はてなキーワード: 誓約書とは
これでもかなり改善したんだよ。日本への帰国、相当マシになった。
去年の春ごろから年に数回、渡航している。かれこれ7回ほど。そのたびに仕組みが変わった。
OSSMAとかいう留学生危機管理アプリを流用したり、別のアプリをつかったりと当局も試行錯誤中だった。
日本に到着後もひどかった。すべて紙。初期の頃(2021年初頭)は、到着ゲートから出てくる旅客を待ち構えている職員から、
似たような誓約書などの書面を3~4通渡され、記載を求められた。
帰国便の機内であらかじめ配られることもあったが、日本につくと、皆さん、更新版をお渡しします、と言われ、せっかく機内で記載したものが無駄になることもあった。
それぞれの書面ごとに確認ブースがあり、7~8か所くらいはあったと思うが、書面に確認済みのサインをもらって次のブースへ行く、というスタンプラリーみたいなことを繰り返した。
長い廊下を矢印に沿って進み、いつまでこの書類を持っていなければわからないなか、最後に全て確認済み、という趣旨の小さな紙をもらってようやく入国審査。
結局、いくつかの書類が手元に残ったが、今後、持っていなければならないのはどれなのか。。
紙の提出を何度も繰り返してきたから、どの書類を最後まで持っていなければならないか全く見当がつかなかった。
入国審査で最後にもらった小さな紙を提出したら、何それ?そんなものいりません、はいパスポート、みたいな顔をされた。
そして渡航者は仕様が変わったことを知らずにいることがほとんどだったため、以前にインストしたSOSが、機能しないということがしばしばあった。
特に、ファストトラック導入後には、それ以前からSOSをインストしていた人は削除して再インストールしなければ、ファストトラックを使えなかった。
そんなことも誰も教えてくれない。ウェブサイトにも注意書きもない。
また当時は渡航先によっては、帰国直後、3~7日間の国内隔離が求められた。
隔離施設へ向かうバスもひどかった。無言で一団が連行され、バスの運転手も道中、何もしゃべらないから、どこに連れていかれるのかわからない、
なんと日本の厚労省は、陰性証明書に日本の書面の様式を半ば強制した。
つまり、海外の現地で帰国しようとするときに、現地の医療機関でPCR陰性証明書をもらう必要があるのだが、
そのときに、厚労省の様式を見せて、これに記載してもらえないですか、と依頼させられていた。
現地の医療機関が出す証明書は、まともな医療機関であれば、厚労省が要求する必要記載事項を満たしているから、別に必要ないはずだが、実際には帰国時の空港で揉めることが多かった。
特に、ちょっとした文言の違いで議論になった。NOT DETECTED(*検出されず、という意味)とはなんですか、NEGATIVE(陰性)とは書いてないですね、みたいな不毛なやり取りを想像してほしい。これがフランス語、スペイン語の証明書だったりするともっと事態はややこしかった。英語の翻訳ないですか?などと平気で聞いてくる。
場合によっては、トランジットしている間に、次の便がキャンセル、半日ほど経由地で待たなければいけなくなったりすることもある。そんなときに、現地で72時間前に受けたはずのPCRが失効してしまうこともある。あわてて米国で再度PCRをすることだってあった。焦って医療機関を探すのだって相当なストレスだった。当然、厚労省様式でお願いなどいっていられない。SMSで結果を受けとるぐらいがギリギリのタイムリミットだったりするのだ。
そもそも、現地の医療機関に日本式の証明書様式にサインしてもらう、とか非常識だから。ホントに。
受診者が病院の証明書、信用できないから、日本の役所が用意したこの紙にサインしてくれ、って相当失礼な話だと思うんだが、そういうことを日本は要求してきたのだ。
国によっては、通常とは異なる手続きを日本人から要求されているので、どう処理していいか、困惑。
そんなことをする窓口がないから緊急指令室が臨時対応で受け持って記載する国もあった。救急車がひっきりなしに来るようなところで、ほんと迷惑な日本人だっただろう。
病院が発行する証明書をもって、別の政府機関にいって日本式証明書の記載を依頼しなければならない国もあった。
厚労省様式にこだわらなくてよろしい、という通達が出たのはつい6月のこと。
そして9月、帰国時のPCR自体が大幅に緩和。ワクチン接種さえしていればPCRは不要となった。
河野大臣、こういうところなんだよ、お前に仕事してほしいのは。。
ちなみに、元増田が、ホテルでやっているだろうSOSへのパスポートの写真登録も先月まではなかった。
登録が完了するまでしばらくお待ちください、だと。SOSを知り尽くした気になって、いい気になって帰国直前にSOSを触ろうとするとこういう罠にもはまる。
7月くらいまではファストトラックもできますよ、という話だったのが、最近では、SOSでファストトラックすることが大前提となっているのも大きな変化。
以前は厚労省の健康確認アプリはSOSとは別個に独立していたのだが、今確認してみると、その運用は終わったのでキャッシュクリアしろとの指示。
そしてキャッシュクリアの手順マニュアルを読まされる。ごちゃごちゃと書いてあるが、結局、なんだキャッシュクリアすればいいだけじゃねーか。
ただ、こういうの、誰でも簡単にできると思うなよ、とも思うので、将来、自分が老人になって世の中のテクノロジーにすっかりついていけなくなって、マニュアルを前に呆然自失、
このように、これまでのやり方が通用すると思ったら大間違いなのが、帰国時の手続き。
日々、変わってゆくのだ。
それに動じず、ついていくしかない。
↓
作者のSNSを見に行く
↓
死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ほんと女にコミカライズ担当させるのやめてくれよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今後女にコミカライズさせるときは「私は絶対に妊娠しません」って誓約書にサインさせなきゃだめだろ~~~~~~~~~~~~~~~~もう~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
妊娠して産休とるような欠陥生物は漫画描いちゃダメだろ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
仕事に責任もてないならもう金輪際関わるなよな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ボケカス~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「今まで逃げ続けてきた人生でしょw」
会社のM先輩(仮名 イニシャルは男の先輩なんでmenのMより)からの何気ない一言。
こんなこと言われるほどまでにM先輩を怒らせるきっかけが色々あったのだがそれは省略。元を辿ると自分の仕事が甘いせいなので自業自得なんで。
まぁ嫌味の一つや二つ、言われたところで受け入れるしかない背景はあったのだけど、これは流石に変化球過ぎる唐突なディスりだったので(M先輩は何を突然失礼なことを…)と思って言い返そうと思ったけど、何も言い返せず黙ってしまった。
今まで生きてきて、これほどまでに自分の人間性を的確に言い表されたことは初めてだった。
受験や就活の時なんかは、面接対策だったり何かよくわからんセミナーの自己理解を深めようだかの目的で自分の性格を自己分析させられたりするが、そういう時大体は自分って「真面目系クズ」とか「ろくでなし」だなぁと分析してきた。しっかりやってるように見えて実はズボラだったり、言い訳さえつければ多少甘いことやっても仕方ねぇだろってスタンスだったり、アウトロー気取って悪ノリしてしょうもない遊びをやったり。でも他人がそういうことやってると真っ当に動かない人間には怒りたくなるし、あいつらはクズだ俺みたいな真人間とは違って劣ってるからああいうことしちゃうんだ、なんて見下したりするタイプの本当に嫌な奴。
まぁ流石に「分析した結果、自分は真面目系クズです!」なんてそのまんま言うわけにもいかないので、マイペースだとか、争いや変化を好まない温厚な性格とか、ちょっと綺麗な言葉に言い換えたりして誤魔化していたけども。
でもこんなに端的でわかりやすい表現があったのか!と目からうろこだった。「嫌なことから逃げる性格」とはまさに自分だ!
