はてなキーワード: 就職浪人とは
ラ・ラ・ランドは映画館で2回見た。20代から30代の時期にキャリアの上昇に賭けるか恋人との時間を選ぶかというのが映画のテーマの一つだと理解している。この映画のことを思い出すと自分の過去と重ね合わせて泣けてくる。
私は当時大学院生で、彼女は国家試験を受験する就職浪人だった。私たちには目の前の荒波を乗り越えるためには2人の時間を確保することができないことを嘆き、また仮に学位や資格を取った後でも、自身らのキャリアのためには一緒になれないだろうことを絶望していた。そして別れた。そんな自分の映画と思えるのだ。ハリウッドの映画人であっても、若い時期に同じような経験をするので、この映画がウケたのだとどこかで読んだことがある。たぶんそうなのだと思う。
映画を一度通しで観た後の二回目で、有名なオープニングシーンを見るとまた泣けてくる。高速道路の渋滞にはまってクラクションを鳴らす無数のドライバーは私たちで私はその中の1人なのだと思う。途中で、トラックの荷台が開き、中から着飾った太った女性が現れて太鼓に合わせて扇を振りながら踊るシーンになる。私にはこれが、人生の中の束の間の喜びを意味するように思われて泣けてしまうのである。
東大京大にもなると「あいつ東大(京大)卒のくせに」っていうレッテルをはられたり、
学歴コンプこじらせたやつから攻撃されたりするから大変だよな。
俺は東大京大ではない旧帝大だけど、普通に就職浪人した友人はいた。
ESで普通に落ちるし、面接に進んでも落ちると言っていたけど、
頭の回転や発言の仕方、見た目等々に問題があるとも思えず不思議だった。
東大京大っていうのは、学歴フィルター(数多いる学生から下を切り落とす)のには使われるが、
いざ採用という「フィルターで残った人からピックアップする」という作業においてはあまり有効に働かない。
(臨床やら研究やらのアカデミア界隈で生きていくなら別だけど)
あなたに足りていないのは採用担当に「この人と働きたい」と思わせることだと思うよ。
その会社じゃなければ駄目だって思いながら情報収集して面接に臨んでいる?
あなた自身「数ある就活の1社です」って思っててもそれは面接ではおくびにも出してはならない。
自分はこういう人間だと思っていて、御社は(理由付きで)こういう人材を求めていると思っていて、
自分のこんな能力や経験を活かすことができると思っている、ということをアピールしてほしい。
と言いつつも、理系だったので自分が就活したときはそんなことは全く考えておらず、
面接官になった今、学生のどこを見てる?っていう部分での話だけどね。
頭のいい大学にいる人は基本的に回転が速いから受け答えは問題ないと思うし、
あとはその辺のざっくり言う「志望度」の部分なんじゃないかな。
4月に転職をして一週間以上経過した。新しい職場はガラスの卸をやっている中小企業で、私は制服を着て、営業事務として見積書を作ったり請求書を作ったりしている。雇用形態は契約社員で、この会社の営業事務は契約社員しかいない。会社の中ではパートさんと呼ばれている。とはいえ私はフルタイムで働いているので、何でパートさんと呼ばれているかは謎である。
私は大学卒業してからこの3月まで、区役所に勤めていた。だいたい10年間働いた。その話をすると、聞いた人はみんな「どうして辞めちゃったの?公務員の方が安定していたのに」という。私もそう思っていた。ただ、私は非常勤職員、嘱託職員、最後は会計年度任用職員と呼ばれていた、つまり非正規雇用の公務員だった。
大学四年生の時に、内定がなかった。就職浪人するだけの余裕がなく、かといってフリーターになるのも嫌だった。そんな折、叔父がそこで働いていた関係で、非常勤職員の働き口を紹介してもらった。期間は一年だけど、みんな延長を繰り返していて、実質的には公務員だから、と叔父は言っていた。私は履歴書を書いて、形ばかりの面接を受けて働き始めた。
私の職種は事務補助員だったので、コピーを取ったり簡単な打ち込みをしたり、来客にお茶を出したりするような仕事だった。給料は良いとは言えなかったが、実家だったのでなんとかやりくりしていた。同じ職場で更新を二回した後、その職場が事務補助員を廃止したので、私は別の部署を紹介され、そこの嘱託職員になった。仕事はだいたい同じで、若干の接客が発生した。
令和元年度から法律が変わって、私は会計年度任用職員になった。うちの区役所では、基本的に事務補助の非常勤職員も嘱託職員も全員会計年度任用職員に移行した。筆記試験と面接を受けた。面接の時に、筆記の成績が悪いから勉強しないと来年は危ういよ、と面接官に言われた。そこで初めて会計年度任用職員は毎年試験を受ける必要があるのを知った。
会計年度任用職員になってからも、同じ部署に所属していた。課長は、「できればきちんと試験を受けて正規職員になれるよう努力して欲しい」と言っていたが、専門学校にいくだけの余裕はなかったし、独学できるほどの頭もなかった。転職も考えたが、スキルがなかった。とはいえ試験さえ受ければ会計年度任用職員でもずっと役所にいられると思っていたから、この時はそれも無視していた。
二回目の試験も普通に受かったので、令和二年度も同じ場所で働いた。去年の秋の試験では、面接官から「できれば一つの職場にとどまらず、正規職員と同じように職場をローテーションしてほしい」と言われたが、同じ職場で働いて6年も経っていたのでピンとこなかった。だから、ローテーションは絶対に嫌というわけでではないが、同じところの方がいい、というようなことを答えたた。
結果的に、私は今年は採用されなかった。コロナの影響で受験者が多かった、と言うふうに説明されたが、筆記が悪かったのか、面接が良くなかったのかは不明である。聞いた時は目の前が真っ暗になった。一応は名簿搭載されているので空きが一年以内に出ればまた採用してもらえたらしいが、私の職場にはもう別の会計年度任用職員がいるし、何をやらされるか、いつから働けるかも分からない。そう思うと転職する他なかった。
