はてなキーワード: 抗うとは
新NISAは年初に一括購入した方が効率的。それでも分散購入する理由(https://anond.hatelabo.jp/20231213201025)の元増田です。
資産は4800万円と書いてましたが円安と株高で5200万円くらいになってました。
https://anond.hatelabo.jp/20240111222400
一応いろいろ読んで自信を補強してきたつもりなんだけど、あまりにも大正義扱いなのが怖くなってきた。
「みんながこれが正しいと言ってる」という一点だけが漠然と怖い状態。
なんか落とし穴ある?
いくつか事例を挙げて説明します。ちなみに私はそれを理解した上で、最終的には総資産の90%はインデックスに入れる予定です。(後述)
信じましょう。
過去の推移を見ると、むしろ株以外の金融商品(現金)を持つと目減りする可能性が高いです。
これに抗う可能性があるとすると、長期のデフレだけですが、世界の政策担当者はインフレ以上にデフレを恐れます(特にアメリカのデフレへの恐怖心は異様とも思えるくらいです。)。デフレを歓迎するのは日本の評論家くらいではないでしょうか。
むしろチャンスと思いましょう。
毎月一万円ずつ購入するとした場合、インデックスの単価(基準価格)が一万円なら一口しか購入できませんが、単価が五千円に下落したら二口も買えます。
長期で成長する前提なのですから、積立で購入している場合は喜びの方が大きいです。
これまでの大暴落の場合、60%程度下落することがありえます(ITバブルやリーマン・ショック)。
例えば20年間積立て終わった瞬間60%の下落がくるケースを想定しましょう。
過去の実績から、低めに見積もってオールカントリーインデックスの期待利回りを5.5%ほどとします。
極端な例として、20年後に積立NISAで購入した資産をすべて売却して使う必要があるとします。
結論として、20年間均等に積み立て続ける場合、20年後一括で引き落とそうとすると25%ほどお金が減っている可能性があります。
ただ、これは最低値になり、ゆくゆくは株価は回復していくと思われますので、ピンポイントでこの額で売却することはかなり難しいです。
が挙げられます。
ちなみに25年積み立て続けられたら60%の暴落に見舞われても元金から増えていると思われます。投資は早く始めたら有利とはこのことですね。
長期で世界経済が成長し、それに伴ってインフレする可能性が高い以上、額面を減らしたくないからと現金を持ち続けることも、相対的にみれば資産価値を減らし続けることになります(物価が倍になれば現金の価値は半減します。)。
オルカンは得したいというよりも、インフレに負けないよう、損したくないための選択肢と捉えて良いのではないでしょうか。もっとリスクを抑えたい場合、オルカンではなく金インデックスという手もあります。
◯現金30%、日本の個別株5%、全米インデックス10%、NASDAQインデックス25%、アメリカ個別株25%その他5%くらいです。リスク選好型ですね。
◯これでも個人的には現金比率が多すぎると感じています。理由は、株価が上がっていて一定程度現金化したのと、新NISAで積み立てるためで、最終的には現金比率を5%ほどまで下げる予定です。
◯個別株は見るのがめんどくさいので、将来的にはこれも減らしていきます。多分インデックス90%くらいの資産構成になると思います。
◯インフレに負けたくない
◯損したくない
◯リスクを取りたい
S&P500(全米)
私は長期では日経インデックスはオールカントリーよりも伸びると見ています。期待値だけでいうとオールカントリーより日経インデックスの方が利益がでるのではないでしょうか。
理由は単純で、給料を円で受け取り、預金も円で行い、資産も日本に全振りをするのは、万が一(例えば日本が戦争で負けるとかした場合)が危険と言うことですね。
その割にはアメリカ全振りじゃないかと言われそうですが、少なくとも給料を円で受け取っている以上、日本一本槍よりは分散ができています。あとは期待リターンとの関係で今はアメリカに入れています。
ただ、アメリカが全力で戦争するような事態になればオールカントリーに切り替えると思います。(戦争の勝敗にベットするのは健康によくなさそうです)
新NISAでの資金流入が多いからか日経平均の上昇がすごいですね。近い内に少なくとも一度は大きな下落がありそうですが、そのような場合でも動揺せずに淡々と購入を続けられるのが積立設定のメリットです。理想を言うならば積立設定したあとはアプリなんてアンインストールしても良いくらいです。
より大きなリターンを求める人は暴落時に資金を大量投入するのでしょうが、私にはそのウデはありません。
前回の増田の後にバリュー平均法がいいよとコメントがありました。毎回設定できるならそれでいいですが、正直面倒さが勝ちますね。
