web
横須賀で居候していた時にオババから戦前から戦後に掛けて今の船越付近に赤線青線が合って、そこで軍人さん捕まえて幸せになった人もいるから
昔は食い扶持減らしで身売りしてってパターンはまだあったからそんな感じで受け止めている人が居たんだと思った
収蔵物が博物館のキャパシティを超えて保存され、その扱いに困っているという新聞社のWeb記事を見ていて、改めてそう思った。
昔、「正しい日本語」という概念が流行り、それが何なのかという議論が多数交わされたが、それらは結局のところ、世代対立に過ぎなかった。
そして、この収蔵物もそうなのだと思う。
若者でない世代が、自分たちが大事だと感じる資料を、「歴史的」というあたかも価値のありそうな形容詞で装飾して、
キャパシティを無視してでも、それに親しむものよりは若者だろう管理者に、たくさん押しつけようとした結果に見える。
どちらかいえば老人世代に近い自分だが、個人的には、キャパシティを超えた分はすっぱりと処分すべきに思う。
若者もきっと、歴史的と呼称した老人世代の未練に興味はないのだ。私たちの世代のものは私たちの世代で諦めるしかない。
そもそも、収蔵物の保存にはコストがかかるので、若者文化の発展はその分遅れてしまうし、
歴史的事物の保存という行為自体も、若者文化の発展には抑圧的に働くので、収蔵物の保存というのは若者たちに本質的に好まれない。
そして、誰も明言しないが、歴史的な資料は「古いものは尊ぶべきだ」という価値観を無言で内包している。
歴史的な資料は「文化『財』」という名称で、あたかも自然に財産然としているが、その実は若者にとってコストというか、若者文化を発露する際の重荷でしかない。
そして、歴史的な資料は「歴史」という教科となって、あたかも覚えるべき知識であるかのように振る舞い、若者のキャパシティまで削ってしまう。
個人的には、若者の認知は未来に向かって注がれるべきと思われ、合理的でも道徳的でもない偶然の連なりである「歴史」などに充てられるべきではないように感じる。
そもそもなんで、偶然でしかない、未来に決して通用することもない老人たちの教訓を、若者たちに記憶させないといけないのか。
そういった保守的な歴史のがんじがらめが、地元に流れる人間関係の重さと相まって、若者たちを都心部に押し出す格好になっている気がする。
すると文化財は、その費用からもその思想からも、若者たちを都市部に押し出すのを助けてしまっているとさえ思えてしまう。
掘れば遺跡が出てしまい、その保存で開発が全く進まない「文化財」だらけの地方自治体に、どんな若者が残り続けたいと思うのか。
思春期の子供が両親に反抗するように、若者たちはきっと、古い文化の象徴である歴史的な資料など捨てたい、
その保存コストを、古い文化の代わりに自分たちが享受したいと思っているはずなのだ。
つまりは、歴史的な資料は非明示的ながら、そしておそらく無意図的ながら、古い者たちの権力となってしまっていると思うのだ。
だから、一部の人たちにとっては無意識的に、歴史的な資料はコストをかけてでも博物館を占有していないといけないのだろう。
でも、歴史的な資料をとるか、若者主体の文化としていくかは択一であり、どちらが本当に重要かってことを、今一度考えてほしいと、この老いぼれはひそかに思う。
偉い学者が、日本の人口回復のためには、面倒みるべき親を早く捨てろと言ったらしく、それは耳が痛いことでもあるが、
具合が悪いレベルで胃がいたい
手間が多いとか、情報が多すぎるとか、わかりずらいとか、資料作りが面倒とか
特定の人が使いやすいように整備した環境にレベルを落として、その誰かが安心したいだけの材料を時間かけて作るという意味を見出せない仕事をしている事にイライラしてる
仕組み変えようって言っても、結局上がそのやり方変えたくないって却下される
何で機械化しようとしないで、もっと頑張って目を凝らして確認しようとか、いっぱい資料を作ろうとかになるんだよ…