転職エージェントに登録をして、今の会社を紹介してもらった。派遣期間は2年で、給料は今までと変わらない。会計年度任用職員になってからはボーナスも出ていたのに、今の会社はボーナスが出ないのでげんなりしている。一緒に働いているパートのおばさんからは、「公務員は辞めちゃダメだって」としたり顔で言われるが、おばさんは終身雇用でない公務員がいることを知らない。
非常勤職員、嘱託職員時代はともかくとして、会計年度任用職員は制度上は公務員だった。服務の宣誓もした。官制ワーキングプアをなくすため、なんて試験の時に会計年度任用職員の成り立ちを教わったが、私は賃金もずっと低く貯金もできないワーキングプアだったし、その挙句簡単に切られてしまった。勉強をして正規の公務員にならないのが悪いと言われたらそれまでだが、そこまでの頭がなかったから仕方ない。でも、やっぱり私は区役所でまだ働いていたかった。友達も知り合いも多かったし、仕事内容も気に入っていたのに。ボーナスだってやっともらえるようになったのに。会計年度任用職員だって、きちんと公務員だったのに。
誰かに「公務員を辞めるのはもったいないよ」と言われるたびに、本当は「私だって辞めたくなかったよ!」と言い返したくてたまらない。だけど、そうすると色々説明しなければいけないことがありすぎるから、私はただ曖昧に笑うだけだ。
感情に任せて書いたくだらないクソメンヘラ女の戯言なので、地雷臭に反応してしまった人は読み飛ばして欲しい。
四月一日。新年度が始まった。TwitterのTLはエイプリルフールと新社会人という言葉で溢れていた。
就職先を教えてくれない恋人に対して、世の人はどう思うんだろう。
私の彼氏(年上)は今年度から就職だ。これはまあ順当に行っていればの話だが。細かいことを言うと身バレになるので割愛するがどうやら大学留年疑惑も出ているらしい。いやでも去年の秋口に就職先は決まってるって言ってたよね?就職?就職浪人?留年?休学?今どう言う立ち位置にいるんだろう。べつに留年だろうが休学だろうが就職浪人だろうが自分のやりたいことをやってたんだから特に悪いとも思わないし、どちらかというと将来に対するこれからの努力とかそっちの方に目を向けたい。ただ、もし嘘をついていて働く気のないニートなら別れます。将来のことについて嘘をつく人は信用できません。
聞かなかったの?って思う人もいるだろうし相談した人たちにめちゃくちゃ「聞かなかったの?」って言われた。そりゃそう。これに関しては自分でもものすごく反省している。去年の秋口に「言いたくなったら言って」と溢してしまって以来、聞くのは憚られた。余計なことを言わなきゃよかった。
さらにこの間のデートでは「おいおい言うね」と追い討ちをかけられた。えっと、おいおい話せる仕事って一体何?てかこんだけ引っ張ってて打ち明けられた時の反応どうすりゃええねん。
その日のデートは最寄りの改札から家まで号泣して、そのあとも大泣きして日本酒を飲んだ。
そこからは電話タイムだった。深夜までLINE電話が繋がっていた。人間ってこんなに人と喋れるんだと驚いたくらいだった。
親に相談したら「別れれば?普通に信用できないじゃん。次の人さっさと見つけた方がいいよ。」
兄弟に相談したら「あんたは彼氏のこと信頼できてないじゃん、信じてあげなよ」
友達①に相談したら「とりあえず次会った時に留年した?ほんとに就職した?って開口一番聞いてみなよ。あと◯◯大学(彼氏の大学)レベルで留年するのは大体ヤバいからマジで。やめときな。」
友達②「まあ言いづらいんじゃない?あんた公務員志望だしなんなら院進かもしんないんでしょ?付き合ってそんな経ってないんだから待ってあげれば」
多種多様な答えが返ってきたけど、全部ド正論に聞こえた。次にこれは「彼氏から就職先を教えてもらっていない女がどうすればいいか」っていうことに対するアドバイスだったと思った。それはそう。冷静になりすぎ。
しばらく考えて、「世の中の人間は恋人から就職先を教えてもらえなかったらどう思うんだろう。」っていうのが知りたくなった。朝七時だった。そのあと一眠りして起きたら信じられないくらい浮腫んでいて千と千尋に出てくる坊みたいな顔をしてて自分でも引いた。洗面台のところで見たパンパンの自分の顔にびっくりして声が出るなんて、二度と忘れない瞬間だと思う。あーあ中身が神木くんだったらなあ。
ここで冒頭で書いた質問に戻る。
「就職先を教えてくれない恋人に対して、世の人はどう思うんだろう。」
あの時、彼に対して、自分でもどういう感情だったのかわからないけど、一番は寂しいな 、だった。そして、彼氏に秘密があるという事実が何故か嫌だった。人間誰しも秘密の一つ二つはあるだろうしもちろん私にも彼氏には絶対に言えない秘密はある。だけど秘密っていうのはその秘密の存在すら隠してないかのように振る舞うものだと思っていたから、見せないように見ないようにするものだと思っていたから、こうして改めて秘密があるっていう現実を突きつけられると虚しかった。
世の中にはいろんな人がいるから、少しでも彼氏のことを受け止められるようにいろんな意見を聞いて、どんなふうに考えればこの問題に関して着地点が見えるのかを探りたかった。こんなことをして解決できる問題ではないのだけど。それでも縋り付かせてください。もう限界です。
頑張るのでどうにかうまくいきますように。
<追記>
もう中学生とか高校生じゃないから本気で結婚とかも考えてるから将来のことも知りたいなって思ったんだけど、もしかしてそもそも恋人の就職先って知らなくてもいいものなんですか?