思い返せばまさにそんな逃げてきたエピソードがたくさんある。
誰か困っている人が居る時、大丈夫ですか!なんて駆け寄る構えだけはする。でも誰かほかの人がもう駆け寄っていれば自分は何もしない。あぁ大丈夫だな、とその状況から逃げる。
電車で座っていて目の前に老人が居る時、眠ってるふりだったりスマホに集中してるふりをして席を譲ることから逃げる。
学生の部活の時、こんな性格でも一応運動部だったが、何かと理由をつけて練習をサボって逃げたし、合宿も自由参加だったので最初の1年目は参加しても2年目はパス。キツイ練習から逃げたかったし。
就活の時、就職課や合同フェアなんかでよくやってた履歴書やESの添削とか、面接練習を受けることから逃げた。自分が書いた内容やチョイスしたエピソードをバッサリ切られて否定されるのが嫌で逃げた。あなたの受け答えこういうとこが足りてませんよって辛らつなこと言われるのが嫌で逃げた。どちらも自分のためには逃げるべきじゃなかったのに。
そんなもんだからちゃんとした会社からは一つも内定を貰えず、手元にあった数少ない内定がタクシー業界とブラックで有名な某オタク系古物商。でもこんなところで働くのは自分の理想じゃないから嫌だと、変なプライド持ち続けて逃げ出す。
就活は冬まで続いた。就活という行為自体から逃げなかったのは偉いと思う。
こういう時頼りになるのは大学の就職課なんだけど、春先から色々頼ってるならともかく、秋口になっていきなり頼りだすことのみっともなさとか、今まで何してたの?なんて言われる羞恥が嫌で逃げた。
一番逃げたかったのは「あなたこんな内容でずっとエントリーしてたの?」とか言われたりすることだった。今までの自分がやってきたこと全てが誤りで、全てが無駄になるような気がして。どっちみち落ちてるんだから結局無駄なんだけど。
まぁそんなんでも何とか「新卒でこの会社入りました」って言えたらそれなりの体裁を保てるぐらいの企業と縁を持つことが出来た。
でも仕事の中でも逃げることは続いた。
とりあえず最初の数年間は現業職で経験を積むことになるので、まずは交代制で勤務するのだが、まず自分が最初に考えていたのは「自分の勤務時間にでかいトラブルおこるなよ…」ということ
まだまだ新人として甘く見られてた頃に先輩と絡んだり積極的に仕事に取り組んでわからないことは質問したりすることから逃げてきたため、入社数年目なのに新卒レベルの質問をすることが度々あった。え、今更それ知りたがるの?これ知らなかったの?なんて反応されることは日常茶飯事
仕事のトラブルで困っているとき、本来なら自分の担当部門のトラブルなので自分一人で解決するべき内容なのだが、さも難問かのようにアピールして周りの人から「ここをこうすれば?」「あれはああして…これはこうで…」なんてアドバイスが飛んでくるのを待ってた。自分で解決することから逃げてた。
そしてもっと悪いことが「こうすれば?」なんてアドバイス貰った時に「それですよね、自分もそれ目は付けてたんですけど」なんていう一応自分でも考えてましたアピール。
「周りが解決してくれてよかったな」、と。う~ん、見透かされてるな。
そんな逃げ続けてきた人生を先輩に見事に見抜かれ、雷に打たれたようなショックを受けた私が今何をしているかというと、この発言がきっかけで適応障害を発症し休職に入るという「逃げ」の状況です。
嫌なこと言う先輩や仕事から、自分の性格に従ってに「逃げ」の選択肢を取りました。あんなこと言われた直後に、その人生を体現するかの如く本当に逃げのポーズ取ることになるとはさすがに自分でも思わなくて先輩の慧眼さに怖れおののきましたし、きっと先輩も「あいつに『逃げ続けてきた人生だろ』って言ったらここからも逃げやがったwwwwマジ図星wwwww」なんて職場でゲラゲラ笑ったことでしょう。多分自分が逆の立場だったら表向き反省した後に間違いなく裏でゲラゲラ笑うし。
そんな逃げの性格を変えたくて、とりあえずどっか仕事の楽そうなところを…なんて選択肢は選ばず「公務員試験を受けよう」という自分にしては珍しい積極的な選択肢。
でも滑り止めの自治体に内定誓約書を出しつつ、本命の自治体の試験がまだいくつか進行中なのでちゃっかり受け続けるという、どう転んでも少なからず公務員として働けるような「逃げ場」を用意しながらの転職活動なので、結局根っこのところは変わってねぇなぁこいつ、と思う日々。
学歴がよくなくて、就職が困難だったので中小 SIer で働いていた。 (プライム案件を取ってこれる分マシらしい)
レキサルティ、レクサプロ、デパスのお世話になって続けてたけど、結局は薬でどうにかできず、辞めてしまった。
参考程度だけど、未経験の人が 300万 をもらうために、どのようなスキルが必要かを、まとめておく。
ちなみにどれくらいプログラムが書けなかったかというと、競技プログラミングで努力しても AtCoder の黄色になれず青色のままってくらい。
AtCoder でいう、初心者から抜け出せないという、要するにセンスがないということなのだけど、そういう人も居そうなので、参考までに。
未経験のプログラマに対して、これだけ要求されるのだから、未経験の人は覚悟するようにという指針を提供したいので書いた。
基本的に、損害を与えた場合には、それを作業者が補填するという誓約書を結ぶ。
要するに、捨て駒として扱って、失敗したら賠償しろ、という事になる。
このことを認識して、失敗しないように振舞ないと、連帯保証人含めて迷惑をかける事になる。
要するに、低賃金で未経験プログラマを案件にノーリスクで送りこんで、稼ぐための手段です。
基本的に PL (夢想家) → PM (御用聞き) → プログラマ という環境なので、プログラマが自分でディレクションして意思決定する必要がある。
例えば、下請けの場合は、PM の御用聞きの結果の WBS に合わせないと、顧客から DM で 瑕疵担保責任がどうとか言われる。
社内開発の場合は、PL の方から直接、長時間の叱責を受けなくてはならない。
そういう不幸を防ぐためにも、自分でディレクションして、PM の決めた実態を反映していない WBS に合わせて作業するスキルが要求される。
基本的に手戻りは個人の過失になってしまうため、手戻りしないように考え抜いて意思決定をする、というのが重要になる。
これこそ、ガクチカと呼ばれる、頑張れますというスキルなので、学生時代に頑張っておけばよかったなぁ。