あと、この手法の弱点として、高騰を続けるときは現金が遊んでしまうんですよね、それにイライラしてしまうので私には向いていなさそうです。特にNISAの場合枠が埋められない状態が発生する可能性が高いので。
ブコメから。そりゃそうですね。ずっと上がり続けるなんて信じてた結果が日本のバブルとか思い出してしまいますよね。
ここは論より証拠、長期投資をする人なら一度は見たことがある図表です。(https://media.rakuten-sec.net/articles/amp/43634中のhttps://media.rakuten-sec.net/mwimgs/a/5/-/img_a5f7d4e15cf771c0ba4611845b21c61d156393.pngを参照してみてください。)
1ドルを200年間投資した(又は現金で持ち続けた)場合の価値の推移です。現金は1/10以下、株は60万倍と株の強さが見て取れます。
もちろん、過去がそうだったからと言って、将来も保証されているわけではありません。ただ、これが崩れるときは資本主義そのものが崩れるときで、現金で持っていてもその価値(=政府の信用力)は保証されていない状態だと考えています。仮にそうなりそうな場合は投資の仕方を全面的に変えますが、そのときに考える他ないでしょう。
常日頃からこれに備えるならば、難民経験の多い民族のように資産の一部を貴金属系のものに換えて、肌見放さず持つくらいでしょうか。
私のようにドシロウトかつ何の元手もなかった人でも、労働しながら市場平均並みには殖やせる(他人の労働の対価も手に入れられる)というのが積立・インデックスの強みですからね。
短期間で何倍にも増やしたいという人には相応のリスクがある手段があるでしょうが、どんな大天才でも大損失を被ることがあるのは歴史が証明しています。それをしたくない人向けの手段ですね。
例えば十年前にNVIDIA株を百万円分買っていた人は、今も持ち続けていたとすると一億円を超えているわけですが、一方で紙くずになるリスクもあったわけですし、その間の心理的な負担も相当なものでしょう。
下落後には回復するというものの、日本はもう30年以上バブル時の高値を超えられていないわけで、含み損が30年続く恐れもあるわけですよ
これは誤解で、例えばバブル最高値から積み立て続けた場合、20年くらいで含み益に入ります。安いときにいっぱい買えるメリットが出た形ですね。
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231212192423
一人目の職員である。この人は女性だった。勤務態度は、ありていにいえばやる気がない……ということになる。社会教育課は、当時約15人ほどの部署だった。T区の社会教育に関する機能がこの一部署に集約されている。
ところで社会教育というのは、「学校・家庭以外の広く社会で行われる教育」をいう。身近なところだと、公民館でのサークル活動(生け花、カラオケ教室、絵画体験、パン作りほか多数)や、少年自然の家などの公共施設での活動講座や、大学で行われる公開授業、民間企業による通信教育、カルチャースクールもこちらの仲間だ。
Aさんは、そういった社会教育活動のうちスポーツを主に取り組んでいた。児童向けの運動体験教室や、レクリエーション行事、各体育協会と共催するイベントを担っていたという。体を動かす仕事である。
Aさんは高齢だった。50代半ばほどか。過去にスポーツの経験はあったというが、足腰が弱っている印象があった。私の視点だと、彼女には体育活動の振興とでもいえばいいのか、そういう仕事に適性はないように思えた。
※熟練の増田読者であればおわかりだろうが、人事部局としてはAさんが早期退職するように仕向けている。
それにしても、Aさんは士気が低かった。私やほかの仲間が仕事に集中している時でも、Aさんの上司である係長とやり合っている声が聞こえた。ひとつだけ挙げるとしたら、Aさんが仕事が間に合わない旨を述べた場面だ。当時の手帳に控えている。口調は文語とする。
Aさん「イベントの準備が間に合わない。だが今日は帰らないといけない」
係長「状況はわかった。それでどうする?」
「私は午後6時に家に帰らないといけない。何とかしてほしい」
「あなたの仕事である。時間外勤務をしてでも、休日に出てでも終わらせる必要がある」
「定時になったら帰る。休日も出られない」
「何か理由があるのか」
「断る」
「そんなことができると思っているのか。これは上からの指示である」
「関係ない」
「何が関係ないのか」
「公務員は上司の命令に従う義務が法律で定められている。そんなことも知らないのか」
「知っているが、今この状況と何か関係があるのか?」
「たとえ頭に拳銃を突き付けられても、人には抗う自由がある(※1)。私は自分の責任でそうすると言っている。どうしても家に帰らないといけない」
「そんなものは屁理屈である。これから課長にも相談するがいいか?」