2017年4月。新卒で入社した会社の内定式。就職活動に失敗した私はこんな会社はなんとして辞めなくてはいけないと入社前から決意していた。
なにせその会社は世間から聞こえはいい会社なものの実態は年間休日104日、残業月70時間以上(残業代が全部つくとは言ってない)で車を一年に一台買わされる(補助はあるが)という私の旅行・車という生きる楽しみを潰しにかかる地獄のような会社だった。
2016年8月に某一般社団法人の最終面接でやらかした自分が恨めしかった。私の就職活動は11月近くまで続き、とうとう内定を得た行きたくない前職に就くしかないと諦めたのは内定者懇談会の後だった。
他にも某黒い猫の会社の子会社にも内定していたが、親の強い勧めに負けるところがあり前職に就いた。ネームバリュー、東証一部上場とかそんなことはどうでも良いと気付くのは就職してからしばらくしてからだった。ネームバリューも東証一部上場も人を幸せにはしてくれない。現時点で私を幸せにするのは休みと旅行と乗り物だった。
誰かがアドバイスをくれても最終的に判断するのは自分で自分の判断を誰かを忖度して曲げてはいけない。自分の人生だ。
前職には本当に就きたくなくて4月に入社式を控えた1月末の午前4時に泣いたのをよく覚えている。
レールから外れることが怖かった私は結局卒論を出して卒業の日を迎えたが、嬉しいものではなかった。
嫌いな仕事だったが社会が転職を許容してくれる年次まではやむを得ず勤めようと丸2年勤めて3年目の冬に転機は訪れた。
転職活動を始めたキッカケはとある写真展だった。MPG写真展という名前のそれは2019年の1月末にあった。半ば強引に連れてきた同僚を乗せて会場の京都へと車を走らせ八坂神社近くのコインパーキングに車を停めた。
会場にはバイクと風景の素晴らしい写真が多数展示されていてこんな写真を撮れるように腕を磨かないと…!と思えてきた。(今年もやるそうです)
出展者の皆さんは所謂ホワイト企業に勤める方が多く、休暇をフル活用して各地に出かける「週末エクストリーマー」の異名を持つ方も居た。世の中にはそんな会社もあるのか…!と希望が湧いてきた。
自分も旅行が大好きな人間だったが、就職してからはどうだろうか?と振り返ってみた。
海外には全く行ってないし国内にも数回しか行ってなかった。余裕がなかった。休日は身体を休めることと家事に追われていた。
そんな「お休み過激派」の私はどんなに仕事をして成果を出しても「お休み」には繋がらないと分かると全く仕事にやる気が出ず、仕事が徐々にテキトーになってきた。
これではマズイと思うこともあったが、「お休み過激派」は止められない。
年間休日104日という少ない「お休み」を改善するには転職しかない。MPG写真展に行った翌日の昼休みには営業車の中から転職エージェントに連絡をしていた。
いざ転職活動を始めるとなかなか忙しいものだった。「お休み」が取れない中で転職活動をしなくてはならない。あらゆる嘘をつき「お休み」を作り出しなんとか面接に臨んだ。いくつかの取引先にもお願いをして「お休み」を無理やり作ったりもした。
転職エージェントとの面談を優先して面談中は絶対に職場、取引先からの連絡には応答しなかった。自分の最優先はこの職場をなんとしても抜け出すことでそれ以外は最早どうでも良いことだった。
仕事に粗が出てきたのか「君がわからない」と上司に言われたことがあった。分かってもらったら非常に困る。
30社以上に書類を出して面接にこぎ着けたのは7社程度だった。
一次面接も5社連続で落ちてかなり落ち込むと同時に受からなければこの会社で働き続けなくてはならないという絶望で頭がおかしくなりそうだった。
そんな中転職活動を始めてから3ヶ月後になんとか内定を貰った。最終面接を受けてから18日後のことだった。
自分の就職活動での失敗を自分で取り返した自分を誇らしく思う。よくやった。ありがとう。
内定を獲得してから30分も経たずにシベリア鉄道旅行の見積もりを取り旅行社に電話をかけていた。絶対行きますなんとかチケットを取ってほしいと電話口で担当の人に言っていた。
新卒入社してから数ヶ月後には転職に伴う旅行計画を策定しおおまかな計画は立てていた。ようやくソレが日の目を見るときが来た。
西野オンラインサロンの件で思い出したんだがいわた君、ちゃんとめげずにファッションブログ続けてるしブログだけでは食っていけないみたいだけど、ちゃんとファッションブロガーの経験生かして店員として頑張ってる。
https://twitter.com/iwata09_com
就職浪人からファッションブロガーに華麗なる転身を果たすも、Youtube、instagram等の新しいSNSの流れに乗り切れずジリ貧に。2020年再起をかけて、代官山のセレクトショップ SAMVAスタッフ、ファッションブランド STOF営業見習い、ファッションブロガーの三足のわらじを履き直した25才。よろしくどうぞ。
はてなでこの人を馬鹿にしてた連中よりずっと立派だ。えらい。がんばれ。
一方、このいわタワーをバカにしてたこの人たちはというと・・・
https://favofull.jp/iwatower-shukatu-2
https://keisuke-yamada.yokohama/2016/10/15/do-not-follow-top-blogger-if-you-want-money/
「逃げ恥」心理学を学んだことがある人たちは内容がリアルでいかにも…と思っているという話(togetterより)
「心理の院生がやりそうなダメっぽい研究」という指摘があったので、少し情報を整理して感想を述べる
原作冒頭において、こんなやりとりがある
黒●徹子(妄想)「あなた 大学では心理学をお勉強なさってたんですって?」
みくり「はい それで」
徹子「それで就職は人事部や企画 商品開発なんかを志望していたと」