こう見せたい、こう表現したい、という事を伝えるには、必然的にデザインの知識が必要になる。
創造的思考とデザインは切っても切り離せない概念で、デザインとは創造なのだから、当たり前である。
ソフトウェアアーキテクチャも、ソフトウェア設計も、コーディングもデザインと言えるかもしれない。
顧客と 1:1 で話す事が DM でもボイチャでも突発的に発生するので、いつ、いかなる時でも論理武装していなければならない。
まぁ、顧客であったり PL であったりはキレるのが仕事なので、それに対して理路整然と説明する必要がある。
なんとなく、では納得しないし、すぐ損害賠償請求とかそういう話にいくので、答えられないと持ち帰りますとお茶を濁して、エマージェンシーになる。
後述する設計能力においても、課題を把握するための言語技術(言語化能力)は重要なファクターだと思う。
C/C++ のシステムプログラムはフレームワークが基本的に無いので、自分で概念を整理して、どのような変更、拡張があるかを考えて設計する必要がある。
この能力が弱いと、手戻りが発生しやすくなり、瑕疵担保責任を問われることになる。
読んだ本の中だと、ボブおじさんの本が、やっぱりしっくりくるなという個人的な感想がある。
UDP で送ってくるデータを受けて 24/365 で停止しない WebAPI への繋ぎ込みという簡単な作業があって、振られた。
リークしてはいけないという事で malloc は禁止で、グローバル変数を利用するという変なルールがあった。
Rust で書けばいいんじゃないかなと思ったけど、Rust 書くのもシンドイし、C/C++ で、しんどくて読みづらいコードを書いた。
あとで保守する人が大変そうだけど、そういうルールを決めたのは PL だしね。
なんか、特殊な PCI Express のカードからベンダーが用意している SDK でデータ引っこ抜いて Web API へつなぎ込む部分をやった。
一応、SDK の使い方をパラ見して 1 日で作ったので、別に負担じゃなかったけど、素人にやらせるんなとは思った。
当たり前だが、DB 作って RestAPI を生やすのは現代のプログラマにとって自然にできなければならない。
なので、新規開発のサブモジュールのバックエンドを任せられた。
だが、ORM の癖を把握したり、発行されるクエリを確認したりするのは、疲れる。 SQL を直書きするのはシンドイ。
結局 SQL を直書きすることにしたけど、あまりいい決断ではなかったと思っている。
それ以外は フレームワーク に乗ってしまっていいので、書き捨てる分には楽だった。
最近だと、TypeScript で Prisma 使うのが、型安全でよさそうだなと思っている。
デプロイを EC2 直でやったり ECS にしたりとしていたので、ベアメタルの知識が必要になった。
要するに systemd のいじり方とか、死活監視の仕方とか。
個人的には、クラウド嫌いなので、ベアメタルの方が安心できる。
Bind で権威DNS を管理して、postfix で絶対止めてはいけないメールサーバを管理するとかもあったけど、出来て当然ではある事だし。
未経験プログラマでも、月単価 100 万以上で顧客に請求してるんだから、会社はそりゃ儲けるだろうと思った。
会社が一人前の経験N年のプログラマといったら、その通りに振舞う必要がある。顧客に責任はないのだから。
当たり前だが、Webディレクション、Webデザイン、Webプログラミング, Webマークアップ は、全て作業者であるプログラマの仕事になる。
個人的には、これが分かれている理由が良く分からないけど、分けたい人がいるんだろう。
デザインで、CSSフレームワークを使うと、その色が出るという事で、全部 CSS は手書きしていた。
tailwind が出た現在では使っていればよかったなと思う。
結局、全く分からない中、手探りでデザインし、コードを書いて、顧客に 1 日 5 ~ 10 回リリースするという行為をした。
顧客は大手企業だったので、自社のエンジニアならもっと出来る、と叱責されまくったけど、だったら自社でやればいいじゃんと思った。
一応、今でもサービスは生きていて、ユニークユーザ数は上がっているらしい。
そして、焼き付け刃だったので、 WAI-ARIA を知らず、アクセシビリティへの配慮が足りない事が問題になってしまった。
これはなんとか保守対応にねじ込めたのでトラブルにならなかったけど、瑕疵担保責任と綱渡りだなと思った。
当たり前だが、リリースサイクルを短くしないと顧客はキレてしまうので、CI/CD を整えないといけない。
今は Github Actions とかあるけど、昔は無くて Bitrise が高いからみたいな理由で Azure Pipelines で CI/CD フローを構築した。
もう Multi Stage Pipeline になってるだろうけど、Release Pipeline が GUI からしか設定できないのが辛みだった。
当然だが、デプロイするためには IaC を整える必要がある。
これを知らずに、コンソールでポチポチしていたので、 IaC 出来てない事がバレた時に色々怒られてしまった。
本来はテストも自動テストを整えて、質保証をしてバグを減らさなければならない。
だが、テストを書くという手間を払えなかったので、人力テストしかできなかった。
一応、リグレッションテストを人力でやりまくったので、バグ発見曲線が結合テストでの IF 不一致しかない、という結果にはなったけど
自動化できれば費用が必要じゃなかったから、怠慢だと、責められてしまった。
未経験でも誓約書を盾に、振られた事全部を出来なくてはならない慣習があるので、プログラマはそんなに良い職業じゃないよ。
甘い考えで、プログラマになろうと思っているのなら、考え直した方がいいです。
国立大学の教員として一個一個長文の返信で説得しようと思ったが、バカ相手に時間がもったいなさすぎてやる気なくしたのでやめる。
大人からサービスを受けることしか知らない子供の知恵で、金払ってるから何をしても許されると考える典型的なクレーマー。
自分から進路を選んどいて「権利」?はぁ?入学時に大学の方針に従う誓約書書かなかったの?誓約した時点で権利なんかないぞ?