「どうしてもと言うなら、(労働)組合に相談する。組合の女性部に言って、あなたのことを組合新聞の記事にしてもらう。不当労働行為は許さない」
「好きにしろや、ボケッ!! 我儘言うならさっさと辞めろ。この職場から消え去れや。人間の屑が」
「労働者の権利である。次にそんなことを言ったら、組合があなたを許さない(※2)」
※1…夜と霧の著者であるヴィクトール・E・フランクルがアウシュヴィッツ強制収容所にいた時の矜持のひとつ。頭に拳銃を突き付けられて、「殺す」と脅されている状況でさえ、人間には命令を拒否できる(運命に抗うだけの)意思の自由がある、という崇高な喩え話。
係長が口汚い言葉を発した直後、ほかの女性職員が間に割って入った。その人は、係長とAさんの間を取り持つことに成功したようだった。社会教育課の数少ない『良心』だった(Aさんの仕事はこの女性が片付けた)。この人のおかげで、教委が恥をかかなくて済んだ場面がいくつもある。今でも感謝している。
あの連中は、指導課が普通に仕事をしている時も、オープンの協議机で話をしている時も、小中学校の校長や教頭が来庁している時ですらも、あんなやり取りをしていた。
Aさんに限らず、ほかの職員もそうだった。社会人とは思えないほど粗暴な物言いだった。職場の人間関係は悪かった。目の前の来庁者に対して申し訳なくなる。
実際、あなたが標準的なはてな民であると仮定して、公務員にはどんな人がなると思うだろうか? 「焼酎学校の中でも真面目だった人がなるのでは……」といったところか。
国や県の職員の場合はそれで合っているが、例外がある。市区町村の場合は、いわゆる不良やヤンキー、チーマーといった類の人間が公務員試験に合格することがある。筆記試験のボーダー点数が低いのと、地元出身者優先という原則があることによる。地元に思い入れのある人ほど内定を取る構造がある――と、T区の幹部職員から酒席の場でうかがったことがある。
Aさんのほかにも、50代後半の男性職員が社会教育課にいた。その人は、Aさんと比べると人格はしっかりしていた。が、数年前に脳の病気になってしまい、体の右半身があまり動かず、常に足を引きずるようにして歩いていた。認識も少し弱っている。元はちゃんとした働きをする職員だったらしいが、人事部局としても扱いに困ったのだろうか。早期退職制度を使って早く辞めてほしいとばかり、このような部署に異動させることになった。あくまで想像に過ぎないが。
この男性職員は、どこの方言かよくわからないしゃべり方をする(おそらく関西の何処か)。彼は、教委事務局に毎週出入りしているヤクルトレディがいたのだが、いつもその人から昼食の一部を買っていた。彼は右半身の一部が動かないので、財布からうまく小銭を取り出せないのだが……そのヤクルトレディは、彼をうまいこと補助しているようだった。
ある日の正午、社会教育課から私の方に聞こえてきた声によると、彼はカップヨーグルトを買ったようだった。いつものように、左手を使って小銭入れの中を仕事机にばらまくと、ヤクルトレディが必要な額を持っていった。その後のやり取りは、こんなだったか。
「おいAさん。俺、さっきのヤクルトの人からヨーグルト買ったんだけどの~」
「なんかあった?」
「ヨーグルトにのう、ストローを付けよったんよ! スプーンじゃのうて」
「なんで、こないなことをしよったんじゃ、あいつは。わからんのお」
「まあ、飲んでみたら。どうなるかは知らないけど」
「なんでじゃ。なんで、こんなことをしよるかのう。非常識なやつじゃ。で、このストローをヨーグルトに刺して……こういう風に飲むんかのう、面倒じゃのう。どうしてあのヤクルトレディはこんなことを……うん、これが……」
「うまいんじゃのう!」
「え、おいしいの?」
「うまい!」
「どんな味?」
「デザートを飲んどるようじゃ」
「へえ~!」
「やるの~、あのヤクルトレディは。ほんまにやるのう……今度ほめてやろう」
ヨーグルトにストローを刺して飲むとおいしい、というのは私が教育委員会で得た知見のひとつである。あれは確かにおいしかった。
実際、彼は漢だった。若い頃の努力は老人になって出る、という言葉がある。それを地でいっている。顔に刻み込まれた皺が、地方公務員としての歴戦を物語っていた。脳の病気にさえならなければ、本庁のどの部署出身なのかは知らないが、今でも活躍していただろうに。
実際、この人は可哀想だった。上司からは腫れ物に触るかのように扱われていたし、若い職員からは、わざと聞こえるような声で、「役に立たない」「障害だから仕事が出来なくても許される」「人事課もちゃんと引導を渡した方がいいのでは」などと噂をしていた。
体が動かないから、活躍しようにもできないのだ。その人がびっこを引きながら廊下を歩いている時、すれ違いざまに「無理しなさんな。あんたも早く辞めればいいのに」~と声を出す職員もいた。