徹子「だけどあなた ウフ ごめんなさい 全滅だったんですって?」
みくり「そうなんです 今思えば もっと業種を広く」
徹子「それで就職職浪人するよりも と大学院進学をしたけど 文系大学院は就職がさらに大変だったらしいじゃない」
みくり「文系の院全てがそうとは言い切れないとは思いますが 院で臨床心理士の資格を取ったのでそれを生かせる仕事ができればと」
徹子「でも 心理カウンセラーとかスクールカウンセラーは中々就職がなかったと」
――海野つなみ「逃げるは恥だが役に立つ 第1巻」より
臨床心理士は指定された大学院修士課程を修了後に「受験資格」が得られる
そして、臨床心理士資格認定試験は毎年10月に開催され合格発表は12月となる
修了後の4月は無資格なので、資格取得見込みでも受け入れてくれる仕事を探さないとならない
同じ大学院・研究室の先輩や指導教官に紹介して貰ったり、非常勤で週2~3日の仕事を自力で見つけて応募することが多い
作者である海野つなみがどこまで知っているかは不明だが、みくりは大学院修了後にそうした仕事にもつけず、資格取得後も就職先が見つからなかったことになる
ストレートで卒業・修了・資格取得をしたとすると、この時点で24歳である
心理学部・学科卒業で人事部や企画・商品開発を志望すること自体には問題がないが
「仕事がない」という理由だけで、より狭き門であるはずの心理職に進む所に見通しの甘さが感じられる
専門職である心理職は、何かの代わりに選んで成れるような進路ではない
(正直、指導教官や周りは大学院進学を止めなかったのか。それと、こんなにふわっとした見通しの甘い人間に、臨床心理士試験の面接官はよく合格を出したな)
「甘く見てましたね。まさか文系の大学院卒がこんなに就職できないとは」
「大学院では心理臨床コースを選択、卒業後に臨床心理士の資格を取得した上で再び就職活動に臨んだ(ナレーター)」
「2013年度 青明大学大学院入学式(大学院時代の写真より)」
2.2履歴書(一部抜粋および組換え)(出典はhttps://twitter.com/i/events/868751617960443908:title=こちらから)
【提出先(※推測)】
【提出日】
2014年12月15日(※大学院2年(最終学年)の12月に提出したものであると思われる。つまり、物語開始より1年前ほどのものになるか)
【生年月日】
【住所】
神奈川県横浜市都筑区黒沢5-5-6(※黒沢は架空の地名とのこと)
【学歴】
【資格】
2012年6月 実力英語検定2級(※いわゆる英検は、正式名称が「実用英語技能検定」であるので誤記の可能性がある)
2014年12月 臨床心理資格(取得予定)(※ナレーションでは「臨床心理士」と言っているため、誤記の可能性がある)
趣味はカフェ巡りです。特技は整理整頓です。サークルはお散歩サークルに入っていました。
具体的な内容:上記のテーマを「幼少期の両親の養育態度」と「甘え」の観点から分析しています。この研究で青年期になっても対人関係にコンプレックスを強く持つ者は、幼少期に両親から否定的なイメージを受けており、「甘え」という行為が成立していなかった場合に多く見られた。これによって「甘え」の形成は対人関係を育てることが分かったが「甘え」の感覚を得るには両親との幼い時の関係性が重要であることが学びとれた。
真面目なところと思いたったらすぐに行動するところです。
私の長所は真面目な所です。頼まれた仕事はきっちりこなす性格です。短所でもありますが、突拍子もないことを考え、思い切り突っ走ってしまい、びっくりされてしまうことも多いですが、その新しい発想のおかげで上手く運んだこともあったので、長所としてとらえています。
【学生時代に打ち込んだこと】
心理学の研究です。私は人の役に立つことが好きで、人が何を求めているか察知できる人間になりたいと思い、心理学を専攻しました。心理学で学んだことをアルバイトでの接客でも発揮され、お客様が求めていることを先回りして提供することができるようになりました。今後も、会社というチームの一員として自分に何ができるのか、お客様には何を提供できるのか、心理学を生かして察知していきたいです。
【志望理由】
私は貴社で、新商品の開発や企画に携わりたいです。貴社はもぐもぐ蕎麦という今までこの世になかった新しい商品で、世界の食文化を変えた会社であり、私ももぐもぐ蕎麦のように世界の文化にインパクトを与えるような商品を開発したいと思っています。大学では色彩心理学や希少性の原理などを学び、消費者心理についても研究してきました。大学院まで心理学を勉強してきたことを生かして、消費者がついつい買ってしまいたくなるようなアイデアを提案したいです。
世界中の、とくに栄養の不足に悩まされている地域の人々に、自分の開発した商品を伝え、健康を改善してくことが夢です。栄養不良に悩まされている人は8億人以上いるといわれていて、普及するには手軽さ・価格の安さ・おいしさの3つが必要だと私は考えます。そのまま食べられる、あるいは水やお湯などをかけるだけで簡単に作ることができ、安価ながらもおいしい食材で作られた商品を開発し、世界に広めたいです。
「青明大学 舞台」で調べた所によると、ロケ地自体は「日本大学経済学部7号館の前」との情報がみつかった
「青明大学」と同名の大学は勿論ないが、名前の響きからして「青山学院大学」や「明治大学」「明治学院大学」が近いと思われる
何となくこういうリア充的な雰囲気の学生は青学じゃねえのかという偏見がある。というか、青学は児童系の心理に強いイメージがある。なんでそんな大学院を選んだんだこいつ。何も考えないで生きてんのか
この場合、大学院修了後の2015年12月に臨床心理士資格は取得見込みとなる筈である
履歴書には「2014年12月 臨床心理資格(取得予定)」となっているので、資格名もしくは取得時期については現実の制度とは違いがある