大学は「教育と研究の場」であって、「お客様を楽しませるサービス業」じゃねーんだよ。
お前がもし国立大学の学生だとしたら、お前を育てるために多額の税金も投入されて授業料も一部免除されている。
日本は楽して全員が卒業できるのが当たり前の社会だが、卒業は本来は欧米のように努力と競争で勝ち取るものであって
一部の勝ち取った人が企業から評価されていい仕事に就けるというのが本来の姿のはずだ。
やりたくないことを自由にパスできて、「青春を謳歌したい、遊びたい」なんて言ってる大学生なんかどの企業が欲しがるんだよ。
もし大学がそんな制度に変えたら、その大学は一気に偏差値やランクが下がって卒業生は就職もまともにできなくなるぞ。
偏差値の高い大学というなら、それまで積み上げた信用(大学のカリキュラムとか先輩や教員の実績とか)で企業は有利に採用してくれている。
その大学のブランド力を利用して就職するつもりなら、在校生として大学の信用やブランドが維持できるように努力義務を果たせよ。
私👤が持っているこの所有が天👼のものであるかサタン😈のものであるか❗それをはっきり知らなければなりません ❗
(ヽ゜ん゜)「나의 사는 이 나라가, 국가의 것인가 사탄의 것인가? 그것을 분명히 알아야 합니다!」
(ヽ゜ん゜)「국민의 것으로 분별해 두어야 합니다!」
(ヽ゜ん゜)「그러므로 주권을 전환해야 합니다!」
所有観念をはっきりはっきり...はっきりィ悟らなければなりません !!
(ヽ゜ん゜)「주권관념을 분명히 분명히 분명히 깨달아야 합니다!」
天👼の側に立つ🧍ことができないならば❗
(ヽ゜ん゜)「국민 쪽에 서서 못할 경우!」
(ヽ゜ん゜)「내 조상의 모든 것을 죽일 입장이 된다!!」
私👤の後孫👦👧🧒👶たちをすべてを殺して😇しまう立場になります ❗
(ヽ゜ん゜)「내 후손들을 모두 죽여버리는 입장이 되!!」
そしてもう田んぼ🌾畑🌱❗
もうすべての物を全部書きなさい📝!!
分かりました!?
分かりました❓
大きく答えてください😡💢
分かりました !?
いろんな業務がある中で、ひとつ「当直日誌の押印」というものがあった。
病棟当直した医者が毎日日誌(といっても○人急変、死亡、とか簡潔にふたことみこと書いてあるだけ。3割くらいは自分の名前しか書いてない)をつけていて、月末に1か月分まとめて全員分の押印をしていくのが仕事だった。
当直は3年目専攻医(数か月単位で診療科をローテーションしてる若手)もやるので、人がコロコロ入れ替わる。つまり、必要な印鑑がどんどん増えてくる。
でも3年目専攻医はほとんどが半年~1年で病院を出てしまうのでわざわざ病院に印鑑を残すほどじゃない。でも印鑑は押さなきゃいけない。どうするか。
古い印鑑の中で同じ苗字があればそれを使うし、なければ一番似ている気がする印鑑を適当に選んで押す(「伊藤」だったら「佐藤」つかう、みたいな)。医師の名前欄とちょっとかぶせて見えにくくするのがポイント。
画数が多ければ多いほどごまかしやすいので助かるし、画数が少なくても適当にハンコのふちとかつかって二度押しすればそれっぽくなる。
どうしても似た苗字が見つからなかった時だって問題ない、篆書体で書かれた漢字なんて書道に造詣深い人間くらいしか解読できないんだから、なんかごちゃごちゃっとした感じの篆書体印鑑探せばいい。自分の時は「後藤」の篆書体を乱用してた。ありがとうかつていたはずの後藤先生。
この日誌を回収して確認して保管するのは医事課の仕事。医事課のオバハンたちは印鑑見比べることしか仕事ねーんか?みたいな人はいないので、とりあえずハンコさえ押してあれば別に何も言わない。
詳しくは知らないんだけど、病棟当直についての日誌は毎日ちゃんとつけて何年以上保管すること、みたいなきまりがあるらしくて、そのため。押印する理由については知らない。でも正直意味ないと思う。だって医者でもなんでもない自分が、適当にその先生のものでもない印鑑押してるだけから。
このペーパーレスの時代にいつまでこの制度続けんのかなー日誌も紙で残してるしアホだなーと思いつつ、ま、あと10年は変わらないだろうなーと思った。
松田聖子と神田正輝に「今の気持ちは?」と聞いた記者がいたことがいたく炎上していた。
それは当然だ。実の娘をなくして憔悴しきった人に聞いていいことじゃない。
しかし、記者を叩いている連中もその次の瞬間に前山剛久に辛辣な言葉を書き込んでいる。
というか、アレが本物だったとして、前山叩きに走るとしてもあまりにも安直すぎる。
前山を擁護できるような情報は書かないし、神田が一方的に被害を受けているようにしか書かない。(まあ、よく読めば誓約書書かせるのは「えっ?」ってなるけど)
文春砲が放たれた後、前山は自分を擁護するツイートにいいねしたり、追悼文を出したが、これに対するネットの反応は
「本当に悲しかったらエゴサなんてできない。この期に及んで自己保身とは。やっぱり文春は正しかった」
「薄っぺらい追悼文。このタイミングでわざわざこんな追悼文出すのは文春が正しい証拠」
総じてこんなものばかりだった。
いやいや、もともとあんたらに「文春は正しいと信じたい」という気持ちがあって、それに沿うように前山の行動を解釈してるだけじゃん。
前山が自己保身のことを考えていると言って、悲しんでいないことの証明にも、文春の記事が正しいことにもならないよ。
例え大切な人を亡くして悲しい状況であっても、ゴシップ紙に悪評垂れ流されて食い扶持と選手生命を同時に失いかけてたら気に掛けるのは当たり前だ。
私もそうだし、多くの人はそうだと思うのだが、ネットの住民は人格者の集まりらしい。
(ただ、擁護ツイートにいいねをしたのは隙を見せたという意味で安直だったと思う。)
あと、感情で繋がった恋愛の「愛」は血で繋がった親子の「愛」とは違う。
自分がときめかなくなれば、例え相手が自分を好きなままでも別れようと言うのは至極当然だ。