私は、ここまでひどい連中でも――この区役所は採用をしているのかと、むなしい気持ちになった。T区役所がひどい連中を採用しているのか、それともまともな人間が入庁後にひどい連中に化けてしまうのか、そのどちらかだろう。
なんというか、社会人というか、同じ人間として情けなかった。なお、私は都道府県の教委に採用されて給料をもらっていた者である。T区役所に対する直接の恩義はない。当時感じていた義憤については、何の遠慮もなく吐き出させてもらう次第である。
さて。上のような劣悪かつ悲惨な状況について、誰が悪いのか、誰に責任があるのか? 組織レベルでいうとT区役所の人事部局である。問題のある職員を特定部署に集めるという作戦を採っている。だからこうなる。一番迷惑を被るのは区民だろうに……。
蛇足になるが、いわゆる問題職員というのは――汗水を流して働く部署や、窓口での市民折衝がある部署に集う傾向があるという(建設、農業、体育、福祉、収税、環境、支所など。私が直接見知っているわけではない)。真に優れた職員は、企画や調整を担う部署に配属される。これは、学校教育を司る立場である教育職でも同様である。
私の見立てでは、このT区役所における社会教育課約15名のうち、少なくとも5名が問題職員番付とでも呼べばいいのか、そういうリストに入っている人間だった。ただし、そんな人間ばかりでは仕事で大事故が生じる可能性がある。よって、上の『良心』のような人も1,2名ほどは配置してバランスを取っている。
Aさんについては、その後もトラブルが続いた。
本人は、なにしろ仕事に対するやる気がない。区民が窓口にやってきても、朗らかにはしているが、できるだけ手間のかからない方法を取ろうとする。そのために、ルール上は出来ることを出来ないと言うこともあれば、反対に、出来ないことでも出来ることにして通したこともある。
Aさんのようなタイプは、私が知る地方公務員の中では一般的な部類である(数はそれほど多くないが、見渡せば普通に存在している)。確かに、社会教育という行政分野は人を選ぶ。向いている人はとことん向いているし、向いていない人はとことん向いていない。
かくいう私も、別の市区町村の教委に配属された折、社会教育課(※便宜上の名。T区とは違う名称)に二年だけ居たことがある。主査~主幹ほどの立場で、絵画展や音楽演奏会など文化芸術方面の仕事に携わった。
スポーツの仕事も少しだけやっていた。大雨が降る中、区営の陸上競技場で泥んこ塗れの陸上競技会を開催したのは今でも記憶に残っている笑
私もそこまで社会教育に向いている方ではなかったが、それでもやっているうちに楽しくなってきたものだ。Aさんには、その姿勢があるかも怪しかった。すなわち、気が向かなかったり、やったことがない仕事に対しても、真摯に、愚直に向き合って、その業務を好きになっていくという姿勢である。
ただ、彼女は人柄が悪いかといえば、そういうわけでもない。スポーツ団体や取引先業者との人間関係に問題はなさそうだったし、実際に話し方を見ても朗らかだった。私も、職場や飲み会では何度か雑談をしたことがあるが、異常性は感じない。普通の人だった。
Aさんは結局、それから約七年ほど社会教育課にいたらしい。私が教委から異動して中学校長になった後も、職場で働いている姿を見ることがあった。昔のように声をかけてみたが、どうやら元気がない様子だった。疲弊しているのだろうか。明らかに不健康だった。心も体も弱っている様子だったが、それでもゾンビーのように働き続けていた。職場には、おそらく這うようにして出勤しているのだろう。
定年後はどうしているかわからないが、それでも数年間は一緒の事務所にいた仲間だ。多幸であることを祈っている。
(追記)
金曜日は終日外出先のため、土曜日に2本を投稿して〆とします。
(次part)
劇団内部の人間ではないものの、その近くで数年携わり、生活も精神も壊した身として、心当たりが多すぎる。
便乗ファンによる創作だと思ったら、どうか読んだら忘れてほしい。
固有名詞や用語の意味が分からない人は、そのまま一生分からずにいてほしい。
でも、どこかに、仲間がいると思うから。自分以外にも壊れた人がいるはずだから。
まとまりもないほどの書きなぐりになるだろうけど、腹を決めた今、匿名で言わせてほしい。
もう無視できないところまで来ていると、心当たりのある各位に気付いてほしい。
該当劇団には、公式ファンクラブ以外にもジェンヌ個人の私設ファンクラブ(以下「会」と呼ぶ)があることは有名だと思う。
いわゆる代表やお付きと呼ばれるマネージャー的責任者と、スタッフやお手伝いといわれる他数名の小間使いが組織を運営している。
自分は新人公演にも出演し、何度か主演も演じた人気ジェンヌの会運営スタッフを数年担当した。
明確な時期や個人名の明言は避けるが、当ジェンヌは現役在団中とだけ書き記しておく。
毎朝晩の入出待ち立ち会いからお茶会などイベント企画・運営、チケットの取次配席およびグッズ作成など...