ナレーションの説明とも乖離が起きているので、作成したスタッフの誤記や勘違いの可能性がある
他の資格について、大学1年生の11月に漢検2級を、大学4年の6月に英検2級を取得している
全体的に、こんな薄っぺらいやつ採用試験で落ちて然るべし。もっとちゃんと考えて進路決めなさい
漢検や英検くらい高校で取っておけよ。というか、色彩心理を研究したというなら、「色彩検定」とか「カラーコーディネーター検定」とか、色彩計の資格を取っておきなさいよ。
商品開発したいなら、日本商品開発士会の資格でも取りなさい。合格率も低くないみたいですよ
他国に自社の商品を売り出したいと思うなら、TOEICとTOEFLくらい受けておく発想には至らなかったんでしょうかねえ……
履歴書とは関係ないが、人事に行きたいなら産業カウンセラーを取りながら就職活動をしても良かったのでは……
臨床心理コースなので仕方がないが、「青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」と志望部署の関連が薄い。本気で商品企画・開発したい人の選ぶ心理ではないよねえ
「青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」は手垢が付いたような薄い研究なんよ。青年期を対象にした研究室でよくある、質問紙を都内大学生に沢山配ってやるような量産型研究なんですよ。土居健郎の「甘えの構造」とかを理論的支柱にして、適当な尺度を組み合わせて因子分析とか重回帰分析掛けるとそれっぽいデータが出るんですよ。そこらの大学の卒論発表会レベルのものを、大学院でやってはいかんのですよ。指導教官何やってんの。きっとこれじゃ、修論審査会でボコボコにされますよ、本当に(ry)
「就活めんどくさい。勉強は嫌いじゃないし公務員試験受ける」と言った時も私も信じて予備校に通わせてくれた。完全に舐めてかかった私は面接で全落ちした。
↑ここまで全く一緒。自分も親にはちゃめちゃに愛されてた。経済的に自立してくれればなんでもよいってところも。
自分も就活が決まらなくて、親がかなり心配してるのが伝わってきてすごく苦しかった覚えがある。表立っては責めてこないから余計に。
で、背水の陣の覚悟で就職浪人して、翌年恥もプライドも捨てて本気で民間就活頑張って、無事に就職できた。もう8年も前のこと。今も同じ会社で楽しく働き続けてる。
あの時本気で頑張ってよかった。その代償として免疫系の病気を発症してしまったけど。
今の状況が辛くて苦しいなら、腹を括って本気になるしかない。向き合わない限りいつまでも苦しい。頑張れ!大丈夫!応援してます。
まず元増田の親御さんにありがとうと言いたい。つぎに元増田に。
エリート家庭で育った子は恵まれた環境で「私はめちゃくちゃ努力をした」といって東大に入り、一流企業に就職していく。エリートの再生産だ。
元増田は親御さんによって整えられた温かい環境で適当な大学に入り、適当な大学生活をして、内定もないまま卒業していく。
順当に「めちゃくちゃ努力をした」なら入っていただろう大学、就職先を別の人のために空けてくれてありがとう。
元増田の代わりにその枠に入った人にはめちゃくちゃ死活問題だったかもしれない。
「私はめちゃくちゃ努力をした」と言わないでくれてありがとう。
まだ、大丈夫だ。
小中高で勉強もしないで絵しか描いてなかったし、周りの子と比べて自分が一番絵が上手いと思ってた。
絵を描くのが好きだった。自分が頭でつくった世界を自分の手でつくれるってすごいと思ってた。
みんなに感想とかを貰うのも好きだった。
親に頼み込んで入った専門学校でも一番上手いのは自分だと思ってた。
わかってる。
人に好かれるだろうな、っていう絵柄と構図と塗りで、
この人、ここ描くの好きなんだろうな、ってわかる絵。
魅力的な絵。
その人たちの絵を見て、次に自分の絵を見た。
なんだろうこれ。ちっとも魅力的に見えない。
私なんのために絵描いてたんだろって、その時初めて本気で思った。
入って何ヶ月とかして、私の絵も入る前よりかは上手くなってきたし、先生に褒められることもあったけど、就活を初めてまたしんどくなった。
自分には絵しかないと思ってたから、絵の仕事以外考えられなくて、(まあそういう学校に入ったし)作ったポートフォリオを送りまくったんだけど、10月入ってからも書類選考で落ち続けてる。受かった人のポートフォリオ見たりとか、編集し直したりとか、やったんだけど、全部落ちてる。
こんなん他の人に言ったらまだまだ送り足りないとか、努力が足りないとか、本当に受かりたかったら云々とか、絶対言われるし私も本当にその通りだと思うんだけど、
それしか能がないと思ってた自分の絵は、送った人たちにとっては本当にいらない絵だったんだなって、だれもお前の絵なんか好きじゃないよって言われてる気がして、
いやもう本当にその企業さんたちに悪口とかを言いたいわけじゃなくて、本当にそうなんだろうなって思って、すごく辛い。
絵の仕事に就きたいからって学校入れてもらったのに、それができないってなったら親にもなんて謝ればいいのかわからないし、小中高のクラスメイトとかにも、あんなに言ってたのに結局違う仕事に就いてるんだとか言われてしまうし、仲良くしてくれてる友達にも気を遣わせたくないし、
何より私が、私自身がもう、絵の仕事に就きたいって思ってるのにそれが叶わないかもしれないこととか、自分の絵はいらないものだったのかもしれないとか、もっと他のことも勉強しとけば良かったとか、大学に入っておくべきだったかなとか、頼み込んで専門学校に入れてもらったのにそんなことを考えてる自分が嫌だとか、ごちゃごちゃになって、しんどい
絵を描かなきゃ、と思ったけど、なんのために?とも思った。
どうせ見てもらないよ、いらない絵だって言われてしまうよって考えてしまう。
え、私って描くのが好きだったんじゃないの?見てもらうために描いてたの?