フられた側は愛情が裏切られたと感じて傷つくが、それは誰が悪いとかそういう問題じゃない。
ときめく・ときめかないで別れたり別れなかったりするのが恋愛なんだから、例え絵にかいたような聖人君子同士の恋愛だろうと「傷つける」ということは起こりうるはずだ。
先週アメリカ西海岸から成田空港に帰国しました。自分の記録のためと、これから帰国される方のために記したいと思います。
今回はアメリカの仕事がリモートワーク可能になり、半年ほどの予定で家族3人(私、妻、幼児の息子)で帰国しました。
出国前日、日本政府指定の検査センターに出向き、4人分のPCR検査を受け全員陰性の書類を取得。厚生労働省の質問票、所在確認のアプリ、誓約書などを用意。某記者がiPhone 6がアプリに対応していなくてレンタル料払わされたと言っていましたが、一連の書類の中に対応機種、対応していない場合の有料レンタルについてしっかり書かれていました。
出国当日、日本行きの便は乗客がかなり少ないらしく当日に飛行機の機体が変更になりました。乗機率は30%くらいで、帰国する日本人と日本を経由して他の国に移動する外国人は半々くらいでした。
飛行機が成田に着陸すると検疫から連絡が入り、まず日本が最終目的地ではない人たちから降機、それから日本に入国する人たちが降りました。成田空港のコンコースは閑散としていて、待機用のパイプ椅子が数百脚並んでいたのが印象的でした。幸い我々が到着した時は並ばなくてよかったのですが、テストを受けた後には200人くらいの列ができていました。それから一連の手続きとテストはとてもスムーズに行きました。係員の方が外国の方が多かったのが印象的でした。英語が話せる人を配置するためでしょうか、頑張れ日本の若者。
テスト結果が出るまで約1時間半。巷では抗原検査かPCR検査かと言う議論があるそうですが、私の経験では抗原検査が最適解だと思います。なぜかと言うと、同じ航空便で到着した人たちは空港検査、ホテル隔離、3日後の検査という一連の流れの中で同じグループとして扱わなければならない点。同じグループの中から1人でもオミクロン陽性者が出ると全員濃厚接触者として合計2週間ホテル隔離(当時)になるからです。私の乗っていた航空便では成田入国組は18人だったので、100人単位のPCR検査だと時間がかかりすぎるという点もあります。
空港検査では無事全員陰性で、成田空港からバスで1時間ほどの都内某所のホテル(女性社長が有名な)に移送されました。子連れで荷物が多くて大変でしたが、係員の方が手伝ってくれたのがありがたかったです。お部屋は激セマのツインルームですがここから3日間の隔離生活が始まります。
食事は一日三度、お弁当が配られました。ホテルのレストランが作っていると見られるもので、ご飯、唐揚げ、豚の生姜焼きなどのおかず、酢の物、ちょっとした野菜などが入っています。アメリカで出てくる食事に比べてレベルは高いと感じました。息子にはパックに入った離乳食が配られましたが、食べなかったので2回目以降はキャンセルさせていただきました。ちなみに、有名女性社長のカレーの本が部屋に置かれておりカレーが出るかなと期待していたのですが、出てきませんでした。気になるので自主隔離が終わったら食べに行こうと思っています。アルコールは厳禁。普段毎日ちょっとづつお酒は飲むので、大変でした。AmazonやUber Eats、家族からの差し入れは可能ですが、アルコール、常温保存不可能なものはすべて禁止でした。アルコールは係員立ち会いのもと検査されるという話でした。幸い弟が近所に住んでいるので、子供用のバナナや、コーヒーなどを差し入れてもらいました。
やることがないので、持ってきたヨガマットでトレーニングをしたり、子供とEテレを見たり、Numberの大谷特集を読んだり、ゼルダをもう一周したりして時間をやり過ごしました。アメリカ出国前は仕事が忙しくてバタバタしていたので、今回毎日10時間くらい寝られたのは良かったです。3日もするとあまりにも部屋が狭いので、子供のストレスが溜まって来ました。そして4日目の朝、運命のPCR検査です。ここで同便の18人のうち1人でもオミクロン陽性が出ると更に11日間の宿泊施設での隔離になります。幼児とこれ以上狭い部屋で待機するのは正直キツかったのでかなりドキドキしました。検査結果が出ると言われた時間から1時間半ほど待たされて、無事に全員陰性が確認され、成田空港にバスでドロップオフされ、家族に自家用車で自宅に帰りました。ちなみに我々より一週間早く入国した友人の帰国便でオミクロン陽性者が出たので、彼は2週間ホテルに缶詰でした。
今回の一連の経験を通じて思ったのは、この水際対策のオペレーションはかなりシリアスで大掛かりなものだということです。かなりの数のスタッフがどのチェックポイントにもあてがわれていて、日本政府の本気を感じました。検疫、隔離の最前線で働いてくださっている方々にはコロナ感染のリスクがあるなか、素晴らしい仕事をしていただいて本当に感謝しています。私達が日本の家族と再会することができたのはスタッフの皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。
親切な会社だったとは思う。なんせ職歴日雇い派遣のみで、29歳で、コミュ障で、偏差値40の高校中退(一応高認のみ取ってる)の生きてる価値のないゴミの様なブラック人材を採ってくれたのだ。
このSESに入社した俺は未経験者をかき集めて2ヶ月の研修を行って簡単なアプリケーションを作った。そこまでは良かった。その後に、研修内容を2年間のプロジェクトと詐称して経歴盛って派遣先に飛ばす面談の予行演習をやらされた。
俺の中で何かが折れる音がした。