会所属経験のあるファンなら思いつくであろう業務、全部に携わった。会員数百人に対し、片手以下のスタッフで。
無給は当たり前、経費も持ち出し、24時間365日ジェンヌや関係者の呼び出しに応えながら平日フルタイム会社員。
睡眠時間も金も体力も心の余裕も何もかもなくなった。倒れて運ばれ、スタッフを辞めた。
・入出立ち会い
よく日比谷の劇場前で見るようなスクワットでジェンヌのお迎え・お見送り。あれをやる時に暴走するファンが出ないか見張ったり、一般人のクレームに頭を下げたりする。
毎朝7時前後、早いときは6時前に毎朝集合場所で立ち合いをして会社へ出勤。ジェンヌから翌朝の入り時刻連絡が来るのは平均深夜1-2時。
それを待ってファンクラブ会員へ見送り場所への集合時刻を配信、他ファンクラブ運営へ報告したりするので自分が寝られるのは3時を回るのもザラ。
毎日5時前には起床、始発の電車に飛び乗り現着から動き回ってフルタイム勤務で夜にはまた出待ちに立ち会う日々。
大体毎日何かしらの細かすぎる指導が上級生会から入り、寝不足により回らない頭で必死の謝罪文をしたためお送りしていた。しんどい。
お茶会や新人公演出待ち後のミニお礼グリーティング、季節や誕生日の入出イベントなどなどあらゆる企画・運営。
ただ企画すればいいだけでなく、上級生会に逐一お伺いを立て、実施許可を得、内容も重箱の隅を最早ぶっ壊れるまでつつかれまくる。
あらゆる方面の顔色を窺い、企画や台本が出来上がるまで気が遠くなるほどの時間と神経を要する。
それでようやく実施まで漕ぎつけたと思ったらジェンヌ本人の機嫌ひとつで全部イチからやり直しになる。
三徹で必死に準備を間に合わせたお茶会を、本人会場到着までのタクシー内で「やっぱ嫌」の一言でひっくり返されたときは殺意が芽生えた。しんどい。
・チケット取次・配席
ファンクラブ会員はジェンヌ個人の販売成績に結び付くよう、会からチケットを取り次ぐ。
が、限られた座席数、入団年数が長い上級生に多くのチケットが劇団より宛がわれる、入団から5年くらいは1公演で2席しかチケットがないこともザラ。
それでも会員はもちろん贔屓の舞台姿をたくさん見たい、当たり前だ、たくさん申し込んでくださる、だがしかし席がご用意できない。
そんな限られたチケットと大量の申込データ(自会は全部エクセルに手打ち管理)を照らし合わせ、ファンクラブへの貢献度諸々を加味し、どのお席にどなたへお座りいただくか決める。
こちらも最大限のチケット確保に奔走するものの、ご用意できなければ面と向かっての罵倒はまだ良し、掲示板に名指しで役立たずと晒される始末。
データ捌いて配席悩んで胃を痛めているところにジェンヌ本人や関係者からも配席や取次内容に文句を言われ身内用にチケットを攫われていく。しんどい。
・グッズ作成
お茶会のお土産、総見のおまけ、お茶会で販売する小物や舞台写真、お礼状、グリーティングカード、挙げればキリがないほど準備物が多い。
ジェンヌ本人にイラストや手書き文字の提供協力を頼みこむも多忙の一言で切り捨てられ、こちらでロゴなど用意すれば会員やジェンヌ本人からすらもダサいと文句を言われる。
しかも当たり前だがこれらすべて事前の商品発注で毎度結構な金額が必要とされる、が、ジェンヌの家族が会運営の経費用口座を管理していて前借も楽ではない。
結局毎回数万~場合によっては数十万円(お茶会会場費用など)も立て替える。そうじゃないと間に合わないほどすべてのスケジュールがカツカツなため。
しかも公演終わりの経費精算まで数か月待ったりする、携わっていた最後の公演では大卒初任給くらいの経費が返ってこなかった。
グッズの売り上げは全て会運営費としてジェンヌ家族が持っていくため、スタッフに一切の還元や儲けはない。公演期間中は飯が食えなかった。しんどい。
ファンクラブ会員、つまりジェンヌを愛し会活動に貢献してくださっている方々は熱量も並のものではない。そこは覚悟してスタッフ就任を引き受けた。
そのため会員から妬まれたり文句を言われたり、会の中での派閥争いや揉め事などは(楽ではなかったものの)捌くのもまあ堪えられた。
しかし何故か同じ運営という立場で苦楽を共にしている他会運営陣やジェンヌ家族・関係者対応など、これが本当に一番きつかった。
ジェンヌたちが厳しい上下級生文化に生きているというのは既報の通りだが、ほぼその文化がそのまま会運営にも持ち込まれる。
朝は上級生会スタッフより早く出動・席および場所取り・雑用使いっ走り・全ての解散前には「ご指導」というクソ細かい姑のような小言...