自分、絵を描くのが楽しいから描いてたんだと思ってた、でも違うのかも知れないっていうのが、本当に怖くて、泣いた。液タブを前にしてめちゃくちゃ泣いた。
でも、絵を描きたい。
なにかしら描きたい。
絵を描きたい。楽しんで描きたい。絵を描くのが、好きなの。
自分のこと、本当に嫌い。
自分に甘いなって思うし、先延ばしにするし、好きじゃないことしたくないし、優しくないし、無知だし、こんな私の絵が魅力的でないなんて当たり前だよね。
明日、親にめちゃくちゃ謝って、就職浪人させてくださいって言う。
これからいっぱいがんばるから、吐き出すのだけ許してください。こんな支離滅裂な文章読む人いないと思うけど。
自分が悪いってわかってるから、他の人に言ったら正論が返ってくるなと思って誰にも言わなかったんだけど、でももう、一回正論言われた方がいいのかなとおもって、顔見知りに言われたらショックで立ち直れないかも知れないから、匿名で書けるここを使って吐き出しました。こういうとこも嫌いなんだよ。
寝れなくてこんな時間に突発的に書いたからすごく読み辛い。お目汚し本当にごめんなさい。
就きたい仕事に就けるように。
絵を描けるように、頑張ります。
この就活が終わったら死のうと思う。
私は一地方都市のしがない大学生である。私立四年生大学の最高学年であり、連日就職活動に振り回されている。それでもって例の如く就活で病み、精神的に追い詰められている。これから書くのは端的に言えば弱音であり、備忘録である。たぶん。
私が死を意識しはじめた時期は小学生くらいだった。きっかけは保育園からの友人と疎遠になったことのように思う。その子と私はもともとタイプが違っていて、成長するにつれてお互い世界が広がって話さなくなる、というある意味典型的なパターンだった。
ただ、問題だったのは当時の私にはその子達以外に友人がいなかったことだった。その子達は新しい友人を作っていたが、私は新しい友人を作ることが出来なかった。一度でも学生生活を経験した人ならわかると思うが、学校という閉鎖社会で生活するにはどこかのグループに所属する必要がある。私は友人を失ったことで学校での居場所も失ったのだ。それに加えて元友人は私にとって憧れの存在だった。私はその子のことがまだ好きだったのだ。今なら離れた理由もわかるが、当時はどうして元の友人と疎遠になったのかもわからず、何が悪かったのか折に触れては考えていた。
なんとなく暗い気持ちで日々を過ごしていたときにTVでバンジージャンプの映像を見た。芸人かタレントか覚えていないが、紐をつけて飛び降りる映像を見て「あ、いいな」と思ったのだ。空の中に落ちていくのは、最後に晴れ渡るような青空を視界に焼き付けるのは気持ちがいいだろうな、と。
恐らく当時の私は友人と疎遠なったことで学校生活に不安を持っていた。そこで至った結論が、生きることをやめること、だったのだと思う。だから、バンジージャンプをいいなと思ったのだ。もう学校に行かなくて済むから。
これがとんでもない勘違いであることは充分理解している。死ぬことはそんなにいいものじゃない。落ちてる瞬間はきっと凄く怖いし、空なんか見てる余裕もないし、落ちたときなんか死ぬほど痛い。死ぬんだから当然だ。それにそこで死ねればいいが、うっかり生還なんてしたらたまらない。障害を抱えて生きるか、自殺を失敗した人間というレッテルを掲げて生きるか、どっちにしても地獄である。
でも、当時の私には酷く魅力的だった。ここで死ねば明日は学校に行かなくていい、嫌な発表もしなくていい、最後に綺麗なモノを見て終われる。正直、疎遠になった友人への腹いせのような気持ちもあった。自殺すれば、友人も少しくらい私のことを気にかけてくれるかもしれないという思いもあった。
小学校に通っている間、何度か四階の音楽室の窓から身を乗り出して晴れ渡る青空とコンクリートで舗装された地面を見つめた。あんなに熱心に見つめていたのに私は実行には至らなかった。単純に勇気がないから。私には死ぬ勇気がないから。結局私は「死に憧れる自分」に酔っているだけで死ぬ覚悟もなかったのである。そういうところが本当に情けなくて中途半端な人間だなと思う。
だらだらの長く書いたがここまでは前置きである。あくまでここからが本題。だと思う。
なんとか小中高を抜け、大学にも進学できた。特に留年することもなくなんとか四年生になったが、そこで私は就活という大きな壁にぶち当たっている。
就活で何が死にたいっておおよそ内定が貰えそうにないことである。今現在、エントリーシートを提出した企業が5社でそのうち面接まで行ったのが2社、うち一つは面接を遅刻した。まじで馬鹿だと思う。当然、不採用の通知が来た。あと残り5社ほどエントリーシートを提出するつもりだが正直内定が出るとは思えない。となると来年は就職浪人か非正規雇用の道しかない。
私は今まで「普通」の人生を目指してきた。高校に行って、大学に行って、正社員になる。ごく一般的な「普通」を目指して懸命に生きてきた。なぜ普通を目指すかというと楽だからだ。これも部活動に所属していた理論と近い。「普通」に生きるれば他者に埋没することができる。無駄な注目を浴びなくて済むし、他の人がしないことに労力を割かなくて済む。「普通」というより私は「マジョリティ」に所属したいのだ。常に多数派でありたい。多数派であることはいいことだと私は思う。例えば、何か不幸なことがあっても他の人も体験していれば、よくあることだと納得することができる。困ったことがあっても先人の意見を参考にすることができる。なにより多数決で勝てる。特に多数派であるという安心感は何者にも変えがたい。
内定が貰えなかったら、新卒で就職できなかったら、私の思い描いている「普通」とはいえない。普通でないなら死ぬしかない。
突き詰めれば私は明日の不幸が怖いのだ。小学校のときに明日学校に行きたくないと思ったのと同じように、明日も明後日も自分の生活が続くことが怖い。
これを言うと多くの人が人生は年々楽しくなるとか、いいことも沢山あるんだよとか言うのだが、そう言うことではない。楽しいことがあっても悲しい事は帳消しにならない。別々に積もっていくだけ。それに本当に悲しいことや辛いことがあったときに私を生かした人は責任とってくれない。自分の生に責任を取れるのは自分だけである。
本当は漫然と生きることが不安で、その不安が今回の就職活動をきっかけに大きく燃え上がっている。だから私にとって自殺とはこの不安を解消するための手段なんだと思う。
ネットの海を眺めていると私だけではなく、みんな本当は漫然と生きることに対する不安を抱えているような気がする。本当はみんな理想の自殺の種類があるんじゃないのか。みんなそうだって言って欲しい。私は「普通」だって言って欲しい。
一方で安易な理解は欲しくない、こんなに苦しいのに誰かに判られてたまるかって気持ちもある。みんなが打ち勝っている不安に私だけ負けている事実が怖くもある。
私のこの漫然とした不安は鬱病とかなにか名前の付くものでは恐らくない。だから病院に行って薬を貰うことは出来ないし、病院の先生に話を聞いてもらったところで将来なんてみんな不安なものですよ、とかなんとか宥められて帰されるだけだろう。
私は卒業後は就職するつもりだった。それ以外の選択肢は何も考えていない。就職出来なかった場合については何も考えたくない。
小学生の自分は死ぬことに憧れているだけだったが、今の私はきちんと実行できるだろうか。死ぬことを考えるのは正直に言えば怖い。もしかしたら、まだ私は死にたくないのかもしれない。でも死ぬしかない。明日の私を苦しませないために今死ぬしかないんだ。あそこで死んでおけば、と後悔するのだけは絶対に嫌だ。それなら今きっぱり死なないといけない。もうこれ以上苦しまなくていいように、つらい思いをしないように。
私立大学文学部スペで、百社近く応募して二社しか内定取れなかったよ。本当に悔しかった。そして転職して、今はそこそこ気楽な32歳だ。
応募以前に資料請求の返事も来なかった御社もあるなぁ。元気ですか?