人事も研修の講師も優しくて悪い人では無かった。日雇い派遣で根っからのクズも上辺だけ人が良さそうなクズも見てきたが、この会社の人たちは本当に素朴で人の良さそうな感じの人達だった。が、仕事はしたいが、経歴を詐称して履きなれない下駄を履いてまで食い込みたいとは思わない。何も最初から開発じゃなくても、保守運用なりテスターなり雑用なり、未経験者でも出来る事から少しずつステップアップする気でいた。「経歴詐称して潜り込めたとしても、詐称した経歴に見合う実力も無いし、私自身が就業先で軋轢を生む原因になる。よって会社の信用も傷つける。私にはついていけそうにないので、大変申し訳無いが退職させていただく。」そんな旨を恐怖で震えながら俺は言った。俺が辞める旨を伝えても人事は怒鳴り散らすこともなく、困惑と当惑と悲哀を秘めた表情で引き止められた。「2年以内に退職する場合、研修費用100万を返還すること」みたいな誓約書を書かされるSESもあるらしい。俺の所はそういうことは一切なかった。
採用者の中で、Java bronzeとITパスポートを取得してきたのは(IT系の中では簡単な認定試験ではあるが)俺だけだったらしい。多くの人が躓いていた研修(そうか?)のぺースにも着いてこれてた。一番期待してたから、考え直してくれないか。色んな人を見てきたけど増田さんはやっていけるタイプの人だ。そんな様なことを言われた。経歴詐称してまで働きたくないボロは着てても心は錦のような高潔な動機ではなくて、ただただ心が折れてしまった。しかし俺の退職の意志は揺るがなかった。
明日から国保に加入して、国民年金の手続きもしてこなければならない。
俺この先どうしよう。
先日オミクロン株が判明した男性は女性が搭乗した航空機の同乗者ではなく、女性は自宅待機期間中にもかかわらず、
8日から2日間にわたり会っていた。濃厚接触したこと間違いないね
男性はデルタ株ではないことが確認されており、オミクロン株の可能性が高いとみられる。17日にも解析結果が判明する。
男性は9、10日と職場に出勤。10日にはせきや発熱の症状が出ていた。そんな中で12日、天皇杯を観戦。
翌13日も出勤した。男性と一緒に観戦した家族3人と職場の同僚7人が濃厚接触者と認定された。
結果、全員が陽性判明オミクロン株も判明
オミクロンを持ち込んだ帰国者の女性は成田で厚労省大臣宛ての「自宅待機や他人との接触が守れなかった場合、氏名を公表する」旨の誓約書にサインしてるはず。ここにコメントしている多くの人たちに対しては、また「自粛警察」などという批判が出るかと思いますが、今回のケースは、誰がどう見ても批判される行為でしょう。
女性の方は、何のために自宅待機しているのか、理解する能力すらないのでしょうか?
男性の方も、自宅待機者に会うなんてもってのほかですし、その上、発熱があるのに、人が大勢集まるサッカー感染に行ったり、会社に行ったり、意図的にウイルスをバラ撒いていると思われても仕方のない行為をしています。
自分が感染するのは勝手ですが、頼むから、他人に感染させるような行為だけはしないようにしてもらわないと、たまったもんじゃないですよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20211210174346
ただし、本件について版元であるサイゲの判断の是非については言及しない。
理由は、広い目で見れば業界全体の問題だとは思うけど、あくまで本件は申請を行ったディーラーの代表と版元の問題だと思うから。
また、おそらく本人もサイゲも本件が騒ぎになるようなことは望んでいないと思う。(あくまで自分の想像だけど)
ここではブクマカの浅い認識を是正するために、版権立体物イベントの当日版権まわりについて解説する。
まず、立体物(フィギュア、ソフビ、ぬいぐるみ、グッズ、など)は同人誌のたぐいとは扱いがまったく異なる。
基本的にアニメや実写作品の立体物の販売は、アマチュアといえど正式な版権を取得してのみ販売されることが一般的であり、これに背いて同人誌のように勝手な判断で販売することは許されない。
同人誌等の二次創作については作品ごとのガイドラインを定めるところも増えてきていると思うが、ここに立体物が含まれることは稀であり、一部中華資本の作品を除いてはほとんどがガイドライン上も勝手な販売は許されていない。
立体界隈の住人はほとんどがこのルールを正しく守っていて、ワンフェスやトレフェスなどの造形イベントに出展されている作品はすべてこのルールに基づいて版権を取得したもの。(作者のオリジナル作品と一部フリー版権を利用した作品はのぞく)
しかし、いくら版権が必要と言っても、アマチュアのディーラーも含めるとそれなりに数がいて、すべての作品を通常の版権手続きの手順で処理するのは不可能であり、版権元にとってもディーラー側にとっても負担が大きい。
だからといって同人誌のような無法状態にするわけにもいかず、解決策として生み出されたのが当日版権システムである。
当日版権についての解説はwikipedia辺りを読んで欲しい。
今回はトレフェスオンラインだがワンフェス、ホビーラウンドも同様に、この当日版権の仕組みに乗っかっている。
いくら手続きが簡略化されているとは言え、版元も許諾を出す以上はそれなりの審査を行う必要がある。
流れ的には、
うちはこの作品のこのキャラをこういう素材や仕様で作りますよ、OKかどうか確認してね、とまず申請を行う。
まず作ること自体がOKかどうか確認してくださいねというフェーズ。
仮申請でOKが出たものについて、ここで初めてディーラーは版元に対してキットの元となる原型の写真、または最近はデジタル原型が多くなってきたのでそのレンダリング画像を送付する。
正面、背面、左側面、右側面、その他アピールポイントまたは付属品等、の計5点の画像が必要となる。
ブコメにキットか完成品が必要だの、3Dモデルがまずいだの、しっぽの位置がわからなかっただのあるけどこれは間違い。
ガレージキットは基本的に原型を複製して作られたキットなので、許諾の審査は原型で行うし、デジタル原型の場合はレンダリング画像でルール上問題ないし、すべての方向から見え方を確認するために多数の画像を送っている。実物を送ることもない。