大劇場のチケット出し前には劇場内レストラン施設の一部(クリスタルルームでわかる人は仲間)を陣取り、謎の待機時間が発生する、もうこれが本当に耐えられなかった。
上級生会代表の飲み物をお持ちし、その時通るルートや差し出し方全てに厳格なルールがあり、数時間も使いっ走りに待機するのに作業および会話禁止という苦行。
2回公演の日ほど朝も早く夜が遅い、業務も溜まっていて限界なところにこの謎待機と小言で5-6時間は奪われる。
それもこれもすべて「上級生会の様子を見て学び、自分たちが将来は組の会全体を取り仕切れるように指導する」という、どこかで聞いたことのある理論。
劇団への、ジェンヌへの、下級生会への愛があれば全ては指導という建前のもと許される。代表は毎日きついいびりに泣いていた。本当に、本当に、しんどい。
ジェンヌでもなく、会運営の委託契約を結んだわけでもない、ただの一般人がこのザマである。
会に所属したことがある人は、多少なりこの空気感をわかっていただけると思う。あの、「私たちも御贔屓の一部」と見做されるような感じが。
全ての言動の根底には愛があり、清く正しく美しいジェンヌ像やファンダムイメージを求められていた、それにそぐわないものはすべて闇に葬られていたあの感じが。
無給でいつ何時でも労力を捧げてくれる。常に最善最良の案を考え前向きに運用してくれる。寝る暇がなくてもそれだけ携われることが幸せ。
妬み僻みも有難いご意見として真正面から受け止める。上級生会からの理不尽な指導も意味あるものとして理解・昇華する。
仕事よりも私生活よりも会運営を何よりも最優先してくれる。どんな無茶ぶりや激務も手を取り乗り越え逞しくなってくれる。
そんなことがあるわけないだろ。
平日フルタイムで8時間の仕事に会運営10時間以上を兼業し、公演期間中は1日1時間眠れたら御の字。仕事のパフォーマンスはそれはそれは最悪だった。
盆や正月の連休はもちろん全て会運営に求められ、ロクに身体を休めることも実家に帰省することも友人と会うこともかなわなかった。
急いで来いと急な呼び出しがかかり、内容も知らされないが仕事を無理言って早退し駆けつけると「明日からの公演で必要なものを近所のドラッグストアで買ってきて」という内容だった。
社会人数年目で貯蓄もさほどなかった頃に無給の会運営で全国を飛び回り、立て替えの嵐、慢性的な寝不足で眠気も止まらず、安価で血糖値の上がらないもやしやカット野菜しか食べられなかった。
周りのすべての人から「早く辞めろ」と言われ続けたが、もはや洗脳のように愛や貢献という言葉に縛られ何も自分で判断できなくなっていた。
死にたいという気持ちが募り、毎朝駅で線路に飛び込もうか悩み始めた頃、千秋楽の出待ち後に倒れ運ばれた。栄養失調だった、この現代社会で。
入院で強制的に劇団や会と離れられなければ、いずれ自ら命を絶っていたと思う。亡くなった彼女の生活円グラフは、まさに会運営に携わっていた時の私のようだった。
鬱も発症し精神的にも不安定になっていたことをやっと自覚し、ジェンヌ本人にスタッフを辞める旨申し出た。代表も鬱で会から去ったと聞き、LINEを送ったが既読がつくことはなかった。
もう一度繰り返す。ジェンヌじゃない一般人にすらこれほどまでに異常な文化がまかり通っている。劇団内部はいかほどばかりか、想像するだけで息苦しくなる。
携わっていたジェンヌ本人も、本当に寝る時間もないほど過酷な環境に身を置き、公演前夜の3時に稽古から帰るところも目撃したことがある。
会運営に携わるようになってからは度々言葉を失うような「指導」の様子を伺うようになり、いつの間にか自分は一切観劇する気力が湧かなくなっていた。
何が愛だ。何が清く正しく美しくだ。何も清くも正しくも美しくもない。ただのパワハラ過重労働異常上下関係いびりしごきいじめ。
社会的な常識が一切通用しない、異常な文化が形成され受け継がれ、異を唱えるものは全て排除され隠ぺいされてきた、ただそれだけである。
亡くなった彼女のおかれていた環境や報道の事実関係は知り得ないため、それに関しては軽率な発言はできないものの、でも、遂にこうなったかと思った。
その手前でぎりぎり退団していった人を、何人も知っていたから。
巨大企業やファンダムに抗う力を持ち合わせていないがため、ただ黙って去っていった人たちを見てきたから。
彼女の死は、自分も無関係じゃないと、毎日罪悪感に涙が止まらないから。
溢れ出る記憶も思いも止まらず、何が書きたいのか、どこまで書けそうか、もう分からなくなってしまった。
このあたりで切り上げることにする。いつか追記や修正をするかもしれないし、しないかもしれない。もうこの編集画面に戻ってこないことが最良と分かりつつ。
自分は今後二度と件の劇団に関わらないと決めているが、報道の行く末はしっかりと追おうと思う。
もう誰もこんな目に遭わない未来を願って。同じ罪悪感を抱えることがないように。誰かに手を延ばし声を上げられるように。
かけがえのないいのちを、薄っぺらい言葉で葬ることがないように。
助けてあげられなくて、ごめんなさい。
やりたいことも夢も何もない。四十半ばだけど昔から一切無かった。