自分の時も10社出せば内定取れると言われた情勢から一変。特に自分のような人文系学生は死んだ。
コロナで内定取り消しとか、そもそも新卒採用を受け付けなくなったとか、胸糞悪い事態が待ち構えているだろう。
本当に、ほんとうに、まだ社会に出る前の学生さんに世の中はなんという残酷な仕打ちを与えるんだと、哀しくなる。
駅のホームやトイレで10秒チャージ飯を食い、朝昼晩と説明会、エントリー会を梯子した。
それでも就活は続いた。
朝までSE書いて落ちて
朝までSE書いて落ちて
落ちて
通って
SE書いて落ちて通って。
あまりに落ち続け、親が「院に行ってもいいよ」と言ってくれた。
嬉しかったが、研究目的ではなく新卒ブランドキープの院進学は望んでいなかったので、気持ちだけ受け取った。
もう就活辞めたくて行くことにした。
全く興味がない業界だった。
そこは間違い無いし、あの時の気持ちは本物だと信じている。
(しかし配属二日目に辞めようと思い、7年後に辞める笑)
言いたいことがとっ散らかってきたな。
ごめん。
人ごとには思えないけど、自分は人事部ではないし、なにか画期的な採用案で打開することができず、もどかしい。
ごめん。
足掛けのつもりでもいい。
めちゃくちゃこだわり抜いてもいい。
自分の兄弟はリーマンショックの数年後の就活生だが、単純に中途半端な公務員試験対策に失敗して就職浪人した。
また親は泣いた。兄弟揃ってすまん。
大学のサークル同期7人いたが、正社員になれたのは3人だった。
人文系の学生を怖がらせたいわけではないんだ。ただ、事実こうだったんだ。
時には人文系であることを憎んだけど、人文を愛して人文学を学んできたから、憎みきれなかった。
むしろ今、役に立っていると痛感している。
頑張ってるみんなに、これ以上頑張れなんて言えない。
たまには遊んでゲームをして。たくさん寝てくれ。
もし弊社で一緒に仕事をすることになったら、是非気軽に相談して欲しい。
取り留めのないことばっかりになってごめんね。
でも、君たちのことが気になって仕方ないリーマンショック世代が1人いることは、頭の片隅にそっとしまってもらえるといいな。
大丈夫。
ここまで読んでくれてありがとう。
あったかくして寝ろよ!!
もう10年ぐらい会っていない友達を思い出した。
ちなみにお互い男、ちなみにお互いホモではない。
相手は自分をどう思っていたのか分からないけど、自分は彼が人間的にとても好きだった。
その友人とはもうずっと連絡を取っていない。
あんなに好きだったはずなのにいつの間にか疎遠になってしまった。
その頃仲の良かったグループは、最終的にはニートや就職浪人だらけになる本当にどうしようもない奴らの集合体だった。
ふと学校に来なくなり、溜まり場のゲーセンにも部室にも来なくなり、飲み会に呼んでも来なくなった。
2年ほどしてふと憑き物が落ちたように社会に戻り、それから5年ほどしてその頃の友人の1人にたまたま街で会った。
その際、あの頃のグループは半分ほどが連絡が取れなくなっていて、自分もその1人であり、彼もまたその連絡の取れない1人であると聞いた。
それから今日まで5年ほど、偶然合流した自分は残っていたメンバー同士の集まりに時折顔を出している。
5年経っても彼の足取りは掴めない。
年に一度ほど彼の名前でググってみるが、年齢の違う同姓同名の人物しか出てこない。
モテなくて冴えなくて何も特技もないくせに、お手軽に特別な人間であるかのように振る舞いたかった当時の自分たちにとって、エロゲはとても都合が良かった。
友情や愛や人生の素晴らしさを謳った物語を毎日読み進めておきながら、その感想と共に「リア充死ね」「現実はクソ」と語り合った。
あの頃の毎日は本当に酷かった。
だけど、自分の気持ちをわかってくれる人がいるという気持ちを人生で一番強く感じていた時間だった。
モテなくて当然のクズ人間のために作られた心も身体もオナニー出来る物語の存在は自分の心を救った。
「僕はここにいてもいいんだ」の心境である。
自分たちをターゲットにした商品の存在、それを楽しんでいる人間が日本中、ネット中にいることに救われた。
当時一緒にダベりあったくだらない仲間たちだ。
その中でも彼とは本当に馬があった。
馬があうからこそ、お互いに世の中が嫌いでひねくれていて人間嫌いを拗らせていたからこそ、お互いに相手を引き止めきることが出来ないまま離れ離れになったのかも知れない。
彼は姉が好きで、自分は妹が好きだった。
彼はスレンダー系の後輩キャラが好きで、自分はロリ教師が好きだった。
彼はダダ甘の恋愛やストレートな陵辱を好み、自分はSF要素の強い作品と最終的にラブラブになる調教を好んだ。
それでも名作と言われるような作品群に関してはお互いに高い評価を出した。
何だかんだ自分達の頭では評価なんて出来てなくて、互いがよく行く評価サイトの言葉を鵜呑みにしていただけなのかも知れない。
エロゲソングの趣味も若干噛み合わなかったが、それでもやはり名曲や神曲の類はお互いに素晴らしいと認めては口ずさんでいた。
今思うととんでもない迷惑行為だ。
その頃歌っていた曲を久しぶりに聞いた。
少しずつエロゲに興味を失いエロゲソングも聞かなくなっていた為数年ぶりにその曲を聞いた事になる。
曲の歌詞が染み込んできた。
エロゲやキモヲタの集まりの中に篭っていた頃は響かなかった歌詞までが流れ込んできた。