肝心の原型の完成状態なんだが、基本的には「ほぼ完成状態」のものが求められている。ただここは版元によって基準が結構違くて、ポージングと全体的な衣装の雰囲気だけわかればOKですよのところもあれば、ほぼ完成状態じゃなくちゃ絶対駄目というところもあり、そこは色々。ただしその基準は前もって知らされるものではないし、なるべくそのルールに則って完成状態で臨むべきものとなる。
本申請に基づいて版元がこれで販売してOKまたはNGを審査する。
ここでNGとなればどれだけ制作が進んでいようと、たとえ複製してしまって莫大な費用がかかっていようと販売は許されない。
ちなみにNGだった場合の理由はほぼ明かされない。今回のウマも理由は当のディーラーも知らないと思う。
OKの場合、ここで誓約書の提出が求められるイベントもある。誓約書=正式な契約と見ても問題ないのではと思っている。
当日版権の許諾が降り、販売許可が出たものはイベントで販売するための準備に進むことが出来る。
ここはそのキットの仕様や数量によって異なるんだけど、どんなに安くても数万、大手のディーラーならおそらく数十万の費用が余裕でかかる。
また、その版権元のライセンス形態に基づいて規定の版権料を支払う必要もある。
ちなみに許諾が降りたものについてはなんらかの理由で販売しなかったり、たとえイベントが中止になっても版権料の支払いは発生する。
晴れて許諾が降りた作品についてはこの日そのイベント限りで販売が出来る。
提出物はキットの完成見本の写真だったり、キットそのものだったり、一番きついのは完成品そのものの提出が求められることもある。
そして万が一、制作が間に合わなかった等の理由により許諾が降りた作品のサンプルがここで提出できない事態になると、厳格なペナルティが与えられ、下手するとイベントへの参加が今後永久的にできなくなる。しかもそれはディーラー単位で課されるので、同じディーラーで活動しているメンバー内にそういう人がいるととんでもないとばっちりを受ける。一緒に活動する人は選ばないといけない。しかもそれでも後追いでサンプル提出は求められる。
それだけ厳格なルールに則って版元とディーラーは契約を結んでいるってこと。
新刊落ちましたテヘ。。。みたいな甘い考えは絶対に許されない。
こんな流れ。
それで本件は、3の許諾が一度降りたのだが、5の直前になり急に許諾が取り消されてしまい、4(と原型製作)でかかった莫大な費用がパーというのが泣き所という話。
心情的には非常にディーラー側には同情するし、自分もやってるからこそわかる費用感とか、何よりそれまでの作業の苦労を考えると涙無しには語れない話になってはしまうんだけど、当日版権が非常に脆いシステムで、版元の好意によって成り立っているシステムであることも加味するとなんとも言えない。
サイゲも悪気があって行った行為ではなくて、なんらか事情で急遽発生した不幸な事故みたいなものではないだろうかと推測している。
件のディーラーの人はつらいと思うけど元気を出してまた頑張ってほしい。
あと、肝心のフィギュアの出来が云々言っているブクマカもいるが、原型を監修して許諾したのにキットの完成見本の出来が悪くて直前に許諾取消なんて聞いたこと無いし、それはアマチュアも多くいるこの界隈に対してはあまりにも無慈悲。なのでそれは無いと思われる。
以上。
喧嘩の原因は、やったやっていないという子供じみたことで、僕も間違ったことを認めたくないので、大抵はそのまま喧嘩になってしまう。僕は怒っても冷静なのだが、妻は怒ると蹴ってくるし叩いてくる。たまに包丁を持ち出して刺すふりをしてくる。僕には希死念慮があるので、包丁を持ち出されたときに刺さないでほしい旨をひっ迫した表情で伝えているが、内心はこれでやっと死ねる、とちょっと安堵していた、ということはここだけの秘密だ。さて、この暴力性については5年前くらいからやめてほしい旨は伝えているが、やっぱり直らないらしい。先月にも同じような衝動的な暴力が発生したときに簡単な誓約書を書かせた。内容は「次回、暴力をしたら夫の財産を受け取らずに離婚します」だ。
離婚をすることで、僕が受ける経済的不利益はおそらくごく僅かだと思うのだが、離婚の手続きがめんどくさい。親への報告とか数週間は仕事もだるくなるだろうし、年齢的にもこれから再婚するのもとてもめんどくさい。しかし話の通じない人間と同棲している自分へ反吐が出る。うーん、とにかく気が重いのだ。誰か僕を連れ去ってくれ。もしくは、このまま死んでしまいたい。
5年間一緒にいたねこを手放すことになりそうなので、自分の気持ちの整理のためにつらつらと書く。
5年間一緒にいたねこは私がはじめて選んだ家族であるし、人生のパートナーである。
私がこのねこと出会ったのは運命的でもなんでもない、保健所で一緒に暮らすねこを探していたときだ。
当時の私は自堕落的で、アルバイトとして働いてはいるものの、なんの目的もなくただダラダラと呼吸をしていた。働くということがまま苦痛であったし、大きなトラブルはないのに人といることに疲れていて、未来なんてどうでもよかった。死ぬほどでなくとも積極的に生きることもできない、そういった自分が嫌ではあったものの、特に変えるための努力もする気になれなかった。
ふと、自分が猫を飼ってみたかったことを思い出した。昔は無理だったが、今ならそれを実行できる環境にいる。短絡的ではあるが、働くことも人と付き合うことも生きることも、私だけの猫がいればできそうだった。
すぐに保健所に電話をして、引き取れそうな猫はいるか確認をし、年明け後にすぐ猫を見に行った。私の数少ないいいところはすぐ行動に移せることである。
保健所には十数匹の猫がいた。仔猫もいたし、成猫もたくさんいた。
仔猫はきっと他の誰かが選んでくれるだろうと、私は成猫を引き取るつもりでいた。それも誰も引きとらなさそうな猫を。