中二病みたいで増田にしか書けないんだけど、人間はやがて死ぬんだから何をしようと無意味、って考えが十代の頃から今に至るまでずっとある。
大金を稼ごうが社会的ステイタスを得ようが優秀な子どもを育てようが、自分が死んだら全部ゼロ。無意味だ、って思ったら勉強も就活も全くやる気が出ず、かといって自死を選ぶモチベーションもないので適度にのらりくらりとこなして気づけば平均寿命の折り返し地点を過ぎていた。
生きた意味を残す系の考えは俺には受け入れられない。だってこの世界は俺の目を通してしか観測できないわけで。俺が死んで観測者がいなくなれば、それは無いのと同じじゃんか。こうなっててほしい〜って夢の世界と変わらない。無意味だ。
惰性で生きてるけど毎日死ぬほどつまらないわけじゃない。漫画読むのは楽しいし増田眺めてるのも楽しい。ただガツガツ邁進するほどのパワーがないだけで、日々の中でささやかな楽しみはある。
でももし、突然解雇されるとかでこの惰性生活が破壊されたら、生き汚く抗うモチベーションは俺には無いと思う。
増田やブコメを眺めていると皆、自分の人生に価値を見出してるようですごいなと思う。俺みたいなやつはあまりいないのだろうか。
元増田にも書いているように、剰余価値を生むのはあくまでも労働であって、機械からは生まれない。
なぜかというと、1億円の利益を生む機械は、1億円に近い価格でないと買えないが、
人間はそういうことを考えて生産(出産)量を調整されるわけではないため余っているので、1億円の利益を生む労働でももっと安く買い叩くことができる。
「1億円の価値を生める人間なら自活すれば良いのでは」なんてのは、少なくともマルクスの想定した工業化のピークの世界の話ではなく、個人が組織された企業に生産性でかなうはずもない。
そうでなくても、総体としての労働者がどいつもこいつも「替えの効かない存在になる」なんてことは、あり得ない。
もし「替えの効かない存在」ばかりを雇用して搾取できない企業は、剰余価値を生むことができずに競争で消える。
なお、「基本情報技術者」だの「ネスペ」だののラベルがついて給料が平均的な労働者よりも増えても、搾取されるということに変わりはない。
(元増田には「搾取に抗うことはできる」と書いているが、何か勘違いしていると思う。)
あと、これも誤解していそうだけど、別にマルクスは「労働者は搾取されないように/搾取されても大丈夫なようにしろ」みたいなことはまったく言っていない。
単に、搾取される、とだけ言っている。
“ジャニーズ2回目会見も性暴力二次加害だから性被害者はフラバ怖くてみれないよ。しかも質問する側も記者会見した側もどちらもセカンドレイパー。”
“眩しさという名の暴力”
“抗うことを忘れ同調圧力に屈することこそ生き残る道だとの思い違い”
“(アレがアレを)褒めなければならないほど…て、これ、絶望的にヤバイで。”
“私は、あの会見を記者会見と呼ぶことに抵抗を感じます。台本通りなので、タレントさんにはそれで済むのかも知れませんが、記者としては、それは「ヤラセ」としか言えませんので。”
基本的に社会とは辛く苦しく、常に何かしらの障害が立ち塞がる性質のものだと思っている。いわゆる富裕層から貧困層まで、種類は様々だが抱えている問題は尽きることがない。最低限の衣食住の問題、それが満たされたら、自己実現、承認欲求、世間体など。
特に私たちのいるこの日本は、この年齢になったらこうあるべき像が強過ぎて、否が応でもそれに引き寄せられる。鉄の意志を持っていてもこれに抗うことは相当難しい。
正直自分の頭で試行錯誤したり、道を見つけようとすればするほど苦しくなるので、頭を使わず流されるのが一番気楽ではないかとふと思ったりもする。
しかし、そういう縛りがまた社会的規範を構成している要素なのかと思うと、世界の中では平和でマシな国で生まれ生活出来ている恩恵とのトレードオフなのかもしれない。
粒度や違いはあれど、一人一人が何かしらと戦っていると思うと、自分だけが不幸で恵まれてないなんて思う事はネガティブ過ぎるのだろう。
なぜ、日本の小学校では卒業時に入学時の半分以下の生徒しか生き残っていないのか?
なぜ日本では最もがんになりにくい20代の2人に1人が癌になり30歳を迎える前に亡くなるのか?
予防接種世代の肝細胞に仕組まれたシステムは、骨折、怪我、感染症、動物性タンパク質の摂取などによる慢性的炎症を契機に発癌を促す。炎症部位マクロファージから放出されたサイトカインが肝細胞を刺激しCRPが上昇すると悪性新生物の増殖、造血細胞の遺伝子変異に繋がるのである。
製薬、軍事、金融のあらゆる産業を牛耳るスウェーデンの富豪貴族であるヴァレンベリ家を頂点とするストックホルム貴族達は北欧系を頂点に考える白人至上主義者で「有色人種による先進国など認めない」と考えており、日本は無論中国や韓国、東南アジア新興国も敵視。
予防接種や抗生物質に擬態した薬剤を輸出することで先進国の有色人種絶滅を狙っている。
誰でもちょっとした体調不良で気軽に病院に行ける。病院に行く。熱があれば抗生物質。
でもそれは本当に抗生物質か?