遠くにいる誰かを思う詞、会えなくなった人を待つ詞、あの頃より強くなれた自分での再開を信じる詞、同じ気持ちでいることを願う詞、そういった歌詞を聞きながら今までの人生で色んな人に支えられてきた事が蘇っていった。
その思い出の中に彼はいた。
彼は今どこで何をしているのだろうか。
未だにネットやゲームでダラダラと暇をつぶしている自分と違って脱オタしてちゃんと家庭を持ったのだろうか、今でもニートをしているのだろうか、それとももうこの世界にいないのだろうか、自分とまた会いたいと思っているのだろうか、人生の汚点として二度と顔を合わせたくないと思っているのだろうか。
「今この瞬間、彼も自分と同じように、あの頃好きだったエロゲソングを聞いて、懐かしさを覚えていたりするんじゃないんだろうか」
そう思うと涙が出てきた。
『もしかしたら、そんな事になっている可能性も0ではない』という事が本当に嬉しかった。
自分と同じ気持ちを抱えて生きている誰かがこの世界のどこかにいるかも知れないというだけの事に、こんなにも心が震えるのかと自分でも驚いている。
そして、彼がそうであるのかも知れないのなら、どこかにいる自分とまだ出会っていない自分達と同じような人間が同じことをしている可能性もあって、この世界に60億も人間が居るのなら、自分と同じような生き方をしている人間もそれなりにいるのではないかと思うと、自分がここにいる事が何かの間違いなんかではなかったと信じられるような気がする。
彼は今どこで何をしているのだろうか、幸せに生きているならそれでいい。
ブラック企業で働いているとしても、彼が生きているならそれでいい。
たとえ死んでいても、彼がそれを望みその願いがかなったのならそれでいい。
たとえ事故で死んだとしても、彼がこのクソみたいな世界から抜け出して天国で楽しくやっているならそれでいい。
もしも彼が今でもニートをやっているとしても、それは俺たちの人生において普通にありうる可能性なんだからそれでいい。
もしも彼が今でもエロゲをやっているのならそれは素晴らしいことだ。
もしも彼が今でもエロゲソングを楽しく聞いているのならそれは嬉しいことだ。
子どもの頃から本が好きだった。何気なく本を開いたらすぐ没頭し、母親に驚き呆れられた。分厚い本はさあどんな話が待ってるのかとワクワクしたし、図書館や書店にいくと、こんなにも自分の知らない話があるのかと心がきらめいた。本を読む時間がとても心地よく大好きだった。
それが突然できなくなる。氷河期の波を受け就職浪人が決まった頃から。これは本当にわかりづらいけれど、自分の考えること全部不正解だと感じていた。自分ならこう言ったり思ったりするのにこの人たちは違うことを話し考え話が進んでいく。また不正解か、と。登場人物達の会話も物語の展開も客観的に見れなくなったんだと思う。当時は自分に関する何もかも全部不正解だった。本を読むのが怖くなった。いつの間にか手に取らなくなりただの飾りになった。
なんとか仕事が決まる。そろそろいけるかと本を手に取り、いざ開いてみるが目が滑って頭に入らない。ただの文字の羅列。イメージなんてできやしない。本が苦手な子どもの気持ちが大人ながらわかった気がした。頭にイメージが残っていたせいか昔読んでいた本は大丈夫だった。しかし新しい本は読めなくなっていた。挑戦し断念するのを繰り返した。
それから数年たった今日。いつか読めたらと積んでいた本のうち1冊を手に取り開いてみると数時間経っていた。これだ。ようやく戻ったなあと心から安心した。文字ではなく話として頭に残るのが本当に懐かしい。まぎれもなく私が好きだった感覚。夜更かしして読みたい気分だけれど明日は仕事。明日帰ってきてから読むことにする。本当に嬉しい。
兄は精神がだめだ。
昔からだめで、でもようやく就職して大丈夫になったと思っていたがまただめになっているらしい。連絡がつかなくなっている、と両親から連絡があった。
両親はこの連休に兄の家に様子を見にいくという。
親だけで行かせるのはあまりにも危険だとおもうが、どう対応できるのかわからない。
兄は昔、大学を3日行って「思ってたんとちがう」と言って辞め、浪人してワンランク上の大学に入った。
その後就職浪人して公務員試験に受かり東京に行ったものの「なんかイヤ」と言って辞め、上場企業に転職したものの「まわりのやつが合わん」と言って辞めた。
そこから10年実家に引きこもり、ようやく6年前に就職し家を出た。
なのに、まただめになった。
兄ももう40すぎている。笑えない。
「精神の病んでいるときは無理しないで」的なことでは済まされない。
親に迷惑と心労をかける兄をなんとかしたい。
あと兄に会いに行く親に危害を加えないか心配。兄は激昂するタイプで、手をあげることにためらいがない。
なにをすればよい。
なにかしないと、なにかあってからでは遅い。
どうしよう。誰か知恵をください。
追記。
最悪死んでるか殺すか、と思ってたけど普通に部屋にいた。
ほんで、「数ヶ月後に事業がうまくいくから、それまでここにいるだけや」とのたまった。
はははーーーーーーーこいつ10年前もそんなようなテンプレゆうとったわーーーーーーーーーーーーーーーとズコーなった。
同時に安心した。
親は引き続き兄の生活費(東京なので家賃だけで11万円する。)を払うのだけど、とりあえず今回はまたあいかわらずの親と兄ちゃんの無意味ないさかいであった。
安心した。
誰も傷付けなさそうでよかった。