成猫を探しているというと、職員さんは1番奥のケージを見せてくれた。ハチワレ猫と黒猫の2匹の兄弟が目を丸くしてこちらをみていた。ハチワレの方は怯えていなかったが、黒猫の方はすごかった。私を確認するなりケージの隅へ避難し丸くなり、全神経をこちらに集中させていた。
誰も引きとらなさそうな猫と決めていたが、その様子を見て少し怖気付いた。なにしろ私は猫を飼ったことがないのである。
職員さんにどちらかを引き取ることにしますと伝え、一週間後に迎えに行くことになった。
一週間結構悩んだ。いっそのこと2匹一緒に引き取ろうかとも思った。そうしなかったことは今でも悔やんでいる。
受渡日当日、私はまだ決められずにいた。
もう一度直接みて決めるしかできなかった。
私たち人間の緊張を感じ取ったのか、一週間前はリラックスしていたハチワレも、その日は警戒心をむき出しにしていた。黒猫はそもそも初対面の時から私を警戒していた。
黒猫がキャリーケースに入れられている間、私は飼育に関する誓約書や、外飼いされる猫の悲惨さ等の書類と対峙していた。余談ではあるが、この保健所は非常にいい保健所で、職員さんたちはみんな動物に対して愛情を持っていた。私がカウンターで待っている間、少し離れたところにいた職員さんが業務を止めてさみしそうに、でも本当にうれしそうに、飼い主さんがきまってよかった〜〜よろしくお願いしますと伝えにきてくれた。
少しして、遠くの方からアオ〜〜と悲しげな大声が聞こえはじめ、キャリー片手に職員さんがやってきた。
では、よろしくお願いしますのひと声とともに黒猫の入ったキャリーが渡されて引き渡しが完了した。
大きな黒猫は怒り混じりにずっと鳴いていて、施設内の人たちは物珍しそうに少し笑いながらこちらをみていた。
黒猫は1年ぐらいは慣れないかもと職員さんから伝えられていたが、1月ほどで私に腹を見せ、擦り寄ってきた。
毛はふわふわでの長毛で、声は高く、ずんぐりとした樽のような胴体に、ポンポンのような短い鍵尻尾を持つ大きな黒猫。
食べることがすきで、度々勝手に餌袋を破り思う存分腹を満たした困った黒猫。よく私のお腹や膝の上に乗っては機嫌良く撫でられていた。
本猫の努力もあり、ちょっとしたダイエットに成功した後は歩くたびに伸びたお腹の皮が左右にたゆたゆと揺れる。水のように柔らかい。目が合うと短くンニャと鳴く。寝てる私の気を引きたいときはゆっくりと私の顔に爪を立てる。歩くときは爪を出さず。
前歯がすきっ歯で、獣医さんに相談するまで、自分の不注意で歯を一本無くさせてしまったのかと思っていた。
はじめて黒猫を洗った時、シャワーをかけ続ける張本人である私に、震えながら縋りつくようにして膝に乗り、その日から度々、私がシャワーを浴びている間は心配そうに浴室の外から私を見守ってくれる。目が合うと小さくニャッと短く鳴く。
もう1匹の新猫を迎えた日、大いに不満もストレスも抱えただろうに、一週間後には新入りを舐めてくれた。
その新入りした仔猫は多種多様なアレルギーと喘息を持ち、ご飯に対して気難しかった。
歩くときは爪を出さない大きい猫と、歩くときも爪を出す小さな猫。
視線だけで訴える甘え下手な大きい猫と、鳴いて物事を要求する甘え上手は小さな猫。
どちらも私がそばに行くだけでゴロゴロと喉を鳴らす気前のいい猫。小さな猫は尻尾を震えるほど立たせるので分かりやすい。
車に乗せると怒鳴るように鳴いて不満をぶつける小さな猫。以前はほぼ毎日のようにしていた喘息も、最近は全くといっていいほど出なくなり、落ち着いてきて本当によかった。
間違いなく私の人生は救われたし、大袈裟でもなんでもなく、今の私がいるのもすべてこの猫たちのお陰だ。
たまに、猫の死について考える。そのときは必ず火葬や仏具について泣きながら検索する。それは今から心の準備をしておかないと、駄目だからだと思う。
いつか私は猫たちを看取って、小さな骨を拾い、猫の思い出が残る家で生きていくものだと思っていた。
まわりは、配偶者が猫アレルギーで喘息であるなら猫を手放すのが当然だという。それが極端だといってくれる人もいる。
私は、猫をペットとして飼っていない。家族として接し一緒に生活してきた。
ひとりは、猫に依存すること自体間違っていると言う。自分のことしか考えていない、今が変わるときとも。きっとその通りなんだろう。
猫と別れる選択をした場合、おそらく妹夫婦が猫を預かってくれることになる。
それは逃げだと言われたけど、一軒家でも同じ建物内に猫といたくないと言われたら、私は離婚以外この選択肢しか選べない。選べないことに絶望する。
今までの薄給をほぼすべて猫に関することに費やしてきた。観葉植物も空気清浄機も、Amazon Echoもデジイチも、オイルヒーターも除湿機も。他の人には一見関係ないものも、すべて猫に関係している。
一緒に暮らしてきた猫と完全に人生を絶たれれば、私には働く理由も欲しい未来もほとんどがなくなる。と思っている一方で、人生を救ってくれたこの猫たちと別れたあと、意外と平気で生活できそうな気もする。私はそれが怖い。
配偶者は、私が猫を選んだとしてもだれも責めないと言ってくれる。
かといって、本当に我儘に生きてきた私に怒ることなく辛抱強く優しく誘導してくれる配偶者を捨てることも私にはできない。惚気になるが、この人は少し鈍感なところもあるけど、本当にできた人間で、こんなウジウジとして怒りっぽく自己中心的な私にはもったいないくらい良い人だ。猫も人も、私には本当にどちらかを完全に切り捨てることが怖くてできない。
だからせめて、妹夫婦に一時的に猫を預けるということに今はさせてほしい。この先、絶対にまた一緒に暮らせる時がくるという希望がほしい。気兼ねなく会いに行くことができる人に預け、猫に関する費用を払うことで、私を関わらせてほしい。
猫にも配偶者にもどちらにも誠実でなく、妹夫婦にも負担を強いるという選択を取ろうとしている。猶予はまだある。もしかしたらもっと違う選択をとるかもしれない。