赤児に予防接種が行われる。
それは本当に予防接種か?
一方でモノカルチャー農業や出稼ぎメイドに従事する「分際を弁えた」有色人種には生存権を認めている。
そのため同じ有色人種国家でもアフリカや東南アジアの最貧困国には癌は日韓中と比べて少ない。
これが真相。
ストックホルム性発癌防ぐためには「予防接種を打たない」、「抗生物質を使わない」、「肉、卵、魚、貝類、乳製品を摂らない」を心がける必要がある。
ストックホルム貴族たちは狡猾であり、最近は虐殺システムも高度化している。若年者の間で内視鏡が普及するとそれまで定番であった大腸がんや胃がんによる殺害が困難になった。
予防接種によって仕組まれた最新の虐殺システムは東アジア人のみに反応する。炎症を契機にランゲルハンス島の活動を低下させ、血糖やアミラーゼの数値異常を起こし膵管内の悪性新生物増殖や他臓器、骨への湿潤を促すのである。ストックホルム性膵がんの殆どが膵頭に発生する。体位変換を伴う丹念な腹部エコーでしか病変を発見できない部位である。これにより、とある大規模総合病院では新たに膵臓がんと診断された患者の90%が20歳〜39歳までの若者、現役世代であり全員が間もなく死亡した。他の病院や都道府県でも同じ状況が恒常化している。若者の数が日を追うごとに驚異的なペースで減少しているのである。
千葉県酒々井町で生まれ育ち、千葉県立佐倉高等学校を卒業し代ゼミから一橋大学商学部に入るまでは安穏と過ごしていた私は、在学中にストックホルム商科大学に留学した。そこで知り合った財界子息たちから招待され参加したローベン島離宮でのパーティーでストックホルム貴族達と知り合い、彼らの魂胆を知った。一橋大学商学部卒業後に神戸大学医学部医学科と医学研究科にてストックホルム貴族達の陰謀を暴くため研究に打ち込むも彼らの不興を買うことに怯えた教授達から医局と学会を追放。サナトリウムに数ヶ月間拘束される。
この内容、すっごいわかるんだよな!!!
まず、全くどんな話かも全くわからずに、映画を見るという経験自体が、もうないだろう(特に私は)と思うので、もうそれだけですごい経験をした気がしてしまう。
そしてこんなに映画を見た多くの人々にどんなことを伝えようとしていたかを考えさせることができるジブリの、宮崎駿の、すごさ。
シン・ゴジラで石原さとみが「本当に怖いのは私たち人間ね」みたいなことを言ったことに比べたら、わかるでしょう。何も言わないという手法のすごさが。私たちを信頼していることが。全員にわからなくたっていい。
わたしはこの映画を「君たちはどう生きるか」以上でも以下でもないと思った。それは感覚的な言語表象の超越みたいなことなんだと思う。
この話は宮崎駿自身の人生でもあり、アニメーション業界の言及でもあり、そして私たちの人生でもあり、もっというと、そう、人間が抗うことのできない何か大きなもの、を感じさせるのだ。
だって細かい解釈は置いておいて、みんなの感想ってどこか本質的に似てるじゃん。何か近いじゃん。
わたしは大人になってから、魂をかけた取り組みをみるといたく感動してしまう。ピカソだって、自分の極めたひとつの表現方法を高めては壊し、高めては壊し、そのことに生涯をかけ、私たちはそれを知り、その過程を知らなくてもゲルニカに感動するわけじゃないですか。
今回の映画はそういった今までの人生の、アニメーションの、人間関係の、人間の発展の歴史の、国家の発展の、「破壊と想像」を感じるわけです。
物語には無限の可能性があるから、どう受け取ったかが違ったっていい。作品を世の中に公開した時点で、作品は作成者本人の意図を離れ、解釈される。新しい解釈が生まれ続ける。新しく生まれた解釈は、作成者本人にも届き、作成者自身がさらに新たな解釈を見出す。作成者がそれをインタビューで発信する。発信されたインタビューを見て、さらに解釈が生まれる。ずっと作品をめぐる解釈は、国を超え時代を超え個人を超えアップデートされ続ける。
まるでこの映画だね。映画の感想そのものも、映画の内容みたい。
今までの宮崎駿が作ってきた映画とかなり毛色が違う気がする。これが新たな挑戦の宣告だとすれば、わたしはもうすでに新しい挑戦の上で作成した映画をもう一本作ると思う。
いろんな人が解釈をし発信している。権威ある人の発信を見ると自分が間違ってたのかな?と思うこともあるけど,そう思わずに思ったことを書いてほしい。思うことは自由だ。わたしたちは「君たちはどう生きるか」のなかで巡り合うことができる。