対策が増えるたびに雑務が増える一方で、注意力が散漫になるだけだぞ…
ストレスに耐えた体の不調がプライベートに影響して、行動したくなくなるのがもっと嫌になる
早くこの作業週間終わってくんねえかな…
最初に私自身について述べると、クリエイターとして飯を食っている人間である。
口幅ったいがプロを自称しても差し支えないぐらいの稼ぎと仕事だと自認している。
話題の生成AIについて、今後私達の社会生活のあらゆる場面に普及していくと考えており
私自身いつかは仕事のフローに生成AIにまつわる技術を意識的に組み込む時が来るのだろうと考えている。
その流れは是認しつつ、かといって生成AIを取り巻く現状を良しとするわけでもない。
何らかの法的規制あるいは運用上のガイドラインが必要だという立場にいる。
大別すればAI規制派であるが、スタンスは総論賛成各論反対、ぐらいの温度感で事態を静観していると思って欲しい。
昨今の反AIと呼ばれる先鋭化したアンチ画像生成AIの人々について
一人のクリエイターとして、かなりの危機感をもって眺めている。
重ねて言っておくと、私は決して”反”反AIではないし、規制を望む立場にある。
私自身、作品がAIの学習に使われているし、その漠然とした忌避感や嫌悪感も体験し、理解している。
おそらく反AI、と言った時点でその界隈の人々からは「反AIという蔑称を使うなんて話にならない!勉強不足だ!」と一蹴されてしまうのだが
皮相的な党派性にとらわれて本質的な議論を進めようとしない時点で、その未熟さ・幼稚さを露呈してしまっている。
勿論、所謂推進派と呼ばれる人々、AI使用者の非倫理的で冷笑的な振る舞いについても承知しているし、問題視している。
今現在、互いに互いの粗を探して吊し上げていることは大変残念に思う。
しかし現状、私がより不安視しているのは反AIの人々の振る舞いの方だ。
反AIの言動が過激化すればするほど、現実的な落とし所を決める意思決定の場で
規制を求める人々の声は届かなくなり、立場を危うしてしまうのでは…という懸念を抱かざるを得ない。
生成AIに関する問題意識を持っている人はどうか以下の項目について調べ、自分なりに咀嚼し十分に理解して欲しい。
・現在主流である拡散モデルの学習・生成機序を理解すること。生成物は学習した画像の切り貼りやコラージュではない。何十億という画像データを数GBに圧縮することはできない。
※学習データの画像にほぼ近いものを再現することがある、という海外論文を引用する人もいるが、プロンプトで狙い撃ちにしても再現されるのは天文学的な確率の低さである。
・著作権法・隣接権の概念や文化庁及び政府見解を理解すること。人・AIを問わず学習行為は規制されていない。「無断学習」という概念自体が現状では不当である。
・開発企業や使用者に対する非現実的な要求をしても事態は解決しない。
・成果物の類似性・依拠性(LoRAなど)については肖像権、著作権に関わる現行法で争う余地があり、対処可能である。これは手描きでもAIでも同様である。
・これまでに観測された諸問題は、厳密には使用者自身のモラルの問題であり、より正確に言えばSNSの問題である。
(誹謗中傷やLoRAによる嫌がらせ、ラフをi2iで勝手に清書された、自分の絵柄で性的なコンテンツを生成され誤認される…といった問題は、原理的にはAIがなくとも可能である)
公的に開示されている資料を読めば、概ね同じようなことは書いてある。
現状における事実或いは公的な見解であり、これらを推進派や技術者のレトリックと断じて耳を塞いではいけない。
彼らと同じ前提を共有し、同じ言語で会話しなければ、交渉のテーブルにつくことすらできない。
実際に手を動かすのは法を整備する政府であり、AIに携わる技術者だからだ。
規制を求めるのであれば、彼らの認識を正すのではなく、事実の解釈で争うべきだ。
”お気持ち”で戦える段階はとうに終わっている。
おそらく、私のこうした声もポジショントークとされて届かないのかもしれないが。